気がつくと鬱蒼とした森の中に立っていた。
周囲には腐った柱や崩れた壁の残骸が散乱しており、かつてそこに建造物があったことを示していた。
さほど大きな建物ではなく、
どんな仕掛けなのか知らないが、謎の剣が刺さっていた場所の近くにあった魔法陣を通って転移してきたのだった。
彼女が言うには、一方通行の魔法陣だそうだ。
時が流れる速さが異なるせいで、こっちの魔法陣は消滅しているが、あちら側はまだ活きているらしい。
(この荒れようじゃ、こっちの世界は1000年くらい経っているようね)
「1000年か。さっぱり実感が湧かないや」
(時の流れなんて、どこかを基準にした相対的なものでしょ。つまり二つの地点の……)
「う~ん……」
彼女には悪いけど、タダシは魔法陣の理論なんてまるで理解できなかったので、気にしないことにした。
忌まわしい岩の荒れ野から脱出できた。その事実だけで充分である。
長剣彩空またの名を流星剣。1000年の昔、謎の剣はそう呼ばれていたらしい。
「彩……さい……名前っぽくないな。あや。それでどうかな?」
(いいんじゃない? あたしは構わないわよ)
同意が得られたので、以後タダシは彼女を『
長き眠りから覚めた彩は、住まいを岩の荒れ野からタダシの心の中に移した形だ。
互いに精神体なので剣そのものを持ち歩く必要はなく、タダシが念じれば実体化する。
とても便利だった。
何と言っても、盗まれたり奪われたりする心配がない。
(東の山麓に大きな町があるはずよ。昔と同じなら冒険者ギルドもあるわ)
彩が直接心の中に話しかけてくる。
自分の中に誰かがいる不思議な感覚に違和感はあったが、じきに慣れるだろう。
「かなり遠いなぁ」
山の輪郭が青っぽくかすんで見えた。それだけ距離があると言うことだ。
(走って半日もかからないわ。すぐでしょ)
「そうだな」
走って半日だなんて、以前の感覚なら「ふざけるんじゃねぇ」だ。
当たり前に「そうだな」などと返せるとは、タダシの適応性もかなりのものである。
「よし、ひとっ走りするか」
タダシは走り始めた。
軽快なフットワークで倒木や絡み合うツタを避けつつ、ぶっ続けで走っても疲れることがない。
「ふんふふ~ん」
精神体ってなんて快適なんだ。スーパーマンになった気分で鼻歌も出るというものだ。
「ねえ、さっき言ってた冒険者ギルドって?」
(王国公認の認定機関よ。冒険者レベルが上がると、より実入りのいい仕事を紹介してもらえるわ。だって、お金がないと宿に泊まることも出来ないでしょ)
「なるほど、生活基盤ってことか」
タダシは納得した。
確かに、金を稼ぐことは冒険の目的のひとつに違いない。
がっぽり稼いでお城みたいな豪邸に暮らす。毎日うまいものを食う。失業者だった頃には夢のまた夢だった生活も、ここでは不可能じゃないのだ。長剣彩空(あや)が一緒ならば、充分に射程範囲に思えた。
俺、転送実験失敗で運が向いてきたんじゃね?
夢が広がるタダシであった。
(はい、ストップ)
彩から声がかかったのは、一気に駆け抜けてやろうとスピードアップして間もなくだった。
「どうしたの?」
言われるままに足を止めるタダシ。
あれだけ走ったにもかかわらず、呼吸一つ乱していない。
(来るわよ)
「何が?」
(魔物。この辺のボス格かもしれないわ)
「うぇぇ……そっか、そういう世界なんだ」
(油断しないで)
敵はどこだ。
辺りを覗うが、密生した木々に視界を遮られて姿は見えない。
しかし彩が言うとおり、背筋がざわつくような凶暴な気配が感じられた。
(タダシ、上!)
「ひぇっ!?」
頭上の枝がざわめき、大量の木の葉と一緒にそいつは襲いかかってきた。
ズン。着地の衝撃に地面が震える。
体高だけでもタダシの倍はありそうな、豹に似た魔物だった。
タダシを食い物としか見ていない硬質な
「や、やべぇっ」
タダシは飛びすさり、本能的に頭をガードしてしゃがみ込んだ。
こんな強そうなやつをどうしろと言うのか。
絶対に勝てない。タダシは確信した。
地響きするような咆哮とともにそいつが跳躍した。
魔物は待ってなんかくれないのだ。
「うひぃっ」
身を起こす暇もなく、横に転がって身をかわす。
タダシの目の前を、ビール瓶ほどもある牙が生えた巨大な頭部がよぎった。
何とか噛み付かれずに済んだけど……
どうする、どうすればいい?
