マミさんの歩く道に祝福がありますように ~やがて円環へと導かれる物語~ 作:XXPLUS
もし、マミとかおりの間に、マミと杏子の間にあるような強固な信頼関係があれば。
かすかに聞き取れた彼女の叫びに従い、放たれた魔弾は魔女に到達する半ばでリボンへとほどかれていたかもしれない。
魔女のだらしなくたるんだ肉を、魔弾が次々に抉り、穿つ。
ぶしゅ、という濁った音をあげて、穿通痕からピンクの体液が溢れでる。
肉饅頭のような魔女の巨躯において、魔弾の着弾点は人間ならば何処にあたるのか、それを正確に推し量ることは難しい。
しかし、一秒ほどの後、その答えは明確な形で与えられた。
千尋早苗が得意とした≪等価反撃≫の魔法が発動したからだ。
巴マミの左肩から下腹部へかけて数十の貫通痕が発生し、ひとつひとつの孔から赤い血が迸る。衣裳は無傷のまま、その下の柔肌に傷だけが生みつけられたため、噴き出した血はブラウスとコルセットに受け止められる。オフホワイトの色も、ダークブラウンの色も、真っ赤な血の色に汚された。
即死した――と夜宵かおりは思ったが、いかなる魔法か、マミは身体をよろめかせただけで、膝を屈することさえなく立ち続けた。
衣裳で堰き止めきれない出血が両の太腿にまで垂れ至り、ニーハイソックスやブーツまでをも赤く汚し、足元に血だまりを作る――それでも、マミは瞳にも口許にも生気と闘志をみなぎらせていた。
「攻撃してはいけませんわ!」
二度目の叫びは、マミと杏子の耳にしっかりと届いた。もっとも、彼女の警句がなくても、このような予想外の≪反撃≫を受けた以上はマミも杏子も一旦攻撃を控えて様子を見るという選択をしたはずであるが。
駆け寄ったかおりは、事情を話すよりもマミを治癒することを優先した。
既に受けた傷の大部分はマミ自身の治癒魔法で回復していたのだが、衣裳の下に隠れているため、彼女にはそれが分からなかったからだ。
ただそれでも、衣裳の下には短時間では完治まで持っていけなかった幾つかの傷が残っており、マミはそれらが速やかに癒されていくことを認識した。
「ダメかと思いましたわ。命があって何よりです」
「ありがとう、治癒が得意なのね」
誉め言葉に笑みで応えると、かおりは≪等価反撃≫をはじめとする事象についての説明をしようとする。その時に、魔女が動いた。
魔弾で穿たれた孔から細い触手を生えさせ伸ばすと、それらを鞭のようにして叩き付けてきた。鋭さに欠けた緩慢な動きであり、回避するに易い攻撃であったが、会話を中断させられたかおりは跳び退りながら鼻白んだ表情を見せる。
「どういうことだよ!」
続きを促すように杏子が声を荒げた。こちらは上半身の捻りと大身槍の柄による殴打だけで触手の攻撃をしのいでいる。
「何か知っているの?」
マミは暢気ともいえる口調で尋ねつつ、新体操の演技を行うようにして、片脚を軸に円を描くように動いては触手の攻撃を躱していた。
マミと杏子、ふたりの移動を伴わない回避と見比べると、ジャンプして逃れた自分がひどく劣った行動をしているように思え、かおりはぎり、と歯を噛んだ。同時に、自分でもああやって避けるくらいはできる、と心の中で呟く。
「その魔女は、魔法少女の魔法を奪うようです。先ほどの魔法はこちらの――」
片手で抱いた千尋早苗を強調するようにして見せると、言葉を続けた。
「千尋さんが得意とする反撃の魔法です。相手から受けたダメージをそのまま返す、それが彼女の得意魔法ですわ。彼女を目覚めさせることが出来れば、なんとかなるとは思うのですが……息が、ありませんの」
