マミさんの歩く道に祝福がありますように ~やがて円環へと導かれる物語~   作:XXPLUS

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第一五話 マミさん、後輩を救うべく奮闘してる

 美樹さやかは、再び志筑仁美の呼び出しを受けていた。理由は――来れば分かりますわ、の一点張りだった。

 昨日、志筑仁美が提示した丸一日の猶予は、既に数時間前に過ぎていた。

 それを思えば、約束の時間が過ぎたことと、もう仁美も遠慮せず上条恭介に好意を伝えることの、改めての宣言なのかなと美樹さやかは思う。

 

 当然ながら、気乗りのする呼び出しではなかった。

 だから呼び出しの時刻を五分ほど過ぎて、ようやく約束の場所、噴水公園の入り口へ到着したのだが、そこから遠くに上条恭介と志筑仁美を認めて、足を止めた。

 そして、素早く木陰に身を隠した。幸い、見咎められてはいないようだった。

 

 

 

 

「どうしたの、志筑さん?」

 

 上条恭介も、美樹さやかと同様に理由を伏せたまま呼び出しを受けていた。

 時間より少し早く指定場所に訪れた恭介は、同じく時間より早く来ていた仁美とふたりきりで、要領を得ないまま待機を強いられていた。

 女性の前ということもあって態度や言葉に棘を持たせないように自制できているが、このまま時間が経つと自信はなかった。

 

「もう少し、待っていただけますか?」

 

 何度目かの言葉だ。同じ言葉を繰り返しながら、志筑仁美は何かを探すように視線をめぐらせる。

 

 ――さやかさん、どうしましたの? 本当によろしいのですの?

 

 育ちの良さから態度には出さないが、仁美もまた一向に現れないさやかを思い焦燥感に苛まれていた。本来は、ここでさやかと恭介を引き合わせて、告白させようという腹積もりであったのだが……。

 

 ――このままお見えにならないようですと、私、泥棒猫になってしまいますわよ?

 

 そう考えて、すぐに心の中で苦笑する。

 

 ――まぁ……泥棒猫未遂が関の山でしょうけど。

 

 これは、志筑仁美の自己評価が低いというわけではなく、志筑仁美の美樹さやかへの評価が高いというべきだろう。そして今回に限っては、その評価は正鵠を得ていた。

 当初の約束の時刻から三〇分が過ぎた。さやかを待つという目的のある仁美はともかく、理由も知らされず待たされる恭介のストレスはいかばかりか。それでも面に出さない恭介は、充分に紳士と呼んでいいだろう。

 さすがにこれ以上は、と志筑仁美も覚悟を決めた。

 大きく息を吸い、ゆっくり吐き出して心を落ち着ける。それを数度繰り返すと、仁美は恭介の瞳を直視して想いを告げた。

 

 

 

 

 

「ごめん、志筑さん。僕、他に好きな人がいるんだ」

 

 申し訳なさそうに頭を下げる恭介を遮って、仁美が明るい声を返す。

 

「いいえ。はっきり仰って下さって感謝しますわ」

 

 半ば以上予測していたことなので、ショックはなかった。仁美は少しはしたないと思ったが、好奇心に負けて口を開く。

 

「えっと、差し支えなければ……といいますか、ええと……さやかさん、でしょうか?」

 

 恭介の表情と顔色の変化だけで、仁美には理解できた。その理解の後に、ぎこちない動作で首肯する恭介を微笑んで眺めると、仁美は思考した。

 

 ――あらあら……。さやかさんのお祝いパーティを開かないとですわね。じゃぁ、親友の為に、もう一肌脱いでおきましょうか。

 

 その親友が先ほどまで遠巻きに様子を伺っていて、そして今はふたりの関係を誤解して走り去っていることなど知らない仁美は、能天気に善意を振りかざした。

 

「それで、上条君はさやかさんに気持ちを伝えるつもりですの?」

 

 土足で踏み込まれた恭介は、しかし不快感はおぼえなかった。照れるように頬を指で撫でると、えぇと、と前置きした上で応える。

 

「今さらなんだよね……さやかとはずっと友達みたいな付き合いだったから」

「そういう関係こそ、どちらかが勇気を出さないとずっとそのままですわよ。私が好きになった方は、告白も出来ないような意気地なしではないと、私、信じておりますわ」

「あはは……志筑さんとまともに話すのは初めてだけど、思っていたよりもくだけた人なんだね」

 

