今回の話はキリトとカナ視点になります。
「そういえば、まだ名乗ってなかったな。カーソルを見ればわかるとだろうけど一応。俺はアルトだ。よろしく」
そう言って差し出された右手に、俺は直ぐに反応することが出来なかった。
俺、キリトはこの日、迷宮区で出会った《フェンサー》を誘い《トールバーナ》で開かれる攻略会議に来たのだが、自身のコミュ力の低さの影響でパーティーを組むことができず。
結局、同じくあぶれた様子の女性フェンサー、《Asuna》との二人だけのパーティーとなってしまった。
普段はソロで活動している俺だが、ボス攻略はそうはいかない。階層ボスはそこらの雑魚モンスターとは訳が違う。レイドを組み、より多くの人がいるパーティーに入らなくてはいけないのだが、結果は見ての通り、己のコミュ力の低さを呪いたい。
ボス相手にパーティーメンバーが二人というのは危険だ。いくら安全マージンを取っていても、二人では不足や事態には対処できない。最低あと二人はメンバーが欲しいところだ。そう考え、まだパーティーを組んでいない者を探すが、右も左も、何処を見てもパーティーを組めそうな者は一向に見当たらない。
もやは二人だけでパーティーを組むしかない、と諦めかけた時――
一人の少年が話しかけてきたのだ。
少年の話を聞けば、彼の方もメンバーが二人しか居らず困っているらしく、俺たちとパーティーを組んで欲しいとのことだ。
願ってもない話に俺は即効で承諾の返事をしたかったが、隣に座る女性プレイヤーが賛成してくれるか確認を取るため、横目で彼女へ視線を送る。
彼女は俺の視線の意味に直ぐに気づいてくれたようで、小さくコクンと頷いた。
それを見届けた後、直ぐさま俺は少年へ了解の返答を伝える。それを聞き終えると共に、彼は仲間を呼んでくると言い歩いて行き、広場の端まで行ったかと思うと一分もしない間に仲間を連れて戻って来た。
少年は戻って来ると、待たせてすまないと社交辞令で謝罪をしてきたので、俺も適当に返すと、少年がパーティー参加申請を出したので迷うことなくOKを押し、俺は彼らとパーティーを組んだのだ。
回想から我に帰ると、先ほどと変わらず右の手のひらが差しのべられている。
俺はこの二ヶ月ほとんど一人で行動していた為か、元から低かったコミュ力がさらに低下したようで、この《アルト》、と名乗った少年が右手を差し出した理由が一瞬わからなかったのだ。
数秒の間を使い、ようやく彼が握手を求めていることに気がつく。
話し方から少しクールな印象を受けたが、どうやらフレンドリーな性格のようだ。これならあのフェンサーとも上手くやってくれるだろう。
それに彼が連れてきた《カナ》という女性プレイヤーは、先ほどからアスナに話し掛けているのだが、明らかにアスナの雰囲気が俺と話していた時よりも、柔らかくなっている。やはり同性の方が心を開き安いのだと思う。
あのフェンサーがチームワークをとれるか不安だったが、この調子なら大丈夫そうだ。
俺は改めてアルトに向き直り、ニヤリと笑って彼の差し出す右手を掴む。
「改めて、俺の名前はキリト。今回のボス戦は頼むぜ。アルト」
パーティーを組んだ以上、彼らは仲間だ。ここにいる四人全員、誰一人欠けることなく辿り着きたい。いや、辿り着くのだ。彼らを第二層へ連れて行くことがベータテスターである俺の……あの日、《はじまりの街》に置いてきたアイツへの罪滅ぼしに少しでもなるかもしれない。アルトの手を掴みながら己の心に強く誓った。
その後は、出来上がった七つの六人パーティーに役割を伝え終えたディアベルが俺たちの所へ来て、役割を伝えた後、その内容に納得がいかない様子のフェンサーを説得すれば、スイッチやPOTについて知らないといことが判明するなど多々あり、とりあえず明日集合の約束をして各自宿に戻ったのだが――
今この空気はどうだろう。俺の隣を目に見えて不機嫌そうなフェンサーが歩いており、その後ろをアルトが気まずそうに続き、カナに至ってはオロオロと困り果てた様子で見ている。
どうしてこうなった。
心の底からそう言いたい。いや、この状況を作った原因は俺なのだが、それを思い出すのは隣のフェンサーに禁止されているので考えないことにする。
こんな調子で今日のボス攻略は上手く行くのだろうか、俺はまだ始まってもいないボス戦に大きな不安を抱き、なんとかならないかと考えていた時――