仲間の死を受け入れることの出来ない彼女は、千尋が覚醒することを前提とした会話をする。呼吸もせず、体温も失われた彼女が目覚めることなどありはしないと理性では分かっていても、認めることを感情が拒んでいた。
だが、マミと杏子にはここまでの説明で真実に到達していた。
千尋早苗という魔法少女が堕ちたものが、目の前の魔女であると。
◇ ◇ ◇ ◇
「それで、その反撃というのはすぐに来るのかしら? さっきは一秒程度の間があったけれど」
早苗の覚醒に拘泥し、いかに彼女を救うかと論じようとするかおりを諭し、まずは魔女を倒す方向で意志を統一すると、マミは実際の倒し方について話を進めた。
「わたくしが反撃を受けた時もそれくらいのラグがありました。もともとの彼女の魔法は、という意味でしたら、ダメージを受けてから相手を目視して魔法を使うという感じだったはずですわ」
ふたりに倣って、動きを最小限に抑えて回避しようとするかおりだが、時折有効打を受けて身体をよろめかせる。肉体的なダメージはさほどではないが、その度に彼女の自尊心が軋みをあげた。
「んじゃ、反撃が来る前に仕留めればいいってことだね」
「そうね。それぞれの最大の技で、タイミングを合わせて一斉に攻撃するっていうかたちにしましょう。えぇと、なんて呼べばいいかしら、あなたは遠距離攻撃よね?」
「夜宵かおりと申します。この状況での最大威力ということでしたら、銃撃になりますわね」
右手首に固定された純白の魔銃――ホーリーレイ――で触手の打撃を受け流しながら、かおりは自慢げな笑みを見せた。回避の動きでは後れを取ったが、攻撃ならば負けはしないとの想いが、その表情を作らせた。
「分かったわ。私は巴マミ。私も遠距離からだから、タイミングは杏子ちゃんの突撃に合わせましょう。それでいい、杏子ちゃん?」
応、と返しつつ杏子は槍の穂先で触手を斬り払った。過失ではない。万が一のために、集中攻撃の前に≪反撃≫というものを味わっておきたかったからだ。
「あたしは佐倉杏子。言っとくけど並の銃弾よりあたしの突進は速いからね。遅れんじゃないよ」
はたして、露出している杏子の肩にみみず腫れが一筋浮かび上がる。そして次の瞬間、内側から破られるようにして肉は裂け、鮮血が溢れた。
佐倉杏子の治癒魔法は、マミには及ばないものの魔法少女の一般的な水準は超えている。その治癒の魔法で肩に生じた傷を回復しながら、杏子は感じ入ったような声を漏らした。
「なるほど、これはちょっとびっくりだね……」
忠告を無視された、と受け取ったかおりは眉間に皺を寄せる。
対してマミは、杏子の意図に理解を示した。いかに攻撃を密集し反撃を受ける前に撃破をするつもりといえども、常に作戦通りに進むものではない。
想定外の事態に備えて《反撃》の魔法がどのようなものか、実際に受けておくことは決して無駄ではない。
「突然くるから、防御どころか身構えることも出来ないわよね」
「だね。まぁ、ソウルジェムにさえ返されなければ、どうにかできそうだよ」
にぃ、と笑うと彼女は右に左に大きく跳ね、動くたびに分身を生み出した。≪ロッソ・ファンタズマ≫と名付けられた幻惑の魔法だ。
「さて、どこを攻めるか」
二〇を越える佐倉杏子が、同じ表情――戦いを楽しむ好戦的な笑み――で呟く。
それに対し、歴戦の盟友である巴マミは正確に本物の佐倉杏子を見抜き、そちらに視線を向けて応えた。
「さっき私が撃ったところは肩からお腹にかけてだから、杏子ちゃんのソウルジェムに干渉することはなさそうね」
「了解、その辺狙っていくよ」
気合の声を杏子たちが上げた。
