マミさんの歩く道に祝福がありますように ~やがて円環へと導かれる物語~   作:XXPLUS

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第二〇話 マミさん、舞台装置の魔女を相手に勇戦する

 第三の魔法少女は、小走りに巴マミに近寄り、その肩を掴んだ。

 少女との接触により、巴マミの時間が再び流れ始める。

 目覚めた巴マミは、今にも杏子の首を刎ねようとする二刀流の魔女、後ろに倒れ込もうとしている杏子、ともにありえない姿勢で停止していることを認めると、事態の異常性を理解した。

 

「時間がないので手短に言うわ。私の魔法は時間停止。間接的にでも私と接触している者だけが動ける」

 

 そして、暁美ほむらの短い言葉から、巴マミは状況をほぼ正確に把握した。類いまれな理解力を発揮した彼女は、諒解の意を首肯で示す。

 

「巴マミ、あなたを中継軸にして私と佐倉杏子をリボンで繋げて。触れている程度で充分よ」

 

 二度目の頷き。マミはコルセットを後ろで止めている白いリボンをほどき、それを伸ばして杏子の足首に結わえさせた。また、別の黄色いリボンが暁美ほむらの足首にも絡みつく。マミはそれらのリボンの一端を自らの太腿に巻き付けて、マミを中心にして杏子、ほむらを連結させた。

 ほむらとの接触効果により時の流れを得た杏子が、後ろに倒れ込み尻餅をついた。そして視線を上に向け、刃を突きだした姿勢で硬直している二刀流の魔女の姿を認める。

 

「杏子ちゃん! 良かった……!」

 

 半ば涙声で漏らすマミとは裏腹に、杏子は事態の把握が追いつかず、目を白黒とさせて間の抜けた声で呟いた。

 

「……なに、これ?」

「私が魔法で時間を止めたわ。リボンを介して私と繋がっている限り、あなたたちは自由に動ける。今のうちにそいつらを蹴散らして」

「さっぱり分かんねぇけど、分かったよ!」

 

 新たな大身槍を掌中に生み出しながら立ち上がった杏子が、マミとは異なる方向性の理解力を示して叫んだ。

 彼女は、とりあえず、といった感じで眼前で固まる二刀流の魔女を貫く。と、槍を介して暁美ほむらと繋がった魔女が鋭く刃を振り抜いた。

 止まっていた事実など微塵も感じさせない、鋭い一閃。それは本来ならそこにあった杏子の首を刈り取る一撃だったが、今は虚しく空を切るだけだった。

 魔女は刃が伸びきったタイミングで絶命し、グリーフシードへとその姿を変える。

 

「巴マミ、佐倉杏子。リボンが外れたら貴方たちの時間も止まるわ、注意して」

「杏子ちゃん、今の反応を見るに攻撃を入れたら相手も少し動くわね、反撃に注意していきましょう!」

 

 

 

 

 

 それはもはや戦いの様相を呈していなかった。

 魔女の武器も盾もその役目を果たさず、魔弾と大身槍は易々と魔女の急所を射抜き、貫いていく。

 魔女に許されるのは、射抜かれ、貫かれた直後の僅かな時間に苦痛に悶え断末魔をあげることのみ。 

 

「時間停止だなんてすごい魔法ね。名前はなんていうの?」

「ないわ」

 

 魔弾と大身槍に比べれば彼女が持つ攻撃手段は使い勝手が悪い。

 それを自覚している彼女は後方で時間停止を行使しつつ傍観していた。そして、このふたりに自分の時間停止が加われば、充分な戦力となる、≪これから≫があれば、このふたりを味方にした方が……と考えるが――

 

「そう、あとで名前つけてあげる!」

「……いらないわ」

 

 やはり考え直した方が良さそうね、と呟いた。

 

 

 

 

 

 ちょうど歯車上の魔女を殲滅したタイミングで、暁美ほむらの時間停止はその手持ち時間を使い切る。

 彼女の時間停止能力は使い切りであり、再び使うには盾に内蔵された砂時計をひっくり返す、すなわち別の時間軸へ旅立つ必要があった。

 

「これで時間停止は使い切ったわ」

 

