マミさんの歩く道に祝福がありますように ~やがて円環へと導かれる物語~   作:XXPLUS

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第三一話 マミさん、風見野へ急ぐ

 魔女は、一度結界を形成した後はずっと結界を維持し続ける、というわけではない。

 魔法少女に追われて結界を放棄して逃げる場合もあるが、それはむしろレアケースであって、そのことを指しているわけではない。

 基本的に結界を形成している状態は、魔女にとっては獲物を求める狩猟形態であり、魔女の生存時間のうち二割から三割程度の時間に過ぎない。

 

「だから、今日頑張ってパトロールしたからって、明日しなくていいってわけじゃないの」

 

 日曜日のお昼から夕方にかけて風見野南の広域を巡り、魔女を七、使い魔を一三倒したが、マミは満足していなかった。

 帰りの電車の中で、翌日も風見野南部のパトロールを行おうという提案を行う。杏子もかおりも異論はない。もっとも、杏子とかおりの場合は、白い魔法少女――毬屋しおんを排除することが主目的ではあるが。

 

 ――この件が落ち着くまでは、夜宵さんをひとりで行動させない方がいいわね。

 

 こちらが風見野南部を訪れ、白い魔法少女をあぶり出そうとしている以上、白い魔法少女が逆に風見野北部へ来ることも考えられる。

 四人掛けのボックス席の向かいに座る夜宵かおりに視線を向けると、彼女の通常のパトロールに対してもフォローがあった方がいいだろうとマミは結論した。

 風見野南部のパトロール、夜宵かおりのテリトリー(南部を除く風見野全域)のパトロール、見滝原のパトロール、全てを行うのは大変ではあるが、妥協をした末に後悔することを、マミは過去の経験からなによりも恐れていた。

 

「このあと、夜宵さんの縄張りのパトロールよね? そっちも一緒に行くわ」

「えっ、でも、巴さんも佐倉さんも、見滝原のパトロールがあるのでは……?」

「あるけど、そっちはあたしとマミさんで手分けしてやればすぐだよ」

 

 多分、結界はないだろうし、と杏子は続ける。

 毎日丹念にパトロールを行っているだけあって、見滝原の結界発生頻度はかなり低い。それでもゼロにならないのは、彼女たちがパトロールできない時間に結界を展開する魔女や使い魔がいることに起因する。

 

「見滝原まではさっきの子も来ないと思うけど、風見野だと不安だもの。できるだけ一緒にいた方がいいわ」

「分かりましたわ。正直なところ、ひとりでは色々と不安がありました、お言葉に甘えますわ」

 

 気位の高い夜宵かおりではあったが、巴マミと佐倉杏子に対しては見栄を張ることは少なくなっていた。幾度かに渡って力量の差を見せつけられたことも大きいが、決定打となったのはやはり巴マミの訪問によるケアだろう。

 

 

 

 

 

 風見野北部のターミナル駅で下車したマミたちは、パトロールを開始する。

 かおりを先頭に、少し後ろを並んで歩くマミと杏子。マミは小声で隣に立つ少女に語りかけた。

 

「杏子ちゃん、ファンタズマ・マンテーロって、サイズはある程度自由になるのよね?」

「身体の周りにテキトーな大きさの幻影を張ってるだけだからね。融通は利くよ」

「明日南に行ったときだけど、夜宵さんを一緒に隠すことは出来るかしら? どうも私と夜宵さんのふたりが目に見えてると、警戒して出てこない気がするのよね」

「……出来ると思うけど、抱きつくレベルで密着しないとだから、したくないなぁ。マミさんとならいいけど」

「んー……さすがに、夜宵さんひとりで囮してっていうのは、年長者としても先輩としても言えないわ」

 

 そりゃそうだよね、と同意しつつ杏子は薄手のカーディガンを脱いで腰に結わえる。ぎゅっと結び目を締めてから、指を潜り込ませて緩めると、杏子は前を歩くかおりの髪が揺れる様を目で追いながら呟いた。

 

「まぁ、そんな無理して誘い出さなくても、魔女を狩っていけば干上がって出てくるんじゃない?」

「それだと、手遅れにならないか心配だわ……」

 

