数ヶ月後。
タダシたちの主戦場はクンベの迷宮地下5階に移っていた。
地下3階から4階に降りた時にも魔物の強さに戸惑ったものだが、地下5階の敵は更に強かった。
タダシはランク『DD』、クリスナーヤは『D』。順調に実力をつけているはずなのに追いつかない印象だ。
単体でも手こずるレベルの魔物が時には群れを成しており、状況次第では撤退を余儀なくされることも珍しくなかった。
撤退すること自体は別に恥ずかしいことではない。むしろ避けるべきは、無理して取り返しの付かない事態に陥ること。タダシもクリスナーヤも、そのことは十分に理解しているので、攻略を急ぐつもりはないのだが……
それにしてもきつい。
後学のために同レベルの4人、5人編成のパーティの戦いぶりを見せてもらったが、タダシたちほど苦労していないように思えた。
早い話が戦力不足なのだ。タダシが一人で戦っていた頃、地下3階で苦労したのと同じ状況になっているのである。
二人だけではこの先厳しいだろう。タダシはそう感じていた。
タダシたちが地下5階の通路の最奥に隠し階段を発見したのは昨日のことだ。
しかし、その先の小部屋にやたらに強い魔物が待ち構えていて探索出来ない。
魔物は一匹だけなのだが、クリスナーヤと二人でかかっても倒せなかったのだ。
攻めあぐねたタダシは、一旦退却することを決めた。
そして今日、作戦を練り直しての再挑戦なのだった。
「うおりゃぁぁっ!」
タダシが怒濤の勢いで魔物に連続攻撃を仕掛ける。
しかしガーゴイル系と思われる敵は異常に反応が速く、タダシは紙一重で致命打を浴びせることが出来なかった。
俊敏な動きでタダシの攻撃をかわしては、口元をVの字につり上げて嘲笑う。
とても憎たらしい敵だった。
「畜生め」
しかも、そいつは二つの属性無効を持っていた。
クリスナーヤの得意技である、炎系統と雷系統の攻撃が通用しないのだ。
特に炎系統の攻撃に至っては、折角タダシが与えたわずかなダメージを回復させてしまう始末だった。
昨日からずっとその繰り返し。
時間が経つばかりで埒があかない。
見た目はコウモリを人型にして悪魔のしっぽをつけた感じ。大きさはタダシの肩の高さくらいだ。
グガァッ!
タダシが攻めあぐねる隙に、魔物が青白いブレスを吐いた。
「くそっ、またかよ」
ブレスは無数の鋭い刃を持ったタンポポの綿毛のように襲いかかり、タダシたちの身体にまとわりついて切り傷を作るのだった。
タダシが悪態をついて防御姿勢を取るが、完全に防ぎ切るのは困難だ。
あちこちに傷を受けて身体に半透明になった部分が現れる。
それはクリスナーヤも同様だった。
ブレスに魔力が乗っているらしく、物理シールドを抜けてくるものが少なからずあるのだ。
もちろんクリスナーヤも、タダシ任せにして黙って見ているわけではない。
身体の周りには、
魔道士であるクリスナーヤはプリーストの用いる本格的なヒーリングを使えないので、同じ効果が得られるように工夫したのである。
それらが瞬時に傷口を癒やし、ふさいでしまう。
「そっちは大丈夫か」
「はい」
クリスナーヤの短い詠唱で魔力伝達の糸がタダシに接続され、タダシのダメージもすぐに回復した。
「サンキュー」
一時も敵から目を離せない。
魔物の攻撃は、鋭い爪の一撃とブレスの二本立てだ。
弱い呪文封じも使ってきたが、そちらは彩がスキルで無効化してくれていた。
タダシの狙いは魔物を部屋の隅に追い込むこと。
攻撃を紙一重でかわされるなら、魔物が動ける範囲を限定してしまえばいい。
それが作戦である。
だからタダシは何度も攻撃を受けつつも、決して退くことなく前に進み続けた。
「ぐっ!」
タダシが利き腕をざっくり削られた。
即座にクリスナーヤが傷口をふさぐと同時に、麻痺回復の呪文を唱える。
魔物の爪には物理ダメージの他に麻痺毒が合わさっていて、すぐに処置しないと動けなくなってしまうのだ。
昨日はそれが間に合わず、撤退を余儀なくされたのだった。
(どうだ、行けそうか? しくじったら同じ手は通じなくなるぞ)
(まだ。魔物をもっと壁に押しつけて)
(分かった)
タダシが彩を突き出し、魔物がそれをかわして、勢い余った剣先が石壁を穿つ。
何度も空振りを繰り返すので、石壁が穴だらけだ。
「全く、すばしこい奴だ」
そしてじわりじわりと前に出る。
やがて魔物の生臭い体臭が鼻につくほどの近さになった。
タダシは魔物に考える間も与えず、攻めて攻めて攻めまくった。
「この野郎、させるかっ」
タダシは魔物がブレスを吐こうと開けた口を、握りの部分で殴りつけて阻止した。
ガァッ!
