死灰再燃・火は復た熾る   作:メンシス学徒

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お久しぶり、もしくは初めまして。
DLCを待ちつつ、リハビリがてらに書き上げました。
よろしければ少々お付き合い下さいませ。




死灰再燃・火は復た熾る

 万難を排して突き進んだ旅路の果て。その終局にて待ち受けていた最後にして最大の試練とは、こともあろうに「自分」であった。

 

 別に諧謔やよく分からない哲学的言い回しを用いたわけではない。ただ、ありのままに目の前の現実を説明したまでである。

 普通ならば何が起きているのか理解出来ず、破綻しそうになる精神を必死の思いで抑え込み、兎にも角にも殺意を露わに駈けてくる「自分」の姿に対処すべく構えをとるのがやっとだろう。

 が、当の彼女の行動は、そんな常識とは一ミリたりとて符合しないものだった。

 あろうことかこの女は、盾も刀も投げ出して、灰塗れの地面を転げ廻り、腹を抱えて大爆笑したのである。

 

 ―――狂ったか。

 

 この光景を目にしたならば、百人が百人、そう考えるに違いない。しかし、誓って言おう。彼女は正気であった。

 精神は均衡を保っており、頭脳ときたら灰の墓所で目覚めてこっち、かつてないほど冴えている。

 それはそうだろう。棺から這い出して以来、胸の裡にずっと挟まり続けていた鉛の如きある疑問が、ここに来てついに氷解したのだから。喉に刺さった小骨が抜ける、あの一瞬の爽快感を兆倍にも強めたようなこの快楽(けらく)。我慢しろという方が無茶であった。

 ばたばたと灰神楽を上げながら、なおも哄笑を放って憚らない彼女を、王たちの化身は容赦なく刺し殺した。

 火継ぎの大剣―――散々見慣れたあの螺旋剣が彼女の腹をぶち抜いて、深々と地面に縫い止める。

 蟲の標本に似ていた。

 内側から焼かれる感覚というのは、何度味わっても堪らない。

 冷たい谷の踊り子にも散々味わわされた苦痛であるが、今回のこれはその痛みを、比べるのもおこがましいほど凌駕していた。

 魂さえも蒸発させかねない、絶望的な熱量を受けて。―――それでも彼女は、最後まで笑い続けていた。

 王たちの化身はそんな彼女を、どこかしら呆れを含んだ眼差しで見つめているようだった。

 

 

 

 そもそも、此度の巡礼はその始まりからしておかしかったのである。

 最初の火の炉にて薪の王グウィンを討ち、火を継いで新たな薪の王と化した自分が何故(なにゆえ)あのような、てんで見覚えのない棺の中から火のない灰として起き上がったのか。

 場所も場所だが、最大の疑問は自分がこうして疑問を抱けていることだった。

 この躰にはものを考える頭がある。特に意識しなくとも、我が意を五体の隅々まで伝わらせ、自在に動かすことが可能である。そうだ、この躰には己を己足らしめる最重要要素たる魂が、確かに宿っているのである。

 有り得ないことだった。

 彼女のソウルは確かにあの時、ひとかけらの例外もなく悉皆薪としてくべられた筈である。そうでなければ火継ぎの(わざ)など、到底成功しなかったろう。

 にも関わらず、この現実はどういうことか。この身に宿るソウルは、一体何処からやって来たのか。ソウルの業の深淵には、このような破綻すらも内包する、人智を絶した啓蒙的真実が潜んでいるのか。………

 何も分からぬまま、それでも彼女は進むことを選択した。

 考えてみれば、我と我が身に起きた事態を掴めぬままに行動するのは今に始まったことではない。遠い過去、人間による最初の火継ぎという大偉業を成し遂げたときもそうだった。

 あの不死院で哀れに満ちた亡者どもの叫喚を聴きながら腐ってゆくのに耐えられず、藁にも縋るような思いで解呪の(すべ)を探し求め、ロードランをうろつく内にいつの間にやら話がどんどん大きくなった。