 宣言する暁美ほむらに、発言の意図を魔力枯渇と受け取った佐倉杏子は足元に転がるグリーフシードのひとつを蹴って転がした。

 

「グリーフシードなら幾らでもあるよ」

「いいえ。これは魔力の問題ではなく私の魔法の構造的なもの。もう≪今回≫は時間停止を使うことは出来ないわ」

 

 拾い上げたグリーフシードでソウルジェムを浄化しながら応える。マミと杏子も手近のグリーフシードを拾い、浄化を行う。

 

「そう、でも充分に助かったわ。ありがとう、暁美さん」

「だな。おかげで命拾いしたよ」

 

 ふたりの言葉には応えず、暁美ほむらは鋭い視線を歯車の中央、シャフト状の歯車に向けた。あそこがコアにあたる部分であることは、≪過去≫の戦いで把握していた。

 ただ、おそらく、と但し書きが付く。≪過去≫の戦いでは無数の魔女との戦いはなく、地に落としたワルプルギスに遠距離攻撃を行い歯車を破壊していたからだ。

 無数の魔女という新しい要素があった以上、他にも異なる要素があっても不思議ではない、と暁美ほむらが心の中で整理していた時だ。

 外輪歯車が崩れ始めた。

 歯車表面に刻まれていた幾何学的なラインに沿って、細かい部品単位に分解された歯車が次々と崩落していく。

 魔法少女たちは、魔法で足場を形成して空中に留まり、周囲を見渡す。

 巨大な外輪歯車の全てが、細かい破片となって地上へと降り注ぐ。

 中央の歯車から逆さ吊りになっていた大型の魔女も、同様に細かく千切れ、風にさらわれていく砂のようにその体躯を散らしていった。

 破片の直撃を受けた地上の施設が断続的に爆発し、黒煙をあげる。

 やがて、外輪歯車が全て崩落しきった後、中央のシャフト歯車のみが、ゆっくりとした回転を行いながら空に浮いていた。大型魔女を接続していた石油のパイプラインほどもある鉄柱は半ばで折れ、破断面からは銀色の砂をさらさらと散らす。

 

「あれがコアよ」

 

 その呟きも終わらぬうちに、暁美ほむらの脇腹を一条の炎が貫いた。

 大型魔女が口腔から放っていた虹色の炎と同じ攻撃が、シャフト歯車から放たれたのだ。

 魔法少女が受けた傷は小口径の銃弾で貫かれたような小さなものだったが、表面は炭化し、内臓部も急激な熱により水分の殆どを奪われていた。人間ならば致命の一撃であり、魔法少女である彼女にとっても戦闘能力を奪う痛撃であった。

 足場としていた魔方陣を維持することが出来ず、彼女の身体が宙に投げ出される。

 歯車から炎が続けざまに放たれる。マミは落下する魔法少女を追いかけてリボンを放つが、炎の攻撃にさらされてそれ以上をする余裕はなかった。

 巴マミと佐倉杏子が致命の一撃を受けなかったのは、運の領域に属する部分が大きい。それでもファンタズマと、リボンの紡ぐ≪絶対領域≫がなければ、ふたりとも暁美ほむらと同様に地上に撃ち落とされていた可能性が高いだろう。

 熾烈な攻撃を凌ぎながらも、巴マミは敵を観察していた。

 外輪歯車を失い全容が露わになったシャフト歯車は、大きくふたつのパートに分かれている。

 もともと露出していた上半分は 紡錘状の金属塊。そこから等間隔でフィンのような鏡面の板がせり出していて、全体がゆっくりと時計回りに回転している。

 新たに姿を見せた下半分は、半球状の岩塊。そこには上部のフィンと同じ間隔で銃眼のような細長い穴が開いている。炎はこの穴から放たれているようだ。

 その構造上、歯車より高高度に対しての炎はかなり制限されるだろう、と判断したマミは杏子に上昇の指示を飛ばした。

 おう、と応えた杏子がファンタズマを盾に上方向へ駆ける。マミもファンタズマの支援を受けて空を駆けた。

 果たして、歯車に対して仰角三〇度を超えたあたりで虹色の炎の攻撃は届かなくなった。

 それぞれの足場――花冠と魔方陣で足を止めたふたりは、顔を見合わせる。

 