最大の攻撃、佐倉杏子の場合は大身槍をさらに巨大化させたものがそれにあたる。しかし、槍の変形にはしばし足を止める必要があり、その間の一時しのぎとしてロッソ・ファンタズマを展開したのだ。
杏子たちが手に携えた武器が、気合に応えて変形を始める。
大身槍の穂が、中心を走る鎬を境にアギトを開くようにして分かたれていく。
分かたれた穂は二個の鋭い刃となり、柄の先端にある口金の左右に迫り出すと、クワガタの双角のように位置取りした。
そして、穂が動くことで剥き出しになった口金から、ぶぉん! と激しい音を伴って真紅の魔力が迸った。
最初は花火を思わせる無軌道な迸りを見せた魔力は、すぐに収束し、一本のルビーレッドのニードルとなる。径にして半メートル、長にして二メートルの巨大なニードルに。
魔力のニードルを中心に、左右を双角で固めた三叉槍、それが《アパシュナウト・トリデンティ》、鋭利なる海神槍と呼ばれる杏子の決戦兵装だ。――そう呼ぶのは今のところ、ひとりだけだが。
槍の変形中に何体かのファンタズマは触手の攻撃を受けて消失したが、目論見通り本体は無傷。
「準備はいいかい、マミさん、かおり!」
それには応えず、マミはちら、と視線をかおりに向け、彼女のソウルジェムの装着部位を確認する。
ちょこんと頭にかぶさった帽子の中央に蒼銀のソウルジェム、それを認めると彼女の瞳を見つめるようにして告げた。
「夜宵さん、どこを撃つかは任せるけど、頭だけは避けてもらえる?」
「え? えぇ、構いませんが」
「ありがとう、理由は後で説明するわね。……さて、杏子ちゃん、オーケィよ!」
「おうッ!」
叫び、そして数多のファンタズマを霧散させる。
突撃に際しロッソ・ファンタズマを使わないのは魔女の攻撃を侮っているから――ではない。タイミングを合わせての攻撃である以上、銃撃を行うふたりは杏子の突撃の瞬間を把握する必要がある。
しかし、マミはともかく夜宵かおりは、分身だらけの中から本物の杏子を見分けられない。そのため、雲霞のごとくファンタズマがいる状況では、本当の突撃のタイミングが把握できないだろう、と考えてのことだ。
タイミングを合わせるための杏子の気遣いだが、結果としては無意味だった。
約束事を反故にする者がいたからだ。
「モード、フローズン・シューター……」
夜宵かおりが囁くや、瞬時に右腕に装着した魔銃が氷に包まれた。
瞬間的な氷結の影響か、内部に気泡を多く残した白く濁った氷。
白い氷は空気中の水分を奪いながら、魔銃の先端と末端から樹氷のように伸びていく。
魔銃の前方には銃身のような細い氷が、後方には銃床のような幅広の氷が形成される。本来は純白の中にも蒼の飾りを見せていた手甲型の魔銃は、今や白無垢の長銃の様相を呈していた。
氷はさらに育ち、かおりの手首から始まり、手を、肘を、二の腕をと徐々に凍らせていった。腕そのものを銃の一部としてしまう、そういった意志を魔銃が持っているようにさえ思える動きだった。
「すごい冷気ね……」
数メートル離れていてなお冷凍庫に入ったような寒気を感じ、マミはつぶやいた。
既にティロ・フィナーレを放つべき大砲は練り上げられ、マミの前面で砲撃のタイミグを待ちわびている。
突撃の瞬間を見逃さないように視線を杏子に向けているため、夜宵かおりはマミの視界の端にかすかに入っているに過ぎなかった。
その視界の端で、少女が動いた。
杏子の突撃を待たずして、エプロンドレスに身を包んだ魔法少女が攻撃を開始する。
「コンプレス・アーツ……リリース!」
氷の長銃が、主人の叫びに応え氷点下の魔弾を撃ちだした。
