軌跡〜ひとりからみんなへ〜   作:チモシー

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十三話『"人間"』

「杏子さん……奴らに噛まれてますね?」

 

 

 

 

杏子は静かに頷いた。

 

 

 

「……いつですか?」

 

 

 

杏子「3時間くらい前…外の空気を吸いたくて屋上に行った時に、物影に隠れてて気が付きませんでした…。」

 

 

杏子「わざわざ屋上に行かなくても窓から空気吸ったり、バリケードをもっと有効な場所に作ったりしとけばこんな事にならなかったのに……私、もう助かりませんよね?」

 

 

杏子が彼に尋ねる。

 

 

「多分……。今まで何人か奴らに怪我を負わされた人を見てきましたが…長くて半日、早ければ1時間しない間に奴らになります。」

 

 

 

杏子「じゃあ…私もそろそろかなぁ?」

 

 

「個人差はあるでしょうが、怪我の具合が酷ければそれだけ早く奴らになるようです。…見たところ杏子さんの怪我は決して軽くはないようですから……もうそろそろかも知れません。」

 

杏子の腹部の傷を見て彼が言った。

 

 

 

杏子「…ですよね、分かってました。…さっきから傷が凄く痛むし、なんだか視界も歪むんです。」

 

 

杏子「…あの子が死んでしまって、私も後を追おうと…この間まで思ってたんです。けどそれじゃ…なんかダメな気がして…一人でもしっかり生きていこうと、つい昨日決意したばかりなんです。」

 

 

「…………。」

 

 

 

杏子「なのに…間抜けですね私、次の日に死んじゃうなんて…しかもその日に他の生存者さん達に会えたのに……こんなに優しい人達に会えたのにっ!」

 

話してる内に、杏子の目には涙が溢れていた。

 

 

杏子「…なんて運が無いんだろう!馬鹿だ私は…!…本当はあなた達の事も無視する予定だったんです、あなた達がどんな人達だろうと…私は今日死ぬんだから会う意味なんか無いだろうって…なのに…」

 

 

 

杏子「__さん達の面白い会話を聞いていたら…私も交ざりたくなっちゃったんです。……最期に他の人達と楽しく過ごして…そして終わろうって。」

 

 

 

杏子「そしたら皆さん私を仲間に誘ってくれて…本当に嬉しかったんです。………けど嬉しい気持ちの分だけ後悔しました…今日奴らに噛まれた事…あなた達を中に招き入れた事…。」

 

 

杏子「ただ少しだけ食事をして、すぐに別れて…それから一人で死ぬはずだったのに…仲間に誘われるなんて…しかも私はそれを断るべきなのに、嬉しさのあまり返事を返せなかった…本当にダメ人間です。」

 

 

杏子「__さんはさっき奴らに怪我を負わされた人を何人か見たと言いましたよね?…それは大切な人ですか?」

 

 

 

「…いえ、殆どは赤の他人です。噛まれた人を遠くから観察して得た情報ですから。」

 

 

 

杏子「…そうですか…良かったです。大切な人を失うのは本当に辛いですから…。」

 

 

 

杏子「…私、皆さんとは行けません。…これが答え…っていうかこれしか選択肢がないですしね。」

 

 

 

「…とても残念です。由紀ちゃんはもう杏子さんの事が大好きみたいですから。」

 

彼がそう告げた瞬間に、杏子は一層多くの涙を流した。

 

 

 

杏子「っ…そうですか、由紀ちゃんまだ会って間もない私にそんなになついてくれたんだ…!」

 

 

「杏子さんが由紀ちゃんに優しく接していたのが伝わってたんですね。」

 

 

 

杏子「あはは…由紀ちゃんて、少しだけ弟に似てたんです。常に笑顔で明るいところが…だからでしょうか、あの娘が可愛くて仕方がなかった。……妹がいたらこんな感じなんだろうなって…そう思ってました。」

 

 

 

杏子「…由紀ちゃんは悲しむでしょうか?」

 

涙を拭いながら杏子が言った。

 

 

 

「はい…悲しむと思います。…由紀ちゃんだけでなく皆。」

 

 

 

杏子「そっかぁ…どうしよう、私のせいで…皆さんにイヤな思いをさせてしまいますね。」

 

 

