ドゥリーヨダナは転生者である   作:只野

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カルデア編番外その1です


カルデア番外:アルジュナ

その日、アルジュナがユディシュティラを王宮の廊下で見かけたのは偶然だった。ドゥリーヨダナやカルナ達が死んだあの戦争以降、ユディシュティラは王としての責務に追われ、玉座にいるか自室で僅かばかりの休憩時間に身体を休めているかのどちらかだったからだ。兄がわざわざ動かなければならないほどの事態が起きたか、臣下の者が動くよりもユディシュティラが動いた方が早いと判断したか。いづれにせよ兄思いであるアルジュナが彼に声をかけない理由はなかった。

 

「ユディシュティラ兄上、どこに行かれるのですか?私で良ければ代わりに参りますが」

 

アルジュナは、気遣いを含んだ声をユディシュティラの背中に声をかけた。少し驚いたように振り返った兄が、僅かに困ったような笑みを浮かべる。どうしようかな、と逡巡するように珍しく口ごもったユディシュティラに、アルジュナは知らず見慣れぬ男を見るかのような眼差しを向けた。アルジュナの記憶が正しければ、この年の離れた長兄が言いよどむ姿を見たことがなかったからだ。自然、アルジュナは伺うように恐る恐る言葉を続けた。

 

「あの、兄上、もしかして私は声をかけなかった方が良かったでしょうか…?」

「…いや、お前の気遣いは勿論有難かったとも。うーん、そうだね…うん、お前も来るといい。アルジュナ、私についてきなさい」

 

「そんな面白いところじゃないけれどね」と肩を竦めて、すたすたとまた歩き出したその背中を、アルジュナは慌てて追いかけた。

 

 

***

 

 

 

ここだよ、と言ってユディシュティラが足を止めたのは王宮の庭のとある一角に生えている一本の木の前だった。「…この、木は」と呆然としたように呟くアルジュナに、「あいつ…ドゥリーヨダナが育てていた木さ」と、少し眩しそうに木を見上げながらユディシュティラが答える。「知っています」とアルジュナは掠れた声でそれに返答した。

 

そう、アルジュナは知っていた。

 

その木に実る、果実の味も。

 

その木の成長を、誰よりも誇らしそうに笑って喜んでいた男の表情も。

 

 

 

 

―――声変わりもしていない頃の、昔の話だ。

年の離れた双子の弟、ナクラとサハデーヴァは今でこそ剣術に優れた美しい双子と称されているが、幼い頃の二人は一言で言うならば"やんちゃ"だった。とはいえ、アルジュナにとって可愛い弟達であることには変わりはない。また年齢の関係もありユディシュティラとビーマに長年弟として可愛がられていたこともあって、自分に出来た初めての弟の存在は愛おしいものだった。アルジュナは二人の弟に目をかけ、世話を焼いてやっていた。

 

だからこそ、その日も二人がいないことに他の兄に比べて先に気づいたのである。

 

(なにか、嫌な予感がする…)

 

アルジュナは神の子である。神の子であるからこそ、人の子よりもこういった第六感に優れていた。ざわざわと不安にざわめく心をおさえ、二人の弟の姿を懸命に探す。そうして、ようやく見つけたはいいものの、二人がまさに赤く実った果実に手を伸ばそうとしている光景を目にしたアルジュナは思わず呻いた。よりによって、ドゥリーヨダナの弟達が育てている木の果実を狙うとは!