 後世では彼女が端から火継ぎという目的を胸に抱き、そこから逆算して諸々の行為を辿って行ったかのように記す文書も存在するが、真っ赤な嘘もいいところである。

 持たざるものとして生を受け、世界から何も与えられず、奪い取ることでなんとか露命を繋ぎ止めてきた彼女という人間が、最初から世界の為などと―――そんな高尚な大義を備えているわけがないではないか。

 むしろ、怨みこそあった。

 自分に呪いばかり押し付けるこの世界を呪い返し、全人類が自分と同じ、この奈落の底に堕ち果てて、絶望の味を堪能すればいい、させてやりたいとさえ願っていた。

 そんな性根の彼女である。世界蛇の一匹、闇撫でのカアスによって齎された「真実」に湧き立つものがなかったと言えば嘘になろう。

 

  かつて人の始まり、貴公ら人の先祖は古い王たちの後に、四つ目のソウルを見出した。

  闇のソウルだ。

  貴公ら人の先祖は、闇のソウルを得て、火の後を待った。

  やがて火は消え、闇ばかりが残る。

  さすれば、貴公ら人、闇の時代だ。

  …だが。

  王グウィンは、闇を恐れた。

  火の終わりを恐れ、闇の者たる人を恐れ、

  人の間から生まれるであろう、闇の王を恐れ、世界の理を恐れた。

  だから奴は、火を継ぎ、自らの息子たちに、人を率い、縛らせた。

  貴公ら人が、すべて忘れ、呆け、闇の王が生まれぬように。

 

  よいか、不死の勇者よ。

 

  理に反して火を継ぎ、今や消えかけの王グウィンを殺し、そして四人目の王となり、

  闇の時代をもたらすのだ。―――……

 

 正直に告白しよう。

 湧き立つどころのさわぎではない。この「真実」に、彼女はまったく随喜した。

 敗北に次ぐ敗北、苦難に次ぐ苦難。路地裏の闇溜まりで襤褸切れのみを身に纏い、虱に喰われ、ゴミを漁って汚水を啜り、その中に浮かぶボウフラと自分との間に、果たしてどれほどの違いがあるのか半ば本気で疑問に思ってしまうような、壮絶な青春を経験してきた彼女である。

 そんな彼女にとって、人の頂点―――「闇の王」という称号は、あまりに甘美に過ぎた。

 にも関わらず、カアスの言葉に是とも否とも返答せず、黙って踵を返したのはいったいどういうわけなのだろう。

 察するに、彼女はあまりに負け過ぎたのだ。

 美味い話には裏がある、人の善意はまず疑ってかかれ。

 騙され、裏切られ、背後から刺され続けてきた無数の過去が、目も眩むような蛇の提案に、なにかきな臭いのではないかと無言の警鐘を鳴らしたのである。

 その予感が正しかったと確信したのは、暫く後。深淵の主を掘り返し、人間性の暴走を招き、正に滅び行かんとする過去のウーラシールを目の当たりにした瞬間だった。

 

(それ見たことか、案の定だ)

 

 なるほど確かに、闇のソウルは人たる者に生来備えつけられた力であり、人の本質は闇なのだろう。

 だが、その覚醒に、いったいどれほどの人間が耐えられる?

 

(千か、百か、いやいや十にも満たないということもあり得るのではなかろうか)

 

 妄想ではないだろう。

 彼女をしてそう危惧せずにはいられぬほどに、ウーラシールの惨状は凄まじすぎた。

 

(私が火を消し、闇のソウルを掣肘するすべてを取っ払ってしまえば、これが全世界規模で展開される)

 

 或いは、これ以上の惨劇が、である。

 カアス曰く、「すべて忘れ、呆け」た人間の増殖は、当然時代が下るに従って深刻さを増したことだろう。アルトリウスやキアランといった神話の英雄達が跋扈した彼の時代でさえ、あの様である。況やこの時代をや、というものであろう。とても期待が持てなかった。

 

