「いてっ。また囓りやがった」
クンベの迷宮地下3階に降りたタダシは、カンガルーみたいな動きをするトカゲの群れを相手に手こずっていた。
単体の敵は何とかなる自信があったが、質よりも量で襲いかかってくるタイプの相手とは大変に相性が悪い。
時間さえかければやっつけることは出来るだろう。しかし引っかかれたり噛み付かれたりで、身体のあちこちがダメージを受けて半透明状態になっていた。
(剣を振る瞬間に気を集中させるの。どうして分からないかなぁ)
「仕方ないだろ、『気』なんて使ったことないんだから。いててっ」
タダシも対集団スキルを習得しないことには、この先厳しいことは自覚していた。
(もう一回。ほら、来るわよ)
「くそ、このトカゲがっ」
(あっ、また。一匹だけ倒したって意味ないって言ってるでしょ)
さっきから彩に怒られっぱなしである。
「お前の方で勝手に衝撃波とやらを発動してくれたら早いんじゃないのかっ」
(あのねえ、タダシの側にトリガーがないとあたしのスキルとリンクできないの。何度も言わせないで)
「そこを何とか。とりゃっ! あうっ、また引っかかれた」
(駄目。やり直し!)
「うう、お前は鬼かっ」
そういうわけで、彩に尻を叩かれながらの特訓中なのだった。
(ちょっと上の階に行こっか)
「はい……」
一旦敵前逃亡して2階に上がる。
そして何度目かの彩先生の理論講座だ。
気を集中させるタイミングとコツについて。
複数のターゲットを効果範囲に誘導する位置取りについて。
みっちりと仕込まれる。
(タダシはマナ量はそこそこあるわけ。だから出来るはずなの)
「そう言われてもなぁ」
頭では分かっても、発動するイメージがつかめないので手探り状態だった。
(分かったかな? じゃ、また下に行って挑戦ね)
「うう……」
「おっ、何だ今の」
数十回を超える試行の末、刃先からエネルギーが飛んで、剣の軌跡の延長線上にいる魔物をボーリングのピンみたいになぎ倒した。
しかし魔物にダメージを与えるには至らず、トカゲどもはすぐに起き上がって向かってくる。
(そうそう。今の感じ)
「あまり効果がないが? 面白いけど」
(完全に発動したら、ひと振りで敵をまとめて粉砕出来るわよ)
「マジか」
気をよくしてコツを忘れないうちにと繰り返すうちに、発動に成功することが多くなっていく。比例して威力も上がってきた。
(よしよし。タダシはやれば出来る子なんだから)
その日初めて彩先生に褒められた。
彩の言う初歩の衝撃波スキルとは、いわゆるカマイタチだった。直接当たらなくても、刃先から放たれたエネルギーが敵を切り裂くのである。
「おりゃあっ!」
最初はひっくり返るだけだったトカゲも、剣のひと振りで数匹同時に致命傷を負わされるに至って、じりじり後退をはじめた。
「これ、すごいな。だけど何と言えばいいんだろう……すごく疲れる。肉体的にじゃなくて、精神的に」
タダシが目頭を押さえて頭を振った。
(それは、発動にマナを使うから。だから調子に乗って連発していると、動けなくなっちゃうわよ)
「なるほど。マナ切れを気にするのはキャスター系だけかと思っていたが……」
タダシは数匹残ったトカゲどもを通常攻撃で始末すると、壁にもたれてしゃがみ込んだ。
マナ切れなんて初めて経験したが、結構きつい。
ともすれば意識を吸い込まれて眠ってしまいそうになる。
(慣れたら同じスキルでも少しのマナで発動するようになるし、呼吸法でマナを素早く回復させることも出来るわ)
「じゃあ、訓練次第ですぐにヘロヘロにならずに済むんだな?」
(もちろん)
今度、購買のフレド爺さんに頼んで呼吸法を教えてもらおう。あの人、現役時代はハイレベルの魔道士だったらしいし。
タダシは深呼吸しながら、気力の回復を待った。
「今日は無理だな。せめて階段周辺の地形を把握してから戻るとするか」
