『女の子の名前は
真冬はそっと瞳を閉じ、あの時の事を思い返す…。
自分が由紀達と……いや、それどころか柳達とすら出会う前、まだ当たり前だと思っていた日常を送っていた時の事を……。無愛想で可愛いげの無い自分の事を親友として大事にしてくれた、一人の女の子の事を…。
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あの日、真冬は通っていた学校から家へと帰る途中だった。
最初は一人で帰る予定だったのだが、とある女の子に声をかけられて結局一緒に帰る事となった…。学校から外へと出ると空が良く晴れているのが分かり、真冬はその太陽の眩しさに目を細める。
真冬「……今日、天気が良いね」
ポツリと呟くと隣にいた少女は空を見上げ、ニコリと微笑む。
少女は降り注ぐ陽射しを全身に浴びるかのようにして楽しげにクルクルと回り、真っ白いシュシュで縛りあげている茶色のポニーテールを揺らながら笑っていた。
真冬「……カナ、あまりふざけてると転ぶよ」
果夏「えへへ~♪ごめんごめんっ。ほら、最近は予定が合わなくて一緒に帰れなかったでしょ?けど今日は大好きな真冬ちゃんと久しぶりに下校出来て、しかもこんなに天気が良いんだもんっ!そりゃあテンションも上がっちゃうよ~」
その少女…
クラスメートは勿論、他のクラスや先輩、後輩にすら多くの友人を持っている果夏だが、そんな彼女が一番大切に思っているのはどうも真冬らしい…。彼女は隙あらば真冬のそばへと寄って人目も気にせず抱き付いたりして、それを真冬本人に呆れた顔で拒絶されるのが日常の風景だった…。
果夏「ねぇねぇ、今日はこのままどっかに寄らない?せっかく学校が早く終わったんだし、それに天気も良いし…少しデートしようよ♪」
真冬「え~…ボク、今日は真っ直ぐ家に帰って休みたかったんだけど…」
めんどくさそうに答えると果夏の瞳がうるうると潤み、今にも泣き出しそうな顔をする…。辺りにはまだ他の生徒の姿も多くあるため、ここで果夏に泣かれたら注目の的になってしまうだろう…。
真冬「……そうだね、せっかくだしどこかで遊んでいこうか」
果夏「っ…!!うんっ♪」
果夏は瞳に溢れてきていた涙を一瞬にして引っ込ませ、またニヤニヤと微笑む。いつもそうだ…。彼女はそれまでにどれだけ泣きそうな顔をしていても、はたまた泣いていても、直後に嬉しい事があるとすぐ笑顔になる。
"ほんと、子供みたい…"
真冬は笑顔の果夏を見てそんな事を思い、小さなため息を放つ…。
こんなにも騒がしい子と一緒にいるのはとても疲れるが、不思議と悪い気はしない。真冬自身、普段からめんどくさそうに接してはいるが、果夏の事だけは気に入っていた。
果夏「えへへ、今日は良いことありそうだなぁ~♪」
真冬が誘いに付き合ってくれたからなのか、はたまた天気が良いからなのか、果夏はいつも以上に上機嫌な様子でいる。鼻歌混じりにルンルンと歩く果夏…。そんな彼女の横顔を見つめ、真冬は静かに微笑んだ。
……今でも思う。この日、果夏の言う通り"良いこと"があったらどれだけ良かっただろうと。いや、別に"良いこと"なんて無くてもいい…。ただ、この何でもない日常さえ続いてくれれば…それだけでよかったんだ…。
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果夏「で、どこ遊びに行くっ?」
真冬「……お任せで良いよ」
街の中を歩きつつ、果夏に向け適当な返事を返す。
果夏への対応はいつもこんな感じだが、今の返事が適当なものになったのにはちゃんとした理由があった…。
果夏「…どしたの?やたらキョロキョロしてるけど」
真冬「さっきから、よく救急車が通るね…。今のでもう四台目だよ」
そばの車道を走っていくその救急車はサイレンをけたたましく響かせており、そのまま街の奥へと消えていく…。一台や二台見掛けたくらいでは特に気にもしないが、この短い間に四台も見たとなれば少し不安になる。
真冬「…何かあったのかな」
街の中で大きな事件でもあったのだろうか…。
