軌跡〜ひとりからみんなへ〜   作:チモシー

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百四十一話『うかぶ』

気持ち良い程によく晴れた空の下、由紀達は山中にある天然温泉にて楽しげな声をあげながら湯浴(ゆあ)みを満喫していく…。こんな世の中だからこそ、友達と共に温泉に浸かるというこの時間を楽しみたい。一行は温かな湯に肩まで浸かりながらまた深く息をつき、その心地よさに頬を緩める。

 

 

美紀「はぁぁ…気持ちいい…」

 

由紀「柳さんの家のお風呂も気持ちいいけど、これはこれで良いよねぇ。気持ち良すぎてこのまま溶けちゃいそうだよ~」

 

肩どころか頬までを湯に浸け始めた由紀の"ほへ~っ"とした表情はあまりにだらしなくて見ているだけでも力が抜けるが、そんな表情になってしまう気持ちも良く分かる。木々に囲まれた岩場の中で皆と共に温かな湯に浸かり、晴れた空をそっと見上げる……これは露天温泉ならではの心地よさだ。

 

 

悠里「彼と穂村さん、大丈夫かしら?」

 

胡桃「ま、大丈夫だろ。ここまで歩いて思ったけど、この辺は奴らの数も少ない。あの二人に限って、こんなとこでやられたりは――――」

 

と、そこまで口を開いた時…胡桃の目の前を妙な物体が通り過ぎる。

黄色いアヒルのオモチャだ…。手のひらの上に乗ってしまいそうなくらい小さなそれは水掻きのある二本の足をバタバタと動かして湯の上をバシャバシャと進み、そのまま目の前を通過していく…。

 

 

胡桃「…な、なんだ、これ」

 

由紀「わぁ~っ!かわい~っっ!!」

 

由紀は堪らずそれを掴み、顔の前へ掲げて目を輝かせた。

それは湯からあげられても由紀の手の中で両足をバタつかせていたが、その動きは少ししてピタッと止まる…。どうやら、背中にあるゼンマイが切れたらしい。由紀はすぐにゼンマイを巻き直すとそのオモチャを再び湯に戻し、バタバタと泳ぐ様を笑顔で見送る。

 

 

由紀「ふふふっ、この子、どこから来たのかな?」

 

真冬「あっ……その…ボクが持ってきた…」

 

湯に沈んでいた右手を恥ずかしそうにあげ、真冬は顔を俯ける。

どうやら、このオモチャの持ち主は真冬だったらしい。

 

 

胡桃「……どういう理由があってこれを?」

 

真冬「べ、別に……なんとなく…としか…」

 

皆の前を一周したアヒルのオモチャは再び真冬の前へと戻り、彼女にそのクチバシを突つかれて湯に浮き沈みする。真冬自身、どうしてこれを持ってきたのか自分でも分かっていない…。ただ、みんなと温泉に行くと決まったその時、無意識の内にこのオモチャをカバンへと入れていたのだ。

 

 

悠里「ふふっ、可愛くて良いじゃない。私にも見せてくれる?」

 

真冬「あ……うん……」

 

悠里は手渡されたオモチャを穏やかな表情で見つめ、また『ふふっ』と笑い声を漏らす…。そうして彼女の視線がアヒルのオモチャに向いている間、真冬は湯の上にプカプカと浮かぶ彼女の胸をじろっと凝視していた…。彼女が動く度、湯に小さな波がたつ度、その豊満な胸は湯の上で揺れる。

 

 

真冬(大きいと…本当に浮くんだ…)

 

ただの噂話かと思っていたが、事実だった…。

ほんのりと赤く色付いてきた悠里の胸は汗とも湯とも分からぬ水滴を谷間へと落とし、何時までもプカプカと浮いている…。それを見た真冬はゴクリとノドを鳴らしてそれとなく自分の胸に目を向けるが、こちらはちっとも浮いていない…。浮くほどのモノが無い…。真冬がそっと静かに絶望する一方、悠里は彼女にオモチャを返すべく手を伸ばす。

 

 

悠里「はい、返すわね。……あっ」

 

湯に濡れていた手がツルッと滑り、アヒルのオモチャは真冬の手に渡る前に落下する…。落下位置にはちょうど悠里の胸があり、そこに落ちたアヒルはまるでトランポリンの上にでも落ちたかのようにピョンッと跳ねて真冬の前へと落ちる。ポチャンという音とともに湯の飛沫があがり、それをまともに受けた真冬の顔はびしょ濡れになっていった…。

