NARUTO筋肉伝   作:クロム・ウェルハーツ

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邂逅・我愛羅

 消毒液の臭いが鼻を刺激する。体が強張っている。

 その臭いに反応したのか、将又、彼の筋肉が動きを欲しがったのか判断に困るもののナルトは意識を取り戻した。腹筋に力を籠め、ナルトはベッドの上から上半身を起こす。彼の目に映ったのは、白い清潔なシーツと柔らかな日差しだ。

 そこでナルトは気が付いた。いつの間にか、師も呼び寄せたブン太もいないことに。

 そして、最後の記憶。ブン太に自分のことを説明しようとした瞬間、視界が暗転したことを思い出したナルトは自分が気を失って病院に担ぎ込まれたのだろうと当たりをつけた。

 

「よう……やっとお目覚めかよ。タイミングが悪かったな。もう少し早く起きてればサクラも居たけどよ」

「む?」

 

 突如、横から聞こえてきた声にナルトは顔を向ける。

 そこに居るのは頭頂部で長い黒髪を纏めて逆立たせている知り合いの姿。

 

「シカマルか。何故、貴殿がここに?」

「チョウジの見舞いに来たらお前が倒れてるって聞いたからよ。めんどくせーけど、様子を見に来た訳だ」

「感謝する」

 

 シカマルに向かって頭を下げた後、ナルトは決して聞き逃せない一つのワードが入っていることに眉根を寄せた。

 

「チョウジが心配だ。己も見舞いに行こう」

「心配すんな。チョウジの奴は試合後に焼肉の食い過ぎで腹、壊してるだけだ」

「大事ないということか」

 

 そう頷いたナルトだったが『とはいえ……』と言葉を続ける。

 

「心配だ。やはり、見舞いに行こう」

「おいおい……お前も今さっきまで寝込んでいたことを忘れたのか?」

 

 呆れた様子で肩を竦めるシカマルだったが、彼はナルトの友として理解している。情に篤いこの漢は何が何でも、例え、全身が筋肉痛で際限なく痛んでいたとしても傷付いた友に会いに行くことを曲げはしないということを。

 シカマルの取れる手は一つだけだった。

 

「チョウジの見舞いが終わったら、しっかり休んどけよ」

「承知」

 

 ナルトに一言、釘を刺してチョウジの病室へと案内することがシカマルに取れる最善の一手であった。然れども、彼の表情は明るい。友であるチョウジのことを心配してくれる友がいることが彼にとっては何よりも嬉しかったのだから。

 

 +++

 

 同時刻、同病院内、その一室で一輪の水蓮が風に揺れる。

 

 この花はサクラが見舞いの品として持ってきたものだ。もっとも、彼女も本選の修行の為に見舞いの時間は多く取れず、病室で眠る者の寝顔を見たのみであったが。

 修行で忙しい合間を縫ってサクラが訪れたのは傷付いた恩人の病室だ。もし、彼がいなければ、第二の試験の際、一歩を踏み出す勇気が出なかっただろう。今の自分がいるのは彼が駆けつけ、踏み出す切っ掛けを与えてくれたからに他ならない。そして、本選へと挑む前に一言、礼を言っておきたかったサクラは床に臥す彼を見て、悲しそうに目を伏せた後、踵を返すのだった。

 

 サクラが去った病室は影に包まれている。太陽が厚い雲に隠れたせいだ。それは、眠っているサクラの恩人である一人の少年、ロック・リーの行く末を暗示しているかのように。

 

 何の前触れもなく、リーの病室の扉が開いた。病院の医師や看護師は扉を開く音を一つとして立てることなく病室に入ることはない。いや、正確にはどんなに気を付けていようと音を立ててしまう。医療に携わる忍──医療忍者──は隠密行動を取る事を想定されていない。医療忍者は特殊な技能、そして、豊富な知識が必須であり育てるのに多大な時間と労力を要する。むざむざ、危険な地に行かせるのは非常時ぐらいなものだ。そのような訳で隠密行動に優れない医療忍者が扉を音もなく開けるというのは、あまり考えることができない。

 では、リーの見舞いに来たのは通常の忍ではないかという疑問が出てくる。しかしながら、リーを見舞いに来るような忍は班員や担当上忍といった気心の知れた者。それらの者ならば、確かに音を立てずに扉を開くことは出来る。だが、彼らならば、音を立てて扉を開くことで来訪を知らせるだろう。リーが眠っているかもしれないと考えても少しの音は立てる。それは間違いない。

 

 だが、今、病室に入ってきた人物は物音一つ立てない。それどころか、気配すら消している。上忍でもここまで気配を消すことができるのは、ほんの一握りの者だけだろう。

 

 足音一つ立てることなく彼の病室に入ってきたのは暗褐色の髪をした小柄な少年だった。

 

 彼が思い起こすのは第三の試験の時の光景。

 目の前に横たわる満身創痍のリーに止めを刺そうと襲い掛からせた自分の砂を片腕の一振りで振り払った男の姿。その男が吐いた言葉が彼の頭の中をグルグルと回っている。

 

 ──愛すべきオレの大切な部下だ。

 

 理解できない。なぜ、自らが傷つけられるかもしれないというのに庇うのか? なぜ、他人に向かって“愛”という言葉を使うのか? なぜ、オレはあの時、殺すことを止めたのか?

