憧れのモモン様に会いたくて会いたくて会えないイビルアイが奮闘する話
ナザリック的normalend、イビルアイ的badendのつもりです
彼女に救いは無い…でありんす?

なお、イビルアイがボコボコのボコにされる描写を含みますのでご注意ください
後書きにも3k字程おまけのSSがございます
非表示の方も是非ご覧いただければと思います

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たすけて、ももんさま

 リ・エスティーゼ王国、王都リ・エスティーゼ内の大通りに面した一角に、誰もが目を引くような立派な宿屋が佇んでいる。

 その一階部分は広い酒場兼食堂となっており、客の多くは既に朝食を済ませて出て行ったためか、残る客はただ一人。広々とした店内には厨房の奥から聞こえて来る食器を洗う音だけが響いていた。

 磨き上げられた窓ガラスから外の大通りを眺めて見れば、仲睦まじく手を繋いで歩く男女の姿が何組も目に入り、無意識に大きなため息が漏れ出てしまう。

 そのまま何をするでもなく暫く外の景色を眺めていると、大きな音と共に勢い良く扉が開け放たれた。

 そこから現れたのは大柄な人物。すぐにこちらに気が付くとズカズカと歩み寄り、テーブルを挟んだ反対側の椅子にドカリと腰を下ろした。

 

「よお、なーに湿気た面してんだ」

「……別に。いつも通りだ」

 

 顔に手を当て確認してみるが仮面はしっかりと着用出来ており、素顔はいつも通り隠されている。

 

「俺らが戻ってきた時とは別人みてえだな。その様子じゃあ、また会えなかったのか」

「…………」

「はぁ。しっかし、罪作りな男だよなぁ。こんなにも可愛いうちのチビが何度も通ってるってえのに、たったの一度も顔を合わせようとしないだなんてよ。次に会ったら俺がガツンと言ってやっか」

「……止してくれ、ガガーラン。モモン様は魔導王から人々を守るため、日々駆けまわっているのだろう。忙しいのは無理もないさ……」

 

 王国領だった城塞都市エ・ランテルはアインズ・ウール・ゴウンに譲渡され、魔導国の都市となった。その日、式典の際に起こった事件のことは知らぬ者がいないほど有名な話だ。

 アインズ・ウール・ゴウンに逆らったらどうなるか、その見せしめに殺されかけていた子供を救うため、漆黒の英雄モモンは自らの輝かしい人生を犠牲に理不尽な取引に応じた。それは言わば、モモンと市民を同時に人質に取るような非道なものだった。

 

 それからしばらく月日が経った。ガガーランとティアが蘇生の際に失った生命力を回復する修行から戻るやいなや、イビルアイの強い希望もあって“蒼の薔薇”は魔導国の偵察のため、元エ・ランテルに赴いた。

 アンデッドによる平和的統治。うわさ話から信憑性の高い情報まで魔導国の情報を事前に集め、大体の状況は把握出来ていた。とは言え、伝説級のアンデッドであるデス・ナイトが警備を行い、ソウルイーターが馬車を引くという、その圧倒的な現実を目の当たりにして言葉を失ったのは記憶に新しい。

 呆然とした気持ちを引き締め直し、ともかくはモモンと直接会って話をするために面会を試みたのだが……結果は失敗に終わってしまった。滞在中の2日間、モモンが住居にしているとされる館や、足取りを追ってモモンの向かった先を訪問してみたものの、運悪くすれ違いの連続だったのだ。

 モモンとの面会という第一目的は果たせなかったものの、隣接する魔導国の状況把握、そして早急に危険が無いことが確認出来たことにひとまず満足し、“蒼の薔薇”は王都へと帰還した。ただ、モモンとの面会はなるべく早く達成させたい事項であることに変わりはなく、そのためイビルアイ本人の強い提案もあって継続的に魔導国へ転移で訪問する運びと成っていた。

 それから更に一ヶ月……。

 

「けどよ、相変わらず戦闘や暴動もなく平和そのものなんだろ? それに街ん中歩いてパトロールもしてるって話なら、一度も会えないって言うのはおかしな話だよなぁ」

「それはそうかも知れないが……。も、もしかして……避けられていたりするのだろうか!?」

「いやいやいや、そんなことが言いたかった訳じゃなくてな。 それならよお、魔法詠唱者(マジックキャスター)や盗賊ならともかく、戦士のモモンさんがお前の目から逃げ隠れ出来る訳ねえじゃねえか。運だよ、運! ツキがねえだけだって!」

 

 確かにガガーランの言うとおり、仮に避けられていたとしても逃げきれないほど本気で、必死で、能力をフルに使ってモモンを追い続けてきたのだ。これで会えないというのなら、自分の能力を超えた域である“運”から見放されているのだろう。それであれば仕方がない。

 しかし、運――偶然とは言え、ここまで連続して、奇跡のような確率で本当に起こりうるのだろうか。

 自分の冷静な部分がそれを否定してくる。何年も枯れていた涙腺が再び蘇ようとしているのだろうか。目元には熱が帯びてきた。

 

「モモン様……会いたいよぉ……」

 

 思わずこぼれ落ちてしまった心の声。仲間にだって聞かせるつもりのなかったセリフだ。しかし、今までに感じたこともなかった強い気持ちが故、イビルアイはうまく制御出来なかった。

 

「イビルアイ、顔を上げろ……辛い思いをしているモモンさんを少しでも楽にするために、お前に出来ることをするんだろ? まだ何も始まってねえじゃねえか。くよくよしてる暇なんてねえぞ!」

 

 そこには巌のような仲間の顔があった。辛い時、楽しい時、何でもない日常の時、出会って仲間となったその日から変わらないいつもの優しい顔だ。

 イビルアイを苦しめていた締め付けるような胸の痛みが和らいでいく。

 

「ぐすっ……そ、そうだな。私らしくもないな。……すまない、少々気弱になっていたようだ」

「へっ。その意気だぜ。それとな、リーダーからの伝言だ。ウチへの指定も、目ぼしい依頼も無かったから、また暫くは自由行動だってよ」

「そうか。よし、ならば私は再びエ・ランテルに向かうとしよう」

「おう! イビルアイ、お前さんに幸運があらんことを!」

 

 

 

◆◇◇◇

 

 

 

「――以上が報告です、アインズ様」

「そうだな。……ひとまずはこんなところか。ご苦労だったな、アルベド」

 

 アインズはナザリック地下大墳墓自室――本来の執務室の椅子に深く背を預けたまま満足気に頷き、呼吸の要さない体で大きく息を吐く素振りをした。

 草案だった新しい法律の制定、大規模なインフラ整備、バハルス帝国の属国化承認、各方面からの物資流通確保、ドワーフ国との交易協定締結、冒険者用ダンジョンの竣工式。それら諸々が一段落したからだ。

 ドワーフの国から戻ったひと月の間は多忙に多忙の日々だった。とは言え、殆どの仕事をアルベドを始めとする守護者達に任せていたためにアインズ自身の実働時間は多くなかったが、それでも肩の荷が下りたのは事実だ。当面の残された案件は王国との戦争ぐらいだろうか。

 大きな仕事を終わらせた余韻に浸ろうかと思った瞬間、正面から熱い視線と共に言葉が返ってくる。

 

 「至高の御方のために働けることが苦労だなんてあり得ません。……ですが、もし労をねぎらって頂けるのであれば、今一度、私にキスを!」

 

 アルベドが身をにじり寄らせるのと同時に天井の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)がざわりと動く。しかしアルベドの進行はそこで止まり、あくまで受け身の姿勢を貫いたため、間に入って止めることはなかった。そしてさらに気になる単語がひとつ。今一度……?

