この小説に足りないもの…それは恋愛要素だと言い張る彼の言葉に従い、美紀は筆を進めていった。とはいえ、いきなり恋愛要素を足して欲しいと言われて簡単にいくわけも無い。美紀が普段から読んでいる小説に恋愛小説はないし、本人も恋愛経験が無かったからだ…。
美紀「………よし。こんな感じでしょうか?」
「んん…どれどれ」
それでもどうにか、三十分ほどかけてそれを足してみる。美紀は今書き上げたばかりのそれを彼に手渡し、自信薄ながらも感想を待つ…。
「………」
パタンッ…
数分が経った頃、彼はそれが書かれていたノートを閉じる。思い付きで適当に書いたような恋愛要素だが、気に入ってもらえただろうか…?美紀が不安そうな目で見つめる中、彼はそのノートを美紀へと返す。
「恋愛要素……足したんですよね?」
美紀「えっ…?足しました…けど…?」
ノートを受け取ってから、美紀は彼の言葉に首を傾げる。確かにあまり自信は無いが、それでも恋愛要素は足したはずだ…。
パラパラパラッ…
美紀「ええっと…ほら、ここにあるじゃないですか」
ノートを捲って確認してみると、そこには美紀が足した恋愛要素が描写されていた。ちゃんと書いてあるじゃないか……美紀はそう言わんばかりの目で彼を見つめ、そのページを見せつける。
「いやいや!ちょっと手を握っただけじゃないですか!?」
美紀「えっ?これも十分な恋愛要素では?」
美紀の開いたページ…そこでは彼をモデルとした主人公が由紀をモデルとした少女と手を握り合い、楽しげに笑い合う様子が描写されていた。美紀にとってこれは十分な恋愛要素だったのだが、彼は今一つ納得がいかないようで…。
「手を握るのが恋愛要素って……小学生じゃないんだから」
美紀「むっ……そこまで言うなら、先輩が書いてみて下さいよ!」
「別に良いけど…僕の才能に嫉妬しないで下さい?」
ハッと鼻で笑い、彼は美紀からノート…そして筆記用具を受け取る。自分の書いた恋愛要素が"小学生レベル"と馬鹿にされた美紀は不機嫌そうな表情のまま、彼が筆を進める様を正面から見守っていた。
美紀「書けるものなら書いてみて下さい…。大人の恋愛ってやつを」
「ふん……とびっきりのを書いてやりますよ…」
意味深な笑みを浮かべて約十五分後、彼は持っていたペンをテーブルへと置く。それに気付いた美紀は暇潰しに読んでいた小説をカバンへとしまい、カーペットに膝を擦りながらノソノソと彼のそばに寄った。
美紀「出来ました?…速いですね」
「この速筆もまた才能です。ほら、ご覧なさい。そして驚愕しなさい」
美紀「なんですか、そのキャラ……」
やたらと偉そうな顔を見せる彼にツッコミを入れつつ、そのノートを受け取る。そうして彼が文章を記したページをペラペラと捲り、少しずつ読み進めていく……。
ペラ………ペラッ……
美紀「せ、先輩っ……あの…これ……」
「読み終わりましたか?」
美紀「いや、まだ途中…ですけど………」
「じゃあ最後まで読んで下さい?ほんの数ページくらいですから」
美紀「は…はい………」
ほんの数ページというが、文章はページの上から下まで余す事なく書かれている。たったの十数分でよくここまで沢山の文字を書いたなぁという点に関しては感心するが、その内容が問題だった……。
美紀(もう…読みたくない……)
彼の書いた文章の内容…それは読んだ美紀は確かに驚愕した。彼がここまでの物を書くと予想してなかった彼女は顔を真っ赤に染め、今すぐノートを閉じたいと考えたが、最後まで読んでからじゃないと正当な評価も出せないだろう。仕方なく、最後の一行までそれを読み終え、美紀はノートを置いた。
パタンッ…
美紀「………はぁ」
「あまりの名作っぷりにため息しか出ないと?」
