このクーデターが行われた日、ハイネセンにいたのにもかかわらず、クーデター派に軟禁されることがなくて済んだ将官がいた。
パエッタ中将である。
たまたま胃潰瘍で入院していたのだ。。
将官会議の日にはまだ入院しているはずであったが、予定より早く病院から退院できる許可が降りた。将官会議出席などの実務を行うまでは許されなかったが、自宅療養に切り換えてもよくなった。
それで家にいたのだ。
クーデター派はもちろん病院へ捕縛に向かっていたが空振りに終わった。将官ともなれば所在を常に統合作戦本部に教えなければならない規定だが、パエッタがその変更登録を怠っていた怪我の功名である。そして、ほんのわずかの差で先に情報を得て自宅から逃亡し難を逃れた。
とりあえずハイネセンに潜伏したはいいものの、パエッタ中将は途方にくれる。
宇宙港は厳しくチェックされるのでとてもシャトルに乗ることはできず、宇宙には出られない。
そしてもちろんパエッタもクーデター派に同調する気はない。
手持ちの部下も戦力もないから困っているだけだ。
「先ずは仲間が欲しい。どうしたらいいか指示してくれる上官なら尚いい。」
さしあたって軟禁されている他の将官の状況を調べた。
意外なことに各将は厳しい状態に置かれていない。
救国軍事会議はあくまでも体制がしっかり固まるまでの軟禁のつもりであり、いずれ将官たちを艦隊に戻して帝国軍と戦う予定だったからである。
とはいえ、さすがにクブルスリー本部長、ビュコック提督となると必ず反クーデターであると目されていただけに監禁は厳重であった。
ところが一人、あまり厳重に監視されていない人物がいた。
クーデター派ではないが、さほどクーデター派からは危険視されていない人物だ。同盟軍きっての良識派であり手続きが整えばクーデターに反対しないと思われていた。それにロボス派ともこれまで軋轢なくやってきた経緯がある。
ドワイト・グリーンヒル大将その人である。
パエッタ中将は艦隊指揮も部下の把握も情報収集も、更に言えば空戦も地上戦も凡庸な人物である。しかし逆に言えばどの分野でもそこそこの能力はあった。だからこその中将だ。
手筈を整え、グリーンヒル大将をなんとか解放することに成功する。
「ありがとう。パエッタ君。今回のクーデター騒ぎはあまりに残念だ。若い主戦派を抑えるのが同盟軍内での私の役割だというのに。むしろクーデターに加わって内部から暴挙を抑えた方がよかったのだろうか」
「いけません閣下。それでは閣下がむしろ汚名を着ることになるのでは。」
「構わんさ。私は妻に先立たれていてね。一人娘がいるのだが、今ではその娘は一番好きな人の横にいる。その男は私の考えるところを理解してくれるだろうね」
パエッタはもちろんグリーンヒル大将の娘フレデリカがヤンの副官であることは知っていた。
しかし疑問は別の所にある。
フレデリカがヤンを? せめてアッテンボローの方ではなくて? なんという物好きな。
パエッタからすればヤンはとてつもなく有能で、これまで何度も助けられてきたが、魅力については理解不能な人物だった。
「それはともかく、この情勢で最善のことをしなければいけない。市民が軍に不信感を持てば取り返しのつかないことになる」
「しかし、具体的な手立ては……」
「他の将官を助けようにも、私が脱出したことで警備はいっそう厳しくなるだろう。
下手に戦ってもかえって暴挙に出る恐れがある。クーデター派はハイネセンの同盟市民を人質にしているようなものだ。パエッタ君、しばらくはクーデター派から市民を守ることに徹し、宇宙での情勢の変化を待とう」
ちょうどその日だったのだ。
数万人を集め、ハイネセンスタジアムで大規模な反戦集会が開かれた。
ジェシカは同盟と帝国との共存が可能であることを声を上げて訴えた。
それと、平和がどれほど貴重なものか、それを保つために努力すべきであることを訴えた。
クーデターを起こした救国軍事会議を倒せとは決して言っていない。
そこには慎重を期した。
もしもそんなことを言えば、なるほど感情の高ぶった市民は動くだろう。熱気のままに救国軍事会議のいる統合作戦本部に波のごとく押し寄せるかもしれない。しかしそんなことになればただのデモで終わるはずがなく、おそらくは衝突、流血になる。武器をもっていない市民の多くが倒れることは明らかだ。
