フレポ教から改宗しようかな…
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いつも何かに飢えていた。
いつも何かを求めていた。
くるくると風に巻き上げられた花びらが宙を舞う。
天と地の境目が分からなくなる程の花吹雪の中、青年が口を開いた。
―――道理で自分の手元にないわけだ。
探し求めていたものはずっと、この人が持っていた。
***
ドローナの息子であるアシュヴァッターマンが幼かった頃、家はとても貧しかった。その貧窮ぶりは今からは考えられない位のもので、ミルクでさえも調達出来ない程だった。幼いながらも賢かった彼なりに唇を小麦と水で濡らすことでミルクを飲んだ気になろうと工夫をしたりして空腹を紛らわしていたが、それでもアシュヴァッターマンは常に飢えていた。その頃のアシュヴァッターマンにとって足りないものは、生きる為に必要なご飯だった。
ならば今は何が足りないのだろう、とアシュヴァッターマンは一人ごちる。あの頃満足に食べることの出来なかったご飯はたらふく食える。着るものも困らない。王子達の教育を担う父から兵法も学んでいる。あの幼少期に比べなくても満ち足りている筈だ。
それなのに、何かが足りなかった。
「何してんだ、こんなとこで」
「ドゥリーヨダナ王子…」
切り株の上に座っていたアシュヴァッターマンの視界一杯に、女と見紛う程美しい顔立ちをした男の顔が広がった。父であるドローナが”災いの子”と評する、カウラヴァ百王子の長兄だ。彼を生まれ故に嫌う者は少なくなかったが、アシュヴァッターマン自身は彼本人のことを好んでいた。良くも悪くも身分を気にしない彼は、アシュヴァッターマンをバラモン階級の人間としてではなく同じ師を仰ぐものとしてしか接しなかったからだった。
「少しだけ休んでたんです」
「あんまりにもボーっとしてたから魂飛ばしてるかと思ったわ」
「あの、父は」
「良い子ちゃんのアルジュナんとこ」
覗き込む姿勢をやめ横に座りながら、吐き捨てるようにドゥリーヨダナが言った。彼がパーンダヴァ兄弟を妬んでいるのは周知の事実だった。実際舌戦だけではなく実戦も繰り広げているらしく、父親が怒鳴っているのを何度か見ている。とはいえアシュヴァッターマン自身も最近はパーンダヴァ兄弟、というよりアルジュナに良い感情を持っていない。咎めることも出来ず彼は曖昧に笑った。
「…父は、アルジュナ王子を良く褒めますから」
「褒めるなんて可愛いもんじゃねーだろありゃ。息子のお前の前でこう言うのは良くないだろーけど、あからさま過ぎんだよ依怙贔屓がよ。…オレ達だけならまだどうにかなったさ。オレと、ひっじょーに癪だがあの馬鹿長男は、それぞれ弟達を統率出来るからな」
だが諸国から集まった他の王族は違う、と呟くドゥリーヨダナ。まさに彼の言う通りだった。父に対する不満の声は決して小さくなく、むしろ年々大きくなっていた。ドゥリーヨダナが表だって父に不服を申し立てていなければ、矛先はアルジュナに向かっていたかもしれない。ドゥリーヨダナが父とアルジュナに「まーたアルジュナ贔屓ですか。おーおー、お前はいつでもどこでも可愛がられるな!お前弓よりそっちの道に才能あるんじゃねえのぉ?どうやって先生に取り入ったかオレ達に教えてみろよ」と突っかかる度にせいせいしているのはアシュヴァッターマンもだった。
それ程までに父はアルジュナを可愛がっていたのだ。
アシュヴァッターマンは自分に何が足りないのかが分からなかった。アルジュナは全てにおいて、アシュヴァッターマンを勝っていたからだ。どうすれば良かったのだろう、と思う。アルジュナ程、全てに恵まれている男をアシュヴァッターマンは知らない。そんな男に、”足りない”自分が敵う筈もないのだ。アルジュナの前ではアシュヴァッターマンはいつも俯くばかりだった。アルジュナを真っ直ぐ見つめて文句を言えるのは隣の男位だった。
「ドゥリーヨダナ王子はアルジュナ王子が怖くないんですか」
「ムカつくだけだな。あのすまし顔が本当腹立つ」
「父の弟子の中で、ユディシュティラ王子は戦車の才能が、ビーマ王子と貴方は棍棒の才能が、アルジュナ王子とカルナは弓の才能が、ナクラ王子とサハデーヴァ王子は剣の才能がそれぞれ突出しています。けれど、武芸全般で言えばやはりアルジュナ王子が一番才能を持っていると父が言ってました」
「才能はあるかも知れんがオレはあいつらが嫌いだ」
「…父は僕よりアルジュナ王子を好んでいるみたいです」
「は?!それはないだろ?」
驚いたように振り向いて、ドゥリーヨダナが否定する。しかしアシュヴァッターマンの口は止まらなかった。
「いいえ、絶対そうです。家に帰ってもアルジュナアルジュナ、そればっかりですから。最近なんか、僕と話す時間さえ惜しいとばかりにアルジュナのところへいそいそと行くんですよ?」
「でもな、あの人オレに『ウチの息子を毒牙にかけてみろ、殺す』って脅してくる位にはお前を大切にしてるぞ?風評被害も甚だしい、誰もんなことしてないって言っても聞き入れなかったし」