 それでも、かつての彼女ならば。

 ロードランに初めて足を踏み入れた、あの瞬間の彼女であったならば、迷わず闇の王としての道を邁進していたことだろう。

 全人類が闇に堕ち、頭部を肥大させ盲目的にソウルを求める怪物と化すならそれも結構。むしろせいせいする、いい気味ではないかと笑い、喜んで世界を堕としたに相違ない。

 だが、良くも悪くも、環境は人を変えるものである。

 皮肉なことに、地獄が地上に顕現したかのようなこのロードランの地に来てはじめて、彼女は他者との繋がりを実感させられていた。

 ありがとうと、なんの裏もありはしない感謝の言葉を、初めてその身に浴びたのだ。

 その瞬間、胸奥に生じた感覚を、彼女は生涯忘れない。

 白刃を突き立てられるより痛く、しかしながら冷たさはなく、むしろじんわりと暖かいもの。「痛み」ながらも、決して手放したくないもの。

 

(傷の舐め合いと、嘲笑(わら)いたければ嘲笑(わら)うがよい)

 

 そうであっても構わなかった。

 少なくとも此処に来るまで、誰も彼女の傷を舐めてくれなどしなかったのだから。

 

(どうしよう)

 

 最初の死者を、四人の公王を、鱗のない白竜を、混沌の苗床を。

 王のソウルの持ち主をことごとく殺し、最初の火の炉への扉を開く直前になって、彼女は漸く世界の行く末について真面目に考えるだけの殊勝さを獲得していた。

 とはいえ、世界への怨嗟が消えたわけではない。

 弱者が淘汰されるというのならそれも結構ではないか。自然の理に(のっと)った結果だと、尤もらしい大義名分を隠れ蓑にたっぷり鬱憤晴らしをしてくれようぞ。

 ……そう囁く声も、確かにある。その一方で、

 

(それは師に―――あの人の言葉に背く道ではなかろうか)

 

 とも思うのである。

 遥か地の底、病み村にて邂逅した女性の影が脳裏をかすめる。優しさゆえの厳しさを纏った彼女は言った。

 

 ―――炎を畏れろ。その畏れを忘れた者は、炎に飲まれ、すべてを失う。

 

 この言葉は炎に限らず、この世に存在するあらゆる「力」に応用可能な戒めではなかろうか。

 そうやって考えてみるに、今の自分はどうであろう。

 心に躊躇いを自覚しつつも意固地になって闇の時代を切り拓かんと突っ走るのは、果たして賢明な道と呼べるのだろうか。

 闇への畏れを欠いてはいないか。闇のソウルを、ただ自分の暗い情念を発散するのに都合がいい、便利な道具程度にしか思っていなのではあるまいか。

 

(それでは、まずい。いずれ闇に飲み込まれる)

 

 彼女が目指すのは、あくまでも「闇の王」。闇のソウルを屈服させて君臨する永遠の覇者であって、闇に溺れ、飲まれて心を失う愚者では断じてない。

 たとえどれほどの時が流れ、天地を砕くほどの力を得ようとも。

 

 ―――ありがとう。お前に会えて、本当によかったよ。

 

 あの一言を忘れてしまっては意味がない。そんな自分になるのは御免であった。

 

(そうだな。そろそろ、この怨念とも決別すべき頃合か)

 

 と頭では理解して、しかしそれからが大変だった。

 

 ―――待て待て、落ち着け。もう一度よく考えろ。思い出しても見るがいい、お前を見下し、石と嘲笑を投げつけて、人間としての尊厳をずたずたに切り刻んだあの連中の面貌を。

 ―――あんなことをされておいて、それでもお前は赦すのか? そんな聖人の如き深情けをかけてやる必要が、一体全体何処にある?