「おい」
突如として後方から、敵意を含んだ声が俺の耳に届いた。
振り返ってみると、そこに存在したのは昨日の会議で騒ぎを起こした人物であり、俺の《アニールブレード+6》を買おうとアルゴに依頼した人物――
特徴的なトゲ頭の男、キバオウがこちらを睨みつけている。
「ええか、今日はずっと後ろに引っ込んどれよ。ジブンらは、わいのパーティーのサポ役なんやからな」
低く剣呑さを持った声でキバオウは言い、頬を憎々しげに歪めて俺を見据えた。
「大人しく、わいらが狩り漏らした雑魚コボルドの相手だけしとれや」
そう言って奴は満足したのか身を翻し、自分のパーティーであるE隊へ戻って行った。
しばらく呆然とその背中を見ていたが、背後から聞こえてきた声によって、俺は我に返されることとなる。
「ちっ……本当、一々無駄に場を乱す奴だ。どうして集団を造るとああいった余計なのが入り込むんだろうな」
その声の主はアルトだった。表情は冷たく、瞳はナイフの如くキバオウを見据えている。俺は思わず自分の目を疑った。
彼は昨日会ったばかりだが、基本的に友好的な人柄だということは話しをして直ぐにわかった。
そんな人物がここまで他者を嫌うとは、俺たちよりも長く共に行動をしていたであろうカナも、彼のこのような姿を見たことがないのか、口を半開きにし、唖然としている。なんとあのフェンサーすらもわずかに驚いてるのが見てとれる。
確かに、さっきのキバオウの態度は人によってはむかつくかもしれないが、これはさすがに言い過ぎだ。そう思い彼に注意をすれば、アルトはそれを否定する。彼が言うにはキバオウのようなタイプは変に問題を起こし、周りに悪影響を及ぼすらしい。
言いすぎではあるが正論なので、それ以上は注意をすることはなかったが、なぜアルトになぜそこまでキバオウを嫌うのか訪ねると、彼は神妙な顔つきになり、カナのもとへ近づいて彼女に何か話し始めてしまった。
「しかし、驚いたな昨日感じた印象ではあいつ、友好的に思えたんだけどな」
「私も……昨日はぼんやりした人って感じだったのに、結構ドライな人なのかもね」
何気無しにそう呟くと、以外にもフェンサーが話を返してきた。彼女の中でのアルトの第一印象に少し彼へ同情しつつ、アルトたちの方を見れば話は終わったらしく、アルトがこちらへ近づいてくる。
彼は俺たちの側までくると、時間がかかったことにたいして軽く謝罪をした後、彼はどこか懐かしむような顔つきになった。
「俺、SAOのサービス開始日、まだこのゲームがおかしくなる数時間前にソードスキルの練習をしてたんだ」
アルトは少しの間を挟み続ける。
「しばらく練習を続けてたんだけど全然上手くいかなくてな。どうしようか困ってた時にテスターの人がレクチャーしてくれたんだよ」
似ている……俺とあいつの時と似ているのだ。彼の話を聞き思わず唖然としてしまった。
「その後は二人も知ってる通りデスゲームが始まったんだけど、それからもしばらくそのテスターの人が色々と面倒を見てくれてたんだ。こんないつ自分が死ぬかも知れない状況でだぜ? そんな中、俺を助けてくれたあの人には感謝してもしきれないよ。だからあの人と同じテスターを悪く言う奴はムカつくんだ」
そしてアルトは真剣な眼差しで俺たち全員を見据えた。
「それに、大半のビギナーたちは二千人が死んだのは元テスターがビギナーの面倒を見なかったのが悪いとか言ってるけど、あの状況で千人いるかもわからないテスターたちにそれを言うのは間違ってると思う」
その言葉聞いた瞬間、俺は今までに無いほど驚愕に包まれた。彼の言う通り、ほぼ全てのビギナーたちはテスターを憎んでいる。そんな中でこんなことを他のビギナーに聞かれれば、魔女狩りの異端審問の如く、彼は攻められかねないからだ。しかし、彼は口を閉じることなく濁流のように言葉を吐き出す。
「だってそんなの八つ当たりだろ。あんなことになったら普通第一に自分を優先するさ、俺だってテスターだったら多分そうしたと思う。キバオウや他のテスター嫌いの奴等は自分がそうだったらどうなのか、ちゃんと考えて無いから俺は奴等が嫌いなんだよ」
彼の話を聞き終えた時、この二ヶ月間、俺の心を蝕んでいた元テスターというビギナーたちに対する負い目が軽くなかった気がしたが、それと同時にとある心配も生まれる。
