平和の使者   作:おゆ

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第六十七話 2年  4月 ガイエスブルク再び

 

 

 ビッテンフェルトのように騒ぐだけなら罪はない。

 しかし、矜持と野心、それに実力のあるものが熟考してしまった時、危険な方向に決断することがある。

 

 今しかない。

 同盟領は征服したばかり、未だ安定していない。これでは軍事的に助けになるどころか駐留軍が必要になるばかりで足枷にしかならない。

 

 そして、まだラインハルトは結婚していない。

 このたった一人の個人を斃すだけで全てを変えられる。

 今はまだ英雄が歴史を回せる時代なのだ。

 やるのなら、今しかない。

 

 とどめにオーベルシュタインが帝国宰相になり、内務省に権力を集中させようとしている。配下に実直なフェルナーではなくラングなるものを登用し、謀略を運用するのに適した体制にしようとしている。

 相対的に軍部は軽視される。そしてオーベルシュタインは金喰い虫の軍部を縮小することを図っている。それだけならまだ許せよう。しかし帝国の将来のため、有力な諸将を葬るつもりだ。何もやましい所の無い清廉な将まで。

 

 さしずめラングに嫌われている者から誅殺されるのだろうが、それが成功すればいずれはあのミッターマイヤーまで排除されるかもしれないのだ!

 それはどうあっても許せない。

 ここで挙に出るのは叛逆ではなく先制攻撃であり、無様に謀殺される前に行う自衛であるのは明白だ。

 

 

 

 

 オスカー・フォン・ロイエンタールが全銀河へ向け布告した。

 

「長年国政を壟断してきたオーベルシュタイン元帥が、ついに牙をむき帝国宰相という地位につかんとしている。このままでは銀河帝国は危うい。オーベルシュタイン元帥は自己の意志のみを押し立て、皇帝をないがしろにし、政治権力を手に入れ、銀河帝国を私物化している。

 そこで我オスカー・フォン・ロイエンタールは君側の奸を排するため立つ。

 オーベルシュタイン元帥を排し、銀河帝国を正常化するためのやむを得ない決起である」

 

 この報を聞いて最も驚愕したのはその友ミッターマイヤーである。

 にわかには信じられない。

 ようやくそれが真実らしいと分かると、ミッターマイヤーは急ぎロイエンタールに会いたがった。

 

「止められるのは自分しかいない。いや、必ず止めてみせる。そしてロイエンタールがこんなことを考える原因になったオーベルシュタインとは俺が決着を付けてやる」

 

 これはしかし、叶えられなかった。

 ラインハルト自身がミッターマイヤーとロイエンタールの会談を許さなかったのだ。

 ラインハルトには、親友のことを思うミッターマイヤーの心情はよく分かる。

 それで苦悩するミッターマイヤーにこれ以上の負担をかけさせたくなかった。それにいったん叛旗を翻したからには、ロイエンタールが思いとどまるとはもはや考えられない。

 ロイエンタールの矜持もまた充分に理解できるからには。

 

 そして帝国の諸将たちは単純な驚きばかりでない人間の方が多い。

 むしろ納得に近いものがある。

 ロイエンタールの野心と矜持をわかっている人間の方が多かったのである。

 むろん、ラインハルトさえロイエンタールがそうだということを知っていた。おそらくミッターマイヤーは自分が忠義なために親友のその面をあまり考えていないのだ。

 

「帝国の将来などというのは方便だろう。おまけにオーベルシュタインのこともついでなのではないか。戦いたいのだろう、ロイエンタール。自身の能力と資質の限界をかけて」

 

 そしてやることは決めている。

 

「ならば、ミッターマイヤーを先に送ったりなどしない。余が行くのを待つのだ」

 

 ラインハルトはフェザーンに帰り着くやいなや情勢の報告を聞いた。

 ロイエンタールはオーディン近傍に置かれた麾下の艦隊二万五千隻を脱落も出さずにまとめ上げていた。それは見事なものだ。

 将兵の多くはオーベルシュタインの専横を排除するという謳い文句を本気で信じている。日頃からのロイエンタールの公明さに心酔しているのだ。

 そして意外なことにクナップシュタインとグリルパルツァーまでもそのまま配下として従っていた。

 

 

 

 新帝国始まって間もなくの内戦、全銀河にとりこれほど驚くことはない。

 そして次に注目するところがある。

 イゼルローンのヤン・ウェンリー、この名将はいったいどうするのか。

 

「エル・ファシル共和政府は今回の戦いに関与しない。これは単なる帝国内の私戦である。皇帝にもロイエンタール元帥にも組しない」

 

