だがしかし、わたしは全体の戦況を俯瞰し、ラインハルト陣営に意外な穴があるのを見いだす。
ラインハルトの諸将の中でやはりグリルパルツァーは一段劣る。
「向こうのグリルパルツァー艦隊に集中して攻勢をかけて下さい! 近隣の艦隊は戦場を狭めてできるだけ応援を」
ビューローがそれにいち早く反応した。
先のレンテンブルク救出戦の因縁があるのだ。グリルパルツァーというゲスが貴族令嬢にどういう仕打ちをしようと企んでいたか忘れるはずもない。ビューローはグリルパルツァーに思い切り大攻勢をかけた。
「その節のツケを払ってもらおう。弱い者をいたぶったツケを」
その近隣でアイゼナッハ艦隊の相手をしていたメックリンガーもまたビューローに応援を出す。
これらによりグリルパルツァー艦隊はさんざんに破られた。旗艦だけはいち早く後退して逃れおおせたが、これにビューローが大いに口惜しがる。
ラインハルトの方もそれを見て舌打ちした。
「グリルパルツァー、なんと無様な」
しかし現実にその穴から染み出してきた貴族側が深く進出し、他へ横撃を加えてくる。急速に大穴に変えつつあるのだ。このままにしてはおけず、先ずはそこへの対処が優先になる。
戦いの第二幕は貴族側が一矢報いた。
「まずいな。あの箇所のせいでこちらが先に崩壊してしまう。キルヒアイス、令嬢は俺一人で充分だ。ブラウヒッチを連れてあの箇所の敵を押し戻してきてくれ」
「わかりました。ラインハルト様」
キルヒアイスが静かな瞳で言う。ラインハルトにとってこの瞳がある限り何も心配はいらない。
ラインハルトの期待通りわずかな艦隊を使っただけで穴は塞がれた。
キルヒアイスの戦術指揮は恐ろしく的確であり、しかもバルバロッサの性能の高さは群を抜く。
これでまたどちらも決め手を欠き、攻勢に出るタイミングを失う。
だがラインハルトはいつまでも膠着状態を良しとはしなかった。
戦いの第三幕は再びラインハルト陣営の前進から始まり、ついにラインハルトは最終攻勢のタイミングを見出す。
「よし、最終局面だ! 各自持ち場にて一気に攻勢に出ろ。これで押し切る!」
もはや勝負はついた。
貴族艦の多くは傷つき、有効な反撃もできず艦列の維持に精一杯、瓦解しないのが奇跡なくらいだ。ガイエスハーケンの有効射程に近いところで砲戦が展開されるが、もう貴族側は有効な反撃もできず、かといって退却さえ難しい。
そのとき思いもかけない転機が訪れる!
ラインハルト陣営の諸将に不意に光の渦が押し寄せてくる。
「ガ、ガイエスハーケン来ます!!」
驚愕と絶叫が艦隊を包む。そして光はそれらを呑み込み、消し去る。
「何だと!」「そんなはずがあるか!」「ガイエスハーケンの射程ではない!」
ラインハルト陣営の諸提督は大声が事実を確認するが、ガイエスハーケンが猛威を振るったのは間違いない。
たちまちミッターマイヤー艦隊の後尾が光に飲み込まれる。
どうしてだ! ガイエスハーケンの射程距離を見誤るなどするものか。
「今こそ切り札を使う時じゃ!」
ガイエスブルク要塞の指令室に皇帝になったばかりのサビーネがいた。
「頼むぞミュッケンベルガー。朝敵をしかと叩けよ」
サビーネの横には元帝国元帥ミュッケンベルガーがいる。
ミュッケンベルガーはガイエスハーケンの使いどころも威力も充分に知り、的確な指示を出す。
「敵艦隊の行動予測を怠るな。分散が遅れているところから叩くのだ。儂が照準指示を出す」
「ガイエスハーケン発射態勢完了!」
「よし、発射!」
イゼルローンのトゥールハンマーとガイエスブルクのガイエスハーケンはよく似ている。ミュッケンベルガーにとっては旧知のもの、その指揮によるガイエスハーケンは格段にその精度を増す。武器は使い方によってまるで異なり、攻撃力は雲泥の差だ。そのままラインハルト陣営には悪夢になる。
ミュッケンベルガーは万感の思いだ。
長きに渡って帝室に忠誠を誓い、戦いの場にいた。
ただしそれは主にイゼルローン回廊近辺での話であり、オーディンの帝室とは距離があり、戦いの後で報告し、オーディン無憂宮の黒真珠の間で報償をもらうだけであった。
ところが今は何としたことだろう。
銀河帝国皇帝の横で腕を振るうとは!