それではジェシカは今までいた政治家とやっていることが同じだ。何も変わりはしない。
自分の目的のために市民を扇動し、使い潰す。同じことだ。
衝突が衝突を呼び、市民の方も武装を始め、憎しみを高ぶらせ感情のままにぶつかる。犠牲が出て、その数はどれほどか。
逆に言えばクーデター側の兵士だって人間だ。
家族がいるのだ。
信念は違えど、人間なのである。機械ではない。
そこへ市民が義勇兵気取りで暴力を振るい、数の力で襲いかかるとは何が正義だろう。
それはジェシカにとり悪夢でしかなく、絶対にさせてはならない。
しかし、決起集会が進むにつれ次第に熱を帯びた市民はスタジアムに留まっていることができなくなった。
口々にクーデター打倒を叫びつつ市民の集団はついにスタジアムを出て移動する。
ジェシカは慌てて止める方に回る。
ジェシカの目には市民安全保障隊と名乗るクーデター勢力の軍がスタジアムを取り囲んでいるのが見える。名前は優しく改名しているがこれはまさしく軍である。兵と銃、それに戦車まで用意してある。
これは、いけない。衝突すればとんでもない数の犠牲が出る。
最悪の事態を予想したが、不思議なことに市民安全保障隊は無理な鎮圧はせず、勢いに呑まれる前に退いていった。
ここを指揮していたのはバグダッシュ中佐である。
本来、クリスチアン大佐がスタジアム監視の任であった。しかし、パエッタ中将の手引きによるグリーンヒル大将逃走の報が入ったことにより、他の将の監禁を強化するため移動していたのである。
「情報や思想を相手にするならともかく、生身の人間を相手にするのは気分が良くありませんな」
そんな言葉を残してバグダッシュは徹底して市民との衝突を避けた。
スタジアムにいた市民だけではなく、ハイネセンポリス各所からこのデモに参加するために続々と人が出てくる。数は膨れ上がる一方だ。ジェシカは懸命に理性的な行動を訴え続けたが、その声が全ての人に聞こえているわけではない。
クーデター勢力が抑え切ってなかったテレビ局がクルーを派遣して放送を始めている。
この異様な熱を帯びた雰囲気の中でグリーンヒルとパエッタの二人もデモ隊に紛れ込んだ。
ついに市民の群れは同盟軍統合作戦本部が見えるところまで来た。
そこがクーデター派の本拠地になる。
ビルにつながる横に広い階段の前に兵を並べて威圧し、市民側の圧力が強まると発煙弾を撃ってきた。先ずは脅かしだ。クーデター派も退く気はない。
市民の方は何も武器を持っていないか、せいぜい棒を持っているくらいだ。
銃を持っている者はわずかである。
離れた距離の相手に対するには投石くらいしかないが、それを始めてしまう。次第に激しくなり、勢いづいた市民は数の力を背景に押し寄せていく。
このまま決定的に衝突すれば必ず犠牲が出る。もはやそうなることは避けられない。
これを見たジェシカは勇者の戦いに出た!
なんとか最前列に出て、デモ隊のそれ以上の進行を抑えようと頑張る。
細い腕を目いっぱい開いて力の限り押し戻す。
転び、踏まれる。
それでも再び立ち上がりまた腕を開く。
何としても衝突を抑える。犠牲を出してはならない。今、この身が砕けても、精一杯できることはやるのだ。
別の所からデモ隊を抜けてグリーンヒルとパエッタが駆け出した。
そしてクーデター勢力の兵士とデモ隊市民との中間の所まで来ると、デモ隊の方へと向き直る。
途中、グリーンヒルはパエッタにこんなことを言っている。
「パエッタ君、確か君は胃潰瘍で入院だったな。退院したばかりの君に言うのはなんだが、今度は外科で入院することになったらまことに済まない。ただし私よりマシであることは約束する」
これは生真面目なグリーンヒル大将のジョークなのだろうか。
「それと万が一の時、フレデリカに言ってくれ。花嫁衣装は母のがきちんとしまってあるのだ。使ってくれれば嬉しいと」
そして居住いを正してデモ隊の市民に言った。
「同盟軍ドワイト・グリーンヒル大将である」
その威厳は自然と注目を集める。投石が止んだ。
「同盟軍の軍人として市民諸君にお詫びする。この混乱は軍の一部の暴走によるもの。民主主義の精神を損ない、政府をないがしろにして迷惑をかけた。本当に申し訳ない」