 こういった宣言を出していた。ヤン艦隊は動かない。

 

 これについて、実はヤン一党でも意見は分かれていた。

 

「皇帝の方が有利だ。ここは共同歩調をとってロイエンタール元帥を叩き、恩を売るべきだろう。それを交渉材料に使える。そして共和政府の地位を確固たるものにすれば」

「いや、ここは逆に皇帝と戦うべきだ。その方が共和主義としての筋が通る。それにこれは大きなチャンスだ。ロイエンタール元帥は同盟領に興味はない。同盟の再建を考えたら帝国はロイエンタール元帥に任せたほうがいい」

「現時点で判断は早い。成功よりも失敗しない方が重要だ。静観がいい」

 

 どの意見も道理は通っていて、一つの真実をついていたが、ヤンは原則に乗っ取った。共和勢力としてはどちらの側に加担することもできない。

 同盟を降伏させた帝国に味方はしない。

 まして共和主義者でもないその臣下の反乱に手を貸すことはない。

 

 

 

 ラインハルトは時を置かずキルヒアイスの他、ビッテンフェルト、シュタインメッツ、アイゼナッハを連れてフェザーンを出立した。

 フェザーンにはオーベルシュタインとミッターマイヤーを残した。

 ミッターマイヤーは最後まで自分が行くと言い張ったが、ラインハルトはそれを許さなかった。

 ラインハルトにすれば、もしも、もしも自分がキルヒアイスと戦うことになったら、などという想像はあまりに不可能だ。同じようにミッターマイヤーを親友と戦わせることはできない。

 

「ミッターマイヤー、卿の気持ちは余にはわかる。しかし今回は戦わせるわけにはいかない。ロイエンタールは余と戦うのを望んでいる。その挑戦を受けてやらねば、かえって非礼になるだろう」

 

 叛乱討伐に付き従う艦艇はわずか二万八千隻である。

 しかしラインハルトには自信があった。自分だけでもロイエンタールに負ける気はないが、付き従う将はキルヒアイス、他にも良将が揃っている。

 

 

 

 

 ところが事態はますます容易ならざる状況になった!

 ロイエンタールが先手を取った利を活かし、戦略的に重大な手を打ったからである。

 

 何とロイエンタールは直接フェザーンのラインハルトに向かうのではなく、ガイエスブルク要塞をいち早く奪取したのだ。

 そしてガイエスハーケンの封鎖も解いている。

 これは大きい。

 ガイエスブルクは所属が棚上げになっていた。

 皆は失念していたが、リッテンハイム大公国は帝国に返還するとは言ってない。

 むろん通商にも使い勝手が悪い軍事要塞なので、ガイエスハーケンを封鎖し、最小限の守備兵をおいて保守していただけである。

 帝国側もリッテンハイム大公国、というよりも伯爵令嬢が和約を反故にするとは考えてもいなかったため、接収していなかった。その狭間をロイエンタールが狙ったのだ。

 

 またあのガイエスブルクが戦場になるのか!

 

 リップシュタット戦役で名を轟かせた大要塞、ガイエスブルクの名がその凶暴な鍵爪と共に甦るのか。

 

 

 

 更にロイエンタールは巧妙な偽情報を流した。

 ガイエスブルクにワープエンジンを取り付けられないか研究中、というものである。

 実際のところ荒唐無稽であったが、ラインハルトにとってはもしも万が一、超短距離であってもワープが実現したら、という可能性を考慮すると戦術的な選択肢が極端に狭められる。

 

 最後の一手、ロイエンタールはフェザーンや旧同盟領に向け、もしこの挙に賛同してくれたら旧来に復し、フェザーンや同盟領から手を引くことを約束すると宣伝した。帝国は元の鞘に収まり、他は求めないと。

 

 これで一気にハイネセン始め各星系で動乱が勃発する。

 

 ただでさえ同盟領では抵抗勢力が星の数ほど出ていて、次から次へとゲリラまがいのことをしていたのだ。いつでも抵抗勢力というのは威勢がいい。

 これで同盟領を保守していたワーレンとミュラーは奔走させられ、同盟領から出るどころではなく、かえって帝国本国から応援を願いたいくらいになる。

 ただし、ここでジェシカが市民の暴発を抑えるのに協力を惜しまなかった。

 ジェシカは一時的な動乱の尻馬に乗るのは意味がなく、一部占拠を成功させてもどうにもならないのを理解している。むしろ秩序を保つことで帝国との信頼を高めた方がいいと判断していたのである。

