NARUTO筋肉伝   作:クロム・ウェルハーツ

46 / 78
サクラVSドス

「それではァアアアア! 続きまして! 第五回戦! “音”ドス・キヌタ! “木ノ葉”春野サクラ! 入場して貰いましぇえええええい! ……オイオイ、どうしたよオーディエンス! 声がちっちぇえんじゃないのか? SAY HELLO! もう一度、行くぜGO!!!」

 

 ザジはマイクを高々と掲げ、声を上げ、肉声を会場内へと届かせる。まるで、マイク越しでは自分の熱さは伝わらないと言うように。

 

「“音”ォオオオオオオオオオオン! ドォゥスゥウウウウウウウ……キィイイイイヌッタァアアアアアア!」

「イェエエエエエエィイイイ!!!」

「“木ノ葉”ァアアアアアアアア! ハルゥウウウウウノッ……サァアアアクッラァアアアアアアアアア!」

「イェエエエエエエィイイイ!!!」

 

 ザジの声で盛り上がる会場。その中心に立つ二人は互いに対戦相手を見つめていた。

 

 以前と同じ。

 然れども、以前とは違う。

 向き合う二人の心は変わっていた。一人は強く、そして、もう一人もまた強く。

 

 だが、依然として変わらないものがある。

 向き合う二人の心、その内にある闘志だ。

 

 ──勝……

 ……つ──

 

 二人の目には勝利の二文字しかない。

 

 サクラは瞬きをして、ドスに注目する。同様にドスもサクラに注目する。

 

 ──仕上げてきたようですね。

 

 一月前とは見違えたサクラの立ち振る舞いにドスは嘆息する。これは厳しい闘いになりそうだという自分の予見は間違っていないという確信が彼にはあった。

 と、同時に愉しみでもあった。第二の試験では基本忍術と拙い体術しか使わなかった。いや、あの時は追い込まれている状況にも関わらず他の技術を使わなかったことから使えなかったと考えられる。

 その未熟な時から僅か一月でここまで自信に溢れた表情を浮かべることができるほどに実力を磨いたのだろう。

 原石だった時以上に厄介な敵に成長したとドスは笑みを浮かべる。

 

 この一月で成長したのは、なにも敵であるサクラだけではない。自分もまた成長したのだという自負がドスにはあった。

 いや、それだけではない。第二の試験ではサクラに見せていない技術もある上、その技術を磨くために死に物狂いで修行をしてきた。

 

 ──負けない。

 

 ドスは殺気を放つ。

 

 同時に会場が騒めいた。下忍でこれほどまでの殺気を放てる者など僅かしかいない。自分たちの里の下忍を思い浮かべた忍頭たちは思わず冷や汗を流す。これほどまでの殺気を放つ相手を前にして対戦者は身を縮こませただろうとドスからサクラへと目を移した忍頭たちは驚愕の余りに目を丸くした。

 

 到底、下忍とは思えない殺気を真正面から受けた対戦者──サクラ──は身動ぎ一つしていなかった。恐怖で固まっていた訳ではない。好戦的な笑みを浮かべたままサクラは動かず待っていた。

 

 ──よし!

 

 審判の合図を今か今かと待っているサクラの様子に観客席で試験を観戦している木ノ葉の下忍、チョウジと共に試合を観戦するいのは拳を握る。幼い頃から知っている上に、第三の試験予選で自分を下したサクラには勝ち続けて欲しいという想いが彼女にはあった。サクラの力を誰よりも──同班のナルトとサスケ以上に──認めているからこそ、大衆の眼前で実力を発揮し、勝って欲しいという願いを友情に篤い彼女は持っていたのだ。

 そして、サクラに勝って欲しいと想っているのは、いのだけではなかった。

 

「流石、サクラさんです」

 

 横から聞こえた声にいのと彼女の隣に座っていたチョウジは首を回す。

 

「リーさん!」

「怪我は大丈夫なの?」

「ええ。観戦するぐらいなら問題ありません」

 