 

『あ、アルジュナ兄上!丁度良かった!』

『僕達じゃ、あとちょっとなんだけど全然届かなくってさ』

 

無邪気にアルジュナの登場に喜んだナクラとサハデーヴァは、熟れて赤くなった果実をとってくれるよう口々に頼んだ。甘やかしすぎた自覚はあった。しかしアルジュナは、弟達の誤った行いを正すことが出来る少年であった。悪びれた様子すら見せない弟二人の名を、アルジュナは嗜めるように呼ぶ。しかし、その声に被せるように、淡々とした声が響いた。

 

『オレの記憶が正しければ、ここはオレ達兄弟が、父であるドリタラーシュトラ王より賜りし土地である筈だが。―――その土地に無断で踏み入るだけではなく、なにをやってる貴様ら』

 

アルジュナとは違い、馬鹿にしたような物言いで喋るドゥリーヨダナしか知らなかったナクラとサハデーヴァが後ろでたじろいだのがアルジュナにも分かった。背で庇うアルジュナの服の端を握りしめる双子に、ドゥリーヨダナが鼻を鳴らす。「何をしているかと、聞いているんだ」と感情のみえない声が、言葉を続けた。

 

『なんだよ、だんまりってか?ああ、まさか盗みとは言わないだろうな?なんせ天下に名高い兄弟達だ、盗みなんて働くはずないよなあ?』

『…弟達が、すみませんでした』

 

ドゥリーヨダナの、嫌味がふんだんに含まれた言葉にアルジュナは謝罪の言葉を返した。『兄上!』と双子が戸惑いと非難を含んだ声を上げたが、視線でその声をおさえる。そもそも間違ったことをしたのは自分達である。例えその相手が、仲の悪い従兄弟達であろうとも、それは間違ったことをしていい理由にはならないとアルジュナは思っていた。なにより、アルジュナは兄だからこそドゥリーヨダナの怒りが分かってしまった。もし自分がドゥリーヨダナの立場だとして、ドゥリーヨダナ達にナクラとサハデーヴァのものを盗まれそうになった場合、同じく被害者の兄として怒るだろう。ならばドゥリーヨダナのこの怒りは正当なものだ、とアルジュナは甘んじてその怒りを受け入れた。

 

―――不意に、お腹がなる音がアルジュナの背から響いた。

 

『…おい、今のどっちのだ。生理現象だから仕方がないとはいえ、少しは空気読んだらどうだ。アルジュナがお前等のために頭下げてるの位は分かるだろーが』

 

先程までの感情のみえない妖艶な笑みと違い、呆れかえった顔をしたドゥリーヨダナが溜め息をついた。そしてそのまま少し離れた横に生えていた、一回り以上大きい木に生っている実を、身に着けていた髪飾りの宝石を使って次々に射落とす。反射的に果実を受け止めたアルジュナを横目に、こんなもんかとドゥリーヨダナが一人頷いた。

 

『よしお前等、それ食ったら帰れ』

『…いいのですか?』

 

アルジュナは弟達に果実を渡しながら、戸惑ったように目の前の従兄弟を見た。思えば、この男とのまともなやり取りはこれが初めてかもしれなかった。

 

『しょうがねーだろ、成長期は腹が減るもんだ。それに、これはオレが育ててる木の実だ。オレの気紛れと優しさに感謝するんだな』

『『…ビーマ兄上には怒ってたくせに』』

『は?大切に育てていた木をご自慢の怪力で勝手に引っこ抜いた挙げ句『ほとんど熟れてないな』と文句を言いやがったあの糞馬鹿に怒る以外に何をしろと?』

『『『ビーマ兄上がすみません』』』

 

―――いい兄なのだ。ただ、深く考えないだけで。

 

『あ、美味しい!』

『ほんとだ、意外に美味しい! 』

『お前等、本当に失礼極まりないな!なんなの、お前ら失礼がデフォルトなの?!』

 

弟たちの率直な物言いにぴしりと青筋をたてるドゥリーヨダナに礼を述べて、アルジュナは大地の恵みを含んだ果実に歯を立てた。『…礼を言われたら言われたで、なんか気味悪いな』と心底気味が悪そうな顔をしているドゥリーヨダナが気にならないほどに甘くーーーそして、何処か優しい味が口一杯に広がる。

 

 

ーーーアルジュナは、それ以上に美味しい果実を知らない。

 

 

 

 

