何事も突然起きる時には起きる。
カロリーナは突然のことに声も出ない。
「敵と思われる不明艦隊の詳細出ました! 総数35隻、そのうち重巡航艦10隻、軽巡航艦7隻、残り18隻は小型の仮装巡航艦!」
よく訓練された艦橋オペレータがしっかりと報告してきた。
「距離12光秒、14時方向からこちらに直進してきます。推定接触時間約2時間」
ランズベルク領艦隊の旗艦である戦艦の艦橋に緊張が走る。
艦隊指揮官は表情一つ変えない。老齢の准将である。ランズベルグ伯爵家に先代の頃より仕えている。幾多の海賊を討伐した歴戦で、しかもランズベルク家に対し忠誠心は揺るぎない。
オテンバだが聡明な令嬢カロリーナ、へぼ詩人だが善良な性格のアルフレットをこよなく愛していた。
旗艦艦長は少壮の武人であり、艦隊指揮官同様忠誠心に厚い。今は冷静かつ手早く指示を出し続ける。
「機関部、推進剤の量を逐一報告。エネルギー発生量は戦時最大。航行部は対物理フィールド・中和磁場フィールド全点検。砲術部はイオンビーム発生装置、レールガンにエネルギー予備注入開始、ミサイル格納庫1から3まで扉開け!」
シミュレーションとは全然違う。これは本物の戦いだ。
お伽噺ではない。負ければ悲惨な死が待っている。少しの判断ミスが自分も他人も殺してしまう。
やりなおしは無い、のだ。
極度の緊張に耐えられず、わたしは倒れ込んでしまった。誰かが対ショックシートに運んでくれる。
青くなって対ショックシートに沈むしかない。
とても足が震えて立っていられない。
それでも指先がじんじんして動かせない。
命の恐怖という大きなてのひらに掴まれて締め付けられている気がする。
ランズベルク領艦隊はここまで輸送船団を護衛していた。
積み荷はカロリーナが主導したお菓子などの食品、伯爵領特産の高級リンゴ酒、そして主力輸出品であるバナジウム・モリブデン鋼である。
久しぶりに大きな輸送船団、稼働コストのかかる戦艦まで護衛に動員して航路を進んでいたが、そこをいきなり正体不明の敵艦隊に襲われた。
わたしはたまたまこれに乗り合わせていたのだ。
ゆっくりとした足取りでわたしに指揮官が近寄ってきた。
「カロリーナ様、ご指示を」
要するに、戦闘指揮は艦隊指揮官がとるにせよ大筋の方針はここにいる最上位のものが決めなくてはならない。
それがルールである。
この場合の最上位とは、伯爵家令嬢カロリーナ、つまりわたししかいない。
判断にはいくつかの選択肢が存在する。
大まかに言えば、逃げるか戦うか。
その他に、輸送物品をあきらめて放擲するのか否か。
放擲するにしても、戦闘後に回収できる可能性をもたせるのか、敵に接収されないよう最初から爆散させるのか、考えなければならない。
わたしは決めた。
「輸送船団は全て艦隊後方にまとめて、乗員は巡洋艦以上の戦闘艦艇に移乗、無人とします。敵に対して最適の迎撃態勢をとるように。編成などは全て艦隊指揮官に任せます」
ただ逃げることはしない。しかし人命優先を明言する。
「乗員の保護を最優先とします。しかし積み荷は売却すればランズベルク伯爵領半年分の高蛋白食料、農業機械の引き換えになる予定のものです。最初から放擲はしません。敵はわが艦隊ほどの戦力はなさそうなので威嚇だけで交戦せずに済む可能性も充分ありますから。それにここは主要航路、海賊の意のままにしてよいところではありません」
カロリーナは言葉を付け足した。
青い顔のままだったが、理路整然として文句のつけどころがなかった。
これを受け直ちに指揮官の声が飛ぶ。
「こちら旗艦。各艦いったん拡散した後、戦時コンピュータプログラム05に従い再編成、しかるのち、やや密集隊形をとり速度落とせ。そして敵のジャミングを考慮し通信周波数の変更、シャトルの用意」
決して勝てない相手ではない、と指揮官は考える。
大型輸送船団90隻の護衛とはいえ、今回の護衛は過剰とも思えるほどの戦力だった。
戦艦は旗艦含め9隻、重巡航艦・軽巡航艦20隻、駆逐艦・フリゲート艦を合わせると54隻にも及ぶ。
本来よりもこれほど充実した陣容なのは、カロリーナが同乗するためということも大きい。