 

 

悠里「ごめんなさいっ、大丈夫?」

 

真冬「……え?ああ、大丈夫…だよ」

 

見ての通り、体に怪我は無い…。

ただ、一連の流れを見た事で悠里の胸の立派さを改めて思い知らされてしまい、心には深めの怪我を負った…。真冬は現実から目を逸らすようにして悠里から視線を外し、胡桃の方を見るが……彼女の胸もまた湯の上に浮きかけており、とうとう自分の顔を両手で覆う。

 

 

真冬「あ~……もうやだ………」

 

さっきチラッと見たが、由紀の胸も結構大きい…。

湯に浮いてこそいないものの、決して小さくは無いサイズだ。

そして、美紀の胸も自分のと比べると微かに大きい…。

つまり、自分はこのメンバーの中で一番の貧乳だ…。

 

真冬が静かに絶望していったその時、付近の上空では妙な物体が空を舞っていた。複数のプロペラを回転させながら飛行するそれを動かす人物は、離れた場所でリモコンを手にしたままニタニタと笑う。

 

 

 

穂村「あ~っと!風に流されてるなぁ~!こりゃダメだ~、操作が効かない~。俺の意思とは関係なく変な方向へ飛んでいく~~!」

 

飛行物体を操作するその男…穂村は誰に聞かせる訳でも無く言葉を放つが、操作している物体は風の影響などほぼ受けていない。この男の操作する通り正確に飛び、ある場所を目指して速度を上げる。

 

 

「さて、そろそろかな?」

 

そばで付近の見張りをしていた彼も頬を緩め、穂村の手中にあるリモコンを覗き込む。リモコンの中央には大きめのモニターがあり、ドローンの映像をリアルタイムで映し出していたが、まだ例の場所は映らない。

 

 

穂村「こっちであってるよな?」

 

「ああ、多分…」

 

方向は間違っていないハズだが、モニターに映るのは木々を上から見下ろした映像ばかり…。未だに温泉は映らない。二人の笑顔も次第に曇り始めた頃、遂にはそばからガサガサと物音が鳴り、嫌な呻き声が聞こえてくる。感染者だ。

 

 

穂村「チッ………おい、任せたぞ」

 

「…はいはい」

 

リモコンから手が離せない穂村に代わり、彼はナイフを手に感染者の前へと寄る。感染者はこちらに気付いていたが、彼はその側面へ回ると慣れた手付きでそれを仕留め、血に濡れたナイフを腰のベルトにあるホルダーへと収めた。その一体が地面に倒れた後で念のために周囲を警戒するが……特に気配は無い。やって来たのはこの一体だけのようだ。

 

 

「こっちは終わった。で、そっちは?」

 

穂村「いや、こっちはまだだ…。飛ばす方向を間違えたか?」

 

「ん~…どうかな…」

 

間違っていないとは思うが、これだけ辿り着けないと少し不安になる…。

穂村はモニターを見つめながら必死になってドローンを動かし、彼はその様子を真横から見守る。すると少しして、木々の開けた場所がモニターへと映った。

 

 

「おっ?」

 

穂村「お…おぉぉっ!!」

 

モニターに映るのは、光に反射してキラキラと輝く湯…。

それはモクモクと湯気をあげていて、遠目に見てもその熱が伝わってくるようだ。よく見るとその中に数人の人影が見えるが、湯気が濃すぎるのと、距離が離れているのが原因でハッキリとは確認出来ない。

 

 

「もう少し寄れるか?」

 

穂村「ああっ!任せろ!!」

 

あの湯気の中にいるのは、彼女達に違いない。

そう確信した彼と穂村は同じ様に鼻息を荒げ、その視線をモニターに釘付けにする。ドローンは穂村の操縦によってその湯気の方へゆっくりと下降し、人影へと接近していくが…。

 

 

 

 

 

真冬「……ん?」

 

美紀「真冬、どうかしたの?」

 

真冬「いや…変な音が……」

 

少々接近し過ぎたのか、真冬がドローンの飛行音を察知する。

由紀や胡桃達が楽しげに会話をする声に紛れ、耳に届く妙な音…。

真冬は冷や汗一つ浮かべるとまずは前後左右を見回し、何も無いのを確認してから今度は上空を見上げる…。

 

 

真冬「……っ!やっぱり…!!」

 

視界に映るのは、青空に舞う飛行物体…。

そんじょそこらの虫や鳥よりも大きなそれは複数のプロペラを回転させながらゆっくりと下降しており、キラッと光るレンズと目が合う。

 