しばらくすると立ち上がれるようにはなったものの、気だるさが抜けなかった。
マナは空っぽになるまで使い切ってしまうと、思ったより回復に時間がかかるようだ。
トカゲに噛み付かれたり引っかかれたりしてまだらに半透明になった身体も、いつもより治りが遅い。
これもマナ残量に関係しているのだろう。
マナは空にしてはいけない。今後は気をつけるとしよう。
探索してみたところ、地下3階は階段を中心に回廊状の構造になっていた。
回廊から枝分かれした通路の先に小部屋が配置されていて、魔物どもが歓迎してくれるという寸法だ。
タダシはそれぞれの小部屋の内部に、複数の魔物が潜んでいる気配を感じ取った。
本調子ではないので踏み込むことはやめておいたが、酒場や朝練で仕入れた情報ではこの階層は単体レベルでは脅威と言うほどでもない魔物が群れているそうだ。『量』を恃んで襲いかかってこられると、なかなかに厄介であることは経験した通りである。
「一部屋ずつ、マナを回復しながら地道に掃除していくほかなさそうだな」
(そうね、今のところそれがベストかしら)
彩も同意した。
「んじゃ、明日からだ。今日の所は戻って回復に専念しよう」
2階に上がる階段に向かって通路を歩いていくと、回廊の先が騒がしかった。
多数の魔物の騒ぐ声が重なって壁に反響している。
少し前にここを通って奥に向かった際は異常はなかったはずだが。
「他のパーティが戦ってるのかもしれんな」
(そうかもね)
「なあ。後学のために見学させてもらえると思うか?」
タダシが思いつきを口にした。
(いいんじゃない? 敵対の意思がないことを明確にしておきさえすれば)
「ああ、もちろんだ。行ってみよう」
タダシは音が聞こえてくる方向に向かった。
「あれ、ヤバいんじゃないか?」
戦っているのはパーティではなかった。
正確には、誰も戦っていなかった。
回廊の柱に登った一人の冒険者を、口裂け犬みたいな魔物の群れが取り囲んで吠えかかっているのだった。
魔物どもは土佐犬を思わせる堂々たる体格で結構強そうだ。数えると8匹もいる。他に倒れて動かないのが1匹。
柱に登っているのはエルフ族の娘だった。ちょっと見には17、8才くらいか。腰まで届く、流れるような銀髪が美しい。装備から推測するに魔道士と思われた。
娘はこんな状況にあって特に怖がるわけでも泣き出すわけでもなく、困ったような顔をして柱にしがみついて口裂け犬どもを見下ろしていた。
タダシは音を立てないように摺り足で近づいた。
(どういう状況なんだ?)
(1匹やっつけて力尽きたとか。でも元気そうだよね)
娘がタダシに気付いて顔を向けたので、タダシは身振りで加勢が必要か訊ねた。
声を出すと犬どものターゲットがタダシに切り替わるだろうことは見えているから、迂闊なことは出来ない。
しかし娘はちょっと首をかしげただけでリアクションを返さなかった。
たまに何か詠唱してミニチュア版の竜巻を発生させたり、先日タダシが洞窟で見たような火球を投げたりして犬どもを慌てさせていたが、倒すには至らなかった。
しばらく様子を見ていたものの状況は変わらない。
娘はそのうち口裂け犬どもが諦めて去ってくれるのを期待しているのかもしれないが、そいつらが簡単に諦めてくれるとも思えなかった。
(なあ、困ってるのは確かだよな?)
タダシとしては、少なくともこのまま立ち去るなんて判断はあり得ない状況だ。
(うん。あたしもそう思う)
(じゃあ助けるぞ。いいよな?)
(もちろん)
タダシは体力的には問題なかった。怪我ももう大丈夫だ。
ただ、覚えたての衝撃波は1回しか使えそうもない。
どのタイミングで使うか……。
(あたしは、最初の一撃で倒せるだけ倒すしかないと思う)
タダシが頷く。全く同じ考えだった。
敵が柱の下に固まっている今がチャンスだ。
(頼むぞ、彩。俺も全力で行く)
(はいよ!)
