タダシは地下7階の行き止まりの謎を解明すべく、数日を費やして情報収集に励んだ。
情報収集と言っても、実際にそこまで行った経験がありそうな知り合いを訪ね歩いてみただけだが。
しかし、みんなの言うことは同じだった。
地下7階に妙な仕掛けはなかったはずだ、と。
ガルフも、フレド爺さんも、迷宮王を自称する酒場のマスターも、口をそろえてそう証言した。
朝練の教官にも訊いてみたが、同じ答えが返ってきた。
「……俺たちが何か見落としているって事か?」
誰もが異口同音に言うので、とうとうタダシは自分たちが本当にマップを残らず踏破したのか、疑いを持ち始めた。
「そんな筈はないんですけどねぇ」
「どこか見逃したのでしょうか……」
クリスナーヤとフレイも首をかしげるばかりである。
「もう一度、徹底的に調べるしかないな」
面倒だがそれしか手はなさそうだった。
タダシたちは、朝一番で探索に出発した。
あれから数日経ったし、また魔物も増えていることだろう。
また厄介な魔物どもと戦わなければならないのかと思うと、正直、気乗りはしなかった。
「おう、今日もクンベの迷宮か?」
町の門の外に、髭の衛兵が腕組みをして立っていた。
「ああ、地下7階の調査さ。やり直す羽目になった」
「そいつは難儀だな」
髭の衛兵は、浮かない顔で街道の先をじっと見つめていた。
「ん、何かあったのか?」
「一人迷宮から戻って来ねぇんだ。まあ……良くあることなんだがな」
「そうか……」
タダシが目を伏せた。
冒険者を
いつ自分の順番が回って来ても不思議はないし、覚悟をしておかねばならない。
でも、出来ればそういう話は聞きたくなかった。
「もし見つけたら、仏さんだけでも連れ帰ってやってくれねぇか。見つけたらでいい」
「別に構わんぞ。どんな背格好の野郎だ?」
「いや、女だ。このくらいの小柄な娘だったな。これからは冒険者として生きるんだとか言っていやがったが」
髭の衛兵が、自分の胸のあたりを手のひらを横に向けて示した。
あいつか。
タダシたちが顔を見合わせた。
もうこんな所に来るなよ。そう言っただろうが。
「分かった」
タダシは短く答えて歩き始めた。
他の二人も無言で後に続く。
「探してやろうと思う」
迷宮に入ってからタダシが口を開いた。
「地下7階の件は後回しになってしまうけど、いいかな」
「私もそのつもりでいました」
フレイが答える。
クリスナーヤも黙って頷いた。
「……この間の感じだと、地下1階の一人歩きも覚束ないだろうな」
訓練が目的なら、無理して先を急ぐ理由はないはず。
だから、案外近くにいる可能性が高い。
フレイが念のために探魂の呪文を使った。
「どうだ?」
一縷の望みをかけてみたが、フレイは首を横に振るだけだった。
「魔物しか探知できません」
「……」
地下1階の構造は幸いなことに単純だ。
行き止まりの枝道はいくつかあるけど、基本的に道なりに進めば下に降りる階段に辿り着ける仕組みになっている。
タダシたちは途中の小部屋をひとつひとつ確認しながら歩いた。
現れる魔物はクリスナーヤが見つけ次第灰にしてくれるので、タダシは何もする必要がなかった。
「ここの魔物も、初めて潜った時は強いと思ったものだがな」
タダシが呟いた。そろそろこの世界に来て一年が経つ。
「私も、最初は魔法を組み合わせないと倒すことが出来ませんでした。たった四つしか使えませんでしたから」
「皆さんが成長した証拠でしょう」
フレイが柔らかくほほえんだ。
しかし成長できるのは、駆け出しの苦しい時期を生き延びた者だけ。
中盤近くの枝道に入ってすぐに、引き返してきたパーティと出会ったので、先の小部屋の様子を訊いてみた。
「化けキツネと火を噴くコウモリが襲ってきたけど、何とかやっつけた」そうだ。
「中に誰か倒れていなかったか」
「いや、空っぽだった。今戻ってきたところだから間違いない」