こんな忠臣冥利に尽きることは想像もしていなかった。
そして皇帝サビーネの方は目の前のスクリーンの光芒を凝視して呟く。
「カロリーナは菓子を作っても上手いのじゃが、戦いも本当に上手いのう。誰も思いもつかんことをする。さすがはカロリーナじゃ。この戦い、先が見えたわ」
ガイエスハーケン第二射第三射がアイゼナッハ艦隊を叩く。
第四射からロイエンタールの艦隊を叩き始める。
諸提督はようやく仕組みを理解した。どうしてこんなことになったのかを。
ガイエスブルクに不格好に取り付けられてある武器、それは武器ではなかった。
偽装したエンジンだ。
要塞は今や推進力を得て航行を開始している!
そんなに速くはない。さすがに直径四十kmの大要塞、艦用のエンジンを幾つ付けても推進力は足りない。
だがそれでも少しの移動が大きな脅威になるその迫力とガイエスハーケンという絶対的な破壊力がある限り。
宇宙を羽ばたくガイエに誰が立ち向かえるというのだろうか。
一気にラインハルト側が浮足立ち、逆に貴族側の各艦隊は生気を得て反撃に転じる。
「うろたえるな!」
ここでラインハルトの声が響く!
ラインハルト陣営の諸提督は動揺を素早く鎮める。
そう、自分たちは黄金の覇王、常勝提督に従っていたのではないか。
いかに予期せぬ事態になっても無様な姿は見せられない。ガイエスブルク要塞が動くというのは確かに驚くべきことだが、ひとつの戦術に過ぎない。別に魔法というわけではないのだ。
「あんな奇策にうろたえてなんとする。艦列を乱すな。長距離砲をもつ艦は全て連携せよ」
諸提督はやがて立ち直る。勝利できないと決まったわけではない。覇王ラインハルトある限り。
そして期待通り、戦いの天才ラインハルトがこの奇策を破る方法を思いつくまで一瞬もかからなかったのだ。
「長距離砲の照準を全て一か所にまとめろ。あの左端だ」
諸提督もようやく理解した。
なるほどそういうことか!
要塞そのものでなく取り付けてあるエンジンを狙うのだ。装甲が要塞本体より厚いはずはない。
長距離砲の斉射で破れるだろう。
もしガイエスブルク要塞を動かしているエンジンを一部だけ破壊すれば、たちまち推進力のバランスが崩れる。
まっすぐ進むこともできなくなりスピンを始めるに違いない。
ガイエスハーケンも無力化され、当面の危機は去る。
それどころではなくオマケがある。ガイエスハーケンがスピンによって定まらなければ、要塞の攻略がかえって容易になるではないか。
要塞に侵入し占拠するのがかえって容易になった。災いを見事福に転じられる。
さすがは常勝のラインハルト・フォン・ローエングラム、天才だ!
「よし、撃て!!」
ラインハルト側の一斉砲撃が一つの帯となり、ガイエスブルク要塞のエンジンへ向かって伸びる。そしてその一つを見事爆裂させたのだ。
誰もが要塞のスピンを予想した。
だが、そうはならなかった!
