軌跡〜ひとりからみんなへ〜   作:チモシー

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第二話『特別な呼び方』

 

 

 

 

よく晴れた土曜日、時刻は昼を少し過ぎた辺りだろうか…。彼はとあるマンションへ訪れており、そのとある一室の部屋番号をしっかりと確認してからチャイムを鳴らした。

 

 

(…ここで合ってるよな?)

 

チャイムを響かせた後、ふと不安になる…。以前、由紀達と"彼女"の見舞いに来た時に訪れたのはこの部屋で合っているとは思うが、その記憶が正確かと聞かれると今一つ自信が持てない。

 

 

(……遅いな)

 

不安にな気持ちを感じながらそこに(たたず)む事約1分、いや…2分は経ったと思うが誰からの返事も無い。"彼女"は今日ここにいるハズなので、留守ではないと思う。なら、やはり部屋を間違えてしまったのかも知れない。そう考えた彼が一旦そこを離れようとした時、玄関の向こうからバタバタと騒がしい音が聞こえ、そのドアが『ガチャッ』という音を鳴らしながらゆっくりと開いていった。

 

 

 

慈「ご、ごめんなさいっ!待たせちゃったわね?」

 

「ああ、大丈夫ですよ」

 

ドアの向こうから顔を覗かせた"彼女"…佐倉慈を見て、部屋を間違えてはいなかったのだと一安心する。彼はニコッと微笑む慈に案内されて部屋の中へと足を踏み入れ、一足先に部屋の奥へ向かっていった彼女に代わり玄関のドア…そしてその鍵を『ガチャリ』と閉めた。

 

 

 

慈「外、暑くなかった?何か飲む?」

 

「じゃあお願いします」

 

彼が言うと慈はキッチンの方へ向かい、冷蔵庫を開いて飲み物を探す。彼はリビングに敷かれていたカーペットの上に腰を下ろしてその様を見守っていたのだが、こうして休日中に…それも部屋着姿の慈を見ているのは何だかドキドキとした。紫色の長髪を揺らす彼女はその髪色よりも明るいピンク色のモコモコした部屋着を着ているのだが、肘辺りまで袖のある上はともかく下の短パンはかなり短めであり、普段学校にいる時は見ることの出来ないムッチリとした太ももが晒されていた…。

 

 

 

 

「……………」

 

慈「えっと、お茶でも良い?今はこれくらいしかなくて…」

 

「えっ?あ、あぁ…全然大丈夫ですよ」

 

慈「わかった。じゃあ、コップ用意するから待っててね」

 

慈は冷蔵庫からよく冷えた茶の入っている容器を取り出すと、今度はそばの戸棚を漁って二人分のコップを探す。彼はその様子を……というより、その太ももをじっと見つめ続けていた…。

 

 

 

 

慈「はいっ、どうぞ」

 

「…ありがとうございます」

 

茶の注がれたコップを受け取った彼はそれを一口飲むと、そばにあった小さなテーブルの上に置く。真正面に座る慈もまた彼と同じようにそれを一口だけ飲んでからテーブルの上に置き、ニッコリと笑った。

 

 

 

慈「じゃあ…さっそく始めよっか…?」

 

「…いきなりですね」

 

慈の言葉を聞き、彼はため息を放つ…。そんな彼の憂鬱そうな表情を見た慈は軽い四つん這い状態になってカーペットの上を移動すると、彼の真横に腰を下ろしてまたニッコリと笑った。

 

 

慈「だって、やれる時にやっとかないと…後が大変でしょ?」

 

「いや…別にそんな事は…」

 

慈「大丈夫…。今日は私とあなただけだから、もし分からない事とかあっても、すぐに教えてあげる……。だから…ね?ほら、変に緊張しなくても平気よ…?」

 

そばで言葉を放つ慈の言葉を耳に受け、彼は再びため息をつく。もう、逃げ場は無さそうだ…。彼は覚悟を決めると、持ってきていたカバンの中にしまっていたそれらをテーブルの上へと置いた…。

 

 

 

バサッ…!

 

テーブルの上に置かれたのは学校で使っている教科書、ノート、そして筆記用具…。休日にこれらと向き合う事になった彼はまた一段と深いため息をつき、横に座る慈の顔を覗き見た。

 

 

「せっかくの休日なのに、勉強なんかしなくても…」

 

慈「けど、私の家にいても他にやる事なんてないし……。それに、ここ最近のあなたはまた成績を悪くしているから、ちょうど良いと思わない?」

 

「……思わないなぁ」

 

ボソッと呟くと、慈が苦い表情を浮かべながら気まずそうに笑う…。今日は彼と慈が付き合う事になってから初のデート…といっても、慈の家を使っての"お家デート"なのだが、その内容はほとんど個別授業…補習とかに近い。せっかくの初デートがただの勉強会と化した事にガッカリしつつ、彼は教科書とノートを開いていった。