 二人の声にナイスガイなポーズで答えるリーだが、その姿は痛々しい。第三の試験の予選時に我愛羅と闘った時の傷は癒えてはいない。我愛羅の砂で潰されたと言っても過言ではないほどに受けた傷を覆い隠す包帯は厚い。

 しかしながら、怪我を押してまで第三の試験を見せに来たことは間違いではなかったとリーの担当上忍であるガイは頷いた。リーを下した我愛羅の試合は勿論、今から始まるサクラの試合はリーの心を震わせることになると確信したからである。

 

 大音量のスピーカーから発せられる音の如く相手を威圧するドス。それを風に舞う花弁のように華麗に受け流すサクラ。

 どちらも下忍の範疇に収まらないほどの実力だとガイは見抜いていた。

 

 そして、サクラはリーの想い人でもある。

 なればこそ、この闘いこそがリーの心に更なる火をつけ、我愛羅に負わされた怪我のリハビリの励みになる。

 いのとチョウジと話すリーから目線を下に向けたガイは腕を組み、開始の合図を待つ。

 

 それと同時に、会場の騒めきが収まってきた。

 

「準備はいいな?」

「ああ」

「ええ」

「うおおおおおお! 昂ってきただろう! お前ら! 音隠れのエース、ドス・キヌタ! 第三の試験本選まで勝ち上がってきた木ノ葉の紅一点、春野サクラ! どっちが勝つか、どっちが負けるか! お前らの目に焼き付けろ!」

「……開始!」

 

 審判のゲンマの手が振り下ろされた。

 しかれども、双方、動かない。

 ドスはただ俟つ。

 

「宵月沈み、身は虚ろ。旭日昇り、敵、顕わ」

 

 第二の試験。

 

「去る日の後悔、この身、焼く。自らの力、その弱さ」

 

 その時は弱かった。

 

「ならば、鍛えよ! その力! 心技体全、鍛え上げ! ここに立つは満開桜!」

 

 だが、今はどうだ?

 

「音砕く大樹は華咲かす!」

 

 強い忍だ。

 サクラの言葉を聞いたドスは目を細める。それでこそ、潰し甲斐があるというもの。

 

「春野サクラ! 只今、推参!」

 

 これでこそ、俟った甲斐があるというもの。

 チリチリと首筋を焼くようなサクラの言葉に突き動かされたドスは右腕の小手を露出させる。

 彼の小手は特別製。

 弾いた時の音波を基にチャクラで強化させた音は物理的な圧力をも有する。数多くの敵を屠ってきた自信の源である術を発動させるため、ドスは小手を指先で弾く。

 

「響鳴穿」

 

 しかし、それは既に第二の試験でサクラに見せていた術。

 ならば、分析において第七班──サクラ、ナルト、サスケ──の中で最も伸びているサクラが対策を打たないハズがない。

 

「土遁 土中潜航」

 

 ドスが小手を弾く一瞬前にサクラは印を組み上げていた。印を組む速度は下忍とは思えない。それは、血の滲むような反復練習の先に習得する技術である。そして、そのことはサクラが何回も何十回も何百回も土遁 土中潜航という術の印を組み上げたことを意味する。

 では、何故、サクラはこの術を習得するために多大な労力を費やしたのか?

 

「うん。いい感じだよ、サクラ」

 

 観客席で頷く一人の忍がサクラの名を呟く。

 サクラの名を呼んだのは、ヘッドギアタイプの額当てに光を映さない黒真珠のような目をした男性だ。

 

 ──君の考えた対策が活きた結果だ。

 

 サクラの考えは簡単だ。

 相手が音で攻撃してくるのなら、音が届かない場所に逃れればいい。そして、それは土中だとサクラは考えた。もっとも、普通の音であるならば、地中にも伝播し逃れる術はない。しかしながら、相手が放ってくる音は指向性を持たせた音である。音を自らの意のままにコントロールし、攻撃へと転化させるのがドスという忍が持つ技だ。

 そうであるならば、相手の考えが及ばない場所──土中──に逃れればいい。

 