真冬はその場に足を止め、果夏の方を向く。すると今度はパトカーがサイレンを鳴らしながら二人の横を勢い良く通り過ぎていき、街の奥へ消えていった。
果夏「あはは……今日はやっぱり帰ろっか?何か怖いし…」
流石の果夏も嫌な予感を感じたらしく、その表情が曇っていく…。せっかくここまで来ておいて引き返すのも惜しいが、それが妥当な判断だろう。
真冬「…また次のお休みの日、二人で遊びに来ようか?」
果夏「えっ!いいのっ!?やった~♪」
曇りかけていた表情を一気に笑顔に変え、果夏は道の上で跳ねまわる。
こんなにも無愛想な自分と共に出掛けられるのがそんなにも嬉しい事なのだろうか…。真冬は満面の笑みを浮かべる果夏を連れ、来た道を引き返していく。
そうして振り返った直後、真冬の肩に"ドンッ"と衝撃が走る…。すぐ後ろに立っていたスーツ姿の男性に気が付かず、肩をぶつけてしまったようだ。
真冬「あっ……すいません」
反射的にペコッと頭を下げるが、相手の男性は何も言わずそこに立ち尽くしている。自分なりにしっかりと謝ったのに、それが雑なものだと思われたのだろうか…。というか、広い歩道の上でこんな女の背後にわざわざぴったりと付いていたそっちにも非があると思う。
真冬は下を向いたままの状態で少しだけ眉をしかめ、不機嫌そうな顔をした。すると突如、その男は真冬の肩をガシッと掴み……
「ア……ァァアッ…!」
真冬「な…っ…!!?」
そのまま大口を開け、真冬の肩に頭を寄せていく。
その時初めて気付いたのだが、男は明らかに普通ではない顔色をしており、だらしなく唾液を垂らしているその口からはまるで獣のような呻き声を発していた。
果夏「ちょっ…!おじさんっ!何してんのっ!!!」
その口が真冬の肩に触れかけた時、果夏が持っていたカバンを勢い良く振って男の頭を打つ。教科書やら何やらがパンパンに詰められたカバンをまともに受けた男は"バシッ!"という音と共に後方へ退け反って数歩後退し、真冬から手を離した。
果夏「真冬ちゃんっ、大丈夫!?」
真冬「う、うん……ボクは平気…だけど」
それより、相手の男が気になる…。
咄嗟に助けてくれた果夏には感謝しているが、あれだけ勢い良く振られたカバンを頭へ受けてしまってあの男は大丈夫なのだろうか。
「ッア……ア…ァァッ……」
果夏「ご、ごめんなさいっ!つい本気で殴っちゃった…。けどっ、真冬ちゃんに手を出そうとしたおじさんも悪いんだよ!?」
「グァ…ァァアッ……」
果夏があれこれ言うが、男はそれを無視するかのように呻き声をあげながらヨロヨロとした足取りでこちらへと寄る…。異常に青ざめている顔色もそうだが、この呻き声………明らかに普通ではない。そばにいる果夏もすぐにそれを感じ取った。
果夏「ま、真冬ちゃん…。私の中にある"真冬ちゃんレーダー"がここにいちゃいけないって言ってる気がするの…。このままここにいると、真冬ちゃんが危ない目に遭うって…そう言っている気がする」
真冬「…そうだね」
果夏の言う"真冬ちゃんレーダー"が何なのか分からないし知りたくもないが、この男から嫌な雰囲気が漂っているのは事実だ。だから真冬は果夏の肩を叩いて合図を出し、そのまま二人同時に素早く駆けていく…。あの男から離れるべく全力で走り、いくらかの距離を駆けた時だった。
真冬「……嘘っ!?」
果夏「何…これ…?」
思わず足を止め、その場に立ち尽くす…。
二人して向けた視線の先では先程の男とはまた別の男がそばにいた男性を襲い、地面に押し倒していた…。しかも襲いかかっている方の男はその人物の首を噛み、そして肩を噛み、まるで食事中かのようにモグモグと
果夏「た、助けないとっ!!」
真冬「待って…!」
少ししてから果夏がハッとした表情をして動き出そうとしたが、真冬はその肩を掴んで動きを止めさせる様子を見るに襲われているあの人物を救うのはもう難しそうだし、下手に動けば果夏の身が危ないからだ。
果夏「けどっ!早く助けてあげないと…!!」
真冬「どうせもう助からないっ!!それより、ボク達も逃げ―――」
