今回は『閑話*真の英雄は眼で殺す』のドゥリーヨダナの台詞「お前この前アルジュナと戦って壊して、師に怒られたばっかだしな。あの後オレとユディシュティラで直したんだぜ?」の時の主人公の話。アルジュナに対する認識の話でもあります。
メイド礼装落ちません。後一枚なんや…。
神々しい程に美しい男が物憂げに息をついた。絹のように艶やかな髪は片方へ緩やかに纏められており、その身分に相応しく華美な装飾品が、人の域を離れたその男の美貌を飾りたてている。誰もがひれ伏すような威厳を保ちながらも愛嬌を添える、男の甘く垂れた目は今は不満そうに細められていた。
そんな、尊き神の血を如実に現した美男―――ユディシュティラの頭をドゥリーヨダナがぞんざいに叩いた。
「手を動かせ、馬鹿。日が暮れちまうだろ」
「でもさー、なんでこれ僕らがやんなきゃいけないワケ?」
「お前んとこの三男とウチのカルナが暴れたからだろ」
「じゃああの二人にやらせればいいじゃん。なんでこの僕が尻拭いしなきゃならないのさ?」
「お前はいちいち癇に障ること言いやがって。ドローナ師がアルジュナを気に入っているからだろ。お陰で、色々企んでる奴らをおびきよせるいい餌になってる」
頬をひくつかせながらもどこか淡々とした物言いの幼馴染にユディシュティラがムッと薄い唇を尖らせた。わざわざ分かっていることをあえて言うあたりがこの男らしい。しかも自分の弟を堂々とまき餌宣言とか。「何人か消えてるの、やっぱ君の仕業なんだ?」とかまをかけてみるものの「さてな」と言葉を濁されたユディシュティラは不貞寝するように地面に転がった。アルジュナとカルナが暴れたせいで地面のそこかしこに抉れたような穴があったが、ドゥリーヨダナとユディシュティラが(といっても八割以上がドゥリーヨダナだが)せっせと埋めたので、鍛錬場はすっかり元の姿を取り戻していた。この分なら明日からはまた通常通り使えるだろう。
それを満足そうに眺めてから、ドゥリーヨダナはそんなユディシュティラを軽く蹴飛ばす。そうして「何すんのさ!」という言葉を無視して物陰へと鋭い視線を向けた。
「…で、お前はいつまでそこにいるんだ」
***
ドゥリーヨダナの言葉に「……気づいていらしたのですか」と少しの沈黙を置いて現れたのはアルジュナだった。罰が悪そうな青年に対しドゥリーヨダナは「お前達の気配は色々普通じゃないからな」と吐き捨てる。気配に敏いドゥリーヨダナにとって、神の子である彼らの気配は強烈すぎた。
「あの、これを」
躊躇いがちにアルジュナが差し出した清潔な布に「おお、流石僕の弟!気が利くね!」とはしゃいだような声をユディシュティラがあげた。そのまま「じゃ、ドゥリーヨダナよろしく」と当然のように頼む男の顔に、アルジュナからひったくるように奪った布をドゥリーヨダナが投げつける。「なにすんのさ!」と抗議する声は「てめえで拭けこの馬鹿!」という怒声に一刀両断された。
「これが自分の弟だったら拭く癖に…」
ユディシュティラはぶつぶつと言いながら乱暴に自分の手足を拭った。肌触りの良い布はちゃんと水で湿らしており、アルジュナの細やかな気遣いが伺える。流石は僕のアルジュナだ、とユディシュティラは僅かに唇を綻ばせた。
そんなユディシュティラに水をさすように、「アイツらは可愛い。お前はまっったく可愛くない」とにべもなく言うドゥリーヨダナ。その言葉に、ふんだんに布を使って泥を落としていたユディシュティラは薄く整った唇を尖らせた。この僕が、あのどれがどれだか分からない99人より劣るだって?頭おかしいんじゃないのほんと。
「こんな美男子つかまえて良く言うよね」
「お前らの顔はことごとく気に入らねー」
「君ってほんと、あーいえばこーいうよね!ねえアルジュナ!」