 

 論理を武器に理性で以って感情を屈服させるのは至難を極める。暴れ牛を素手で鎮圧するに似る。

 相克による煩悶に身を焼かれ、長く苦しむはめになった。

 祭祀場に座り込み、ゆらゆらと揺れる篝火を凝然と見詰め、気が鬱してくると下に居るアナスタシア相手に愚痴りに行く。

 最初の内こそ相槌を打ち、大人しく聞き役に徹してくれた火防女であったが、十回、二十回と数が重なるにつれ段々彼女の毒が感染(うつ)ったらしく、私だってと不幸自慢や不幸合戦を交わす仲になっていった。

 無性に躰を動かしたくなり、思い出したかのように怪物狩りに出掛けることもままあった。

 主に巨人墓場の水場で、無限に湧き出る赤子の骨を砕いていた。で、得た人間性を混沌の娘に捧げるのである。

 推測が正しければ、この蜘蛛姫は師匠の血縁者である可能性が極めて高い。

 

(おそらく、妹であろう。情の深さがよく似ている)

 

 粗略に扱えるわけがなかった。

 北の不死院にて、叩き込まれた独房の片隅に転がっていた老魔女の指輪。なんの通力も示さないがらくたを、しかし棄てずにおいてよかったと、自らの幸運に心の底から感謝したものである。正に運命からの贈り物であった。

 

 

 ……そうやって日々を送る内に、自然と彼女の視界は晴れていった。

 傷の舐め合いとて無駄ではない。上手く使えば、猫や犬がそうするように傷を塞いで再起を齎す癒しとなる。

 

(やはり、時期尚早に過ぎるか)

 

 その結果、辿り着いた答えである。

 闇の時代は訪れる。それ自体は不可避であり、彼女にとっても厭はない。

 

(が、今ではない)

 

 火の時代を終焉させ、その死骸より芽吹く新世界。それは当然、犠牲にした旧世界を凌ぐ素晴らしきモノでなくてはならない。そうでなければ割に合わない。

 が、今の人類種にそれを望むのは酷であった。

 ここで火を消し、闇のソウルを解き放ったところで、後に残るのはなんであろう。何処までも続く荒涼たる曠野と、知性の欠片も無く、おぞましき蠕動を繰り返す奇っ怪な異形ばかりではないか。

 

(冗談ではない。―――情けない進化は、人の堕落だ)

 

 時間が必要であった。

 人間が自らの根底に潜む闇のソウルに負けぬよう、存在としての密度を練り上げるだけの時間が。

 その猶予を稼ぎ出す為に、今、最初の火に消えてもらっては困るのである。

 

 ―――火は消える。いつか必ず、消え果てる。闇の時代がやって来る。ゆめ、その備えを怠るなかれ。

 

 このような内容の警句を、彼女は考え付くあらゆる方法で遺した。

 そうしてついに、闇の王たる栄誉を諦め、後進にその道を譲るべく、自分は薪となりて我が身を火にくべたのだ。

 再び勢いを取り戻した最初の火の輝きと共に、この意志が地平の果てのその先にまで拡散することを願ったのである。

 

 

 しかし。

 

 

 しかし、である。

 遥かな時を隔てて火の無い灰として再臨を果たした彼女が目の当たりにした現実は、そんな祈りを木っ端微塵に打ち砕くものに他ならなかった。

 

(なんだ、これは)

 

 ロスリックを彷徨う内に、自然と集まってきた世界の足跡。そのあまりの無惨さに、彼女はほとんど絶句した。

 

(……継ぎ火など、所詮は対症療法に過ぎまいに)

 

 その対症療法にばかり腐心し、馬鹿の一つ覚えのごとく火継ぎの儀式の再現に躍起になるとは、これはどうしたことだろう。

 

(誤解されている)

 

 そうとしか思えなかった。

 自分の遺した言葉が、である。確かに彼女は備えを怠るなと警告したが、それは闇の時代の到来を防ぐべく、新たな薪を準備しておけという意味では決してない。

 そうではなく、人界を蝕むこの呪いを。……ダークリングが齎すあの絶望を、根本から克服して欲しかったのだ。

 ところが、誰も自分のその意図を汲んでくれていなかったと理解したとき。彼女の心に猛然と噴き上がってくるものがあった。

 人々と、何より見通しの甘過ぎた自分に対する激怒である。

 自分の意志が伝わることを願っていた?

