最終話まで書き終わりました。
第5章編、あと僅かですがどうそお付き合い下さい。
朝日が昇る、数刻前。ドゥリーヨダナが意識を取り戻した時、そばにいたのはカルナだけだった。
「起きたか」
「おー…カルナか…カルナ?!えっあれマスター達は?!」
「逃げた」
「逃げたー?!」
「えっもしかしてオレ置いて行かれた…?」とドゥリーヨダナは呆然と呟いた。心当たりがありすぎて、何も言えない。頭を抱えるドゥリーヨダナを励ますように、「お前のことは藤丸立香から託されている」とカルナが肩に手を置いた。
「うちの子がご迷惑をおかけするかもしれんがどうぞよろしく、と言っていた」
「マスター、オレのこと手のかかる子どもかなんかと勘違いしてねーか…?で、お前のことだ、どーせ『慣れている。お前の気遣いは不要だ』とかなんとか言っただろ」
「なんだ、起きていたのか?」
「起きてねーよ!」
ドゥリーヨダナはこめかみを揉みつつ、溜め息をついた。マスターである立香が捕らえられたのを引き金に、宝具を開放したことまでは、彼も覚えていた。しかし逆にいえばそれはその後のことを全く覚えていない、ともいう。なんでカルナに自分を託したかははっきりとは分からないが、暴走する己の抑止力としてカルナを選んだのだろうということは推測は出来た。
(とりあえず、まずは状況の確認からだな…)
ドゥリーヨダナは身を起こし、辺りを見回した。調度品の1つもない、簡素な部屋だ。無駄なものは何一つなく、生活感の欠片もない無味乾燥の部屋。これに似た部屋を、ドゥリーヨダナは生前に見たことがあった。ドゥリーヨダナは溜め息をついて、傍らの男を見上げた。
「相変わらず、なにもない部屋だな。せめて花の1つでも飾ったらどうだ」
「無用なものを飾ってどうする」
「そうかな、わが友よ。花はいいものだ、匂いで、色で、世界を彩る」
「…まあ、腹の足しには僅かになるな」
「お前…。…まあ、そんなことはどうでもいい。お前の主は、オレをどう処断した」
表情を消して、淡々と自らの処分について口にしたドゥリーヨダナ。そんな彼に、カルナもまた、端的に答えた。
「なにも」
***
「なにをそんなに驚いている。サーヴァントは、生前の力を出せないというが、観察力もなのか?…今の主は、お前に良く似た男だ。お前なら、俺の友に対して、どう対応する」
「え…そりゃお前の大事な人間だろ、どうしても敵対するようならば容赦しないが、そうじゃないならお前の傍に置いとく…あ」
「そういうことだ」
なるほど、エジソンという男は中々面白い奴らしい。思わず零せば、「ああ、お前と同じで退屈しない」とカルナが頷いた。お前ね、ほんっとそういうとこだぞ…。オレもオレでよく敵を作ってたが、お前もお前で敵作ってたの、本当そういうとこが原因だからな…。
「ドゥリーヨダナ、充分休んだだろう。そろそろ父も空を駆ける時間だ。城の案内をしよう」
「おう、助かる。頼んだわ」
「ああ、任せ…醜いな」
不意に聞こえた、珍しく嫌悪感を露わにした声にオレは思わず立ち上がろうとした動きをとめた。えっ、醜い?
思わず親友を凝視するも、視線は合わないままで。ややあって、カルナの視線の先をたどったオレは、ああ、と頷いた。そういえば、ビーマによって大腿骨についたこの傷はカルナの死後につけられたものだ。カルナにとって、知識で与えられても、実際に見たのは初めてだろう。
「マハーバーラタをあんまあてにすんな。事実と異なることも多い」
「ではビーマではないのか」
「…いやまあ、ビーマっちゃビーマだけど」
「そうか」
「…ビーマはクリシュナに操られただけだし、取った手段は誉められたものではないものの、クリシュナもまた戦っただけだ。お前がそんなに顔を怖くする必要もないさ」
労わるように傷をさするカルナにオレは苦笑した。昔からカルナはこういう奴だった。自分のことをどれだけ悪く言われようが、どれだけ理不尽に扱われようが気にしないくせに、両親やオレがそういう扱いを受けると、烈火のごとく怒る男だった。
「昔からお前は他人の為にしか怒らないな」
「…俺が何かを思う前にお前が怒る方が早い」
「ああ、そうだったな。オレが怒り、お前が率直な意見を述べて、あいつらが絡んできて…」
懐かしいな、とオレは呟いた。
なんだか不思議な気分だった。クルクシェートラの戦いが始まった後、オレ達はこんな風に落ち着いて喋る時間も余裕もなかった。そして、そのままにオレ達は死に別れた。なのに今、オレ達はサーヴァントとして、まだ仮初の平和に甘んじていたあの輝かしい青春時代のように、語らっている。
気が付けば、オレの唇から「…正直いうとな、オレはお前とどんな顔してしてあえば良いのか分からなかったんだ」と言葉が滑り出ていた。
「何故だ」
「いやその…ほら…」
「アルジュナのことか」
「あー…。その感じだと、マハーバーラタに書いてた通り、お前のおふくろさんから聞いたのか?」
「ああ。…ドゥリーヨダナ、こんな俺を友と呼んでくれる、我が王よ。俺はお前の信頼を裏切ってしまった」
「ええ、いつだよ?!」
オレは思わず非難の声を上げてカルナを見た。オレ、お前のことはずっと信じてたのに。どういうことだと、心底申し訳なさそうにするカルナににじりより、問い詰める。普段は恐ろしいほどに人を見つめる太陽の眼が、気まずそうにそらされた。
「…お前は、俺の武を取り立て、信頼をおいてくれた。しかし俺は、母と約束を交わし、アルジュナ以外を殺さないという誓いをたてた。…愚かにも、俺は、それがお前の信頼を傷つける行為であると、そういう認識すら、していなかった」
―――『結局、カルナさんは、ずっと一緒にいたドゥリーヨダナさんより、お母さんのお願いを聞いたんだね』
それは、とあるマスターの、何気ない一言だったという。しかしその何気ない一言は、カルナに深く刺さった、らしい。
「本当に、すまなかった。…いや、謝ってすむ話ではないだろう。しかし、どうしても、俺はお前に許しを乞いたかった」
そう、跪き頭を垂れるカルナの肩を、狼狽えつつも掴む。「おお落ち着け!お、オレとしては、お前がオレに義理立てて戻ってきてくれただけでも嬉しかったんだけど!」と言えば、「俺は落ち着いている。落ち着くのはお前の方だぞ、ドゥリーヨダナ」と淡々と返ってきた。お前、本当そういうとこだぞ。
「…しかし、妙な顔していただろう」
「妙な顔…?…って、おい」
一瞬首を傾げた後、ややあってその当時の全てを―――怒りすらも思い出したオレは青筋をたてながら、カルナの腕を掴んで無理矢理立たせた。お前、言うに事欠いて…!そもそも、だ!