「そうか、サンキュー」
フレイが剣を装備した男が腕に火傷をしているのを見つけてヒーリングしてやった。
彼らの言うことを信じて先に向かう。
「もうじき階段だな」
「地下2階まで行ったのでしょうか」
「どうだろう。あり得る気はするが……」
タダシたちは最後の枝道に入った。
小部屋が三つ連続して行き止まりに至る、このフロアの『難関』と言ってもいい。
「……」
小さな身体が、一番奥の小部屋の片隅で丸くなっていた。
ピクリとも動かない。
近付くと、足首と腕に青黒く変色した傷跡があった。
手には見覚えのあるダガーナイフが握られたままだ。
「毒……でしょうか」
クリスナーヤがうなだれた。
「ああ。相打ちみたいだな」
タダシが近くで息絶えている、まだら模様の毒ヘビを蹴飛ばした。
分かっている。
フレイが何度も探魂の呪文を使っていたから、生きていれば引っかかったはずだ。
「アホが……」
タダシが屈んで娘の青白い額に手を当てる。
命の温もりはすでになく、石壁や床の冷たさと変わらなかった。
娘の顔は穏やかで、涙が乾いた一筋の跡があった。
タダシとクリスナーヤが、同じタイミングでフレイに顔を向けた。
それに応えて、フレイが難しい顔をして娘の身体に手を伸ばして触れる。
「行けそうか?」
「……」
フレイが首を横に振った。
「どうしても無理か?」
タダシが念を押す。
「蘇生を施すには遅すぎます」
タダシは、アンデッドのボスの『核』に注ぎ込まれた蘇生のエネルギーがどれほど強烈だったか、はっきりと覚えていた。
あのエネルギーを浴びて、のんびり死んでいられるはずがない。
彩だって協力してくれるだろう。
そう思うのだが……。
「この子の霊さえ捕らえることが出来れば、生き返らせることは可能です。でも、完全に活動停止した肉体に霊を戻しても、理性を持たないゾンビのようになってしまうのです」
「なんと……」
都合良く行かぬものである。
「一つだけ残された可能性は、タダシさんと同じ解脱者になることでしょうか」
フレイが顔を上げてタダシを見た。
「精神体に? ああ、肉体解脱の儀式が何とかって話を聞かせてもらった覚えがある。フレイ、やってくれ」
可能性があるならそれに賭けよう。タダシは即断した。
「分かりました」
フレイが頷いて、ハンナの杖をアンテナみたいにかざした。
「霊を捕捉します」
「……」
フレイが真剣そのものなので、タダシもクリスナーヤも固唾を呑んで見守るしかなかった。
(何をしているんだろ)
(霊が持つ波長を探しているんだよ。受け売りだけど)
(ほほう……)
ラジオのつまみを合わせるようなものかな。タダシは想像した。
「見つけました」
かなり経ってから、フレイが一つの方角に杖頭を向けて固定した。
額にうっすらと汗をかいている。
これは期待していいのだろうか。タダシがフレイの動きを見つめた。
「ナーヤ、マナ雲をお願いしていいですか」
「もちろんです」
すぐにクリスナーヤがフレイを中心にマナ雲を浮かべた。
するとタダシの目にも、マナが煙がたなびくようにハンナの杖の宝玉に吸い寄せられる様子が見えるようになった。
「マナは弱った霊に元気を与えてくれます」
「なるほど……」
「散。招魂」
フレイが長い詠唱に入った。
語尾を伸ばした特徴的な韻律だけが、静まり返った部屋に流れる。
巫女装束のフレイには威厳すら漂っていて、絵になる眺めだった。
(なあ、どうして俺はあいつを助けようとしてるんだろうな。これで2回目だ)
(好みなんじゃないの)
あっさり言ってくれるが、それはない。
あいつは本気で斬りかかってきたし、最後まで自分を敵視していた。
(分からんな。もうどうなろうと関係ないはずだがなぁ)
(じゃあ、そういう巡り合わせなんだよ。ナーヤやフレイみたいに)
(だってあいつ、特に見所はなかったぞ?)