 そう考えたサクラは本選までの一ヶ月間、土遁を扱えるほどのチャクラコントロールを身に着けた。そして、彼女には優秀な師が着いていた。

 今、観客席から満足気にサクラの勇姿を見る男──本選開始の一月前に出会ったカカシの後輩であるテンゾウ──は木ノ葉隠れの里の暗部に所属しているエリートだ。彼の教えを悉く吸収したサクラは一月前の彼女とは比べ物にならない。

 

 だが、それはドスも同じだ。

 ターゲットが地中に逃れ、自分の攻撃は外れた。ならば、とドスは右手を、つまり、小手を地中に埋める。

 

「反響定位」

 

 再び、ドスは右手の小手を鳴らす。

 本選前の一月でドスも修行を積んだ。自らが操る“音”という武器を深くまで理解することが彼の修行だ。

 音とは決して攻撃の手段だけではない。扱う術者の力量、工夫、感覚によって変幻自在に武器としての役割を変える。今までドスが行ってきた音波による物理的な攻撃以外にも音には可能性が多分に含まれている。

 

 反響定位、別名、エコーロケーション。それが、ドスが修行の末に手に入れた技術だ。

 これは、発した音波が物体に当たった後に戻ってくる音波の遅れなどの違いによって周囲を知覚する技術だ。生物で例を挙げると、蝙蝠やクジラなどが行うものが有名だろう。

 そして、このような生物が反響定位を行う目的は獲物の位置を確認するためである。

 

「見つけましたよ」

 

 反響定位は空気中以上に水中、そして、地中で真価を発揮する。視覚に頼ることができない状況を打破するには別方向からのアプローチ──聴覚──が有効だ。視覚が介在する余地のない地中。音の振動の歪みを察知したドスは獲物を狩るべく小手を弾く。

 

「響鳴穿!」

 

 先ほどの小手調べとは比べ物にならないほどのチャクラを籠めた一撃。到底耐えることができない威力の音波が地中を文字通り音の速さで伝播していく。

 が、それはサクラの思惑通りであった。そもそも、サクラは分析に分析を重ねて、この試合に挑んでいる。ドスの手の内は第二の試験で既に見ている。そして、現状の彼我の実力差の分析をして終わるほどサクラは甘くない。サクラが見ているのは常に未来。ナルトと、そして、サスケと共に並び立つような忍となった己の未来の姿を見ている。

 その実現のためには、この試合で躓く訳にはいかない。その気持ちがドスの戦力分析を更に奥深く進めた。現在、そして、未来においてドスがどれほどまでに成長するのか、そして、成長したドスがどのような攻撃を仕掛けてくるかの予測。そして、その対策をも進めていた。

 

 ──彼の攻撃は“音”。そこから考えると……。

 

「!?」

 

 ドスの耳にパンッと乾いた音が届いた。慌てて音がした方向に目を向ける。

 サクラが空中で印を組み上げた姿を目に映したドスは冷や汗を流す。時間感覚が緩む中、ドスは高速で頭を回転させる。

 

 そもそも、見てから、聞いてから……察知してから自分の攻撃を避ける術はない。その上、自分の響鳴穿という術の威力は上々。当たれば動くことはまず出来ない。

 なら、敵は自分の攻撃全てを予測して動いていたと考えられる。

 なら、攻撃が発動する前に地中から飛び出していた? いや、そうとしか考えられない。

 

 ドスは唇を噛む。

 

 ──手玉に取られていた!?

 

 だが、ドスの驚きはそれで終わらない。

 

「口寄せ 無拍子清水」

「これは……ッ!?」

 

 ドスの目が驚愕に大きく開く。

 彼の目に映るのは地面から天へと大きく立ち昇る水柱の姿。水の柱は直径100cmよりも太いだろう。高レベルの術だということが一目で分かる。

 下手人は明らか。敵である春野サクラだ。

 

 だが、有り得ない。それは余りにも有り得ない光景だった。

 水柱が一本だけならば、まだ理解できる。いや、それでも下忍が扱える術の範疇を越えている。中忍でもこれほどの水遁を使う事ができるのは一握りの忍だけだろう。これは上忍レベルの術だ。

 