 

真冬「穂村のヤツっ…!みんな、肩までお湯に浸かって隠れて!」

 

由紀「えっ?」

 

胡桃「ん?うおっ!?何だよあれっ!!?」

 

真冬からの警告を受けた後、皆は彼女の視線の先に妙な飛行物体が存在している事を知る。あの物体が何なのかは分からないが、下方にある大きなレンズを見た瞬間に由紀以外の全員が大体の事を察した。

 

 

悠里「あれを飛ばしてるの、穂村さんよね…?」

 

真冬「うん、たぶん……いや、絶対そう!あれ、前にボクがあげたヤツだもん」

 

美紀「っ!本当にどうしようもない人っ!!」

 

この温泉は濁りが濃いので、肩まで浸かっていれば体を見られる事は無い。それは不幸中の幸いだったが、かといって何時までもこうしてはいられないだろう…。真冬は湯の中をのんびりと進みながらこっそりと岩場へ上がり、置いていたカバンを開く…。その中には穂村が覗きをしてくる事を想定して用意しておいた罠の数々が入っていたが、その多くは穂村が"地上から"やって来る事を想定した物ばかりで今は役に立ちそうにない…。

 

 

真冬「っ……どうしよっ…!」

 

ドローンはゆっくり、ゆっくりと下降しており、かなり接近してきている…。このままだと自分の裸体を撮されてしまうため、真冬は再び湯に戻って対策を練る。

 

 

美紀「何かあった?」

 

真冬「ご、ごめん……ちょっと準備不足だった…」

 

真冬なら何らかの対応策を用意してくれていると期待する美紀達だったが、今回は穂村が上手(うわて)だ…。一行は近寄ってくるそのドローンを焦りの目で見つめながら湯に浸かり、顔を赤らめる。

 

 

悠里「どう…するの?」

 

真冬「どうしよ……どうしようっ……!」

 

穂村に裸を見られる…穂村に裸を見られる…。

真冬の頭はその事でいっぱいになり、一行の中でも断トツに赤い顔へと染まる。同性である由紀達の前ですら裸になるのを躊躇ったのに、それを穂村なんかに見られたらもう生きてはいけない。あのレンズに自分の体が映ったその時は、恥ずかし過ぎて死んでしまうだろう…。

 

 

真冬「あ、頭が…クラクラしてきた……」

 

焦るあまり、のぼせた訳でもないのに視界が歪みだす。

この状況を打破するには…あのドローンを止めるには、どうすれば良いのだろう…。あれこれ思考を巡らせる真冬だが、窮地に追いやられているせいでまともな考えが浮かばない。

 

 

真冬「あぁぁ……うぅぅぅっ………」

 

美紀「裸見られるの、相当嫌なんだね…」

 

穂村に裸体を晒すのは自分だって嫌だが、美紀は真冬ほど慌てずに辺りを見回す…。そして、目の前を泳いでいたアヒルのオモチャを手に取った。これは使えるかも知れない。

 

 

美紀「胡桃先輩、このオモチャ、あれにぶつけられますか?」

 

胡桃「んっ?あぁ、多分やれるかな…」

 

美紀「よかった…。真冬、あれ壊しちゃっても平気?」

 

真冬「平気平気っ!やれるならやっちゃって!!」

 

あのドローンはどうせ穂村の物だ。壊れたところでどうってことない。

真冬はかつてないくらい慌てた様子でドローンの撃墜を胡桃に頼み、胡桃はアヒルのオモチャを受け取って狙いを定める…。

 

 

 

胡桃「…結構遠いな」

 

ドローンは10メートル程上を飛んでいたが、少しずつ下降している。

向こうはまだこちらにバレていないと思っているのか、やけに慎重な様子でゆっくりと下降していた。恐らく、空から見ると湯気が濃くて彼女達に警戒されている事に気付いていないのだろう。

 

 

胡桃「悪いな、アヒル………それっ!!」

 

弾丸代わりに飛ばされるアヒルのオモチャに一言謝罪し、胡桃は右手を勢い良く振る。そうして投げ飛ばされたアヒルは宙を舞い、そのまま………

 

 

胡桃「……あれっ?」

 

()を描き、ゆっくりと下降して近くの岩場へと落ちていった…。

胡桃はそれを思い切り投げたつもりだったのだが、アヒルはほんの4~5メートル程しか舞い上がらず、ドローンには(かす)りもしなかった。

 