(磨けば光る原石かもよ?)
(そうかなぁ。お前の目から見て、どうだ?)
(んー、どうなんだろね)
結局、彩もよく分かっていないのだった。
フレイの詠唱が終わった。
マナ雲からたなびく流れに変化はなく、見ている限りでは上手く行っているのかどうか判断がつかない。
フレイはあいつの霊を見つけたと言った。だからきっと大丈夫だ。
タダシはそう信じて待った。
「……」
誰も言葉を発しない。
時間だけが過ぎていく。
ハンナの杖の宝玉が、下から見上げると目玉のように見えてちょっと不気味だった。
「集。招魂」
やがて、フレイが顔をあげて中空の一点を見つめた。
タダシはマナの流れが揺らいで、宝玉を中心にリング状にもやが広がるのを見た。
魔術の心得がないタダシに、その意味するところは分からない。
でも、隣で大魔道士の卵が安堵の表情を浮かべている。だからきっと成功したんだろう。
タダシの視線に気付いたクリスナーヤが頷いてみせた。
ようやくタダシの表情が和らぐ。
「さあ、ガルムンドに戻りましょう。タダシさん、お手数ですけどこの子の身体を運んで下さい」
フレイが立ち上がった。
何やら急いでいる様子だ。
「ん、終わったんじゃないのか?」
すぐにも復活した娘が現れるものと期待していたタダシが、面食らった顔をした。
「いえいえ、本番はこれからです。解脱の術を寺院で執り行わねばなりません」
今の『招魂』は、娘の霊が拡散してしまわないうちに捉えるところまで。
その先は、浮遊霊が入り込めない結界の中で行う必要があるそうだ。
「浮遊霊とやらがいると、どんな不都合があるんだ?」
「邪魔をしてくるんです。あの子とうり二つの魔物出現、なんて嫌ですよね」
「うへ、そんな事になるのかよ」
タダシが驚く。
ちなみに蘇生が可能なのは、肉体と霊をつなぐ『命の糸』が切れるまでらしかった。
「はい、霊なんて至る所に漂っていますから。ほとんどは魔物や動物の霊ですが」
「そいつらが隙を見て復活にあずかろうとするわけか」
「正解です」
それは確かに嫌すぎる。
タダシは言われるままに娘の亡骸を背負った。
「じゃあ、急いで帰ろうか」
ずいぶん軽いんだな。タダシは心の中で呟いた。
人は死ぬ瞬間に何グラムだか軽くなるそうだが、自分の場合はどうなんだろう。
やっぱり元の世界に自分の墓があったりするのだろうか。いや、吹っ飛んでいった肉体の行き先が元の世界とは限らないし、行方不明者扱いではないか。
タダシは早足で街道を歩きながら、そんな事を考えていた。
「おう、見つけてくれたか。ありがとよ」
ガルムンドに戻ると、さびしそうな顔をした髭の衛兵が迎えてくれた。
「すばしこそうな奴だったから、上手いこと生き延びてるんじゃないかと期待したんだが……ま、そういう運命だったんだろう」と、武骨な手でタダシに背負われた娘の頭を撫でる。
それから門の裏に見える白い建物を指して「あそこに運んでくれ」と言った。
「後はこっちでやるからそのまま帰っていいぜ。埋葬の日取りが決まったら、お前たちにも知らせて……」
「いや、こいつは寺院に連れて行く」
タダシが髭の衛兵の言葉を遮った。
「……もう冷たいが? 嬢ちゃん、出来るのかい?」
髭の衛兵がフレイを振り返る。
蘇生するには手遅れだと分かっている口ぶりだった。
きっと、これまでに何度も『無言の帰還』に立ち会ってきたのだろう。
「ええ、解脱の術を執り行います。この子の霊はここに」
フレイがハンナの杖を掲げて見せた。
