ピープルストーリー   作:まなぶおじさん

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「あれ、ここは何処でしたっけ」

 バックパックを背負い、カンテレを片手に、白井は首をかしげながらミカに助けを求める。
 そんな白井に対し、ミカは特に呆れた様子も見せず、一言言うようにカンテレを奏で、

「ここは――そうだね、本土の北の方だね。大分寒くなってきたんじゃないかな」

 ああ、そうか。
 そういえば、そうだった。ミカの言葉を聞いて、不自然なくらい状況を把握する。

「そこまで歩いたんですね。どうなるのかな、俺達」
「さてね。風は無意味な場所へは運ばないが、命までは保障してはくれない」

 まるで、他人事のように語る。

「だが、私たちは暑くても寒くてもそうじゃなくても、流されるがままに歩み、そこで何かを
見つけてきた――今回も、そうなるんじゃないかな」

 その通りだと、白井は頷く。
 何だかんだいって本物の危険地帯は避けてきたつもりだし、多少の困難は技量や力押しで
どうにかしてきたつもりだ。
 ミカが困れば白井が助けて、白井が諦めかければミカが手を差し出して――そんなことを
数年間繰り返してきた。
 相変わらず、あてのない旅を続けている。実家には時折連絡を入れるが、そんな馬鹿息子に
対しても、実家は「あらそう。体に気を付けるのよ? 車には気を付けてね?」と、相変わらず
子ども扱いするのだ。
 家族がいなかったら、旅なんて出来なかったと思う。
 ミカがいなかったら、自分はこうして気持ちよく生きられなかっただろう。

「ミカ先輩」
「……君は、風になる為にすべてを捨ててきたんだろう?」

 白井が、ハテナマーク丸出しの顔をする。

「なら、上下関係なんて無意味だということを、知っているはずだ」

 ああ、そうか。
 白井は、出来る限り笑う。

「ミカ!」
「なんだい?」

 くすりと、これまで通りのミステリアスな笑みを返してくれる。

「これからもよろしく」
「ああ」

 手を取り合う。
 白井の指とミカの指には、白井がプレゼントした安い指輪がはめられていて――

「それじゃあ、歩いていこう。次は何が待ってくれているのだろうね?」



後編

 夢から目を覚ます。

 ミカと出会ってばかりだというのに、随分と都合の良いものを見た。それだけミカのことが

好きで好きで仕方が無くて、こうして気分が良いのは、そうなって欲しいと願っているから

だろう。

 いつかは叶えたいものだ――外から聞こえてくるカンテレの音に導かれるがまま、白井は

テントから這い出る。

 

「起きたのかい? 見てごらん、今日も良い朝だ」

 

 ミカの周りには、カンテレの音に耳を傾けている老若男女の姿があった。

 朝のキャンプ場に、静かな曲調はすこぶる相性が良いのだろう。観客はいいものを聴かせて

貰ったとばかりに、小銭をミカの前に置いていく。

 ミカは、満足そうに「ありがとう」と礼を言い、横顔を白井に向ける。

 

「さて、今日はどの学園艦へ向かおうか」

 

―――

 

 思うに、ミカは直感的な何かが人一倍優れているのだと思う。

 だから、何の脈絡も無く新しい学園艦へ到着しても、ミカと「同じ道」を志す女性と顔を

合わす。

 例えばここ、古き良き日本を限りなく再現した、知波単学園艦の茶屋で団子を食っている際に、

 

「あ、あなたはミカ殿ではありませんか!」

「君は――すまない、誰だったかな?」

 

 眼鏡をかけた女性が、背筋をきりっと伸ばす。こんな綺麗な直立は、久々に見た気がする。

 

「失礼致しましたッ! 私は知波単学園戦車隊の戦車長を務めております、福田といいますッ!」

 

 礼儀正しい敬礼が決まり、黄色く染まった田んぼが風に揺れる。

 身長が小さめでも、その堂々っぷりは白井のふぬけた精神をわし掴みにした。

 

「なるほど。その熱意はとても羨ましい。あまり熱すぎると失敗を招くが、それが無ければ何も

成しえないからね」

 

 ここで手が空いていたらカンテレを奏でていただろうが、残念ながら今のミカは団子を食うのに

忙しいのである。

 黒森峰学園艦での件といい、ミカは食う事がよほど好きなようだ。料理の一つでも

覚えておいた方が良いかもしれない。

 

「ありがとうございますッ! ――おや、その男性の方は……恋人でありますか?」

 

 ミカが「いいや」と首を横に振るい、白井が「残念ながら」と返答する。福田は不思議そうな顔で「そうなのでありますかー」とコメントを残し、

 

「そういえば、ミカ殿は何故ここに?」

「旅行さ」

 

 ミカが緑茶を飲み、皿の上に手を伸ばす。

 しかし何事も有限があるもので、団子はとっくの昔に全て平らげられていた。

 

「……一つ質問、いいかな?」

「なんでありましょう」

 

 ミカが、ちらりと白井を横目で見つめる。

 

「君は、どうして戦車道を学ぶんだい?」

 

 福田はミカを見つめていて、白井は福田をじっと覗っている。

 再び、田んぼが風に揺れる。この茶屋に訪れるまで、歴史ドラマに出てくるような建物を数多く目にした。

 何となく知っている程度の、古いタイプの車やバイクと何度かすれ違ったりもした。

 けして派手ではない雰囲気は、自分がよく知りもしない過去をかなり再現していると思う。

 けして喧騒など期待出来ないこの場所は、風とあまりに馴染み過ぎた。

 

「……そう、ですね。この福田、恥ずかしながら、戦車道を通して理想の自分になろうと考えて

いるのであります」

「ほう」

「凛々しく、強く、堂々と主張が出来る――強い女性を、目指しているのであります」

 

 福田の言葉に、白井が息をつく。

 

「これは秘密にしておいてほしいのでありますが……将来は、戦車道で生計を立てたいと思っております」

 

 つまり、プロになるということだ。

 白井は、福田を心の中で称賛しながらも、地に目を逃す。

 

「なるほどね。君は、私などよりもよほど先を見通しているようだ」

「そ、そんなことは!」

 