わたしはそうしてくることを予期していたのだ。
要塞を出撃する時に、サビーネに言い残している。
「きっとエンジンの一部を狙って攻撃してきますわ。でも大丈夫です、サビーネ様」
「ん、カロリーナ、どうするのじゃ」
「狙われた場所が分かったら、すぐにその対角線の位置にあるエンジンを止めて下さい。それで要塞の進行方向が保てるでしょう」
はたしてその通り、ガイエスブルク要塞はそのまま何事もなかったかのように進んでくる。
わたしの授けた対応策についてもラインハルトはあっさり喝破したが、しかし当面打てる手は続けてエンジンを攻撃することくらいしかない。
要塞はスピードを落としたがなおも進む。
戦場は艦から発射される細い白い線が数百数千となく輝いて狭い宙域を染め上げる。
時折、暴力的な鍵爪がそれらをまとめて引き裂くように伸びる。
艦隊戦はガイエスハーケンの及ばない所ではラインハルト側が有利、ガイエスブルクに近いところでは貴族側が有利である。ラインハルト側は常にガイエスハーケンに注意を払い、要塞の進行方向に戦場設定しないように気を使わなければならない。それは戦術の選択肢に非常な足かせとなる。
全体の趨勢ではやっと貴族側が互角以上に持ち込んだといえる。
わたしはこのタイミングでラインハルト側へ停戦と交渉を持ちかけた。
驚いた顔をする諸将に説明する。
「オーディンのことを考えたら、ローエングラム公は決して消耗戦はできません。ここが交渉のしどころなのです」
この戦いの最中、オーディン方面から急報がもたらされた。
ラインハルトが先に遣わしたシュタインメッツ、クナップシュタイン艦隊敗れるという報である。
戦いの様相は以下の通りであった。
予め航路の情報を得ていたヤンは第十三艦隊を巨大恒星の前面に展開させた。シュタインメッツらはオーディン直撃するより、ヤン第十三艦隊の撃破を優先させ、それと対峙する。
シュタインメッツらは一万三千隻をもって発しているが、さすがに帝国領であり航行途中で糾合し、数を増やしている。先のワーレン、レンネンカンプ艦隊の敗残も加えて二万二千隻にまで増やし、これが自信の元になる。
艦数の絶対的優越を背景に半包囲陣形をもってヤン第十三艦隊に迫る。
後方へと逃げられない相手に対する当たり前の戦術である。
だがここでヤン第十三艦隊は急速に紡錘陣形に組み換え、易々とシュタインメッツらの陣を中央突破し、背面展開から逆に恒星に押し込めたのだ。こうしてシュタインメッツらは恒星と艦隊に挟まれ、態勢を入れ替えることもできないまま少なくない犠牲を出して逃走するしかなかった。
その結果またもやオーディン周辺は第十三艦隊の制圧下にある。
もはやラインハルトには時間の猶予もない。
オーディンの解放のため、自分で行かなければならない。
それには急戦で目の前の貴族艦隊を破る必要があるが、それが直ちに可能な状況ではない。消耗戦はもとより望むところではなかったが、今や艦隊の温存のためにも消耗戦は絶対にとれない。
ラインハルトの横には戻ってきたキルヒアイスがいる。
「キルヒアイス、負けたな。俺たちはここまでやってきたのだが」
「ラインハルト様。これは負けではありません。オーディンへ行くためいったん停戦の交渉に応じるというだけです」
「いや、これは負けだ。このようなタイミングでオーディンに変事が起きるのはどう考えてもおかしい。これは策だ。あの伯爵令嬢の策だろう。かなり前から準備していたに違いない。この俺が戦略において遅れをとってしまった」
「ラインハルト様……」
ラインハルトの明晰な頭脳はそこまで読んでいた。
同盟艦隊の急速な侵攻、これは絶対に手引きをする者がいなければ実現できない。少なくとも補給面を考えたらそうである。
「キルヒアイス、付け加えるなら戦術面でも遅れをとっている。要塞を動かしてくるとはな。予想外だ」