「いつか僕は捨てられるんです。きっとアルジュナの方が息子だったら良かったのにとか言われるんだ」
「…それは流石に考えすぎじゃないか?」
「じゃあ何故父はあの男にだけブラフマシラーストラを収める方法を教えたのです?!」
声を荒げたアシュヴァッターマンはぜえぜえと肩で息をした。こんなに声を荒げたのも、感情を高ぶらせたのも人生で初めてだった。でもこれは、アシュヴァッターマンの紛れもない本心の叫びだった。
ドローナの息子は自分だ。ドローナの後継者も自分だ。なのに父はアルジュナにはブラフマシラーストラを収める方法は教え、自分にはお前は知らなくていいと言って教えてくれない。発動の仕方を教えてもそれを収める方法を知らなければ、何度も使うことが出来ないというのに。使うことも出来ないものを教えて貰っても何になるというのか。
―――何より、自分が存在する意味は本当にあるのか。
父が教える価値もないと判断を下した自分は、「僕は、どうすればいいんですか…」
そう言って途方にくれたような顔をして俯くアシュヴァッターマンに、事もなげにドゥリーヨダナが言った。
「んじゃさ、お前ウチに来いよ」
……その言葉が彼にどれだけの衝撃を与えたかを、ドゥリーヨダナは一生知らないだろう。本人としては軽い気持ちで言った何気ない一言だったからだ。けれども、父への不信、アルジュナへの嫉妬、未来への絶望をその小さな身体に溜め込んでいたアシュヴァッターマンにとって、その言葉は渇いた喉を潤す美酒にも等しかった。
「もしお前がどうすれば分かんなくなったら、ウチに来ればいい。お前は強いだけじゃなく、人としていい奴だからな。勿論強制はしない。選ぶことが出来る道が一つ増えたとだけ今は覚えてればいい。ま、オレとしては是非来て欲しいけどな」
「…アルジュナと違って、僕は父に選ばれなかった人間なのに?」
そう聞きながらもアシュヴァッターマンの目は縋るように目の前の男を見ていた。求めているものをこの人なら与えてくれると彼は直感していた。そんなアシュヴァッターマンの気持ちを知ってか知らずか、ドゥリーヨダナが花のような笑みを咲かせる。落ち着いた声が、鼓膜と心を震わせた。
「オレは、お前を”選んだ”んだよ」
―――欠けたなにかが、ようやく埋まった気がした。
アシュヴァッターマンはその言葉に唇を歪めた。そうしなければ叫んでしまうくらいに嬉しかった。
父や母からの愛でも、自分でも補うことが出来なかったモノ。他人からしか得ることが出来ないモノ。
それをアシュヴァッターマンはようやく手に入れることが出来たのだ。
人生で初めてと言っても過言でないくらいに満たされた気持ちのまま、アシュヴァッターマンは微笑んだ。「ならその時は貴方の下に行かせて頂きます」と返した声は少し震えていた。
「そろそろ戻るぞ。風も強くなってきたし」
「はい。さっきの風もすごかったです」
「なー、花が舞って綺麗ではあったんだが…あーやっぱり髪についてら。見るのは好きなんだけどなー」
「…貴方には、花が良く合うと思いますよ」
「え、やだ。オレどっちかというと格好いい路線がいいんだけど。目指すは渋いイケてるオジサマ」
そう答える男の背中を追いかけながら勿体ないなと思う。
この世のものと思えない、先程の光景は鮮明に彼の瞼に焼き付いていた。
***
(…やっぱり、貴方には花が合いますよ)
眠るように死んでいる男を見下ろして、先程まで過去に思いを馳せていたアシュヴァッターマンは泣き笑いのような笑みを浮かべた。
花の似合う男だった。むしろ、花みたいな男だった。誰かに認められないとすぐ揺らいでしまう自分と違って、自分の選んだことに自信と覚悟を最期の時まで持ち続け、見事に大輪の花を咲かせてみせた人。散り際でさえも魅了してやまない、アシュヴァッターマンの心を唯一埋めることが出来た人。
でももう、この心が満たされることはない。
「…僕、頑張りましたよ。沢山沢山頑張りました。本当はいけないことをしたって分かってます。でも今の僕にはこうやってしか、アルジュナ達に一矢報いることが出来ないから」
―――パチパチと炎が弾ける音がする。女が泣き叫ぶ声がする。憎い男達の罵る声がする。
それらにうっそりと笑って、アシュヴァッターマンはドゥリーヨダナの遺体を抱えてその場を後にした。
…もしも、腕の中の男が生きていたらこんな自分を褒めてくれるだろうか。よくやったと、言ってくれるだろうか。
―――流石はオレが選んだ男だと、笑ってくれるだろうか。
ただ、それだけを思って。
*アシュヴァッターマン
自己承認欲求を満たしてくれたことで主人公に懐く。
褒められた行為ではないと自覚しながらも夜襲を実行し、多くの人間を殺した。
「もっと、僕を褒めてもいいんですよ?」
*ドローナ
息子可愛さに危険な奥義を教えなかったら不信感抱かれちゃった、ある意味可哀想な人。一族を滅ぼすと予言された主人公に大切な息子を関わらせたくなかったのに、むしろ懐いていて辛い。
「反抗期か?反抗期なのか?」