 いやいやと、ミカは首を動かす。

 

「私は、流されるがままに生きているに過ぎないからね。――心の底から、君のことを

応援するよ」

 

 間。

 福田は思い切って敬礼をして、

 

「ありがとうございますッ!」

 

 知波単学園艦が、震える。

 

 

 その後、福田は「それでは」と、笑顔とともに去っていく。

 素晴らしい人を見たと、心の底から思う。罪悪感を抱くように、白井は大いにうつむく。

 きっと、ひどい顔をしているに違いない。

 俺は何をやっているんだろう、福田とは大して年の差など無いはずなのに。

 なんて羨ましい、絶対に届きようが無い。あそこまでの熱意なんて俺は抱けない、一つの事柄に

向けて突撃をする福田はあまりに輝きすぎていて、どうしたらあんな風になれるのか俺には

わからない。

 カンテレの音が鳴る。今の俺なんて、ミカには見せられるはずもない。

 

「それでいい」

 

 けれど、ミカは自分の姿を肯定した。

 

「悩む、それは前進への前振りだ。きっと、良いことが起こるよ」 

 

―――

 

「お」

「おや」

 

 大洗学園艦に設けられた公園のベンチに二人揃って腰を下ろし、ミカが弾くカンテレに身を寄せていれば、

じと目の女性がミカにゆらりと近寄ってきた。

 白井は少しビビってしまうが、ミカはなんでもないようにカンテレを奏で続けている。

 

「君は、あのあんこうチームの操縦手」

「おお、そこまで有名になっていたか」

 

 言葉とは裏腹に、ロングヘアーの少女は嬉しさもこれっぽっちも見せない。表情に出さない

タイプなのか、

或いは外野からの評価などどうでも良いと考えるタイプなのだろう。

 

「で、継続高校の隊長がどうした。偵察か、それともデートか?」

「いいや」

「残念ながら」

 

 事実を口にする時ほど、辛いものはない。

 しかし嘘をつけば、ミカに余計な迷惑をかけてしまう。人生とはままならないものだ。

 

「じゃあ偵察なのか。これはいけないな」

「安心したまえ、今回は旅行さ」

「分かった。次回は警戒しておこう」

 

 お互い露骨に表情を出さないタイプだからか、互角に競り合っているように見える。

 操縦手――ということは、戦車道に関わる人物なのだろう。やはりミカは、戦車道にまつわる

ものなら好きなように引き寄せてしまうらしい。

 

「しかし、旅行か。そんなの数年も行っていないな」

「なら、してみるといい。足を動かせば、何かを得られることもあるし、何も見つけられなかったという

結果も受け止めることが出来る」

 

 何も見つけられなかった、という単語に白井がどきりとする。

 そんな心中を読まれたのかは定かではないが、じと目の女性と白井の目が合う。

 

「……ま、いいさ。この大洗を好きに楽しむがいい」

 

 もう興味はないとばかりに、堂々とミカに背を向け、

 

「待った。一つ、質問していいかい?」

「何だ」

 

 女性は振り向かない。

 

「なぜ、君は戦車道を歩むのかな?」

 

 ミカが、一瞬だけ白井を見た。

 女性が、面倒くさそうに「そうだなあ」とぼやく。

 そうして数秒もしないうちにミカへ振り返り、相変わらずの無表情を露わにしたままで、

 

「まあ、最初はあれだ。個人的な失敗を取り消してもらうために、戦車道履修者となった」

 

 何それ、とは聞けなかった。

 この女性、身なりは無気力そうに見えるのだが、ミカの言葉を平然と受け止め、

ミカの目を平気な顔して射抜いている。

 間違いなく、この女性は戦車道を望んで歩んでいる。

 

「後は……そうだな。あれだな」

 

 ため息をつく。

 

「何だかんだいって、友人と一緒に、何かに必死になるのは楽しいからかな」

 

 言い終えて、ばつが悪そうに顔を歪める。

 

「今の、誰にも言うなよ」

「もちろん」

 

 カンテレの音が鳴る。そこに、意図は読めない。

 

「絶対に言うなよ。ああ恥ずかしい、なんでこんなこと言ったんだか……」

 

 そのまま、女性はとぼとぼと姿を消していった。

 後悔はしていたが、言葉そのものを否定はしなかった。

 

「友情を育む為、か。それはいいものだね」

 

 にこりと、ミカが白井に笑いかける。

 ――自分にも友人はいるが、あくまで雑談をしたり、食ったり飲んだりする関係に過ぎない。

 ここまで生きておいて、一生懸命になったことなど一度も無い事実を前に、白井は舌打ちする。

 

「焦る必要はないさ。君は、きっかけがあれば動けるような男だ」

 

 けれども、ミカは白井の歪みなど気にもしていない様子で、

 

「何も無い分だけ、懐は広いものさ」

 

 

―――

 

 ミカの言葉は信じるが、その説得力が自分自身に存在しない。

 たった十六年の人生経験から、白井は未だ「きっかけ」を掴めずにいた。そのはず、だった。

 

「ここは……」

「聖グロリアーナ女学院学園艦さ。どうかな?」

 

 黒森峰の大都会を前にしても、知波単学園の風情を目の当たりにしても、大洗ののどかさを

実感しても、白井は何がしかの躓きが拭えなかった。

 

「ここは……本当に、本当に日本なんですか?」

「ああ」

 

 化け物に囲まれたかのように、白井はうろたえる。理想郷を描いた絵からそのまま飛び出して

きたような街並みを前にして、白井は男としての興奮が収まらない。

 色とりどりのバスが道路を走り、それに交じって戦車が、聖グロリアーナ女学院学園艦の一部が、白井を横切った。

 路地裏なんて目にしようものなら、もう目の逃げ場は無い。洋風の建物と建物が、一筋の道を

挟んで整列しきっている。たぶん、そこに歩もうものなら二度と学園艦からは出られなく

なるだろう。

 テレビで、海外の街並みなど何度も目にしたはずなのに。

 ここは日本であって、あくまで外国風であるはずなのに。

 白井は、新しいテーマパークに足を踏み入れた子供になっていた。

 