 ドスは素早く周りを見渡す。聴覚で理解しているが、視覚でも確認しなければドスは納得できなかった。

 

「これは……」

 

 現実を前に彼は言葉を失った。

 ドスの目に映るのは自分を取り囲む籠。水柱で作られた籠だ。籠と言っても、それは鳥籠よりも無差別格闘技で使われるリングを思わせる。12本の水柱で作られたケージ。

 中と外で分けられた世界でドスはひっくり返すための穴を見つけるべく目を凝らす。

 

 水柱に隠れて小さな影が円を描くように駆けていた。二つの影が時計回りに、そして、反時計回り駆けるのを見て、ドスは気が付いた。

 サクラの狙いは攪乱である、と。

 

 水柱に隠れつつ、分身の術で本体の居場所を悟らせないようにする。確かに、これは有効な戦術である。水柱も無限に湧き続ける訳ではない。あと十数秒ほどだとドスは予測する。事実、水柱の高さは下がってきている。

 ならば、水柱がなくなる前に次の攻撃に移行するのが常道だ。その前にサクラが態勢を自分に有利なように整えることができれば、有利な状態を維持することができる。

 

 ──でも、無駄ですよ。

 

 視界は水柱で潰された。その上、分身の術で本体がどこにいるのか視界に頼る者ならば、分からなくなっている。

 水柱が噴き出ることで出し続けている音の中で小さな足音は隠されて聞こえない、つまり、ドスが自分の正確な位置を捉えることはできないとサクラは予想したのだろう。

 サクラの思考を読み取り、ドスは嗤う。

 

 ──音は振動。空気を辿るだけが音の道じゃないんですよ。

 

 ドスはチャクラを体の隅々に注ぎ入れていく。同時に感覚が研ぎ澄まされていく。情報の氾濫がドスの脳を襲うが、それを無視していく。流れの中に唯一つの音を見つけるべく足元の水面に集中すると同時に視覚をもチャクラで強化を促す。

 一種、悟りを開いたように、水柱で作られたケージという小さな世界の全ての情報を精査していくが、ドスの求めていた情報は振動にはなく、映像にはあった。

 

 ──見つけましたよ、春野サクラ。あなたの本体をね。

 

 ドスは視線を前に向けた。

 そこは先ほどサクラが手を合わせて水柱を起こした場所だ。

 

 ──あなた自身はそこから一歩も動いていない!

 

 そう確信したドスは水柱の向こうにいるであろうサクラに強い視線を向ける。

 再度、反響定位を使うまでもなく、ドスはその頭脳から導き出される論理からサクラの位置を完璧に読んでいた。

 

 ドスが答えを出した理由は二つ。

 全身で振動を感じ取り、足元の水から響く振動が一切なかったこと。そして、振動がないのにも関わらずサクラの姿が水柱の周りを駆けている様子を視覚で捉えたこと。

 映像はあれど、振動はない。つまり、これは実体を持たない残像であるとドスは見抜いた。

 

 忍者学校生でも扱うことのできる分身の術での攪乱。その上、動いている二体のサクラはどちらとも分身の術だ。脅威にはならない、成り得ない。

 

 ならば、攻撃するべきは水柱の向こうにいる本体のみ。

 ドスは右腕にチャクラを集めながら引き絞る。

 

 ──ボクの新術で引導を渡してあげます。

 

 水柱が下がっていく。

 もうすぐでサクラの姿が見える。見えた瞬間、新術を叩きこむ。

 その意志で以って、気合を……チャクラを高めていく。

 

 ──見えた!