ランズベルク伯爵家は戦闘艦艇を全体で四百隻余り所持している。
交易航路を海賊から守ることは生命線だったということもあるが、最近では伯爵令嬢まで軍備に熱心であった。
貴族らしからぬ質素な生活を送り、新産業を起こして財政確立にやっきになっているにもかかわらず不思議なことに宇宙艦隊の増強を急ピッチですすめているのである。
伯爵家の累代の財宝を売って財源を確保しているのだし、宇宙艦隊の増強はやがて近隣貴族の船団の護衛を請け負う商売を始めるための布石と説明されていた。
もちろんカロリーナとしては来るリップシュタット戦役という大嵐に少しでも備えるつもりなのだ。
しかし、残念なことに手持ちの戦闘艦艇のほとんどは稼働率の低い老朽艦であった。
それもそのはず、貴族私領の艦艇は通常には帝国軍正規艦艇の払い下げである。耐用年数を過ぎただけならいい。ひどいものでは叛徒との戦闘で破損して応急修理をしただけのものまで含まれる。
船体にひびが入っていたり、エンジンに焼け付いた跡が残っていたら、怖くて最大加速などできやしない。いきなりエンジンが止まったり防御のシールドが故障したらもうヴァルハラの入り口が見えている。
私領で戦闘艦艇の生産を許されているのはブラウンシュバイク、リッテンハイム、カストロプ、ヘルクスハイマーといった数えるほどの大領主だけである。それでも空母は生産を許されていない。
リップシュタット戦役で貴族連合軍があれほど弱かったのは作戦や指揮能力がまずかっただけではない。数を揃えただけで、既に艦艇の性能に大差があったのである。
それにしても指揮官には小さな疑問があった。
通常であれば海賊は圧倒的に有利な状態でしか仕掛けてこない。仕掛けてくるはずがない。
海賊の狙いは積み荷だ。戦って勝つことではない。
勝利の美酒を飲むことが目的ではない。それまでに死んだら何の意味があるだろう。
そのため絶対に抵抗できない相手をいたぶるために姿を現すのである。
今回、こちらの充実した艦隊陣容を確認したらすぐに諦めて逃げるはずではないか。それなのに悠々と近づいてくるのだ。
54対35でそれをするのか、どう考えてもおかしい。
正体不明の敵は海賊ではないのか?
歴戦の老齢指揮官は経験から異和感を感じていた。
しかし、迫る仮装巡洋艦は海賊の船である。仮装巡洋艦とは長距離用民間艦艇にレールガンやシールド発生装置を後付けで組み込んで武装した戦闘艦である。当然、大きさに比べて本来の戦闘用艦艇より大幅に性能が劣る。特に防御力で大差がある。
民間商船や輸送船相手にしか強がれない代物なのに。
指揮官は長距離砲戦でカタをつけるつもりであった。
防御力の強い戦艦を前に出し、先手を取って一気に集中砲火で敵の重巡洋艦を叩く。あとは味方に損害が出ないよう有効射程距離ギリギリを保ちながら、残った敵を狙い打ちすればいいのである。
敵が逃走すれば、追撃はせずに戦闘終了。カロリーナ様を守ってそのままの陣形で航行、とまで考えていた。
「艦隊再編終了。輸送艦所定の位置に着きました。乗員収容確認」
次々に報告が上がる。
「敵艦隊、速度上げました。進路そのまま、あと50分で接触!」
「よし、各艦速度は第二戦闘速度のまま、長距離砲戦用意!」
戦いを目の前にした力強い声だ。多くの者が一つの目的のため力を合わせる。
「イオンビーム発生装置にエネルギー充填開始、完了後中和磁場シールドにエネルギー切り替え、直ちに前方へシールド展開。艦内に無重力警報!」
艦橋がいっそう騒がしい。わたしは座り込んだ状態で黙って見ている。
エンジンが戦闘用の高いエネルギーを発生する感じたことのない振動、兵器類が稼働を始める音、非現実なまでの体感に体が動かない。
頭だけは働かせ、司令官の戦い方も意図も理解した。
そしてその小さい疑問まで同じように考えていた。
その時だ。収まりかけてきた恐怖が急に強くなった。嫌な予感にたまらず叫ぶ。
「索敵を強化して下さい! 探査用ブイを展開、特に後方へ。敵のジャミングの強度に最大限注意。今後強くなるようなら直ちに発生源の特定できるよう用意」
ひゃあ、言ってしまった!