射撃の衝撃に耐え切れず、魔銃と右腕を覆う堅氷に細かい亀裂が無数に走る。亀裂は表面を覆う氷のみならず、その下の皮膚と肉までをも裂いた。
「なッ!」
突撃の機会を伺っていた杏子は、突如として放たれた魔弾に声を荒げた。
しかし、彼女は百戦錬磨の魔法少女だった。すぐに為すべきことを諒解し、魔弾を追うように突撃を開始する。
そして、巴マミもまた百戦錬磨だった。杏子の攻撃とタイミングを合わせるべく、魔女の腹部に照準し、焦ることなく機を待った。
大気の絶縁を破り駆け抜ける稲妻のように、杏子は疾駆した。
迅くそして鋭く、ジグザグの軌道で触手を躱しながら、氷の魔弾に追いつかんばかりの速力で。
だが、わずかに及ばず氷の魔弾が先んじて魔女の腹に到着した。
途端、着弾点から氷が広がる。澄んだ水に墨汁を落としたような勢いで。
放射状に広がる氷は横方向のみならず厚さ方向にも層を成すように成長し、ぺきぺき、ぱきぱきと氷の重なる音を響かせた。
音が止むまで一秒とかからなかった。その僅かな時間で、魔女の巨躯全てを覆うように氷は成長した――瞬間、杏子の神槍≪アパシュナウト・トリデンティ≫が堅氷を割って魔女の腹肉に突き刺さる。
槍穂で創られた双角が深く、そして魔力の凝集した中央のニードルがより深く、肉を穿ち魔女の体内に侵入した。
「弾けろッ!」
杏子が叫ぶと、魔力のニードルが魔女の体内で膨れ上がる。
瞬間的に数倍の体積にまで膨張すると、膨らみすぎた風船がそうするように幾万の針となって爆散した。個々の針は魔女の体内を食い荒らすかのように進み、進んだ先で蓄えた魔力を解放させて爆発を起こす。
魔女の体躯が、封を開けた炭酸飲料のようにそこかしこで爆ぜる。
苦痛に呻き身悶える魔女、しかし彼女はすぐにその苦痛から解放される。
苦しみから解放する一撃が届いたからだ。
「ティロ・フィナーレ!」
杏子が神槍を引き抜いた刹那、その穿通痕に狙い過たず、膨大な魔力を伴った魔弾が着弾する。
技名の通りに戦いの幕引きを告げる一撃。それは瞬時にして魔女の体躯の過半をえぐり消し飛ばした。
残る部位も杏子の《アパシュナウト・トリデンティ》が放った魔力針の爆散効果により、程なく焼け尽きる。
そして、結界は崩壊を始めた。
◇ ◇ ◇ ◇
廃工場に惨劇の痕跡を示すものはひとつだけだった。
夜宵かおりが左腕に抱く、千尋早苗の亡骸だ。右腕は≪フローズン・シューター≫の冷気により凍りつき、さらには射撃の衝撃のためにひび割れ、深い裂け目を幾つも作っており、彼女を抱ける状態ではない。
そんな自らの右腕に治癒を施すこともなく、かおりは得意とする治癒魔法を彼女の亡き骸に注ぐ。
だが、いくら治癒魔法を使っても一向に回復の兆しは見られなかった。
やがて、夜宵かおりはようやく仲間の死を受け入れたのか、大粒の涙を零し始める。千尋早苗が彼女の腕からすりぬけ、コンクリートの床にどさりと落ち、そして仰向けになった。
「どうして、こんな、傷ひとつないのに……?」
それは問いではなく独白であったが、マミが受けて答えた。
「さっきの頭以外を狙って欲しい、という話にもつながるのだけれど……私たち魔法少女の魂は、ソウルジェムに封じられているの。……だから、身体の方は魂のない人形のようなもの。ソウルジェムさえ砕かれなければ、私たちは死なないわ」
俯いて涙を零すかおりは、マミの声にも反応を示さない。一拍おいてマミは続ける。
「逆に、ソウルジェムを破壊されれば、身体は無傷でも命を落とすわ。そちらの方、ソウルジェムが見当たらないから、おそらくは……」
やはりかおりは反応しない。マミと杏子は言葉を重ねず、ゆっくりと彼女が落ち着くのを待った。
