精々祈ってるぜ。あんたに暗黒の魂あれ
その瞬間に理解した。ああ、自分にはもう何も無い。
果たすべき使命も。
守るべき眠りも。
最後に残った約束さえも踏み躙られて、木っ端も残さず砕かれた。
わかるのだ。己をこの、闇の谷の底へと叩き落とした小癪な人間風情がそれをした。礼拝所の隠し部屋から降りて来た不死者の女、その両手にべったり張り付く、懐かしき友の血潮が色鮮やかに
…私は、お前たちを
決して許さない…
公爵の娘の最後の呪声が、女の体に穿たれた、暗い穴から木霊している。
ああ、そうだ、そうとも、そうだとも。
こんなものを許せるものか。こんな末路を、こんな冒涜を、こんな恥知らずな裏切りを。
思い知らせてやるべきだろう、痛感させる必要がある。蛆の湧いた脳味噌では理解できないとほざくのならば、直接その肉体に刻むまで。死なぬというなら好都合、何億回でもこの
「■■■■■■■■■――ッ!」
竜の咆哮が世界を揺らす。
闇喰らいのミディールは綻びきった大翼を、しかしかつてないほど力強く広げてみせた。
具象化した絶望そのものといっていい。生半可な英雄では、この光景を見ただけで絶望し、心を折られ、立ち向かう気力すら失って涙ながらに許しを請うことだろう。
「ふむ」
しかし、現にこうしてその前面に立たされた、当の「彼女」ときたらどうであろうか。
「友、友か。てっきり眉唾だと思っていたのだがな、見誤ったのは私の方か。よかったじゃないかフィリアノールの女騎士、私に吐いたあの台詞、君の独りよがりではなかったと、此処にこうして証明されたぞ」
竜の激怒を前にして、しげしげと観察に耽る余裕さえある。
人間など、本来ならばその鼻息にさえ耐え切れず、みじめに吹き散らされる微小な存在に過ぎないにも拘らず、だ。この落ち着きは、明らかに常軌を逸していた。
ともすれば、あの黒竜よりもこのちっぽけな女にこそ、得体の知れぬ暗い恐怖を感じるほどに。
この存在は、どこか、なにかが致命的にズレていた。
「それにしても、都市の下の地底湖に、四つの翼の竜とはな。どうしても灰の湖と、あの古竜とを思い出す。みたところ面立ちが似ているようだし、君ひょっとして、アレの親戚か何かかね? だとしたら伝えてくれまいか、先日はどうも、尻尾を切り落としたりして悪かった、と」
さもありなん。戯れるような語りかけが示すそのままに、彼女はかつて、在りし日のロードランを歩いているのだ。
そう、この女こそ大王グウィンの後継そのもの。燃え殻の彼を完全に消し去り、最初の火に我が身を
ヘルカイト、貪食、シース、カラミット。火の無い灰としてロスリックに立って以来も、膿んだ飛竜に古の飛竜、果ては無名の王の朋友たる嵐の古竜さえその手にかけた、正真正銘、前古未曾有の怪物である。
竜狩りの経験ならば、それこそ売るほどに持っていた。
油断はしないが、過度の緊張ともまた無縁。どちらもここぞという場面でこそ効いてくる、世にもいやらしい遅効毒だと命を対価に学んでいる。こういう場合は諧謔の一つや二つでも飛ばしてやれば、知らず筋繊維に侵入していた強張りも春の淡雪のごとく自然に溶けて、常の通りに動けるものだ。彼女は、彼女の主たれる。
一方で、理性を吹き飛ばされたのがミディールである。いやまあ、人間性の闇を喰らい続けた今の彼にはそんなもの、元々無かったに等しいが、そんな相手さえ挑発可能なあたり、彼女はつくづくどうかしている。
彼女の余裕も、にやついた口元も、その声も、何もかもが許せない。黙れとばかりに火焔を滾らせ、地下空間が崩壊しかねないほどの勢いで、闇喰らいは友の仇へと突撃した。