 

(馬鹿か)

 

 何だそれは、何なのだ? そのお花畑丸出しな考えは。

 我が事ながら反吐が出る。祈りなんぞに何の効果もないことは、散々舐めさせられた苦汁の味からとうに学んでいたろうに。

 この世界には変革が必要だ。だが、社会的動物としての人間は、急激な変化を望まない。

 寄らば大樹の陰、長いものにはひたすら巻かれ、ただただ日々の安寧なるを希う。他人の不幸には目を背け、いやいっそ対岸の火事よと笑いながら見物し、愉悦のタネにすらしてみせる。

 世に横溢する「一般人」とやらの実態は、まず大方、このようなものだ。

 闇のソウルを支配するための、生物進化の道とは即ち途方もなき苦難の道。都合の悪い真実から目を背けず、醜悪な己の正体と向き合い、万難を排して突き進む試練の連続に他ならない。

 そんな苦行を、「一般人」どもが敢えて積むわけがないではないか。それに例え火が陰り、呪いが世を覆おうとも、黙っていればいずれお人好しが現れて、勝手に闇を祓ってくれるのである。

 これでは奮起の仕様がない。その「お人好し」どもの第一号に自分がなってしまった事実も、余計に彼女を苛んだ。いっそ消滅してしまいたくなるほどの恥辱であった。

 

 彼女の激怒が頂点に達したのは、ロスリック王家の「血の営み」とやらの輪郭を、朧気ながらも掴んだ瞬間である。

 

(……薪の王たる資格者を求め、調整された血脈?)

 

 なんだそれは。

 怒りも度を越すと、逆に血の気が引くらしい。指先がすーっと冷たくなる不快感をどうしようもなかった。

 

(私が願ったのは人類という種全体の底上げであって、一握りの血族に途方もない因業を背負わせる道では断じてない)

 

 ああ、それでは、それではまるで生贄ではないか。

 王族とは名ばかりの、飼われ、囲われ、管理されては間引かれる牧畜どもと何が異なる。

 民草の安寧とやらは、それほどまでに尊重されねばならぬのか。

 過酷な真実から目を背け、怠惰に甘んじ研鑽を忘れ、何事もない穏やかな日々がずっと続いて行きますようにと祈っていれば高尚か。

 

(―――否)

 

 それこそ神々が人に科した枷である、と彼女は今こそ頓悟した。

 同時に、自力で外せないのなら無理矢理にでも壊してやろうと決意した。

 その意味するところは明瞭だ。はじまりの火を消すのである。

 太古、グウィンを打ち倒したあのときに、時期尚早であると選べなかった選択肢。

 それを今度こそ実行してやる。与えた猶予を活かせなかったというのなら、それは貴様ら自身の責任だ。せいぜい覚悟するがいい、と彼女は猛然と歩み始めた。

 

 

 その過程で、かつて師と仰いだ女性(ひと)との再会も果たした。

 但し、相手はとうに亡骸で、ほとんど化石と化している有り様だったが。

 

(……つくづく、長生きなどするものではないな。況してや復活ともなれば猶更だ。碌でもないものばかり見せられる)

 

 内臓が尻穴からごっそり流れ落ちてしまった気分である。震える手で兜を外し、どっかと地面に座り込んだ。首を、へし折られたかのごとく垂れる有り様は、いつぞやの心折れた騎士を彷彿させずにはいられまい。

 衝撃、などという生易しい次元のものではない。

 計り知れないほどの恩がある。

 己を()にしてくれた人物の頬に、そっと手で触れてみた。

 

(この唇が、私を馬鹿弟子と呼んでくれる日は、もう二度と来ないのだ)

 

 当然といえば当然な事実を今更ながら発見し、彼女は瞳孔の開ききった顔をした。

 決壊寸前にまで追い込まれた精神で、辛うじて願えたことは、ただひとつ。

 

(今は、ただ、せめて)

 