艦隊運用をいったん任せたんだから、これは司令官の指揮権への不当な干渉よね。
ああ、言い訳が思いつかない。
「カロリーナ様?」
近くにいた通信オペレータなどが複雑な表情で振り返った。
艦隊指揮官もこちらを見る。
「カロリーナ様に従い、駆逐艦は直ちにブイ投下、索敵を最大範囲にとれ。最後方にいる駆逐艦5隻は本隊からやや離れ、偵察に回るよう」
指揮官は怒らなかった。
「戦闘中の指揮に口を挟まないで頂きたい!」と怒っても当然の場面なのに。
それどころか不思議なものを見る表情をしている。
その間にも時間は進み、また多くの報告がオペレーターから上がってくる。
「敵、仮装巡洋艦を前方にして更に加速、これは仮装巡洋艦では考えられない速度に達しています!」
「敵に動きがあります! 巡洋艦18隻が全て右舷回頭で離れ、一方の仮装巡洋艦群17隻は密集隊形でまっすぐ突っ込んできます。砲撃イエローゾーンまであと十五分!」
戦いは避けられない。なぜか相手の戦意が衰えていないとは。
ランズベルク伯爵領艦隊もまた戦意を高めて敵を見据える。
その瞬間のことだ。
思いっきりの凶報がもたらされた!
「艦隊右舷後方より不明艦隊接近、艦種は、ジャミングのため識別できません!」
「更に艦隊左舷後方より不明艦隊接近!」
オペレータが絶叫する。正面の敵ばかりではなかった!
斜め後方にも敵がいたのを感知する。しかも、それは二方向だった。
「全力で不明艦隊の全容を探れ、速度と到達時刻もだ!」
指揮官が直ちに反応する。詳細が判明した。
「右舷後方敵艦隊、概要で戦艦5、総数約40隻、到達予定、あと約二時間!」
「左舷後方敵艦隊も戦艦6、総数約45隻、到達予定、同じく約二時間!」
ランズベルク領艦隊は三方から圧倒的多数の敵に包囲され、後手に回ってしまった。
54対35などではない。実は54隻対120隻だった。
仏滅と13日の金曜日が同時に来たわこれ。
私は自分でもどうでもいいことを思ってしまった。
恐怖に胃が締め付けられ・・
吐いた。
直前にブルーハワイのかき氷を食べたんだっけ。
着ているのは白いドレスだったのだ。裾の方に水色の染みが急速に広がっていく。
ははは、ひきつり笑いするしかないわ。きったなくて惨め。
アルフレット兄、サビーネ様、ここにいない何人もの顔を思い浮かべる。ああ、走馬燈ってやつ?
この世界にやってきて、何にもならないうちに敗死するのか。
厳しい表情で艦隊司令官が歩み寄ってきた。
「どうやら敵はわが方を欺いて最初から包囲するつもりだったようです。最初に見えた敵に仮装巡航艦が多いのは、海賊に見せ油断させるための偽装だったのでしょう。今や三方向から迫られ、明らかに劣勢にあります。これほどの規模での襲撃、それに手際を見ても海賊の仕業などではありますまい。カロリーナ様を狙ってのことだと思われます」
「わたしを…… 」
「カロリーナ様、今のうちに本艦隊中一番の高速艦にお移り下さい。頃合いを見て脱出なさいますよう」
そして向き直ると、漢の表情で各艦に通信を取る。
「本艦隊は優勢な敵に包囲された。直ちに球形陣をとれ。防御を固めろ。敵影の薄い方向を見定めて集中砲火をかけつつ、カロリーナ様を逃がした後、全艦盾となってお守りまいらせろ!」
な、なにそれ!
そんな、私以外死んじゃうじゃないの。
盾になるって、犠牲になることよね。
艦橋のみんな、索敵オペレータや通信オペレータ、砲術下士官、航行下士官も。凶報聞いて、驚いて、悲しい顔したよね。それは誰でも死ぬは嫌だよ。家族もいるんだろう。恋人も、未来も、希望もあるはずだ。
でも今は爽やかな顔してるよ。
どうして? 覚悟決めたってやつ?
私を助けるために死ぬのに、怖くないの? 私を助けることが、そんなに意味あるの?
艦橋の一人が、わたしの動揺するまなざしを見て、きれいな敬礼を返してきた。
微笑んでいるようにさえ見えた。
どうしてそんな顔できるの、いやだ。
い や だーーーーーっ
艦橋で一番遅く、わたしは覚悟を、決めた。