 

 

 

 

(まぁ『教科書とノートを持ってくるように!』って言われた段階で、こうなる事は薄々読めていたがね…)

 

先日慈と交わした電話の内容を思い返し、もう一度深いため息をつく。自分と慈は"生徒と教師"という関係にあるので、付き合っている事が辺りに知れたら大変だというのは分かっている。だから大っぴらに外でデート出来ないのは仕方がないとは思うのだが、だからといって初のお家デートが勉強だけで終わるのは何とも物悲しい…。

 

 

 

「思ったんですけど、家の中で出来ることって勉強以外にも結構…っていうかたくさんありません?」

 

慈「えっ、そう…?例えば何かしら?」

 

「例えば………ほら、その……」

 

冗談半分、期待半分の眼差しで慈を見つめた後、彼は辺りをキョロキョロと見回す。落ち着きなく目線を動かす彼を見た慈は不思議に思い、首を傾げた。

 

 

 

慈「何か探してるの?」

 

「ええっと、寝室ってどこですか?」

 

慈「寝室?寝室なら、そこにある扉のむこ―――――」

 

そばにあった扉の一つを指差した瞬間、慈の眉がピクリと動く…。恋人同士が家の中で…寝室で…ベットの上でする事を思い浮かべてしまい、それこそが彼の言っている"家の中でも出来ること"の一つだと察してしまったのだ。

 

 

 

慈「~~~っ!!」

 

慈は一気に顔を赤く染めると、テーブルの上にあった教科書を手に取る。彼女は両手で持ったそれを振り上げると、彼の頭を何度もバシバシと叩いた。

 

 

慈「もうっ!もうっ!!!」

 

「んなっ!?い、痛いんですけど…!」

 

慈「変な事は考えないっ!!い、今は勉強に集中ですっ!!」

 

その顔を未だ真っ赤にしたまま脅しのように教科書を振り上げる慈を前に、彼は仕方なくノートを開いてペンを取る…。せっかくのお家デートが勉強で潰れるのは嫌だと思ったが、恥ずかしがりながら怒る慈を見られたのは中々貴重な経験だった為、これはこれでアリだと思った…。

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~

 

慈「さて、とりあえずはこんなところかな?お疲れさまっ」

 

1時間半~2時間ほど経った頃、慈が教科書をパタリと閉じながら終わりを告げる。教師と一対一という状況での勉強に緊張していた彼は何時にも増して疲労しており、持っていたペンをテーブルの上に落としながら深く息を吐いた。

 

 

 

「はぁぁっ……やっと終わった…」

 

慈「でも、思っていた以上にしっかり集中出来てたわね。学校でも、自分の家でも、このくらい勉強に集中すること!分かった?」

 

「はいはい…分かりました」

 

テーブル上に置いていたノートや筆記道具等をカバンの中にしまっていきつつ、慈へ返事を返していく。彼はそうしてから部屋の壁にかけられていた時計を見つめて今の時刻を確認したのだが…

 

 

 

(…まだ余裕があるな)

 

今の時刻は午後3時前…。

仮に5時までに家へ帰るとしても、まだ2時間の余裕がある。

 

 

 

「…もう少しだけ、ここにいてもいいですか?」

 

慈「別に構わないけど…ここにいても退屈じゃない?」

 

「大好きな佐倉先生のそばにいられるなら、それだけで幸せなんで…」

 

つい冗談っぽくニヤケた顔で言ってしまう彼だったが、その言葉自体に嘘はない…。特に何をする訳でなくとも、彼女のそばにいてその顔を見ているだけで…その声を聞いているだけで、とても幸せな気持ちになれるのだ。

 

 

 

慈「…あの、しつこいようだけど、本当に私が恋人で良いの?」

 

「はい、佐倉先生が良いです」

 

即答すると、慈は照れたように微笑みを浮かべる…。

彼が"生徒と教師"という関係を乗り越えてまで、自分なんかの事を選んでくれたのがとても嬉しかった…。

 

 

慈「…じゃあ、まずは呼び方をどうにかしないとね!学校ならともかく、二人きりの時くらいはその『佐倉先生』って呼び方はやめて欲しいわ。私達は恋人なんだから、もっと……それっぽい呼び方を……」

 

「それっぽい呼び方っていうと……『めぐねえ』とか?」

 

慈「う~ん…出来るなら、もう少しだけ恋人っぽい呼び方が……」

 

彼氏に『めぐねえ』と呼ばれるのはどうにもしっくり来ないらしく、慈は悩ましげな表情を見せる。可能なら、彼には自分の事を『慈』と呼んで欲しい…。そう思う慈だが、年下であり生徒である彼に呼び捨てで呼ばれたら、激しく動揺してしまうような気もしていた。

 

 

 

