マミさんの歩く道に祝福がありますように ~やがて円環へと導かれる物語~   作:XXPLUS

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第一八話 マミさん、幼女と戯れる

 巴マミは夢を見ていた。

 きっと夢だろうと、巴マミ自身は思っていた。

 見覚えのない砂浜に、もういないはずの両親とビーチパラソルの下でくつろぐ自分。

 すぐ隣のビーチパラソルには、これももういないはずの、佐倉杏子の両親と妹。日に焼けた砂浜に他に人影はなく、広がる青い海にも何者もいない。

 

 マミは自らの格好を把握する。ホルターネックタイプの黒のビキニトップス。下半身は黒のビキニショーツの上から、黒を基調に黄色の縦ラインが入ったトレンカ。それと淡い黄色のパーカータイプのラッシュガードを上に羽織っている。

 ちょうど一昨年の夏に家族で海に来たときの水着だ。髪もその時と同じく、ストレートに下ろされている。

 ビキニは上下ともに飾り布のないシンプルなもの。一昨年時点で年齢不相応に育った乳房をできるだけ目立たないように、という意図で選んだ水着だったが、結果的にはそのシンプルさが彼女の魅力を引き出す形になっていた。

 

 マミのすぐ横で、面識のないはずのマミの両親と杏子の両親が歓談している。

 途切れ途切れに聞こえてくる話の内容が、自分を肴にしているものだと理解したマミは、居心地の悪さを感じてパラソルの下を抜け出た。大人の会話が理解できず退屈していたであろうモモが、その後を追う。

 

「マミおねえちゃーん」

 

 とてとて、と危なっかしい足取りで駆けてくるのはワンピースの水着を着たモモだ。振り返ったマミはモモの姿を認めると足を止めて彼女を待った。

 

「おーいつーいたっ」

 

 倒れ込むように飛びついてくるモモを両腕で受け止めると、自分の目線の高さまでモモの身体を持ち上げて顔を綻ばせた。

 

「追いつかれちゃったー」

「おねえちゃん、あそんでー」

「うん、遊ぼっかー」

 

 屈託のないモモの態度と笑顔が心地好く、マミは心の中を涼風が吹き抜けていくような感覚をおぼえていた。知らず、選ぶ言葉や語尾がモモに引っ張られて幼くなる。

 

「なにして遊ぶー?」

 

 マミの問いかけにモモは「んーと」とたっぷり一分は繰り返した後「おえかき!」と宣言した。

 

「おえかきとゆーとー」

 

 モモを抱きかかえたまま波打ち際へ向かったマミは、折よく打ち上げられていた手頃な枯れ枝を拾い上げる。そして鼻歌まじりに枯れ枝を適当な長さに手折ってモモに持たせた。

 マミの腕の中から飛び降りるようにして砂浜に立ったモモは、濡れた砂をキャンパスに色々な作品をマミに披露した。

 

「これはねー、ねこさんー…………これは、ちょうちょー」

「次は私が当ててみちゃうわね。これは……おくるま?」

「ぶぶー、しょうぼうしゃー」

「あら、間違えちゃったー」

「あとね、これはあいあいがさー」

「わ、モモちゃんそんなの知ってるんだ。すごいねー」

 

 てっぺんにハートを頂いた傘の下に、たどたどしい字でモモとマミの名が刻まれる。きっとそれくらいしか書ける名前がなかったんだろうなと納得しつつ、それでも少し声を弾ませるマミ。

 

「あらあら、モモちゃんは私のお嫁さんになってくれるの?」

「ちがうよー。マミおねえちゃんがモモのおよめさんになるのー」

「そうなんだー。もらってくれる人がいるなんて、嬉しいなー」

 

 顔を見合わせて笑っていると、午後になって満ちてきた波が相合傘を少し欠けさせる。白い泡を生んでは消しながら、幾たびも波が押し寄せて、少しずつ傘を欠けさせてゆく。

 

「波、きれいねー」

「うん!」

「次はなにしよー?」

 

 マミの問いかけにモモは「んーと」と相合傘が完全に消えるまで繰り返した後「すいかわりー!」と宣言した。

 

 

 