この少年は優しい。いや、優しすぎるのだ。あの状況下で俺たちテスターがビギナーを見捨てたことを攻めることなく、むしろ俺たちの立場から考えているのだ。だが、それはとても危うい。この世界でその優しさは彼にとって毒となるだろう。
「まあ、だからこそあの人に会えた俺は相当運が良かったんだろうな」
そう呟くアルトはさっきまでの激しさは無く、とても穏やかな表情だった。
「そうか……それが理由なんだな」
一言呟く度に己の中で罪悪感と自己嫌悪の感情が肥大化する。
彼を助けたテスターはあの日、俺が逃げたことから……他者の命を背負うという重圧から、逃れることなくそれを成したのだ。
それは一体どれほど苦しく、恐ろしいことなのだろうか、あの日、あの場所から……アイツから逃げた俺にはその心境は想像もできない。
そして、その後彼と別れたのなら長い間共に行動をしただけ、いつかは見棄てることになる分、俺以上の罪の意識を持っただろう。それでもアルトはそのテスターを慕っているのだ。
「なあ……アルト、その人って今も会ったりするのか?」
普段の俺なら自身もテスターである以上、自分や他のベータ出身者に危険性のあるベータテスター関連の話は絶対に聞かなかっただろう。
だが、どうしてもそのテスターのことが気になってしまったのだ。あの日以来、《はじまりの街》にいるアイツへ負い目感じ、会わせる顔がないと思っている俺と同じなのか、それとも――
「あ、ああ、今でもたまに連絡を取ってるよ」
俺が想像したもう一つの考えはアルトが放った言葉によって形を持ち、鋭い刃となって俺の心へと深く突き刺る。
――負い目と向き合う強さを持っているのか、その考えは迷うことなく正しかった。彼のテスターはかつて俺が逃げ、今も逃げ続けていることに立ち向かったのだ。
「そっか、その人は凄いんだな……」
己の胸を締めつける罪悪感の痛みを堪え、なんとか喉を震わせて声になるかもわからない言葉も放つ。
本当に自分の弱さに吐き気がする。どれだけレベルを上げ、武器やステータスを強化し、技術を磨いたところで精神の強さは何一つ変わらない。その強さなら今隣にいるレイピア使いや、あの日俺を送り出してくれたアイツの方がよっぽど強いではないか。
少し考え込み過ぎたのだろう。ふと我に帰ってみれば三人が心配そうに此方を見ている。
「どうしたんだキリト? なんか顔色が悪いけど、俺の話が原因か?」
アルトが申し訳なさそうに聞いてくる。どうやら俺の顔色は自分で思っていたよりも酷いらしい。これ以上彼らに心配を掛けるわけにはいかない、俺は頭を左右に降ることで彼が言ったことを否定する。
「いや、何でもないよ。それよりあんまり話し込み過ぎると前にいる連中に置いてかれるぜ」
いい終えると同時に歩く速度を上げ、もう随分と離れてしまったレイドの最後尾の後を追いかける。
もし、あの日に戻れたとしても俺にはアルトを助けたテスターと同じようにすることは出来ないだろう。俺はまだ、その強さを持っていないのだから。
頭上の木々の枝の狭間から見える迷宮区を眺めながら、《はじまりの街》で他のビギナーたちと行動しているであろう、この世界で初めてフレンドになった男の姿を思い浮かべる。
なあ、《クライン》……お前だったらあの日に戻ったらどうするんだろうな……
十二月三日、冬真っ只中のこの季節。冬独特のひんやりとした空気が現実世界さながらの再現度で全身を包み込み、一瞬ここがゲームの中だと忘れそうになってしまう。
アインクラッドの季節は現実と同期しているので、現実の世界も丁度これくらいの気温なのだろう。
だが、今私が感じている寒さはそれだけが原因ではない筈だ。私が寄りかかっている塀の上には先ほどまで、あと二名の人物がいたのだが今は私一人を残し、すっかりと蛻の殻である。
二人のうち片方のアルゴは、さっきのキバオウというプレイヤーが起こした騒ぎで、ガイドの話が出ると一方的に別れを告げ、去って行き。
そして、もう片方のアルトはパーティーを組んでもらってくる、と言い残してフラフラと何処かへ行ってしまった。
二人の行動を振り返り、ため息をつく。まったくもって両者共に勝手である。
しかも、アルトにここで待っていろ、と言われてしまったので、この場から離れることも出来ないため、やることがなく非常に退屈なのだ。