「ははははははははは――!」
煎餅みたく真っ平らに踏み潰されるのを、間一髪で横っ跳びに回避して。
そこから先は、劫初神話の再現である。
最初の火により世界に差異が生まれて暫く、王のソウルを見出したある偉大なる者たちが、その力を以って旧支配者たる古竜に挑んだ創世記。それに勝るとも劣らぬ激闘が、誰も居らず、また価値ある何物も残ってない、輪の都の屍骸の底で繰り広げられていたのである。
見ようによっては、これほど罪な、勿体ないこともない。
人と、竜。本来ならば絶対に埋めようのない両種族間の力の差異を、
吟遊詩人が見たならば、自分はこれを
心折れた戦士であろうと、もしこの場に居合わせたなら、人が人のまま至れる極致を目の当たりにして再び背骨の奥から熱が拡がり、おれもいつかはと投げ出した剣を拾い上げたに違いない。
それほどのものが、しかし現実には誰に知られることもなく、こんな場所で進行している。なんという無意味さであったろう。
が、振り返ってみるならば、彼女の今回の旅、輪の都の探求からしてそもそもが、何の
いったい、なんで彼女は輪の都などを求めたのか。
既に王達の薪は揃っている。資格は与えられ、最初の火の炉へ道は通じ、あとは無心に登るのみ。
で、あるにも拘らず。
何をどうとち狂ったか、彼女はそこで身を翻し、なんと吹き溜まりを逆に下りはじめたからたまらない。
端的に、意味がわからなかった。事情を知る者ならば、百人が百人、口を揃えて言うだろう。あなたはいったい、何を考えて何をしている? 確かに奇行の多い人だと知ってはいたが、いくらなんでも今度ばかりはやりすぎだろう?
目の前に、火の炉があるのだ。長きに渡った使命の終わり、あらゆる不死者が夢寐にも焦がれた終極の場所はすぐそこに。――最初の火が、目と鼻の先で待っているのだ。その門を潜る以上に大事なことなど、有り得るはずもないだろう――。
その指摘は、正しい。第一、はじまりの火を今度こそ消し、世界に闇の時代を齎すことこそ、火防女と共に画策した彼女の真の目的だったはずではないか。
であるが以上、下手にまごつき時間をかけて、この地に第二、第三の火のない灰の侵入を許してしまえば目も当てられないことになる。彼らは
王たちを玉座に連れ戻した、所謂「王狩り」の功績が彼女一人に帰する以上、そんなことは起こり得ない?
いやいや、何事にも裏口、抜け穴の類はつきものだ。野放図に楽観すべきではないだろう。現にロードランに於いては、ソラールのサインがあったではないか。王のソウルを捧げて開いた重い岩扉の向こう側に、曰く「光り輝く特別製」を発見した際には心底たまげたものである。
要するに、トドメと同じことなのだ。ぐだぐだ抜かさず、さっさと決めろ。でなくば思わぬ横槍を入れられて、足下からひっくり返されぬとも限らない――。
その程度の道理は、人間世界の最底辺から生えた身だ、むろん彼女とて弁えている。
(そうなったら、まあ、仕方ない。馬鹿で間抜けな私を肴に一杯やるさ)
弁えてなお、このような腹積もりで敢えてこの愚行に打って出た。
(最初の火を消す。闇の時代を訪れさせると一口に言ったはいいものの、ではその時代とは具体的に如何なるものかと問われれば、答えに詰まるのが正直なところだ)
そうなのである。
あの火防女は果てに舞う仄かな火の粉を教えてくれたが、彼女自身は何事をも見ていない。