 

悠里「あらあら…」

 

美紀「……どこ投げてるんですか……」

 

胡桃「わ、わりぃ………あはは…変だなぁ……」

 

真冬「……笑い事じゃないっ…このままじゃ、ボクらは……!」

 

全員、穂村に裸体を撮られてしまう…。

真冬の焦りは最高潮に達し、美紀と胡桃は苦い笑みを浮かべ、悠里は参ったようにため息をつく…。そんな中、由紀だけはボーっとした表情でそのドローンを見つめ続け、そして何気ない雰囲気でそばにあった手のひらサイズの石をポンッと放り投げた。

 

 

由紀「えいっ!」

 

可愛らしい声と共に放り投げられた石は空高く舞い、接近していたドローンを飛び越す…。それから勢いを失った石は重力に引かれて下降し始め、ちょうどドローンのプロペラへと命中した。響いた音は"カンッ!!"と軽いものだったが、プロペラにダメージを負ったドローンはコントロールを失って空をフラフラと漂い、とうとう森の中へと墜落していった…。

 

 

胡桃「おおっ!墜ちたぞ!やるな、由紀」

 

由紀「えへへ~♪」

 

本人としては適当に投げただけだったのだが、運良く命中して撃墜出来た。由紀は胡桃に褒められて嬉しそうに微笑み、それから『えっへん!』と胸を張る。悠里と美紀も穂村に裸体を撮られずに済んだ事を喜び由紀を褒め称え、真冬は鬼の様な形相で湯から出る。

 

 

美紀「真冬、どこ行くの?」

 

真冬「穂村のとこっ!!あのバカっ…今日こそ殺すっ!!」

 

ザバッ!!と勢いよく湯から出るなり手早く体を拭き、服を着て、持ってきていた警棒やナイフを確認して真冬は旅立つ。あの様子だと、本当に穂村の事を殺してしまいそうで少し心配だ…。悠里は深いため息をつくとゆっくりと立ち上がり、体を拭き始める。

 

 

悠里「ちょっと心配だから、真冬さんについていくわね」

 

『そういう事なら私も』と、美紀が立ち上がる。

覗きは許されない行為であり、真冬がああして怒るのも分かるが、だからといって殺しは良くない…。

 

 

胡桃「よし、じゃああたしらも……」

 

悠里「私と美紀さんだけいれば大丈夫よ。せっかくの温泉なんだから、胡桃と由紀ちゃんはもう少しだけのんびりしてて?」

 

胡桃「ん……そうか?じゃ、お言葉に甘えて…」

 

由紀「もう少しだけ浸かったら追いかけるからね~」

 

笑顔で手を振る由紀に手を振り返し、悠里と美紀は温泉から立ち去る。

何だか騒がしい展開になったが、一先ずこの湯を楽しもう…。由紀と胡桃は湯に浸かりながらチラッと目を合わせると、ほぼ同時に笑い声をあげた。

 

 

 

……その一方、森の中へと撃墜されたドローンの持ち主…つまり穂村は…

 

穂村「……ヤベェぞ、ヤツが来る…」

 

手の中にあるリモコンのモニターを見つめ、ダラダラと汗を流していた。リモコンのモニターはどこかの茂みだけを画面いっぱいに撮しており、幾ら操作してもピクピクと動くだけでドローンは上手く飛び上がらない…。完全に壊れている。モニターを横から覗いていた彼もそれを察し、頭を抱えた…。

 

 

「…真冬か?」

 

穂村「ああ、少し大胆に接近しすぎたな。このポンコツめ、何をされたか分からねぇがあっさり墜ちやがった…。まだ何も見れてねぇぞ……」

 

あともう少しだけ接近出来れば彼女らの裸体を撮せただろうに、結局は失敗に終わってしまった…。自棄になったようにリモコンを放り投げ、その場で顔を真っ青にする穂村はダメな大人のお手本のようであり、彼は今になってようやく気付く。やはり、この男の誘いに乗るべきではなかったと…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






惜しいとこまでいったものの、覗きは失敗…。
ただ真冬ちゃんを怒らせてしまっただけ…。
しかしこの彼&穂村の二人はこれに懲りる事なく、これからも色々な場面で手を組みそうな気がします(^_^;)お互い変態ですから、何だかんだで気は合うハズ。

まぁ、穂村は次回のお話で真冬ちゃんに葬られるかも知れないので、彼と手を組むことなくそのままフェードアウトするかもですが…(苦笑)

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