 暗に――いや、明確に恭介からの告白を推してくる仁美に、恭介ははぐらかす意味で話を逸らした。その意図は仁美にも理解できていたが、恭介の思惑に逆らわず話を逸れるに任せた。

 

「親しくない方はお堅いお嬢様と思ってらっしゃるようですけど……もしそうなら、さやかさんやまどかさんの友人は務まりませんわ」

「それはそうだね」

 

 ひとしきり声を揃えて笑うと、仁美は頭を下げて帰る旨を伝える。

 

「それでは、失礼いたしますわ」

「うん、また学校で」

 

 仁美の帰る方向は知らないが、同じ方向だった場合を考えて恭介は少し公園で時間を潰すことにした。

 仁美の後ろ姿を見送りながら、恭介は仁美に言われた言葉を思い返していた。

 

「ずっとこのままじゃ……ダメだよな」

 

 視界から仁美が消えたころに、恭介は右の拳を握りしめて呟いた。ちょうどその頃、仁美は自分の瞳が熱くなっていることを自覚した。

 

「あら……」

 

 半ば以上予測していたことなので、ショックはなかった――と自身は思っていたのだが、気がつけば涙が頬を伝っていた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 翌日、意を決して登校した恭介だったが、あいにくと美樹さやかの姿はなかった。

 その次の日も、さらに次の日も、会うことはおろか、携帯電話で連絡を取ることさえできなかった。あるいは自宅を訪ねれば出会えたのかもしれないが、気心の知れた仲とはいえ、女子の家を訪ねることに抵抗があった。

 

「風邪でもこじらせたのかなぁ」

 

 呑気に首を傾げる恭介をよそに、同じ頃美樹さやかは使い魔の結界の中にいた。

 

 

 

 

「ぶぅぅぅぅぅん!」

 

 使い魔は変声期前の少年を思わせる声で、エンジンの爆音を模した叫びをあげる。

 幼い声にふさわしく、使い魔は幼稚園児程度の背丈の子供に見える。

 だが、普通の子供ではない。髪も肌も服も、クレヨンで雑に塗られたような派手な色合いで、この世ならざるものであることを主張していた。その下半身は、やはり同様の彩色を施された飛行機――本物の飛行機ではなく、子供がペダルをこいで動かすような玩具だが――に埋もれている。

 

「ぶるるるぅん!」

 

 本来は陸上を這うことしかできない玩具の飛行機でも、自然の摂理に抗う存在故か、空中を自在に飛翔する。

 そして使い魔は両手から、ソフトボールのような球体を投下してきた。

 

 さやかは咄嗟にマントを翻して身を庇う。カーテンよろしく高速で横に走る純白のマントでボールを弾こうという腹積もりだが――

 マントに触れる直前、ボールは閃熱を発し、マント越しにさやかの肉を灼いた。

 

「――!」

 

 マントを支えていた腕に激痛が走る。

 さやかは後方に跳んで態勢を立て直すと、マントを背中に戻し腕の傷を確認する。左の肘から手首にかけてが焼けただれ、ところどころに水泡が浮かぶ有様だ。火傷の深度としては深めのⅡ度といったところか。

 

「ぶぅぅん!」

 

 傷付いたさやかを追いかけて飛行機が迫り、体当たりを仕掛けてくる。

 さやかは横に転がって突撃を躱しながら、癒しの魔法を左腕に集中させる。と、時間を遡行するように腕の傷が消えていき、さやかの腕は攻撃を受ける前の状態を取り戻した。

 美樹さやかは、他者を癒す奇跡を祈り魔法少女になった。それが故に彼女の固有魔法は治癒であり、魔法少女になって間もない現時点でさえ、その効力は一年以上の時間をかけて練り上げた巴マミの治癒魔法をも凌駕している。

 

「ばあああぁん!」

 

 無邪気な声に明確な悪意を込めて、使い魔は再びボールを投下してきた。だが同じ攻撃を無為に受けるほど彼女は愚かではない。手にしたサーベルを投擲し、ボールを空中で迎撃、四散させる。

 そして、新しく作り出したサーベルを両手持ちで構えると、上空を旋回する使い魔に向けて跳躍する。

 それを避けようと使い魔は大きく横に逸れる。さやかは虚空に魔方陣を出現させると、片足で魔方陣をを蹴り自身の身体を横に飛ばして使い魔を追った。

 本来の速さは使い魔も負けていなかったが、旋回のため速度を落としていたことが災いし、力技でベクトルを変えトップスピードを維持したままのさやかに追いつかれる。

 白刃が煌めいた。

 さくり、と抵抗なくサーベルが使い魔の頭部を薙ぐ。

 