そも、薪として燃え尽きたはずの己が何故こうして此処に居るのかさえ未だわかっていないのだ。足下すらはっきり見通せていないのに、未来を詳らかに語るなどあまりに滑稽過ぎるだろう。
何が起こるかさっぱりわからん。詰まるところ、彼女の本音はこれに尽きた。
(で、あるが以上、為し得る限りのすべてをやる。どんな不測の事態に見舞われようとも、せめて立ち向かえるように、精一杯の備えを施しておくべきである)
そのために、闇の時代を到来させる決意を固めると同じくして、彼女は火の時代を
締め木を廻し、きりきりと締め上げ、旧世界が培ったあらゆる果実、その内側に溜まった蜜を搾り出し、一滴余さず飲み干さんと欲したのである。
幸い、ロスリックというこの場所は、それをするのに最適だった。
なにせ、場所も時間も超越して、薪の王達の故郷が流れ着いている。これらを隈なく探索し、成れの果てを片っ端から殺して廻れば、十分に満足のゆく成果が得られるだろう。
現に、得られた。
期待外れに終わっても、最低限、ソウルだけは毟り取れる。雀の涙ほどであったとしても、千滴、万滴と集めれば立派に力として昇華は可能だ。徒労ということには、まずならない。
やり甲斐のある作業であった。
(結局のところ、私もエルドリッチと変わらんな)
ふと、そんな考えが脳裏にきざしたこともある。
人喰いによって薪の王たる資格を得、しかしたどり着いた玉座に絶望したあの聖職者は、そこで「深海の時代」なるものを見出し、やがて来る世界と定義するや、これに備えるべく更におぞましい神喰らいという苦行に励み始めた。
際物揃いな薪の王たちの間でも飛び抜けて異様な経歴で、だからこそあの深みの聖者とは、少し話をしてみたいと興味を募らせていたのだが……出会い頭に攻撃されてはどうにもならない。
未練がましい真似はせず、全速力で薪にした。
(火の時代に生まれ落ちた素晴らしきもの。絢爛たるその残滓を必死になって掻き集め、啜っているという点に於いて私も奴と大差ない。死体漁りに墓荒らしもなんのその、ああ、まったく、腐肉に集る蛆のような醜さだ)
ついに自分は、火に向かう蛾ですらなくなってしまったらしい――。
が、そう自嘲して中止するほど生温い性根はしていない。だからなんだという反撥さえ湧いてくる。もとより私は、そんな上等な人間でもないだろう。幼年期、腹に何を詰めていたか思い出せ。……
(最初に戻った。それだけか)
彼女は何食わぬ顔で、その歩みを再開した。
燻りの湖を訪れて、師の遺骸に涙したあと、痩せさらばえた老王から最後の余熱まで奪い取り。
あたまのいかれた妖王を邪魔だとばかりに払いのけ、古竜の頂を脚底に踏み、禁忌の鐘を鳴らして無名の王を突き殺し。
修道女に諌止されても何処吹く風と聞き流し、アリアンデル絵画世界を暴き立て、騎士も教父も黒い炎も、全員纏めて屠り去っては焼き払い。
どれもこれも、火継ぎの使命の本筋から大きく外れた、寄り道だ。が、彼女はこれらの道程を、断固たる決意と目的意識の下に征ったのである。ただふらふらと流された結果、いつの間にかそうなっていたのでは誓ってない。
彼女ほど「巻き込まれる」ということを嫌う輩も他にあるまい。おそらくは持たざる者と、何もない低能力者と、生まれるべきではなかったとまで揶揄された、言語比喩を絶して悲惨なその生い立ちゆえだろう。常に理不尽の中核に立ち、万象を
妄執と言ってしまって構わない。彼女の心は病んでいる。が、まさに滅び行かんとするこの世界にあって、正気のまま何を為せるというのだろうか。狂気に身を浸して、初めて何か、価値あるものを得られるのではなかろうか。