 都合よく用意されていた西瓜を砂浜に置き、これも都合よく用意されていた木の棒をマミは両手に持った。そして黄色のリボンを生み出すと、瞳を覆うように顔に巻いて目隠しとした。

 

「じゃぁモモちゃん、案内よろしくねー」

「はーい」

 

 モモの舌足らずな誘導に従ってマミが砂浜をゆっくりと歩くと、砂がきゅ、きゅと小動物の鳴き声のような音をさせた。時折爽やかな風が吹き、マミの黄金の髪を持ち上げては散らす。

 心地好い、とマミは思った。目隠しで少し暑苦しく感じるが、この風が滲みかけた汗をひっこめてくれる。

 

「えい!」

「はずれー。ばつげーむ、じゅっかいぐるぐるー」

「えー、五回じゃだめ?」

「だめー」

 

 その場で回転することで、それまでの位置情報をリセットするのかな、と西瓜割りの経験のないマミは想像する。そして、小さく溜め息をつくと「わかりました」と応える。

 諦めたマミがフィギュアスケートのスピンのようにその場で旋回をして見せると、モモは手を叩いて喜んだ。

 このスピンが見たいからというわけではないのだろうが、実に十回以上モモの誘導は失敗し、その度にマミは砂上でスピンを披露した。

 

「モモちゃん、まじめに誘導してくれてるー?」

「してるよー」

「ほんとかなー?」

「ほんとー」

 

 その言葉が嘘でないことを証明するかのように――または指摘されたのでようやく真面目に誘導したのかもしれないが、次のマミの一撃は見事に西瓜を捉えた。ずしりとした鈍い手触りと、ぱかんといった間の抜けた音が、西瓜が割れたことをマミに伝える。

 

「あったりー」

「ふふ、ようやくね」

 

 熱気のせいというよりはスピンを何度も行ったために噴き出した汗を手の甲で拭い、次いでリボンの目隠しをほどく。

 

 

 

 目を開いたマミが見たのは、頭部を砕かれて横たわる女性たち――かつて倒した魔女の特徴を色濃く見せる少女たち――だった。

 まるで、リボンの目隠しが視覚のみならず嗅覚、聴覚まで遮断していたかのように、鉄くさい血の臭い、彼女らが漏らす怨嗟の呻きが、突然にマミに届いた。

 一瞬マミの思考が麻痺する。

 しかし、明晰な彼女の頭脳は、次の瞬間には事実を把握してしまう。

 

 ――そうだ、この光景は私の生きてきた道そのものなんだ。

 

 街のみんなを守る、悪い魔女を倒す、そんな聞こえのいいお題目で目隠しをして、魔法少女がなんなのか、魔女がなんなのか、知ろうともしないで目と耳を閉ざして。その結果、善意をかさに人を殺めて、その屍の上で……。

 

「おねえちゃん!」

 

 モモの呼ぶ声で、マミはその幻視から解放された。胃液を逆流させる嫌な臭いも、神経を鷲掴みにするような呪いの声も、瞬時に消え去った。それらが消え去ったからといって、マミの心が晴れやかになるわけではないが――

 

「おねえちゃん、どうしたのー?」

 

 モモの明るい声が、マミの心を軽くする。マミは一度頭を振って幻を追い出すと、顔を綻ばせて応えた。

 

「なんでもないよー」

 

 

 

 

 

 

 パラソルに戻り、いびつに砕けた西瓜を綺麗に切り分けると、ふたりは西瓜を手に並んで座った。

 

「モモちゃん、種はここね」

「はーい」

 

 マミが差し出したタッパに、モモは器用に種だけを吐き出す。そして、種をスプーンで取り除いているマミを不思議そうに見て、どうして口からペペって出さないのかと問いかける。

 

「んー、私、それへたっぴーだから」

 

 適当な言い訳で納得するモモをよそにスプーンで果肉をえぐるマミだったが、丸くえぐられた部分にたまった果汁に先ほどの血を連想し、口元を抑えた。甘く水っぽいはずの西瓜の香りが、嫌な鉄の臭いのように感じられる。

 マミの口から嗚咽が漏れ、瞳から涙が溢れた。

 

「どうしたのー?」

 