俺はここで死ぬのか? 毎日うまいものを食うはずじゃなかったのか?
いや、精神体なんだから死なないのかもしれない。
でももし、こいつに食われてしまったら?
ウンコになって復活なんて嫌だ。嫌すぎる。
恐怖で身体が動かないくせに、しょうもない考えが浮かぶ。
(馬っ鹿じゃないの、何やってるのよ!)
彩に怒られた。
(早く剣を抜いて!)
「え、ええっ?」
(剣を握る形に手をかざすの!)
そうだ。そうだった。
念じれば彩が実体化するんだった。
攻撃を外された魔物が不機嫌そうに唸った。
そしてでかい図体に似合わぬ俊敏さで薙ぎ払いに来る。
「うおおっ! 彩、頼むっ!」
(戦うのはあなたでしょうがっ!)
突き出した右手の先に長剣彩空が出現した。まるで魔法だ。
「おぉ……」
惚れ惚れするような美しいシルエットだった。
タダシの怯んだ心に灯がともる。こいつと一緒なら負ける気がしない。
よし、行ける。
「このバケモノがっ!」
タダシはカウンター気味に剣を振り抜いた。
刀身が放つ光が残光となって尾を引く。
またの名を流星剣。タダシは彩がそう名乗った理由が分かった気がした。
グォォォォ!
確かな小気味よい手応え。
魔物の丸太みたいな前肢がちぎれて鮮血が吹き出すのが見えた。
予想もしない反撃に魔物が激怒する。
ぶっ殺してやる。もしそいつがしゃべれたなら、そう叫んだに違いなかった。
手負いとなった魔物はしぶとかった。
脚を切り落とされ、血だるまとなってもなお向かってくるのだ。
生命よりも食欲が優先する思考回路になっているとしか思えなかった。
タダシもまた無傷では済まなかった。
片耳を食いちぎられ、脇腹がえぐれている。
生身の身体だったら、とっくにショック症状にやられていただろう。
精神体だからこそ動けるのだ。
(タダシ、心臓を狙って)
彩がささやいた。
「分かった。どの辺りかな?」
(前肢の間よ)
「よし……」
タダシは彩を構えて間合いを詰めた。
攻撃を外したふりをして、魔物の動きを誘う。
ガウッ!
前肢を使えない魔物は、噛み付くしか攻撃手段がなかった。
「もらった!」
タダシは飛びかかってきた巨体をいなし、自ら仰向けに倒れると同時に、前肢の間を狙って彩を突き出した。
長剣が深々と魔物を貫き、切っ先が背中に抜ける。
魔物は惰性でタダシの身体を飛び越え、そのまま地面に這いつくばった。
声もなく四肢をピクピク痙攣させ、やがて舌をだらりと垂らして動かなくなる。
即死だった。
(一時はどうなるかと思ったけど、まあ及第点ね。よく出来ました)
彩が「やれやれ」といった様子で呟いた。
「ふう……何とか。初戦で死亡なんて、俺らしすぎて笑いも出ないからなぁ」
タダシが汗を拭う動作をしてから、全く汗をかいていないことに気付いて、きまり悪そうに笑った。
(怪我、大丈夫?)