窓の外から聞こえる横断歩道の音楽が、五度は繰り返されただろうか。
やがて涙を零し尽くしたのか、彼女はかぶりを振ると、充血した瞳でマミを睨みつけるようにして言った。激発と称してもいい口調だった。
「そんな突拍子もない話を、信じろとおっしゃいますの?」
それはマミも予想していた反応だった。
突拍子もない、というのは控えめな表現と言っていいだろう。己の魂が既に身体から抜き取られ、一個の宝石に封じ込められているなど、悪夢や悲劇と言っても過言ではない。――もっとも、マミと杏子が秘しているソウルジェムに関する真に絶望的な事柄に比べれば、大したことはないのだが。
「ええ、信じて。これが証拠よ」
マミの優しく響く声は、かおりの精神を落ち着かせた。
そのため、激情と平静の狭間で、一時的にかおりは空白状態にあり、目の前で起こった事態が把握できなかった。
マミがマスケットを掌中に生み出し、銃口を左の乳房の付け根――心臓に突きつける。指が躊躇なく引き鉄を引く。銃口から魔弾が撃ちだされる。
魔弾はオフホワイトのブラウスを千切り、ほの白い柔肌をえぐり、鮮やかな赤色の血と肉を裂き、そして心臓を貫いた。
「なッ――!」
先に叫んだのは杏子だった。
感情の空白状態にあったかおりは理解が追いつかず、杏子より若干遅れて悲鳴をあげる。
前のめりにマミが崩れ。そして、次の動作を見たかおりの悲鳴は、先のものと異なり恐怖の色が濃かった。
息絶えたはずのマミが崩れ落ちる半ば、片膝をついて持ちこたえる。そこから緩慢な動作で両腕を動かし、胸にあてがう。両の手からは治癒の暖かい光が溢れだし、時間を巻き戻すように彼女の傷口を癒していく。
それは夜宵かおりにとっては理解の埒外にある光景であった。そして、人は理解できないものに恐怖を覚える生き物である。
しかし彼女の心が恐慌に染まる前に、マミが浮かべた優しい笑みが彼女の精神を押しとどめた。
「ね? 心臓を撃ち抜いても、死なないの。もちろん痛いし、治癒魔法で癒さないと動けないし、怪我は避けるに越したことはないんだけどね」
こくり、と夜宵かおりが頷く。
その首肯はマミの言葉を理解したことを示しただけであって、事実として受け入れたことを示すものではない。
呆けたような、痴れたような雰囲気を漂わせたかおりは、ゆっくりとした動きで左手で短刀を引き抜き、切っ先を左胸にあてがった。
「あっ、だめよ! 夜宵さん!」
マミの切羽詰まった制止にきょとんとしてみせると、かおりは素直に短刀を胸から外して問い返した。
「何故ですの? わたくしも魔法少女ですから、同様に……」
「それはそうなんだけど……。ただ、やるなら『絶対死なない』って強く信じて欲しいの。今みたいに、確かめるために半信半疑だったりすると、あなたの魂が死を受け入れてしまいかねないわ」
「……?」
「例えばね、この事実を全く知らない魔法少女が心臓を貫かれたとすると、その子は自分を死んだと思うわよね。そうすると、魂も自分を死んだと認識して、そのまま死んじゃうの」
話しながら距離を詰めると、マミは彼女のぼろぼろになった右腕に両の掌を添えて、癒しの魔法を発動させる。氷結していた裂傷が融けることで一時的に血が流れるが、すぐに治まって傷がふさがっていく。
伝わってくる治癒の波動に表情を和らげながら、しかし詰問するような口調でかおりが続けた。
「そのような大事なことを、どうしてあなただけがご存じですの?」
「それは……過去に色々あって……。キュゥべえは、聞かれない限りこのことは話そうとしないし」
「色々、の部分は話して頂けませんの?」