「じゃあ、せっかく来たんだしアルジュナよろしくね」という長兄の声に、昔に思いを馳せていたアルジュナは目を瞬かせた。そしてそのまま、木の根元を指さすユディシュティラにぎょっと目を見開いた。アルジュナは聡明な男だったからこそ、ユディシュティラのその仕草が何を意味するものなのかを正確に読み取ってしまった。

 

「待って下さい兄上、それはあんまりな仕打ちです!」

 

アルジュナはたまらず制止の声をあげた。アルジュナは聡明な男であったが、慈悲に溢れる男でもあった。例え敗者であれ、情けをかけてあげるべきだと思った。なにより、自分達が勝者だとはいえ、敗者である男が大切に育てていた木をどうこうする権利は、ましてや抜く権利はないと思った。しかしユディシュティラは、そんなアルジュナを静かに窘めた。

 

「アルジュナ、あいつを憐れむのをやめなさい。それは侮辱以上に失礼なことだよ」

 

アルジュナは唇を噛みしめた。長兄の言うことを理解出来なかったのは、これが初めてだった。そんなアルジュナの思考を読んだように、アルジュナ達をいつも導いていた存在であるユディシュティラが微笑む。それにこれはあいつの頼みなんだよ、とユディシュティラが眩しそうに大木を見上げた。

 

「あいつがユユツを使ってよこした、ふざけた手紙に書いてあったんだ」

 

アルジュナはその言葉に、あの男の腹違いの弟であるユユツが自軍に加わった際、何かをユディシュティラに手渡していたのを思い出した。だが、内容までは知らなかった。「あれにはね、あいつが負けたときのことが書いてあったんだ」とユディシュティラが、アルジュナの疑問に答えるように呟いた。

 

「あいつの両親の待遇、自軍の兵士について、あいつが持ってた財産の扱い…そんなのが、全部書いてた。これもそのひとつだよ。自分が死んだら、自分が育てていた木で両親の為の杖を作って渡してくれって書いてたんだ」

 

「…まあ、僕もあいつに死んだ場合についての手紙を送ってたんだけどね」と悪戯がばれた子どものように肩を竦める長兄に、掠れた声で「なぜ、ですか」と問う。「僕とあいつが長子だからさ」とユディシュティラが唇の端にどこか疲れた笑みを浮かべた。

 

「争いました、はい勝ちました負けました、じゃ僕達は終われない。それが長子としての責務であり、いづれ王になる者の役割だ」

「…知りませんでした」

 

もっと正確に言えば、知ろうとも思わなかった。アルジュナは戦った後のことを考えたことすらなかった。そんなアルジュナの肩をユディシュティラは励ますように叩いた。

 

「それでいいんだよ、君は弟なんだから」

 

「そういうのは先に生まれた僕らの役目だし、何より僕達は弟達を愛しているからこそ、そうすることを選んだのだから」とユディシュティラが微笑む。

 

―――その笑みがどこか遠くて、アルジュナは―――

 

 

 

***

 

 

 

「おい、何そこでぼさっとしてやがる」という無遠慮な声にアルジュナは俯いていた顔を上げた。「ドゥリーヨダナ」と名を呼ぶ声が掠れる。懐かしき故郷の夜空に美しく輝いていた星を散りばめた瞳をした男が口を尖らせた。

 

「うーわ。お前に名前呼ばれるの、本当慣れねーな。げ、鳥肌たってやがる」

「…用がないなら、席を外しますが」

「は?馬鹿か?用が無きゃお前に声かけねーよ」

 

キョトンとした顔つきでそう言い切った従兄弟にアルジュナは溜め息をついた。煽りでもなく、本気でそう思っていることが表情から伺えた。そうだった、この男は社交的に見えて実質排他的な男だったと今更ながらに思い出す。生前は怨み、妬み、そして人の子であるというだけで弟達の生命が脅かされていたからこそ、アルジュナにも時折絡んできたドゥリーヨダナだったが、サーヴァントとなりそれさえもなくなった彼に、確かにアルジュナに絡む動機はない。愚問だったとアルジュナは首を横にふって、続きを促した。

