「そのあと救急車が行くのを見送ったら、伯爵令嬢はそのまま身動き一つしなくてマネキンのようでした。声も聞こえていないようでしたので、どうしようかと」
メックリンガーがあの時の様子を説明する。
「心臓さえ止まっているような、まるで彫刻のようでした」
顔を赤くしているわたしの横でなおも言い続ける。悪気がないのは分かっているが、そういう問題じゃなく、いい加減やめろってば!
「なるほど。で、令嬢はそれについて何かコメントがありますかな?」
ファーレンハイトが調子に乗っている。
「だから何? うるさい!!」
何もジェシカさんが見舞いに来てる時にそれを言わなくてもいいだろう。
ファーレンハイトが撃たれて重傷を負い、入院したというので、わざわざ病室にお見舞いに来てくれたのだ。
そしてこちらの軽口の応酬に困った顔をしている。
「あ、でもファーレンハイト、あの顔は作ったでしょ。絶対わざとだわ。何の演出してくれたのよ!」
「何のことだろう。令嬢、撃たれた痛みで覚えてませんが」
違う、わざとだ!
軍が長いファーレンハイトなら致命傷かどうかくらいわかりそうなもんだ。何だあの演技は。
まあいい。こちらは来客のジェシカさんの応対をしなくてはならない。
「ジェシカさん、そちらはどうなんですの?」
「ええ、こちらも軽いものではありませんが回復に向かっています。こちらのお二方が戦ってくれたおかげです」
「そうですか。それはよかった」
本当によかった。あの憂国騎士団の襲撃でソーンダイク代議士も怪我を負ったと聞いていた。
しかし命に別状はないらしい。マルガレーテのためにも死ななくてよかった。
「でも、それではしばらく大変ですね。ジェシカさんも」
そう、ソーンダイク氏はヒマなファーレンハイトとは違い、政党を率いて仕事をする人間なのだから。
「そうですね。それでソーンダイク代表が今度のテルヌーゼンの選挙に出るはずだったのですが、それは無理で…… しかしそれこそ憂国騎士団の思う壺、ですので選挙には代わって私が出ると思います。夫のジャンは軍籍にいますし」
え、やはりジェシカさんは政界に出るんだ。反戦派の代表として。
気をつけて。本当に。
ジェシカの決意を固めさせたのは、実はわたしたち一行だった。
ジェシカにとって帝国の人間を見るのは初めてのことである。
それが想像とはまるで異なるこんな軽口な人たちだとは! 話に聞いていた冷酷な人でなしとは違う。
この雰囲気、まるでジェシカの学生時代のようだ。
ジャン・ロベール・ラップ、ヤン・ウェンリー、その二人の他にも士官学校にいたキャゼルヌ先輩、アッテンボロー後輩、みんなで笑って楽しかった。そんな楽しい思い出と重なる。
帝国貴族というのは、部下を恐怖で支配するものではないのか。
そうではない人間もいる。いや、同盟と人間自体は同じなのだ!
同盟と帝国はどちらかを消滅させなければならない仇ではない。ならば、和平と共存が可能ではないか。
反戦は、間違いじゃない。
調停をすればいい。
そして一週間後のことだ。
「それじゃファーレンハイト、置いてくわよ。」
それは仕返しだ。療養中のファーレンハイトを一人ハイネセンへ置いて、わたしとメックリンガーは先にオーディンに帰る算段をしている。
「は? 令嬢、それはいったい?」
「もう日程超過だから。後からオーディンに帰ってきてね」
さっさと病室を出ていく。
すぐにシャトルには乗らずに一日待つ。
どうせファーレンハイトが無理に退院してくるに決まってるわ。
その慌てぶりを見てから本当に出発しよう。
ファーレンハイトを慌てさせて満足すればオーディンへ急ぐ。
しかし急いだことに意味がなくなった!
それは思いもよらない事態だった
オーディンが封鎖されている!