「喜んでいるようだね」

「あ! い、いや、その」

「別にいい。この街並みは、完成されているからね」

 

 はしゃぐ子供を見守る母のように、ミカの口元が曲がっていた。

 

「そう思います。すげえ、こんな世界があるなんて……」

「世界は広いからね」

 

 見上げる。

 継続学園艦では見受けられなかった非現実感が、強すぎる好奇心が、白井の中で膨張する。

 

「ここは見るものが多い。博物館、劇場、可能な限り再現された城……さあ、好きなように

歩むといい。ここには、君にとってのキッカケがあるはずだ」

「わ、分かりました!」

 

 そうして、目についた観光所は次々と訪問した。劇場で聖グロリアーナオリジナルの劇を

目で追いかけ、拍手喝采。博物館で伝説の選手が使ったとされる戦車や、歴代の戦車道履修者が

愛用したとされるカップ、懐中時計、精巧に再現された選手の蝋人形――ぶっちゃけ、一日で

コンプリート出来る量ではない。

 戦車道の強豪校というだけであって、伝統や過去は強固に守られているらしい。戦車道には

詳しくはない身であるが、あの博物館には強すぎるくらい心を揺さぶられた。

 

 ただ歩いている時間でも、白井はけして調和を崩さない建物の波に飲まれていた。

 ――何となく、思う。

 自分が考えた建物が、あの中に混ざったらどんなに嬉しいだろうかと。どれほどまでの優越感が芽生えるのだろうかと。

 博物館だってそうだ。伝説の時を停める為に建築された、あの宮殿めいたデザインには心底

盛り上がった。

 それを、自分が担当したら。それを完成させたら――たぶん、感情がめちゃくちゃになって、爆発してこの世から消えてしまうと思う。

 何か巨大なものを作る。それは男としての根源的欲望であり、夢であり、情熱であり、自分の

求めていた道であることを、聖グロリアーナ女学院学園艦の何処かで、自覚していた。

 

「白井君」

 

 はっと、夢から現実へ引き戻される。ミカがいなかったら、きっと聖グロリアーナの世界へ

さらわれていただろう。

 

「凄く、良い目をしているね」

「そ、そうですか?」

「ああ。今まで見た中で、一番だ」

 

 やったね。ミカは、笑顔でそう答えた。

 

「ミカ先輩……」

「いいものを見させてもらったよ。旅行に同行させたかいがあったというものさ」

 

 ミカからの称賛に、白井は照れが隠せない。

 ごまかすように、周囲をくるくると見渡す。

 

「……ずっと思っていたんですが」

「なんだい?」

「ココって、お化け屋敷が多いですね」

 

 ミカの口元が、への字に曲がった。

 

「そうだね。ま、それはそれでいいことさ」

「入ってみません? お化け屋敷なんて数年ぶりですし」

 

 腰を下ろすまでは決して弾かなかったカンテレを、ミカは突っ立ったままで流した。

 

「まるで意味の感じられない選択だね」

「えっ。でもテーマがあって良い感じですよ、聖グロリアーナにまつわる都市伝説を

再現していたり」

「都市伝説なんて興味がないね」

 

 またカンテレが主張する。観光客らしい家族連れが、ミカを注目する。

 ああ、これはもしかして。

 白井は自分の手をつねる。笑いをこらえる為だ。

 

「――怖いんですか?」

「いいや」

「じゃあ、入りませんか? 夏休みフェアということで、入場料も安いですし」

「君の、自分探しの旅とはまるであてはまらない判断だ」

「自分ばっかり見つめても疲れるだけですよ。今は非現実を楽しみましょう」

 

 何だかんだでお化け屋敷の入り口前まで接近するが、ミカはそこで氷漬けになったままで

動こうとはしない。

 

「どうしたんですか?」

「ここで待つよ」

「そうですか……残念です。ミカ先輩と、都市伝説を楽しみたかったのに」

 

 ミカは、ここまで導いてくれた「優しい」先輩だ。

 だから、あえて大げさに落ち込んでみせた。

 

「白井君」

「はい」

「ここからは、風が感じられない」

「そうなんですか……」

 

 密閉空間だから仕方がない。

 

「だから、もしかしたら『君が』道を違えてしまうかもしれない」

「それはいけませんね……」

「だから、私が君の手をつないでおいてやろう。こうすれば、意味の無い消失を迎えることは

無い」

 

 捕まれた。ここまで力強く握られては、拉致と表現しても過言ではない。

 けれど抗議したりはしなかった。他でもないミカとのスキンシップなのだ。喜びすぎて本当に消えてしまいそうだった。

 

「ミカ先輩」

「なんだい」

「俺を守ってくださいね」

「当たり前さ。私は、先輩だからね」

 

 そして、ミカは絶叫することなくお化け屋敷を突破した。頼もしいミカの加護は、白井の左手を真っ赤に変色させる程の力強さがあったことを、ここに書いておく。

 

 

 

「君には失望した」

「そんなこと言わないでくださいよー」

 

 ほら、とジュースを差し出す。ミカはあくまで微笑を浮かばせたままで、ジュースを手早くぶんどってごくごくと飲み干していく。

 

「君の表情を窺わせてもらったが、普通に驚いたり、声を出すだけだったじゃないか」

「普通でしょう、それが」

「泣きそうになったりはしなかったのかい? 君は軍人になった方がいい」

 

 じゃあミカは泣きそうになったのだろうか。

 それを口にすると人間関係が破綻しそうになるので、絶対に言わないでおく。

 

「まあまあ、機嫌を直して。おいしいものでも食べましょうよ」

「……扱いが上手くなったね」

 

 時間が経てば、大抵の怒りや恐怖などは笑い話に成り果てるものだ。

 ミカは、しょうもない後輩を眺めるような感じで、苦笑してくれた。

 

「――あら、そこにいるのは……あの高名なミカ様ではありませんか」

 

 白井が「え」と声に出し、ミカが「うん?」と、声がした方へ目をやる。

 

「ごきげんよう。――デートのお邪魔をしてしまいましたか?」

 

