平和の使者   作:おゆ

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第六十九話 3年  4月 本来の姿

 

 

 皇帝ラインハルトの逝去、新銀河帝国は寂雨に包まれた。

 ついでその葬儀が万人の惜しむ中滞りなく行われる。

 その子が即位し、新銀河帝国ローエングラム朝二代目皇帝になる。ただし当然ながら政務は全てその母ヒルデガルト皇太后が担う。

 

 一方、同盟では先日来から流行りの言葉があった。

 

「やあ」

 

 という少し間の抜けた挨拶である。

 本人はそれを流行語にしようとは全く考えもせずに使ったのだが。

 

「やあ。諸君」

 

 帝国軍のワーレンとミュラーが去ったしばらく後、未だ混乱していたハイネセンに姿を現したのは、何とヨブ・トリューニヒト最高評議会議長であった!

 これには皆が唖然としてしまう。

 帝国軍来襲という非常事態、同盟が一番大変だった時に議長はいったいどこへ行っていたのか。

 救国軍事会議も帝国軍もいなくなって今になって現れるとは。

 

 誰も相手にしようとする者はいない、それは当たり前だ。政治家の責務を果たさなかった者に対する視線は冷たかった。

 

 むしろ衆目の一致するところ、今やジェシカ・ラップが実質的に同盟を率いる指導者である。

 しかし、ジェシカ自身は不思議なことにヨブ・トリューニヒトを議長として旧に復し、政府を元通りにするのに尽力した。

 不思議がったマスコミの攻勢に、ふとジェシカの本音が漏れたときがあった。

 

「法は生きています。ヨブ・トリューニヒト氏は現在も同盟の法では議長です。これを守ってこそ民主主義です。ただし、選挙までのわずかな間だけのことですが」

 

 その言葉通りほんの短い間になる。議員の多くが帝国軍の侵攻に伴い、無様にも逃亡していた。危急のときにこそ人間の心証が問われるものだ。帝国軍はきっと同盟政府の評議員など捕らえて処刑するだろうと考え逃亡した。ラインハルトの新帝国がむやみにそんなことをするはずはないのに。いや、道徳心がないことに加えてそんな洞察力さえなかったということになる。

 逃亡した議員のほとんどはその恥のために復職せず、そのため同盟の規定にのっとり評議会総選挙が行われた。結果は前評判通りジェシカのいる党が第一位を占めた。それで、党の代表であるジェシカが最高評議会議長に就任することになる。ヨブ・トリューニヒトはもちろん落選し、人々から忘れられた。

 ジェシカの最初にして最大の仕事は帝国との折衝である。この調停の結果が同盟の運命を決める。

 

 

 フェザーンにて最終交渉が行われた。

 

 それに先立ち、わたしの方はヤン・ウェンリー達と会談をしている。元ランズベルク伯爵領からイゼルローン回廊を通り、ヤンのいるエル・ファシルまで赴いたのだ。

そしてエル・ファシル共和政府は、帝国軍襲来の可能性が高まった時ロムスキー代表らが辞職し、事実上ヤンがその代表のようになっていた。エル・ファシルの市民が帝国への抗戦を諦めたわけではなく、そうした方がエル・ファシルを保つのに良いというロムスキーの判断である。

 ヤンは常々政治に関わるのは嫌だと言ってきたが、仕方なく表に出ざるを得なくなった。これほど似つかわしくない国家元首もないだろう。

 

 わたしはリッテンハイム侯の遺言としてリッテンハイム家の軍の統率を今まで拝命し、まるでリッテンハイム大公国の提督、あるいはサビーネの親しい廷臣のように思われることも多かった。しかし公的に言えば今でも同盟に割譲された旧帝国領の委任統治者という立場だったのだ。同盟が焼失した今になっては有名無実であっても。

 それならばわたしがイゼルローン回廊近辺の責任者としてヤンに会っても全然おかしくはない。

 そしてわたしとヤンはこれからのイゼルローン周辺星域のことを語り合い、その大枠についての意見を共有した。

 

 そしてわたしが交渉のためフェザーンへ赴く。この形をとったのはヤンのエル・ファシル共和政府と帝国は事実上停戦であっても公式には戦争状態にあるので、直接の交渉ができないためである。そしてヤンの方でもわたしを充分信頼してくれている。

 

 さてわたしがフェザーンについた早々、サビーネが何かにまにましながらやって来た。

 

「おう、カロリーナ、この者が実は大公国に来ておったのじゃ」

 

 わたしを驚かせようと思っていたのだろう。そして確かにわたしは驚いてしまい、サビーネを喜ばせることになったのだ。

 横の人物は何とルパート・ケッセルリンク! 意外な取り合わせではないか。

 

「それでこの者はカロリーナに招待された、菓子を食う権利があるから会わせろと言ってくるのじゃ」

 