 心配そうに覗き込むモモの顔が視界いっぱいに広がり、マミを現実に引き戻した。西瓜とモモの甘い香りが鼻腔をくすぐるのを実感すると、マミは目尻を拭いモモの頭を撫でた。

 

「なんでもないの」

「ないちゃダメなんだよ。しあわせがにげてくって、杏子いってたもん」

「そか、そうだよね」

 

 頷きながら、マミは自問していた。逃げていくような幸せが、魔法少女になってからの私にあるんだろうか、と。

 

 ――ううん、ある。いま目の前に。杏子ちゃんやモモちゃんと逢えたのは、とっても幸せなことだわ。

 

 マミは、もう一度モモの頭を撫でると、西瓜の果実を口に含んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「モモねー、あそこいきたいー」

 

 西瓜を平らげてげっぷを漏らしたモモが指差したのは、沖合いに見えるテニスの審判席のような監視塔だった。

 波打ち際から二〇メートルほどだろうか、マミで足が届くか微妙なところだろう。

 

「危ないから、浮き輪してならいいよー」

「うん、するー」

 

 マミはいつの間にか持っていた幼児用の腕輪型浮き輪を両手に持つと、すぼめた唇を空気孔にあてがう。そして瞳を伏せると、音を漏らすこともなく息を吹き込んだ。

 マミの形のいい乳房が上下する度に、浮き輪は膨らんでいく。充分に膨らませた後に手触りで張りを確認すると、マミはモモの両腕に浮き輪を通した。派手な赤色にキャラクターのイラストが入ったもので、モモはキャラクターの名前を連呼して喜ぶ。

 

「モモちゃんは泳ぎは得意?」

「とくいー」

「おー、すごいねー」

 

 マミもパーカーとトレンカを脱ぎ捨てて黒のビキニだけの姿になると、準備体操よろしく大きく伸びをする。

 

「じゃぁ、手をつないで行きましょうかー」

「はーい」

 

 足の届くマミが沖を背にして後ろ向きに歩き、モモを片手でエスコートをする。そうしているだけで、七割程度の距離まで至った。

 できるだけ波を抑えるように、マミは片腕を横に広げて背と腕を堤のようにするが、やはり充分ではなく、時折波がモモの顔を洗う。だがモモは水に慣れているのか、顔に波を受けても平然とし、うまく息を止めて水を飲まないようにしているようだった。

 マミが誉める言葉を口にすると、嬉しそうに笑顔を作ってみせる。

 そのうちに足が届かなくなると、マミは少し身体を後ろに傾けた姿勢で立ち泳ぎに切り替える。水面から隆起するように浮かぶ乳房に、モモは興味を持ったのか、水を手ですくってかける。その飛沫が顔にかかるのも構わず、マミは微笑みを浮かべてモモを眺めていた。

 

 

 

 

 

「とうちゃーく。登れるかな?」

 

 スライダー部分のない滑り台といった構造の監視塔に取りつくと、マミは足を水面下の鉄パイプに乗せて一息をついた。波を受けるパイプの錆び具合から、もう数センチ水位は上がるのだと類推できる。

 水面から高さ二メートル程度にあるシートまで、スチール製のはしごで登る形になっている。監視塔の役割上、使用者は大人を想定しており、一段一段の段差は大きめだ。

 難しければ背負って登ろうかとマミが提案すると、モモは喜んでマミの背中にしがみついた。

 

「ぎゅーってしてねー」

「はーい」

 

 口でぎゅーっと言いながら、モモが短い四肢をマミの身体に絡ませる。言葉の割に力が弱いことに苦笑すると、マミは片手をモモの抑えに回してはしごをゆっくりと登った。

 一段登るごとに、マミの黄金色の髪や白魚のような指先、黒のショーツの横結びの紐から水滴が落ちては水面に波紋を作る。

 生まれた波紋は円状に広がり、魔方陣のような模様を描くと波に打ち消されていく。

 七度、魔方陣が波に飲み込まれた後に、ふたりは監視塔のてっぺんまで辿り着いた。座席は大人の男性が余裕を持って座れるサイズのものであり、マミとモモは並んで腰をおろす。

 

 