何気なく頭上を見上げれば、青く染まった空の向こうにうっすらと岩肌が視認できる。ああ、あの向こうには第二層の大地が広がっているというのに、二ヶ月の時を経てなお私たちは彼処に行けずにいるのだ。
先ほどの騒ぎの中で、キバオウは元テスターたちがビギナーにレクチャーをしていれば、今頃はもっと上の層に行けていた筈だと言った。それは何の確信もないIF の話だが、私にはそれを避難する権利などない。
あの日、多くのテスターが戸惑い混乱するビギナーを見棄てて、街から逃げた。私はアルトを連れて街を出たがそれでも多くのビギナーたちを切り捨てたことには変わりない。
いや、むしろ私は他のテスターよりも酷いのかも知れない。
私はあの日、アルトを助けたいと思い、彼と行動を共にすることに決めたはずだ。しかし、心の何処かで彼を利用しているだけなのではないかと思っている自分がいる。そう思う理由は明確だ。
私は弱いのだ。私には他のテスターのようなゲームの腕もなければ技術もない。ベータテストの時も最後の方は基本的に街に籠り、適当に生産系スキルを上げ、希にフィールドでモンスターを狩るというプレイスタイルだった。
今はまだ経験の差や、ベータ時にアルゴと集めた情報のお陰でトッププレイヤーとしてこの場にいるが、それもいづれは役に立たなくなる。時が過ぎれば経験差は埋まるし、私はアルゴほど情報収集は得意ではない。
私が持つ、ベータテスターとしての経験が完全に役立たずになった時、私はこのトッププレイヤーという居場所を失うのだ。
例え攻略に参加出来なくても、ベータの時のように生産職つけば攻略に貢献することはできる。
だが、街に籠り、元テスターであることが露見することに怯えながらひたすら生産スキルを上げ、延々とこの世界の終わりを待ち続けるなど、私の弱い心では途中で折れてしまうだろう。
トッププレイヤーという居場所を失えば、私には何も残らないのだ――そう、アルトがいなけば。
彼は私とは違い、ゲームの腕も技術もある。今は私が経験で上回っているが、いずれは私なんかよりもずっと強くなるだろう。
そんな彼は私のことを、恩人として慕ってくれているのだ。彼にとって私が恩人で有る限り、私の存在理由は無くならない。
そうやって自分の居場所を守るために、彼を利用しているのではないか? そんな考えがここ最近ずっと頭の中を埋め尽くしている。どれだけそれを否定しようとしても、心の底から違うと言いきることが出来ない自分に嫌気がさす。
「カナ、パーティー組んでくれるってさ」
私が深い自己嫌悪に陥っていると、少し離れた場所からアルトの声が届いた。彼の前でこんな暗い表情していては、無駄に心配を掛けてしまう。ネガティブな思考を取り払い、明るい雰囲気で彼へ話しかける。
「本当! よかったぁ、このまま二人だけでパーティー組むことになるかと思ったよ」
この二ヶ月でわかったことだが、アルトは洞察力に優れている。悩み事を隠していると大抵バレてしまうし、本人が言うには、街やフィールドにいるプレイヤーの体運びや挙動から、テスターとビギナーの判別もある程度出来るらしい。
無論最初は私も嘘だと思った。しかし、後で彼がテスターと判断した人と少し接触をしてみると、ネームや口調に覚えがある者が多数おり、彼の洞察力が本物だと信じる他になかった。
幸い今回はアルトに気づかれる前に誤魔化すことが出来たようだ。
私が安心そうにしたことも、パーティーが組めたからだと思ったようで、私を連れ二人のプレイヤーの元へ早足に進む。
二人の元へ着くと直ぐにアルトと黒髪の男性プレイヤーがパーティーの申請をし、少しの間を挟んだ後、視界に二つのHPゲージと《Kirito》、《Asuna》という文字が出現する。
私は二つの内《Asuna》というネームに目を止めた。何せこの世界では数少ない女性プレイヤー、同じ女性としては気になるのだ。
だが、アスナという名のプレイヤーはフードを深く被り、明らかに関わるなという雰囲気を出しているので、どうやって声をかけようか悩んでいると、唐突に低い女性の声が私の耳に届いた。
「あなた……さっきからこっちを見てるけど、何?」
どうやら先ほどから見ていたのに気づいていたらしく、少しきつめの口調で話しかけられる。
