真冬「着いたよ。動ける…?」
あの学校を大慌てで飛び出し、どのくらい経っただろう…。
二人を乗せた車は柳の屋敷へと戻り、その庭で動きを止めた。
真冬は車のエンジンを切り、助手席に座る彼に声をかける。
彼はコクリと頷き、自分の手でドアを開けて外へと出た。
真冬「…無理しないで」
心配そうな声でそう言って、真冬は再び彼に肩を貸す。
そしてゆっくりと歩きながら屋敷の中へと入り、広間を抜けて階段を上がる。弱ってきている彼が転ばぬよう、一段一段慎重に…。一階から二階、ニ階から三階へと上がり、柳の仕事部屋に彼を連れて行くと、真冬はその奥にあったベッドの上に彼を寝かせた。
真冬「柳さん達、すぐに戻ると思うから……。
だから…それまで頑張って……!」
彼は横になりながら微笑み、コクリと頷く。
けど、見たところかなり辛そうだ…。
真冬は側に立ちながら彼の傷口を押さえ、止血を試みる。
最初の頃と比べると出血は治まっているように思えたが、彼の顔色が悪くなっているように見えるのが心配だ…。
真冬(ボクには……このくらいしか出来ない…っ)
これまで色々な勉強をしてきたし、機械に関してならかなり強いが、医療の知識は殆ど無い…。だからこそ、真冬は祈った。早く、柳が帰ってくるようにと…。
先程連絡した時、柳は何やら忙しかったようで代わりに圭一が連絡に応じた。真冬が震え声で『彼が怪我をした。だから柳さんに診て欲しい。一度屋敷に戻るから、そっちもすぐに帰ってきて』と伝えると、圭一は慌てた様子もなく普段通りの調子で『分かった』とだけ答えてきた…。柳と直接話せなかったのは不安だが、きっとすぐに戻って来てくれるはず。そうでないと、彼がどうなるか分からない。
真冬「お願いだから…はやくっ…はやくっ……!」
ただひたすらに彼の無事を祈り、柳の帰宅を待つ…。
それから少しの時が経ち、外が騒がしくなるのを感じた。
柳が帰ってきたらしい。外に感じる気配にほんの少しだけ安堵した真冬はそのまま彼のそばで待ち続け、やがて部屋の扉が開いた。
悠里「彼は…彼は無事っ!?」
扉を開けて真っ先に現れたのは悠里…。
それに続けて由紀と美紀、胡桃も現れた。
恐らく、彼女らは柳から連絡を受けて慌てて帰ってきたのだろう。全員、ベッドに横たわる彼を見て戸惑いや焦りの表情を浮かべている…。
美紀「先輩が怪我したって聞いて、急いで戻ってきたんだよ」
美紀は真冬の横に立ってそう告げる。
真冬は彼女と目が合うなり涙目になり、顔を俯けた。
自分がついていながら彼に怪我をさせてしまったという事実があまりにも申し訳なくて、もうどうすれば良いのか分からない…。
悠里は不安そうに彼を見つめ、由紀は汗を流し慌てている。胡桃はただじっと彼の顔を眺めてるだけだったが、その表情からは焦りが伝わってきた…。全員で彼を囲み立ち尽くしていると、少し遅れて穂村……そして柳と圭一が部屋にやって来る。部屋に来るのが遅れただけで、柳と圭一は彼女らと同じタイミングで帰ってきたようだ。
真冬「柳さんっ…彼、噛まれて―――」
柳「ああ、聞いたよ。
どうにかしてみるから、みんな下がってくれ」
由紀達は言われた通り数歩下がり、柳は彼を診る。彼の首元には結構深い噛み傷があり、それを見た柳は小さくため息をついた…。今は大分マシになっているようだが、かなりの出血をした痕跡がある。ここに戻るのがあと少し遅れていたらまず手遅れだっただろう。
柳「すぐに手当てしないといけないな…。
と、それよりも先に感染を抑えるのが先か。
狭山君、頼んでいた物は持って帰ってきたかい?」
真冬「えっ?う、うんっ、持ってきた…」
真冬は部屋の隅に投げていたカバンを持ち、その中にしまっていたペットボトルを取り出す。ボトルの中に入っているのは、巡ヶ丘の高校から取ってきた水だ。柳は真冬からそれを受け取るとキャップを開き彼に飲ませようとするが、彼は既に意識を失っていて自分では飲めそうにない…。
