ドゥリーヨダナがキレるのを、マシュは呆然と眺めていた。ドゥリーヨダナは怒ったり笑ったりと喜怒哀楽が激しいサーヴァントだが、今は夜の湖畔のように静かな眼差しをしながらもその瞳は昏く濁っていた。
―――間が、悪かったのだと思う。
彼が違う場所で敵を一手に引き受けている間に、こちらには沢山のアクシデントがあった。沢山の出来事があって、マハーバーラタの英雄であるカルナがマスターと対峙したのだ。勿論ドゥリーヨダナがカルナの槍を受け止めていなければ圧倒的な力によってこの場にいた全員が気を失っていただろう。しかし、ドゥリーヨダナの深い怒りを間近で受けている身としてはよっぽど気を失っていた方がマシなのかもしれないと思った。
「ドゥリーヨダナか」
凍てついた冬に春が訪れたような、小さな笑みを浮かべてカルナがドゥリーヨダナの名を呼んだ。しかしそんなカルナを拒絶するようにドゥリーヨダナがぴしゃりと「敵が気安くオレの名を呼ぶな」と吐き捨てる。その反応に少し呆然としたカルナが「…待て」と声をあげた。
「なんだ」
「確かに俺とお前は今は敵かもしれん。しかしかつて共に過ごした時間は失われず、そしてこの友情も失われることはない筈だ。ドゥリーヨダナ、太陽の如く、人の持つ魅力に満ち溢れた友よ。お前は、違うのか」
その少し焦ったように問いかけてくるカルナの声にマシュは、施しの英雄であるカルナがドゥリーヨダナの友達だったことを思い出した。気遣いを含んだ眼差しをドゥリーヨダナへ向け、彼の動向を見守る。緊迫した空気の中、ドゥリーヨダナは気を失ったマスターを背に庇いながら言った。
「違わないさ、太陽の火をその身に宿しながらも人に寄り添い続けた英雄、カルナよ。しかし、今のオレはお前の友としてではなく、マスターのサーヴァントとしてここにいる。故にカルナ、オレの愛しき友。オレがお前に敵意を向けるのは、お前の父である太陽神スーリヤが大地を照らし恵みを与えることと同じように、当然なことなのだ」
「そうか、それなら構わない」
そのカルナの言葉にドゥリーヨダナが纏う空気を変えるのが分かった。いつもの、ドゥリーヨダナの雰囲気だ。とはいえ普段の彼とは違いその眼差しは真剣なままである。その事実が、カルナがそれほどまで警戒すべき実力の持ち主であると暗に知らせていた。
「…お前は真面目すぎんだよ。こんなもん喧嘩だ喧嘩。ってかオレ今お前にめっちゃムカついてるから。お前の事情がどうであれ、マスターを傷つけようとしたことは許さん」
「喧嘩か。…一度もやったことがないな。かつてのマスターが言っていた。喧嘩とは友情の必須イベントだと。しかし夕暮れ時でもないし、ここは河原でもないのだがいいのだろうか」
「おっとー?お前本当、意外に人の話聞かないよな!今のオレの話聞いてたか?なあ、ちゃんと聞いてたか?」
槍をしまい、どこか声を弾ませて構えるカルナにドゥリーヨダナはため息をついた。この男、明らかに喧嘩というものを何か勘違いしている。とはいえドゥリーヨダナとしては、マスターをカルナから引き離し態勢を立て直したいのも確かだ。この状況はドゥリーヨダナも望むものだった。いち早くドゥリーヨダナの意図に気づいたエミヤがマスターを抱き上げた。
「そちらは任せたぞ!」
何せギリシャの大英雄、ヘラクレスから生きて逃げた連中だ。追い付かれることはあっても死ぬことはないだろう。走り去っていく仲間達にひらりと後ろ手に手を振ってドゥリーヨダナは頭を屈める。刹那、すらりと引き締まった腕がその場所を抉った。
(あ、あぶねー!!!)
ドゥリーヨダナは顔を歪めた。何事にも全力で取り組むカルナの性格が今は仇となっていた。
「っの、このカルナ野郎!」
スキルの一つである、『災いの子』を発動し、神性特効のバフを己に盛ったドゥリーヨダナは怒声と共に目の前の男に叩きこんだ。半神であるカルナはその攻撃に僅かに呻いたが、それだけだ。僅かに態勢を崩したものの瞬時に蹴りを繰り出してきたカルナにドゥリーヨダナは舌打ちをした。やはり手足の長さが違う分、カルナに分があるか。このモデル顔負け体型め!
