最終話 平和の使者
銀河帝国と自由惑星同盟が長いこと存亡をかけて戦い合った時代、それはもう過去のことになった。
銀河には今や四つの勢力が存在する。しかも平和的に。
皇帝の治めるローエングラム朝新銀河帝国、自由惑星同盟、そしてサビーネの治めるフェザーン大公国とイゼルローン共和国である。
それぞれ権力世襲の帝政であったり、選挙を行う共和制であったりする。これだけ政体の違うものが共存しているのも凄いことだ。
そしてどれも新しい発展の時代を迎え、人口の上でも経済的なことでも着実に伸びている。
いずれは五百年前の人類社会最盛期のようになるのだろうか。加えてどの政体が人類に相応しいものなのか分かるかもしれない。ただしそれははるか未来のこと、今はお互い平和を楽しめばいい。
正確に言えばフェザーン大公国は統合されたとはいえ旧フェザーン自治領と旧リッテンハイム大公国の間に少し違いがある。自由な商人の惑星フェザーンと、リッテンハイム家やブラウンシュバイク家の貴族の私領、その過去からくる隔たりはあらゆる面で大きい。
その差はしかし、縮まっていきやがては融合するだろうと見られていた。
自由、言い方を変えれば気ままな大公サビーネと、その逆に生真面目で有能な能吏ルパートの努力によって。
大公サビーネは旧リッテンハイム領にこだわることなくフェザーンに住んでいる。呆れるほど自由なサビーネはフェザーンの空気を楽しんでいた。そして一番の目的がある。
「街もきれいじゃ。多少騒がしいのも妾は気に入ったぞ。そして何より、食べ物が美味い!! オーディンしか知らぬで生きていたら損するところじゃったわ」
最後まで食い意地で決めている。
フェザーンの民衆もそんなサビーネであればこそ受け入れた。ただの姫君や貴族だったなら受け入れなかったろう。
市民にとって、サビーネの居丈高だが正直ではっきりしていて、何より見飽きないところが良かったのだ。決して見栄えだけのことではない。
雑誌に年中サビーネのことが載らない日はなかった。見出しは日により様々だ。
「サビーネ大公、今日は腹痛。昨日は食べ過ぎか?」
「大公、靴を買う。これからは4.2cmアップの大公に」
そして何とフェザーン名物の賭けのオッズも健在だった。
大公の花婿候補
フェザーン大公国首席行政補佐官 ルパート・ケッセルリンク 1.9倍
イゼルローン共和国駐在武官 ダスティ・アッテンボロー 5.4倍
こうした陽気な空気も実はサビーネはお気に入りだったのである。
ヤン・ウェンリーは嫌々ながらイゼルローン共和国の一応の首長を続け、第一代表と呼ばれる地位にいる。
何度選挙をやってもヤンが選ばれるのだから仕方がない。
もちろんヤンは早期引退を考え、その回数制限を作ろうとやっきになっている。しかしながら議会で回数制限のことが出ると必ず流されてしまう。それに従わざる得ないのも民主主義である。最初にそれを決めていなかったロムスキーを怨むがもう仕方がない。もちろん選挙そのものに出ないということは、ヤンファミリーが結束して許さず、アッテンボローなどがおだててなんとかしている。
そのイゼルローン共和国もまた大きく出目の違った二つの領域からなっている。イゼルローン回廊から帝国辺境側の領地と、反対側の出口付近にある旧同盟側の領地である。比率からすれば旧帝国だった領地の方がずいぶん広い。
ただし首都は同盟領に属していたエル・ファシルにそのまま置かれている。ヤン達のゆかりという意味ではなく、最も民主的なところだからだ。この国は民主共和制を国是としてやっていくのだ。
むろん一気に政体を同一化するには無理がある。ゆっくりと旧帝国領地の方も民主化を実施しなくてはならず、それには選挙、議会、憲法、こういったものに慣れていく必要がある。
フェザーン大公国とは違う意味で意識改革を伴う実験国家なのだ。それが終わってやっと一つの国となれる。
そして共和政体という点では自由惑星同盟と同じかもれない。しかし細かなところでヤン・ウェンリーの思想が色濃くあらわれている。
ヤンは同盟で起こったクーデター騒ぎや、そこでドーソン大将の語った言葉の重みを決して忘れていない。政治家個人や民衆をも信用せず、その暴走とポピュリズムを抑える方策は必要であり、それこそかつてのルドルフは共和政府から発生してしまったものなのだ。ヤンはそれに対する方策も考えている。
ヤンはそういう違いこそが同盟ではない共和政体として存在するイゼルローン共和国の意義だと思っているのだ。
また、それはこれまでの戦いで亡くなった大勢の将兵のせめてもの弔いではないかとも考えていた。今まで百年以上にも渡り戦争が続いた。その結果であるからには。
その膨大な犠牲が無駄ではなかったとするためには、まだ生きている者が意義あることにしなくてはならない。
「政治家個人の良心に頼るような政治は不健全だ。そこへのみ期待するのはもっと不健全じゃないかなあ」
そう言うヤンにキャゼルヌがあっさり返した。
「ヤン、とりあえずお前さんには勤勉に働くという良心を期待させてもらうよ」