「一息ってところね」

「ここから狙撃できないかな」

「えぇ、やってみるわ」

 

 歯車は時折炎を放つが、やはり角度が足りないためにふたりには届かず、射線上の黒雲を散らすに留まる。

 無為な炎の攻撃が続いたが、高度を上げることも、傾いて射角を変えることもせず、歯車はただ回転しながら無為に熱線を放つ。そこには外輪歯車で戦った魔女たちにあった連携能力や判断能力は欠片もないように見えた。

 ファンタズマ含めて四人のマミが、それぞれに花冠の上で大砲型マスケットを練り上げる。

 

 地上にほど近い高度で、リボンで作られたマットに横たわった暁美ほむらが霞んだ目で見上げると、空に突如として尖塔が四本出現したように見えた。

 そして、その尖塔たちの先端から膨大な魔力が迸る――その結末を見届けることなく、暁美ほむらは意識を失った。

 

 

 マミが透き通った声でティロ・フィナーレの号令を下すと、マスケットは膨大な魔力を宿した榴弾をその砲身から放った。

 浮遊する歯車の中心を過たず照準した一撃は、しかし歯車に到達することはなかった。空中に浮かび上がった七枚七色の魔力障壁が、一枚ごとに魔弾の威力を半減させ、ついには無力化したからだ。

 現象に対する彼女たちの判断は速い。

 

「……零距離で入れてみましょうか」

「そういうことなら、あたしも槍を」

 

 地上を駆けるのと変わらぬ速度で、ふたりが空を駆ける。魔法少女の接近を怖れるのか、歯車は熱線を次々と放つがやはり射角が足りず、全て彼女たちの遥か下方を過ぎる。さらには念動力のようなものでビルや電柱を飛ばして寄越すが、熱線に比べれば遥かに鈍重な攻撃であり、ふたりには通じなかった。

 

「杏子ちゃん」

「うん」

 

 先ほど魔法障壁が顕現した地点――歯車表面数メートルの手前でふたりは魔力を全身に漲らせる。

 彼女たちの身体から燐光のような魔力の飛沫が間断なく溢れ出で、彼女たちをそれぞれの象徴色――オレンジイエローとルビーレッドの輝きで包み込む。

 彼女たちが魔力障壁に触れると、軽金属を燃やしたような眩い光が一瞬溢れ、そして障壁は砕け散った。魔女の結界の入り口を中和する行為、そのスケールを大きくした現象。それが七回発生し、その後に彼女たちはシャフト歯車の頂点に降り立った。

 杏子が大身槍を突き刺すと歯車表面が抉れ、目で見えるほど濃厚な魔力が血のように流れ出す。

 マミが大型マスケットの生成に集中する傍ら、杏子は槍で刺突を繰り返す。その度に魔力が流れ出し、歯車は力を喪っていく。

 おそらく、この状態は歯車にとって致命的であったのだろう。それ故に、歯車は己を犠牲にしても魔法少女を排除するべく、自爆に近い行動に出た。

 歯車の下半分に存在する全ての銃眼。そこから炎を外へ放つのではなく、己の内部へ向けて暴走させ始める。虹色の炎で自らを焼き、自身の身体もろともに魔法少女を焼くために。

 

 

 

 異常なまでに膨れ上がる熱量に巴マミが気付いたのは、まさに自爆の直前だった。巨大マスケットを練り上げていたリボンをほどくと、そのリボンを≪絶対領域≫として旋回させ、杏子の身体を包み込んだ。

 ≪絶対領域≫の完成と、歯車そのものが火の玉になったのは、ほぼ同時だった。

 歯車内部に炎が満ち、表面の隙間からは熱線として無軌道に溢れ出た。歯車上部を飾っていたフィンは全てが根元から折られ、フィンの欠けた穴からは濁流のように熱線が噴出する。歯車全体が瞬間的に数千度の熱塊となり、そこは炎熱地獄と化した。

 ≪絶対領域≫内部の杏子ですら、数百度の熱に責められた。魔力で全身を防御しなければその命を散らしていただろう。

 炎の洗礼が終わり、周囲の温度が急激に下がると同時、≪絶対領域≫を作っていた黄色のリボンが力を使い切ったかのようにほどける。ほどけたリボンは殉死するかのように儚く溶け 風にさらわれていった。