この銀河帝国首都星オーディン、宇宙一の人口と規模を持つ惑星が、宇宙艇の一隻たりとも出入りさせなくしている。
こんな驚くべきことがあり得るとは。
何かとんでもない変事が起こったのだ。オーディンに。
そのころオーディン表面はてんやわんやの大騒ぎだった。
あらゆる憲兵、警備兵が全て動員されて、必死の作業をしている。
事は数日前に遡る。
ラインハルトの姉アンネローゼの住む館に電気系統の点検が入った。
偶然にも庭園の方では庭師の手入れも大々的に行われた。
その次の日の夜のことだ。
館の電源がいきなり切れた。それだけならまだしも、おかしなことに非常電源も起動せず、照明も自動警備システムも切れたままだ。帝国の最も重要な館において有り得るべからざることである。
そこへ忍び込む者たちがいた!
むろんアンネローゼの住む館、三十人もの数の警備兵が常時詰めているのだが、手際のいい襲撃でいきなり半数以上が倒されてしまう。
しかし、バッテリーで動く警報と通信機は全方面に変事を知らせることができた。
オーディン中に緊急通信が行き渡る。
警報を聞き、館の侍女たちが慌てふためきながらこういう場合のマニュアルについて思い出そうとする。
そうだ、館の端に緊急避難用のシェルターがあったはずだ。
アンネローゼ様を連れてそこへ行けばいい。
しかし暗闇が邪魔をする。わずかな灯だけでは思ったように進めない。
警備兵は警備兵で襲撃者と必死に銃撃戦を展開し、簡単には動けない。無理に走ってアンネローゼの居室に向かおうとしても、背中から撃たれる。
襲撃者は十人弱のようだが準備万端、暗視用のスコープと高性能の狙撃銃を持っているようだ。
ならば足止めに徹した方がいい。
銃撃戦でいくら分が悪くとも警備兵はみな士気が高い。後宮から出たアンネローゼはこの館に移ってから日が浅いが、警備兵はアンネローゼの優しい顔を見ている。中には声をかけてもらった者さえいる。帝国の貴人中の貴人であるにも関わらずアンネローゼは貴賤の区別なく気を遣う御方なのである。
この非常時に身を投げ打たなくてどうする!
あと五分、十分粘ればたちまち応援が駆け付け、襲撃者どもを圧倒できるはずなのだ。
変事の通信が入るやいなや、各詰所の警備隊はみなアンネローゼの館に向かう。
帝国でこれほど守るべき重要人物はいない。
そのころ、オーディンで疲れる外交の一仕事を終えたルッツとケスラーがたまたま外で食事処を求めて歩いていた。そしてこの館と遠くない位置にいた。
二人は警報の高く鳴り響くオーディンのただならぬ雰囲気を感じ、直ちに行動にかかかる。
もちろん二人には行動するべき責任も義務もないが、軍人としての責務としてごく自然に動いた。
館に続々と応援の警備兵が到着したが、思わぬ反撃に遭ってしまう。
トラップだ。
館の庭のそこかしこから小型ロケット弾が飛んでくる。動くものを感知する自動システムらしく、これは厄介なものが仕掛けられている。いかに周到に用意された襲撃なのか分かる。ここオーディンで本格的な武器を持ち込んだり運んだりできるはずがないのに。
それだけではなく、対人用指向性地雷までも設置されてあった。
これではうかつに近付くこともできない。
ようやくそういったトラップが片付けられたころ、ルッツとケスラーも現場に到着した。
様子を一目見て、不味いな、とケスラーは思った。
慌てて各詰所から警備兵が駆けつけているため、明らかに混成になってしまっている。自分たちのことをさておいて言うのもなんだが、それぞれの個人照合などあったものじゃない。
これが襲撃者の狙いならきっと警備兵に変装して紛れ込むはずだ。
そうして第二陣を用意しているのが常套手段である。襲撃を確実に成功させるためにはそこまでやるに違いない。こういった経験の多いケスラーには自明のことだった。
ゆっくり観察する。
銃声がする騒がしい方に警備兵が集まって行こうとしている。これは当たり前のことだろう。
だがしかし、それとは違って、館の端に向かおうとしている警備兵の集団が見えるのだ。
そちらに守るべき貴人がいる情報があるのか?
いや、それならもっと声をかけて応援を増やすはずだ。明らかに目立たないよう移動しているところが怪しい。
ケスラーとルッツはその集団の方を追っていく。
はたしてその怪しい集団の向かう先に、別の集団が見えてきた!