「びぇぇぇぇぇん!」

 

 乳幼児がむずかるような、情に訴える声をあげる。

 しかし、さやかは眉ひとつ動かさずにとどめとばかりに胴を貫いた。

 

 

 

 

『やぁ、頑張っているようだね、さやか』

 

 結界が晴れ、現実世界の路地裏に戻った頃、キュゥべえの声が届いた。遅れて、変身を解いたさやかの足元に白猫に似たその姿が現れる。

 

『魔法少女になって間もないのに、たいした活躍だよ』

 

 さやかはキュゥべえに一瞥をくれると、言葉を返さずに歩き出した。

 手にソウルジェムを携え、パトロールを続行するつもりだ。

 

『どうしたんだい。いつも元気なキミらしくないじゃないか』

「マミさんたちとのこと、聞いてたんでしょ?」

 

 追いすがるキュゥべえに、振り返らずに言葉だけを返す。

 

『聞いていたよ。何が問題なのか分からない。君は志筑仁美を助けた。素晴らしいことじゃないか』

 

 喉を鳴らすような仕草を見せながらキュゥべえは語りかけるが、さやかはそれ以上は応えない。

 そのまま、静寂を保って歩を進める。信号をふたつ越えたあたりでキュゥべえが続けた。

 

『そうだなぁ。それでもキミが自分を許せず、正義の魔法少女として名誉挽回したいと思うなら、魔女や使い魔をたくさん倒すしかないんじゃないかな』

「そうすれば、またマミさんや杏子と一緒に戦えるかな」

『もちろん、彼女たちもキミを見直すに違いないよ』

 

 名誉挽回、見直す、と現状のさやかを否定する言葉を散りばめながら、キュゥべえはさやかの思い込みに太鼓判を押した。そして、それ以上の深入りを避けるように、先ほどから何度も届いていた呼びかけを今さらに伝えた。

 

『おっと、まどかからテレパシーだね、合流するかい?』

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 傷を受ける――癒す。

 傷を受ける――癒す。

 影の魔女――エルザマリアの執拗な攻撃に、美樹さやかは攻勢に出ることもできず、ただ傷を創り、癒す行為を繰り返していた。

 それほどに激しい攻撃だった。

 常に十を超える触手状の使い魔が、様々な角度から突撃を仕掛けてくる。躱しながらサーベルでふたつに薙いでも、影絵のような使い魔はプラナリアよろしく別たれた先でふたつの使い魔になる。

 魔女本体を攻撃しなければ、と思うものの、雨の様な使い魔の攻撃に動くこともままならない。

 使い魔一匹の攻撃なら、難なく躱しながら魔女に接近できるだろう。

 使い魔三匹の攻撃なら、多少の手傷を覚悟すれば魔女まで駆けれる。

 だが、十を超える数ではどうか。こうして近寄ることを行わず防御に専念しても、次々と傷が創られていく。移動すれば当然防御は疎かになる、そもそも生きて近付けるかどうか。

 埒が明かない、いや、魔力の消耗を考えると緩慢に敗北に近づいている、と美樹さやかは判断する。

 

 ――それよりはッ!

 

 心の中で痛覚遮断ダイアルを目いっぱいに回し込む。

 痛覚を最小化することは、即ち危険に対して鈍感になることを示し、戦いにおいては決して有利とはいえないが、今は選択の余地はなかった。

 攻撃を受けながら傷を癒し、魔女との間合いを詰めるしかない。

 さやかは決意するとサーベルを腰にためて構え、一気に駆けた。

 最小限度の防御だけを行い、速力を優先。

 頭を狙う使い魔の攻撃を、僅かに身体をずらすことで肩口で受ける。

 胸を貫こうとする攻撃を、サーベルで上腕に流す。

 首を噛み砕こうとする使い魔の顎に、自ら片腕を呉れてやり急所を守る。

 受けた傷はいずれも深かったが、彼女の治癒魔法はかすり傷を治すかのようにそれらを癒した。

 さやかの判断は奏功したと言っていいだろう。さやかが指呼の間に迫っても、影の魔女は祈りを捧げる姿勢を崩さず、無防備な背中を晒していた。

 もらった、とばかりにサーベルをかざして美樹さやかが跳ぶ。その刹那、魔女の背中が盛り上がり――

 