「ご、ごめんなさい! 同じ女性プレイヤーだからお話したいなー、と思って……ジロジロ見たりして失礼だったよね……」
「別にそこまで気にしてないから、平気。でも、馴れ合う気はないわ……」
話をしてみようと思った矢先に彼女から馴れ合う気はない、と拒否されてしまった。
「そんなぁ、アルゴ以外にやっと同性の友達が作れると思ったのに……」
「友達? 何を言ってるのあなた……」
アスナが友達という部分に反応し、訝しげに呟き、こちらへフードで隠れた顔を向ける。
「このゲームにクリアはない。今回ボスに挑むのだって無駄……全員死んで終わり、結局全員死ぬんだから友達になんかなっても意味ないでしょ」
冷たく沈んだ声が静かに語る。その言葉は全てが無意味という雰囲気を持っていた。彼女はこの二ヶ月でそんな絶望的な答えに辿り着いたのだろう。その考えは多くの者が思っている。現に私だってわずかにだが思っており、この状況でそう考えるのは間違っていない。
ぶたんの私だったら何も言い返せなかったと思う。
だからこの時、彼女の言葉に言い返してしまった私は、何時もより心にゆとりがなかったのだろう。
「そんなのわからないじゃん! どうして最初から諦めるの? キミだってこの世界から出たいと思ってここに来たんでしょ?」
彼女はしばらく呆然としていたが、やがて歯を食い縛り、フードの奥から切り裂くような鋭さを持った榛色の瞳を覗かせた。
「わかりきったことじゃない! 二千人、たった二ヶ月で二千人も死んだのよ! それなのに二層にすら辿り着けてない……今日、ここに来たのだって人に誘われて、死に場所には丁度いいと思ったから来ただけよ」
先ほどよりなお低い声が憤怒を纏い、私へと放たれる。
「それとも何? あなたはここにいる四人全員が生き残れるとでも思ってるの?」
吐き捨てるかの如く、彼女は問いを投げかける。フードの奥にわずかに見える瞳は日の光を受け、榛色の虹彩がその存在を主張するかのように美しい輝きを放つ。
「そうだよ。私はこの四人全員生きてが第二層に行けると思ってる。むしろそれ以外の選択肢なんて考えてない」
「な、何を根拠にそんなことを思えるの?」
震えを帯びたアスナの声がは響く、私の視線が罰金がと彼女捉える。
「だって私はこんな所で死にたくないし、キミや他の二人が死ぬ所も見たくないから」
一度深く息を吸い込み、唖然としている少女へ言葉を放つ。
「生きたいと思う理由にそれ以上のことが必要ある?」
そう言った私を彼女はしばらく見つめ、浅くため息をついた。
「いいわ、あなた言うことに少しだけ興味が湧いた。まだ諦めないことにするわ」
静かにそう言い終えると同時に顔を背けた。
「うん。それなら私も頑張らなくちゃね!」
彼女の言葉に思わず笑みが溢れる。まだ不安は残るが、どうやらボス戦は諦めずに挑戦してくれるようだ。
「それじゃあ話も終わったし、友達になってくれるかな?」
「はあ!? まだ続いてたの、その話!? はぁ……ボスを倒したら、なってあげてもいいわ……」
その言葉に再び笑みが浮かぶ。これはなんとしてもボスを倒さなくては、笑われたことに怒るアスナをなだめながら私は強く心に誓った。
というのが昨日の出来事。そして――
ムスっとした表情で歩くアスナとその隣を少しばかり怯えた様子のキリトが歩き、私の隣をアルトが気まずそうに続く。
気まずい……理由はわからないがアスナは明らかに怒っている。このままではボス部屋につく前に精神が潰れそうだ。
どうにかならないか必死に解決策を考えていると――
「おい」
その声を聞いた瞬間、首筋に刃物を当てられたような寒気が襲った。
恐る恐る振り返れば、あの会議で騒ぎを起こしたら人物、元テスターである私には忘れたくても忘れることができないであろう男、キバオウがこちらを睨んでいる。
ああ、ダメだ。足が小刻みに震えだし、奥歯がガチガチと音をたて始める。
怖い、あの攻め立てるような目が恐ろしくて仕方がない。震えが全身へと広がり、視界が歪む。
ダメだ。泣くな、ここで泣いたらテスターだとバレる。そうなればみんなにも疑いが掛かりかねない。
何よりアルトに心配をさせたくない。彼のことだ。私がテスターだとバレたら確実に私を庇うだろう。そうなれば私はこれから先、ずっと彼に頼り続けることになる。