その集団は、この暗さで白い服しか見えない。数人はいるようだ。白いヒラヒラしたもの、ドレスのようなものを着ているのか。とすれば館の者である。貴人とその侍女たちに違いない。
怪しい集団もまたそれに気付いたらしく、速度を上げて貴人の方へ向かう。
そろそろ牽制しておかないと危ない。
ルッツが声をかける。
「我々は中央から来た。応援だ。そこの貴人をお守りするために加勢しよう」
返事のかわりにいきなり撃ってきた!
これで襲撃者の側だと確定だ。やはり警備兵に偽装した第二陣だった。
ルッツが狙いをつけてリズミカルに撃つ。
撃つたび確実に敵を倒していく。
さすがにコルネリアス・ルッツ! 他の追随を許さない射撃の名手、偽装警備兵の何人もが撃ち返してくるが、射撃の技量の差は歴然としている。
その隙にケスラーが先回りを図り、ルッツも追って走り出す。
偽装警備兵の一人もまたルッツやケスラーに構わず白い服に向かって走り出す。危ない。あとわずかで接触だ。
「何者だ!」
少しでも牽制をかけようとケスラーがあえて問うたが、意外にも無視せずに答えてきた。
「アンスバッハ准将というものだ。長年ブラウンシュバイク公爵家に仕えてきた。今夜はわが主の無念を晴らすため、ローエングラム公の最も大事にしているものを奪う」
アンスバッハは牽制のためか銃を連射してくる。
この音に恐怖心を煽られたのか、貴人と侍女たちは今や散り散りに逃げている。
ケスラーがアンスバッハを撃つ。どこかに当たったようだが、しかしかすり傷らしくアンスバッハは倒れない。
そして内ポケットから何か取り出しているではないか。それは手榴弾のような爆発物のようだった。貴人を銃よりも確実に仕留めるためにそれを選んだのだ。自分も無傷で済むはずはないが、もとより生還など考えず、覚悟の上なのだろう。
一秒の猶予もない。
ルッツがケスラーに追いつくやいなや走りながら撃つ。
同時にアンスバッハもルッツに向かって撃つ。ルッツはもんどりうって倒れた。
アンスバッハは立っていたがやがて手榴弾を取り落とし、ゆっくり倒れる。ルッツの銃撃は的確であり、致命傷を与えている。しかしアンスバッハの表情に後悔はない。一瞬だけ銃撃は遅かったのだ。
「危ない、伏せろ!」
ケスラーが叫んだ瞬間、激しい爆風に吹っ飛ばされた。
それほど近くなかったにもかかわらず地面を二転三転してしまう。爆発は通常の手榴弾よりもかなりの威力を高められたもので、やはりアンスバッハは自分の生還を考えていなかった。
ケスラーは体のあちこちが痛かったが、それでも立ち上がり貴人の方に向かう。
手榴弾が投げられていたらバラバラになっただろうが、そうでなくとも爆風により貴人も飛ばされていた。倒れたまま動いていない。
隣で黒髪の少女が叫んでいる。侍女だろうか。
「助けて! アンネローゼ様が目を開けないの!」
ケスラーが寄り、貴人の脈と呼吸を確かめる。
「大丈夫だ。生きている。このまま病院に運べば」
爆発音に驚いてこちらへ向かってくる警備兵たちが小さく見え、ケスラーは声をあげて呼ぶ。
「こっちだ! 怪我人がいる、早く病院へ!」
直ちに集まった警備兵に貴人の搬送を頼み、ようやく安堵する。
するとまだ先ほどの侍女がいるのに気付く。その侍女と目が合い、ケスラーが何か言う前に声をかけられる。
「すごい、大佐さん、ありがとうございます! 私はアンネローゼ様の侍女マリーカといいます」
侍女というにも幼く見えるマリーカ・フォン・フォイエルバッハはためらいもなくケスラーの手をとって振り回すではないか。
要するに、アンネローゼ様が襲撃者から救われた喜びを表現したものらしい。
ケスラーはその無邪気なダンスに付き合った。
その姿を薄目を開けて見ているものがいた。
「ケスラー、おい、楽しそうだな。少しくらいこっちの方を気にしてくれてもいいと思うんだが」
倒れて動けないままのルッツであった。
ケスラーがその幼い少女とのダンスを決して嫌がっているわけではないことくらい分かっている。