平和の使者   作:おゆ

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第五十話 488年11月 第二次ガイエスブルクの戦い~尽きざる魔手

 

 

 やはりラインハルトの双璧は強い。まともに戦ってみるとそれがよく分かる。

 

 格が違うとはこういうことであり、その二つの艦隊に面したところははっきりと押されている。

 わたしは対処としてミッターマイヤー艦隊の方にルッツを、ロイエンタール艦隊の方にファーレンハイトを急ぎ向かわせた。

 戦い方の相性を考えてのことである。

 

 ミッターマイヤーのダイナミックな艦隊運動にはルッツの狙撃的に構えた攻撃がいい。

 ロイエンタールの知勇のバランスにはファーレンハイトの有無を言わせぬ苛烈な攻勢がいい。

 

 この采配は思った以上の効果を上げた。

 

 ルッツはミッターマイヤーの艦隊運動に惑わされることはなかった。下手に対処を図ればかえって陣形を乱され、疾さに分断されるだけだ。陣を堅く保ち、決して隙を作らず、タイミングを見て的確な一撃を加えることに徹する。絶対に深追いはしない。

 そうなるとミッターマイヤーといえども攻めあぐむ。

 全体としてはミッターマイヤーが押していても、損害で見れば互角、瓦解させられる心配はない。

 

 ロイエンタールは堂々としてけれん味のない艦隊を組み上げて迫る。そこへファーレンハイトが怯えることなく切り裂くような苛烈な攻勢を仕掛ける。思いがけず守勢に回っても逆撃を加えるところはさすがにロイエンタール、しかし捉えきれるには至らない。これを二度、三度、時間ばかりが過ぎていく。

 

 

 わたしの方はそれらの戦いばかりに注目しているわけにはいかない。

 様々な戦いが同時に展開されており、それらより近くにも戦いを挑んでくる相手がいるからだ。黒色に塗られたその艦隊は、有無を言わせぬ速度で直線的に迫ってくる。

 わたしには艦型照合など不要だ。黒色槍騎兵、つまりビッテンフェルト提督。

 突進してくる先にはちょうどメルカッツ提督の艦隊がある。わたしは急ぎメルカッツ提督に通信を送り、重要なことを伝える。

 

「あの黒い艦隊には近接戦闘は効果がありません。怯むどころか突撃が速くなるだけです。とりあえず避けて受け流してから反撃して下さい」

 

 それでメルカッツ提督は何とか凌ぐことに成功したようだ。だがそれだけではなく、まだまだ迫ってくる艦隊があった。ラインハルト陣営は本気で大攻勢を仕掛けてくる。

 ここで乾坤一擲の勝負を仕掛けてくるつもりだろうか…… 

 少し妙な感じがするのは、艦数的なこともあるが、全体として戦場はガイエスブルク要塞の方へ移動しているはずであり、ラインハルト陣営には時間の余裕もない。

 それなのに大勝負とは、よほど実力差で押し切れる自身があるのだろうか。

 

 こちらはもちろんまとまって守備陣の形をとるが、またしても食いついてくる艦隊がある。

 

「新たな艦隊接近、旗艦艦型照合、戦艦フォンケル確認しました。シュタインメッツ提督の艦隊です!」

「戦艦ヴィーザル、アイゼナッハ提督の艦隊です!」

 

 ラインハルト陣営にはまだまだこれだけの有能な提督たちが揃っている。

 負けてなるか!

 これらにはメックリンガーとケスラーを向かわせた。言うまでもなく、目的をきちんと理解した無理のない戦闘をしてくれるだろう。

 今必要なことは時間稼ぎだけである。戦闘の勝ち負けではない。

 陣を保ちながら移動して要塞に帰りつけばいい。そしてもう要塞は見え始めているではないか。あともう少し、もう少しで逃げ切れるのだ。

 

 わたしの手持ちの隊は、元からランズベルク家に仕えていた護衛艦隊と、最初期にヒルデスハイム伯などから接収して今ではすっかりカロリーナ艦隊として馴染んだ艦、新造艦などからなる五千隻だけだ。それらの指揮をさせるため手元にビューローだけを残している。

 しかし危ないことはない。なぜならすぐ横にはブラウンシュバイク公の大艦隊がいる。今、あまり積極的に戦いに加わっている様子はないが、これは下手に出しゃばられても困る。崩れたりしたらそこからつけ込まれるかもしれず、それにかえって救援に手間取ってしまうかもしれない。