 たったひとり残された妹と、寄り添いながら迎えたらしきその最期が。

 苦しみと悔恨に満ちたものでなかったと。心安らかに逝けたのだと、自分の存在がその一助になれたのだと信じる以外にないだろう。

 火の無い灰でも涙を流すことは可能らしい。しかも、存外、熱かった。

 

 

 

 そうして、彼女は再び此処に立つ。

 如何に外観が様変わりしようと見紛うはずもない。魂に刻まれた記憶が告げるのだ。灰の大地に無数の武具が突き刺さり、天さえも呼吸を忘れて固唾を飲んでいるかのような緊迫感に満たされたこの場所こそが、最初の火の炉。遥か古の時代より、あまねく不死者が目指した終着点に他ならない。

 

(……前回、待ち受けていたのはグウィンだった)

 

 では、今回は?

 不安とも期待ともつかぬ名状し難き感情が渦巻くのを感じつつ、一線を踏み越えた彼女は、とうとうそれ(・・)と相対した。

 

(―――)

 

 一目見て、分かった。あれは私だ、私だろう。

 王たちの化身。はじまりの火を継いだ神の如く偉大な王たちのソウルがいつしか産んだ、火を守る化身そのもの。

 背丈も体格も、彼女とはなにもかも違う。が、それでも分かるのだ。

 絶望的なまでの神威を湛えたあの存在の、底の底。彼の者を成す根幹たるその部分に、確かに彼女のソウルが組み込まれている。遥かな時を隔てた今でも力強く燃え盛り、ともすれば反発し合い、対消滅を起こしかねない癖の強過ぎる王どものソウルを熔け合わせ、一個の存在として無理なく成立せしめる大役を果たしている。

 

(ああ、そうか)

 

 その熱量を目の当たりにして、彼女はすべてを理解した。

 肉体がこれ以上燃えようもないほど燃え尽きて、真っ白な灰と化し、形を失い無辺の荒土に散ろうとも、魂は不滅。

 この地に留まり、やがて訪れる新たな薪の王どもからその後の世界の転変を読み取り、やはり激怒したに違いなかった。

 奇しくもその激情の炎こそ、王たちの化身を成立せしめる元種となり。

 一方で、ロスリックの双王子が火継ぎを拒否したことにより、流れ着いた王たちの故郷に混じって再結集した彼女の灰に再び熱を与える根源ともなった。

 そうした背景を余す所なく読み取って、彼女は腹の底からこみ上げてくる笑いの衝動がもはや抑え難いことを知る。

 

(滑稽だ)

 

 これが喜劇でなくてなんであろう。

 灰の審判者、呪腹の大樹、結晶の古老、深みの教主。

 深淵の監視者、覇王ウォルニール、デーモンの老王、法王サリヴァ―ン。

 冷たい谷の踊り子に、同じく冷たい谷のボルド。アノール・ロンドに巣食った神喰らいのエルドリッチ。 

 罪の都の孤独な王―――巨人のヨーム。

 竜狩りの鎧、妖王オスロエス、火継ぎを拒否したロスリックの双王子。

 古の飛竜に、そして―――そして、太陽の長子でありながら古竜と結び、一切の記録からその名を削られた愚か者、無名の王。

 正真正銘の神話生物すら含まれる、これらすべてを殺し尽くして辿り着いた終局が、よりにもよって自分自身との喰らい合いとは。

 

(共食いもいいところではないか)

 

 見方によってはグロテスクとも神聖とも映るこの窮極を、しかし彼女はただひたすらに馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばす。

 

(始めたのが私なら、終わらせるのもまた私。かと思いきや、そうはさせじと立ち塞がるのも私とは。―――)

 

 私、私、私、私―――何もかもが自分(わたし)ばかりで、多面鏡の迷宮にでも迷い込んだ気分になる。

 その眺めの奇っ怪さをひたすら嗤い、一度殺され、篝火の前に戻されてやっと鎮静するという有り様だった。

 

 