 

 果たして、ドスの予測は寸分違わず、サクラは水柱の奥にいた。だが、どうしたことか? サクラは動くことなく、好戦的な笑みを浮かべ続けている。

 

「ッ!」

 

 ドスの腕に冷たいものが流れると同時にサクラの唇が薄く開いた。

 

「水遁 水飴拿原」

「なッ!?」

 

 その場から慌てて飛びのくドスだったが、既に機を逸していた。

 右手に視線を遣るドスの目に映るのは、透明で粘性のある液体がこびり付いた自身の自慢の小手だった。

 これでは、音を反響させるどころか、小手を弾くことすらできない。なんとか小手を弾いたとしても、振動が粘ついた液体に吸収されるのは火を見るよりも明らかだ。

 

「解説をしたくてしたくて堪まんねェ! けど、我慢に我慢を重ねたオレを誰か褒めてくれ! こんなキレーに回った闘いを解説しなかったオレを褒めてくれ! だってよォ、解説しちまったら、サクラが不利になっちまう! サクラの策が! 努力が無駄になっちまう! そんなこと、解説者の誇りが許さねェ! だから、解説はしなかった……けど限界だァアアアアア! 解説してやる! 何が起こったのか分からなかった奴はよく聞け! まず、ドスが音でサクラを攻撃! それを土遁で躱したサクラ。でだ、サクラは土遁で土の中を移動しながら巻物を地面に仕込んでいた! 土に潜ったサクラをドスは音で索敵した時には仕込みは終了していた。この巻物には事前に水を時空間忍術で封じ込めていたから巻物からの口寄せの術で水柱が上がったって訳だろ、サクラ! その後は水柱で姿を隠して本体は動かず、分身を水柱の周りを走らせてドスの目を晦ませた! そして、本体は水飴拿原っつーベタベタした水を吐き出す術をドスに当たるように空に向かって発動させた訳だ! かぁー! 一月前とは比べ物にならねェほどの忍術の急成長! その上、放物線を描いて対象に当てるなんて難しいことを熟せるほどの物理計算能力! そして、ドスの動きを呼んで最適なタイミングで攻撃を繰り出すシミュレーション能力! 間違いねェ! サクラ! お前が一番成長している下忍だァアアアアア! 成長著しい出世株のサクラにドスはどう出る? ここで膝を突くか? それとも……?」

 

 解説者の声は聴覚が優れているハズのドスの耳には入ってこない。ただ、彼は見つめるのみだった。

 

 一度、後手に回ったドスは全てが後手に回らざるを得なかった。

 ドスはサクラの水飴拿原によって機能不全に陥ってしまった右腕の小手をじっと見つめ続ける。

 

 決着は着いてしまった。それも、自分の完全な敗北で。

 そう。それは理解している。理解してしまっている。

 

 ///

 

「ドス。正直に言うとね、私はアナタたちに期待していなかった。アナタが気づいているようにね」

「……」

「でも、あんな必死な姿を見たら気が変わったわ。頑張りなさい」

 

 ///

 

 ──なんとしても、なんとしても勝利を……勝利を捧げる。

 

 大蛇丸から掛けられた言葉がドスの心に火を灯す。勝利への飽くなき執念を再認識させる。

 

「何を……?」

 

 困惑したサクラの声が水音の中に消えていく。

 それを全く意に介することなく、ドスは自分の顔に巻いてあった包帯を解いていく。

 

「ッ!?」

「……醜いだろう?」

 

 彼の右眼は(うろ)。彼の右腕は削られたかのように歪な形をしていた。彼の頭の毛は所々剥げており、そこからは痛々しい火傷の古傷が見えている。

 ドスは淡々と言葉を紡いだ。

 

「右目は抉られた。彼女が言うには『愉しいから』だそうだ」

「彼女?」

「ボクの……」

 

 一度、目を伏せたドスはゆっくりと面を上げる。その顔は何の感情も映していなかった。

 

「……母親だよ」

 

 サクラの翡翠色の目が大きく開かれる。

 

「ついでに言うと、この頭は父親に煙草を押し付けられたから」

「酷い……」

「そうだね。客観的に見てもボクの両親は酷い人間だった。なにせ……」

 

 聞きたくない。だが、まだ終わっていない。

 サクラの本能が拒否を訴え続けている。しかしながら、サクラは耳を防ぐことができなかった。そのような考えを持つことすら出来なかった。

 

「……ボクの最愛の弟と最愛の妹を殺した人間だから」

 

 サクラは身を強張らせることしかできなかった。

 

「あれは冬だった。いつもより寒くてね。寒さが嫌だという両親はボクたち兄弟妹(きょうだい)を置いて旅行に出かけた。確か、二週間ほどだったかな?」

 