 日本人にはまるで見えない、どこかあどけない雰囲気を醸し出している金髪の女性が、すたすたとミカと白井へ近寄ってきた。

 

「これはデートじゃあないんだ」

「残念ながら」

 

 ミカが余裕そうに、白井が無念そうに。

 

「まあ、そうでしたか……失礼、私はオレンジペコと申します。継続高校出身者である、あなたの名前はしかと耳にしております」

「へえ、私も有名になってしまったものだね。何もしていないのに、おかしなことだ」

「ご謙遜を。大学選抜チームとの試合の際には、見事なご活躍を成されたではありませんか」

「たまたまさ」

 

 やはり、あの奮闘ぶりは、戦車道履修者にとっては見逃せない出来事であったらしい。

 自分もあの技量を手にしたい、あの腕前の持ち主に勝ってみたい――そんな思いが

込められているからこそ、ミカのことが忘れられない者が多いのだろう。

 

「戦車道は実力が如実に表れる、極めて現実的な武芸です。偶然はアテには出来ません」

「そうだったのかい? 知らなかったな」

 

 オレンジペコがふふふと笑い、ミカがくすりと微笑む。

 恐ろしい、口も開けない。

 

「いつか、一緒に試合がしたいものです」

「待っているよ」

 

 お互い、笑みという牙城を絶対に崩さない。自分はといえば、両軍の間に挟まれ、哀れにも

巻き込まれるがままの民草そのものだった。

 

「――ああ、そうだ。試合ついでに、一つ質問をしていいかな」

「どうぞ」

 

 瞬間、白井の表情がぐっと引き締まる。

 また、ミカが自分のことを導いてくれる。

 

「オレンジペコさんは、どうして戦車道を選んだのかな?」

 

 間。

 

「――強く、そして凛々しい女性になりたかった、と言えばどうでしょう」

「良いんじゃないかな。それもまた、戦車道だ」

 

 この言葉に聞き覚えがある。

 知波単学園の、福田という戦車道履修者が言っていた。

 

「けれど、それだけではありません」

 

 白井がまばたきをする。

 

「強い女性らしさを、武を通して学び――強い殿方に、選ばれるに相応しい女性となりたい」

 

 オレンジペコの頬が、少し赤くなる。

 

「愛される資格を持つ、女性になりたいのです」

 

 白井は思った。

 すごくかわいい。

 

「なるほど」

 

 ミカは、納得したように小さく頷いた。

 

「君は、立派な戦車道履修者だね。実に女性らしい」

「ありがとうございます。何故だか、あなたにはここまで話せてしまいますね」

 

 言えて良かったように、オレンジペコが笑顔になる。

 

「――それでは、今度は試合でお会いしましょう。楽しみにしていますよ」

「こちらこそ」

 

 スカートの端をつまみ、頭を下げ、そのまま軽やかにオレンジペコは去っていった。

 ――今日一日のことは、絶対に忘れられないだろう。あまりにも、色々なことがありすぎた。

 

「白井君」

「はい」

「――今日は、とても良い日だと思わないかい?」

 

 心の底から笑えただろう。

 

「はい」

 

―――

 

 何だかんだで、夏休みは終わりを迎えていく。それほどまで、学園艦巡りは長くてあっという間

だった。

 たぶん、人生の中で最高ランクに位置する経験をしてきたと思う。

 何もなかった自分に理想の世界が訪れ、巨大な夢を抱き、そしてミカという女性と出会えた。

 ミカの言う通り、自分は早すぎただけだったのかもしれない。たかが十六しか生きていない若者の分際で、何を悟ったフリをしていたのだろう。

 これからすべてが始まるのだ。

 自分がデザインした家に自分とミカが住み込み、「これが君の夢かい? 上出来じゃないか」とか評価されて。

 建築家として、お疲れの日々を過ごしながらも帰宅すれば、「おかえり」とカンテレの音が迎えてくれる。ミカの幸せは、俺と俺の家が守る。

 学ぼう、働こう。

 実現させる為にはそれしかない。建築家になるなんて間違いなくハードルが高いだろうから、色々と勉強するしかない。

 たぶん、おそらく、絶対に挫けそうになる日が来る。けれども、ミカを幸せにするという野望を

忘れなければ、何とかなってくれるはずだ。

 なぜなら、自分がここまで来れたのも、全てはミカがきっかけだったから。

 ミカがいなければ何も始まらなかったからこそ、自分はミカを中心にモノを考えられる。

 だから――

 

 

「一日バイト、お疲れ様」

「いやー、きつかったっす」

 

 くたくたになりながらも、ミカが座る公園のベンチへ腰を不時着させる。

 ――サンダース大学付属高校学園艦に立ち寄って、最初に言い出したことといえば、

 「一日バイト、していいですか? 社会体験がしたくなって……」だった。

あんまりにも過ぎる唐突な頼みごとに対し、ミカは歓迎するような表情で「意味のある

判断だと思うよ」と許可してくれた。

 

「いやー、ライブ会場建設もラクじゃないですね」

「良い汗をかいたね」

 

 たははと、白井が笑う。一日バイトにしては良い給料を貰えたし、これならプレゼントの一個も

買えるだろう。

 

「おお、そこにいたんだな、白井君」

「ああ、ナオミ先輩」

 

 あっという間にバイト仲間となったナオミが、白井のもとへ駆け寄ってくる。

 

「お……あんたは確か」

 

 この反応も慣れてきた。やっぱりミカは、見逃せない人なんだなと誇らしく思う。

 

「どうも、継続高校の通称ミカだよ」

「初めまして。サンダース大学付属高校のナオミだ」

 

 互いに頭を下げ、歓迎するようにミカがカンテレを鳴らす。

 

「こいつとはさっき知り合ったばかりだが、なかなか良い男じゃないか。継続高校とは

魅力的な人物が多いのかい?」

「その通りさ」

 

 ミカが、にやりと笑う。

 

「俺はそんな、大したタマじゃないですよ」

「そうかな? さっきまで、バイト仲間とアドレスを交換していたじゃないか」

「ココがフレンドリーだからですって」

 