杏子「__さん、私はやっぱり行けないと…皆さんに伝えてもらえますか?」

 

 

「…はい、でも多分納得しないと思いますよ。特に由紀ちゃんが。」

 

 

杏子「ですよね…ではこう伝えてくれますか?実家にこのビルにいるって置き手紙を両親宛に残してしまったから、ここを離れられないと。」

 

 

 

「それ、本当ですか?」

 

 

 

杏子「もちろん嘘ですよ。置き手紙も残してないし、両親は奴らに殺されてしまいました。」

 

 

杏子「こう伝えればさすがに無理強いはしないでしょう?もしそれでも納得しなかったら、そこからは__さんに任せて良いですか?」

 

杏子が笑顔で言った。

 

 

 

「…はい、分かりました。」

 

 

 

杏子「すいません、それからもうひとつ……。」

 

 

 

 

杏子「私を殺してくれませんか?」

 

杏子が彼の目を見つめて言った。

 

 

 

 

「……言われると思いました。」

 

彼が溜め息混じりに言う。

 

 

杏子「あは…勘が鋭いですね。………本当にすいません、辛い事ばかり頼んで。…でも私そろそろ本当にキツくて…身体中が凄く痛くて辛いんです…それに、奴らみたいになりたくはないんです。」

 

 

杏子「…私、弟がああなる前に殺したんです。……酷く心苦しかったけど、後悔はしてません。…大切なあの子を守れなかった上に、ゾンビにさせるなんて嫌だったから…。」

 

汗を流し、息を切らしながら杏子が言う。

 

 

 

「…分かりました。」

 

そう言って彼はナイフを手に取る。

 

 

 

「…心臓を刺した後、頭を刺しておきます…それで良いですか?」

 

 

杏子「はい…私も弟にそうしました…生きている時に頭を狙うのは嫌だったから。」

 

 

 

「分かりました…ではいきますね。」

 

彼はそう言って杏子の胸にナイフを当てる。

 

 

 

杏子「はい…お願いします。」

 

杏子が目を閉じる。

 

 

 

「……………。」

 

 

 

 

 

(もう杏子さんは助からない、この調子ではあと数十分と持たないだろう…だから僕が終わらせてあげなくてはいけないんだ…。)

 

 

 

 

 

(なのに………手が震えて動かない…。)

 

 

彼のナイフを持つ手は震え、杏子の心臓を貫けずにいた。

 

 

 

(今まで何人も生きた人間を殺してきた……あいつらを殺すのは簡単だったのに!どうしてこの人を殺す事は出来ないんだ!?もう助からない人間なのに!!)

 

手の震えは止まる気配をみせなかった。

 

 

 

杏子「…あの~…」

 

杏子が閉じていた目をゆっくりと開け、苦笑いしながら言った。

 

 

 

杏子「急かす訳では無いですが…あまり長引くと由紀ちゃん達が来ちゃうかも…。」

 

 

 

「……あぁ、そうですね、すいません…。」

 

そう言う彼の震えている手を杏子はそっと握った。

 

 

「……?」

 

 

 

杏子「…ごめんなさい…本当にごめんなさいっ!私が皆さんに話しかけたから…一人で大人しく死ねば良かったのに!…そうすれば__さんにこんな思いはさせなかったのにっ!!」

 

杏子の目からはまたしても涙が流れていた。

 

 

 

「いいえ…気にしないで下さい、杏子さんは…寂しかったんですよね?一人で死ぬのが嫌だったんですよね?…だから最期に誰かといたくて、僕達に話しかけた…。」

 

 

 

杏子「…はい、ごめんなさい。」

 

 

「謝らないで下さい…それで良かったんです。杏子さんみたいな優しい人が、そんな辛い最期なんて酷すぎますから。」

 

 

 

(そうだ…僕が今まで殺してきた人間達は、他人を潰してでも自分が生き残る事しか考えていないクズばかりだった。…だけど杏子さんは違う、ただ寂しくて…最期に誰かと一緒にいたかっただけ。それだけなのに皆を巻き込んで辛い思いをさせてしまったと……自分一人で死ねば良かったと…そう嘆いてる。)

 

 

 