 ドスの悲壮な表情は、その古傷も相まって凄惨たるもの。

 

「記憶が曖昧なんだ。最後の方は飢えと寒さと悲しみで苦しかったから」

 

 だが、ドスは顔を上げる。

 

「話を戻そう。旅行に行ったボクの両親は忘れていたんだろうね。いつもなら、テーブルの上に金を置いていたのに、その日に限って……長い旅行に出かける日に限って金を置いていかなかった」

 

 ドスの独白は続く。

 

「二日までは良かったよ。食料は二日分の備蓄があったし。けど、そこからが大変だった。冬だから何か動物を狩ろうにも動物は見当たらない。飢えは防げない。燃料があっても食べ物がなければ、どうしようもない。弟も妹も泣く元気もなく弱々しく横たわっていた。このままではボクたちは間違いなく死ぬだろう。『それなら……』とボクは考えた」

 

 ドスは右手の小手を止めている留金に左手を掛ける。

 

「空腹の中、ボクはナイフを左手に持った。そして、ボクは……」

 

 ボチャと粘度が高い水に落ちた重い音と、カシャンと金属が奏でる軽い音がした。ドスの鈍色の小手が泥に落ちた音だ。

 

「……自分の右腕にナイフを入れた」

 

 顕わになった彼の右腕は枯れ木のように歪な形になっていた。

 

「少しずつ削るように肉を削いでいけば痛みは感じ難くなるだろうと思っていたけど、思いの外、痛かった」

 

 ドスの独白はまだ続く。

 

「痛みの中、ボクはナイフでボクの腕から削いだ肉を包丁で叩いた。バラバラに……粉々になるぐらいまで。そして、細切れになったボクの肉の形を整えて、そして、焼いて、そして、弟と妹の前に出したんだ。だけど、返事はなかった。始めはボクの肉を食べたくなかったと思っていた。血を分けた兄の肉を食べるのは嫌なのかもしれない、と。けどね、何か食べないと死んでしまう。心を鬼にして、無理矢理にでも食べさせるつもりでテーブルに突っ伏していた弟と妹の体を抱え上げたんだ。そしたら、ボクは何に気が付いたと思う?」

 

 ドスは虚無に落ちた瞳でサクラを見た。

 

「ボクは気が付いたんだよ。二人が死んでいることに」

 

 静寂が場を包む。

 解説者の言葉すら失った無言の時間だった。

 

「春野サクラ」

「!」

「君は優しい人だ。敵であるボクの話を聞いて、ボクに同情してくれるなんてね」

 

 無言(しじま)を破るのは、静寂(しじま)を作り出した一人の少年。ドスはサクラの名を呼ぶ。

 

「だから、恥を忍んでボクは君に頼む。敢えて言おう。君の優しさに漬け込んでボクは君に頼む」

 

 ドスは拳をサクラへと向ける。

 

「天国にいる弟と妹にボクの勇姿を見せたい。闘ってくれ、春野サクラ」

 

 サクラは一度、目を閉じて右の拳を自らの掌に叩きつけた。

 

「受けて立ちます!」

 

 ──やった!

 

 ドスは内心でガッツポーズを取る。

 

 ──君が単純な奴で助かったよ。

 

『なぜなら、あの話は……』とドスは心の中で薄く嗤う。

 

 ──全部……嘘!

 

 そう、ドスがサクラに語った内容は全て嘘だった。彼には弟も妹もいない。両親との関係は良好だった。その上、右目がないのは生まれつきであったし、頭の火傷は自分が打ち上げ花火でふざけて負った傷跡。ただ、腕の肉を削いだのは本当の話だ。

 しかし、それは忍になる前、両親と共に来ていたキャンプの時の話である。彼は一人で行動し、崖から滑り落ちたことがあった。チャクラを使う事ができず、崖下に落ちた幼いドスは助けを待つしかなかった。だが、待てども待てども助けは来ず、空腹はドスの判断能力を奪っていく。腹を空かせたドスは何の気なしに自分の右腕を見る。

 