 遠くに見える島や船を指差して、あれは何々と自慢気味に説明するモモの言葉に、マミはその都度大きく頷いて感心する。

 指差し確認をひとしきり行うと満足したのか、モモはマミに身体を預けるようにして、うとうとと船を漕ぎ始めた。

 マミは少し身体を開いてモモを抱く様にし、背中を鉄パイプに預けて自らも瞼を閉じる。

 暖かい陽光に、濡れた肌を優しく撫でる風、子守唄の様に一定のリズムで音を刻む波、どれもがマミを穏やかな気持ちにさせた。

 そしていつの間にか、マミもまどろむように浅い眠りへ誘われていった。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 まどろみの中で甘い夢を見ていたマミは、モモの悲鳴で現実に引き戻された。

 気付くと、隣にいるはずのモモの姿がない。監視塔のシートから腰を浮かし周囲を伺うと、少し離れたところに、モモがしていた赤い浮き輪が波間に漂っているのが見えた。

 

「モモちゃん!」

 

 声に出して呼ぶと、マミの脳裏に再びモモの助けを呼ぶ声が届いた。

 次の瞬間、マミは身体を監視塔から躍らせる。舞った身体はきれいな伸びの姿勢で着水し、水面に飛沫をあげた。

 深い。

 先ほどはせいぜい水深二メートルといったところだったが、今は底が見えない。

 マミは浮き輪が浮いていた方向を目指して潜水しつつ、周囲に目を走らせる。

 

 ――いた!

 

 遥か下方に、助けを求めるように手を伸ばすモモの姿を認めたマミは、揃えた脚を一枚のヒレのようにしならせて水を蹴る。ひと蹴りごとに彼女の身体は勢いを増し、モモとの距離を詰めた。豪奢な黄金色の髪を広げ、肉感的な身体をさらして水中を駆けるその姿は、さながら神話に語られるセイレーンのようだ。

 

「マミおねえちゃん、たすけて!」

 

 はっきりした声がマミの脳裏に響いた。

 マミが手を伸ばすと、モモはそれをしっかりと掴み返す。その柔らかな手応えにマミの心が一瞬弛緩するが、すぐに引き締めなおす。

 

 ――まだ気を抜いちゃだめ、ここから水面までモモちゃんを連れて行ってあげないと!

 

 幼い少女を片手に、マミは浮上すべく水を蹴る。

 ひと蹴り、ひと蹴りと加速する。その度に、モモの声に怯えの色が濃くなり、やがて絶叫のようになる。

 

「たすけて! たすけて!」

 

 大丈夫、と表情で伝えるべく振り返ったマミは、視界に映るものに息を飲んだ。

 モモを掴む≪枯れ枝のようなしわがれた腕≫、水に広がる≪色も脂気も失った屑糸のような髪≫、自らの身体を包む≪古ぼけた灰色の長衣≫、これではまるで――

 刹那、雷が落ちたかのような衝撃とともに、マミの認識する上下が反転する。すなわち、モモを深部へと引きずり込むように泳いでいることを彼女は認識する。

 これではまるで――

 

 ――魔女が獲物を引き込んでるみたいじゃない……。

 

 マミが、至った思考に絶望するよりも早く、声が轟いた。

 

「モモ!」

 

 つんざくような声だ。マミは声の主を視界の端に認めた。

 

 ――あぁ、杏子ちゃん来てくれたんだ。良かった、これでモモちゃんは大丈夫ね。

 

 満足げに笑うと、マミはモモの手を離した。そして、感謝の言葉を紡ぎ、海底まで沈み散るべく全身の力を抜いた。

 

 ――モモちゃん、最後に遊んでくれてありがとうね。

 

「マミさんも! しっかりしてよ!」

 

 沈んでいこうとするマミの手を杏子が乱暴に掴む。そして、マミとモモのふたりを引っ張ったまま、水面まで浮上した。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 モモを監視塔のシートに座らせると、マミと杏子ははしご状のパイプのうち、波が来るたびに見え隠れする位置にあるものを選んで腰をかけた。

 水に濡れたため、マミの黄金色の髪も、杏子の茜色の髪も、背中に張り付く様に広がっている。

 マミは髪を一束、手に取って確かめる。そこには見慣れた艶のある黄金色の髪が陽光を受けて煌めいていた。支え持つ手も柔らかく瑞々しい。

 だが、先ほどマミが見た自分の姿は、確かに違っていた。

 