 そして、消えていくリボンの中から、杏子は無数の破片となって砕け散るオレンジイエローのソウルジェムを見つめていた。

 胸が押し潰され、呻く声すら出ない。

 それは、巴マミの死を意味していた。

 

 

 

 

 歯車頂点に立つ杏子は、全ての魔力を大身槍に注ぎ込む。全ての魔力を魔女に撃ち込み、自爆同然に倒そうとしていた。

 

 ――マミさん、こいつを倒してあたしも逝くよ。

 

 だが、肥大した槍の穂先を歯車に突き刺そうとした時、『ダメよ、杏子ちゃん』という声が彼女の耳に届いた。その声に穂先を止めて、一瞬の逡巡の後、彼女は口を開いた。

 

「うん……ごめん」

 

 そう応えると、魔力を槍からソウルジェムに戻し、空を見上げた。

 焼け焦げた肉が嫌な臭いをさせている。涙腺も焼けたのか涙も出てこなかった。それでも魔力を込めれば身体は充分に動く。ワルプルギスの夜を倒して生きて帰ることを、杏子は先ほどの声に誓った。

 

 

 それらの情動そのものが、魔女にとっては隙でしかなかった。

 先ほど根元から折れ、周囲を浮遊していたフィン。それを反射鏡とした熱線が、杏子の胸を射抜いた。心臓とソウルジェム、ふたつの急所を一撃に射抜かれ、佐倉杏子はその命を散らした。

 

 

 砕け散った黄と赤のソウルジェムから魔力を喰らい、ワルプルギスの夜は外輪歯車と逆さまに吊り下がる巨躯の魔女を再び構成していく。

 外輪歯車には先ほどまでの魔女集団はなく、かわりにふたりの魔女が現れていた。体の表面を銀河模様の影に包まれたその魔女は、それぞれに長銃と槍を携え、お互いを慈しむように寄り添い、肩を並べている。

 巨躯の魔女の、頭蓋を持たない歪な顔が哄笑をあげた。底冷えのする嫌な哄笑を。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 雷が鳴った。

 避難所の不透明なガラス窓を通して光が走る。

 その雷光で、窓際にひとり立つ鹿目まどかの姿が長い影となって延びた。少女の影の横に、先程まで居なかった小動物の影が浮かび上がる。

 

『心配かい、まどか』

 

 この小動物こそが悲劇の繰り手であることを知らない鹿目まどかには、その声に温かさえ感じられた。彼女はすがるような瞳でキュゥべえを見つめ、話しかける。

 

「みんなは、さやかちゃんは?」

『美樹さやかは死んだよ。巴マミと佐倉杏子もね。暁美ほむらも時間の問題だろうね』

 

 悔やみを全く感じさせない明るい声でキュゥべえは告げる。

 実際もし彼に感情があれば、今は明るい気分だったろう。巴マミと佐倉杏子を魔女にすることなく死なせてしまったのは勿体ないが、しかしそれらは鹿目まどかの契約を前にすれば些事に過ぎない。金塊の山を前にして、金貨数枚を散逸させたことを悔いるものはいないのだから。

 

『キミには力がある。キミが魔法少女になれば、きっとみんなを救えるだろう』

「さやかちゃんたちを生き返らせることが出来る?」

『キミの祈りなら造作もないことだろうね。キミならばどんな祈りでも叶えられる。そしてキミならばワルプルギスの夜も倒せる』

 

 悩むまでもなかった。もともと鹿目まどかは美樹さやかのためだけに契約しようとしていたのだから。当のさやかに押し留められ機会を逸していたが、こうなっては是も非もない。

 

「みんなを生き返らせて」

『みんなとは、美樹さやか、巴マミ、佐倉杏子でいいのかい?』

 

 鹿目まどかの首肯を見届けると、キュゥべえは満足そうに頷いて宣言する。

 

『契約は成立だ。キミの祈りはエントロピーを凌駕した』

 

 キュゥべえが指し示すように顎を向ける。まどかがその方向を見ると、美樹さやか、巴マミ、佐倉杏子の三人がブルーシートに横たわっていた。駆け寄ると、三人ともに安らかな寝息をたてている。傷一つない三人の寝顔に胸を撫で下ろすと、まどかはキュゥべえに視線で問うた。