それはだけは避けなくてはならない。私は彼を利用したくない、これ以上アルトを利用するのは絶対にイヤだ。
唇を噛み締め、必死に涙を堪える。その間もキバオウは私たちへ暴言を吐き続ける。
何時間にも感じられた話はようやく終わり、キバオウは満足したのか自分のパーティーへと帰って言った。
苦痛から解放され深く息を吐く、体はいまだに震えている。三人はどうか気になり話かけようとした時、私の耳に酷く冷たい声が届いた。
「ちっ……本当、一々無駄に場を乱す奴だ。どうして集団を造るとああいった余計なのが入り込むんだろうな」
声の発生源には今まで見たことない冷たい表情で、全てを切り裂くような目つきをしたアルトがキバオウの背中見ていた。
二ヶ月共に行動をしてきたが、こんなに冷たい表情をした彼は初めてた。あまりの衝撃に呆然としていたが直ぐ様我を取り戻し、彼へ忠告をする。どうやらキリトも気づいたらしく、アルトに注意を入れる。
しかし、彼はそれを否定して話を続けた。彼から見たキバオウは場を乱す迷惑者のようだ。
アルトの話を聞き終えると、キリトがなぜそこまでキバオウを嫌うのか聞く。するとアルトは神妙な顔つきになり私の方へ近づいてきた。
「カナ、すまないが俺がサービス初日にお前にレクチャーしてもらったことを二人に話してもいいか? もちろんお前の名前は出さない」
「う、うん。まあ名前を言わないなら別にいいけど、それがどうかしたの?」
確認を終えるとアルトはアスナたちの元へ近づき、あの日ことを語り始めた。
ソードスキルを教えたこと、私と一緒に町を出たこと、そのどれもが遥か昔のことのように感じる。まだ二ヶ月しか経っていないと言うのに可笑しなことだ。
アルトはこの二ヶ月で随分と強くなった。最初のうちは私にフォローされることが多かったが、それも段々と少なくなり、今では逆に私の方がフォローされることが多い。
私は元テスターでいながら殆ど役に立てていない。それどころかアルトが私への恩から、キバオウや他のテスター嫌いのビギナーたちを嫌っていると聞いたとき、守ってもらえると心の底から安心したのだ。
こんな調子でよくアスナに諦めるな、と言えたものだ。いったいどれだけ彼に頼り依存すること自分の居場所を守るために利用すれば気が済むのだろうか。
激しい自己嫌悪に身を蝕まれていたが、それは私の耳に飛び込んできた言葉によって消し去られることとなった。
「それに、大半のビギナーたちは二千人が死んだのは元テスターがビギナーの面倒を見なかったのが悪いとか言ってるけど、あの状況で千人いるかもわからないテスターたちにそれを言うのは間違ってると思う」
その言葉に私は唖然とすることしか出来なかった。彼はビギナーたちの怒りは正当なものではない、そう告げたのだ。同じビギナーであるアルトなら彼らの気持ちもわかるはずなのに……やはり私に助けられたという意識からそう言っているのだろうか、そう思っているとアルトが唇を動かし、再び言葉を発する。
「だってそんなの八つ当たりだろ。あんなことになったら普通第一に自分を優先するさ、俺だってテスターだったら多分そうしたと思う。キバオウや他のテスター嫌いの連中は自分がそうだったらどうなのか、ちゃんと考えて無いから俺は奴らが嫌いなんだよ」
彼の言ったことは、酷く利己的でありながらテスターの立場から考えるという矛盾した物だった。
でも、その矛盾した考えが私にはとても優しく思えた。どうやら心配は要らなかったらしい。彼は自分なりの考えをしっかり持っている。
そんな風に思っていると、アルトが顔は動かさず視線だけを此方に送る。
「まあ、だからこそあの人に会えた俺は相当運が良かったんだろうな」
そう言って私を見る目はとても穏やかで優しさがあり、先ほどの話が嘘偽りのない本心であることを証明している。
彼が目線を外した後も、私はしばらく彼を見続けていた。彼は私が悩んでいたのに気がついていたのだろうか? だからキリトたちの質問に素直に答えたのかも知れない。どちらにしても、私の抱えていた不安が無くなったのは確かだ。
私は弱い、これから先今以上に彼に頼ることになるかも知れない。だけど助けられっぱなしはもうやめにする。私は私にしか出来ないことで彼の力になろう。
アルトとの話を終え、先に進んだキリトの後を追いかける。
こんな私だけど、いつか
だから、もう少しだけ待っていてね。