 案山子で充分、それでも弾除けくらいにはなるだろう。数だけは多いのだから。

 

 

 戦いはそれぞれ良い悪いが交錯し、全体として混戦模様になっているが、大勢として不利ではない。わたしの諸将はそれぞれの持ち場で奮闘し、時間稼ぎの役割を果たしている。こちらの防御陣はまだ大丈夫だ。密集して隙はなく、当面崩れることはない。

 時間が長く感じられたが、やっと要塞が大きく見えてきた。あの要塞主砲ガイエスハーケンの射程内まで入れば一安心である。あとほんのわずかで着けるだろう。

 

 

 

 信じられないことというのはこういうことを言うのか。

 

 

 わたしはもとより、諸将も、兵の一人に至るまで信じられないものを見た。

 ガイエスブルクからこの戦いの様子を見守る兵、貴族、そしてサビーネにも。

 いやそれだけではない。攻勢を掛けている方であるラインハルト陣営の諸提督さえ同様に驚愕した。

 

 突如としてスクリーンが白熱、つまりほんの近くにエネルギーの奔流が通り過ぎる。一瞬後、わたしの艦の近くで爆散する艦が相次ぐ。

 

 

 何が、何が起きた!

 

「裏切りだ!!」「ブラウンシュバイク公が、寝返った!」

 

 突如としてブラウンシュバイク公の艦隊が発砲してきたのだ。

 

 わたしの本隊へ向けて数百条の白い線が来る。味方であったはずのその艦隊から、こちらの艦列の無防備な側面に突き刺さる。

 艦隊陣形などみるまに崩壊した。

 当たり前である。こんなタイミング、こんな体勢、こんな艦数差で攻撃を食らえばどんな艦隊でもひとたまりもない。

 

 

 驚愕の事実が展開される。たった一つだけ幸いなことがあったとすれば、ラインハルト陣営の諸将は武人であり、こんな裏切りは憎むべきものであってチャンスなどとは考えもしない。むしろ固まってしまい、いったん攻撃を手控える者が続出する。

 

 それもまた予期していたのだろう。タイミングよくオーベルシュタインが司令部から諸将に命令する。

 

「今こそいっそうの忠勤を。ミッターマイヤー提督、あの伯爵令嬢を葬りに行っていただきましょう。ブラウンシュバイク公の艦隊だけでカロリーナ・フォン・ランズベルクを殺せるはずなれど、そこは念には念を入れて、確実に亡きものとするのです」

 

 これに対しミッターマイヤーは武人の矜持をもって反論する。

 思わぬ味方の裏切りに遭った伯爵令嬢に同情はすれど、裏切りの方へ加勢するのは論外だ。

 

「お言葉ですがオーベルシュタイン大将、伯爵令嬢は今まで女ながら武人として正々堂々戦ってきました。ここで味方の裏切りによる苦境、そこに付け込むなど我らの道に反するものです」

「ミッターマイヤー提督、それは聞き捨てならない。勝利のためにある艦隊を勝利に使わないとは、どういう矛盾か理解しておられぬか。それにこれは司令部としての命令、従わぬとあれば重大な命令違反と見なされることはご存知のはず」

 

 

 ここでスクリーン越しに思わぬ睨み合いとなる。そこへロイエンタールが歯に絹着せずミッターマイヤーに加担する。

 

「いいやこれからの進むべき道を考えたら、小賢しい謀略で勝利をつかむなど汚点を残すばかりだ。こんな謀略はオーベルシュタイン参謀長、なるほど卿が考えたのだろう。謀略で勝利を拾うとは我らなど飾りに過ぎんということか。この戦いを記すだろう将来の歴史家にどう釈明するつもりだ」

 

 

 シュタインメッツも言ってくる。

 

「小官もロイエンタール提督に同意いたします。謀略も使いようによっては有効ですが、最後を締めくくるには多少後味が悪い手段かと」

 

 ビッテンフェルトは言うというより吠え立てる。ビッテンフェルトにもこの驚くべき裏切りがオーベルシュタインの策謀した結果だということは想像できている。

 

「何が策略だ! そんな策など見たくもないし、要らん! シュワルツランツェンレイターで敵を倒し、勝利すれば済むことだ」

 

「……」アイゼナッハだけは、無言ながら同意してると皆は勝手に思っている。

 

 諸将は堂々と戦って勝つことを望んでいる。

 だがしかし、オーベルシュタインはそんな反論を受けても全く動ずる気配はなく、話を続ける。

 