 それは天井のシモベと同じく、扉の横で控えていた今日のアインズ番である一般メイドのデクリメントにとっても、とっても気になる言葉だった。

 アルベドの黒い翼はパタパタとはためき、天井は困惑でざわざわと蠢き、メイドの瞳はキラキラと輝いていた。

 

(ちょっ、おまっ。確かにあの時は、多少の願いは叶えてやりたいという思いからその想いに応じたけどさ……。だからと言って恋人でも夫婦でもない者達が安易に何度もキスをしても良いものなのか?)

 

 生涯童貞を貫いてきたアインズにとって何が正しい選択かはわからない。だが、設定を歪めてしまった責任は何らかの形で果たすべきだろうとは、少なからず考えてはいた。

 

(アルベドは友人の娘のような存在だし、そもそも求められることの半分も叶えてやれる自信がないし……。――って、何を考えているんだ俺は! 少なくともこの場では上司と部下の関係……ましてやここは執務室。言わば仕事中の職場だ。上に立つ者が公私混同でセクハラ地味た真似をして良いはずがないじゃないか)

 

 もちろんアインズとしてはキスを回避すべく思考を働かせる。

 しかし、だ。それをそのまま伝えたところで、「では仕事も片付きましたし、寝室へ」という流れが容易に想像できた。アインズがこの場を切り抜ける体のいい言い訳を捻り出そうとしていると、丁度良いタイミングで部屋がノックされた。

 

「アインズ様。パンドラズ・アクター様とナーベラル・ガンマ様です」

「それは丁度よ――ごほん。いや、入室するように伝えよ」

 

 パンドラズ・アクターは室内の何やら落ち着かない雰囲気――主にアルベドの眼の力だけで人を焼き殺すかのような視線を感じながらも、毅然とした態度で入室すると、控えめだが華麗な礼を披露した。

 

「これはアインズ様! お久しぶりでございます。お戻りになられていたのですね」

「うむ。お前と顔を合わせるのも久しぶりだな。で、今日はどうした?」

「はっ。アルベド様へモモンの活動報告のために参上した次第であります。ご多忙かとは存じますが、もしお時間が許されるのであれば、直接お聞き下さいますか?」

「ふむ。私からモモンを引き継いだ後は、ビーストマンに奪われた竜王国の都市を解放して回っている、のだったな。是非聴かせてくれ」

 

 竜王国より救援を求められたのが一週間ほど前のこと。最早あとがなかった竜王国の要請を快く引き受けた魔導国は即座に500のアンデッド軍と冒険者モモンを派遣。既に首都内に侵入してきていたビーストマンをその日の内に排除し終えると、続いて奪われた都市の奪還に向かっていた。

 

「先日までに5つの都市の奪還に成功しており、停戦交渉に入った段階です。それにしても流石はアインズ様。人類の大英雄モモンとアインズ・ウール・ゴウン魔導国軍の共闘する姿は人々に感動を与えております! これもモモンを起用された成果でしょう」

「そ、そうか。順調であればそれで良い(久し振りにモモンになって剣を振り回したかっただけなんだけどなあ……)」

「ただ……」

 

 パンドラズ・アクターの今まで明るかったトーンが少しだけ落ちる。

 

「どうした。何か問題か?」

「いえ、問題と言うほどのことでもございません。以前からモモンを付け回している“蒼の薔薇”のイビルアイですが、ご指示通り接触は避けるように万全を尽くしております。しかしこれからモモンの活動の範囲拡大を考えると、些か支障になるやもしれません」

「……ふむ。まだしつこく嗅ぎまわっているか。やはり我々の秘密の一端に気がついていると考えるべきなのだろうな」

 

 そういえば、とアインズは思い出す。ナザリックの勢力からすれば虫けらも同然な小さな存在であるが、アダマンタイト級冒険者という王国にとっての重要人物であることも事実。正直どのように扱っていいか分からず、判断を保留にさせたままパンドラズ・アクターには接触を回避するように指示を出していたままだった。

 しかし、この場にはナザリックを誇る知恵者が二人も揃っている。特にアルベドはこれからの王国の計画について一任してある状態だ。彼女の反応がそのまま正しい答えになるだろう。

 そう考え、アインズはチラリと横に控えたアルベドの様子を窺った。

 

「人間の小娘風情が……ナザリックの者に危害を加えただけでなく、アインズ様に心労を負わせるだなんて。アインズ様、それがのうのうと生きているだなんて許せません。即刻排除するご許可を」

 

 アルベドから怒りの奔流が噴き上がるの感じる。

 それはアインズにとっても同じだ。友人の娘を傷つけられた怒りは一年近く経ったところで未だ鎮火せずに燻っており、そして今再び思い返したことで激情になろうとしていた。

 そして、アルベドの計画の内に“蒼の薔薇”は含まれていないことを確認したアインズは暫くの沈黙の後、結論を下す。

 

「確かに……いい加減泳がせておくにも目障りだな。ナーベラルよ」

「はっ」

 

 今までパンドラズ・アクターの一歩後ろに控えていたナーベラルが勢い良く返事を返す。

 

「エントマの褒美の件もあるしな、ここはプレアデスに命じるとしよう。――“蒼の薔薇”イビルアイを抹殺せよ。手段等はお前たちに任せる。人目を避けるのは当然として、魔法的監視に対する警戒もしっかり行うように。そうだな……念のため、作戦計画書でも作製し、提出してもらおうか。その際、作戦の実行に必要な物や人員があれば遠慮なく言うが良い」

「我が妹に復讐のチャンスを与えてくださるご厚意、エントマ始め姉妹全員に代わり感謝致します、アインズ様。必ずやご期待に応えてみせます!」

「うむ。プレアデスのチームとしての働きを楽しみにしているぞ」

 

 いつぞやの魔樹戦で見せてくれた階層守護者達の連携はお世辞にも優れたものではなかった。

 だが、プレアデスは守護者達と違い、個々のレベルは高くないが、チームであることを前提として創造された者たちだ。彼女たちならばきっと素晴らしい成果を出してくれるだろう。

 アインズは彼女たちが見せるであろうチームワークを想像し、どんな計画書が提出されるのかを楽しみに待つのであった。

 