言いながら辺りを見回し、そして恐ろしい事を知る…。
よく見ると、遠くの方でもまた別の誰かが誰かを襲っていた。あっちでも…そっちでも………年齢、性別に関係無く、多くの人が正気を失ったようになって人々を襲っている…。
真冬「どう…なってるの……」
つい一時間前まではいつもの日常だったのに…今、目の前に広がっている光景はまるで地獄のようであり、この目で見ていてもこれが現実なのだと思えない…認められない。きっとこれは夢だ…趣味の悪い夢だ。
真冬は戸惑う自分自身に向けて心の中で何度も必死にそう言い聞かせたが、そんなのは虚しいだけだとすぐに悟った。
果夏「っ…!!真冬ちゃん、こっち来てっ!!」
真冬「く…っ…」
半ば放心状態で立ち尽くしていると"普通ではない人間達"に辺りを囲まれ、果夏は大慌てで駆け出す。彼女は真冬の手を掴んだまま駆け出すと、その人間達の間を上手くすり抜けてそばにあった建物の中へと入り、細長い廊下の先にあった複数の扉の内の一つへ手をかける。
果夏「あ、開かないっ…!!まったくもうっ!!!」
最初に手をかけた扉には鍵がかかっており、手をかけたドアノブは"ガチャガチャ"と耳障りな音を響かせるだけ…。こうしている間にもあの連中がノロノロと迫って来ており、果夏はまた別のドアノブに手をかけた。
果夏「早くっ…早くっ!!どこでも良いからっ!!!」
二つ目の扉…三つ目の扉も鍵がかかっており、ドアノブをいくら回しても開きはしない。果夏の瞳にじわりと涙が浮かび始め、ドアノブを回す手と声が震えているのがハッキリと分かった…。
果夏「大丈夫、大丈夫っ…!絶対に大丈夫っ…!!」
自分に言い聞かせているのか、それとも真冬に言い聞かせているのか、果夏はその言葉を呪文のように繰り返しながら四つ目の扉に手をかける。ここもダメだったらもう後が無い…。必死の願いを込めてそのドアノブを回すと扉はゆっくりと開き、果夏は真冬を連れてその部屋の中へと素早く入っていった。
果夏「…っ!よしっ!!!」
入ってからすぐに鍵をかけ、念のためにそばにあったやたらと重い段ボールを扉の前に置く…。こんな物がバリケードになってくれるかどうか分からないが、少しでも動いて不安を減らしたかったのだろう。
果夏は段ボールをいくつか積み重ねるように置いてから真冬を連れ、その部屋の隅で身を寄せ合う…。すぐ外にあの連中がいるのだろう……鍵を閉めたその扉は外からバシバシと叩かれ、不安を煽るような音を響かせながら何度も振動した。
果夏「大丈夫だよ……私がいるから…そばにいるからっ…」
真冬「………うん」
外から扉を叩く"バシッ!バシッ!"という音が鳴る度、真冬の肩がビクビクと震える…。表情には出ていないが、きっと恐怖を感じているのだろう。そんな恐怖が少しでも和らぐよう、果夏は真冬の事を強く抱き締め、何度も何度も呟いた…。
『大丈夫だよ…大丈夫だよ…』
何回も、何十回も呟き、真冬を安心させてあげようとする。
呟いた回数が百に届きかけた時には連中の気配も消えており、扉が叩かれる事もなくなっていた。どうやら連中は諦め、別の所へ向かったらしい。
果夏「どこか行ったのかな……」
真冬「そうみたい…だね」
落ち着いてきたので辺りを見回し、この部屋がどういう場所なのかを確認する。咄嗟に入ったのでこの建物自体が何なのかは分からなかったが、二人が飛び込んだこの部屋は恐らく資料室か何かだろう…。辺りには幾つもの棚があり、そこにはファイル詰めされた紙等が色々としまってあった。
真冬「これからどうしよう…」
果夏「…だ、大丈夫っ!外の事は警察の人とかがきっとどうにかして、すぐに助けが来てくれるよ!だからそれまではここでじっとしてよう?」
扉を叩く音こそ消えたが、耳を澄ますとあちこちで人の叫び声が聴こえる…。こんなのは嫌だ…早く助けて欲しい…。真冬は果夏の肩に身を預けながら両手で耳を塞ぎ、時が過ぎるのを待つ…。
気付けば部屋の隅にあった小さな窓の外が真っ暗になり夜がやって来ていたが、助けは一向に現れてはくれなかった…。