慈「じゃあ…『めぐみさん』って呼んでくれる?」

 

これなら恋人っぽい呼び方だし、呼び捨て程の破壊力もないから正気を保っていられる。慈はそう思っていたのだが……

 

 

「ええっと、めぐみさん?」

 

慈「は、はいっ…!?」

 

いざ彼にそう呼ばれると、自分と彼が恋人になった事を実感してしまい胸の鼓動が一気に高鳴ってしまう…。いくら"さん付け"されているといっても、慈をドキドキさせるには十分過ぎる破壊力だった。

 

 

 

「おぉ…顔真っ赤ですけど、本当にこの呼び方で良いんですか?」

 

慈「大…丈夫…だと思うっ!ええ、絶対に大丈夫っ!すぐに慣れると思うからっ…!」

 

「へぇ…。じゃあ改めて…これからよろしく。めぐみさん」

 

慈「は、はいっ…!よろしくお願いしますっ…!!」

 

どうにか返事を返す慈だが、その顔はとてつもなく真っ赤だ。ただ名前を呼ばれるのがそんなに恥ずかしい事なのだろうか…。彼がおかしそうに笑うと、慈もつられるようにしてクスクスと微笑んだ。

 

結局、この日は本当に何をするわけでもなく彼女とのんびりした時間を過ごした彼だったが、それから数日後……事件は巡ヶ丘学院高校で起きた。

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

慈「はいっ。じゃあ、今日の授業はここまでにします」

 

夕方…何時ものように終業を告げるベルが鳴り、慈はそれに合わせて授業を終える…。ここまでは本当にいつも通り、見慣れた光景だ。また、このあとも帰り支度を終えた生徒がカバンを持って教室から出ていくという見慣れた光景が続いたのだが……

 

 

悠里「先生、また明日」

 

由紀「めぐねえバイバ~イ♪」

 

胡桃「めぐねえ、また明日な~」

 

慈「はい、また明日…。って、めぐねえじゃなくて佐倉先生でしょ!」

 

と、由紀達にそんなツッコミを入れるのもまたいつもの光景。しかし、その直後の事だった…。由紀達と一緒になって教室を出ようとした彼が慈の目を見て口を開いた瞬間、事件は起きた…。

 

 

 

「めぐみさん、また明日」

 

慈「うんっ!また明日ね♪」

 

彼に挨拶された慈は無意識の内に笑顔を浮かべ、その手をパタパタと振る…。彼もまた小さく手を振り返しながら微笑んだのだが、それを間近で見ていた悠里と胡桃は目を見開いたまま二人の事を見つめていた…。

 

 

 

悠里「あら?」

 

胡桃「めぐみ…さん?」

 

慈も、そして彼も…悠里と胡桃が何故こんなにも不思議そうに自分達を見つめてくるのかがすぐに理解出来ない…。しかし次の瞬間には二人ともその違和感…やらかしてしまった事に気が付き、ハッとした表情を浮かべた。

 

 

(ッ…!!?し、しまった…!!)

 

ここが学校だという事を忘れてつい、彼女を『めぐみさん』と呼んでしまった…。それに気付いた瞬間、彼の額に汗がダラリと流れる…。しかし焦っているのは慈も同じようで、彼女の額にも嫌な汗が流れだしていた。

 

 

 

慈「も、もうっ!!あなたまでそんな悪ふざけして…!めぐみさんでもなくて、佐倉先生でしょっ!!?」

 

「あはは…佐倉先生をからかうのが楽しくて、ついつい……」

 

二人は咄嗟にごまかし合わせ、悠里と胡桃の様子をチラリと窺う…。

 

 

 

 

悠里「なんだ、悪ふざけだったのね?」

 

胡桃「あははっ。一瞬、お前とめぐねえが付き合ってんじゃないかって勘違いしかけたぜ」

 

慈「え、恵飛須沢さんっ!!」

 

胡桃「冗談だよ、冗談っ」

 

悠里と胡桃、そして由紀も『あはは』と楽しげに笑っていたが、そのそばに立つ彼と慈は苦笑いしか出来ない…。ほんの一瞬気を緩めただけで、自分達の関係が露呈(ろてい)しそうになったからだ…。

 

生徒と教師の禁断の愛…。

これを辺りの人間達に隠し通していくのがいかに大変で難しい事なのかという事を思い知ったこの日以降、彼は人前でまた間違えることのないよう…二人きりの時であろうが慈の事を『めぐみさん』ではなく『めぐねえ』と呼ぶ事にした…。

 

 

 

 

 




やっぱり教師×生徒という関係上、おおっぴらにはデート出来ませんからね…。めぐみアフターは基本、お家デートがメインとなるかも………と言いつつ、外でのデート回も普通に書くと思います(苦笑)

また次回も楽しんでもらえたら嬉しいです(^-^)

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