多数の市民はグリーンヒル大将の言うことに耳を傾けた。何といってもグリーンヒルの名は同盟軍きっての良識派として聞こえている。しかし、一部の暴徒化した市民の不満の声は決して止んでいるわけではない。
「軍の多数は決してクーデター勢力に参加していない。この騒ぎはいずれ軍自身の手で終息に向かうと約束する。市民にもお願いする。これ以上の暴力はいけない。衝突してはいけない」
話の途中から罵声が大きくなった。
どっちつかずの犬め、しょせん軍人、口先だけだ、向こう側のくせに、などと口々に騒ぎ立てる。
市民側から再び激しい投石が始まった。
グリーンヒルはパエッタを横に押しやり、投石から逃した。それは約束通りのことで、パエッタは生涯の間そのグリーンヒル大将の顔を忘れることはなかった。
デモ隊は膨大な数の市民である。
その投石がグリーンヒルただ一人に集中して投げつけられる。
グリーンヒルに当たり出す。それでも倒れない。
しかしついに目の上に当たる。
よろけたところへさらに飛んできた。
そのうちの一つがこめかみに当たり、打ちどころが悪かったのだろう。ばったり倒れこむ。
ドワイト・グリーンヒル大将、同盟軍きっての良心、長いことロボス元帥の側にあって同盟軍を支え続けてきた。
派手な活躍はしないが誰もが認める功績を積んできたのだ。
シトレ元帥とロボス元帥の架け橋にもなり、決定的な亀裂を防いできた。
また若手の将の意見も良く聞いた。ヤンのこともいちはやく理解した。
それに加えて娘フレデリカの恋も父親として応援してきた。
ここにその生涯を閉じる。
全てのものの理解者になろうと努めてきた男にふさわしい最期であった。
最後は何を思っただろう。
同盟の将来か。
それとも見ることのかなわなくなったフレデリカの花嫁衣裳だろうか。
若き日、その衣装を着た妻とドワイト・グリーンヒルは結婚した。大層愛妻家だったが、早くに妻を病気で亡くしてしまった。それから一人娘のフレデリカを愛情込めて育て上げ、後でもっと家事をさせておけばよかったと後悔したくらいなものだ。
そのドワイト・グリーンヒルが今、妻のいるところへと旅立つ。
後にフレデリカはヤンと結婚した際、フレデリカ・グリーンヒル・ヤンと名乗っている。
グリーンヒルの名を残したことについて、ヤンから問われたことはなかった。そこまでヤンは野暮ではなかったのだ。
ジェシカはゆっくり歩み、もはや動かないグリーンヒル大将に近付いた。
市民の方に向き直ったが、それは誰もが怯む表情だった。
「また罪のない者が死んだ!
罪のない者が殺された!
宇宙の戦いで無駄に死ぬ人間がいる。
ハイネセンで倒れる人がいる。
もう充分でしょう。
誰かが死ぬのが民主主義ですか!
もう充分でしょう」
もはや投石も怒号もない。ジェシカの言葉が集まった人々に染みわたっていく。
それからジェシカは兵士と統合作戦本部の方へと振り向いた。
「話し合いを求めます。グリーンヒル大将のことは、お互いに残念なことでした。ここでお互い民主主義の誇りに誓って、話し合いましょう」
突然投石が飛んできた。また何人かが投げ始めた。
ここに至っても市民の不満ははけ口を求めていたのだ。
「この日和見が!」「裏で取引しやがったな!」
ジェシカは今度は大声で言った。
「石を投げるのが民主主義ですか!
いくらでも投げてみなさい!
今度は私に投げたらどうですか。
もう一人ついでに殺してみたらどうですか」
顔は、下げない。きっぱり上げ続ける。微塵の恐れもない。
細身の長身が、まるでしなやかな刀剣のような勁さだ。
「このデモに加わっていない市民も大勢います。その人たちが軍事会議を支持しているのかもしれません。それも無視してはなりません。私たちは自由惑星同盟、誇りある民主主義の使徒なのです!」
ジェシカの気迫がこもる。後に伝説となる瞬間だ。
「一時の熱狂が何になります。数と暴力で何が得られるというのですか。民主主義は大声や石を投げて作るものではないはずです」
それでこの夜の騒乱は終息に向かった。
全ての様子はテレビがしっかり伝えていた。
ジェシカは烈女、鉄血の代議士などという異名も賜ったが、ジェシカの正しい意図を汲んだ呼ばれ方が最も多かった。
「鋼の調停者」、これからの名である。