魔物はまさか殴られるとは思っていなかったようで、怒りで血走った目を向けた。
(これならどうだ?)
タダシが素早く壁との距離を目測する。
(オッケー、いいわよ)
(よし……)
タダシが左手でクリスナーヤに合図を送った。
詠唱に必要なわずかな間を置いてすっと半歩下がる。
下がると同時にクリスナーヤの物理シールドが二つ、並列で出現した。
タダシと魔物を分断して、魔物を壁側に閉じ込めた形だ。
さらに連続して唱えた呪文でシールドの内側に水が湧き出て、水槽の中を覗くような眺めになる。
ガルルルッ!
魔物の視線がクリスナーヤに向かい、次いで突然現れたシールドに移った。
クリスナーヤが何かした、ということは理解出来るようだ。
それからシールド越しにタダシを攻撃しようとして弾かれ、不機嫌そうに唸った。
タダシは魔物を挑発するように立ったまま動かない。
魔物は何度か攻撃を繰り出すが、ことごとくシールドに弾かれて怒り狂った。
タダシの顔面目がけてブレスを浴びせようと口を開く。
そこへクリスナーヤが仕上げの呪文を唱えた。
発動は一瞬。
魔物がブレスを吐くよりも早く、部屋全体がオレンジ色にフラッシュする。
水がたまったシールドの内側に大火球を発生させたのである。
溶鉄のかたまりに水をぶっかけた時のような音が響いた。
視界はたちまち水蒸気爆発で白一色だ。
「うぉりぁぁぁっ!」
この瞬間を待っていたタダシが吠えた。
いくら素早くても、見えなければかわすことも出来まい。
渾身の衝撃波を乗せて流星剣を振り抜く。
弩級のエネルギーが轟音と共に物理シールドを突き破り、魔物ごと石壁まで巻き込んで粉砕した。
「
高温の水蒸気で一気に部屋の温度が上がり、まるでサウナ風呂のような暑さだった。
やがてもやが晴れると、石壁に大穴が空いて崩れている。
魔物はというと、原形すらとどめていなかった。
「手間取らせてくれたもんだ……」
マナをごっそり持って行かれたタダシが、気が抜けたように壁に手をついて身体を支えた。
やはり全開の衝撃波はきつい。
「すぐにマナ補充しますね」
クリスナーヤがタダシに手を伸ばし、歌うような韻律で詠唱した。
淡いマナの流れがクリスナーヤとタダシをつなぐ。
「サンキュー、助かる」
タダシの顔色がみるみる良くなった。
「で、結局は単なる小部屋なのか。お宝でも隠してあるかと思ったが」
タダシが部屋の中を見回すが、何の変哲もない小部屋だった。
「苦労して収穫なしかよ」
「私もちょっと期待したんですが」
クリスナーヤも残念そうだ。
「ま、仕方ない。作戦大成功ってことで良しとするか」
タダシはそう言って自分を納得させるのだった。
(ねえ、あれ何だろ)
部屋を後にしようとした時、彩が何か見つけた。
(どうした?)