タダシは深く息を吸った。
少し吐いて息を止め、気合いをためる。
もう一度。さらにもう一度。
その度に、長剣彩空の刀身の輝きが増した。
「うおおおおおっ!」
タダシが床を蹴って飛び出した。
口裂け犬どもがタダシに気付いて向き直ろうとするその瞬間。
タダシの渾身の横薙ぎが空気を切り裂いた。
流星の軌跡の外側にもう一つの光るものが現れ、剃刀の華となって魔物どもに襲いかかる。
避ける暇なんかあろう筈もない。
ギャン! 断末魔の悲鳴を上げることが出来た魔物はまだ良かった。
大部分は何が起こったのかさえ分からなかっただろう。
血煙が視界を赤く染め、首が、胴体が、手足が、何だか分からない肉塊の一部が、てんでにきりきり舞いしながら床に撒き散らされる。
衝撃波の直撃を受けた魔物は、まるで身体が爆発したかの如き有様だった。
(タダシ、まだよ! 2匹残ってるわ!)
マナ切れで一瞬目の前が暗くなり、タダシの身体がぐらりと傾いた。
彩の言葉で我に返る。
何、まだ残りがいるだと? 運良く衝撃波の射程外にいた奴か?
お寝んねしている場合じゃない。
「ぬおおっ!」
脚を踏ん張って身体を支え、その目は討ち漏らした2匹を探した。
そして次に捉えたのは、右と左から同時に飛びかかってくるどう猛な魔物の
エルフ族の娘が何か叫んだが、タダシは聞き取れなかった。
反射的に彩を振り下ろす。これで右から来たやつは真っ二つだ。ざまあみろ。
左から来たやつには腕を食らわせてやった。
「このバケモノがっ!」
鋭い痛みが、途切れかけていた意識に活を入れてくれたのが良かった。
彩を逆手に持ち直して最後の一匹の首を斬り落とす。
固い頸椎の骨がゴリッと音を立てて分断される確かな手応え。
胴体を失い、左腕に噛み付いたまま未練たらしくぶら下がった頭部が、ボトリと落ちて転がった。
格好良く魔物を殲滅したまではいいが、マナがすっからかんのタダシは限界を超えていた。
半分意識が飛んだままエルフ族の娘に支えられて2階への階段を上ったところで、視界が暗転してしまう。
そして目が覚めると、階段脇の小部屋に寝かされていた。
「よく寝たわね」
「お?」
「復活した?」
視線の先に
頭の周りが何だか柔らかくて気持ちいい。
「おお……」
タダシは彩に膝枕してもらっていることに気がついた。
「そっか、俺はあのまま眠ってしまったのか」
別の気配を感じて横を向くと、エルフ族の娘が行儀良く座っていた。
「助けていただいて、ありがとうございました」
ちょっとハスキーな声で礼を言って丁寧に頭を下げる。
素晴らしい美少女だった。整った細面の顔、長い耳、透き通るような色白の肌。エルフ族の美的特徴を余すところなく備えていた。
美少女、そして膝枕。全てが報われた気がするタダシであった。
「こっちこそ手間をかけて面目ない」
まさか気を失うとは。タダシが照れくさそうに笑った。
「ところで、いつまでそうしているつもり?」
気持ちいいのでそのまま横になっていると、彩にどつかれた。
「いいじゃないかよぅ」
渋々身を起こすと同時に彩が心の中に戻って来る。
「不思議なお方。まるで精霊様のよう」
エルフ族の娘は
彩の事だし現れる時もいきなりだったはずだから、今更驚かないのかもしれない。
「あいつは俺の相棒なんだ」
それからタダシは、口裂け犬に噛み付かれたことを思い出して左腕を調べてみた。
牙が骨まで達した気がしたが、綺麗さっぱり元に戻っている。
やはり精神体は便利だ。
マナも大分回復したように思えた。
タダシが美少女と連れ立ってガルムンドに戻ったのは、日が暮れて足元が覚束なくなる時間帯だった。
わざわざ別々に戻る理由もなかったので、一緒に歩いてきたのである。
「お、帰ったか。遅いから、もしやと思っちまったじゃねぇか」
髭の衛兵が『にっ』と笑って迎えてくれた。
「これで迷宮に出かけた奴は全部戻ったな。いつもこうだといいんだが」
それからエルフ族の娘が通行証を見せようとするのをとどめて、「そいつは確認済みだから構わねぇ。とっとと入んな」と二人を門の中に招き入れた。
通行証……。ってことはギルドメンバーじゃないのか。
タダシは意外に思ったが、詮索する事でもないので黙っていた。
ギルドに入る、入らないはそれぞれの自由だ。
弱いうちは入っておいた方が何かと便利には違いないのだが。
門をくぐると、すすで顔を黒くした小姓が街路灯に火を灯して回っていた。
「本当に助かりました。ありがとうございました」
「そんなにかしこまらなくてもいいって」
エルフ族の娘はもう一度お辞儀をして、水門にかかる橋の下に降りて行った。
名前くらい聞いておけば良かったかな。すごい美少女だったし。
タダシはしばらく立ち止まって後ろ姿を眺めていたが、やがて踵を返して宿に向かった。
運が良ければ、また話をする機会くらいあるだろう。
(いいの? 折角だから食事くらい誘えば良かったのに)
何故か彩が不満そうだった。
「誘ったところで断られる確率の方が高かったと思うぞ。あれ、待てよ? どうして橋の下なんだ?」
タダシは数歩進んでから、ふと疑問を感じて足を止めた。
「あっちって、何かあったっけ?」
(さあ……川と水門くらいじゃない?)
