胡桃「ん~~………」
狭い一室の中央、そこに置かれていた小さなテーブルの上で頬杖をついたまま退屈そうに唸り声をあげた後、胡桃はチラリと横を向く…。そこにはこの部屋の主であり彼女の恋人でもある彼がいたが、彼は雑誌をパラパラと捲るばかりでその視線に気付かない…。
胡桃「は~っ……あ~あ~…」
もう一度…今度はさっきよりも大きく声をあげ、また彼の方を見る。すると今度は流石の彼も胡桃の様子に気が付き、持っていた雑誌をテーブルの上へと置いてから視線を向けた。
「…退屈?」
胡桃「ま、そうだな。わりと退屈だ」
本当ならこれから外へ出て久しぶりのデートをする予定だったのだが、胡桃がこの家に来た瞬間に雨が降り始めてしまった。雨の中出掛けても楽しさ半減なので今日はお家デートをすることにしよう…という事になったのだが、いざ始めてみると何をしたら良いのか分からずに退屈な時だけが過ぎていく。これなら、傘を持って外に出た方がマシだったかも知れない。
「大切な彼女を退屈させちゃ悪いな…」
胡桃「ああ、悪い。だからどうにかして楽しませてみろ」
イタズラな表情をして『ふふん』と笑っている胡桃をどうにか楽しませたいところだが、いくら考えてみても良い案が思い浮かばない。胡桃もここに来はじめた当初は彼の飼い犬である太郎丸を相手にしてニコニコと楽しんでいたが、その太郎丸も今はぐっすりと眠ってしまっているようだ。
「どうしたもんかね…家の中で出来る事なんてそう多くないしな…」
そう呟いた後、彼はとある事を思い浮かべて胡桃を見つめる。
恋人関係にある彼女となら、家の中でもあんな事やこんな事を…。
胡桃「待て、お前の考えてる事は大体分かる。あれだろ……ちょっとエロい事考えただろ?」
「ちょっとというか、凄くというか……まぁエロい事には変わりないか」
胡桃「っ……ダメっ!!そういうのはその…もうちょい後っていうか、あたしが覚悟出来てからというか…」
胡桃はそっと静かに俯き、真っ赤に染まった顔を隠す。
その行動があまりにも予想通りのものだった為、彼は小さく微笑んだ。恥ずかしがりやの彼女なら、こうして顔を俯けると思っていた。
「ふふっ、まぁエロい事っていうのは冗談だよ」
胡桃「…本当か?なんだか怪しいとこだけどな……」
彼女から疑いの目を向けられ、彼の額に冷や汗が浮かぶ…。
"冗談だ"とは言ったものの、もし胡桃が乗り気になってくれたのならそのままやる事をやってしまっていただろうからだ…。疑いの視線を向けてくる彼女から逃れるように顔を横へと向けた彼は部屋にある時計が昼過ぎを指している事に気が付き、話題を逸らしていく。
「もう昼過ぎか…どうりで腹が空いてきたわけだ」
胡桃「確かに腹へってきたな…。何か作ろうか?」
「おっ、じゃあ頼むかな…。冷蔵庫の中身は適当に使っていいよ」
胡桃はニコッと微笑んでから立ち上がるとキッチンの方へと向かい、冷蔵庫の中身を物色しだす。この時、彼は彼女の背を見つめながらある事を思っていた…。"胡桃は…料理なんて出来るのか?"…と。
胡桃「え~っと……この辺は使えそうだな…。よし、これも使うか。あとはこの辺のヤツを適当に~……」
「…………」
食材選びに躊躇いが無いようだが、それがかえって不安を煽る…。
正直に言わせてもらうと胡桃に料理が出来るようなイメージは無いし、本人の口からそれに関する話題を聞いたことも無い。彼の抱いている不安はだんだんと大きくなっていったが、胡桃はそんなのお構い無しに食材選びを終えた。
胡桃「…よし!じゃあやってみるか!!」
とても良い笑顔でキッチンに立ち、選んだ食材の数々を並べていく。
彼女のように可愛い女の子がキッチンに立って自分の為に昼食作りをしてくれるなんて夢のような事だと思うのだが、どうにも不安が消えてくれない…。右手に握っている包丁も、彼女が手にするとただの武器にしか見えないのは何故だろう…。
(大丈夫……だと思うけどな)
少し心配になり、彼は胡桃の横へと移動していく。
大丈夫だとは思うが念のため、彼女が指を切ったりしないように見守っていようと思った。
胡桃「ん?なんだ、手伝ってくれるのか?」
「まぁ……そうだね」
胡桃「へへっ、ありがとな。けど大丈夫!そんなに手間のかかるもん作るわけじゃないから、あたし一人でパパッと終わらせるよ」
「…そう」
手伝いは不要…。
胡桃はそう言った後、数々の食材を切り始めていく…。
料理するイメージの無い彼女に包丁を握らせるのは結構不安だったが、始まってみると比較的安定感のある手つきで包丁を扱っていた。
「…………」