頬を染めたままため息をつく美紀を見て、彼は満足そうに笑う。確かに…美紀は今ため息をついた。しかしこれは彼の作品に心を奪われたからではなく、ようやくこの作品から解放されたと思っての…安堵のため息だった。
美紀「名作……?冗談も大概にしてくださいっ!!なんですかこれっ!?」
「いや…美紀さんの小説に恋愛要素を足してみたものですが…」
美紀「れっ、恋愛要素っ…??」
「あったでしょう?ほら、このページで…主人公である"彼"が、美紀さんに似た少女と裸で抱き合うシーンとか―――」
美紀「やり過ぎですっ!!!なんか描写も生々しいし…これじゃただの官能小説じゃないですかっ!!」
彼がそのページを開いて見せるが、美紀はそれから目を逸らして怒鳴り声をあげる。開かれたページでは主人公が美紀をモデルとした少女と裸で抱き合い、口にするのも恥ずかしい事をするシーンが描写されていた。
「大人の純愛ストーリーを書いたつもりだったんだけど……」
美紀「こんなに酷い小説は初めて見ました!だいたいっ…なんで先輩の相手が私なんですかっ!?」
「イヤですか?」
美紀「イヤですっ!!」
即座の否定…。彼は美紀ならそう答えるだろうと分かっていて意地悪したのだが、その破壊力を少しばかり侮っていた…。真正面、向き合ったままの状態で自分を否定されるのは、中々心にくる……。
「は、はっきりと言ってくれますね……」
美紀「あっ…ごめんなさい…。別に先輩が嫌いとか、そういう事じゃなくて………まぁ、今のでちょっと嫌いにはなりかけましたけど…」
ズキッ!!!
然り気無く呟かれたその言葉にはトゲがあり、彼の心をより一層
「ぐっ…!これからマジメにやりますから、どうかチャンスをっ…!!」
美紀「チャンスですか?ん~……わかりました。では、ちゃんとした…真面目なアドバイスを私にくれると嬉しいです」
彼の焦ったような表情を見た美紀は『ふふっ』と笑い、もう一度ペンを取る。美紀は何だかんだで彼の事を信頼しているため、その真面目な意見を聞きたいと思っていた。
「じゃあ……その、恋愛要素についてですけど」
美紀「まだそれを語るんですね……」
正直に言うと、美紀はこの小説に恋愛要素はいらないと考えていた。しかし、彼は退く事なくそれが必要だと言い張る。恐らく、自分の分身とも言えるこの小説の主人公に良い思いをさせてあげたい一心なのだろう。
「って言っても、今度は真面目な意見を言っていくつもりです。美紀さんに聞きたいんですけど、異性に対してドキドキした瞬間ってありますか?」
美紀「ドキドキ…ですか?そうですね……」
彼は恐らく、美紀の答えを小説に反映しようとしているのだろう。美紀はすぐにそれを察し、深く考え込む…。自分の経験なんかが小説の役に立つか分からないが、まぁ…さっきのような官能小説になってしまうよりはマシだ。
美紀(ドキドキか…。そういえば、最近ドキドキした事があったな……あれは、たしか……)
つい最近、胸の鼓動が高鳴り、身体が熱くなった出来事があった。それが何時の事か、どんな時だったかを思い出そうと記憶を
美紀(思い…だした………先輩の背中に乗せてもらった時だ……)
数日前、彼と一緒に帰ったあの時…。美紀は足を怪我してしまい、彼に背負ってもらった。足の怪我はほんの擦り傷なのに、わざわざ背中を貸してくれる優しさ、そして…顔を寄せた背中の温かな感触などにドキドキしたのを思い出す…。
「…なんかありました?」
美紀「いやっ…ちょっと待ってくださいね…。まだ、思い返している途中で…」
プイッと目を逸らし、記憶を思い返しているふりをする。実際はもう思い出せているのだが、彼には…彼にだけは言えない。自分がドキドキした事のある相手が、彼だったなんて…。
美紀(ほ、他にもっ…まだあるはず!ええっと……ええっと…)