(ほら、あそこの壁が崩れたところ)
注意して見ると、壁にあいた大穴の奥に光るものがあった。
「ほほう、不思議な……」
それはクリスナーヤが身体の周りに浮かべていた『気』のかたまりに似ていた。
ふよふよと漂いつつ、様々に色が変化する。
タダシが手を伸ばして取ろうとすると、ふっとすり抜けてまた別の場所に現れるのだった。
「クリスナーヤ、何だか分かるか?」
「いえ、初めて見ます。でも不思議な力を感じますね」
クリスナーヤも手を伸ばしてみたが、タダシと同じく触れることは出来なかった。
特殊な『気』であることは間違いなさそうなのだが。
「魔導の属性とは違う気がします」
「ううむ、何だろうな。おーい、彩」
タダシが
この手のモノは彩の同類ではないかと考えたのである。
「なに?」
「お前なら捕まえられるかなと思って」
「どうかなぁ」
でもやっぱり彩にも触れることは出来なかった。
「駄目か……となると、こういう時に頼りになりそうなのはフレド爺さんだな」
タダシが残念そうに言った。
取りあえず、散乱した壁石を積んで謎の『気』を囲って閉じ込めておく。
「消えないでいてくれたらいいのですが」
「大人しくしているんだよ?」
彩が『気』に向かって言い聞かせていた。
分かっているのかいないのか、『気』は囲いの内側を行ったり来たり、ふよふよ動いていた。
「ふぅむ、クンベの迷宮にそのような怪しげなものが現れたと聞いたことはないがのう」
タダシたちはガルムンドに戻るとその足でギルドに向かった。
フレド爺さんなら何か知っているだろうと期待したのだが、首をかしげるばかりだった。
「邪の力は感じ取れなかったと言うのじゃな?」
「ああ。たぶん悪いモノじゃないと思う」
タダシが頷く。
クリスナーヤも、感じたことを証言した。
「タダシよ、お主の持っている剣の親戚とは違うのか?」
「俺もそう考えたけど、彩も触れることが出来なかったんだ」
「ふむ……」
フレド爺さんは古い書物を引っ張り出して調べてくれたが、解明には至らなかった。
「この種の現象に関連するとなると、やはり……」
古代の魔法にからんだ、特殊なアイテムや人に作用する触媒である可能性が高い。
推測になるが、と前置きしてフレド爺さんが言った。
「古代の魔法については、我らの知識の及ばぬ謎が多い。仮に触媒だとするならば、作用対象となるものが近くにあると考えていいじゃろう。作用対象の一部が姿を変えている可能性もある」
「それは、魔力を封じ込めた古代の武器を指しているのでしょうか」
クリスナーヤが訊ねた。
「左様。特別な力を持つ武器、防具、祭具などは全て、古代の魔法が関わっていると言って構わん。そうじゃな……」
それからフレド爺さんは、寺院に出向いてみるようタダシに勧めた。
ガルムンドの町にある寺院は全てエルド・マール教団と呼ばれる蘇生術を得意とする系列なのだが、単に寺院と呼ぶ時には数千年の歴史を持つ総本山を指している。
「あちらさんが何か知っているかもしれん。タダシよ、寺院に
「いや、ない……」
タダシが首を横に振る。
伝手どころか、入ったこともなかった。
唯一のプリースト系の知り合いと言えばザハだけど、彼がどこの寺院の所属なのかすら分からなかった。
「そうか。どれ、ひとつ大司教殿に紹介状を書いてやるかの。話くらいは聞いてもらえるじゃろうて」
今度は紹介状を手に寺院に向かうタダシたち。
「何だか
「あや様が大人しくしているように言いました。だから大丈夫です」
タダシが呟くと、クリスナーヤが大まじめに言うのだった。
ともあれ聖堂に足を踏み入れ、中にいたローブ姿の僧侶にフレド爺さんの紹介状を見せたところ、タダシたちは立派な応接室に通された。
「しばらくお目にかかっておりませんが、大賢師様はご健勝ですかな」
ほどなくやって来たのは大司教本人だった。
あまり威厳を表に出さない、どちらかと言えば気さくな印象の老人だ。
丸顔に見事な禿げ頭で、後ろから見ると満月のようだった。
「はい、常日頃よりご指導いただいております」
タダシがすました顔で言った。
社会人経験があって、その気になれば一応敬語も使えるところが、タダシがそこいらの冒険者とはひと味違うところである。
心の中で彩が「プッ」と吹き出していた。
(うそー、何それタダシじゃない)
(うるさい、黙れ)
それからタダシはクンベの迷宮で見つけた謎の『気』について説明した。
何か心当たりはないか訊ねる。
「はて……」
大司教は指先であごを摘まみながら考えていたが、取り立てて興味を惹かれた様子でもなかった。
「確かにクンベの迷宮は遠い昔に我がエルド・マール教団の所領の一部で、僧兵の訓練に用いられていたようですが……」
タダシが言う『気』が自分たちに関係しているのかと問われると、説明された情報の範囲では分からないとしか答えようがない。大司教が申し訳なさそうに言った。
調査するのは面倒。本音はそっちだろうな。タダシは思った。
「私には、フレドさんは『気』が魔導の領分に属さないのならば、大司教様の領分なのではと考えたように見受けられました」