ユディシュティラに突如同意を求められたアルジュナは曖昧に頷いた。持ってきた布はドゥリーヨダナの分もあったのだとはついぞ言い出せなかった。おまけに長兄が使った布を綺麗に畳み直し渡してくれる始末である。生真面目なアルジュナはどうすればいいものかと僅かに視線をうろつかせ、なんとか話題を変えようと試みた。
「あ、兄上と仲がよろしいんですね…?」
「その目は飾りか?」
なんとか絞り出した出したものの、ドゥリーヨダナにすげなく返されたアルジュナは恥じ入ったように視線をそらした。この私としたことが、何たる不覚。もっとこう、他に話題があっただろう自分…!「ちょっとドゥリーヨダナ、アルジュナが頑張って君と話そうとしてくれてるんだよ?例えそれが頓珍漢なことでもそこはさーもう少し年上として振る舞ってやってよね?アルジュナが可哀想じゃん」という兄の言葉が心に痛い。
「今追い打ちかけてんのは絶賛お前だけどな」
「はあ?追い打ちなんてかけてないよ、意地悪な君とは違うんだから。ねえアルジュナ?」
「無自覚なあたりが救いようねえな…」
呆れた顔をもはや取り繕いもしないドゥリーヨダナが首を横にふった。この男には昔からこういうところがあった。「細かいことに拘らない、器の大きい男」と世間で評されているらしいが、ドゥリーヨダナからしてみればただの無神経男である。なにせビーマが弟達を水遊びと称して10人以上も仮死状態にした時も、抗議したドゥリーヨダナに「でも子どもって、やんちゃなものじゃないの?」と首を傾げて見せた程だ。それに盛大にキレてビーマ共々毒を盛り川に流したことをドゥリーヨダナは全く後悔していない。むしろ何故それだけにとどめた、当時のオレよ。年々成長するごとに殺すの難しくなってるんだが。
(…とはいえ、これはアルジュナにはキツイだろうな)
ドゥリーヨダナが思うに、アルジュナは確かに武芸に人離れした才能を秘めているものの本質としては五人の中では一番人の子に近い。さらに言うならば、あの兄弟のなかでは珍しく思慮深く繊細な人間だ。一言で言うなら自分の中に溜め込んである日爆発するタイプ。しかも本人が溜め込んでいるとあまり自覚しない感じの。基本大枠でしか考えない兄弟ばかりでよく保っているものだ、とドゥリーヨダナは妙なところで感心した。あのいけ好かないクリシュナを盲目的に慕っているのはそれもあるかもしれない。
だがあの、人の感覚からずれまくりだろランキングで不動の一位を誇っているクリシュナだ。あの男なりにアルジュナの好意に応えるだろうが、それにあくまでも人の感覚を持つアルジュナがいつまで耐えきれるかどうかは分からない。抱える爆弾をもう一つ増やす可能性すらある、とドゥリーヨダナは思っていた。ああいう神に近い人間は大局的に物事を見るあまり『個』への意識がとことん低いものだ。逃げ場にはあまり相応しくないタイプだろう。よりによってそんな男を選ぶとは、というのがドゥリーヨダナの正直な感想だった。
「…なんですか」
「べっつにー。ただ、人を見る目がないなーって思ってただけ」
「…どういう意味ですか」
「そんなことよりドゥリーヨダナ、明日久しぶりに一緒に稽古しない?最近周りにかまけてばっかりじゃない」
「絶対やだ。お前暴走族並に無茶苦茶に戦車乗り回すし。ドローナ師がお前の使った後の戦車はいつもガタガタになるって嘆いてたぞ」
「戦車の質が悪いんでしょ、僕のせいじゃない」
「明らかにオメーのせいだわ」
アルジュナは険のある目つきで従兄弟を見たが、ドゥリーヨダナはそんな彼を気にもとめずにユディシュティラとの下らない会話に興じ続けた。とはいえ年長者である兄の話を遮って問い質す訳にもいかず、アルジュナは悶々とした思いを胸に抱えながらも唇を閉ざす。
がり、と心の何処かをドゥリーヨダナの言葉が無遠慮に引っ掻いた感覚だけが残っていた。