彼との話だけは使えない…。そういえば、異性にドキドキした経験は他にもあった。この記憶なら使えるはずだと思った美紀はまた記憶を遡り、それが何時の事だったか思い返すが………。
美紀(ああ…思い出した……。先輩に…『美紀』って呼び捨てにされた時だ…)
思い出したドキドキの相手はまたしても彼であり、美紀はため息をつく…。他にはもう、異性にドキドキした瞬間などない。異性に対する二回のときめき…そのどちらも彼が相手だったとは…。
美紀(うそ…これじゃ……まるで先輩の事が………)
一度それを意識してしまうと、もう抑えられない…。さっきまでは彼の事を"仲の良い先輩"というようにしか見てなかったのに、今はもう、彼の顔を見るだけで胸の鼓動が高鳴る…。
「…美紀さん?」
美紀「は、はい………なんですか…?」
顔を俯けたまま、上目づかいで彼の事を見つめる。チラッと見つめているだけで直視している訳じゃないのに、それだけで胸がドキドキとした。
美紀(まだ…分からない…。ただの思い込みかも……)
もしかしたらと、心で思ってしまっているから…だから彼を見るだけで意識してしまうのだろう。どちらにせよ、こんな中途半端な気持ちを抱えたままの状態では彼と目を合わせる事すら出来ない。せめて、気持ちをハッキリさせよう…。
美紀「先輩…ちょっと………手を出して下さい」
「手を?えっと…はい」
美紀の目の前、彼の右手がそこに伸びる。美紀は顔を俯けたまま深呼吸し、彼の手を両手で包むように握った…。
ギュッ……
「っ…と………美紀さん?」
自分の右手が美紀の両手に包まれ、彼は照れたように微笑む。彼女の手は小さく、少しだけ冷たくて…やたらと心地よかった。
美紀「違います………美紀って、呼んで下さい…」
「……はっ?」
言った直後、美紀は彼の手をより強く握る。美紀は未だ顔を俯けており、その表情は垂れ下がった前髪に隠されていた。いつもと様子の違う後輩…それに戸惑った彼が困惑していると……
美紀「お願いっ……呼んで………」
「っ……」
小さく、震えた声で美紀が呟いた…。初めて聞く彼女の弱気な声や、握られた両手に込められた力……それに応えるべく、彼はそっと口を開く。
「…美紀」
美紀「………はいっ」
返事を返し、美紀は顔を上げる。少し恥ずかしそうにこちらを見つめる彼女の目は微かに潤んでおり、頬も真っ赤に染まっていた。美紀の女の子としての表情……そういったものを見ているような気がして、彼の鼓動も高鳴る。
美紀「やっぱり…美紀って呼ばれるのが良いです……」
「そう…ですか」
美紀「敬語もやめていいですよ…。私はあなたの後輩で、あなたは私の先輩なんですから…」
「……わかった」
手を握り合い、互いに照れ笑いしていく。これからもずっと先輩・後輩という、それだけの関係のままでいるはずだったのに、場の雰囲気に流され…異性として見つめ合ってしまう。
美紀「これまで、異性の方にドキドキした事が二回だけあって…その二回は、どちらも同じ方でした…」
「……そう」
美紀「はい…。そして今…私は三回目のドキドキを経験しています………」
彼の手を握る美紀の力が、更に強くなる…。最初は冷たかった彼女の手だが、今はかなり熱くなっていた。きっと、彼の手を握ってドキドキしているからなのだろう。
美紀「三回とも同じ人にドキドキしちゃうなんて……変ですよね?」
美紀は彼の目を見つめながら照れたように微笑み、首を傾けていた。そんな仕草の可愛らしさ……そして『三回とも同じ人にドキドキした』と言う彼女の台詞……彼はそれらに胸をときめかせ、嬉しそうに微笑んだ。
「僕も…今は結構ドキドキしてるかな」
美紀「ほんとですか?…なら、よかったです……」
自分の気持ちに気が付いた瞬間、美紀は彼にそれを伝えたいという衝動にかられる…。さっきまではただの先輩としか見ていなかった彼がやけに愛しく見えてきて、彼女は頬を真っ赤に染めながら…考えるよりも先に口を動かした。