 

 

◇◆◇◇

 

 

 

 いったい何度この三重の門を通り抜けたことだろうか。

 イビルアイの転移地点は、もしもの場合を想定して都市の外に設定してあった。

 外門からモモンが住む最内周部の館まではそれなりの距離を歩く必要があるため、訪れる度に街の様子を観察することになる。

 デス・ナイトが警備する前を横切ることも、荷馬車を引く馬がソウルイーターであることも、エルダーリッチと商人が会話をしている様子も、最早見慣れた光景だ。

 イビルアイ自身が慣れたということもあるのだろうが、最初に訪れた日よりも、人々がアンデッドに順応してきているためだろう。それがまさに普段の日常といった感じにすら思えた。

 そして、自身より遥かに強者と思われる地下聖堂の王(クリプトロード)にモモンの在宅を確認することも日常であり、そこで首を横に振られるのもいつものことだった。

 

(またか……。いや、分かっていたことさ。ここまで運が無いのも何かの縁なのだろう。これを乗り越えた先の反動はきっとすごいはずだ……)

 

 あくまで前向きに考えようと努力する。しかし、自分の心に嘘はつけない。僅かに期待していた分だけ、再びイビルアイの胸を締め付ける。

 モモンの行き先も分からなかったため、イビルアイはもと来た道を戻ろうと振り返ると、そこには久しい女性が立っていた。

 

「――! ナーベ……」

「あら。久しぶりですね、イビルアイさん。何かご用ですか?」

「あっ、あの! モモン様はご一緒ではないのか?」

 

 モモンはもちろんのこと、その相棒であるナーベにすら会えていなかったのだ。自ずと期待は高まっていく。

 

「残念ですが、モモンさんとは別行動でしたので」

「そう、なのか……。ちなみに今はどこへ……」

「――ですが、今晩には館に戻られると聞いています。ご用でしたらまた明日お越しください」

「本当か!? え、えっと。そうだな……で、では、今夜は宿をとるにして……明日、朝に伺おうと思う! そう伝えておいてはもらえないだろうか!」

 

 思わず上ずった声を上げてしまったが取り繕うなどという余裕はない。

 本当ならば、このまま門の前でモモンの帰りを待ちたいところではあった。しかし、「ガッツキ過ぎると引かれるぞ」というガガーランのアドバイスを思い出し、素直に従うことにする。

 また、翌朝ということであれば転移での往復は魔力の消費を考えて避けたいところだし、十分な時間を掛けて準備……湯浴み等もしておきたい。老廃物が出るような体ではないが念のためというやつだ。

 

「わかったわ。モモンさんにはそのように伝えておきます」

「感謝する、ナーベさ――殿! よろしく頼む!!」

 

 ナーベの両手をとって、何度も感謝の言葉を述べたイビルアイは館の前を後にした。

 

 

 

 上機嫌なその後ろ姿を見送ったナーベは懐から一枚のハンカチを取り出し、手を拭う。

 

「フン……下等生物(アブラムシ)の分際で至高の御方に近付こうとした愚を知りなさい」

「もっちろん、その身にたっぷり思い知らせてやるっすよ。いやー、楽しみっすねー」 

 

 ナーベの呟きに応えたのは、どこからとも無く現れたメイド調な装いの女性。

 

「ええ。アインズ様にもご協力頂くのだから、ミスのないようにしっかりお願いね」

「ほいほい。任せるっすよ! それじゃあ、作戦開始といっきますか!」

 

 

 

◇◇◆◇

 

 

 

 今までの憂鬱な気分はどこへやら。イビルアイはまるで悪い夢から覚めたような晴々しい思いで宿までの道を行く。

 その足取りはまるで〈飛行(フライ)〉が掛けられているかのように軽く、仮面の下からは鼻歌が聞こえてきそうなほどだった。

 

 モモンに会ったら何を話そうか、それから一緒に食事をして、それから……妄想があらぬ方向へと暴走しそうになった時、ふと視界の端にどこか見覚えのある姿が映り――建物の影に消えた。

 いわゆるメイド服のようにも見えたが、どこか違う。端々には白いレースが織られていたが、朱色より薄暗い朱殷(しゅあん)の生地の袖口はヒラヒラと揺れるように大きく垂れ下がり、南方の文化が入り混じったかのような雰囲気がある。

 全貌を捉えたわけではなかった。しかし、その後ろ姿はイビルアイの記憶に一致するものがあった。

 

(まさか……ヤルダバオト配下の蟲のメイド!?)

 

 なぜここに。疑問はすぐにひとつの解に結びついた。

 宿敵であるモモンを配下にした魔導王及び魔導国は、ヤルダバオトにとっても無視できない存在であることは間違いない。偵察のつもりだったのか、それとも既に暗躍している最中なのか。それは定かではないが――。

 

(私に見つかったのが運の尽きだったな! 今度こそ息の根を止めてやる)

 

 この街には屈強なアンデッドがウロウロしているが、戦闘力を有さない人間も数多くいる。

 そこへ紛れ込んだ人食いモンスターを放置していてはアダマンタイト冒険者の名折れというものだ。少なくとも漆黒の英雄モモンなら人々のことを考えて見逃すはずがないだろう。

 それに、蟲のメイドを討ち取ってみせたならモモンにも褒めて貰えるかもしれない。いや、きっと喜んでもらえるはずだ。

 

 久々に会えるモモンへの手土産ができたと、仮面の下の頬を緩ませたイビルアイは魔法を唱えて姿を消し、蟲のメイドの追跡を開始した。

 

 

 

 路地内を素早く駆ける蟲のメイド。今さらこの街で異形な存在が珍しくないとはいえ、流石に人目につくことを避けて進んでいたためか、すぐに蟲のメイドに追いつくことができた。

 どうやら壁を超えて外へ脱出するつもりらしい。であれば、三重の壁を超える手前、軍事施設や墓地がある最外周部内で仕留めるのが最適だろう。

 蟲のメイドに続いて二つ目の壁を超え、いざ攻撃を仕掛けようとした時、イビルアイは目を剥いた。

 

「――っち。一体どこへ」

 

 それまでの住居区とは違い、目の前には建築物も少ない開けた空間があるだけだ。咄嗟に身を隠す場所など見当たらない。後を追っていた間隔から考えても、壁から飛び降りている最中であってもおかしくはないはずなのに。

 

(まさか囮か…!?)