(杏子さんと出会った事で僕達が味わう辛さなんか…一人で寂しく死んでいく辛さには到底及ばないだろうに。……この人は本当に優しい人だ、だから僕はこの人を殺す事を躊躇(ためら)っていたんだ。今まで殺した奴らはどうしようもないクズばかりで、僕が奴らを人間として認識してなかったから…ゾンビと同じように何も感じずに殺せた。)

 

 

 

(でも杏子さんは違う…この人は本当に"人間"だから……。)

 

 

 

(でも…あまり躊躇していると益々杏子さんを追い詰めてしまう…だから……。)

 

 

 

(もう迷わない。)

 

 

 

 

彼は呼吸を整えて、杏子に言った。

 

「杏子さん…最期に会った人間が僕達で良かったですか?」

 

 

 

杏子「はい…それは自信を持って言えます、由紀ちゃん…美紀さん…悠里さんに胡桃さん…それに、最期に私の側にいてくれるのが…私にとどめをさしてくれるのが…__さんで本当に良かったと、心からそう思います。…変ですよね?出会って1時間程なのに…私、皆さんの事が大好きでした!」

 

涙を流しながら、けれども笑顔で杏子が言った。

 

 

 

「…僕も杏子さんの事好きです…会えて良かった。」

 

彼はそう言ってナイフを構え直す。

 

 

 

杏子「あ!待って下さい!」

 

杏子が慌てて言う。

 

 

 

「…どうしました?」

 

 

 

杏子「ひとつだけ…出会って間もない私みたいな人間を好きだと言ってくれた優しい__さんにお願いです。」

 

涙を拭い、傷の痛みや苦しみを必死に堪えて、普通の健康な人間のような笑顔で杏子が言った。

 

 

 

「何ですか?」

 

 

 

杏子「__さんは今までイヤな生存者とばかり会ってきて、生存者を見ると疑う癖があると言っていましたよね?その__さんが、由紀ちゃん達といる時は本当に楽しそうにしてました。…悠里さんから聞きましたが…まだ会って2週間なんですよね?」

 

 

 

「…はい。」

 

 

 

杏子「私、最初から顔見知りなのかと思ってましたよ。…本当に仲良しだったから、イヤな生存者ばかりと出会って辛い経験をしてきたハズの__さんがそこまでリラックス出来るって事は、あの娘達は本当に優しい人達なんですね。」

 

 

 

「…はい、あの人達に出会えたのは僕の人生の中でも最大級に幸運な出来事でした。あの人達と会ってからは、毎日が楽しくなった…。」

 

 

 

杏子「よくわかります……不思議な人達です。あの人達といると、世の中がこんなだって忘れそうになりました。」

 

 

 

「そうですね…僕もよく忘れます。」

 

 

 

杏子「…守ってあげて下さい、出会って間もないけど…それでも私が大好きになったあの娘達を……私みたいにならないように、……それが私のお願いです。」

 

 

「…はい、絶対に守ります……守り抜いてみせます!」

 

 

 

杏子「…はい!頼みましたよ?」

 

 

そう言って、杏子は最期に涙も流さず、綺麗な顔で笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

杏子「最期にあなた達に会えて……本当に良かった。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

 

 

 

由紀「__くん遅いね~?」

 

由紀が次に食べる缶詰めを選びながら言った。

 

 

悠里「…そうねぇ、トイレの場所が分からないのかしら?」

 

 

胡桃「まぁほっといて大丈夫だろ、帰ってくる前に全部食べちゃおうぜ!」

 

 

美紀「それはさすがに……というか、缶詰めもそもそも杏子さんのなんですから…少しは遠慮しないと。」

 

 

胡桃「分かってるよ、冗談冗談!由紀じゃないんだから、そのくらいは分かってるって。」

 

 

由紀「失礼だなぁ~、胡桃ちゃんは!私だって遠慮してるよ!」

 

そう言いながら由紀は次の缶詰めを開け始めた。

 

 

 

胡桃「どこがだよ!?」

 

缶詰めを開ける由紀をみて、胡桃がツッコミを入れる。

 

 

 

由紀「だって杏子さんが遠慮しなくて良いって~。」

 

 

 

胡桃「確かに言ってたけどさぁ…。」

 

 

 

由紀「…杏子さん、一緒に来てくれるかな?」

 

 

 

悠里「…どうかしら…でも、来てくれると良いわね!」

 

 

 

由紀「うん!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日僕は、始めて"人間"を殺した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





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