「ラインハルト様、もう一度申し上げます。決して負けではありません。なぜなら伯爵令嬢とは最初から敵ではないのですから」
「だがキルヒアイス、貴族どもを滅ぼさねばならない。そこに伯爵令嬢がいる以上、嫌でも敵ではないか」
しかしキルヒアイスはあのお茶会のこと、ガルミッシュ要塞の会話、そしてヴェスターラントの爆撃阻止のことを思わざるを得ない。
カロリーナ・フォン・ランズベルクは敵ではない。
全てはボタンの掛け違えだけのような気がするのだ。
ラインハルト様が自嘲気味に勝敗にこだわるのはそもそも必要ない。
「いいえ、少なくとも伯爵令嬢の方では敵と思っていないような気がします。ラインハルト様」
ラインハルトとキルヒアイスの会話を聞きながらオーベルシュタインは思う。
甘いな。二人とも。
その甘さの根源はおそらく伯爵令嬢などではない。
ローエングラム公の姉、アンネローゼだ。
あの者が生きている限りローエングラム公はあたら才能がありながら足かせがとれず飛翔できない。
それに比べたら伯爵令嬢などさしたる問題ではない。
足かせさえ取れれば、ローエングラム公はその時こそ覇王に変貌できるのだが。目的のために手段を選ばない真の冷徹さと苛烈さを持てるだろう。それらが覇王に必要なのだ。
ならば足かせを取ってやるまでだ。覇王によって宇宙を変えるために。
オーベルシュタイン、この者の策謀に限界などない。
考えたあげくラインハルトは決断した。
「停戦に応じる。各艦隊はいったん攻撃を止めよ。ただし臨戦態勢のまま待機」
ラインハルト陣営の様子を見て、わたしの方でも応じる。
「停戦です。ガイエスブルクにも連絡を。ガイエスハーケンの発射中止とエンジン停止を。わたしは直ちにガイエスブルク要塞に入ってサビーネ陛下とお話しします」
そしてわたしが要塞に戻るとサビーネの方からやってきた。
「これで勝ちと決まったの。ローエングラムはさぞ悔しかろう。カロリーナ、ようやってくれた。まあ、勝つことはわかっておったが」
「勝手なことながら、いったんの停戦をいたしました。お互いに消耗戦にするわけにはいきません」
「そうか。でも停戦は方便、ローエングラムめが帝国にまたしても逆らうというのなら、遠慮なく叩き潰してやるまでじゃ。確実にそうなるじゃろうの」
意気軒高たるサビーネをここで説き伏せる必要がある。
「いいえ、停戦は方便ではありません。できれば交渉の上、講和で終わらせたいのです。ローエングラム公の言い分を聞きましょう。ローエングラム公を滅ぼすのはお考えになりませんように、陛下」
わたしの言葉に対し、ある程度の反論はされると思っていた。
しかし予想以上の反発があったのだ。
「なぜじゃ。ローエングラムを倒さねば死んでいった者たちも浮かばれまい!」
ああ!
わたしは何と重要なことを忘れていたのだろう!!
人として大事なことを、なぜ忘れていた。
サビーネがややうつむいて言うではないか。
「お父様も、無念のままじゃ。そうではないか、カロリーナ」
わたしは馬鹿だ。
うかつにも失念していたことを突かれた。
サビーネは父親のリッテンハイム侯を亡くしてから、話題にすることはなかった。聞いたのはこれが初めてのことである。
それはサビーネの剛毅さのゆえだった。彼女なりにリーダーとして振る舞った結果だろう。
だが内面は喪った父親のことをゆめゆめ忘れてはいなかった。
仲の良い父娘だったのだ。思わない方がおかしい。そしてたぶん仇を討つことをずっと考えていた。
わたしは気が重い。
サビーネの心情はよくわかる。できれば仇討ちをかなえてやりたい。
だが、事は銀河の歴史に関わることであり、個人の心情より大きなことなのだ。
敢えて言わねばならない。
サビーネ様、ここで試させて頂きます。
ただの貴族令嬢なのか、それとも人類社会を背負って立てる器なのかを。