 

 考えてもみれば、蟲のメイドだってこちらに気付いていたはずだ。それでいて素直に後を追わせてたということは……。

 ここでようやく、罠である可能性に思い当たる。手柄をとってモモンに褒めてもらいたい一心がイビルアイから冷静さを失わせたのだ。

 

 自分の置かれてる状況が非常にマズイことを悟り、この場から離脱しようとした時だった。

 イビルアイは背中に嫌なものを感じ、咄嗟に振り返った。

 

 

 

 そこには、知らない世界が広がっていた。

 

 何処までも広大な平原。黄金色の空は高く、薄い雲が漂っている。

 遠くに見える山々はこの平原を取り囲み、幾筋もの河が穏やかな流れをつくっていた。

 

 今まで背にしていたエ・ランテルの城壁も、その街並みも、アゼルリシア山脈だって、イビルアイの知っている景色はそこにはなかった。

 代わりに対峙していたのは5人のメイド姿の者達。

 イビルアイには見覚えがあった。いや、忘れるはずもない。王都で、モモンがヤルダバオトと対決した際に現れたヤルダバオト配下のメイド達だ。

 あの時と違う点は、皆素顔――蟲のメイドは素顔と言っていいのか不明だが――を晒していることだ。

 五者五様。全員がそれぞれ同性であっても見惚れてしまうほどの美貌の持ち主だったが、その表情はいずれも殺意を含むものであった。

 

(……くっ。生かして帰すつもりは無いということか)

 

 状況を考えれば、集団転移もしくはイビルアイの仮面でも見破れない幻影魔法を使われたという可能性が高い。どちらにせよ超高位階の魔法に間違いない。

 あの内の2人の攻撃を防ぎきるのが精一杯だったのに、それが5人に。さらに格上の魔法詠唱者がいたのでは勝機なんて見えて来るはずもない。

 

(だが、こんなところで終わってたまるか! 生きて、生き延びて、モモン様へ知らせねば!)

 

 モモンとナーベ、あの二人さえいれば、例えヤルダバオトが現れたとしても互角……いや、今度こそは勝利を物にできるはずだ。

 そのためにもこの窮地を切り抜けなければと決意を固めていると、横一列に並んでいたメイドの一人が一歩前へと歩み出た。

 

「お会いするのはこれで二度目になりますが……改めまして自己紹介を。私はユリ・アルファ。横から順にルプスレギナ・ベータ、ソリュシャン・イプシロン、シズ・デルタ、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータと申します。先に断っておきますが、転移魔法は封じさせて頂いておりますので悪しからず。……さて、こうして私達が再び相まみえる理由に何か心当たりがございますか?」

 

 ユリの言葉通り、転移魔法は阻害されているようだ。そのことをイビルアイは肌で感じ取っていた。

 

「……さてな。王都での探しものの続きか? モモン様の留守を狙ったつもりだったのだろうが、お前たちも運が悪い。何を企んでいるのかは知らないが、好き勝手出来ると思うなよ。 既にモモン様はお戻りだなのだからな!」

 

 嘘だ。嘘ではあるが、ナーベであれば既にエ・ランテルにいるし、モモン自体も今晩には戻ると言っていた。もしかしたら、もう直ぐにでも駆けつけてきてくれるかもしれない。漆黒の英雄モモンであれば、そう信じてみたくなる。あの時のように。

 

 「くふっ……ウフフ」

 「ぷふっ。くひひひ」

 

 メイド達の中から笑いを堪えたような声が漏れ出した。

 モモンの名前を出すことでいくらかの動揺を誘えればとも思っていたが、この様子だと想定の範疇だったということか。

 

「はぁ……冒険者モモンね。確かにモモンにもご登場頂く予定ではありますが……」

「――なっ! まさか私を餌にモモン様を釣ろうというわけか!?」

「ぶはっ! あっははは! ユリ姉、もぅ、もう限界っす! くっふ……あははは!」

「ルプスレギナ、一応人前なんですから、笑うにしてももう少し上品になさい」

「仕方ないですわよ、ユリ姉様。だってまさかこんなにも滑稽で哀れな娘だなんて……フフ……思ってもみませんでしたもの」

 

 イビルアイは押し黙る。こんなにも余裕な態度をとる秘密が何かあるはずだ。

 

「はひぃ……ふぅ。あー、お腹が痛いっす。さて、と。そのイタイ勘違いを正してやるっすよ。そもそもお前にモモンをおびき出すだけの魅力も価値も、そんなの有りはしない。自惚れも甚だしいっすね。そして私達はお前自身に用があるっす。いい加減、過去の行いを振り返って自分の罪を思い出して欲しいっすね。ねー、エンちゃん?」

「忘れただなんて言わせなぃ。この日が来るのをぉ、ずっと待っていたんだからぁ。この声も結構気に入ったけどぉ、キサマの声を奪ってぇ、私の声にするのぉ。自分の声を聞きながら逝かせてあげるぅ」

「ふん……なるほど、復讐というわけか。モンスターらしく単純な動機だな。だが、私には大事な約束――先約があるのでな、生憎だがここらで失礼させてもらおう! 〈砂の領域(サンド・フィールド)全域(オール)〉」

 

 イビルアイを中心に砂の嵐が生み出され、即座に周囲の景色が粉塵一色となる。だが、イビルアイの得意技である負のエネルギー付与はされていない。王都での戦いとは違い、まともに戦いを挑むつもりがないからだ。

 砂の領域は移動阻害、盲目化、沈黙化などの効果を有する広範囲魔法ではあるが、先の戦いで少なくともユリに有効ではないことは証明されている。蟲のメイド――エントマも移動阻害に対する完全耐性を有していたことから、あの場にいたメイド全員が同じ水準にあると考えるのが自然だろう。

 それであれば、ただの目眩まし程度にしかならない魔法の無駄撃ちになってしまう。しかし、イビルアイはそれでよかったと考えていた。逃げるための一瞬の隙さえ作り出せれば。

 ここからは持久戦だ。魔力をより消費することで〈飛行(フライ)〉より速度の出る特殊な飛行魔法で追手を振り切る。仮に全員を振り切れなかったとしても、相手の数が減ればより生存率が上がるはずである。

 

(……おかしい)

 

 弾丸のように加速したイビルアイの視界には凄まじい速さで流れていく風景が映る。どこまでも平らな大地の地上すれすれを飛行しているため把握しにくいが、切って貼っつけたような絵を見ているように、景色にまるで変化がないのだ。まるで小さな庭の中を知らずと周回しているかのように。

 さらに後ろを追われている感覚がないということも、その奇妙さに拍車をかけた。

 

(くそっ……どうなっているんだ!)

 

 疑問は疑念に。疑念は焦燥に。過度の緊張は正気を奪う。

 あと少し遅かったら、もしその術を知らなかったら、イビルアイは不意の一撃に見舞われていただろう。

 

 地上に落とされた自分の影がゆらりと蠢いた気がした。

 

(――!! 忍術!?)