「私、魔女になってモモちゃんを……」

 

 ぽつり、と漏らした言葉に、杏子が怪訝な顔を見せる。

 

「杏子ちゃんからは、そう見えなかったの……?」

「そんな色っぽい水着着た魔女なんていねーよ」

「あら」

 

 指摘され、思わず両腕で胸を隠す。黒でシンプルなラインの水着は、巨乳を目立たせないってファッション誌で読んだんだけど、おかしいなとマミは首を傾げるが、それよりも問題なのは。

 

「杏子ちゃん、喋り方が乱暴よ」

 

 杏子をひるませて主導権を奪ったマミは、まじまじと杏子を見つめると破顔した。

 

「そういう杏子ちゃんは、ずいぶん派手な格好ね」

「笑わないでよ……。気が付いたらこんなだったんだから」

 

 苦笑しながら両手を広げ、衣裳を見せびらかすようにしてみせる杏子。赤やオレンジの飾り布をふんだんに散りばめた派手なワンピースに、頭には雉の尾羽根を二本ばかり触覚の様に伸ばした頭巾を載せている。背中には扇子程度の大きさの三角旗が四本、翼の様にたなびいていた。

 

「魔法少女としては、ちょっと動きにくそうね」

「やめてよ、こんなので戦うなんて嫌すぎるよ」

「いいじゃない、漫画によくある強化フォームみたいで」

「ないから。絶対ないから」

 

 いつまでも笑うことをやめないマミに焦れて、杏子は海水を掌ですくってマミに浴びせると、真剣な表情をみせた。

 

「マミさん、銃で胸を撃って……おぼえてる?」

 

 その言葉に、マミは笑みを消し沈痛な面持ちを見せて首肯する。

 

「マミさん! あたしを置いていかないでよ! あたしにはもうマミさんしかいないんだよ!」

「こら杏子ー! マミおねえちゃんをいじめちゃだめー!」

 

 声を荒げた杏子に、上の座席に座るモモが浮き輪を投げつけた。投げられた浮き輪は、屋台の輪投げよろしく杏子の頭の羽根飾りにはまり込む。

 

「違うのよモモちゃん。私が杏子ちゃんをいじめてたの……」

「そうなの?」

「ええ。だから、少し杏子ちゃんとふたりでお話させてね」

「うん、わかったー」

 

 見上げて寂しげな表情で伝えるマミに、モモは納得したのか、興味をなくした様子で視線を空に向けると、座席から投げ出した足を揺すって遊び始めた。それを見届けると、マミは居住まいを正して杏子に向き直し、頭を下げた。

 

「杏子ちゃん、勝手なことをして本当にごめんなさい。私、耐えられなかったの。自分がこの先魔女になって人を不幸にすることも、今まで魔女と思って倒してきたのが、私達と同じ魔法少女だったことも」

「うん……」

「私のしたことは悪いことだと思う。自分勝手に逃げただけだと思う。でも、他にどうすればいいか分からないの」

 

 マミの思考は袋小路に捕らわれていた。

 そもそも彼女は自らを罪深い存在と考えていた。

 父母を助けずに己の救命のみを祈ったこと。己の無力さから魔女の犠牲者を生み出してしまったこと。そんな罪深い自分の存在理由、存在意義として、技量を磨き魔女や使い魔を殲滅し、犠牲者を減らすことを掲げていた。

 だが、その行為そのものが元魔法少女の殺戮に他ならず、さらには自分の末路は魔女となり人に害を成すとなると、存在理由そのものが間違いではないのか。

 彼女にはそれ以外の結論は見えなかった。

 

「マミさん、マミさんが言ってるのは、人はいつか死ぬ、だから自殺しようって言ってるようなもんだよ。いつかは魔女になるかもしれない、だからって今全てを捨ててどうするの? 魔法少女としてのマミさんは、今までに何人の命を救った? 何人に希望を運んだ? これからどれだけの命を救う? 希望を運ぶ? それを捨てて逃げるの?」

「私は……両親を見殺しにした罪から逃げたくて正義の味方の振りをしていただけよ。誰ひとり救えてなんていないわ」

 