美紀「先輩……私、もしかしたら………」
「…………」
彼の手を強く握りながら潤んだ瞳を向け、美紀は一言ずつ言葉を放つ。それらの言葉は彼を見つめていたら自然と出てきてしまい、止められなかった。しかし、このまま勢いに任せて気持ちを伝えてしまうのも良いだろう…。少しでも間隔が空いてしまったら、きっともう言い出せないから……。
美紀「あなたの…ことが………」
胸の鼓動が速くなり、微かに手が震える…。激しい緊張感と恥ずかしさに似た気持ちを感じながら、美紀が彼にそれを告げようとした瞬間だった。
『~~♪~~♪』
美紀「あ…っ…」
横に置いていたカバンの中から軽快なメロディが鳴り出し、美紀はハッとした表情を見せる。その音に慌てた美紀は彼から手を離し、そのカバンの中で音を鳴らしていた自分の携帯電話を手に取った。
美紀「ちょ…ちょっと失礼しますね…?」
「…どうぞ」
彼の許可を得て、美紀は携帯の呼び出しに応える。いったい誰からの着信だろう…。携帯を耳へあてる美紀を見つめてそんな事を思う彼だが、その答えはすぐに分かった。
ピッ……
美紀「…圭?なに?どうしたの?」
(ああ…また圭ちゃんか…)
美紀の言葉からその相手が圭だと知り、彼は『ふふっ』と笑う。この二人は本当に仲が良いのだなと実感したからだ。
美紀「…今いる場所?えっと……外…だけど…どうして?」
圭に自分のいる場所を聞かれたのか…美紀は然り気無く嘘をつく。一人で彼の家に来ている事を告げれば、彼女に勘違いされてしまうとでも思ったのだろう。
美紀「あ……うんっ、近く…かな。……わかった、すぐ行くよ…」
ピッ…
携帯のボタンを押して通話を終えた直後、美紀はスッと立ち上がる。彼がその様を不思議そうに見つめていると、彼女はテーブルの上に並べていたノート、筆記用具をカバンへとしまいだした。
美紀「あの…ごめんなさい。前から探してた本を圭が見つけてくれたようなので、ちょっと買いに行ってきます…」
「はぁ…なるほど…。じゃ、今日はもうサヨナラですか?」
美紀「そう…ですね……」
そのままスタスタと駆け出し、美紀は玄関へ向かう。さっきまでの事があるせいで気まずくなってしまったのか、彼女の態度が急によそよそしくなった気がする。そんな感覚を感じながらも、美紀を玄関まで送る彼だったが……。
美紀「しっ…失礼しましたっ…!」
「じゃあ、また学校で会いま――――」
ガチャッ!バタンッ!!
別れの挨拶を述べている途中なのに、美紀はそれを聞かぬまま外へと出ていってしまった……。彼女があの調子だと、学校でも顔を合わせにくくなってしまうかも知れない。
「……はぁ…まったく」
彼は一人ため息をつきながら、部屋へ戻ろうとして玄関に背を向ける。その時、彼の背後からガチャッと音が鳴り、閉じていた扉がゆっくりと開く…。その音を聞いた彼が顔を振り向けると、微かに開いた扉の隙間から美紀がこちらを覗いているのが確認できた。
「…忘れ物?」
美紀「いえ…ただ言い忘れてた事が…。またそのうち…遊びに来ますから、待っててくださいね?」
美紀は照れたように微笑みつつそれだけを告げ、そっと扉を閉める…。彼女の『また遊びに来る』という言葉が聞けただけでも互いの間にあった気まずい空気が消えたような気がして、彼はホッと一安心した……。
あとちょっと…あとちょっとだったんですがね…。
惜しいところで圭ちゃんからの着信があり、タイミングを逃してしまうという…(汗)
あと一歩で彼へ気持ちを伝えられたみーくんですが、彼女自身も最初はその気持ちに気付いていなかったのですね。しかし、よくよく考えてみれば彼を相手にドキドキした事が何度かあり……これはもしや、と思った訳で…。