 

 “我”を“愛”する“修羅”……我愛羅。

 

 名は体を表すという。

 自分のみを愛することを過去に決めた少年、我愛羅は頭に痛みを感じたのか額に刻まれた“愛”という字を隠すように手を額に持っていく。

 しばらく、そうしていた我愛羅だが、ゆっくりと手を下へと下ろす。その指の隙間から見える目は血走っていた。

 

 我愛羅の右腕がピクリと動く。

 まるで、獲物を見つけた肉食獣のような動きだ。掌と肩に力を入れ、他の力は抜いておく。それは幾度も行われ、最適化された行為だ。揺れ動く心の安定を得るために我愛羅は寝ているリーの顔の上に右手を翳す。

 

 意識下か、それとも、無意識下か我愛羅自身にもよく分かっていない。だが、結果は同じ。背負っている瓢箪から出てきた砂が我愛羅の右手にそろそろと集まっていく。

 我愛羅の血走った目が細くなった。

 

「待て」

 

 我愛羅の目が丸くなる。

 

 ──体が……動かな……。

 

 一瞬の隙。

 殺す対象へと全ての意識を向けたコンマ2秒もない時間。それだけで我愛羅の動きは止められた。

 

 太陽が雲に遮られた病室の中、さらに濃い影の中に我愛羅はいた。

 思わず、我愛羅は唾を嚥下する。

 

 初めての経験だった。

 自分も、いや、普段、自動的に我愛羅の身を守る“砂の盾”すらも反応できないどころか認識すらできなかったこと。更に、自分の腕を掴まれたこと。そして、そのことに恐怖を感じたこと。

 何もかもが初めての経験だった。

 

 ──右手が……掴まれている!?

 

 それは有り得ないことだった。里の者は例え、我愛羅をオートで守る砂の盾がなかったとしても彼に触れることを忌避するだろう。それどころか、彼を見た瞬間、緊張し遠巻きに観察することに徹する。それが、今までの我愛羅の常識。彼に触れることができる者は姉と兄の二人のみである。その二人も必要以上の接触はほぼない。

 そして、仮にその二人が今、ここに居たとしても殺気を溢れさせた今の我愛羅に触れることはまずないだろう。

 

「……」

 

 だが、今、彼の右腕は掴まれている。力は強くはない。しかしながら、動かすこともできない力である。

 

「リーに何をしようとした?」

 

 深く、そして、重い声が我愛羅の耳に届いた。それと同時に金縛りが解けたかのように体の動きが戻ってくる。

 我愛羅は首を動かし、次に殺すことを決めた対象を見上げる。それは巨大であった。

 

「……殺そうとした」

 

 巨大に怯むことなく我愛羅は不遜に言い放つ。確かに、動きを止めてしまったが、それは突然の有り得ない事態を脳が処理するのに時間が掛かったためと我愛羅は結論付けた。

 睨み合う両者。一人は小柄な我愛羅、そして、一人は巨大なナルトだった。

 

「何でンなことする必要がある? 試合ではテメーが勝ったろ! こいつに個人的な恨みでもあんのか?」

 

 一触即発の事態。それにナルトと共に来ていたシカマルは危機感を覚えたのだろう。

 何とか会話を続けようとシカマルが横やりを入れる。

 

「そんなものはない」

「!?」

「ただ、オレが殺しておきたいから殺すだけだ」

「お前、ろくな育ち方してねーだろ! すげー自己中だな」

 

 そういいながら、シカマルは内心、冷や汗を流す。

 

 ──ったく。どーするよ。

 

 彼我の力量の差を分析し、シカマルはこちらが不利だと考える。だが、ここで脅えを見せれば、その時点で攻撃されることは明白。で、あるならば、このまま会話を続けることが最適な手段であろう。だが、どう言葉を掛ければ相手の逆鱗に触れずに済むのか分からない。

 シカマルの焦りとは裏腹に、我愛羅は平静な声で宣言する。

 

「オレの邪魔をすれば……いや、したな。お前らも殺す」

「おいおい。オレもこいつも予選ではとっておきは見せてねー。しかも、2対1だ。分が悪いのはそっちだぜ。言うこと聞くんだったら、大人しく帰してやってもいいんだぜ!」

「もう一度言う。殺す」

 

 ──ハッタリは効かねーか。

 

「バケモノかよ」

 

 思わず、シカマルの心から言葉が出てしまった。

 その言葉──バケモノという単語──を聞き、我愛羅は薄く、そして、残虐に嗤う。

 

「バケモノ、か。そうだな……オレはバケモノだ」

「!?」

「オレはお前が言った通り、ろくな育ち方はしていない」

 

 我愛羅は一度、目を閉じた。

 