「ってことは、もしかして野宿か!?」
それは良くない。タダシは回れ右して美少女を追いかけた。
「おーい!」
タダシの勘は当たっていた。
「宿に泊まるゴールドがないのです。ここも悪くないですよ? 星が綺麗ですし、水浴びし放題ですし」
エルフ族の娘は、タダシが何を問題にしているのか理解できない様子だった。
「でも日が暮れると真っ暗だぞ?」
「大丈夫です」
エルフ族の娘はそう言って、小さな火球を3つばかり身体の周りに浮かべて見せるのだった。
確かに明るくはなる。
「食事にも読書にも困りません」
「だ、だって危ないだろ?」
「ならず者さんたちの心配でしたら大丈夫です。侵入できないように魔法シールドを張る事が出来ますので」
「へぇ……便利だな。いやいや、そうじゃなくてさ」
タダシの方が言いくるめられてしまいそうな流れだった。
気を引き締めて「宿代くらい立て替えてやるから」と説得してみる。
先日の豚の魔物狩りでかなり潤ったおかげで、そのくらいなら余裕だ。
「そこまでお世話になるわけには……」
エルフ族の娘は辞退したが、タダシは食い下がった。
だって、このまま諦めて宿に戻っても寝覚めが悪いではないか。
彩も心の中で「もっと押せ」とうるさいし。
熱意が通じたのか、やがてエルフ族の娘も「収入を得たら必ずお返ししますので」と応じた。
野外生活に格別のこだわりがあるわけではなさそうで良かった。
「ああ、それで構わない」
タダシは心の中でほっと息をついた。
今日は色々と疲れた気がする。
クリスナーヤ。
エルフ族の娘はそう名乗った。
(あの娘、すごいマナ量だったわよ)
部屋に戻るなり彩が言った。珍しく興奮気味だ。
「そんなに?」
(ええ。このあたしがこれまで出会った中でもトップクラス)
「へぇ……と言っても、どうすごいのかイメージが湧かないけど」
(そうね、タダシのマナ量をコップ1杯とすると、バケツ100杯以上)
「な、なんかえらい差だな……」
(でしょ。上位ランクの魔道士だってバケツ2、3杯がいいところなのに)
ならば、どうして彼女は口裂け犬どもから逃げていたのだろう。
タダシは単純な疑問を覚えた。
(呪文をまだ習得できていないだけじゃないのかな)
「そういうものか」
(タダシだって、昨日まで単体相手の戦いしか出来なかったでしょ。魔道士も同じ。いくら才能があっても知らない呪文は使えないわ。宿代すら持っていないくらいだから経験も浅いはず)
「なるほど」
(そのうち半端なく強くなるわよ。あたしが保証するわ)
「……」
彼女とパーティを組むなら、仲間として受け入れる。そう言いたいのだろうとタダシは解釈した。
彩は自分とは比べものにならないほどの経験を積んだ
才能を見抜く目も確かに違いない。
「分かった。考えておくよ」
タダシは彩の言葉を心に刻み込んだ。