 

 ついでにいえば、フェザーンでも帝国支配を良しとしないゲリラが活動していたが、こちらにはオーベルシュタインがいる。冷酷かつ非情な弾圧を加え、その芽をことごとく圧殺している。

 

 

 

 戦いの機は熟した。

 

 どちらも万全の準備を整え、ついにラインハルトとロイエンタールの軍が激突した。

 

「戦ってやる、ロイエンタール。オーディンを人質にしないところはさすがに卿の矜持だな。それに免じて堂々と覇を競おう」

 

 戦いが始まれば、やはりラインハルトの華麗さが目に付いた。ロイエンタールも優れた将なのだが、勝利に至る道筋を作れていない。

 第一幕が終わり、双方、決定的なところに至る前に軍を退く。

 小休止だ。ロイエンタール側にはガイエスブルク要塞があり、ここに退かれるとさすがに突破することはラインハルトにも無理である。

 

 ロイエンタールはガイエスブルクで補給と休養をとりながら、戦いを振り返る。

 やはり、ラインハルトとキルヒアイスは強い。敵として戦ってみて、ロイエンタールは初めてその理解に到達した。自分は一歩だけ劣るといえばそうなのだが、しかしその一歩があまりに巨大な壁だった。

 客観的に見れば、一方的に敗れたわけではない。ロイエンタールも用兵家として当代一流なのは間違いなく、特に複数の前線を自在に操り、大局的にまとめあげる才があった。それでラインハルトの側のブラウヒッチとアルトリンゲンを倒し、また偶然にもシュタインメッツの旗艦フォンケルを大破させ、重傷を負わせた。

 それでも結果を言うとロイエンタールの艦隊の方が数倍の損害を被ってしまったとは。

 

 ロイエンタールはまたカロリーナ・フォン・ランズベルクの真の偉大さも理解した。

 貴族連合という決して戦いに向いていないものを率い、幾多の危機に会いながら、優れた戦略と戦術の両方をもって最後まで戦い抜いた。援軍もなく、自分以外に頼れる者もいないというのに。

 伯爵令嬢、まさに無敵の女提督というにふさわしい。

 

 

 

 その頃、ラインハルトは外に小さく見えるガイエスブルクを凝視しつつ、またしても体調の悪さを感じていた。

 フェザーンで少し回復したと思っていたのだが。

 それが微妙な焦りにつながったのだろうか。

 もちろんラインハルトの天才の閃きは余人の及ぶところではない。この戦いでも遺憾なく発揮して緒戦は勝利した。しかし相手はあのロイエンタールである。その強さはラインハルトが勝ち切ることを許さなかった。

 

 ならばこれ以上ヒロイズムに酔っていても仕方がない。

 戦いの正道に立ち返る。つまり戦略的に全てを整え、完全なる勝利を企図するべきだ。

 大兵力を整え、ロイエンタールを圧倒するのが先決であり、戦う前に勝利を確定する。

 そのためにハイネセンからワーレンとミュラーを呼び戻す挙に出た。旧同盟領のことはいったん手放し、抵抗勢力を喜ばせることになろうともどうでもいい。どうせそんな泡沫勢力はロイエンタールに勝ってからの後回しで充分だ。

 

 一方のガイエスブルクでも微妙なものが存在する。

 

「グリルパルツァー、先の戦いではどうも消極姿勢が目立ったようだが。卿らしからぬ働きのように見えた」

 

 それは単に疑問を解消するものではなく、また叱咤するものでもない。

 

「ロイエンタール提督、ちょうど我が艦隊がビッテンフェルト提督の前に当たり、下手に正面から戦うより鋭鋒を避け続け戦力を温存するのが最善と判断しました」

「なるほど言うことは理にかなっている。この件はそれでよしとしよう。これからの卿の働きに期待する。だが一応言っておく。器用すぎることは決していい方向にはいかないものだと」

 

 ロイエンタールの慧眼は微妙なところを突いていた。

 

 

 

 ワーレンとミュラーがラインハルトの命令に従い、ハイネセンをいったん後にして進発したところ、やはり旧同盟軍の決起が一つの形をなしてきた。

 それは意外に大きな勢力になっていた。バーミリオンで辛くも脱出し、命を取り留めていたボロディン中将、カールセン少将、マリネッティ准将を中心として旧同盟軍一万隻以上もの数が集結したのである。

 老朽艦、小型警備艇だけではなく、隠れて行方不明とされていた戦艦などの大型艦艇も多く参加してきた。

 動くシャーウッドの森、それを考えたものは同盟の将で少なくなかったのである。

 