『少しずつ削るように肉を削いでいけば痛みは感じ難くなるんじゃないか』

 

 かくして、その考えを実行に移したドスは、その直後、彼を探していた彼の両親に救助されるのだった。

 

 不運の中、命を失わなかった幸運。大蛇丸に“噛ませ犬”と思われていた不運の中、まだ生きながらえている幸運。

 

 地面から水が上がり、(サクラ)が得意とすると思われるフィールドにされるという不運の中、言葉で以て近接戦に持ち込むことができたという幸運。

 

 ──全ては……。

 

 確かに、ドス自身も自分が卑怯な手を使っていることを認識している。

 だが、それでも尚、彼は突き動かされるのだ。

 

 ──勝利のために。

 

 自分の内から燃え上がる勝利への執念に焼かれるのだ。

 

 だが、ドスは甘かった。いや、判断が甘くならざるを得なかったと言えよう。これまで見てきた試合が彼の心に火を着けていた。

 策を弄して、体術勝負に持ち込んだドスだったが、最後の一手を非情に徹しきることができなかった。もし、彼が以前のままの彼だったならば、嘘に心を揺さぶられ動かなくなっていたサクラの隙を逃すことはなかっただろう。しかし、彼はそれを見逃した。

 

 ナルトとネジの。シカマルとテマリの。

 ザクとシノの。キンとシカマルの。

 

 彼らの闘いを観て、何も感じずにいることができようか? そのようなことは断じてない。

 

 それが、彼の中に灯った“火”であったのだから。

 

 ──これでこそ、闘いだ。

 

 勝利を掴むための策が、その実、闘争本能に刺激されていたとドスは気が付くことはない。しかし、彼は本能の奥底、それこそ、魂で理解していた。

 殴り合いこそ、あの日の敗北に決別するために最も相応しい行為であると。既に水は出なくなっており、水柱のケージは消えた。

 

「征きますよ、春野サクラ!」

「こちらこそ、ドス・キヌタ!」

 

 泥が撥ねた。

 空中で組み合い、次いで、拳をぶつけ合うサクラとドス。

 

 空気を叩くかのような音が何回も響き、その度にサクラの頬を、ドスの頬を赤く染める。

 空気を叩くかのような音が何回も響き、その度にサクラの体が、ドスの体がくの字に曲がる。

 空気を叩くかのような音が何回も響き、その度にサクラの視界が、ドスの視界が上下左右に揺れる。

 

 地面の泥水が何回も撥ね、その度にサクラの服が、ドスの服が茶色に染まる。

 地面の泥水が何回も撥ね、その度にサクラの体が、ドスの体が泥濘に浸かる。

 地面の泥水が何回も撥ね、その度にサクラの視界が、ドスの視界が空を映す。

 

 ただ、立ち上がり、その度に拳をぶつけ合い、その度に地面に倒れ込む。そして、また立ち上がる。

 

 ──勝……

 ……つ──

 

 二人の目には勝利の二文字しかない。

 

 サクラは瞬きをして、ドスに注目する。同様にドスもサクラに注目する。

 

 双方、息は荒い。

 チャクラを、そして、身体エネルギーを使い切っている。その上、体の至る所に痛みが奔っている。気を抜けば、一瞬でも戦意が落ちてしまえば、その時点で泥濘に落ちてしまった蓮の花のようになるだろう。しかして、それは認められない。だからこそ立つ、立ち上がり続ける。

 だが、それにも終わりが近づいていることを二人とも感じ取っていた。次が最後。最後の一撃となることをドスは感じ取っていた。

 

 ドスは、サクラは拳に力を入れる。

 

「ハッ!」

「フッ!」

 

 迫る拳と拳。

 自身に近づく拳を見つめながら、さりとて、拳から目を逸らさず、サクラはその拳を受け入れるしかなかった。

 ドスの最後の一撃がサクラの頬に入った。そして、サクラの拳は何も捉えることはなく、空を切る。

 それは、ただリーチの差だ。腕のリーチがサクラよりもドスの方が長かった。それだけの差。

 

 ──勝ッ……!?