 この学園艦特有の空気なのか、別モノの学園艦出身の白井に対し、「お! 継続高校から

とは珍しいな! あいつらは力強いって聞いたが本当かい!?」と、男どもが歓迎してくれた。

 女性のバイト仲間も、「真面目だねえ! ウチに来なよ! ここの男どもったらさ!」とか

何とか言って肩をばしばし。

 仕事がひと段落済むと、バイト仲間からアドレスを交換しろ今度遊びに行くぜと、好き勝手に

もみくちゃにされた。なるほど、何故金持ち校なのか何となく分かった気がする。

 

「また、手伝ってくれると助かる。君のような人はいつでも歓迎する」

「ありがとうございます」

 

 頭を下げる。

 そこで、ナオミが「おっと」と声を漏らし、

 

「すまない……お邪魔だったかな?」

「そういうのではないんだ」

「残念ながら」

 

 ナオミが、「へえ」と半笑いで頷く。

 

「学園艦を巡って旅行中でね。ここで最後、後は帰るだけさ」

 

 その言葉を聞いて、残念なような、寂しいような、けれど納得するように、白井は

深呼吸した。

 

「そうか。どうだった?」

「もう、未練はないよ」

「同じく」

 

 ナオミが、「それは良かったな」と親指を立てた。

 

「また休みにでも入ったら、ここに来てくれ」

「ああ」

 

 ミカが、カンテレを鳴らす。

 そして――

 

「私のことを知っていた――ということは、戦車道履修者と考えても?」

「ああ」

「では、一つ質問をさせて欲しい」

 

 さて、

 

「君は、どうして戦車道を志したのかな?」

 

 どんな答えを出してくれるのだろう。

 

「そうか、そうだな……まあ、あれだ。自分の気質に合っていたから、かな?」

「ほう」

「練習すればするだけ、結果が表れる。それも派手な形にね。地味なのはどうも苦手でさ」

 

 確かに、戦車は主砲をぶっ放すわ機銃を連射するわ轟音とともに前進するわで、派手が鉄に

包まれたような乗り物だ。

 それに惹かれて戦車道を始めたとしても、何ら不思議な話ではない。

 

「なるほど。しかし、君はあくまで戦車道履修者として気質を通している、そうだろう?」

「ああ。戦車道は争いの手段ではなく、武と礼を通すための勉学だ」

 

 ミカが、同意するようにカンテレを鳴らす。

 

「いい言葉だね」

「同じ意見だろう?」

「ああ」

 

 やはり、戦車道は全てを教えてくれるのだろう。

 これまで沢山の戦車道履修者と出会ったが、誰もが自分の夢を追い求め、誠実に戦っている。

 きっと、今日もこの世界のどこかで戦車と戦車がぶつかりあっているのだろう。個人的な信念と

譲れない信念が、視線の代わりに主砲を向けて、撃つ――今なら言える。戦車道は素晴らしい。

 そして、それを愛するミカのことが、愛おしい。

 

「――さて、こんな時間か……また会えるといいな」

「ああ。その機会に恵まれるよう、心から祈ろう」

 

 ナオミが「またな」と手を振って立ち去っていく。

 白井も、また会えたらいいなと、ナオミの背を見届ける。

 

「白井君」

「はい」

「人の数だけ、それぞれの戦車道がある。そして、それらはすべて正しい」

「はい」

「だけれど、どうしても正しい道を見いだせない人だっている。そんな時は――迷うといい。

時間をかければかけるほど、道を見つけた時、この道しかないと信じられるようになる。

――君は、その足で自分の答えを探し出そうとして、聖グロリアーナ女学院学園艦で何かを

見つけた。そうだろう?」

「はい」

 

 白井の顔を覗い、小さく頷き、ミカは――小さく微笑んだ。

 

「――いい男になったね、君は」

「ミカ先輩のお陰です」

「そうかい? 私はただ、風に流されるがまま観光しただけさ」

 

 カンテレの音が、夕暮れの空に寄り添う。

 

―――

 

 翌日を迎え、サンダースの大都会っぷりを一通り堪能した後は、待ちに待った昼飯だ。

どうしても出てくる豪勢な食事を前にして、白井とミカはうまいうまいと口にする。

 普段の生活をしていれば、たぶん食えなかったと思う。旅をしていると、食べ物に対しての欲求や飢えが人一倍強くなる。

 歩けば腹が減る、生きているだけで金がかかる。そんな当たり前のことが脳裏に強く焼き付いている今だからこそ、白井とミカは貪欲に、心からうまそうにエネルギッシュな食事を

堪能していた。

 

「まだ食うんですか」

「食事は、無条件に愛しても良いものなのさ」

「愛って金がかかりますよね」

 

 学園艦巡りも、明日で終わる。

 これで旅はおしまい。夏休みが終了し、新学期が始まる。

 それまでは、サンダース特有の陽気さで遊ぶことにした。

 

―――

 

「……あっという間に、継続高校に着いちゃいましたね」

 

 夕日が差し掛かる頃、白井とミカは、グラウンド前で継続高校を懐かしがるように

見つめていた。

 継続高校は、旅行前と何も変わってはいない。出来ればこれからも相変わらずでいて欲しい。

 色々な場所を見てきたつもりだが、やはり、この継続高校こそが自分の母校だった。

 

 風が吹く。思うとここからすべてが始まった気がする。

 あくびをしながら散歩をし、理由もなく継続高校を眺めに行って、そこからカンテレの音に

惹かれてミカと出会った。

 十六も生きてきた男が、たった十六しか歩んでいない若造へ成り代わった瞬間だった。

 ――ミカの横顔を見る。そこに居るのはミステリアスな女性ではなく、清々しく、明るく

微笑する素敵な先輩だった。

 

「先輩」

「ああ」

「長旅だった気がします。実際は、半月ちょいでしたけれど」

「十分さ」

 

 ミカは、まだまだ継続高校を眺めている。

 自分の姿など、これっぽっちも目に映していない。今だけは、それがとてつもなく魅力的に

見える。

 尊敬する先輩が、同じ学校に通っていた現実がたまらない。

 