 

 影から伸びた手には短剣が握られイビルアイに刺突を仕掛ける。しかし、事前に察知できたイビルアイの対応は早かった。

 

「〈水晶防壁(クリスタル・ウォール)〉!」

 

 硬質な音が響き、短剣は水晶壁によって弾かれた。

 仲間の双子が忍術を扱い、それを直ぐ側で幾度も見てきてたからこそ可能な反応だ。

 

「まぁ……!」

「惜しかったな! お返しにこれを食らえ!〈魔法最強化(マキシマイズマジック)結晶散弾(シャード・バックショット)〉」

 

 直撃である。至近距離で放たれた水晶の散弾は、姿を完全に現した無防備なソリュシャンの上半身を弾け飛ばした。

 イビルアイは鼻で笑う。いくら不意の一撃に自信があったにせよ、戦いの中で敵の反撃に備えないのは三流以下の愚かな行為だ。

 

(やれる……! 眼鏡と蟲のメイド以外は大したことないのかもしれん。しかし、イジャニーナの秘術を会得していたとは……)

 

 敵の一人を討ち、イビルアイに僅かな余裕が戻る。

 遁術や山彦の術といった、防御や反撃の忍術を使われることを警戒していたが、それも杞憂に終わったと思った。

 

「いい反応でしたわ。けど、捕まえた」

 

 散り散りになったはずのソリュシャンの半身がいつの間にか足元に現れ、イビルアイの左足を掴んでいた。

 

「う、うわああああっ!? は、離せっ! 〈魔法最強化(マキシマイズマジック)龍雷(ドラゴンライトニング)〉」

 

 得体の知れない恐怖と、足首の焼ける様な痛みに驚き、たまらず空中へ逃れるイビルアイ。

 しかし、その瞬間を待っていたかのように高速で飛来する小さな金属の塊があった。一発目が右肩。そして二発目が左肩を貫く。

 

「ぐがぁ……! 〈水晶盾(クリスタルシールド)〉」

 

 三発目と四発目はイビルアイの体の周りに展開された盾によって防ぐことが出来たが、両腕を潰されてしまった。

 武器を直接振るう戦士ほどでないにせよ、魔法詠唱者にとっても腕が使えないのは大きな痛手となる。体の中に流れる魔力制御や対象魔法の照準に関わってくるからだ。

 

 そして追い打ちをかけるかのように頭上から声が掛かる。

 

「背中がガラ空きっすよ!」

「――ッ! 〈損傷移行(トランストケーション・ダメージ)〉!」

 

 粉々に粉砕される水晶盾。それでもなお、威力が乗って振り下ろされた巨大な聖杖はイビルアイの背中を捕らえ、地面へと叩き落とした。

 

 地面でボールのように弾む小さな体。その先に待ち受けていたのは眼鏡のメイド、ユリ。

 固く握りしめられた拳は張り詰めた弓の如く腰の位置で引かれている。

 

「怒りの鉄拳――体罰執行ッ!!」

 

 大ダメージは避けられないと判断したイビルアイは、再び多くの魔力と引き換えに防御魔法の〈損傷移行〉を発動させざるを得なかった。

 

 

 

 水平に吹き飛ばされた体は土煙を上げながら何十メートルも大地を転がっていった。

 衝撃で仮面は割れ、口の中は粘ついた血と土の味が滲む。

 このまま動かずに倒れていたら、死んだと思って見逃されるだろうか。だが、そんな馬鹿げた考えはすぐに否定された。

 

「あらぁ? もぅバテたのぉ? まだまだこれからなのにぃ」

 

 顔を上げると、まるで散歩に行くかのような気楽さで歩み寄ってくるエントマの姿が見えた。

 活路の見えない絶望的な状況であってもまだ諦める訳にはいかない。諦めたくない理由がイビルアイにはある。

 イビルアイは魔力を負のエネルギーに変換し、それを右肩だけに集中させる。他の魔力系魔法詠唱者には出来ない、即席の治癒魔法だ。

 

「ゲホ……魔力を使いすぎたか……」

 

 エントマだけが相手なら、〈蟲殺し(ヴァーミンペイン)〉主体の攻撃で倒すことも出来ただろう。しかし、今のイビルアイには倒しきるだけの魔力は既に残っていない。

 ――生き延びる。僅かに浮かんだ一矢報いようという考えは即座に切り捨てられた。

 体勢を整えるべく立ち上がろうとした時、イビルアイは初めて気がついた。自分の下半身に起こっている異変に。

 

 左足の足首から先が無くなっていたのだ。

 そして、もうひとつ。

 右足に知らぬ間にか張り付いていた何枚もの符。

 

 気付いた次の瞬間には閃光と高熱がイビルアイを包み込み、再び空へと巻き上げられていた。

 闇夜に灯る篝火に引き寄せられる飛蛾のように、イビルアイ目掛けて無数の蟲達が群がっていく。長く尖った角を生やした蟲。鋭く研がれた鋏を有した蟲。鉄球のような硬い頭部を持つ蟲。

 それらが何度も何度も何度も。刺しては切り刻み、激突していく。

 

 残るメイド達はその光景を離れたところから見守っていた。

 

「いやー。ナーちゃんの見立てではもう少しやるのかと思ってたっすけど、全然大したことなかったっすね」

「…………私達の連携の前じゃ無理もない」

「当然の結果ってやつっすね。でもまぁ、人間の小娘にしてはタフだなあとは思うっすけど」

「人間じゃなかったわよ、あの娘」

「ほぇ?」

 

 ルプスレギナの疑問に答えるように、ソリュシャンはおもむろに腕を突き出し、手のひらを返した。そこから湧き出てくるのは無数の骨。地面に散らばった状態からは判別しにくいが、足先を構成していた骨だった。

 

「酷く不味いわ。……生きてる人間のものでは無いわね」

「…………ということはユリ姉様と同じようなアンデッド?」

 

 ――パンッ、パンッ。

 手を叩く音がした。

 

「はい、はい。お喋りもそこまで。そろそろ終幕よ、皆準備を」

 

 

 

 

 二度の〈蟲殺し(ヴァーミンペイン)〉を放つも焼け石に水だった。無限にも思えるような蟲達を次々と召喚する術者のエントマまでは達さず、イビルアイの魔力は遂に尽きてしまう。

 やがてお手玉のように弄ばれた体はグシャリと音を立てて地面に伏した。

 最早、息があるのが不思議な状態だった。左足は更に短く、右足は吹き飛ばされて無くなっている。両の腕も千切れて見るも無残な有様だ。唯一無事なのは首から上ぐらいだろうか。

 

 途切れて消えてしまいそうな意識の中でイビルアイは思う。

 

 なぜこんな目に遭っているのだろう、と。

 ただ……ただモモンに会いに来ただけなのに。

 

 なぜこんな無謀な戦いにたった一人で挑んでいるのだろう、と。

 イビルアイはアダマンタイト級冒険者であり、チーム“蒼の薔薇”の一員だ。戦う時はいつだって、仲間と一緒だったのに。

 

 なぜ自分はこんなにも寂しい思いをしているのだろう、と。

 大事な時にそばに居てくれない仲間に八つ当たりしそうになる。……だけどそれは筋違いだ。自分の身勝手でふっかけた戦いなのだからそれは仕方がない。それに例え共に戦っていてくれても良い結果にはならなかっただろう。