柳「……無理矢理飲ませるしかないか」
胡桃「それ、飲ませなきゃダメなのか?」
柳がポツリと呟いた瞬間、胡桃がボトルを指差す。
その問いに対して柳が頷くと胡桃は慌てた様子でボトルをひったくり、一口分を自分の口に含んで彼のそばに寄った。
胡桃「んん……っ………」
そうして何の躊躇いもなく、自分の唇を彼の唇に重ねる…。
彼が動かぬように両手を頬に添えながら、口に含んだ水を彼の口へと少しずつ、少しずつ移していく。
胡桃「んっ………飲んだぞ!これで良いのか!?」
柳「…ああ、ありがとう」
柳は柔らかく微笑み、他の部屋にしまっていた医療道具を持ち出して治療を始める。他の者達は少し離れたところでそれを見守った。
悠里「その水、飲ませる必要があったんですか?」
近くのテーブルに置かれたペットボトルを見て、悠里が問う。
最初に口に出して尋ねたのが彼女だったというだけで、他の者もみんな同じ事を疑問に思っていた。
柳「その水は、君らが以前暮らしていた巡ヶ丘学院高等学校の浄水設備から取ってきた水だ。あの学校の水………というか、あの学校に来ている水の水源の源流にはウイルスを抑える物質が含まれている。だから彼にこの水を飲ませ、細菌を抑える必要があった。この水が無きゃいくら治療したって、すぐに外の感染者の仲間入りだからね」
慣れた手付きで治療を施しながら、柳は語る。
なんで自分らが通っていた学校の水には……その水源にはウイルスに対する抗体があると分かったのだろう。皆、柳の発言に対し幾らかの疑問を抱いたが、今は彼の事が心配でそれどころではなかった。
柳「そういう訳だから、君らもその水を飲んでおいた方が良いよ。私もまた後で飲ませてもらう」
悠里「はい…分かりました」
テーブルに置かれた幾つかのボトル…一行はそれを手に取り、一口ずつ飲む。この水さえ飲んでおけば、感染には怯えなくて済むのだろうか?実際のところはよく分からない…。が、皆は柳の言葉を信じてそれを飲み、残った分をテーブルに戻した。しかし、その水を飲まない者もいた。圭一と穂村、そして真冬だ。
圭一「俺らは元々、お前の薬でウイルスを抑えてると言っていたよな?なら、わざわざこの水を飲まなくたって大丈夫なんだろう?」
柳「まぁ、そういう事になるね。
喉が渇いてる訳でもないのなら、別に飲まなくて良いよ」
圭一はその言葉を聞くなり、部屋を出ていく。
少し疲れたので休ませてもらう……との事だ。態度や雰囲気を見るに、圭一は彼がどうなろうと知った事ではないという感じだった。
真冬「……穂村も先に休んでていいよ」
穂村「…いや、まだ残る。
ところで、アイツは誰にやられた?」
彼がなんで傷を負ったのか、どうしてああなったのか、穂村に問われて真冬は事情を説明する。今日、自分は彼と二人で巡ヶ丘学院高等学校へと向かった事。そしてその先で他の生存者や知花咲と出会い、気付いた時には彼が噛まれたという事…。大体の事を話した時、穂村は深いため息をつき、壁へと寄りかかった。
穂村「知花って……ああ、あの時の女か…」
美紀「知り合いなんですか?」
穂村「前に少し、やり合う機会があっただけだ。
…何考えてるか分からなくて、面倒くさいんだよな」
彼女が何を考えて行動しているのか、何であの学校に来ていたのか、分かる事は一つも無い…。ただ、彼女があの学校にやって来て彼や真冬と出会ったのはただの偶然ではないような気がしていた。
胡桃「…………」
が、その知花という女の事なんてどうでも良い…。
胡桃はただ不安げに柳の背中を見つめ、やがてそばへと歩み寄る。
胡桃「あの、あたしに出来る事とか……ないですか…?」
柳「…特には無い。さっきのだけで充分だ」