「卿らは誤解しているようだ。勝利は勝利。どういう手段かに関わりなく、犠牲を少なくして勝利することが重要である。それこそが正義なのだ。速やかに勝利を得るため、どうあってもカロリーナ・フォン・ランズベルクを生かしておいてはならない」

 

 そしてこれまで傍らにいながら何も言わずにいたラインハルトに振り返った。

 

「ローエングラム元帥閣下。どうも諸提督は発想の切り替えが上手ではないようです。問答をするのは後でもできること、機会を失う前に司令部から艦隊を出し、最後の始末をすべきかと存じます」

「何、ここから派遣するだと」

「大艦隊は必要ありません。機動性に優れ、乱戦の中でも確実に進める艦隊であればよろしいのです。僭越ながらキルヒアイス上級大将閣下が適任かと」

「キルヒアイスを! そんな作戦にキルヒアイスを出せと言うか!」

 

 オーベルシュタインの進言を横で聞いているキルヒアイスは瞳が静かなままだ。動揺して声を上げているのはラインハルトだけである。その瞳のまま穏やかにキルヒアイスが答える。

 

「覇業のためならやむを得ないことなのでしょう。ラインハルト様、行ってまいります」

「キルヒアイス、お前にそんなことはさせられない! 姉上にお前一人が言い訳などさせない。菓子の友である令嬢を殺したと姉上に言わねばならんのだぞ……」

 

 オーベルシュタインの言が正しいことは分かっているが、キルヒアイスも心中は苦しかろう。そこでラインハルトは言う。

 

「…… ならば俺も行く」

「ラインハルト様…………」

 

 贖罪は友だけに負わせず、二人で担うのだ。そして本隊司令部がこの通りに動く以上、ミッターマイヤー達も決断し、後に続く。

 

 

 しかし、ラインハルト陣営の動きがどうであろうとわたしの方の命運は尽きていた。

 いかにブラウンシュバイク公艦隊の錬度が低いとはいえ完全な不意打ちである。

 幸いなことにこの裏切りの攻撃に参加している艦の割合は高くなかったが、それはブラウンシュバイク公艦隊にとっても驚きの命令だったからだ。半信半疑になるのも無理はない。しかし何といっても元が三万隻の艦隊なだけに、攻撃は半端なものではない。おまけに直接接しているといってもよい至近からのものだ。

 

 わたしの乗る旗艦の周辺もたちまち撃ち減らされていく。

 白い棒が横から次から次へと突き刺ささり、一瞬おいて光の球に変えていく。

 その爆散の様子が旗艦のスクリーンにひっきりなしに映っている。

 

 各艦は被弾のためもはや爆散が避けられない未来と見るや、通信を開いて叫ぶのだ。

 

「伯爵令嬢、万歳!」

 

 それらの艦の多くはまだわたしが14歳の頃、水色の戦いの以前からランズベルク家に従っていた艦である。わたしの成長と共に幾多の戦いに臨んで勝利を重ねてきた。

 今、旗艦を守って斃されるのはむしろ栄誉である。

 この愛すべき令嬢のために散るのは本望だ。命の限り令嬢を守る。

 

「ランズベルクに栄光あれ!」

「ありがとうございます。これまで、いい夢を見させてもらいました」

「我らに後悔なし! 令嬢はどうか自分の道を、歩んで…… 」

 

 ああ、そんなことがあっていいものか。

 今まで勝利してきたのは何のためだろう。彼らをここまで連れてきて、結局死なせるためなのか。いいえ、いくら満足して死ぬとはいえ、それでいいはずがない!

 

 わたしは予想もしない裏切りに顔を青ざめて立ちすくんでいる。この旗艦をかばって爆散する艦たちを瞬きもせずスクリーンに見る。

 一応、防御のためのいくつかの指示を出すのが精いっぱいだ。

 甘かったといえばそうである。真に戦略家ならば全ての場合を考え、用意を怠らないものだろうに。ブラウンシュバイク公の裏切りは予想し得るものだったし、そもそも助太刀にブラウンシュバイク公自身が要塞から出てくる時点で怪しいといえば怪しいものだった。

 しかしわたしは人を信じ、疑うことはなかった。おまけにそれをいいことのように思っていた。だが結果はどうだろう。自分が死ぬだけならまだしも、今、ランズベルク家に仕えてきた多くの忠義の者を失うことになっている。わたしは何をやってきたのだ。

 

 

「大丈夫です。すぐに味方が来ます。令嬢、初めに誰がくるか当てっこしましょうか」

 