「――先輩」

 

 感慨深そうなミカの邪魔はしたくはなかったが、ここで動かなければもうチャンスは

無い気がした。

 だから白井は、ポケットから飾り気のない銀色のブレスレットをミカに手渡すのだ。

 

「これ、」

「受け取ってください。一日バイトで稼いだ金だけで買った、あなたへのお礼です」

 

 初めて働き、自分の力で手にしたお金は、力強い魔力すら感じられた。

 初めてという体験は、もう二度と取り戻せない。だからこのお金は、他でもないミカの為

使おうと決心していたのだ。

 

「これは……とても素敵なものだ。これぐらいが、私には似合う」

 

 ミカは、本当に嬉しそうに笑いながら、ブレスレットを腕につけてくれた。

 白井は「それは良かった」と落ちつきぶって、心の中ではプラス的な感情が噴火中だった。

 

「ありがとう。君は――最高の友人だ」

 

 友人。

 その言葉を聞き、心に冷や水がかかる。

 確かに、憧れの人物と交友関係になれたことは、とてつもなく喜ばしい。

 だが、白井個人のゴールは、そこではない。

 

「――ミカ先輩」

「なんだい?」

 

 ごくりと、唾を飲む。ミカもただならぬ気配を察したのか、笑みを沈ませ、白井の顔を

真正面から受け止めていた。

 風が吹く。

 風が応援してくれた。

 だから言う。

 

「ミカ先輩――俺は、俺は、ミカ先輩のことが好きです」

「……ああ」

 

 ミカが、ふたたび口元を緩める。

 

「私も、君という人が好きだよ」

 

 違う。

 

「俺は、ミカ先輩のことが、女性として好きなんです。愛しているんです」

「……え」

 

 初めて、ミカの狼狽する顔というものを見た気がする。

 あれほど恐ろしかったお化け屋敷の中でも、ミカは平然を装っていた。

 ――たぶん、こういうことを言われたことが無いのだろう。

 それは、何となく分かる。ミカは捉えどころがなくて、小手先の言葉など難なく受け流して

自然と周りの人を惹き寄せてしまう。

 そんな人を、愛で独占しようなどと、身の程知らずにも程がある。

 

「俺のことを導いてくれたミカ先輩のことが、優しい言葉を投げかけてくれたミカ先輩のことが、

一緒に旅行をしてくれたミカ先輩のことが、大好きなんです。これからも、一緒に居てください」

 

 何もない頃の自分だったら、口が裂けても言えなかった。

 だが、今なら何を恐れることもなく告白出来る。夢を見つけ、熱意が誕生し、ミカのことを

追いかけてきた自分なら、何の後悔も遠慮も不安も抱くことなく、言える。

 

「……そうか……」

 

 うつむく。自然と調和するように微笑むミカは、そこにはいない。

 

「白井君」

「はい」

 

 白井が、静かに息を吸う。

 

「一つ、質問させて欲しい」

「はい」

「君は、聖グロリアーナで何を見つけたのかな?」

 

 白井が頷く。

 

「はい。俺は、あの学園艦の街並みを見て、その光景に一目惚れしました。――あんな建物を、自分も作ってみたいと、博物館のようなデカい輝きを生み出したいと、そう思いました」

「……そうか。君は、確固たる夢を、自分の力で掴めたんだね」

「ミカ先輩のお陰です」

 

 ミカが、左右に首を振るう。

 

「夢を決めるのは、いつだって自分自身さ。君は、何もないからこそ大きな

目標を見いだせたんだ」

「ありがとうございます」

 

 ミカが優しげに、表情を明るくする。

 白井も、応える為に笑う。

 

「――だからこそ、君の想いには応えられない」

 

 え、

 

「君は、確かに夢を胸に抱いた。その夢は、困難であると知っておきながら」

 

 白井がまたたく。

 

「白井君。私はね、継続高校を卒業したら、旅に出ようと思うんだ」

「旅行、ですか?」

 

 ミカは、否定するように首を横に動かす。

 

「本当の旅さ。学園艦を巡ったり、或いは本土へ歩むかもしれない。高望みするなら、

海外もかな」

 

 ミカはけして笑わない。

 心を射抜くような鋭い目が、白井の全身を貫いている。

 

「いわゆる、世捨て人になろうと思っている。正直、現実世界は少し性に合わなくてね」

 

 声が、やっと出る。

 

「どういう、ことですか」

「なに。情けない話だが、昔、ちょっと『色々な事』があってね。それ以来、人に従ったり、従えたりするのが、心の底から嫌になってしまったんだ」

 

 ミカは、あくまで笑わない。

 

「だから、現実世界で頑張ろうとする君の想いには、応えられない」

「そ、そんな……待ってください。俺は、その、」

 

 ロクな言葉を発せない。そんな白井を見て、ミカは息をつき、

 

「私はね、望まれて継続高校へ入学したわけじゃないんだ」

 

 声を失う。

 

「私は、ちょっと良い家にたまたま生まれてね。それで学習能力も普通にあったから、俗にいう

お嬢様学校へ通わされて」

 

 ミカが、銀のブレスレットをちらりと見る。

 

「そこで、上下関係というものを叩きこまれてね。――それはもう全く楽しくなかったよ。

しかも、高校まで勝手に決められそうになった。ここで初めて反発した」

 

 ブレスレットを、左手で撫でる。

 

「親は凄く驚いてね、その顔は今でも思い出せるよ。で、抗議の結果、晴れて継続高校へ入学

出来た、というわけさ。ここは大らかと聞いたからね」

 

 なんでもないことを語った後のように、ミカはふっと苦笑した。

 

「で、しばらくして勘当を宣言された。まあ両親も真面目な人だから、高校生活を卒業するまでは

お金を出してやる、とか言ってくれてね」

 

 ひどい寒気がする、ミカの言葉全てが脳に突き刺さる。

 

「高校生活も、あと少しで終わる。その時が、旅立ちの始まりさ」

 

 口が間抜けに開いていたと思う、呼吸をしていたと思う。

 

「ま、待って、待ってください……」

「こればかりは変えられない。私は、そういう風にしか生きられない」

「せ、戦車道は、」

 