「――!」

 

 さやかは反射的に己の手前に魔方陣を生み、それを蹴って後方へ跳んだ。それと同時、魔女の背中を食い破って数十の触手が奔流のように迸る。

 後方へ跳んだことでカウンターでの直撃は避けたものの、空中で触手の攻撃を受けて背中から地に墜ちる。

 動きが止まったさやかに、魔女の触手と使い魔が好機とばかりに攻撃を集中させた。それは、瀕死の――あるいは絶命した獲物を集団でついばむハイエナの群れのような凄惨な責めだった。

 瞬く間に美樹さやかが毀される。

 下腹が食い荒らされ、はらわたが溢れ出る。

 四肢がいびつな角度で曲がり、骨が肉を突き破る。

 首の動脈が噛み千切られ、鮮血が零れる。

 痛覚を遮断していなければ幾度となくショック死していただろうと思われる状態で、しかしさやかの魔法はその全ての傷痕を着実に癒していた。そして、非現実的な光景を眺めるさやかの精神は冷えていった。

 

 ――なんだ、死なないんじゃん。

 

 はらわたが意志を持つかのように下腹部に戻り、骨が肉の中へ還る。

 

 ――ていうか、化け物じゃん、これじゃ。

 

 肉が傷痕を埋めていく。何もなかったかのような、柔らかで瑞々しい肌に。

 触手が、使い魔が繰り返しさやかを毀そうとするが、それ以上の速さで身体は修復された。何度も何度も毀される経験だけを、さやかに残して。

 さやかの口元が歪んだ。そしてくぐもった笑い声が漏れる。

 

 ――いつまで人の身体に好き放題やってくれてんだ、うざい。

 

 酷薄な笑みをその顔に貼りつかせると、攻撃をされるがままに、ゆらりと立ち上がる。

 そして、倒れ込むように身体を前傾させると駆けた。

 肉が削げる――癒す。

 骨が砕ける――癒す。

 眼球が爆ぜる――癒す。

 臓物が破裂する――癒す。

 さやかの口から哄笑が溢れた。最初からこうやれば良かった、自分は狩人で魔女は獲物でしかないんだ、そう思うと嗤いを堪えられない。そんなさやかの驕りに報いを与えるかのように、彼女の左胸を魔女の触手が貫いた。

 

 心臓が、潰れる――さやかの目が見開き、左の乳房の膨らみの根元を貫く触手を見やる。

 潰れた心臓はもはや身体に血液を送れない。

 血液がなければ人の身体は動かない――それがどうした、とばかりに魔力が働く。

 心臓がよみがえり、欠乏した血液を再生する。致命の一撃だったが、治癒の魔法はそれすらも癒した。

 

 いかなる感情を込めてか、さやかの哄笑が大きくなった。

 なおも駆けて魔女に接触すると、サーベルで滅多刺しにする。抵抗する魔女の攻撃を全て受けて、しかし意に介することなく五月雨に斬る。

 やがて、魔女はグリーフシードを残して、その痕跡を消した。

 

 

 

 結界が消え、月明かりが照らす現実世界に戻ったさやかは、倒れそうになったところを結界外で待っていた鹿目まどかに抱きとめられた。

 

「さやかちゃん!」

『お見事だね、さやか。連戦連勝じゃないか』

 

 まどかの足元に鎮座するキュゥべえが、ふたりに聞こえるように労いのテレパシーを飛ばす。さやかは半ば眠るような力のない瞳でキュゥべえを見やると、ゆっくりと口を開いた。

 

「ねぇキュウべぇ、どれだけ倒せば、いいのかな……」

『それを決めるのはボクじゃないよ。ただ、キミの頑張りはボクからも伝えておくよ』

「ありがと……」

『礼には及ばないよ。魔法少女に付き従い導くのがボクの役目だ。キミのようにひたむきに頑張る魔法少女と一緒にいられて光栄なくらいさ』

 

 明るい声で応えると、キュゥべえは煙のようにかき消えた。もちろん、さやかの頑張りをマミと杏子に伝えに行ったわけではない。

 まどかは、自分にもたれかかり放心しているさやかを見つめる。目立った外傷はないが、とてつもなく疲弊している雰囲気が感じられた。それをまどかは、精神的なものと受け取った。

 

「さやかちゃん、こんなになるまで戦って……無理しちゃだめだよ……」

「無理しなきゃ勝てないんだ」

「でも、これじゃ勝っても……」

 

 さやかは、先ほど行った戦い方が誉められたものではないことを自覚していた。それだけに、まどかの言葉が自分を責めているように感じられ、苛立ちをおぼえた。

 実際は結界の外で待っていたまどかには、さやかの戦い方を知る由もなく、責めることすらできないのだが。

 

 ――好きであんな戦い方をしてると思ってんの?