その回答が此処にある。いまや彼女の力の総量は、グウィンの燃え殻を打ち斃したあのときを、完全に凌駕した域に達した。太陽の光の王、即ち全盛のグウィンに「武力ばかりは見劣りしなかった」と謳われし無名の王を、たった一人で、真正面から討ち滅ぼした事実が何よりの証左となるだろう。
(だが、まだだ)
まだ足りないぞ。
こんなものでは満たされぬ。
底のない、暗い穴は餓えている。もっと、もっとと貪欲に、ここにない、まだ見ぬ何かを求めているのだ。
輪の都こそ、その総決算。最果てにあるというこの古い人の流刑地は、どんなリスクを払ってでもかぶりつくべき、垂涎の馳走の山としてぎらつく瞳に映っていた。
(むろん、危険は大きい。――ともすれば、これまでに踏んだどの土地よりも)
思い返してもみるがいい、連中――神々が小ロンドに何をしたか。たかだか四人の公王ごときを封じるために、進んだ文化も、住民も、全部纏めて水底に沈めたではないか。
正気の沙汰とも思えぬこの蛮行は、しかし相手が深淵の場合に限ってのみ完全に正当化されてしまう。神々が如何に闇に対して神経過敏な
(そんな連中が、だ)
と、思うのである。
そんな連中が、よりにもよって最初に闇のソウルを見出した小人たちの流刑地に、何のからくりも仕込まないなどとどうして信じることが出来ようか。
必ずあるに決まっているのだ。何か、不死人を嵌め込み逃さないための陥穽が。
(が、しかし、だからこそ――)
真に価値あるなにがしかが、未だ持ち去られることもなく、ひっそりと眠り続けている可能性が極めて高い。外部との交渉を断ち切られるとはそういうことだ。最高の場合、時の流れから切り離されて、神代が真空保存されているという展望も、あながち空想ではないだろう。
これほどまでに薫香放つ輪の都を、どうして求めずにいられるか。あらゆるリスクを踏まえてなお、飛び込まなければ嘘である。
彼女は吹き溜まりを下降した。
やがて勅使の小環旗を手に入れて、迎えに吊るされ、輪の都を上空から一望した瞬間に、
(やったり!)
吹き付ける風圧も忘れ、彼女は喝采を上げかけた。
空洞を抱え膨れたハーラルドの戦士たちの相手を次から次にさせられて、毒沼に膝まで沈み込み、頭上からは天使の光撃が雨霰と降ってきて、ほうほうの態でどうにか大樹の
ひょっとすると、老王を殺した張本人と見抜かれでもしたのだろうか? まんざら有り得ぬ話でもない、ひとつの混沌から生じた彼らは多くのものを共有するのだ。きっと老王の無念、最期に散った憎しみの火の粉、それさえも。
でなくばああまで凄まじい、方向性の確たる呪いをこちらに向けてくるわけがない。
アレらは確実に、人間全般ではなく彼女一人を憎悪していた。
最後の一体が、王子の誇り、その消えかけた炎を再び灯したのも、きっとそういうわけなのだ。
倶に天を戴かず――父の仇を生かしたまま放置するなど、王子以前に男として最大の恥辱。墓穴から這い出してでも、怨みは報じなければならない。そも、デーモンの老王に、殺されるべきどんな謂れがあったのか。
――父が何をしたというのだ!
爆焔と共に覚醒し、命を千切って叩きつけるかの如き、後戻りを放棄した超火力による死に物狂いの奮闘ぶりは圧巻としか言いようがなく、辛うじて勝利は収めたものの、彼女をしてほとんど人間の姿を保てぬまでに消耗せしめた。
が、そうした疲弊の数々も、この光景を目の当たりにすれば瞬時に吹き飛ぶ。
(素晴らしい――まさかここまで、在りし日のカタチを留めているとは!)
