1984年、学園艦の旅   作:OTK

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初めましてOTKです。
ガルパンを見ていてアンツィオなどのモデルとなった国がある学園艦は原作設定以上に観光客に人気なのでは?
と考え、構想を練りはじめました。
プロローグ部分の試作が完成したので試しに公開させてもらった次第です。




月日は千年の過客にして
目的地まで


1話改

私がこの旅を計画するに至ったのはいつ頃のだっただろうか、

確か、その5月上旬も後半に差し掛かり、いよいよ日の長さを実感するような初夏の様相を呈してきた頃である。

 

いささか季節外れであるが、とある歌詞からあえて抜き出すならば、

「まばゆい春の南風はいたずらに、

ブラウスの袖に軽くそよいで…」

…といった具合に、

普段ならば「う、ふ、ふ」と呟いてしまいたくなるような陽気だった。

 

そんな中、クーラーを付けるまでも無いものの、扇風機が欲しくなって来る陽気の中で、私が今日も今日とてモラトリアム(大学生活)の日々を過ごしていた時だっただろう。

 

その時、私は雑誌の類を読んでいて、その紙面には『空港整備法30周年』というような趣旨の文言が踊っていた事をよく覚えている。

言われてみればだが、学園艦上の空港が認可されてから30年が経つ。

雑誌によれば当初は劣悪な空港設備から当初は米海軍のA-3(核攻撃機)を改造したり、DC-3にJATO(ロケットブースター)を取り付けたりと、今思えば珍妙極まりなものばかりだったらしいが、高度経済成長期の日本に比例して学園艦そのもののサイズも大型化され、私の生まれた頃になると2500㍍級の滑走路を備える艦も珍しくなっていた。

 

そんな時だっただろうか、ふと同じ雑誌を読んでいた友人のある提案がきっかけだった。

その旅行好きの彼女は唐突に言ったのだ。

 

「こんなご時世だ、粗方の学園艦を飛行機で廻ってみるってのはどうだい?」

「交通事情から察するに8日位しかかからないだろうさ、気分はさながら八十日間世界一周(ジュール・ヴェルヌ)ってね」

 

当時の私としては唐突の誘いに動揺したことだろうが、

心の奥底では既に、久々の旅行に対する好奇心が顔を覗かせていた。

もともとこの友人とは旅行中に知り合った関係で、今までに何度か旅をした間柄である。

確かに、彼女の言った通り海外旅行はキツくとも、国内にありながら、異国情緒溢れる学園艦への旅行は懐事情の比較的厳しい学生身分にも耐えられるだろうし、何よりも楽しめるものになるだろう。

 

時は5月、航空機を利用する為に、バイトは長引く事になるだろう。しかし、8月までには確実に貯まるだろうという確証があった。

モラトリアムの日々を過ごす学生身分にこのテの問題は造作もないのである。

今思えば3カ月も先の行き先に心弾ます実に奇妙な1日だった。

 

旅行への願望に取り憑かれたバイト地獄は脱兎の如くに過ぎ去って、気がついた頃には夏の暑さも盛りとなっていた。

旅費を貯めた我々は、早速航空券を買うべく、学割片手に旅行代理店へと駆け込んだ。

完全に余談であるがこの時の感情に暑さからの逃避も含まれていた事を記しておこう。

経験上御存じの事だと思われるが、大学生の休みは極めて長い。

今回の旅行は8月上旬のの旅行ラッシュを避けて下旬から9月のシーズンオフに行く算段だ。

何しろ休みが腐るまでに長いのである。

 

最初の目的地であるが、本土との位置関係から最も近ところに位置する大洗女子学園は、県営大洗空港、奇しくもその大洗は我々の母校であったわけであった。

出発の日時は8月27日と決まることとなり、浮かれた気分で旅行準備を揃えて早数日、

今か今かと待ちに待ち、やって来たのは旅行当日の朝、丁度その日となっていた。

朝5時前、大学に入ってからも寝坊助を決して辞めない私であったが、旅行前ばかりは、まだ見ぬ旅先への好奇心からか早起きをしてしまうものだ。

早朝に起きたからには、荷物の最終確認を済ませ、米を炊く。

些か早い朝食であるものの、私は旅行前最後の日常を享受する事にした。

大学生活の乱れきった日常の中で唯一、健康的な朝が旅行前とはなんだか変な気分である。

同じ頃にアパート(我が城)へと集合した彼女曰く、

 

「大洗艦の時代遅れ加減は青春の香り」

らしいのだが、彼女ほどの旅行経験のない私はあまり実感が湧かない。

しかし、経験がないからこそまだ見ぬ旅情に思いをはせる事が出来るのだ。

こればっかりは旅行初心者の特権だろう。

 