「ごめんなさい……それは……」
言いよどむマミは彼女を直視することを避けるように、まだ痛々しい傷痕の残る彼女の右腕を見つめる。と、彼女自身も治癒魔法を使い始めたのか、傷痕が消え去り、産毛さえほとんどない小麦色の綺麗な肌へと甦っていった。
傷が癒える間に彼女の心の整理も進んだのか、ようやく彼女は落ち着いた表情を見せた。
マミへ、そして杏子へと視線を送ると、ゆっくりと口を開く。
「わかりましたわ。たった今おふたりには助けて頂きましたし、なにより尊敬する先輩のお言葉ですものね」
その言葉に、マミは少し意外そうな表情を、杏子は露骨に嫌そうな表情をしてみせる。
ふたりの反応は当然のものと彼女も理解した、彼女にも自覚はあったからだ。
「つっかかる後輩とお思いでしたでしょうね」
完全に右腕が回復した彼女は、膝を屈すると横たわる早苗の頬に手を添えた。その所作は、息絶えた少女を慰めるようにも、前に立つふたりの魔法少女に敬意を示すようにも受け取れる。
「おふたりのことは、ワルプルギスの夜を倒した英雄とキュゥべえから聞いています。それだけに、立ち入り禁止地区の大型魔女を放置していることに最初は納得がいかず、生意気な態度をとってしまいましたわ。今は事情も分かりましたけど……」
今度は、マミは当惑気味な表情を、杏子は得意げな表情をみせた。
実際には、ふたりはワルプルギスの夜を倒しておらず、彼女の言いようは事実から乖離している。
キュゥべえは嘘はつかない。しかし、聞き手のミスリードを誘うように語ることは厭わない。
どのような意図があってのことかは分からないが、かおりにそう誤解するように語ったのだろう。
「キュゥべえの言うことは、話半分に聞いておいてもらった方がいいと思うけど……じゃぁ、早速先輩としてふたつ」
マミは誤解を正すことはしない。自分を良く見せたいから、ではない。自分たちが倒していないと説明すれば、では誰が倒したのかという話になり、それを説明するためには、ソウルジェムの秘された真実にまで話が及びそうだからだ。
――だから、キュゥべえもそういう風に話したのかしらね。
マミは納得すると、表情を『厳しい先輩』のものにして、膝を屈しているかおりを見下ろした。
「まずひとつめ、どうしてタイミングを揃えずに攻撃を始めたの? 場合によっては、あなたの攻撃を反射されて、あなた自身が大怪我をすることになったかもしれないのよ。ううん、あの威力なら死ぬことだってあり得るわ」
「わたくしのフローズンは対象を氷で包み、使い魔程度ならそのまま押し潰し、巨大な魔女でもしばらくは行動を封じるものです。先に着弾させた方が、おふたりの攻撃がより効果的になりますもの。それに、わたくしの友人の仇討ちです、わたくしがリスクを負うのは当たり前ですわ」
返す言葉には躊躇いも逡巡もなく、彼女が心の底から正しい行為と信じていることをうかがわせた。それは彼女がふたりに向けた迷いのない瞳からも察せられる。
だが、ふたりの返事はかおりの自負に沿うものではなかった。
「立派な心がけって誉めてやりたいとこだけどさ、お前の友人はそんなこと望んじゃいないんじゃないの」
「そうね。もちろん虎穴にい入らずんば、ってこともあるのは確かだけど、好んで危険な目にあうのは良くないことだわ。あと杏子ちゃん、お前っていう言い方は乱暴だしやめた方がいいわね」
肩をすくめる杏子を見て、マミは控えめに笑う。
「ふふ……それともうひとつは、言いづらいことだけど、亡くなったご友人をどうするか、ね」
「どうとは、どういうことでしょうか?」