彼女はまったく狂喜した。
そしてすぐに矢の雨の歓迎を浴びせられ、全身ハリネズミのようになって篝火に強制送還させられた。
とはいえ、彼女の興奮はそう長く持続しなかったと言わねばならない。
(なるほど、これは確かに糞溜めだ)
輪の内壁、騎士たちを祀る塔の中。そこに据えつけられた像を見て、彼女は衝動的につばでも吐きかけてやりたくなった。
がりがりに痩せて骨格の浮き出た全裸の人に、法衣を纏った神々の王が、うやうやしく冠を授けている絵図である。
(なんとまあ、胸糞の悪くなる。……)
いや、別に大王グウィンは構わないのだ。
ロンドールを筆頭に、ある種の人間勢力からは蛇蝎の如く忌み嫌われている彼であるが、その討伐者たる彼女自身に彼に対する悪感情はあまりない。
(あんたはあんたで、自分の一族を衰亡と破滅の運命から守りたかっただけだろう?)
殺し合った者同士、いっそ肩でも組んで語りかけてやりたいような気安ささえある。
時代が移り変わるとき、旧秩序の支配者はそりゃもう酷い目に遭わされる。そうと相場が決まっている。グウィン自身、古竜に対して実際にやった経験がある以上、そのあたりの事情は皮膚感覚で理解していたに違いない。
――漫然と流れに身を任せれば、今度は我らが
放置は不可能、救わなければならないだろう。何を犠牲にしてでも、誰を欺こうともだ。
詰まるところは自家保全、社会性を有するいきものならば当然の欲求といっていい。
(腹の中身は私と同じだ。真に貴しと信じ掲げる目的があり、それを絶対に諦めない。どこまでだって非道になるし、必要ならばどんな手段にでも訴える、漆黒の意志が蠢いている。――ああ、あんたが薪になれるわけだよ)
ただ、それを人間のためだの何だのと、さも高尚といわんばかりの名目で包んでいるのが少々鼻につくだけで。
力を一族に分け与え、自らは何の力も宿していない冠衣装と、ただ大剣一本のみを携えて火の炉に向かい、遥かなる時の果て、燃え殻となっても闘い続けたあの強さには、一抹の尊敬を禁じ得なかった。
もっとも、だからこそ敬意を込めて徹底的にすり潰し、大王が守らんとしたすべてを台無しにするのが彼女という人間なのだが。流石、闇のソウルに見初められただけはある。
とまれかくまれ、大王グウィンに文句はない。
彼女が腹の底から苦々しいものを味わわされた淵源は、むしろ人の祖、冠を授かる小人たちの王にこそある。
折角闇のソウルを見出しておきながら、綺麗な冠と立派な都、それに美しい女神を下賜されただけで、
然り、思わなかったし見抜けもしなかったのである。
此処までの徘徊で見つけ出した数々の品が、その事実を証明していた。
(ひょっとして、原罪と云うのはこのことか?)
こんなものを祖に持つからこそ、いつまで経っても神の思惑から脱け出せず、安寧に飼い慣らされて惚けきった人間ばかりが増えるのか。だとすれば、なるほど確かにこれは罪と呼ぶに相応しい。
(ならば。――いいだろう、この私が超えてやる)
自発的な脱却など期待できない。例えようもなく優しく、甘やかな偽りの生がこの期に及んでまだ棄てきれないと抜かすなら、無理矢理にでも叩き壊して、泣き叫ぶ人類を真実の寒空に残らず放り出してやる――そんな荒療治が必要なのだと。
自分が消えている間に世界が辿った目を覆わんばかりの態様を知ってからこっち、ずっと腹の底を煮立たせている、その激情。
玉座に着いてみせたところで、傅く者が誰もいなくばそれは滑稽なだけである。――斯く理解して、ロードランではついに放棄した選択肢。今度こそ、と己の底から拾い上げたそれに懸ける熱情は、輪の都でますます烈しさを増したらしい。
(なればこそ、もっと力を。得られる限りを求めておくのは、決して間違いではないよな、うん)
ここまで偉そうにぶち上げておきながら、いざ実行に移したら自分が真っ先に負けて潰れて消えましたでは笑い話にもなりはしない。道化以外のなにものでもなく、そんな役割は御免であった。
(だが、事を起こす以上、その恐れは必ずついて廻るのだ)
破滅か、栄光か。すべてを賭けているのは彼女も同じで、それを忘れたことはない。
勇ましさの反対側で、即座にこういう臆病心が芽生えるのは、そうした事情に依るだろう。このあたり、彼女の精神は本当に高いバランス感覚を持っていた。
だからこそ、この怪物はいつだって極点にまでたどり着く。
暴かれた輪の都の真実は、虚無そのものの荒野であった。
色褪せた黄昏の中、何もかもが渇き、朽ち、灰色の砂に還ってゆく。
その稜線の向こう側、半分も残っていない小人たちの玉座の奥で。……覆い被さり、剣を突き立て、彼らの暗い魂をむさぼる奴隷騎士ゲールを
(ああ、私がいる)
歯の間から、呻きが漏れた。
彼女が火の時代に対してやっていることを可視化するまで煎じ詰めれば、つまりはああなるに違いない。自分といい、ゲールといい、そしてエルドリッチといい、どうして諦めを知らぬ不死人は似たような行為に走るのか。
(だが、彼らは堕ち、私は残った)
――その境界線は何処にある?