 

「だったらあんたが戦ってよ」

 

 親友を非難する言葉が、口から漏れた。

 

「あんた、あたしどころかマミさんや杏子より才能あるんでしょ。なのに街を守って戦うのは人に押し付けて自分は高みの見物?」

「さやかちゃん……」

 

 苛立ち任せの言葉だったが、それは鹿目まどかの負い目を突くと同時に、まどかに美樹さやかの疲弊を正しく伝えた。

 

 ――そうだ。マミさんたちに迷惑かけるかもだとか、わたしじゃ無理だとか、どうでもいいんだ。さやかちゃんが苦しいんだから、一緒に苦しんであげれば。

 

 鹿目まどかは、美樹さやかとの過去を思い出していた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 最初にふたりが会ったのは、幼稚園の頃だった。

 当時の鹿目まどかは問題児だった。年齢を鑑みても過剰なまでの甘えん坊で、母が手を握ってあげなければお昼寝も出来ないという有様だった。

 当然ながら幼稚園には母はおらず、まどかはお昼寝の時間はぐずったり、大泣きしたりで先生を困らせていた。

 先生が手を握ってくれることもあったが、母でなくては不安なのか効果はほとんどなかった。

 

 ある時、隣のクラスの美樹さやかが、まどかのクラスにやってきた。

 さやかは、まどかとは異なり正統派の問題児で、暴れたり悪戯をしたりで先生を困らせていた。

 この日も、お昼寝の時間に自分のクラスを抜け出して、冒険気分でベランダを伝ってまどかのいるクラスにやってきたのだった。

 クラスの隅でぐずっている鹿目まどかに興味を抱き、とてとてと近寄った美樹さやかは、まどかの頬を仔猫の肉球を思わせる柔らかな手で軽く叩いた。叩かれる度にぐずる声を大きくしたまどかは、やがて涙をこぼすと大声で泣き喚いた。

 さやかには悪意はなく、まどかの頬のお餅の様な感触が気に入って叩いていたのだが、まどかが大声で泣き出したことで、何故か自分も悲しくなった。まどかに続いて、さやかも大声で泣き出した。

 並んでふたりで大声で泣いたが、いつもの事と先生はなかなか現れなかった。

 

 大きな鳩時計の秒針がゆうに十回以上廻ってから現れた先生は、泣き疲れたらしい鹿目まどかと美樹さやかが手をつないで仲良さそうにお昼寝をしている光景に頬を緩めた。

 翌日から、さやかはお昼寝の時間になるとやってきて、まどかの手を握ってお昼寝をするようになった。不思議とさやかと手をつなぐとまどかも安心するようで、ぐずることはめっきりなくなった。

 先生がさやかの越境を黙認したことで、卒園までまどかはお昼寝の時間にぐずることはなくなった。

 

 

 ――そういえば、どうしてさやかちゃんがいると、安心して眠れたんだろう。

 

 

 

 

 そういった経緯で友達になったふたりは、小学校にあがってからも毎日のように一緒にいた。

 まだ低学年の頃の初夏。

 仁美も加えて三人で仲良しトリオを結成していたまどか達は、プール開きの日を指折り数えて楽しみに待っていた。待っていたのだが、寝坊して慌ただしく家を出たまどかは、水着を忘れてきてしまったのだった。

 情けない声でその事を告げるまどかに、さやかと仁美は「またか」という表情で苦笑いを見せた。

 

 意気消沈してプールサイドの木陰で見学しようとするまどかの横に、普段着のさやかが現れた。

 

「やー、あたしもさ、水着忘れてたわー」

 

 そういって手櫛で髪をくしゃくしゃにして笑うと、まどかの横に座り込む。あっけに取られて言葉を紡げないまどかの頭に手を回すと、まどかの髪までくしゃくしゃにする。

 

「もう、さやかちゃん」

「あたしもまどかのこと馬鹿にできないねー」

「……ほんとだよっ」

 