「あ、ああ。見た目ほど痛くないんだ。普通に動けるし」
タダシの身体のダメージを受けた部分が半透明になっていた。
ジワジワと欠けた耳が再生されていく。
岩の荒れ野で最初に身体が復活した時と同じ感覚だった。
「こいつの毛皮、高く売れないかな」
タダシが仕留めた魔物の毛皮に目をつけた。独特の模様が美しく、物好きが欲しがりそうな気がしたのだ。
彩も、昔はキャスター系向けに毛皮の鎧が流通していたと証言したので、剥いでおくことにした。
初の戦利品である。
(まさか皮剥ぎに使われるとは思わなかったわ。町に着いたら、ちゃんと短剣を買ってよね)
彩は不満そうだったが気にしない。
「こいつが売れないと短剣どころか野宿だよ。俺は文無しなんだから」
タダシが涼しい顔で言った。
そんなわけで、タダシが古都ガルムンドにたどり着いたのは日暮れ時だった。
「ギルド証も王国の通行証もねぇだと? どっから来やがった?」
タダシを出迎えたのは、髭面の屈強な衛兵だった。
これだけ大きな町になると、当然出入りは厳しくチェックされることになる。
他国のスパイ、お尋ね者、夜盗の類い。好ましからざる訪問者はみんな、ここで追い返されるのだ。
タダシは、はるか遠くの集落から毛皮を売りに来たのだと言い張った。
「ほほう、グレートパンサーの毛皮か。しかも金毛と来りゃあすぐに買い取ってもらえるだろうよ」
衛兵はタダシが抱えた毛皮を一瞥した。
あの魔物はグレートパンサーと言うのか。確かにでかかった。
「いくらで仕入れた?」
衛兵はタダシを転売屋だと思ったらしい。
「え、俺が戦って倒したんだけど……」
「はっはっはっ、面白いことを言いやがる。お前、武器も持ってないだろうが。そいつぁ最低でもDランク以上の剣士を加えたパーティで挑まないと返り討ちに遭う魔物だぜ」
「そう言われてもなぁ……」
彩は心の中に引っ込んだまま何も言ってくれないし。
「まあいいさ、お前がこの町で問題さえ起こさなけりゃ、どうだっていいんだ。悪党は俺の目をごまかせねぇが、お前はそうじゃなさそうだ。だが、念のために改めさせてもらうぜ」
衛兵はタダシの身体中を撫で回し、ポケットまで裏返して、武器はおろか1ゴールドすら持っていないと分かると、大笑いするのだった。
「なるほどな、そいつを売らねぇと飯も食えないってか」
「あ、ああ。その通りなんだ。頼むよ」
「いいだろう、入れてやる。買い叩かれたくなけりゃ、ザックじいさんの店に行きな。そこをまっすぐ進んで酒場の3軒隣だ。くれぐれも問題を起こすんじゃねぇぞ」
髭の衛兵は強面に似合わずいい奴みたいだった。
(町並みは変わったけど、雰囲気は当時のままだわ)
晴れて古都ガルムンドの門をくぐる。
「昔から大きな町だったの?」
(そうよ。この地方の中心都市。あの頃から古都と呼ばれていたわ)
彩が感慨深げに答えた。
ならば、冒険者としてこの世界でやっていくために必要な基本を身につけるのに丁度よさそうだ。
しばらくはここに腰を据えるか。タダシはそう考えた。
毛皮は1200ゴールドで売れた。
もちろん衛兵が言っていたザックじいさんの店である。
それが高いのか安いのかタダシには知るよしもないが、彩によると贅沢せずにひと月過ごせる程度の金額だそうだ。
何にせよ、野宿することなく宿の一室を確保出来たのはありがたかった。
「ははは、さすがに一番安い部屋だけのことはある」
ベッドと古机と丸椅子一脚とくすんだランプの他は何もない、殺風景な部屋だった。
湯を沸かす道具すらなく、必要なら自分で持ち込むか別に金を払って借りるシステムなのだろう。
取りあえずタダシは食事の必要がないので、大人しくしている分には宿代以外に金はかからない。
「あとは冒険者ギルドか。簡単に加入させてもらえるのかな」
(どうだったかしら。かなりアバウトだった気がするけど。マスターによると思うわ)
自由に町に出入りするために、是非ともギルド証は手に入れておきたいところだった。
物わかりのいい衛兵に当たるとは限らないのである。
「ま、日も暮れたし明日だね」
ガタピシ音を立てる窓を開けて外を覗くと、近くに酒場の入り口が見えた。
石畳の通りを、金属鎧に身を固めた戦士が歩いていく。
ベンチの上では、背中にトンボみたいな羽を生やした妖精族の娘が、竪琴を手に綺麗な声で歌っていた。
「本当に異世界の住人になったんだなぁ……」
タダシが感慨深げに呟いた。
ゲームの画面で見た世界そのままの景色が、ここガルムンドの日常なのだ。
(あ、もしかして元の世界に戻りたいとか思ってる?)
「いいや」
タダシが首を横に振る。
「俺、こっちの世界で頑張るって決めたんだ」
(そっか。よろしい)
彩が嬉しそうに言ってそのまま静かになった。剣のくせに眠ってしまったらしい。
俺も休んでおくかな。
タダシはランプの灯を消して横になった。
2016/10/12 ルビ編集