 すぐさま最初の火の炉に取って返した彼女の顔は、既に別人。

 いや、これこそ狂態の醒めた彼女本来の姿なのだろう。不敵に口の端を吊り上げて、迫る王たちの化身に一歩も退かず、真っ向勝負を挑んでいった。

 

 死闘は、いつ果てるともなく続いた。

 

 鋼が、炎が、雷が。両者の間であらゆるものが交換される。剣戟の音色は一合ごとに圧を増し、戦場となった最初の火の炉を砕かんばかりに鳴動させた。

 王たちの化身は個にあって個にあらざる一種の群体。表出させる王のソウルの色合いを調整することによって、武器も戦法もがらりと変わる。

 優れた戦士ほど敵の動きの底を流れる音律(リズム)を読み取り、それに合わせて攻めを組み立ててゆくものである。が、この王たちの化身に限っては、それがたちどころに地獄へ直行する落とし穴と化す。

 外貌は同じなまま、別人になるといっていい。おまけにいずれも人の頂点を極めた実力者揃いときている。一瞬でも面食らい、新たな音律への対応が遅れれば、その隙を絶対に見逃さず、容赦なく衝き致命打を叩き込んでくる。たまったものではないだろう。

 が、向かい合う彼女とて、常軌を遥か彼方に置き捨てた華々しき逸脱者。

 

(時間だけはあったからなぁ、私はよう―――!)

 

 強くなることにどこまでも貪欲な彼女は、いつしか立ち塞がる神霊妖魔をただ打倒するのでなく、すべて奪って搾りかすにしてから殺す道を見出した。

 すなわち、その相手が最も得意とする武器と戦形。己が躰でそれを味わい、観察しては解析し、改良を加えつつ我が動きとして取り込み、ついにはそれのみを以って元の所有者を戮殺してしまうのである。

 冷たい谷のボルドは戦棍で以って頭蓋を砕き。

 双剣を振るって法王サリヴァーンを膾に刻み。

 お株を奪うような回転切りで深淵の監視者を両断し、無名の王を突き殺した。

 数千回を越える死の果てに、彼女は強敵達が持つあらゆる技術を骨髄にまで染み込ませ、返礼とばかりに最も屈辱的な死を与えた。

 不死―――無限の時間という呪いをアドバンテージとして活かしきった結果である。

 今や彼女に使いこなせぬ武器は無し。剣、槍、槌、弓―――どれをとっても古代神話の英雄達の再現以上をこなしてみせる。

 これもまた、個にして群を体現した究極形と言っていい。気の遠くなるような時間をかけて積み上げた異形の業は、確かに彼女を王たちの化身と渡り合えるだけの位階に押し上げてくれていた。

 

 嵐が吹き荒れ、月光が舞い、炎がすべてを舐め尽くす。

 闘争は天井知らずに激しさを増し、遍く条理を踏み越えて、誰も見たことのない領域へと突入して行くのだった。

 

 

 

 万象は必ず滅する。

 世界を切り分けた最初の火とていつかは消える。絢爛たる火の時代も終わりを告げる。

 そうした無常そのままに、最初の火の炉は再び静寂に満ちていた。

 残った影は、ひとつきり。あれほど耳を聾していた剣戟の音も今や遠く、彼女の躰に辛うじて残滓を残すのみである。

 

「………」

 

 勝ち鬨はない。

 上げれば、その途端に全身が崩壊しかねなかった。

 ぎりぎりの勝利だったのだ。

 

(さすが。……)

 

 褒め称えているのは己か、それとも斬り斃した敵なのか。どちらにせよ「自分」であるのに変わりはない。

 倒錯した自画自賛に浸りつつ、そっと大地に刻まれたサインに手をかざす。

 現れたのは、彼女の共犯者たる火防女であった。

 

「………」

 

 会話はない。

 互いに為すべきことは分かっている。さく、さくと軽快な音を立ててはじまりの火に近付く女の後姿を、彼女は静かに見送った。

 

(ロンドールのユリア、と言ったか。あいつは、火を簒奪せよと勧めてきたが)

 