 その艦隊はフェザーン方向へ進みつつあるワーレンやミュラーに立ち塞がることはしなかった。この艦数で戦えば死闘になり、少なからず消耗してしまう。主戦場でないところで戦っても仕方がない。

 むしろイゼルローン回廊をすみやかに通り、帝国内入ってロイエンタール元帥の反乱に手を貸すのだ。もしも皇帝ラインハルトを斃せたら起死回生、同盟優位な新秩序を打ち立てられる。

 

 ボロディンらは楽観的に考え過ぎていた。

 しかし、戦いになる以前に思いもよらないことに直面する。

 何とヤンのいるイゼルローン共和政府は回廊の通過すら許可しなかったのだ!

 

「ヤン提督! 今はイゼルローン共和政府という独立勢力であっても、同じ同盟ではないか。宇宙に共和主義を回復するために行動するのをなぜ止めるのだ」

「ボロディン提督、帝国の私戦に巻き込まれるのは得策ではありません。一時的に優位に立っても無駄に終わり、皇帝と対立した事実だけが残ります。決して良い結果になりません。これは心からの忠告です」

 

 これでは回廊を無理に通ることもできず、ボロディンらは空しく遊弋するばかりだ。

 

 

 

 

 そして宇宙では思いもよらない事件が起きてくる。

 ラインハルトとロイエンタールの決戦が始まりわずか数日後、フェザーンで重大な事件が発生した。

 テロ事件である。

 その標的はオーベルシュタイン元帥だった。

 首謀者は明らかにできなかったが、誰しもほぼ同時期に脳腫瘍にて死去したルビンスキーとの関連を疑った。

 

 たいがいそういう憶測は間違っているものだが、この場合に限ってまったく事実である。

 ルビンスキーは復讐などという非生産的なことを考えもしない人間だが、逆に言えば必要なことと思えば断行する。先のオーディンでのテロ騒動に続き最後の最後に一つだけやってのけた。

 

「手に残った実働部隊も残りわずか、オーベルシュタインを除くのに使おう。これはフェザーンにとって重大な益になるだろうから無駄ではない」

 

 もちろん、オーベルシュタインほどの者がテロの可能性を熟知していないわけがなく、情報収集と警備を怠ってはいない。

 

 

 

 それなのに結果としてテロは成功してしまう。

 

 なぜならこのテロ部隊はルビンスキーのホームグラウンド、フェザーンで動いているのだ。

 隠れることも、資材の調達も、資金も、あらゆる面で巨大な利があり、それがオーベルシュタインの頭脳をほんのわずか上回ってしまった。

 テロは単純な襲撃だけではなく、買収、爆弾、毒、二重三重の罠を張り巡らせている。

 最後の最後、何と執務室の照明のランプに置き換えられていたプラスチック爆弾が決着をつけた。

 

 その爆発で致命傷を受けてさえオーベルシュタインは平然とした表情を崩していない。

 それどころかアントン・フェルナーに自分の死後に行うべき指示を伝える。その落ち着きは間もなく死にゆく人間の言葉とは思えない。

 

 人事の指名から経済的な方策にまで実に数多くの指示を出した。

 

 日頃から考えてあったものなのだが、特に、内務省安全保障局長のラングを閑職に回すよう厳命した。

 

「悪い男ではない。しかし、偏りすぎなのだ。抑える者がいなくなれば害にしかならない」

 

 それらの指示が一段落つくとオーベルシュタインは微笑みを浮かべる。今の今までフェルナーはこの冷徹な上司が微笑むところなど見たことがなかったのだが。帝国を支える責任からやっと解かれるからだろうか。

 

「それから、これだけは絶対に頼む。うちの犬は柔らかく煮た鶏肉が好物だ。もう老犬で先は短いからには、好きなだけ与えてやってくれ」

 

 それを最後に意識が混濁した。

 

「…… ゴールデンバウム…… 戦い…… これから…………」

 

 最後の言葉は、ゴールデンバウム王朝を倒して満足だと言ったのか、これからラインハルトにゴールデンバウム王朝のようになってほしくないという注意なのか。書き留めたフェルナーにも判然とはしなかった。

 

 

 ともあれパウル・フォン・オーベルシュタイン、この時代に輝き、歴史を変えた一人である。

 

 誰にも理解されずとも、自らの信念を貫き通した。

 今、生きているものに望みを託し、孤高の英雄は最期を迎えた。

 

 

 

 

 


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