 魔力の供給を枯渇させることで動くことを強制することはできるかもしれないが、タイミングによっては完全に魔力を失い、魔法少女でなくなってしまう可能性もある。マミの言う手遅れはこのことを指しているが、杏子の解釈は異なっていた。

 

「使い魔も一掃しておけば、そのへんの人に手を出すこともないだろうしさ」

 

 思考に優劣はない。それを前提としたうえで、マミと杏子の思考には差異があった。魔法少女の魔女化をなによりも忌避するマミと、一般人の被害を優先して考える杏子。

 思考に優劣がないとはいえ、相性というものはある。この場合、互いに見落としがちなところを補い合えるふたりの関係は、相性が良いといっていいのだろう。

 

 

 

 

 

 風見野北部のパトロールも、見滝原のパトロールも、結界を発見することなく終わった。

 それはつまり、風見野北部、見滝原ともにパトロールが行き届いた清浄状態に近いことを意味しているので、マミも杏子も結果に不満を持つことはない。

 お昼から、どっぷりと日が暮れた夜半までパトロールし続けていたことも、体力的、精神的にさほどの負荷ではない。

 しかし、時間的なしわ寄せは厳しく、帰宅した杏子は手つかずの宿題に悲鳴をあげた。

 

「もう、だから金曜日のうちにすませておけば良かったのに。でも、今回はしょうがないし、私がみてあげるわ」

 

 簡単な食事を用意したマミは、杏子を呼ぶために彼女の部屋を訪れ、泣き出しそうな顔で机に向かっている彼女を見てそう言った。現金なもので、杏子の顔がにわかに明るくなる。

 

「えーっと、基本は杏子ちゃんがやるのよ?」

 

 苦笑いを浮かべたマミが釘を刺すが、杏子はいささかも動じず生返事を繰り返す。その邪気のない笑顔を見ていると、マミは今日ばかりは私がやってあげてもいいかな、と苦笑いを微笑みに変えた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 翌日、夜宵かおりは四限目の授業を受けていた。

 私語ひとつない教室に、女性教諭の英文を読みあげる声が、詩歌を詠むようなリズムをもって響く。

 流暢にすぎて生徒の過半は聞き取れていないが、実践的な英会話を耳に慣れさせる目的の授業であり、カナダ国籍を持つ教諭はあえて生徒の理解を待たずに先へと進む。

 

 夜宵かおりの通う学校は、エスカレータ式の一貫教育を行うため、中学三年生の彼女たちも受験生というわけではない。そのため、受験を意識した科目は少ない。

 俗にいうお嬢様学校というものだ。

 制服もお嬢様学校に相応しく、夏服のワンピースは天蚕のシルク、冬服のブレザーはビキューナ混紡のウールで織られ、ともに銀糸で校章をかたどった豪奢な刺繍が施されている。

 六月後半の現在は衣替えの移行期間も終わり、かおりをはじめ全ての生徒が、チューリップの花のように広がった半袖が特徴的な萌黄色のワンピースを着用している。

 敷地は等間隔に並ぶ煉瓦造りの柱と、柱と柱の間をつなぐ鉄筋コンクリート製の白いパネルで覆われている。パネルには様々な花や鳥、蝶をかたどった孔が設けられており、塀という排他的な存在ながら柔らかい印象を見る者に与える。

 また、煉瓦の柱の上には中に向けたもの、外に向けたものと多数のアルミミラーが設置され、フェンスの内側から校外の様子を見てとれるように工夫されていた。

 しかしながら、その塀は高さはせいぜい二メートルと、侵入者を阻むには心許なかった。いや、この場合は二メートルが五メートルでも同じだっただろうか。侵入者が魔法少女であったのだから。

 

 

 

 とん、と重量を感じさせない動きで、塀を飛び越えた毬屋しおんが着地する。

 細く小さな体躯そのものよりも、くるぶしまで伸びた濡れ羽色の髪、纏った厚手の小袖や袷仕立ての白袴の方が重みがあるように見えるほどだ。

 彼女は塀の近くの木立ちを抜けると、鼻歌まじりに校庭へ向かう。競技用のトラックがみっつは入る大きさの校庭では、今年入学したばかりの一年生が体操着に身を包んで体育の授業を受けていた。

