胡桃「…………はぁっ…」
屋敷に戻って、どれくらい経っただろう…。
胡桃はそばに置いた椅子に座りながら、ベッドの上に横たわる彼の手を握っていた。柳と悠里らが話し合いをすると言ってこの部屋を出た時から、ずっとこの手を握っていた…。
胡桃「はやく起きてくれよ…。
あまり心配かけんなって……」
ギュッと強く手を握るが、彼の方から握り返してはこない…。
手はほんのりと温かいがピクリとも動かず、不安になる。
このまま黙っているとその不安に押し潰されそうになるので、胡桃は彼に向かって言葉を放ち続ける事にした。
胡桃「………あの……あたし…さ……実を言うと、覚悟してたんだよ。今は毎日みんなと楽しくやってるけど、いつかはお別れの時が来る。ある日急に、誰かがいなくなるっていうか……死ぬ…っていうかさ…。そんな時が来るんじゃないかなって、覚悟してたんだ…」
また強く彼の手を握る…。
やはり、握り返してはこない…。
胡桃「でも、その“誰か”はさ……あたしだと思ってたんだ…。
近い内に誰かが死ぬとしたら、それはあたしだろうって……。あたしがいなくなって、由紀が泣いたりするのとか想像しててさ…。すっげぇ辛かったし、泣きそうになった……っていうか少し泣いちゃったんだけどさ、それでも、覚悟だけはしてたんだ…」
指の一本一本を絡めてしっかり手を握り、小さく振る。
けれど彼の方からは何の動きもなくて、胡桃は顔を俯ける。
胡桃「あたしが死ぬなら……まだ良いよ…。けど、お前はいなくなるなって…。お前とだけお別れする覚悟なんか、お前がいなくなるのを見届ける覚悟なんかまだ出来てないんだよ…。まだそばにいろって……まだいなくなるなよ…。お前がいなくなったら、由紀が泣くだろ。りーさんが落ち込むだろ。美紀が悲しむだろ…」
一方的に語る声がだんだんと震えてくる。
視界が歪み、温かいものが頬を伝い流れた…。
胡桃「お前がいなくなったら、あたしも寂しいよ…。お前とお別れなんてしたくない…。ずっとそばにいたいんだよ……。まだ、伝えてない事もあるんだ…。目を覚ましたら、今度こそ伝えるから…。もう、恥ずかしいとかそういうのは我慢して、しっかり伝えるから……。だから……絶対にいなくなるなよ…」
握った彼の手に額を寄せ、胡桃は一人啜り泣く…。
まだ彼と一緒にいたい。離れたくない。そばにいたい。
そんな思いで胸がいっぱいになり、苦しくなる。
彼がいなくなるなんて、考えるのも嫌だ……。
美紀「…胡桃先輩?」
ふと、部屋のドアが開いた。胡桃は溢れ出ていた涙を慌てて拭い、やって来た美紀に対して背を向けたまま応える。
胡桃「…話し合い、終わったのか?」
美紀「あ、はい…。それ自体はすぐに終わりました。
えっと、夕飯の準備が出来たので、一度キッチンに来ませんか?」
美紀はゆっくりと歩み寄り、そばに来て尋ねる。
いつの間にか夕飯の時間になっていたらしい…。
ついさっきまで泣いていた胡桃はその顔を見られぬように目を逸し続け、素っ気なく返事をする。
胡桃「…いらない。今日はずっとここにいるよ」
食欲なんて無い…。
それより、彼が心配で仕方ないんだ…。
彼の手を握ったまま離れようとしない胡桃を前にして、美紀は少し考えてから言った。
美紀「そんな顔してると、この人もすぐに起きてくれませんよ。胡桃先輩が夕飯を食べてる間は私がここにいますから、しっかりと食べて元気になってきて下さい」
ポンッと背中を叩かれ、胡桃はハッとする。
美紀の言う通り、こんな沈んだ表情でそばにいられても彼は喜ばないだろうし、元気になってはくれないだろう。
胡桃「……あ〜あ!情けない先輩だなぁ、あたし」
美紀「そんな事ないですよ。立派な先輩です」
ニッコリと微笑み、優しい言葉を告げてくれる美紀。胡桃は美紀の言葉を聞いて少しだけ元気が湧き、椅子から立ち上がった。
胡桃「お言葉に甘えさせてもらうよ。すぐ戻ってくるから、それまでそいつの事を頼んで良いか?」
美紀「ええ。何かあったらすぐに知らせるので、任せて下さい」
その場を美紀に任せ、胡桃は部屋を去る。
彼の事は心配だが、美紀がいれば大丈夫…。それに、あまり落ち込んでばかりいても仕方が無い。今はしっかり食事をとって、万全の状態で彼の無事を祈ろう。
胡桃が部屋を去った後、美紀は今まで胡桃が座っていた椅子に腰掛け、彼の寝顔を見つめた。
美紀「はやく元気になって下さいね…。胡桃先輩もですが、りーさんや由紀先輩や私、それに真冬だって心配してるんです。元気になって、みんなを安心させて下さい」
みんな、彼の事を心配している。
このままお別れするような事になる可能性だってゼロではないと不安になり、表情を曇らせているのだ…。美紀だって、今はどうにか平静を装っているが内心不安でいっぱいだった。
その後、美紀は夕食を終えて戻ってきた胡桃と入れ替わる様に部屋を去り、自身も夕食をとる。それが済んだ後は由紀と悠里の二人も加えて一緒に彼のそばに行き、みんなで無事を祈りながら時間を過ごした…。が、流石に一晩中そばにいる訳にもいかない。彼女らにだって睡眠が必要だ。
柳「心配なのは分かるが、今日のところは各自部屋に戻って眠ると良い。彼の事は心配しなくて大丈夫だよ。夜が明けるまでの間は私が見ておく。朝になったらまた交代してくれれば良い」
柳の言葉を聞き、皆は部屋をあとにする…。
柳に任せておけば安心だというのは分かっているが、彼女らはそれぞれが彼の方に心配そうな眼差しを向けていた。
胡桃「…柳さん、今日だけ、あたしがこいつを見てても良いかな?」
悠里達がそれぞれの自室へ戻ったのを見計らい、胡桃はまた彼の元へと戻ってきた。彼女の言葉を聞いた柳は『う〜ん』と唸りながら頬を掻き、なんとも言えぬ表情を浮かべる。
柳「どうしてもと言うなら構わないが、君だって寝てないだろう?」
胡桃「あたしは平気。
今のところは全然眠くないから、朝までは見てられると思う」
柳「………じゃあ任せるが、何かあったら言ってくれ。
私はすぐ隣の部屋にいる」
胡桃はペコリと頭を下げ、部屋を去っていく柳を見送る。
その後はまたベッド横の椅子に座り、彼の手を握った。
胡桃「ってわけだから、そばにいてやるよ…」
ニコリと笑って語りかけるが、やはり彼は応えない…。
けれど決してめげず、その手をしっかりと握ったまま祈り続けた。少しでもはやく、彼が元気になりますように…。一緒に笑い合える日がまたやって来ますように…。ひたすら祈りながら、胡桃は彼の手をギュッと握り締めた。