「そっか。嬢ちゃんがそう言うならしくじるはずがねぇな!」
髭の衛兵がニカッと笑った。
そして寺院。
白い床に描かれた魔法陣が明滅を繰り返していた。
魔法陣の4方向の角にプリーストが一人ずつ立って、低い声で絶え間なく詠唱を続けている。
彼らの役割は結界を守ること。
それぞれの方角を照らす法灯が煌々と輝いており、窓のない部屋にもかかわらず室内はまぶしいほどの明るさだった。
娘の亡骸は魔法陣の中心に横たえられられている。
その脇でハンナの杖を手にしたフレイが、他の4人とは異なる韻律の呪文を詠唱していた。
呪文というよりも、古い子守唄を思わせるような独特の響きだ。
結界を守るプリーストの声に、時折フレイの声が重なって不思議なハーモニーを奏でる。
それぞれの呪文は互いに独立しているようでいて一定周期の波を持っており、波長が一致する瞬間に魔法陣が力を得て輝くのだった。
タダシとクリスナーヤは魔法陣から遠く、扉の近くに並んで立って見守っていた。
時間の経過と共に魔法陣はますます輝きを増し、魔力のないタダシですら息苦しさを感じるほどになった。
エネルギーが蓄積されていることがはっきりと分かる。
そしてそれが最高潮に達した時。
「お……」
タダシが思わず声を上げそうになった。
娘の亡骸が音もなく消滅したのである。
アンデッドの最期みたいに崩壊して塵となったわけでも、転移に失敗したタダシの肉体みたいに吹っ飛んで行ったわけでもない。
忽然と目の前から消え去ったのだった。
フレイもプリーストたちも慌てる様子がないから、きっと予定通りなのだろう。
(不思議なものだな……)
(あたしも、この目で見たのは初めてだよ)
(お前でもそうなのか)
(こういうのって、普通は立ち会わせてくれないよ?)
(ああ、何となく分かる)
タダシは大きく息を吸って気持ちを落ち着かせた。
「生きなさい」
フレイが亡骸があった場所に向かって、ハンナの杖を差し伸べた。
あの宝玉の中に、娘の霊が捉えられているはず。
しばらくすると、何もない空間に人の気配が現れた。
「あなたの名は」
「ナギ……」
フレイが問うと、空中から細い声が答えた。
ああ、あいつの声だ。間違いない。タダシはすぐに気がついた。
それから、おぼろげに娘の身体の輪郭が見え始めた。
タダシもよく知っている、半透明の精神体である。
それを合図に、結界を守っていたプリーストたちがフレイの詠唱に合流した。
魔法陣が徐々に『冷えて』いく。
そこまで見届けて、タダシは部屋の外に出た。
再生したての精神体が服を着ているはずもなく、一応は気をきかせたつもりである。
「どうなった?」
「完全に再生するにはしばらくかかります。今日はこのまま寺院で休ませましょう」
出てきたフレイをつかまえて訊ねると、さすがに疲れた様子だった。
「で、タダシさん」
「ん?」
「あの子……ナギちゃんをどうするつもりですか?」
「ああ……」
タダシは復活させた先の事まで考えていなかった。
「困ったな」
「やっぱり」
フレイがクスリと笑う。
「そうだなぁ……大人しく里に戻って無茶せず暮らせ、とでも伝えてくれるか」
「分かりました。でも、素直に言うことを聞くと思います?」
「いや……」
そいつは無理だろう。
あいつは間違いなく『思い込んだら一直線』タイプだ。
自分で言っておいて何だが、先の展開が読めてしまうのも困りものである。
「そ、その時はその時で考えるさ。ははは」
吉と出るか、凶と出るか。
タダシの笑いは引き攣っていた。