 ミカが「ああ」と優しげに言い、

 

「継続高校のみんなは、こんな私のことを仲間として受け入れてくれた。戦車道だってそうさ。

困難や喜びを皆で分かち合い、負けたり勝ったりする――本当に、最高だった」

 

 知らなかった。

 

「戦車道は、私に友情というものを教えてくれた。あの狭い戦車の中こそが、私の居場所だった」

 

 ミカはいつだって自分の隣にいたはずなのに、ミカのことをまったく学べていなかった。

 

「そして、みんなは私のことをミカとして受け入れてくれた。それは、思い付きで決めた名前で

あるはずなのにね。……本名なんて、もうこりごりさ」

 

 教えてはくれなかった。

 ミカの、本当の姿を。

 

「この旅行は、本当に楽しかったよ。可能性を見つけ出した君の姿は、とてつもなく輝いている。

こればかりは断言する」

「……ミカ先輩」

 

 歯を食いしばる。

 

「ミカ先輩、お願いします。消えて、いなくならないでください。俺が、俺がなんとかします!

ミカ先輩は俺と一緒に居てください、お金なら何とかします。いつものように、少し遠回りした

言い回しで俺を困らせてください。仕事でクタクタになった俺のことを、カンテレで出迎えて

ください」

 

 感情が滝のように暴発する、プロポーズめいた言葉が勝手に沸いて出てくる。

 

「ミカ先輩は、俺にとって必要な人です。お願いします、いなくならないでください。俺はミカ先輩がいないと、何もできない……」

 

 ミカは、首を横に振った。

 

「君だけ必死に現実と戦って、それに甘える。それは――不義理な話だね」

「じゃ、じゃあ、俺もミカ先輩と旅をしますッ! それでも構いません、ミカ先輩がいれば、」

「意味のないことは、言うものじゃないよ」

 

 白井のわめきが、遮断される。

 

「君の夢は、そう簡単に捨てられるようなものなのかい?」

「そ、それは……ミカ先輩と、比べれば……」

 

 たぶん、心の底から言えたと思う。

 白井の中で、これまでのミカの姿が、大きく膨らんでいく。

 

「いいや、あの目の輝きは本物だった。野望とすら言ってもいい。君は、間違いなく男だよ」

「い、いいえ、ミカ先輩と一緒にいることが、俺の夢です」

 

 そうか、とミカは返事をする。

 

「じゃあ、最後に一つ、質問をしよう」

「は、はい」

 

 青白くなった感情のまま、白井はミカの言葉を待って、

 

「君は、家族を切り捨てられるのかな?」

 

 ――、

 

「旅行は良い、許されるだろう。けれど、何年も旅をするとなると話は全く違う。本当の意味で

自由になるには、過去など切り離さなければならない」

 

 ミカの目は、決して白井を見逃さない。嘘など全て破壊してやると、白井を凝視している。

 

「私はそれでいい、家族なんて今更だ。けれど君はどうだ? 君の家族関係は?」

 

 友人と一緒に旅行をすると報告した時、母は自分のことのように大喜びした。

 喜びすぎだようるさいなあと思っている時、母は車に気を付けてねと、息子の身を案じた。

 適当に返事をしているというのに、母は、息子が旅行先で困らないように、お金を振り込んで

くれた。

 

「悪い、とは言わせないよ」

 

 ――死んだ。

 

「君は、風にはなれない普通の人だ。私も、君のようにはなれない」

 

 銀のブレスレットを、するりと外した。

 

「君は、幸せになりなさい。これは本心からの言葉だよ」

 

 ブレスレットを手渡されそうになった時、白井は無意識か、本能か、それを手で抑えた。

 ――ミカは察してくれたのだろう。再びそれを腕にはめ、白井に背を向ける。

 

「卑怯なことを、一つ言わせてほしい」

 

 返事は出なかった。

 

「君のことは、忘れない」

 

―――

 

 新学期が始まり、白井は未練がましくミカを探し回った。

 ミカの後ろ姿すら見つけられないくせに、周囲の生徒はこう言うのだ。

 

「ああ、ミカ先輩ならあっちへ行ったよ」

「ミカ先輩? グラウンドじゃないかな」

「ミカなら外に出てったよ」

 

 こう、言うのだ。

 結局、ミカとは二度と出会えなかった。卒業式の日ですら、ミカを発見出来なかった。

 最初は、夢なんてどうでも良くなった。ミカはあまりにも大きすぎて、最高に好きになった人だったから。

 このまま逆戻りになっても、それはそれで仕方がないと考えていた。ミカのいない自分など、

何もないに等しいと決めつけていたからだ。

 ――そう、思いたかったのだ。

 このまま夢を追い求めては、ミカを好きになった自分が消えてしまいそうで、ミカとの出会いが思い出になってしまいそうで。

 心の中でミカに縋らなければ、ミカがいなくても大丈夫と思ってしまいそうで。

 

 二年生になったある日、ボロボロになった戦車が継続高校のグラウンドへ帰ってきた。

生徒曰く、

「また負けちゃったか」と。

 戦車を見て、ミカの顔が眼にちらつく。逃げるようにして、戦車から目を逸らし、

 

「十分な戦力があれば、優勝を狙えるのにね。ま、ウチは金がないし」

 

 何気ない同級生の一言が、白井の頭の中に衝撃を食らわせた。

 金があれば、戦力が整えられる。戦力があれば、ミカが成しえなかった優勝を掴める

かもしれない。

 金が無くても、どこも十分に戦えるようになれば、ミカの愛した戦車道がもっともっと世界へ

広まるかもしれない。

 

 ――放課後、白井は書店へ走った。そこで、戦車道に関する書籍を買い漁った。

 

―――

 

 数年後が経過して、背筋が伸びた白井は、今日も「戦車道を広めるには、公平な援助こそ必要」と、日本戦車道連盟の委員相手に堂々と訴えていく。

 もちろん上手く反論する奴もいたし、出来るならやっていると主張する者もいた。そうした意見に対し、白井は「こうすればいい」だの「ああすればいい」だの「その主張に意味はあるの