 

『目覚めるまではしばらくかかるだろうね。死んでからの時間にもよるが』

「そか。じゃぁキュゥべえはみんなの傍にいてあげてもらえる?」

『それは構わないが、皆の目覚めを待てばいいんじゃないのかい』

「ううん、今すぐ行く。マミさんたちに会わせる顔なんてないよ」

『どうしてだい? キミはマミたちを救った。感謝されこそすれ――』

 

 鹿目まどかは瞳を閉じて笑った。

 それは自嘲とも諦観とも取れる笑顔だった。結果的に契約を先延ばしにしたから皆を蘇生できた、などと我田引水に自分を慰められるほど、彼女は器用でも不誠実でもなかった。

 

「わたしね、本当はさやかちゃんやマミさん、杏子ちゃんと一緒に魔法少女になって、一緒に苦しんで戦ってこなきゃいけなかったの。でも勇気がなくて出来なかった。それで結局、こうしてみんなのしてきたことを踏みにじるような形になっちゃって……」

『だが――』

「みんなは優しいから、きっとわたしを責めたりはしないと思うけどね」

 

 まどかはマミや杏子のことを思い出して顔を綻ばせる。そして、彼女たちなら何と言うだろうかと想像を巡らせる。契約したことを叱るだろうか、それとも誉めてくれるだろうか。

 まどかには、どちらもはっきりと想像できた。どちらの想像も、彼女の胸を温かくした。

 

「わたし、強いんでしょ? せめてあの魔女を片付けて、みんなを安心させてから――ゆっくり、謝りたい。今謝っても、バタバタしすぎでしょ?」

 

 横たわる魔法少女のひとりひとりの頬を慈しむように撫でさすると、まどかは表情を引き締めた。魔法少女たちの温かさを受け取った掌を、自らの胸に当てて誓うように呟く。

 

「ゆっくり謝って、許してもらったら、それからみんなと一緒に戦っていきたい」

『そうかい。まぁマミも杏子も、勿論さやかも、許すも何もキミを責めないと思うよ』

「そうだね。そうだといいな」

『さぁ鹿目まどか、ワルプルギスの夜を蹴散らしてくるといい。それだけの力がキミには備わっている』

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 暁美ほむらは、全身を包む温かい癒しの魔法で目を覚ました。

 

「良かった、ほむらちゃんだけでも無事で」

 

 ほむらの視界の大半を占める桃色の髪の少女が、見る者を穏やかな気持ちにさせる笑顔で語りかけた。

 笑顔の彼女に抱きかかえられる、それは悠久の旅路の中で暁美ほむらが幾度となく夢に見たことであったが――

 

「まど……か……」

 

 漏れ出でた声には嘆きの色しかなかった。

 何故なら暁美ほむらを抱きかかえている者は、少女ではなく魔法少女であったから。鹿目まどかが魔法少女として契約してしまう、それは暁美ほむらにとって何があっても避けねばならない事態であった。

 不可逆の、絶望に至る契約。それを避けるためだけに、数百を超える別れを繰り返し、数百を超える条件を試してきた。≪今回≫も求める結果は得られず、無為に終わったことを、白と桃の可憐な魔法少女衣裳を身にまとった少女の存在が示していた。

 

「ひとりで頑張らせてごめんね、あの化け物は、わたしが倒すから」

 

 力強い笑顔。

 かつての暁美ほむらが憧れ焦がれたその笑顔を、今の暁美ほむらは悲嘆に暮れた気持ちで見上げていた。腕にも、指にも力が入らず、彼女の両腕がだらんと垂れ落ちる。

 

「ああ……また……無駄になったのね……」

「安心して。わたしの、わたしたちの大切なものは……絶対に守ってみせる!」

 