――彼らと私の、いったい何が違うのだ?
興味深い命題だったが、のんびり思索に耽っている暇はない。
最後に見た姿より、一回りどころか三回りも四回りも
いつか、どこかで味わったような宣戦布告。そうして火蓋を切られた戦いは、しかしかつて例のない、未知の奇妙な感覚を伴い進行するものだった。
不思議なほど、
ゲールの剣は歪の極みだ。天才的な光芒など一片たりとて存在しない、さりとて力任せの獣の暴威からも程遠い、非常に高度で理解不能な術理によって貫かれた異形の戦技。
それはきっと、奴隷騎士ゆえの産物だ。皮膚が焼け爛れ、正気を失い、直立するだけで関節という関節に何万本もの冷たい針を刺されるような痛みが走る、破綻寸前の肉体を前提として、さて身の丈以上の大剣を手に戦い続けるにはどうするか。
常人ならば挑むどころか想定さえもする気にならない――普通、そんな姿になったなら、向かうべきは戦場ではなく療養所だろう。次点でたぶん墓穴がくる――命題に、しかしこの男は向き合わざるを得なかったのだろう。奴隷騎士とはそういうものだ。あらゆる凄惨な戦いを強いられるとは、しかし強大な敵と戦わされることのみを意味しない。
――老いさらばえ、肉塊と大差ない有り様に成り果ててなお、戦いから解放されない意を含む。
人間世界の悲惨の極みといっていい。
しかし、そんな煉獄の底にて鍛冶したればこその今がある。
(……ああ、そうか)
苦痛と狂気と絶望と、そして何より悠久に等しい時間を捧げることで、やっと成り立つ異端の剣舞。
それはかつて、亡者が滅多矢鱈に振り回す折れた直剣にすら後れを取った――あの時の、亡者の呆然とした表情は忘れ難い。正気などとうに焼き尽くされて久しいはずなのに、自分の勝利が信じられぬと顔じゅうで物語っていた――救い難い拙劣さから出発し、しかし無限に等しい折り返しを経たことにより、ついには戦神すらも貫き通す密度を獲得するに至った彼女の刃とどこか気脈を通ずるもので。
(つくづく我らは鏡像だなあ、ええ、ゲールよう――!)
爆発する歓喜の奔流。解放を求めて闘争本能が絶叫している。自分の影と殴り合っているかのような、奇妙な一体感を伴うこの激突が愉快で愉快でたまらない。
この戦場に誇りはなかった。あるのはもっと生々しい、血泥のこびりついた吐き気を催す意地だけで、その醜悪さが未来も使命もないただ一匹の狂獣に彼女を回帰させてゆく。
きっと、それは当然の帰結。共食いという行為が導く不可避の業。
奴隷騎士ゲールが暗い魂に蝕まれ、その化身に堕ちたが如く、彼女もまた裡に秘めたる人間性を意気揚々と暴走させた。