ドゥフシャーサナの唯一の兄であるドゥリーヨダナという男は、人に説明するという行為が昔から苦手であった。周りに理解を求めるという行為を無意識的に避けている、とすらドゥフシャーサナは思っていた。彼は確かに弟達を愛していたが、自分という人間を知られることを嫌う節があった。それが100人もいる王子の中でたった一人、生まれながらに呪われた子どもだと言われた存在であるからかどうかは分からないが、弟達はそんな兄こそを慕っていたので、彼の言うがままを受け入れていた。
「ドゥリーヨダナ、お前は小心者だな」
「…おいカルナ、お前オレに喧嘩売ってんのか?というかなんだよいきなり」
「喧嘩は売っていない。…お前と友になったのはいいが、今までそういったものと縁がなくてな。そこでお前がつけてくれた師に聞いたところ、『友とは思っていることをなんでも言い合える存在』だと言われた。その助言を受けて早速お前の印象を言ってみたのだが…ドゥリーヨダナ、何故溜め息をつく」
「いいかカルナ、オレの生涯の友よ。オレとお前が知り合ってまだ日が浅いがこれでも99人の弟を持つ身だし、生まれながらに不吉な子として扱われたこともあって人を見る目にゃ自信がある。だからお前が悪意をもって言ってない位分かっちまって、そのせいで怒りきれないというかなんというかだな…!」
だからこそ、弟達は「なんだかんだでコイツ親友になったから!」と満面の笑みを浮かべた兄に半ば引きずられるようにして連れてこられた男、カルナを、前の身分がどうであれ”ドゥリーヨダナの親友”として受け入れた。カルナ自身が何を思っていようが長男がそう彼を扱うなら右に倣うだけだ。故にカルナの不遜ともとられる物言いを咎める者は99人の中で誰一人としていなかった。
「…俺は昔から、口を開けば何故か怒られていた。やはり一言多いのだろうか」
「一言多い…うーん、確かに多いっちゃ多いかもしんねぇけどな…?」
「初めて出来た友を怒らせるのは本意ではない。俺は今後黙ろう」
「やめろ、カルナが黙ってたらオレ一人で喋ってる馬鹿に見えるだろ」
「?お前は小心者で厚顔ではあるが馬鹿ではない」
「何故一言増やした?!」
むしろカルナが兄の友となってくれて良かったとさえドゥフシャーサナは思う。なにせここ最近の兄はずっとピリピリしていた。大方、百王子の代表として参加した御膳試合の打ち合わせで自分達について色々と周りから言われたのだろう。…人の身でしかない自分達の力量を、神の血を受け継ぐ五王子と比較し嘲笑っている者はこの城の中ですら少なくなかった。
それでもドゥフシャーサナ達が屈託なく笑えているのはドゥリーヨダナがいたからだ。
カルナの言う通り、兄は小心者で厚顔だ。調子にのってへまをすることも多々あり、王として”能力”で選ぶのならばパーンダヴァ兄弟の長子たるユディシュティラに劣っているだろう。
だが、ドゥフシャーサナ達は知っている。自我が芽生えるのがとりわけ早かった兄が、五王子と比較し自分達を蔑むものの声をかき消すように、小さな手で楽器をかきならし自分達をあやしていたことを。目の見えぬ父とそれにならった母の目のかわりに、自分達ひとりひとり見守り愛していることを。
ドゥリーヨダナはパーンダヴァ兄弟のように”完璧な”人ではない。
―――しかし”完璧”ではない兄だからこそ、自分達を救うことが出来たのだとドゥフシャーサナ達は知っていた。
だからドゥフシャーサナ達は、兄が小心者であろうがなんだろうが構わずついていく。
その先が例え地獄だとしても、兄が笑っているならばそれでいいのだ。
***
ドゥリーヨダナのその表情を、カルナはずっと忘れはしないだろう。
「ごめん、カルナ、ほんとごめん。オレ、お前に嫁さん与えて、お前に幸せになって欲しかっただけなんだ。なのに、ごめん、くそあいつらカルナを馬鹿にしやがって…!」
いつも笑っている男だった。パーンダヴァ兄弟の暗殺に失敗する度に悔しそうに地団太を踏んでいた時でも、次の機会に向けて最後には笑みを浮かべていた。だからカルナは、カルナの為に泣きながら憤る目の前の男を、どうすればいいのか分からなかった。
カルナにとって今回の出来事は仕方がなかったことであるとしか言い様がない。
元々カルナがドラウパディーの婿選びの催しに参加したのはドゥリーヨダナがカルナに望んだからであって、カルナ自身は婿になれなかったことをなんとも思っていない。そもそも生まれた身分を最も重要視するこの時代において、「御者の息子の嫁になんかなりたくない!」と叫んだドラウパディーを責める者はいないだろう。『ふん、美女と名高いと聞いていたが、とんだ醜女だな。これほど醜い女は、世界中を探してもいないだろうとも。カルナ、このオレが唯一隣に立つことを許した友よ。オレはやはり、今回も運がいいらしい。お前程素晴らしい男にこんな女を与えてしまっては、後の時代において”あの偉大なドゥリーヨダナの唯一の失敗は、カルナに史上最低の女を与えたことである”と記されてしまうところだったからな!』とカルナを庇いドラウパディーを罵ったドゥリーヨダナの方が、この時代においては珍しい存在だった。
「今回のことに関してお前に非はない。だから泣き止んでくれ、ドゥリーヨダナ。俺はこういうことに不得手なんだ」
カルナはおろおろと視線を彷徨わせて、ドゥフシャーサナが帰り際に渡してくれた布を男に手渡した。なんの為に使うものか分からないままに受け取ってしまったが、こういう為とは。内心で納得しながら、ドゥリーヨダナが乱暴に涙を拭う様を見守る。もうその目には涙は残っておらず、泣いたことで赤く充血しているものの爛々と輝いていた。切り替えの早さはドゥリーヨダナの数少ない良いところだとカルナは思っている。
「カルナ、あいつら絶対殺す」
不意に、ドゥリーヨダナがいつもの見慣れた笑みを浮かべて、いつもの口癖を口にした。最早聞き慣れた言葉だ。しかしカルナはその短い言葉にどれだけの思いが込められているかを知っている。
だからカルナはいつも、その口癖にこう答えることにしていた。
「…そうか。ならば友として、俺はお前に尽くそう」
友達とは多分、そういうものなのだろうから。