「二択だろうね。家族に遺体を返してやるか、あるいは遺体を隠して永遠に行方不明にするか」
そういうことだと諒解するや、梢ジュンの無惨な亡骸がフラッシュバックし、胃液が喉を逆流しようとする。――と、マミが手を伸ばし、かおりの首から胸にかけて軽く治癒の魔力をあてがい、彼女のえずきを止めた。
治癒魔法にこのような効力もあることをマミは経験から知悉していたが、かおりは初めての体験であり、きょとんとした表情を見せる。そして、唾液を飲み込んで落ち着くと、口を開いた。
「梢さんは選択の余地なく後者ですわね……」
「そう……辛かったわね」
彼女の言葉で事態を察したマミが沈んだ声で漏らす。杏子も声こそ出さないが、神妙な面持ちで視線を落とした。
「千尋さんは……どちらも残酷ですが……せめて亡き骸を返してあげる方が良いと思いますわ。後者は、いつまでも生きているかもという希望が捨てきれず、ご家族もお辛いでしょう……」
「希望が残るだけマシって考え方もあるよ」
杏子は自らの体験を思い返しているのか、僅かに声を震えさせ、拳をぎゅっと握る。マミも内心では杏子の意見に賛成するが、同時にそれはやはり実体験によるものが大きいのだろう、とも思う。
マミも杏子も、選択の余地なく前者の苦しみを味わい、何度も泣き、何度も眠れぬ夜を過ごした。それ故に、選ぶことさえできなかった後者を、隣の芝として羨んでしまっている――マミには、そういう風にも思えた。
結果としてマミは玉虫色の言葉で応える。
「どちらの考え方もあると思うわ。短いスパンだと希望があって救われるかもしれないし、長いスパンでみれば夜宵さんが言うように、その希望が辛さや苦しみになっていくこともありえると思う」
「まぁ、かおりの思うようにするのが一番さ」
「少し、独りで考えさせて頂けますか……」
かおりは、重く、そして粘つく言霊をひとつひとつ喉から吐き出すように喋る。
そう応えるかおりに別れを告げると、マミと杏子は風見野を発った。
◇ ◇ ◇ ◇
マミのマンションにほど近い緑道に、ふたりは舞い降りて変身を解いた。
マンションのベランダまで飛んで帰っても彼女たちは姿を見とがめられる心配もないのだが、やはりエントランスから歩いて入りたいという情緒的な想いと、緑道を彩る季節の花々の香りを楽しみたいというさらに情緒的な想いから、そうするのが常だった。
向暑の日は長く、まだ太陽は傾いてもいない。
それぞれの学校の制服に身を包んだふたりが肩を並べて歩く。マミは凄惨な戦いの残り香を洗い流すように、八重咲きのクチナシの甘い芳香で鼻腔を満たした。
「疲れたし、少し休憩してからパトロールに行きましょうか。温かい紅茶と冷たいジュースとどっちがお好み?」
それは杏子が喜ぶはずの話題であったが、彼女の反応は鈍かった、その鈍さにマミが違和感をおぼえる頃、杏子が足を止め、ゆっくりと口を開く。
「マミさん、さっきのあれだけど……」
「あれ?」
街路樹の芳香よりなお甘い、とマミの笑顔を杏子は評する。しかし、杏子の心に広がる不満は、その笑顔を前にしても彼女の表情を厳しいものにした。
杏子は無言のまま、指を鉄砲のかたちにして、自分の左胸に突きつける。そして、射撃を示すように、指を上に跳ね上げた。
「証拠を見せるためってのは分かるけど……分かってくれるまで口で説明すればいいじゃない。無事だと分かってても、見てて心臓に悪いよ」
杏子としては赤心からの抗議であり、意見でもあった。それだけに、マミの返しが許せなかった。
「心臓だけに?」
「あぁっ、杏子ちゃん、ローキックはやめて。……ほんと痛い! 魔力込めてない、これ?」