待ってるだけなんて耐えられない…。
彼の為に何かしたい…。
そんな思いでそばに寄る胡桃だが、今はもう何も出来る事が無かった。柳からすると、先程彼に水を飲ませてくれただけで胡桃は充分に役立っているのだが、彼女自身はそう思っていないらしい。
胡桃(何も、出来ないのかよ……)
とてつもない無力感に
由紀「…大丈夫だよ。ぜったいぜったい、大丈夫」
由紀が隣にやって来て、胡桃の肩を抱く。
胡桃を慰めてあげようと思ったのだろう…。
そのぎこちない笑みを見るに由紀自身もかなりの不安を感じている筈なのに、彼女はそれを感じさせぬよう、精一杯の元気を振りまいていた。
胡桃「うん………ありがとな、由紀」
由紀「えへへ……」
気が付くと、美紀や悠里もそばへと寄っている…。
真冬と穂村は少し離れたところからそれを見守りつつ、治療が終わるのを待った…。そして幾らかの時間が経った時、柳は持ってきた医療品を片付けて一息つく。
柳「ふぅ…。とりあえずはこんなところだろう」
治療が終わり、首元に包帯を巻いた彼が皆の視界に映る。
由紀「もう大丈夫…ですよね?」
柳「やるだけの事はやった。あとは彼の気力次第だな…。
穂村君、彼をそっちのベッドに移しておいてくれ。慎重にね」
穂村は指示通り彼を運び、そばのベッドへと寝かせる。
『あとは彼の気力次第』……それはつまり、彼の生きる気力が足りなかったら、もうこのままお別れという事なのだろうか…。
柳「さて、皆それぞれ報告もあるだろう。
一度、どこか他の部屋で話し合おうか」
柳が動くと、穂村もそれに続いて動き出す…。しかし、由紀らは彼の事が心配でこの場を離れる決心がつかないらしい。そんな中、胡桃は部屋にあった椅子を引っ張り出して彼の眠るベッドの横へと置くと、それに腰掛けて弱々しく笑った。
胡桃「あたしが残るよ…。
何かあったらすぐに呼ぶからさ、みんなは先に行ってて」
悠里「……分かった。何かあればすぐに言ってね?」
胡桃「ああ……」
誰か一人残っていれば、万が一にも備えられる。
悠里らはこの場を胡桃に任せ、他の部屋へと移った…。その途中、廊下を移動してる時に真冬は柳の背中を軽く叩き、伝えそびれた言葉を告げる。
真冬「あの………学校出会った時、知花咲が気になる事を言ってた」
柳「うん?どんな事かな?」
真冬「えっと、自分にはボスがいて、そのボスはこの世界を救った人だって…。あと、あの人は柳さんの事も知ってた」
柳「…私の事を?」
真冬「うん。前に会った時は知らなかったハズなのに……。ボスが物知りだから〜とか言ってたかな…。柳さんの事も、ボクらの体の事も、由紀達の事も知ってるみたいだった。…あと、次に会った時は“記念品”を貰うって…訳の分からない事も言ってたよ…」
柳「………記念品……」
真冬からの報告を聞き、柳の表情が固くなる…。
真冬「…何か心当たり、ある?」
柳「………いや、さっぱり分からないね」
返答を聞いた真冬は『そっか…』と答え、ゆっくり歩く。
やはり、あの女の発言に大した意味なんて無いかも知れない…。こちらのペースを乱そうとして、嫌がらせ感覚で適当な事を言ってるだけかも知れないが…。
真冬「…そう言えばあの人、彼にあの水を飲むようにって言ってた」
柳「本当かい?…で、彼は飲んだのか?」
真冬「うん…。苦しそうだったけど、ちゃんと飲んでた…」
先程、胡桃が彼に水を飲ませた時に伝えるべきだったが、あの時は半ば放心していたので思い出せなかった…。しかし、今はしっかりと思い出せている。あの女は…知花咲は、あの学校の水についても知っていたようだ。
柳「私の事はさておき、水の事まで知ってるとなると……」
知花が放った発言の一つ一つを真冬から聞き、柳は冷や汗をかく。
思ったより、面倒な事になりそうだ…。