エル・ファシルには第一代表ヤンとフレデリカの夫妻が住む。またその近くには補佐役のキャゼルヌ一家などヤン一党が多く住んだ。ユリアンとアッテンボローはひとまず駐在武官としてあちこち転任する役についた。
しかしすっかり職務を辞めて離れる人間もいる。
ポプランはより自由な方を求めてフェザーンへ旅立った。
そこに偶然にもシェーンコップが乗り合わせてしまう。
「おいポプラン、モテ競争のリベンジのためにフェザーンまで行くとは、ヒマなお前さんが考えそうなことだ」
「リベンジってのは、負けた方が使う言葉でしょう。一人称と二人称を取り違えるような中年にはなりたくありませんね。それに、撃墜スコアはワルキューレ以外にはつけてませんよ。量より質にこだわりたいんで。それで、中年こそフェザーンに何の用が?」
「フェザーンで海賊相手の傭兵募集だそうだ。トマホーク持って柔軟体操でもやってくるさ。ポプラン、カリンの結婚式くらいには来るだろ? それまで死ぬなよ。お前さんは軽口で死ぬ相が出ているのが見えるぞ」
「死ぬには順番てものが存在してるんで。お先にどうぞ、シェーンコップ准将」
わたし自身は旧ランズベルク伯爵領に住んでいる。
そこはイゼルローン共和国内の旧帝国領に属し、要するにわたしはこの地域で民主化を進めていくための取りまとめ役だ。ヤンの努力によってこの地域も同盟への敵愾心はなくなったが、それでもガチガチの民主派であるエル・ファシルに追い付くためにはわたしも頑張らなくてはいけない。
そして連絡や通商のためにエル・ファシルとオーディンへしばしば赴く。
フェザーンやハイネセンは遠いのでさすがに数多く行くことはできない。
しかし、逆に行かねばならない用事がある。
それは「大会議」のためである。
年に一度、この四つの国の政府高官が一堂に会する機会を設けているのだ。場所は順番に持ち回りにしている。その会議で国同士の意見をぶつけ合う。しかし武力をぶつけ合うよりよほどいい。
この大会議は楽しみであり、わたしもサビーネやジェシカさんと会える。
わたしの立場は地域の顔役というだけであり、高官や首脳部とはとても言えない、小さな立場である。
それなのに、どこの国の高官もわたしを知っていて、親し気に声をかけてくれる。
「カロリーナが来ぬと話にならんのじゃ。むろん、レシピも持って参れ。舌が期待しておるぞ」「カロリーナ様とお話しとうございます。お時間取って頂けますか?」「カロリーナさん、お元気ですか?」
どうもこの大会議にわたしが出るのは当たり前にとらえられているようで、ありがたいことだ。
また、この大会議によって離れた友に会える人がいる。
ミッターマイヤーはロイエンタールと年一度は一緒にワインを飲むことができるのだ。
オスカー・フォン・ロイエンタールは将帥の多くを失ってしまった自由惑星同盟で丁重に扱われた。理論と実践のバランスのとれた貴重な客将として誉れ高い。いずれ士官学校の校長に、との話もある。
一方のミッターマイヤーは退任したマリーンドルフ伯の後任として国務尚書に就任した。そこで公明正大をモットーに忙しい毎日を送っている。そして、今帝国が上手く回っているのは死んだオーベルシュタインが礎を据え、不要物を焼き払った結果だということがようやく分かってきた。あの嫌われ者の孤高の英雄は、たしかにその劇薬のような政治で見事なことをしたのだ。
帝国軍はミュラーなどの元帥に任せていた。自分では事があれば第一線に出るつもりでいたが、それは先帝ラインハルトが任じてくれた大元帥の称号を忘れていないためだ。しかしその機会は訪れそうにない。
この年一回の大会議も暇ではないがロイエンタールに会えるのは何よりも楽しみ、しかしやっと授かった一人息子フェリックスの世話に忙しいエヴァンゼリン夫人は「家にいるより大会議に行く方が楽しそうですのね」と夫にチクリ言うようになった。
これで宇宙はやっと安定を取り戻した。
二つの大きな勢力が直接接さなくなったのが大きい。
フェザーン回廊でもイゼルローン回廊でも帝国と同盟とが接することはなく、フェザーン大公国とイゼルローン共和国という緩衝地帯がある。
もう一つ、人口の配分が安定に寄与している。
今までは帝国が人類の三分の二を占めていた。これでは、イデオロギーの問題をさておいても、弱者である自由惑星同盟は、生き残るために必死で噛みつくしかない。
今の人口は自由惑星同盟が120億人、フェザーン大公国が60億人、イゼルローン共和国が30億人、そして銀河帝国が190億人となっている。これで銀河帝国が全体の半数を割り込んだ。
これは決して偶然などではない。
先の領地交渉の際、そのことをわたしは強く意識していた。
人口と生産力を背景とした帝国の高圧的な態度は他の三国が協調すれば対抗できる。そうすれば帝国のありようもゆっくりと軟化し、絶対的な帝政も変わらざるをえないだろう。それができる人口配分、わたしの長期的な策といえる。
もう一つのことを考えた。
各首都星の性格付けである。
オーディンは文句なく歴史と芸術の都だ。フェザーンは活気あふれる商業の都。ハイネセンはその気風で学術の都ともいえる。
そしてエル・ファシルはどうだろう?