 

 ……羨ましい。

 イビルアイを傷めつけた攻撃は息の合った素晴らしいものだった。お互いの技を知り、長所を活かした協調。実力が拮抗している者同士で初めて成せる技だ。

 

 自分達はどうだっただろうか。“蒼の薔薇”は素晴らしいチームだ。それは間違いないし、自分を暖かく迎えてくれた仲間たちに不満なんて有りもしない。

 しかし、チームの中で実力に差があったのは事実だ。正直なところ、イビルアイの魔法だけで解決できてしまう場面はいくらでもあった。だけど、それをしてしまったら彼女達と仲間である意味が無くなってしまう。居場所が無くなってしまう。

 だから一歩引いて、仲間が力を発揮できるように努めてきたのだ。純粋な攻撃魔法のみに頼る魔法詠唱者は二流だと自分に言い聞かせて。

 

 思考の何処かにそんな考えがあったからだろう。仲間に相談しようともせず、ひとりで突っ走ってしまったのは。

 それがこのザマだ。これではまるで、自分が討伐されるモンスターみたい……いや、まさにその通りなのだろう。

 奴らは奴らで仲間のために戦った。モンスターとそれを狩る冒険者、立場が逆転してしまったのは皮肉なものだ。

 

(これが私の最後か……意外とあっけないものだな……)

 

 イビルアイの頬に涙が伝った。

 

(……嫌だ。まだ死にたくない。終わりたくない)

 

 十分に生きたと思っていた。やりたいことも大体はやってきたし、いつ本当の意味で死んでしまっても、悔いなんて残るはずも無いと思っていた。

 だけど、やり残しができてしまった。伝えたい思いが生まれてしまった。

 憧れのあのひとに。恋しいあのひとに。

 だから願ってしまう。

 そんな都合のいいこと、起こるはずもないのに。

 分かってはいるけど、どうか届いて欲しい。

 

「たすけて、ももんさま……」

 

 

 

 

 辺りが一瞬暗くなった。原因はすぐに分かった。大きな影が過ぎ去っていくのが見えたからだ。

 その影の主は長い首と尾を有し、大きな翼を羽ばたかせるドラゴンのように思えた。

 

 次の瞬間、何かがけたたましい音を立て、イビルアイとエントマの間に落ちた。その衝撃はイビルアイの小さな体が一瞬浮き上がるほどだった。

 土埃が舞い上がり、その正体がハッキリと見えなくても、既にイビルアイは確信を得ていた。漆黒の英雄――モモン、その人だ。

 

「そこまでだ」

 

 モモンの静かな声がイビルアイの耳に届く。

 

「も、モモンさまっ……!!」

 

 モモンはイビルアイの姿を一瞥すると、すぐに振り返った。その背中は大きく、逞しく、不落の要塞のように映る。

 溢れ出す涙で視界が滲み、おぼろげな夢を見ているのではと錯覚しそうになるが、その圧倒的な存在感はまさに現実であると主張している。

 

「よくやったな、お前たち。なかなか見事だったぞ」

 

 優しい声だ。よくやった、とは5人を相手によく耐え抜いたという意味だろうか。しかしお前たち……とは一体?

 

「お褒めに預かり光栄です、モモン様――いえ、アインズ様」

 

 言葉を交わしたのはユリだった。いつの間にかモモンの前にはメイド全員が並んで臣下の礼をとり、頭を垂れている。

 

「さて、イビルアイよ。私の大切なアインズ・ウール・ゴウン、その名に連なる者を傷つけたこと。お前の罪は死よりも重い」

 

 モモンが何を言っているのか、まるで理解が出来なかった。魔導王とヤルダバオトが繋がっていた事実も信じられないが、それよりも――。

 

「裁定を下そう、蒼の薔薇イビルアイ。お前の声をエントマに捧げたのち、ナザリックの空腹を満たす贄となれ。簡単に死ねるとは思うなよ?」

「……ぁ、あの……な、何かの間違いですよね……? モモン様は魔導王に心まで売ってしまわれたのですか……!?」

「私自身が魔導王アインズだ。最初からな。ふむ……少々買いかぶり過ぎていたか? 執拗に私の体に触れてきたのは、正体に感づいていたからだと思っていたのだがな。……ん?」

 

 モモンは地面に伏したままのイビルアイに歩み寄ると、乱れてしまった金の髪を掴み、自身の目の高さまで持ち上げた。

 

「ほう。アンデッド反応が一つ多いと思ったら……なるほど、そういうことか」

「ぅ……ぐ。私は騙されないぞ、モモン様の偽物め……! 第一、魔導王がモモン様だったなんて、説明がつかない!」

「……お前がどう思っていようが知ったことではないが、せっかくだ。答え合わせをしてやろう」

 

 背後から足音が二つ近づいてくる。ひとりは鎧を身に付けているように重くしっかりとしたもの。もうひとりは軽く、歩幅の間隔から女性のもののように思えた。

 髪を掴んでいた手を返され、イビルアイの視界が背後に回る。

 

 そこにいたのは正しく漆黒のモモンと相棒のナーベだった。二人は近くまで寄ると恭しくその膝を折った。

 

「感謝致します、アインズ様。目障りな小蝿が排除された今、全ての障害が取り除かれました。これで、モモンとしての役を完璧に勤め上げることが出来るでしょう」

「……まあ、そういうことだ。別に面白みもないだろう? 影武者を用意すればお前の言いたかったことは大体成り立つ」

 

 信じられなかった。信じたくなかった。

 イビルアイは口を開きかけるが、言葉は何一つ出ず、代わりに嗚咽だけが漏れ出る。

 目の前で述べられた言葉。見せつけられている態度を見れば、何を問うたところで否定されるのが分かってしまった。

 

 どんなに体が傷ついても最後まで折れずに残っていたイビルアイの心の芯は、この瞬間遂に粉々となった。

 

 

 

「では、エントマ。約束通りこいつの声を口唇蟲に食わせよう。だが、その後はすまないが予定変更だ。血の狂乱の制御法についてアルベドが熱心に調べていたな? 情報を吸い上げたあと、この吸血鬼(ヴァンパイア)はそちらの検証に回させてもらう」

「謝罪など。私はその者の声を頂けるだけで十分満足しております」

「そうか。皆もよく働いてくれたな。では帰るとしよう、我がナザリックへ」

 

 

 

◇◇◇◆

 

 

 

 暗い石造りの通路に、鎖を引きずる音が響いていた。

 両足の足枷からだらりと垂れた鎖は途中で千切れたように何とも繋がってはいない。

 ――〈狂戦士の足枷〉。通常であれば、着用者のMP自然回復を無効にする代わりに筋力を増強するマジックアイテムである。ただし、これには筋力増強などというメリットは無く、着用者本人の意志で外すことが出来ないような細工が施されていた。