 

 勝利を確信したドスだったが、倒れるハズのサクラが倒れていない姿を見て目を大きく開く。どのような心を持てば、まだ立てるというのか? ドスは慄く。

 しかしながら、気合や目的意識などという曖昧なものは関係ない。両者とも、それぞれ譲れないものがある故に、その差はないに等しい。

 

 勝敗を分けた差。

 それは、ただ筋力の差──首の筋肉の差だ。

 

 上からサクラを見つめるテンゾウはサクラとの修行を思い起こす。

 

 ///

 

「テンゾウ先生」

「どうしたんだい?」

 

 順調に進む修行。半月ほどでチャクラの性質変化を身に着けたサクラに対してテンゾウは非常に満足していた。ここまでの才覚を持つ人間は多くない。それこそ、サクラは忍のトップ集団である暗部入りも将来的には難しくないとテンゾウは考えていた。

 

 だが、満足した様子はサクラにはない。まだ足りないと言わんばかりに難しい表情を浮かべ続けている。

 恐らくは本選への不安感から来ているのだろうと考えていたテンゾウはサクラの不安を払拭するために彼女の相談に乗ろうと身を屈めた。

 

「テンゾウ先生と考えた作戦でも、まだ相手が倒せなかった時には、どうすればいいんでしょうか?」

「そうだね。そうなる可能性もある。けど、君は同時に体術も鍛えている……というか筋トレをしている……から大丈夫だよ」

 

 テンゾウは複雑そうな表情で頷く。

 そもそも、チャクラの性質変化だけを修めるのに多大な集中力が必要とされるというのに、同時に空気椅子をするようなサクラの様子に何か思う所があったテンゾウである。

 

「ですが、体術での戦闘になった時、私はリーチが短いです。きっと体術勝負では不利になります」

「なら、相手の攻撃を避けるか耐えるかだけど……」

「それです!」

「……うん?」

 

『耐えるのは厳しいと思うから回避に専念する修行をしようか』と続けようとしたテンゾウだったが、サクラの大声に思わず声を止める。

 

「相手の拳を耐えればいいんですね! つまり、首の筋肉を鍛えればいいんですね! 流石、テンゾウ先生です! では、トレーニング用具を買ってきます!」

「ちょッ! サクラッ!」

 

 ///

 

 止める間もなく走り去っていくサクラを止めなくてよかったとテンゾウは思う。

 長椅子に寝た上で、ダンベルを紐で吊り、頭に結び付けて首を上下に振るサクラを止めなくてよかったとテンゾウは心から思う。

 そのトレーニングこそが、首の筋肉を鍛え、ドスの拳を受けて尚、耐えることができた一因なのだから。

 

「征け! サクラ!」

 

 テンゾウの声はよく通った。

 

「ハイッ!」

 

 右腕を引き、サクラは爛々とした目をドスに向ける。その視線は確かに勝利への道筋を照らしていた。

 その道筋をサクラの右の拳が通り過ぎる。今度は空を切る事なく、ドスの頬にサクラの拳が入り、そして、衝撃がドスの脳を揺らした。

 

 ドスの意識を空に、ドスの体を泥に残し、拳を振り切ったサクラは残心する。

 

「……勝者! 春野サクラ!」

 

 審判のゲンマが勝者の名を告げた。

 それを聞き、サクラは右の拳を高々と上げるのだった。

 

「勝者は春野サクラァアアア! おめでとう! 次の試合も期待してるぜ!」

 

 ザジの声を後ろにサクラは拳をゆっくりと下ろす。

 確かに勝利。担架で運ばれていくドスと会場に留まるサクラを見て、どちらが勝者か見る者ははっきりと理解できるだろう。

 しかしながら、サクラの表情は晴れない。

 

 ──サスケくん。

 

 まだ来ないサスケの姿を探そうとサクラは目を開けた。と、サクラの目に木の葉が映る。

 

 突如として、旋風が会場の中央に現れる。その風は木の葉を纏いながら徐々に勢いを弱めていく。

 乱れる木の葉の中、誰も言葉を発することができない。そう、彼以外は。

 

「YEAH」

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。