 反撃とばかりにまどかもさやかの髪を狙うが、体格も良く反射神経も優れているさやかの防御に手が届かない。

 

「むー」

 

 しばらく挑戦していたまどかだが、悔しそうな声を漏らして諦めたように手を戻すと、プールの方に向きなおして「ごめんね……」と呟いた。その声がちょうど終わる頃、水着姿の仁美が水滴を垂らしながらふたりの傍にやってきた。

 

「ちょ、ちょっと風邪っぽいので、先生に見学の許可を頂きましたわ」

 

 明後日の方向を見て告げる仁美に、さやかは破願して返した。

 

「その顔色で何が風邪なのよー。サボリだなー」

 

 その指摘に、風邪といっても通用する程度に顔を赤らめると、仁美も顔を綻ばせた。

 

「さやかさんこそ、朝プールバッグを嬉しそうに抱えてましたわよね?」

「ふたりともゴメンね……」

 

 視線を落とすまどかを励ますかのように、さやかがまたまどかの髪をくしゃくしゃにする。つられて、隣に腰を下ろした仁美も反対側からまどかの髪を弄ぶ。仁美のまだ湿った指で髪が濡れるが、まどかには気にならなかった。

 

「じゃぁ来週、三人でプール開きだね」

「私はシャワー浴びただけですから、セーフですわよね……?」

「うん、セーフだよ仁美ちゃん」

 

 ――さやかちゃんも仁美ちゃんも、優しかったなぁ。

 

 

 

 他にも、ガキ大将がまどかをいじめた時――正確には、幼い愛情表現だったのだろうが――に、本気で立ち向かってくれたこともあった。

 女子としては体格の良かったさやかでもガキ大将には勝てなかったが、ガキ大将が呆れてしまうまで、いつまでもいつまでも諦めずに戦ってくれた。

 

 ――わたしは、ただ怖くて見てるだけだったんだっけ。

 

 

 

 母が記念日に買ってくれたオモチャの指輪。

 幼い鹿目まどかはそれを大切にしていたのだが、三人で小川遊びをしているときに、紛失してしまった。日が暮れるまで三人で探したのだが、小さな指輪は出てこなかった。

 

「もう、あきらめて帰ろう?」

 

 と言いだしたのは当のまどかだった。夏とはいえ、日暮れの遅い時間まで小川に浸かりっぱなしで、友人たちの身体が心配だったからだ。友人ふたりはすぐには首を縦に振らなかったが、暗くて探すのが不可能、という時間になってようやく諦めてくれた。

 

 翌日、三人の中で一番体の弱いまどかは、風邪をひいていた。

 その日のお昼前に、さやかが家を訪ねてきた。

 

「やー、やっと見つかったよー」

 

 満面の笑みで告げ、ベッドに横になっているまどかに指輪を差し出した。聞けば、朝早くから探しに行って、ようやく見つかったのだという。

 涼しくてちょうど良かったと笑うさやかに、まどかは言葉が詰まり満足にお礼も言えなかった。

 小川で石にでも当たったのか、リングの部分が少し欠けていたが、それさえも誇らしいものに見えた。

 そうしてさやかが見舞いがてら部屋にいると、仁美も訪ねてきた。

 

「たぶん、同じものだと思うのですが……」

 

 おずおずと、彼女は真新しい指輪を差し出した。まどかに見せてもらった記憶を頼りに、見滝原のお店を回って見つけてきたのだという。それは確かにまどかが失くした指輪とまったく同じものだった。しかし、さやかが見つけてきた指輪をまどかの指に認めて――、

 

「あ、あら。それじゃぁこれは不要ですわよね……」

「ううん」

 

 指輪を片付けようとする仁美を、ベッドから手を伸ばしてまどかは制した。

 

「両方つけたいから、もらってもいい?」

「え? ええ、もちろんですわ」

 

 笑うと、まどかは隣に指に真新しい指輪をはめた。そして照明にかざすようにして、ふたつの指輪を輝かせる。

 

「ふたりとも、ほんとにありがとう」

 

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 ――なんか、思い出すとわたしが迷惑かけてばっかり……な気がする。

 

 まどかの顔に苦笑が浮かんだ。状況に相応しくない表情の変化にさやかが怪訝な顔を見せると同時、まどかは静かな声で宣言した。

 

「わたし、なる。さやかちゃんと一緒に戦う」

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