ですか?」だのと、あくまで自分の意見を貫いていく。

 時折、わざとらしく「意味があるとは思えない」とか言うものだから、多少は顔を覚えられて

しまった。

 ――生まれて初めての、誰かの真似事だ。

 

 今は、継続高校も優勝を狙えるようになった。強豪校は今もなお強豪校として君臨しているが、少なくとも資金不足という悪循環からは多少、抜け出せるようになっている。

 これも、共感してくれる委員が数多く居てくれたからだ。元弱小校出身者が多く、一緒になって援助の必要性を主張した。

 

 ――難しい問題もあったが、白井達の意見は何とか通っている。今となっては戦車道履修者が

増加し、プロリーグも活性化しているのだという。

 

 「もしかしたら」の可能性が広まれば広まるほど、戦車道をやってみたいと、優勝したいと

夢見る若者は多くなる。

 それはとても素晴らしい世界であり、過去の自分が学んだ道でもある。

 建築家になる夢は諦めたが、後悔はしていない。日本戦車道連盟の一員として、白井は今日も熱意をもって意見する。

 

 ――しかし、あくまで仕事人間として生きているつもりでも、

 

「あ、あの、今度、一緒に食事へ行きませんか?」

 

 こうした出来事には、めぐり合うものらしい。

 女性の同僚なのだが、その目はとても鋭く、けして飾らない流れるような長髪をしていて――

 白井は、誘いを流す。

 あの人に似ているが、決して違う。あの人は、こんな風にストレートな表現をしたりはしない。

 

 仕事の渦に飲まれそうになっても、あの人のことは忘れたことはない。

 あの人は、人それぞれの戦車道を教えてくれた。あの人は、自分が歩むべき道を示してくれた。あの人は、これからも戦車道を愛し続けていく。

 だから、自分も戦車道を学んだ。女性の武芸であろうとも、だからこそ、その姿は美しい。

 

 ある者は、誇りの為に、受け継ぐ為に戦車道を歩んだ。

 ある者は、理想の自分になろうとして戦車道を歩んだ。

 ある者は、これからも友情を育もうと戦車道を歩んだ。

 ある者は、愛される資格を得るために戦車道を歩んだ。

 ある者は、自分らしさを表現する為に戦車道を歩んだ。

 あの人は、戦車道を愛しているから、戦車道を歩んだ。

 

 そして、自分は未練とともに戦車道を学んだ。

 夢なんてそれでいいと思う。未練が無くては、夢なんて途方もないものを追いかけることは

できない。

 出会えなくても、語り合えなくとも、戦車道を続ける限り、あの人の世界を守ることが出来る。

 

―――

 

 カンテレを片手に、白井は継続高校のグラウンド前に突っ立っていた。

 相変わらず趣味の幅は狭かったが、カンテレだけはしっかりと習った。疲れた時は、自分で弾いて心を落ち着かせている。

 既に夜遅く、グラウンドには人の気配など全くない。

 久々に休暇を取り、疑似的な夏休みを絶賛満喫中だ。夏休みなんて懐かしいなあと、寂しそうに思う。

 

 さて。

 

 グラウンド前の草むらで、腰を下ろす。時間こそ違うものの、「あの日」には間に合った。

 まだ、自分の気持ちは未練がましいと思う。けれども、それを悪い事とは考えていない。

 これは、失ってはいけない大切な思い出だ――

 だから、夏のこの日で、この場所で、カンテレを弾く。有名な民謡だ。

 最初はぎこちなかったし、失敗を重ねまくったが、今となっては最低限レベルで演奏出来る。

 腕が上達していったと実感した時、自分は大した男だと自画自賛したっけ。

 

 グラウンド前で、かつて何度も耳にした音が体に染みわたる。

 継続高校へ届けるように、音楽を奏でていく。

 

 ――そして、白井の音に、もう一つの音が寄り添った。

 

 白井の表情がぴくりと動くが、演奏は続く。

 白井の音を彩り、時には失敗を無かったことにしてくれた。この継続高校で、かつての母校で、全ての始まりの場所で、音と音が抱き合い、踊る。

 演奏は続く。けれどもいつか、演奏には終わりが訪れる。

 ――でも、それを認めなくちゃ。

 背中の向こう側にいるあの人も、それを心から望んでいるはずだから。

 

 ……静寂が訪れる。継続高校の世界が、元通りになる。

 白井はゆっくりと、ゆっくりと振り向くが、そこには誰もいない。

 けれども、背中は確かに温まっていた。背中越しで、あの人が一緒になって演奏をしてくれた。

 

 気のせいかもしれない。

 だけれど、草むらに目をやってみれば、白井の不安などは泡となって消えるのだ。

 

「……来てくれたんですね」

 

 かつて、あの人にプレゼントしたものと同じデザインをした、金のブレスレット。

 特盛チキンカツカレー分、と書かれた封筒。

 あの人は、本当に、貸しを作るのが嫌いなんだなあと思う。

 金のブレスレットを腕にはめ、封筒を懐にしまい、カンテレを片手によいしょと立ち上がる。

 

「……ミカ先輩」

 

 誰もいない。けれども、あの人は確かに居る、見てくれている。

 だから、これからも現実世界で生き抜いて、普通に恋をして、普通に幸せになろう。

 だから、今日は風呂に入って、飯を食って、泣いて寝よう。

 

「あなたと出会えて、本当に良かったです」

 

 愛情に育まれ、夢に飢えた自分は、所詮は普通の人だった。

 風の付添い人には、なれなかったのだ。

 ――けれど、

 ――けれど、今でもミカ先輩のことが、

 

「今まで、本当にありがとうございました!」

 

 

 大好きです。

 

 

 

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
こうした話を書いて、あとがきってどう書けば良いのだろうと、本気で悩んでいます。

幸せな話を書いて、今度は失恋が描きたくなって、それにミカが合いすぎました。
最初はどうしようかと思いましたが、こうして文章にさせていただきました。

ご意見、ご感想、いつでもお待ちしています。

最後に、
ガルパンはいいぞ。
ミカは素敵だぞ。

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