 マミのそれは正しく視野狭窄であり、本来ならは別の角度から光を照らし蒙を啓くことが求められるのであろうが、杏子はそうしなかった。ただ、激しい光をぶつけた。

 

「ふざけんなよおい……! あんた、いつも自分のこと後回しにして、他人のために戦ってたじゃないか! 振りでもなんでも、あんたは正真正銘正義の味方だよ! 今までも! これからも! ……それに、あんたが誰ひとり救えてないなんてウソだね。少なくともあたしは救われたよ、マミさんに!」

 

 大声で叩き付けるように言葉を紡ぐ杏子の様子に、モモが上から視線を向けるが、今回はちゃちゃを入れることはせずにじっとふたりを見つめた。

 

「でも、私は今までたくさんの魔女を倒してきたわ……それは、魔法少女を殺してきたのと……」

「マミさん……もしも、もしもだよ。マミさんが魔女になったとしたら、どうしたい? ずっと犠牲者を生み続けたい?」

「そんなわけない。犠牲者が出ないうちに、早く殺して欲しいわ」

「あたしだってそう思う。だったらさ、マミさんがしてきたことは、魔法少女を殺すことじゃなくて、魔女になってしまった魔法少女を救うことなんじゃないのかな」

「……でも、命を断っているのは同じよ。詭弁に聞こえるわ」

「詭弁でもいいだろ! マミさん、あんたは私の家族なんだ! 理屈や道理はどうでもいい、死なないでくれよ!」

 

 感情を爆発させた杏子の双眸から涙が溢れていた。それは海面に落ち、小さな波紋を次々と生じさせる。やや遅れて、少し離れた場所にも同じような波紋が生じる。

 

「わかった……ごめんね。……でも、怖い。いつ魔女になるのかと思うと、私怖いの。だったらいっそ」

「マミさん、昔の聖職者の言葉にこんなのがあるんだ。『たとえ明日世界がなくなるとしても、今日林檎の木を植えよう』って。あたし達がいつか魔女になるんだとしても、それまでは精一杯みんなを守って生きていくべきなんじゃないかな」

「うん、わかる。でも怖いの……いつか、なにも分からなくなって、人を犠牲にして。そんなの嫌。そんなの嫌なの……」

 

 自らが口にした未来を想像したのか、マミの身体が悪寒に苛まれるように震える。杏子の言葉は正論であろうが……いや、正論だからこそ誰でも受け容れられるわけではない。

 正しくあろうとするマミと、恐怖に怯え逃げ出したいマミとでは、後者の方に天秤が傾いていた。

 杏子は、マミの肩を掴むと自分の方へ引き寄せた。そして彼女の身体の震えを抑えるように、両手で肩を抱いた。久方ぶりにマミの鼓動を肌越しに感じて、杏子は安堵の息をつく。そして、表情を引き締めた。

 

「約束する。もしそうなったら、必ずあたしが止める」

「そんな……そんなことになったら杏子ちゃん、ひとりきりになった上に、私を殺したっていうことまで背負って。今ひとりになるよりももっと、もっと辛いのよ」

「分かってるつもりだよ。でも、今マミさんを失うのは絶対にいやだよ」

 

 杏子の腕に抱かれたマミは、身体を強く押し付けると、小さな声でありがとうと呟いた。

 納得したわけではなかった。内罰と視野狭窄による自己犠牲への逃避は彼女の習い性となっていて、今さら容易に払拭できるものではない。それでも、マミは自分の我儘で杏子を悲しませることだけはやめようと強く想った。

 

「おはなし、おわったー?」

 

 ややあって上からかけられたモモの声に、マミと杏子の背が驚きで反った。それは逢瀬を見咎められた初心な男女のような反応だった。先に落ち着いたマミが、朱の差した頬を上向けて「うん、おわったよー」と応える。

 

「なかなおり、できたー?」

「うん、だいじょうぶ」

「ていうか仲直りもなにも、ケンカなんかしてないよ、モモ」

「よかったー、じゃぁモモはもういくね」

 

 んしょ、と座席で立ち上がると、モモは無造作に監視塔から飛び降りる。見ていたマミと杏子が慌てて受け止めようとするが、ふたりの手が僅かに届かない高さで、モモの身体は宙に止まる。