 ふと、夜の闇が凝縮して形になったかのような女のことを思い出す。

 目覚めて以来失望続きであった彼女にとって、火継ぎを冒涜し、闇のソウルの研究を進めるという彼の勢力の存在は、これはと愁眉を開かせるものだった。

 あまりの嬉しさに、ついつい彼らの言葉に乗せられた時期もある。が、その背後にて策動するいきものの口臭を嗅ぎ取るにつれ、膨れた心は風船よりも急速にしぼんでゆく運びとなった。

 

(間違いない、蛇だ)

 

 それだけでもう、彼女は嫌気が差してくるのである。

 カアスにしろフラムトにしろ、連中はとにかく碌な事をしない。真実を教えようとのたまっておきながら、いざ口を開かせてみれば出てくるのは自分にとって都合よくぼかされ、省かれ、歪曲された「真実」である。本人は道を諭す賢者を気取っているのかもしれないが、畢竟詐欺師がせいぜいだろう。

 

(乗ってたまるか、あんな連中の甘言に)

 

 それどころか、もし再び見える機会があるのなら、あの素っ首を叩き落としてやりたいと狙っていた。毒しか垂れ流さない大口に竜狩りの剣槍を叩き込み、ありったけの雷を流し込んでやれたならどれほどすっきりするだろう。……

 想像するだに愉快であったが、ついにその機会には恵まれなかった。

 

(運のいいやつめ。……大体、かつては火を消せと勧めておきながら、今になって簒奪せよと訂正するとはいったいどういう料簡だ)

 

 神ならぬ、人が薪となって火を継ぎ続けたことにより、最初の火に何らかの異変が起きたのだろうか。

 

(まあ、よい)

 

 いずれにせよ、火は消える。

 もう間も無くであった。掬い上げられた火防女の掌中で、どんどん痩せ細って行くのが分かる。

 それに従い、世界そのものもまた、黒白(あやめ)もつかぬ暗黒の中に沈んでいった。

 

「はじまりの火が、消えていきます」

 

 こんな時でも火防女の声は変わらない。優しく、鼓膜を直接くすぐられるような心地よさがあった。

 

「すぐに暗闇が訪れるでしょう」

 

 螺旋剣の刀身に燈った赤味も消える。完全な(にび)色と化したそれは、ただの金属の死骸という以外のどんな印象をも与えなかった。

 

「…そして、いつかきっと暗闇に、小さな火たちが現れます」

 

 ややあって、再び火防女が口を開く。

 それは無縁墓地の先、時を隔てたあの祭祀場にて見つけ出した瞳を与えて以来、たびたび語るようになったことだった。

 

「王たちの継いだ残り火が」

 

 ああ、と彼女は溜息を漏らす。

 それは、そう、それこそは。かつて自分が火を継いだ際には、ついぞ見出せなかった輝きだ。

 もはや残像すらも消え去った、この冷たい闇の果てにもいつかは火が熾るなら。

 この時代―――かつての自分が闇の王としての道を歩まなかったことで紡がれた、残り火の時代とでも呼ぶべきこの時代にも、確かな意味があったのだろう。

 無意味な延命などではない。

 無駄な犠牲などと言わせるものか。

 流れた血にも、木霊した叫喚にも一つ残らず意義があった。

 私の選択は間違ってなどいなかった(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「灰の方、まだ私の声が、聞こえていらっしゃいますか?」

 

 呼びかけに、彼女は応えずそっと近寄る。やがて火防女の正面に回りこむと、腰を下ろし、目線を同じ高度に合わせ、その両手に自らの掌を添えてやった。

 

「あ、……」

 

 無骨な手甲は外してある。直接感じる火防女の肌は柔らかく、皮下で脈打つ血汐の音さえ聞こえてきそうなものだった。

 

「あたたかい……」

 

 言ったのは、どちらの口であったろう。

 互いの体温を共有しつつ、彼女達は今訪れたばかりの闇の時代の、更にその先の時代の姿をもう見通しているようだった。

 

 

 

 

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