クリスナーヤが大司教が結論を出してしまう前にと口を開いた。
クリスナーヤは、フレド爺さんがほとんど確信を持ってタダシたちを寺院に向かわせたことを見抜いていた。「何か知っているかもしれない」ではなく、「何か知っているはずだ」と考えたから、わざわざ紹介状まで書いてくれたのだ。
「謎の『気』の属性はこちらの領分……ですか。ふむ、大賢師様の見立てであれば」
お、重い腰を上げる気になったようだぞ。いいぞ、クリスナーヤ。タダシが身を乗り出した。
「調べてもらえ……いただけると、ありがたいのですが」
「そうですな、解明できると保証はいたしかねますが……」
大司教が頷く。
そこへ扉が開いて、若い娘が飲み物を運んできた。
タダシは入り口にチラリと姿が見えた瞬間に、大変な美人に違いないと確信した。タダシのこの種の野生の勘は、滅多に外れることはない。
そして彼女がタダシの横に立って上品な香りのする飲み物が入った茶碗を差し出した時、勘が的中したことを知って有頂天になった。
寺院にもこんな美人がいたのか。
クリスナーヤも並外れた美少女だけど、勝るとも劣らない。
(はぁ……すごいオッパイだねぇ)
(あ、ああ)
彩までがため息まじりに呟いていた。
年頃はおそらくタダシよりも幾分下だろう。
何と言っても素晴らしい曲線美の持ち主だった。とりわけメロンほどもある胸の盛り上がりは圧倒的で、他の追随を許さなかった。
「フレイ。すまないが宝物庫に行って、法具に何か
大司教が各人に飲み物が行き渡ったタイミングで言った。
「徴、ですか?」
「うむ。少々気になることがあってね」
「分かりました、御爺様」
フレイと呼ばれた美少女は丁寧に一礼して出て行った。
御爺様と言うことは、大司教の孫娘かな。タダシは脳に情報をインプットした。
「ああ、あなた方でしたか。ザハが言っていた不思議な剣を持つ剣士と、若き大魔道士の卵とは」
フレイの戻りを待って、クンベの迷宮探索や餓狼団討伐などの出来事について雑談していると、大司教が膝を叩いた。ザハは西地区の祭司頭で、中堅どころの有望株なのだそうだ。
「二人パーティなのに驚くほど強いと聞いて、どんな方々だろうと気になっていました」
「いえいえ、それは過分な評価というものです」
タダシが恐縮して見せた。
うまい具合に共通の話題が見つかってくれたおかげで、和やかな雰囲気で時が流れていく。
パーティにプリーストがいないので工夫が必要なこと。餓狼団討伐ではザハの機転がなければ撤退せざるを得なかったこと。冒険に関わることなら話題には事欠かない。
「ははは。ザハは普段は物静かですが、あれでなかなか頼りになる男なのですよ」
タダシは気まずい沈黙という、胃が痛くなるような展開にならずに済んでほっとした思いだった。
「御爺様、ただいま戻りました!」
しばらくしてフレイが古びた杖を手に駆け込んできた。
かなり慌てた様子だ。
タダシはその胸で見境なく走るのはやめた方がいいと思ったが、もちろんおくびにも出さない。黙って記憶に焼き付けるのが紳士というものである。
「どうだったね?」
フレイの様子から何か感じ取ったのか、大司教の声色は不安げだった。
「はい、法具に徴は見つかりませんでしたが……ご覧下さい」と、杖を差し出す。
「これは、ハンナ様の杖」
「そうです」
「なんと……」
大司教が言葉を途中で飲み込んだ。
何があったのだろう。
タダシが杖に目をやると、杖頭の宝玉を取り付ける部分に違和感があった。
取り外してあるのか紛失したのか分からないが、杖頭に宝玉は付いていない。
それなのにまるで幻の宝玉が存在しているかのように明滅しているのだった。
「確かに、『気』は丁度そこに収まるくらいの大きさでした」
クリスナーヤも杖頭に注目していた。
「ま……また、戦いが始まると言うのか」
大司教が天井を仰ぐ。
戦いだって?
タダシには大司教の言葉の意味が分からなかった。
「では、こちらの方々が?」
フレイはタダシたちの用向きを察したようだ。
「うむ。クンベの迷宮で謎の『気』を見つけたそうだ。大賢師様の紹介だ」
「あの……お手数ですが、その場所に案内していただけませんか」
フレイがタダシに顔を向けた。
もちろんそれは望むところだ。
ただならぬ雰囲気に飲まれたまま、タダシが頷いた。
「御爺様、私は行かなければなりません」
やがてフレイが、静かだがしっかりとした決意を秘めた声で言った。
そして大司教の前に立つ。
「是非もあるまい。汝はハンナ様の杖を託されし者」
大司教も立ち上がり、フレイの頭に手を置いて祝福を与えた。
「行きなさい。こちらの方々がそうなのかまだ分からぬが、それはハンナ様の杖が示して下さるであろう」
タダシたちは寺院を後にした。
「結局よく分からないままだな」
「そうですね。大司教の言葉が気になります」
「ああ。取りあえず、フレド爺さんに経過報告しておこうか」
フレイはすぐにでもクンベの迷宮に向かいたい様子だったが、今からでは日暮れ前に戻れそうもないので、明日の朝早くに出発することになった。
たぶん明日になれば謎は解ける。今あれこれ悩んだところで仕方ない。