「オレは母と呼ぶべき女の命を奪い、産まれ落ちた。最強の忍となるべく……父親の忍術で砂の化身をこの身に取り憑かせてな」

 

 目を見開いた我愛羅は自己を肯定する。人非ざる者であると。

 

「オレは生まれながらのバケモノだ」

「砂の……化身?」

「守鶴と呼ばれ茶釜の中に封印されていた砂隠れの老僧の生き霊だ」

「生まれる前に取り憑かせる憑依の術の一種か。そこまでするとは……イッちまってるな」

 

 シカマルの頭に浮かぶのは家族の姿。いつも妻の尻に敷かれている父親と、厳しいが時々優しい母親の姿を。

 

「それが親のすることかよ。歪んだ愛情だな」

「愛情だと?」

 

 我愛羅の声が一段、低くなる。

 

「お前たちのもの差しでオレを測るな」

 

 我愛羅の頭に浮かぶのは家族の姿。

 

「家族……それがオレにとってどんな繋がりであったか教えてやろう」

 

 自分に怯える姉と兄。写真の中でしか姿を知らない母。そして、風影である父の冷たい目。

 

「憎しみと殺意で繋がる……ただの肉塊だ」

「!?」

「オレは母親の命を糧として里の最高傑作として生み出された。風影の子としてだ。オレは父親に忍の極意を次々と教えられ、過保護に甘やかされ放任されて育った。それが愛情だと思った」

 

 我愛羅は口を噤む。

 

「……」

 

 思い出すのは彼にとって、初めての肉体への痛みだ。

 思い出から目を逸らし、我愛羅は現実を見つめる。

 

「……あの出来事が起きるまでな」

「あの出来事?」

「……」

 

 我愛羅の唇が弧を描いた。

 

「オレは六歳の頃からこれまでの六年間……実の父親に幾度となく暗殺されかけた」

「は? でも、さっきは父親に甘やかされてたっつったろ? どういうことだ?」

「……強すぎる存在は得てして恐怖の存在になる。術によって生まれたオレの精神は不安定。情緒面に問題アリと里の間抜けどもは、ようやく気付いたようだ。風影である父親にとってオレは里の切り札でもあったが、同時に恐ろしい危険物でもあった」

 

 我愛羅の独白は続く。

 

「どうやら六歳を過ぎた頃、オレは危険物と判断されたらしい。オレは里の危ない道具として丁寧に扱われていただけのようだ。奴らにとって、今では消し去りたい過去の遺物だ。では、オレは何のために存在し、生きているのか? そう考えた時、答えは見つからなかった。だが、生きている間はその理由が必要なのだ。でなければ死んでいるのと同じだ」

「何、言ってんだ……コイツ」

「では、トレーニングをしては如何か?」

「何! 言ってんだ! お前は!」

「……」

 

 我愛羅はナルトの発言とシカマルが出した大声を無視する。

 

「そして、オレはこう結論した」

 

 ──オレはオレ以外全ての人間を殺すために存在している。

 

 そう語る我愛羅は修羅。戦いに身を浸すことでしか自分を感じることができない異端者だ。

 

「いつ暗殺されるかも分からぬ死の恐怖の中でようやくオレは安堵した。暗殺者を殺し続けることで、オレは生きている理由を認識できるようになったのだ。自分の為だけに戦い、自分だけを愛して生きる。他人は全てそれを感じさせてくれるために存在していると思えば、これほど素晴らしい世界は無い。この世で俺に生きている喜びを実感させてくれる。殺すべき他者が存在し続ける限り……」

 

 時間が進み、太陽が山際に隠れたのだろう。影に落ちた部屋の中で我愛羅は笑った。

 

「……オレの存在は消えない」

 

 そう言って、ナルトの手を振り払った我愛羅の背で砂が蠢く。

 

「さあ……感じさせてくれ」

 

 血走った目でナルトとシカマルを見つめる我愛羅。

 

「そこまでだ!」

 

 だが、一つの声が我愛羅の動きを止める。

 

「本選は明日だ。そう焦る必要もないだろう。それとも、今日からここに泊まるか?」

 

 弾かれたように声がした方向に我愛羅が目を向けると、そこには自分が殺そうとしたリーと瓜二つの恰好をした木ノ葉の上忍の姿があった。

 マイト・ガイ。リーの担当上忍だ。

 

 彼を目にした瞬間、我愛羅の頭が酷く痛んだ。

 

 我愛羅は顔を顰め、頭を押さえる。

 次いで、フラフラとした足取りでガイの隣を横切り、病室のドアに手をかけた。

 

「お前たちは必ずオレが殺す。待っていろ」

「貴殿は必ず己が救う。待っていろ」

 

 いくら会話を続けた所で埒が明かないことも往々にしてある。

 ならば、衝突は避けられないのだろう。

 

 ナルトは我愛羅の独白を聞きながら感じていたのだ。シンパシーを、そして、自分にしか出来ないことを。

 我愛羅を救うことが己の生きる理由なのだろう、と。

 


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