朝食のあと濃く淹れた緑茶を飲み、これから始まる旅行という非日常に思いを馳せる。

日常と非日常の交錯するこの時、瞬間が私は堪らなく好きなのだ。

 

 

一息ついたあと、我々は最寄り駅へと徒歩で向かう。

朝の日差しは高くなく、昼の暑さを伝える程にはなっていなかった。

涼しさを感じる一刹那の中で乗った車両は早朝の爽快さを忘れる熱気で満ち溢れている。

この熱気はターミナル駅の中までも続き、そこから我々は朱色の列車へと乗り換えた。

休日明けの月曜とあって蒸し暑い車内に車内はサラリーマンがごった返す日常が広がっている。

蒲田を過ぎた辺りから少なくなる人を眺めつつ、人影疎らな車内の大多数はサラリーマン風だ。

普段をこのような大多数の中の一学生として過ごす身分としては、今この瞬間の我々二人の、どこか浮いた雰囲気の疎外感もまた、ある種の非日常であり、旅という非日常は既に始まっているとも感じられる。

 

駅からバスに乗って数分間、電車内とは打って代わってクーラーの利いた車内は極楽そのものである。

空港連絡のバスだけあって、車内は出張のサラリーマンの他に幾らかの旅行客も混じるようになっていた。

フェンス見えるヒコーキを横目ににたどり着いた羽田空港(東京国際空港)は、お盆休みや休日の盛りは過ぎたものの、サラリーマンでごった返している。

バスターミナルから歩いて数分、数年前に新設された学園艦用ターミナルに移動した頃には、サラリーマンや旅行者の波は消え失せ、ある種閑散とした雰囲気である。

新ターミナルの利用者の約半数が学生であるせいか、人もある程度疎らに散って、帰省ラッシュ一つ手前の嵐の前の静けさを感させるものだ。

 

チェックインカウンターで受付をして手荷物を預け、保安検査も済ませた我々は出発ロビーの窓近くの椅子に腰掛た。

閑散としたターミナル内とは対照的に、飛行機が所狭しと並ぶ窓の外数年前に開港した新空港(成田)のせいか、飛び立つ尾翼の色数にはやや単調さが感じられるかもしれないが、学生風情である私はそんな事を気にするつもりはない。

ただ眺めるだけでも非日常だのに口を挟む余地は存在しないのである。

単調な色数であってもこの翼たちの全てが大空へ…延いては各地へと旅立つ。

この光景だけでも我々を旅への探究心に誘うのだ。

 

やがて掲示板がカタカタと音をたて、「佐世保/サンダース」から「TDA 63便 茨城/大洗」へと変わる。

 

七色の登場ゲートから下へと降り、バスに乗って搭乗機を目指す。

見えて来た機材はやや旧式のDC-9-30-COD、空母着艦を想定して作られたコイツ(艦上型)は、学園艦空港の大型化に伴って使用通りの着艦は殆ど行われていない。

本来の使用通りの着艦をするこの大洗便は、時代遅れの非日常であるとも言えよう。

何から何まで高校時代の時のままのコイツは、ある種のノスタルジーと共に青春時代の残像をも感じさせるものだ。

 

後部の階段(エアステア)から乗り込んで、通路を通って席に向かう。当然、この一瞬に於いて壁際のホルダーに掛けられた絵葉書を忘れてはならない。

我々のような土産を重視しせず、旅の体験を重視するような貧乏な連中にとって、

搭乗する機種とエアラインが撮られたこの葉書は手頃な土産であると同時に旅の証になるのである。

後部から通路伝いに少し歩き、向かって左側の席に着席する。

シートには今となっては珍しい3点式シートベルトが鎮座している。

着艦距離を短くする必要がある学園艦仕様の旅客機で多く採用されていたらしいこのタイプも、一般の空港と遜色ない学園艦が増えた現代に於いては見る機会も確実に減っているに違いないだろう。

 

友人なんぞは私以上にこのテの事に慣れているはずだのに一人で盛り上がっている様である。

「う〜ん、コイツぁ懐かしい形状だねぇ」

「艦暮らししてた頃でさえ珍しかったのに、まだ残っているとは…」

 

確かに今となってはレトロさを感じる仕様だが、私にとっては学生時代から利用し続けたこのタイプ(3点式)は懐かしさよりも安心感を与えてくれる。

 