「お前な!本当ふざけんな!沐浴するーって言って、帰ってきた親友が、血塗れで帰ってみろよ?!しかも黄金の鎧はあげた、槍もらった、あと色々あって詳しくはいえないがアルジュナ以外は殺せないとか糞どうでもいい報告はするくせに、痛いとか弱音の一言すらあげないんだぞ!妙な顔、じゃなくてあれは心配してた顔だ!あとオレの心配顔を妙とか言うな!」
「俺に美醜は良く分からん」
うぐぐ、と思わず唸り声が出た。オレが言いたいのはそこじゃない。
あの当時は戦争中ということもあって、オレは軍の指揮を執るのに忙しく、またカルナも将の一人として戦場を駆けずり回っていた。それ故その当時のカルナにかける時間はそこまでなかったため、この件も若干放置気味だったが…しかし、時間を割いてでもフォローすべきだった、とオレは今更ながらに後悔した。
とはいえ、この頑固者のことである、オレからの許しがない限り、この件についてずっと、する必要もない自責の念に駆られるのだろう。全く、なんでオレの周りにはこう、ある意味一途な奴が多いのか。「あーもう、分かった分かった。許す許すオレがちょー許す」と投げやり気味に告げれば、カルナが嬉しそうに笑った。
…たまーに、思う。こいつ、本当にオレより年上なんだろうか。
「……にしても、だ。マハーバーラタも、意外に事実書いてるんだな」
「事実と異なることも多く書いているがな」
「そりゃそうだろ、歴史は勝者が作るものだからな。マハーバーラタに書かれてるお前なんて、口悪いところもあるし。…でも、ああいうのが残っているからオレやお前がサーヴァントとして召喚されているんだろうし、一概に悪いとも言えないな」
「ふむ、そういうものか。…ああそうだ、ドゥリーヨダナ。マハーバーラタに関して聞きたいことがあった」
「あ?なんだ?」
「お前、泣いたのか」
「………は?」
「俺が死んで、泣いたのか」
オレは、その問いに頭の中が真っ白になった。なんとか言葉を返そうとしたが、失敗し、はくはくと喘ぐように呼吸を繰り返す。あの時、オレは、臣下の奴等には決して部屋に近寄るなと言ったはずで。だから、誰も知らないはずであって。マハーバーラタに書いてあったのか、とオレの掠れた声が無機質な部屋に響く。「それは些細なことだ。…泣いたのか」とカルナが、視線をそらそうとしたオレの顎をつかんだ。ずるい、やつだ。その眼にオレが弱いことを知っている癖に。
オレは、吹っ切れたようにカルナに叫んだ。
「……泣いたさ。ああ、泣いたとも!お前の人生だ。だから、お前の選んだことに誰であれどうのこうの言う資格なんてないってことぐらい知ってる!…それでもオレは、お前が選んだ結果を受け入れることが出来なかった!悲しかった!お前がもう生きていないということが、悲しくてたまらなかった!…分かってるさ。お前が後悔なんてしてない位。だってそれだけ一緒にいたんだ。でも、オレはお前に生きて欲しかった。お前に教えたいものがもっとあった。お前に感じて欲しいことが、もっとあったんだ。くっそ、勝手に死にやがって。ふざけんな」
言いたいことを、纏まらないままに感情に任せて叫ぶオレの背を、無骨なカルナの手が撫でる。その温もりがまた、オレの涙腺を緩ませた。
「すまん」
「許さん」
「すまん」
「謝ればいいと思ってんだろ…!」
「すまん」
ボロボロと涙を零すその涙をひとつひとつをカルナが丁寧に指で拭う。その間もオレの子ども染みた罵倒は続いていたが、それでもカルナは律儀に拭い続けていた。
「お前は普段は父のような素振りが多いのに、時折子どものように癇癪を起こす。…いい加減泣き止め。見ていられない」
「…ふん、自分が死んだら友達が泣くってことを覚えるいいチャンスだ」
心底参ったように言うカルナに、オレは不貞腐れながらそう言う。
「相も変わらず放っておけない男だな、お前は」と苦笑するカルナの姿が、また滲んで歪んだ。