 これにもわたしは笑うしかない。

 

「サビーネ様、そうです。その通りです。そしてその者は優秀な行政官でもありますわ。きっとサビーネ様のお役に立てます。特に統治機構や経済について任せてみたらよいでしょう」

 

 そしてルパートに向き直って言った。

 

「やっぱり私のお菓子は人を引き寄せますわ。あの時言った通りになりました」

 

 いたずらっぽくまた笑う。

 ルパートの方は生真面目に答える。

 

「先日は助かりました。令嬢。それと、行政の手腕について高い評価をいただけて感謝します。しかし、私はフェザーンに戻りフェザーンのために力を尽くす責任を感じています。父のように祖国を売るというのは、できればしたくないものです」

「ふふ、そうですね。だったら期待しておいて下さい」

 

 

 

 その翌日から本格的に交渉が始まった。皆が主張を出し合うが、やはり簡単には決着がつきそうにもない。

 

 いったん解散してから、夜にわたしは茶会という名目で数人を非公式に招待した。

  サビーネ・フォン・リッテンハイム

  ヒルデガルト・フォン・ローエングラム

  ジェシカ・ラップ

 この三人である。

 その夜の集まりは後に四夫人の密会と呼ばれる。

 

 翌日、交渉は大きく進展し、大筋の合意を見た。

 平和をもたらす宇宙の枠組みがこれで定まったのだ。

 

 

 一つ、サビーネのリッテンハイム大公国はフェザーンを併合し、「フェザーン大公国」に改名して新たに出発すること。

 

 一つ、自由惑星同盟は帝国の保護国家を脱して国家主権を取り戻すこと。しかし、フェザーン回廊に近いウルヴァシーより向こうをフェザーン大公国に割譲すること。加えてイゼルローン回廊に近いパルメレンド、シャンプールなどについても後に述べるイゼルローン共和政府に割譲すること。

 

 一つ、銀河帝国はイゼルローン回廊に近い辺境星域を正式に割譲し、エル・ファシル共和政府に渡すこと。それらを併せてエル・ファシル共和政府は「イゼルローン共和国」として出発すること。

 

 これらは妥協点を見いだしたという以上に、大胆な変動である。

 それと軍縮と今後の相互交流についても決められた。平和を保つ上で大きな前進だ。お互いへの無理解が戦争への土壌となってしまうからには、それを防がなくてはならない。

 実はこれらはほとんどわたしの原案通りになる。

 

 

 

 一方、キルヒアイスは帝国の副帝の立場でもほとんど政治の表舞台には出てきていない。

 その方が良いと思っていた。ヒルダがいればそれで充分、そしてヒルダに権力が集中した方が絶対にいい結果になると思っている。

 

 それに銀河を巡る政治や軍事にはもう興味はなかった。

 

「ラインハルト様と、人が見られぬ夢を見ました」

 

 あの激しい宇宙の戦いが、今は夢の中のことだった気がする。

 ラインハルトが見せてくれた夢だ。

 あの日立てた誓いも、もう果たされた。

 二人で駆け抜けたのだ。誰も成し得なかった宇宙の果てへ行きついた。

 

 

 キルヒアイスとアンネローゼはごく自然な形で共にいる。

 そしてオーディン郊外の緑豊かでなだらかな丘の上、そこに立つ小さくて質素な館に住んだ。

 風が柔らかく吹きぬける。

 小さくて色とりどりの花が揺れている。赤クローバーやシャスターデージー、ピンクのはフェアリーベッチだろうか。

 白い低い柵をした庭には、いくつかのラズベリーとブルーベリーの木が植えられている。アンネローゼが摘んでお菓子に入れるのだろう。ハーブティーの材料もある。アンネローゼはとりどりのお菓子を作り、かつてのようにそれを楽しむ。

 また、一匹の猫も飼った。

 まるでラインハルトの豪奢な髪のような黄金色の猫だった。名はシェーンヴェルト、美しい世界という。

 

 これが、本来の姿だ。

 

 何もなければ、アンネローゼが皇帝の寵姫になるという事件が起きなければ、最初からアンネローゼはキルヒアイスとこうしてささやかな生活をしたはずだ。

 正式な婚姻はしていない。

 それは政治的な配慮による。幼帝と皇太后の政治の対立軸に見られることは何としても避ける、そのメッセージの意味を含んでいるのだ。先帝の姉と副帝というのは大きすぎる旗なのである。

 二人の実態はもちろん仲睦まじい夫婦である。

 子はなかった。かわりに、後年ケスラー夫人になった侍女マリーカの子供たちをとてもかわいがったと伝えられている。

 

 もう一つ、館の従者らの証言によると、二人の呼び方は「ジーク」「アンネローゼ様」、生涯これは変わらなかったという。

 

 

 

 


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