 横にいるビューローがそう言って励ましてくれた。忙しく指示を出しているビューローだが、わたしの心中を察して気遣ってくれているのだ。

 下手な軽口まで使って。

 

 似合わないわよ。

 ドルテさんはたぶん真面目なあなたが好きなのよ。

 ごめんねビューロー、あなたをおそらく結婚式まで生かしてあげられなくて。

 ドルテさんもごめんね。花嫁衣裳を選んで、ビューローの隣に並んで結婚式を挙げるのが夢でしょう。そして二人で新しい生活を始めるのを。

 みんな届かない夢にしちゃったね。わたしのせいで。

 

 もう涙で世界の全てが濡れて見える。

 わたしはブラウンシュバイク公に通信をとる気もしない。

 わかっている。安っぽい謀略に踊らされてしまったのだろう。命を助ける、領地を取らない、おそらく高い地位も約束されたのだ。それは国務尚書? 帝国宰相? どうせラインハルトが裏切者になど与えるはずがないのに。

 

 

 その頃、もちろん麾下のファーレンハイトが、ルッツが、ケスラーが、メックリンガーが死に物狂いで本隊に近付こうとしている。伯爵令嬢を何があっても守るのだ。その気迫は暴風のように荒れ狂い、立ちはだかる敵艦をことごとくなぎ倒すが未だ距離があり、届かない。

 

「おのれブラウンシュバイク! ここが俺の死に場所か。願わくば俺の命と引き換えに令嬢が無事であらんことを!」

 

「カロリーナ様、これからもコルネリアス・ルッツの名を憶えておいて下さいますでしょうか。ファーレンハイトと命日が一緒なら、墓に来る手間も一度で済みます」

 

「伯爵令嬢、お命は最後の一瞬まであきらめてはなりません!」

 

「ブラウンシュバイク公は幸運だ。あと一時間猶予があればよかったのに。公のために地獄のレクイエムを作曲してやれたものを」

 

 

 その時、天祐が起こった!

 

 ブラウンシュバイク公艦隊の中で、まとまった一団があった。

 その艦隊があろうことかわたしを攻撃している艦に向かって猛然と砲火を吹いた!

 凄まじい攻撃だ。

 それも同じブラウンシュバイク公艦隊の中での同士討ち、加速度的に混乱が広がる。

 

 こうなった原因はすぐに判明した。

 いきなり同士討ちを始めた一団が通常回線を開いて叫んでいる。

 

「今こそ恩を返す時だ! わがヘルクスハイマー艦隊は伯爵令嬢と共にあり。全艦撃って撃って撃ちまくれ!」

 

 それはかつてわたしと共にブラウンシュバイク艦隊に立ち向かったこともあるヘルクスハイマー艦隊だった!!

 

 その半分はわたしが接収したのだが、残り半分の艦隊はブラウンシュバイク公の艦隊の一部として吸収されてしまっていた。

 ただしわたしがヘルクスハイマー領民を守ってくれた恩は決して忘れない。

 いつかその恩を返したいと願っていたのだ。そしてこのブラウンシュバイク公艦隊の裏切り、同調するはずもなく全力で妨害にかかっている。

 

「ヘルクスハイマーの誇りにかけ、令嬢をお守りまいらせよ。全艦、突撃!」

 

 元々ヘルクスハイマー製の自慢の高性能艦がそろった一団だ。

 いかんなくその性能を発揮して蹴散らしながら進む。

 

 

 それとは別に、もう一つの艦列が迫ってきていた。それらもまたわたしを守るためだった。

 壊滅に瀕しているわたしの本隊とブラウンシュバイク公艦隊の間に割って入り、その攻撃を遮断すべく猛進してくる。

 

「わがクロプシュトック艦隊は伯爵令嬢を害するものを許さん。絶対にだ!」

 

 それもまた驚くべきことだった。

 彼らは旧クロプシュトック艦隊の残りであった。わたしが接収した残りは、やはりブラウンシュバイク艦隊の一部として吸収されていたのだ。そしてヘルクスハイマー同様、クロプシュトック領民を守護してくれた恩を忘れていない。

 

 今、絶体絶命の伯爵令嬢に恩を返さないでどうするのだ!

 守護者カロリーナをなんとしても救い出せ!

 

 戦巧者の指揮官の元、直ちに戦場に楔を打った。クロプシュトック得意の高速戦艦戦術が冴えわたる。

 

 

 

 

 


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