 ほむらの身体をゆっくりと下ろすと、まどかは立ち上がり、上空に浮かぶワルプルギスの夜を毅然とした表情で見つめる。

 まどかの敵意を感じ取ったのか、逆さ吊りの魔女の口腔から虹色の炎が放たれる。だが、熱線はまどかの手前数メートルで不可視の障壁に阻まれて霧散する。

 まどかの手にした杖が淡い光を放つ。

 薔薇の枝を手折ったかのようなその杖は、先端に桃色の蕾を宿していた。魔力の昂ぶりに伴い蕾が花開いていき、やがて大輪の薔薇の花を咲かせる。枝の節々に魔力が集まり、ピンクの結晶が生まれる。その結晶の一つ一つが、ソウルジェムにも匹敵する輝きを誇ってみせた。

 枝が反り、弓の形になる。弓の上下を繋ぐように、薄紅色の弦が張られた。

 左手で弓を構え、右手で弦を引き絞る。

 弓の上部に咲き誇る薔薇の花が、一枚の花びらを散らした。それは舞うようにして鹿目まどかの右手に至り、そこで一本の矢へと姿を変える。

 若枝を削り出したような武骨な矢だった。その矢は、芯から脈動するような桃色の光を漏らしている。

 虹色の炎が二条、煌めいた。しかしそれも、弓を構える鹿目まどかの手前で消失する。

 

「……この手で!」

 

 三条目の炎が魔女の口腔から放たれるのと、引き絞られた弦が解き放たれるのは同時だった。

 炎と矢が正面から激突する。

 熱量の前に、矢がどろりと溶ける。

 炎に焼かれて溶け落ちていく矢。しかしそれは、炎の勝利を意味しなかった。

 若枝の矢は、外装としての物質を溶かして捨て去り、本質である光そのものの姿を見せる。

 光の矢は虹色の炎を裂く。

 炎を裂いて真っ直ぐに飛び、ワルプルギスを貫いた。

 その一矢で。ただの一矢で、ワルプルギスの夜と呼ばれた最悪の魔女は討ち払われた。

 あっけないほどに容易く、その全存在を無へと帰していく。

 それと引き換えに鹿目まどかが苦悶の叫びをあげる。

 一撃で魔力を使い果たしたソウルジェムが、その姿をグリーフシードに変えていき、鹿目まどかの身体を責め苛んでいく。

 

「何……? どうして……? 痛い、助けて……」

「まどか……」

 

 こうべを垂れた暁美ほむらは、苦しむまどかを直視することもなく左腕に備えられた盾を起動させる。

 その一動作で、彼女はこの世界を捨てた。別の可能性を求めて、別の世界へ旅立ったのだ。

 暁美ほむらはこの世界を捨て、そして世界から暁美ほむらという存在は、痕跡さえ残すことなく消え去った。

 もはや誰も――彼女の両親や鹿目まどかさえ――暁美ほむらという存在を記憶していなかった。

 別の世界を選んだ彼女のソウルジェム、そして魂の在り処としての頭蓋、それらが実体を失うように薄れ、消失していく。

 彼女の身体が地に倒れる。

 顎より上部を完全に失ったその顔は、既に誰でもなかった。

 そして、≪救済の魔女≫が、その横で産声をあげていた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 目を覚ました巴マミと佐倉杏子は、死の直前の意識に引きずられて臨戦態勢をとった。

 そして周囲の様子に違和感をおぼえ、次に視界に入ったキュゥべえに敵意を向けた。

 

『おはよう、マミ、杏子。気持ちは分かるが、ボクの説明を聞くべきだ。いいかいマミ、杏子。キミたちは一度死んだ』

 

 理解が追いつかないふたりは、間の抜けた表情を見せて首を傾げる。

 

『比喩ではないよ。キミたちはワルプルギスの夜にソウルジェムを砕かれ絶命した』

 

 その言葉に、マミは側頭部のアクセサリーに嵌まったソウルジェムを、杏子は胸元を飾るソウルジェムを、確かめるように手で撫でる。そして、確かにキュゥべえのいう通りの記憶があることを認識する。ふたりは、目と首の動きでキュゥべえの話を促す。

 

『鹿目まどかが、キミたちふたり、そして美樹さやかの蘇生を祈った』

「鹿目さんが……。そういえば、鹿目さんはどこ?」

『一撃で倒したよ、ワルプルギスの夜を』

 

 我がことを誇るかのように明るい声でキュゥべえは告げた。

 

『そしてなったよ。ワルプルギスの夜を凌駕する魔女に』

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