「ちょっとカルナ!危なくってよ!」
「すまない」
「ああ?このオレを放っておいて女と喋るとはどういうつもりだ?浮気か?」
「ええっ?!」
二人が拳をぶつけ合う度に巻き上がる風に辟易して叫んだエレナはドゥリーヨダナの言葉に驚きの声を上げた。そこらの女よりも整った顔に、均整のとれたしなやかな身体。黙っていれば深窓の姫君と勘違いしてしまうほどの男である。動揺し、まじまじと二人を見るエレナに、ドゥリーヨダナから距離をとったカルナが「誤解だ。ドゥリーヨダナ、お前の常套手段は通じない」と溜め息をついた。
「大方、彼女を自分のペースに巻き込みあのマスター達から意識をそらそうというのだろう」
その言葉に、ハッとしたようにドゥリーヨダナを見たエレナは唇を噛んだ。カルナが言わなければエレナがこのことに気づくのはもう少し後だっただろう。「…私は彼等を追いかけるわ。カルナ、彼をよろしく」と言い捨てその場を立ち去る彼女の背中を睨んだドゥリーヨダナが鼻を鳴らした。
「やっぱお前、敵になるととことん面倒くせえな。味方ん時は頼もしいけど」
「そうか」
「嬉しそうにすんな馬鹿ー!」
***
結局マスターを人質にされる形でカルナとの”喧嘩”をやめたオレは、気を失ったマスターを抱えていた。俺が持とうかと親切に声をかけてきたカルナの申し出は丁重にお断りさせて頂いた。いくらオレにとって大事な友でも、一応敵であるカルナに大事なマスターを渡す訳がないのである。ちなみにそんなやり取りをした直後、二人仲良くナイチンゲールに消毒液をぶっかけられた。マスターに触れる以上衛生的な処理が必要ですと言うなりバケツ一杯の消毒液をぶっかけにくるあたり、流石我らが婦長。目に入ったらしく未だに若干痛い。カルナのふわふわな髪の毛も消毒液を被ったことで萎れていて、水浴びをした直後の犬を思わせた。
「…ドゥリーヨダナ?」
「!起きたか」
「先輩、先輩…!良かった!起きました!」
「一体何が…」
困惑する立香に、淡々とナイチンゲールが今の状況をし始めた。簡潔ながらも、まとまった話し方はとても分かりやすい。なるほど確かに彼女は戦場の看護師だ。なにせ、情報をどれだけ早く正確に把握するかで被害の大きさは決まるのだから。生前なら真っ先に勧誘している人材だ。
とはいえ、状況は最悪としかいいようがなかった。
カルナさえいなければ、オレ達はやすやすと…まではいえないが、逃げ切ることは出来ただろう。マスターがひいひい言いながらも特異点を駆けずり回り霊気再臨素材を集めてくれたおかげで、最終再臨まで済ませたサーヴァントがオレを含んで数名いるからだ。なんなら、ここで一度オレと離れることをマスターが許可すれば、オレは思うままに暴れてこいつらを壊滅状態に追い込むことだって出来た。
しかし、カルナが加われば話は変わってしまう。
…先程の『喧嘩』は、あくまでも喧嘩であった。お互いの拳や蹴りの衝撃波によって風が吹き荒れ、大地が裂けたが、それだって生前の戦いと比べたらまだ可愛いものだった。だが次は間違いなく、戦わなければならない。カルナのスタンスは良くも悪くも、オレが―――いや、オレ達が時に這いつくばりながらも、それでも必死に生きていた、あの時となんら変わらなかった。
また、そんな不器用な生き方をするのか、と思う。死後ぐらい、自由に生きてみせればいいものを。でも、それがカルナなのだ。人というより神に近い感覚を持っている癖に、誰よりも人に寄り添おうとした、不器用であたたかい―――オレのとっての太陽。
「ドゥリーヨダナ、だったかしら?貴方はまだ諦めていないみたいね。でも貴方が最優先しているマスターはどうするのかしら」
それにしても、随分と挑発するような物言いである。分かってても腹が立つ。苛立ちを隠さないままに睨めば、青年になりきれていない声が「ドゥリーヨダナ、駄目だからね」とオレを止めた。
「…お前がそう選ぶのなら」
「はい、良い子良い子」
「やっぱ殺す!」
「ドゥリーヨダナ、さっき言った言葉を思い返したまえ」
呆れた顔のエミヤの言葉にぷいっとそっぽを向いた。いちいち喧嘩を売ってくるのはアイツだ。
「これから、貴方達にはこちらの王様に会ってもらうわ。その上で、どちらの味方になるか決めなさい。ま、そこのサーヴァント達は…特にドゥリーヨダナは無理そうね。そんなに睨まなくても分かってるわよ。…でも、マスターである貴方を説得出来れば、彼もこっちにつきそうね。王様もきっと喜ぶわ」
「あの、レディ・ブラヴァツキー。どうして、そこまで”王様”という方に肩入れしているのですか?」
「レディ!いいわね。あなた、とてもいい!礼節ってものを分かってる!」
「なんでそこでオレを見る!無礼に無礼を返しただけだろーが!」
「…あまりドゥリーヨダナをからかってやるな。この男は確かに図太く厚顔で取柄も少ないが、意外に繊細な一面を持っている」
「おいこらカルナ、実はオレのこと嫌いなの?」
勿論カルナのことだから他意がないのは分かっている。しかし、そこまで言う必要あったか?図太く厚顔で取柄も少ないとか、今それ言う必要あったか?
「?俺はお前のことを好ましいと思っているが」
「わー両想いー、じゃねーんだよ!オレもお前のこと大好きだけど、そういうことじゃねーんだよ!」
「じゃれあっているところすまないがね…気を引き締めたまえ。大統王とやらが来るらしい」
カルナとぎゃあぎゃあと言い合い―――といってもオレの一方的なものだが―――をしていれば、エミヤが佇まいを直し、静かに警戒を促してきた。とはいえオレとしてはその男の正体を知っている為終始微妙な顔である。そりゃ前々世の歌にもあった通り、エジソンは偉い人、そんなの常識だ。
けどこの世界では頭は―――ライオンだ。
(…倒したら新素材落としたりするか?)
そんなことを考えていたらカルナが横に立った。
「お前がそういう目をしている時は、大抵普通なら思いつかないような突拍子もないことを思いついている」
「…ンナワケネーシ?」
―――本当、敵に回すと厄介な友である。
次回は主人公の宝具公開予定。
多分予想ついている方もいる筈。。。