鼻歌混じりにリズム良く食材を切っていくその手つきは特別凄いものでもなかったが、かといって不安になるようなものでもない。平均か、それよりも少し料理の出来る娘…といった感じだ。胡桃がここまで出来る娘だとは思っていなかった…。彼がその様子を真横から眺めて目を丸くしていると、胡桃は包丁を握る手をピタリと止めて自慢気な笑みを浮かべる。
胡桃「…ふふん、意外そうな目だな?」
「そうだね、正直意外だった」
胡桃「あたしだって女の子だからな。このくらいの事はあっさりと――」
自慢気に、そして誇らしげな笑みを向けて語る胡桃だったが、少ししてその口を閉じて苦い笑みを浮かべていく。彼女は苦笑したまま彼の事を横目で見つめ、ほんの少しだけ恥ずかしそうに口を開いた。
胡桃「ま、本当の事言うと、ついこの前までは料理なんて全然出来なかった…。でもさ、やっぱり男って料理出来る娘が好きだったりするだろ?だからその……少しずつ、練習してたんだ」
彼女はそう言った後、『お前の為にな…』と呟く…。
あまりに小さな声だったので危うく聞き逃しそうになったものの、彼はその言葉をしっかりと聞いていた。
胡桃「えっと…だからさ、ここはあたしに任せてよ。その……出来るだけがんばるから、お前はゆっくり休んで待っててくれ」
「…ああ、分かったよ」
彼は胡桃の横を離れ、料理の完成を待つ。
彼女はこの日の為にコツコツと練習を重ねてきたのだろう…。
料理が上手かろうと下手だろうと胡桃を愛しているという気持ちに変わりはないのでそこまで気を使ってくれなくても良かったのだが、自分の家のキッチンに彼女が立っているというこの光景は確かにドキドキする。
胡桃「よし、お待たせ!」
少しして、彼女が料理を完成させた。
出来上がった料理は比較的簡単な物ばかりだったが、冷蔵庫の中にあった有り合わせの食材からこれが出来上がったと考えれば十分に良い出来だろう。それらの料理は見た目はもちろん味の方も悪くは無く、彼が『美味しい』と言うと胡桃は照れたようにニコニコと笑いながら箸を進めた。
胡桃「え、へへっ…。まぁ、お前がどうしてもって言うなら、これからも定期的に作ってやるよ」
「んん、楽しみにしてる」
二人はそのまま何気ない会話をしつつ昼食を食べ終え、片付けをしていく。それからの時間というのはなんともまったりとした時間だったが、ふと…胡桃が笑い声をあげた。これまた小さな笑い声だったが、彼女の横に座っていた彼はそれを聞き逃さない。
「どうかした?」
胡桃「えっ?いや、そのさ……こうしてお前の家で、お前のために料理を作ったりしてて思ったんだけど…」
真横から見ていると、胡桃の頬が段々と赤くなっていくのが分かる。
彼女は彼の事をチラチラと見つめながら赤くなった頬を指先で掻き、照れたようにして言った…。
胡桃「あたし、お嫁さん……みたいだなぁって……」
彼女の口からそんな言葉が出てくるとは思っていなかった為、彼の胸がドキッと高鳴る。胡桃はもっとガサツで男らしい娘かと思っていたが、付き合ってから日が経つにつれてそのイメージが少しずつ変わっていく…。こうして見ると彼女はとても女の子らしいというか……乙女なタイプの娘のようだ。
胡桃「…なんてな、冗談だ」
とんでもない事を言ってしまったと思ったのか、胡桃は真っ赤な顔のまま慌てたように視線を泳がす。あたふたとした様子で手をバタつかせながら額に浮かんだ汗を拭っていく胡桃はとても可愛らしくて、つい意地悪したくなる。
「胡桃ちゃんみたいに可愛い娘がお嫁さんになってくれたら、かなり嬉しいな。毎日幸せな時を過ごせそうだ」
余裕たっぷりの笑みを浮かべながら胡桃の肩に手を回し、ゆっくり顔を寄せていく…。すると予想通り、胡桃は赤かった顔を更に赤くして慌てだす。
胡桃「か、可愛いとか…そういうこと言わなくていいから!」
回した手で肩をギュッと掴み、胡桃の唇へと顔を寄せる…。
胡桃は相変わらず手をバタつかせながら小さく暴れていたが、互いの唇が触れ合うまであと数センチくらいの距離になった途端、一気に大人しくなって瞳を閉じていった…。
胡桃「ん…っ」
そっと唇を寄せ、軽いキスを交わす。
本当はもっと激しいキスを交わしたかったのだが、自宅に二人きりという状況でそんな事をしてしまったら抑えが利かなくなりそうだ…。だから彼は軽いキスだけで我慢して胡桃の頬を撫で、赤く染まったその顔をじっと眺める。静かに目を開いた胡桃は彼と視線を合わせるなり顔を俯け、微かに照れ笑いしていた…。
彼と胡桃ちゃんは良い感じに幸せな毎日を送っているようですが、このままだとバカップルになりそうです。…いや、もうなっている?(笑)