 着用者の名はイビルアイ。本当の名をキーノ・ファスリス・インベルン。拷問にかけられてすぐに割れた名だ。

 彼女の鮮血のように紅かった瞳は光を失い、恋する少女の輝きは見る影も無くなっている。

 

「こっちよ。早く来なさい」

「……はい。アルベド様……」

 

 力無く答える彼女の声に今までの幼さは残っていない。従順に歩むキーノの先には、白いドレスに艶やかな黒髪が映える美しい女性の姿があった。腰から生えた漆黒の翼と頭部に生えた捻れた角、それに縦に割れた虹彩が人間ではないことを主張している。

 

 やがて通路は行き止まりの石の扉の前に行き着く。女性が扉の向こう側と一言二言のやり取りを済ませると、すぐに部屋の中へと通された。

 足を踏み入れた先は、まるで異空間に迷い込んだと錯覚するようなピンク一色の世界だった。

 

「ひどい匂い。それに悪趣味だわ……」

 

 アルベドは美しい顔を歪ませ、鼻を抑える仕草を見せる。

 内部は濃密で甘い香りが立ち込めており、ただの人間であれば中毒症状――嘔吐、錯乱、失神していてもおかしくない程だった。

 その室内を慌ただしく走り回るのは半裸に近い薄衣だけを纏った女たち。そのどれもが勿論人間などではなく、吸血鬼の特徴を有していた。

 

「アルベド様、お待たせして申し訳ございません。シャルティア様は間もなく参られますので、もう少々お待ちください」

「……まあ、いつ連れて行くかは伝えてなかったわね。いいわ。けど、急ぐように伝えてちょうだい」

 

 吸血鬼のひとりが了承の意を示し部屋の奥へと消えて行くと、別の吸血鬼によって他の部屋へと案内された。

 

 

 

 アルベドが二杯目の紅茶を飲み干す頃、ようやくこの部屋の主人――銀髪に真紅の瞳を持った美少女が現れた。

 

「ようこそおいでくださいんした、守護者統括殿。そいで、どのような用件でしたかぇ?」

「――その前に言うことがあるんじゃないかしら、シャルティア?」

「おや、これは失礼しんしたぇ。劣化の一途を辿るだけでしかない者の時間を惜しむ気持ち、それを察せなかったわらわを許してほしいでありん……ん?……んんっ!?」

 

 人を待たせたことに悪びれる様子もなく、シャルティアと呼ばれた少女は憎まれ口を叩こうとするが、途中で動揺した様子を見せる。

 

「変わらないのはその貧相な体だけでなく、おつむの方もなのかしら? ナザリックの守護者たる存在がいつまでも何の成果も上げられないのは嘆かわしいとは……って、聞いてるの? シャルティア?」

「ちょっ、この娘はなんでありんすか! アルベド!?」

「……全く。シャルティアも知っているでしょ? ナザリックに仇をなした王国の冒険者で、この世界では珍しい吸血鬼よ。貴重な多くの情報を持っていたのだけれど、もしその全てを聞き出そうとしていたら長期に渡る拷問が必要だったでしょうね。でも、流石はアインズ様のお陰ね。こんなにも早く口を割らせられるだなんて」

 

 シャルティアの視線はキーノの身体に釘付けだった。情欲に塗れた無遠慮な視線は頭の天辺から足先までを舐めまわすように観察していく。

 

「そ、それで、この娘をわたしに譲ってくれるんでありんすか!?」

「そんな訳無いでしょう。いくら慈悲深いアインズ様だって、何もしていない者に褒美を下さることはないわ」

「ぐぬぬ……」

 

 ドワーフの国ではアインズの供回りとして久し振りに仕事らしい仕事をしたシャルティアだったが、その後は相変わらずナザリック警備ぐらいしか主だった仕事をしていないのが実情だ。

 

「でも、感謝なさい。アインズ様から検証を行う許可を頂いてきたのだから」

「検証……でありんすか?」

「そうよ。あなたはアンデッドであるにも関わらず精神が過剰に働くことがある。そうよね、シャルティア?」

「えぇ。まあ、その通りでありんすね……」

「もしこれが解明できれば、血の狂乱をコントロール出来るようになり、あなたの守護者としての運用の幅も広がる。ひいてはナザリックの強化にも繋がるということよ」

「おぉ……!」

 

 アルベドの示した未来にシャルティアは素直に感激した。以前、シャルティアが洗脳された要因のひとつに血の狂乱が関与していた可能性は非常に高い。しかし、血の狂乱は創造主であるペロロンチーノによって与えられた能力のひとつでもあり、邪険にするのも憚られる。そこへ提示された血の狂乱のコントロールという案。完璧に制御できるように成れば、最前線で活躍することも可能になるだろう。

 

「実は既にナザリック内のアンデッドを使って感情の振れ幅の実験を行っていたのだけど、芳しい結果は得られていないのよ。だけど、今回外部のアンデッド、それも吸血鬼が手に入ったことで比較実験が可能になるわ」

「比較……というのがわたしと、この娘ということでありんすね?」

「その通りよ。具体的には同じ刺激を与え、それに対してどの程度の反応を示すかといったものね。場合によってはあなたも苦痛を感じる羽目になるし、とても根気のいる作業になるわ。シャルティア、あなたに出来るかしら?」

「……刺激……反応……ぐふふ。もちろんでありんす! わたしに任してくんなまし!」

 

 こうしてキーノはシャルティアの元に預けられることとなった。

 

 シャルティアの住処である死蝋玄室を後にしたアルベドはほくそ笑む。

 拷問の時点でキーノに血の狂乱が無いことは確認済みであり、今でこそ人形のように反応が乏しくなってしまっているが元々は感情豊かな性格であることも把握済みであった。

 つまり、シャルティアの過剰に働く精神は血の狂乱とは直接関係ないということ。即ち、血の狂乱がないアンデッド――アインズでも強い感情を持てる可能性を示唆しているということに繋がる。

 

「くふふ……また一歩夢に近づいたわ。あぁ……アインズ様、貴方様の寵愛を賜われる日が待ち遠しい……」

 




おまけ


・作戦計画書

 アインズの執務室に末妹を除く戦闘メイド全員が揃っていた。
 そして現在、アインズは提出された計画書に目を通している状況だ。

「……ふむ。戦闘予定地の最外周部までおびき寄せ、そこで転移阻害、幻術、探知阻害魔法を展開……実行にはデミウルゴス配下の魔将を借りる、か……」

 計画の内容に不備は無かったか、皆緊張の面持ちでアインズの次の言葉を待つ。

「通常であればこの内容で問題無いな。だが、今や魔導国は大陸中から注目されている状態だ。中にはシャルティアをワールドアイテムで洗脳したものもいるだろう。そこで今回は……アウラに持たせている山河社稷図を使うことを許可する」

 衝撃が走った。小娘一人を狩るのにそこまでするのかと。
 しかし、裏を返せばそれだけアインズが警戒し、失敗の許されない大事な作戦であるということだ。
 責任は重い。けれども、そんな大役を任せて貰える事実に胸が熱くなる。