わたしは文化の都にしたかった。もちろん、食文化の方だ。
そんなことを考えていられる戦いのない時代、それがいつまで続くのか誰にもわからない。
しかし、見通せるかぎり戦乱の足音は聞こえてこない。
わたしは思う。
平和の使者に、なれたのかしら。
さて今日も新作菓子の発表だ。
菓子を作るにも気合が入る。
次の大会議はエル・ファシルの番なのだ。サビーネ様はもちろんのこと、皆に渾身の作を振る舞う。菓子作りの誇りにかけ、斬新なアイデアと素晴らしい味を楽しんでほしい。
そういえば、次の大会議にはマルガレーテ・ソーンダイクも来ると聞いた。養父にならい政治家を志しているそうだ。聡明な彼女はきっとジェシカの片腕になるだろう。イゼルローン共和国のユリアンといい、次世代の萌芽が成長している。
菓子作りというものは工夫と試作の繰り返しが必要である。
最近、ヨモギが生クリームに合うのを発見した。少しの苦みが味に奥行きを与えてくれる。しかしその微妙な配分を間違えたら何にもならず、そのため試作を繰り返す必要がある。
試作菓子を消費してくれるのはまた今日もファーレンハイトだ。
さすがに連日なのは気が引けるが仕方がない。メックリンガーはオーディンの芸術コンクールで忙しい。
わたしは慣れた手つきで紅茶をポットから取り、カップに入れて差し出す。
そこにヨモギ入りのタルト、ロールケーキ、エクレアを並べて出す。
「令嬢…… 辞書にある飽きるという言葉の意味を引いて見たほうがいいでしょう。さすがに」
「何言ってんのよ、ファーレンハイト。お酒の方は飽きないの?」
そう、知っている。
先月にはビューローの結婚式があった。つい三日前にはルッツの結婚式があった。
いずれも美しい花嫁がいる。皆が祝福する華やかな結婚式だ。それを見ながら、ケスラーがウェディングドレスの感想とメーカーをこっそりメモしてるのをみんな知っていた。マリーカ嬢のウェディングドレスくらい本人に選ばせてやれよ、ケスラー、と皆は思った。
結婚式のあと独り身のファーレンハイトは、同じく独り身のベルゲングリューンとずいぶん深酒をしている。
「それ食べ終わったら感想とか、思いついた工夫とか聞かせてよ」
「今日の内に全部ですか、令嬢」
「賞味期限がありますからね」
「賞味期限ですか。菓子もそうですが、令嬢もそろそろ期限が」
また何という憎まれ口を言う!
激動の時期を続けてこの歳になってしまっただけなのよ。
「な、何ですって!? でもお生憎様。ファーレンハイトの方がとっくに賞味期限を過ぎてますわよ」
そうだわ。年齢を言うならそっちが先よ。まいったか。
「令嬢、令嬢は賞味期限など気にする性格でしたかな。菓子でも、自分の相手についても」
何、今の言葉は。
ファーレンハイト、何、目をそらしてんのよ。しっかりこっちを見なさい。
ほら今よ。待っててあげるから。
もう何年も待っていたのよ。もう少し、何分かなんて待っててあげるわ。
女には、はっきり言ってほしいときがあるものよ。
- 完 -
ここまでお読み頂いてありがとうございます。
エピローグが一つありますが、それは第二弾作品「見つめる先には」への橋渡しです。
そちらもまたよろしくお願いします。
カロリーナの物語はここで完結しています。
完結できて、本当に感無量です。