 

「杏子もマミおねえちゃんも、モモのぶんまでしあわせになってね」

 

 邪気のない笑顔を見せると、モモはハチドリが滞空するように、ゆっくりとふたりに近づいてくる。そしてふたりの額に手をかざす。すると、マミは全身の中にある老廃物のような不要な何かが、額に集まって熱を放つのを感じた。杏子も同様だ。

 

「いらないの、もらっていくね」

 

 そして、マミは額に集まっていた熱いものが、すっと抜けていくように感じた。冬の寒い日に湯船に浸かるような心地好さだ。

 同時刻、現実のふたりの枕元にあるソウルジェムに変化が生じていた。

 ひとつは春の柔らかな日差しを思わせる暖かなオレンジイエローの輝きを、ひとつは魔物を焼き尽くす炎を思わせる峻烈なルビーレッドの輝きを。それぞれのソウルジェムが本来持っていた色を取り戻し、誇示するようにらんらんと光を放ち、ふたりの寝顔を照らした。

 

「マミおねえちゃん、杏子と、ずっとなかよくしてあげてね」

 

 モモはマミにだけ聞こえるように囁くと、大きな声で「ばいばーい」と伝える。ふたりが返事をするより早く、モモの身体は幻の様に透けて消えていった。

 モモの消えたところをふたりは数分の間、金縛りにあったように見つめ続けていた。やがて、その金縛りを解くかのように杏子が呵呵として笑った。

 

「あいつ、マミさんのこと本当に好きだったから、心配で来てくれたのかもね」

 

 その言葉を、マミは頭を振って否定した。確信のようなものが、マミの中にはあった。

 

「いいえ、杏子ちゃんのことが心配だったのよ」

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 明け方から続いていた激しい風雨は、その魔女の到来を讃える前奏曲。

 時折天に閃き轟音を運ぶ雷光は、その魔女の到来を讃える招詩。

 堰を切る勢いで荒れ狂う濁流は、その魔女の到来を讃える頌栄。

 やがて、雲間からその魔女は姿を現した。

 見滝原市郊外の工業団地の空を割って、ワルプルギスの夜と呼ばれる魔女は現れた。

 大劇場がそのまま載せれるほどの巨大な歯車が空高く浮遊する。

 その歯車を基部に、そこから頭蓋を持たない人型の魔女が逆さまに吊り下げられている。

 紫色のドレスをまとった魔女は基部の大きさに相応しい巨躯だ。

 

 それを待ち受けるように、工業団地と市街地を分ける川のほとりで、黒髪の少女は立ち尽くしていた。

 魔女を遠くに見つめる黒髪の少女は、整った眉に、見開いた瞳に、固く結んだ唇に、決意の色を浮かべている。

 彼女は風に乱れる黒髪をそのままに、ゆっくりと右の手を左腕に備えた盾にあてがう、その時だ。

 

「あれがワルプルギスの夜ね、暁美さん」

 

 背後からかけられた声に、暁美ほむらは上半身を開いて視線を後方へ向けた。そして、その先にふたりの魔法少女を認めて息を飲んだ。

 

「巴マミ、佐倉杏子……」

「なんだよ、そんな驚いて。ワルプルギスの夜が来てるのに、あたしとマミさんが戦わないわけないだろ」

「意外だわ。あなたたちが真実を知って平気でいられるなんて」

 

 大身槍に身体を預けて不敵な笑みを浮かべる杏子に、ほむらは唇だけを動かして伝える。その言葉には、マミが応えた。

 

「平気……じゃないわよ。私ひとりなら折れちゃってた。杏子ちゃんが支えてくれたおかげよ」

「そう。興味深い事実ね」

 

 全く興味を引かれた様子もなく応える。そして、それ以上の問答は無用と判断したのか、開いていた身体を戻し、前を向く。

 

「暁美さん、この戦いは協力してもらえると思っていいのかしら」

「結果的にはそうなるかもね。ただ、私の計算どおりに事が進めば、あなたたちの出番はないわ」

 

 独力で倒す、前を向いたままそう応え、再び右の掌を盾に重ねる。

 カチリ、と歯車の音がして、時が止まる。

 暁美ほむらの戦いが始まった。

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