一息ついて見回してみると、ちらほらと空席が目立って搭乗率は50%前後に見える。

帰省シーズンを微妙に過ぎたこの時期だからか少ない気もする。

駐機場(エプロン)をトラクターで引かれて行くと、何分かぶりに、飛行機を間近に望む機会が訪れた。

スポットへと向かうジャンボの塗装は、空色に太い紺色のチートライン(ファイアーフラッシュ塗装)を施して、太い胴体を上品に引き締めている。

サンダースライン(航空)の新塗装については業界で賛否両論もあるが、これ程まで校章に合った塗装は他にない。

彼方の全長は70㍍程で、30㍍もない此方の機体と比べればクジラとイワシ程の差がある。

つくづく学校規模と旅客需要の差を思い知らされるが、マイナーな方がかえって面白いと考える程にが私は旅に毒されていた。

 

路上の作業員が手を振って送り出し、機内の後方に轟音が響き始める頃、私は本格的に機上の人になった。

離陸後少しして飛行機が安定してくると友人は寝、私は音楽を聴くなど自分の時間を満喫し始めている。

いつもの旅なら高校生の頃、小遣いで買ったウォークマン用にとダビングした大瀧詠一のA Long Vacationを旅路には何が何でも最初に聴くと相場が決めていたが、今日ばっかりは数ヶ月前に発売されたEach Timeを聴いてみることにした。

私個人としては決してミーハーな訳ではない。

最初に流れる曲の妙に長い前奏の軽快なメロディが、流れてゆく青空と絶妙にマッチしているのだ。

そもそもマッチしていると書いているが、この曲のテーマそのものが旅であるから当たり前な話である。

雲間から流れて見える海は、無条件にその曲歌詞を思い起こさせる。

「景色だけが変わり、未来は過去になる」

この歌詞が風景とオーバーラップして見えた。

私がこうしてくつろいでいても、予定されているフライト時間は案外短い。

現在、大洗女子学園は小笠原諸島の沖を航行していて、羽田からは時間にして40分と少し、具体的には雑誌(ほん)一冊分の時間だろうか…

 

サーブされたコーヒーに手をつけ、一冊分の時間の為に用意された雑誌を読むと、学園艦の特集の記事が躍っていた。

黒森峰やプラウダ、サンダースなど、名だたる(ふね)に追いやられ、ページの端の方にある大洗の項を見るに、全長は7600㍍、滑走路の全長は300㍍とある、近年少なくなっている着艦法を言わずとも示している滑走路に、青春時代を思い出す。

 

丁度、 雑誌も終盤を迎える辺りでシートベルト着用のランプが点灯し、着陸を告げるアナウンスが流れる。

薄い雲の中を下り、碧一色の海が顔を出す。輝く海のはるか遠くに臨む島とのコントラストが美しく見える。

主脚、前脚の順でギアダウンしたであろう音の次に、後方から先程よりやや軽い音で着艦フックの降りる音が響いた。

 

オタクの類でもある友人が興奮する頃、 眼下に大洗の極端に短い滑走路が全面に映る筈であるが、生憎、機内から望む事はできない。

県営大洗空港は戦後型学園艦の例に漏れず、空母でいう所の高角砲群の位置にあたるであろう、艦外周部に位置する。

前期建造艦に位置する大洗女学園は、空港拡張改装を控えてはいるが着工は来年であり、あと少しはその守旧的な姿を拝む事が可能だ。

7600㍍に達する全長に見合わない程に短い滑走路と、滑走路先端に斜めに突き出した巨大なカタパルトは、ある種のノスタルジーまでもを感じさせる形である。

それは兎も角として、通路を挟んだ右側の窓から学園艦の町並みが見え始めた頃、機体はグンと高度を下げた。

飛行甲板に並ぶその街並みは、初めて学園艦に来た幼少期の頃を思い出させる。

当初は大海に突如現れる文明圏の存在に異様さを感じていたが、今ではこのギャップを楽しむ余裕がある。

 

ドンと響く音と衝撃からして着艦フックが無事に滑走路のワイヤーを捉えたようだ。

甲板に叩きつけられる衝撃とともに、TDA63便はあまりにも短い滑走を始め、止まった。

短すぎる滑走のあと、羽田で見たよりも更にコマいトラクターが機体をへと運んで行く。

エプロン(駐機場)を見ると大洗線を独占している東亜国内航空機の他に、物資搬入用だろうか大洗の校章を纏った輸送機(ハーキュリーズ)が目につく。

スポットに到着し、エアステアから機外へと出て、暑さとエンジン音の中をターミナルビルへと歩く。

当然の事ながら、小規模の大洗空港には、バスなどという便利な物はない。

荷物を積んだトラクターを横目に私はターミナルビルへと向かう。

 

大洗女学園は現在、小笠原諸島父島沖30キロ、天気は晴天、気温28度。イヤという程の真夏を感じさせる。




次話は学園艦版アイランドホッピングとかやりたいですね(予定
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