わたしはついに銀河帝国首都星オーディンに降り立った。
大貴族の使うようなオクタワープエンジン搭載の超々高速艇なら一日の行程かもしれないが、わたしはは輸送船団の護衛艦隊に同乗してきたので九日もかかった。
初めて見るオーディンの都だ。
荘厳な建物あり、瀟洒な店先があり、歴史と文化、経済と芸術、ありとあらゆるものが存在する。
さすがは人類社会の中心地を五百年も続けてきた都だ!
人々も、粗末で汚れた衣服の下層民、機能的でシンプルな服をまとう商人、豪華な燕尾服または刺繍のちりばめられたドレスの裕福な者たちがいた。この雑踏感も都会ゆえだろう。
わたしは最初、そういう立派な出で立ちの人が貴族だと思った。
そうではなかった。
街で見るのは平民の中の比較的裕福な人に過ぎなかったのだ。
それらの人々の上に
普段、貴族は街中を歩いたりしない。
せいぜい乗り物に乗って通り過ぎるだけだ。稀に降り立つときも護衛に囲まれている。平民にとってはよほど没落した貴族でない限り、貴族を見たり聞いたりすることさえ滅多にはない。
やはりランズベルクの家は例外的に貴族らしくないだけなのだ。
「どんだけ偉いのよ、貴族って」
先ずオーディンに来た目的を果たす。
カロリーナはリッテンハイム家のサビーネ嬢に会わねばならないのだ。口頭の軽い約束でも相手が大貴族ならばきっちり守らなくてはいけない。それが弱小貴族の基本である。
サビーネとしたお菓子の約束のことをリッテンハイム家の執事に伝えたところ、快諾とのことだった。
そして約束の日に向かったが、行けども行けども、屋敷に着かない。敷地広すぎ。
不安になるくらいの距離を行った後、更に驚くことになる。
以前ランズベルクの屋敷をでか過ぎる、と思ったが、そんなのは比較にならなかった。逆にどれほどランズベルク家が質素を好んだか理解できた。
リッテンハイム侯爵家の屋敷は、壮麗にして豪奢、さながら宮殿か大聖堂のようだった。
そんなところに行きながら、要件は手に持った菓子の箱一つとは!!
「カロリーナ、よう来た。妾の腹はそなたを待ちかねておったぞ」
やっぱりお菓子を待ってたんだ! そんなにも。
しかしそれだけではなかった。
「カロリーナの噂はよう聞いておる。経済や軍事というのに興味があるとか。そんなに面白いのか。妾は今までそういう面白げなもの、聞いたことがない。ぬかったわ。世の中にはいろんなことがあるのじゃな。妾の周りの者どもも、いろんな者がいたほうがよさそうじゃ。衣装の話などすぐ飽きるでの」
何それ、10歳にしてなんか立派な王道を歩き始めたっぽいじゃないの。
「さすがはサビーネ様、その通りでございます。世の中には知っても知っても、まだ知らぬことが多いくらい広うございます」
「カロリーナは妾が言うのもなんだが、もうそのような年で世の中が広いことを知っておるのか。ならば、先ずは舌で世界の広さを知りたいものじゃ」
そこか! わたしはとにかくお菓子の箱を出した。友達のアパートに行くようなノリで。
この場にそぐわないことはなはだしい。
すぐに驚くほど豪華な食器に盛り付けられて供された。
「うむ、これはフルーツコンポートのシロップ漬けじゃな。おお、これは前にも食うた紫色の豆のジャムが入っておるぞ。お、何じゃこのババロアのようなものは。固いな。しかし、口ではホロホロ崩れる。なんとも不思議な感じよの。色も綺麗じゃ」
「このお菓子は、アンミツというものにございます。今言ってくださったのはミルクカンテンでございます。下のほうにメインの具材が沈んでおります」
「うむ、この白いのがメインか。おお、美味い! これは美味いぞ!」
「シラタマ、というものでございます」
夢中で食べてるサビーネが微笑ましい。
カロリーナはいろいろ領地経営のことを考えた。自分の得意分野を生かすことを。やはり、趣味のお菓子作りを生かせないだろうか。
今回オーディンに来たのはサビーネにお菓子を食べてもらうこと、そしてオーディンにアンテナショップを作れないかと思って来たのだった。
「持ってくるお菓子には限りがございます。サビーネ様のお屋敷のパティシエが作りやすいようなものにしました。それと今日のお菓子は分量と温度を変えるだけで、いろんな違うお菓子になりますわ。温かいオシルコにもなりますし、硬めにしてアンダンゴとかも」
「うむそれはよい。パティシエにもようく教えておくがよい。楽しみじゃの!」
リッテンハイムの屋敷を退去したら、さっそくアンテナショップ作りだ。
ランズベルク伯爵家のお店を作る。
連れてきた使用人たちは最初はそうとう嫌がっていた。確かに前代未聞のことをするのである。しかし進めていくうちに、調子よくやってくれるようになってきた。
たぶん、学園祭のノリだろう。
嫌がっていてもやってるうちに盛り上がる。ショップが出来上がる前に宣伝を兼ねて屋台まで作るほどだった。
主力商品は、見た目にインパクトがあるものだ。
しかも具材でバリエーション豊富にもできる菓子、タイヤキである。
唯一惜しかったのは、焼き型をつくる職人の感性が反映されて、タイヤキの顔の部分が何とも言えないバタくさいものに変わり果てていた。
しかしわたしは考えが甘かった。
使用人たちはカロリーナの十二歳という歳を知っている。その歳なら何をしてもたいていは許されるものであるし、そもそもランズベルク伯爵家はフランクな家風なので、影響の大きさがわからなかったのも無理はない。
オーディンの人々は驚いた。伯爵家が店を出す? それで売るものがあまりに珍妙なお菓子だとは。いったいどんな発想をしたらこんなものができるのだ? デフォルメした太った魚の形のワッフルだ。なのに魚なんかどこにも入ってない。
しかも、しかも、だ。伯爵令嬢がみずから店に出て菓子を売っているではないか。
評判を呼び菓子は売れに売れた。
しかしそんなことはどうでもいい。この悪ノリの代償は高くついた。
貴族社会で悪い噂が広まった。オテンバがあまりに過ぎるという。
一部の開明派貴族には好意的に受け止められたが、しかしほとんどの貴族にとって貴族社会の心得をないがしろにするものに見える。貴族社会の秩序を乱すようなことを無視していいものではない。
貴族が、街角の市井の者どもと声をかわすとは、しかも菓子を売るとはとんでもない!
もちろんわたし本人よりオテンバを許している兄アルフレットに非難を向けた。
そしてわたしは知らなかった。アルフレットはそういう声を聞くと、普段あれほど呑気なのに、「当家のカロリーナの何が悪い」と毅然として言い放ったという。
アルフレットには妹が何をしようとしてるかはわからなかった。しかし、妹を可愛いと思っていることは本物であったし、それだけで充分だったのだ。
それから1年ほどの間、カロリーナは領地とオーディンの間をしばしば往復した。サビーネの元に通ったりいろいろなお菓子の販売を軌道に乗せたり、忙しい日々を送っていた。
ああ、このまま楽しく充実した日々が続けばいいのに。
だが、カロリーナの心には棘が刺さっている。
それがいつも痛みをもたらして止むことがない。
タイムリミットがあるのだ。
今は平和な銀河帝国である。
しかし、戦乱が暗く世を覆うまで、あとわずか。