 

「…そうでしたね、失礼。で、なんでしょうか」

「ああ、マスターが呼んでたぞ。部屋で待っているだとよ…ってなんだ、いいものもってんなお前。どうしたんだ?その果物」

 

アルジュナは「…レイシフト先で見つけたので、思わず」と言葉少なに答えた。この男の死後のことを、直接伝えるのはなんだか憚れた。そんなアルジュナに構わず、「へーえ。懐かしいな」とドゥリーヨダナが目を細める。「母上が好きだったやつだ」と続けられた言葉に「…貴方ではなく?」とアルジュナは驚いてドゥリーヨダナを見た。

 

「ああ。…オレ達兄弟は鉄のように固い肉の塊として生まれ落ちた為に、最初母上に捨てられそうになってな。結局ヴィヤーサ仙人の助言によって捨てずに育ててくれたんだが、どうしても罪悪感が抜けなくて、幼少期はオレ達に会うのを避けてた節があったんだ。死んだわけじゃないのに、愛していない訳じゃないのに、そんなことで家族が会えないのはなんか悲しいだろう?だから父上に相談して、これを育てて…んで、母上にこれを渡す名目ってことでようやく弟達を会わせることが出来たんだ」

「…知りませんでした」

「知ろうとしなかっただけだろ。まーオレら、互いに興味すら抱いてないからしょうがないが」

 

ドゥリーヨダナは、事実を述べただけだった。しかしそれは生真面目なアルジュナの口を鈍らせるには充分過ぎる言葉であった。「それは、」と思わず口ごもるアルジュナにドゥリーヨダナが首を傾げる。「あ?なんでそんな申し訳なさそうな顔してんだよ。お前はどんだけおこがましいんだ」と形の良い眉根が寄せられた。

 

「あのな、誰もがお前に興味を持つ訳じゃないし、誰もがお前を特別視する訳じゃない。お前は誰かにとって特別だったかもしれんが、オレにとっては特別じゃなかった。ただ、それだけだ。お前なんかついで枠だ、ついで枠」

「では、貴方にとってビーマ兄上は」

「次その不愉快な単語言ったら殺す!」

 

「…大体、この果実の木だって、あんの糞馬鹿が一回引っこ抜いたせいで枯れかけたんだからな?くっそ思い出しただけでも腹が立つ」とぶつぶつとその当時の怒りに身を震わせるドゥリーヨダナを横目に、アルジュナは内心で安堵の溜め息を零した。ユディシュティラと同じ笑みを浮かべて諭す彼に、思わず煽るように次兄の名前を出してしまったが、おかげでアルジュナが知るいつも通りの従兄弟が戻って来た気がした。なんだか見知らぬ男を見てしまったようで、非常に落ち着かなかったのだ。なんだかんだでこの男を理解していた長兄ならまた違った感想を抱いていたかもしれないが。

 

「それ、あげます。私にはもう不要なので」

「本当いちいち腹立つ言い方するな、お前等兄弟は!…まあ、果実には罪はないし、貰ってやるよ」

「ええ、そうして下さい。ではマスターが待っているので私はこれで」

 

アルジュナはそう言って従兄弟に背を向けた。きっとこの男とはこういう関係でいいのだ、と心の底からそう思えた。

 

彼が言ったようにアルジュナの特別にドゥリーヨダナはなれないし、ドゥリーヨダナの特別にアルジュナはなれない。

お互いが、気紛れに声をかけあうだけの関係。

 

不思議と、それがいけないこととは感じなかった。そんな縁があってもいいだろう、と思った。

 

(―――ああ、今なら、兄上の気持ちが少しだけ分かる気がする)

 

 

 

アルジュナはそう、擽ったそうに喉を鳴らして一人笑ったのだった。


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