「戦端が開いたら、ヒットアンドアウェイの波状攻撃でHPとMPを削っていき……トリはエントマだな。エントマよ、奴はお前に対する特効魔法を使ったと報告にあったが、それに対する策は用意出来ているか?」
「はい、アインズ様。間合いを広く取れる戦術を基本として、突風を引き起こす蟲を防御に付けることで身を守りたいと思います」
「うむ。それで問題なかろう。そして最後に……うん? モモンに扮した私が空から登場……? これは必要あるのか……??」

 アインズは意味が解らなかった。どうせ影で見守るつもりではあったから、登場すること自体には問題はない。
 ただ、戦闘メイド達自身の手で最後までやりきったほうが、達成感も得られるのではないかと疑問が残る。

「はいっ! トドメの一撃には効果てきめんかと」
「くふ……なるほど。これを考えたのはあなた達ね?」

 隣のアルベドを窺うとその意味を理解したように微笑んでいる。
 いつもであれば未だ理解が出来ていないシモベのために説明をしてやるようにと、デミウルゴスやアルベドに振るところなのだが……。

「恐縮ですわ」
「体と心へのダブルパンチっす!」

 ソリュシャンとルプスレギナが発案者らしい。ソリュシャンはまあ、いいとして。ルプスレギナが考えたことを理解出来ないと露呈してしまうのは支配者として不味い。
 アインズは自分の仲間を探すように目線だけ動かし、周囲を見渡す。しかし、当然、戦闘メイド達の中に仲間はいなかった。
 これ以上の沈黙は不自然と判断したアインズはとりあえずの知ったかぶりをかます。

「布石……というわけだな?」

「……布石っすか?」
「…………布石?」
「ナーベラル、わかる?」
「すみません、ユリ姉様」
「私にもちょっと」
「わからないぃ」

 アインズは背中に滝のような汗が流れる幻覚に見舞われた。
 やらかしてしまった。ただ今さら気づきましたよ、という反応では支配者の威厳が保たれないと思い、含みを持たせたそれっぽいことを言ったみたのだ。
 もしかすると、実はとても単純な話のような気もしてくるが、未だに答えは導き出せない。

「くふふふ……いい案ではあったけど、その先のことは考えていなかったのね」

 キタ。いつものパターンだ。
 アインズは藁をもつかむ思いでアルベドの言に乗っかることにする。

「ふむ。物事は一方向からだけで無く、多角的に考える癖をつけたほうが良いな。アルベドよ、せっかくだから説明してやりなさい」
「畏まりました、アインズ様。皆が分かっていることは省かせてもらうけど、布石というのはその後の情報の吸い上げを容易にするということに他ならないわ。仮にもアダマンタイト冒険者なんですから有益な情報の一つや二つぐらい持っていてもおかしくないでしょう。今回はエントマの褒美ということで機会を設けて頂いたわけだけど、常にナザリックの利になることを考えなさい」
「う、うむ。そういうことだ。では、今の点も踏まえて慎重に行動するように」
「「はっ」」

 結局アインズは何故モモンで登場する必要があるのか分からないまま計画は実行されるのであった。





・検証結果

 執務室の扉を叩く音に反応して、今日のアインズ番であるシクススが来訪者の姿を確認しに行く。

「アインズ様、シャルティア様がご報告したいことがあるとのことです」
「シャルティアがか? 入るように伝えよ」

 入室したシャルティアの姿はボールガウンやフィンガーレスグローブを着用したいつもの格好だ。ただ、いつもと違うと思わせる点が一つあった。
 書類が閉じられたファイル。それが彼女の手に握られている。
 例えばアルベドやデミウルゴスであれば違和感は感じなかっただろう。というよりもむしろ、書類等を手にしてる姿のほうがしっくりくるというものだ。
 
「アインズ様、ご機嫌麗しゅう存じんす」
「お前も元気そうだな、シャルティア。それで報告とはなんだ?」
「はい。先日アルベドより委任された、わらわとキーノちゃんの感度比較実験の結果報告をしに参りんした」

(キーノ……ちゃん? イビルアイの本名が確かそんな名前だったと報告に上がっていたか。ということはアルベドが進めてた血の狂乱を制御する研究のことだろうな……)

「そうか。ならば早速見せてもらうとしよう。ああ、よい。シャルティア、お前が直接もってこい」

 シャルティアが臣下の礼を取る位置では会話をするのには少々離れすぎている。アインズはもう少し近くに寄ってもらう意味も含めて、ファイルをシクスス経由で受け取るのではなく、直接机の前まで持ってくるように指示を出す。
 受け取ったファイルはズシリと重く、さらに紐解いて中を見てみれば文字で埋め尽くされた紙がぎっしりと詰まっていた。
 アインズはシャルティアの評価を改める。正直に言ってシャルティアはこういう類の仕事が苦手なものと思っていたからだ。アインズが鈴木悟として会社で働いていた頃、同じように纏めるのが苦手だと思っていた部下が仕上げてきたプレゼン資料に驚かされたことを思い出した。

(部下の適性を見抜いて仕事を割り振るのが上司の務めだというのに。シャルティアに内政面の一部を任せてみても面白いかもな)

 そのようなことを考えていると、シャルティアの期待が込められた視線に気付く。
 良い結果が上がったのだろう。主人に褒めてもらいたくてウズウズしているシャルティアの姿があった。

「わかった、そう急くな。なになに……」

 アインズの眼窩に灯る赤が一瞬消えかけた。
 
 記載されていた内容は、プレイの種類、用いた道具、達した回数と所要時間などなど。
 多岐に渡って書かれていたが、資料として写真や動画を記録したデータクリスタルも大量に添付されていた。
 そして最後に総括として締められていた文章がこれだ。

 全体的に未開発で刺激に対して快楽よりも不快感を占める場合が多い。しかし開発の余地は十分にあり、今後の努力しだいでは共に絶頂に達することも可能、と。

 幾度かの精神の沈静化が起こり、アインズは大きく息を吐き出す。
 アインズとて、紳士の嗜みとして成人向け映像資料を収集するぐらいはあった。
 しかし、これはアウトだろう。元の鈴木悟の世界では確実にアウトだ。何年豚箱にぶち込まれるかわかったものじゃない。だって見た目が12と14ぐらいなのだから。
 この世界ではアインズが法であることは間違いないが、それはつまりアインズがアウトだと思ったらアウトなのだ。

 アインズはシャルティアを叱責しようとして、止めた。
 ここでシャルティアに対して何か言うのは筋違いだろう。何故ならば彼女はそうあれと創造主によって求められただけに過ぎないのだから。
 だから代わりにシャルティアの創造主であり、共にユグドラシルを楽しんだ友人の男の名を叫ぶ。



「ペロロンチーノォォォォオオオオ!!」



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