 生徒たちも指導教諭も、戦斧を携え校庭を歩いてくる毬屋しおんに気付かない。

 球技に熱中していることが理由ではない、彼女は魔法で存在を希薄化させ、一般人に認識されないようにしているからだ。

 

「さて、三校目~。当たるといいな~」

 

 駄菓子屋の籤を引くように気安い調子で呟くと、彼女は校庭の端でやる気なさげに佇んでいる女子生徒に視線を向けた。

 特にその女子生徒を選んだ理由はない――封を開けたキノコ型チョコレート菓子の、どのキノコから食べるかをいちいち選ばないのと同じように。

 

 

 

 

 

 夜宵かおりの耳に届いていた女性教諭の詠うような声が、遠くから響いてきた悲鳴でかき消される。

 ひとりの悲鳴ではない。金切り声、絶叫、叫喚、啼泣、叫泣、そういったものがないまぜになった悲鳴の合唱が、校庭側の窓から届いた。

 尋常でない声に女性教諭が窓際に駆け寄り、そして目に映った光景に悲鳴をあげて崩れ落ちる。

 その様子に、生徒たちも立ち上がり窓側へと詰め寄る。普段なら周りの生徒を制止する役割の夜宵かおりも、前に立つ生徒を押し退けるようにして窓へと顔を近づけた。

 かおりの目には、毬屋しおんが両刃斧で体操着姿の生徒たちを襲う様が映った。そしてしおんを認識できない女子生徒たちの目には、校庭にいる下級生たちが突然に腕を斬られ、腹を裂かれる異様な光景が映る。

 襲撃者の存在が見えず、カマイタチに襲われたかのような状況におかれた下級生たちは、一部が傷付いた同級生をフォローしようと行動するものの、大部分は逃げ惑うことさえできず、腰を抜かしたようにしている。

 そんな彼女たちを、嬲るように不可視の斧が淡々と襲っていった。

 

 かおりの精神は当然のように怒り、義憤に駆られた。

 しかし彼女の肉体、ことに両脚は、周囲にいる女子生徒たちと変わらぬ反応を示した。すなわち、小刻みに震え、立つことすらままならなかった。

 目に映る光景、耳に届く悲鳴、それらは脳裏に残る敗北の記憶を呼び覚まし、かおりの肉体にそういった反応をさせた。

 

「このっ!」

 

 かおりは崩れ落ちそうになる両脚を平手で叩き、次いで頬も叩いた。

 そして、マミの言葉を反芻する。『いざという時、足がすくんでいたら今度は夜宵さんが命を落としかねない』と――

 

「これは怯えではなく、武者震い……ですわ」

 

 行動と言葉で無理矢理に恐怖を糊塗すると、彼女は存在の希薄化を行う。その上でスクールバッグから携帯電話を取り出し、時折震える指でタッチパネルを叩いた。

 おそらくはマミも授業中であろうが、それを考慮するとかなりの早さで応答の声が返ってきた。

 

「はい、巴です。どうかしたの、夜宵さん?」

 

 マミの声を聞き、かおりは自らの心拍数が落ち着いていくことを自覚しながら、短く、早く状況を伝える。

 

「分かったわ、杏子ちゃんとふたりで一五分……いえ、一〇分以内に行くわ。ごめんなさい、少し待ってね」

「はい、お待ちしておりますわ」

 

 そう応えて通話を終了させるかおりだが、マミたちの到着を待つつもりはなかった。

 単独で白い魔法少女に勝てるという自信はない、むしろ負ける可能性の方が高い。それでも、同じ学び舎に通う仲間を好きにさせておくことは、かおりの義侠心が是としなかった。

 

「最悪、巴さんと佐倉さんがいらっしゃるまでの時間稼ぎでもいいのですわ」

 

 マミとの短い通話で、彼女は平静を取り戻していた。故にこの決断は自棄によるものではなく、彼女の瞳は静かな、しかし強い意志の光をたたえていた。

 そして、彼女は窓から身を躍らせる。

 落下のさなか、萌黄色の上品なワンピースが、魔法の光に包まれて同色のエプロンドレスへと装いを変える。変身と同時に放ったクロスボウボルトの一射は、彼女の着地のタイミングで白い魔法少女、毬屋しおんの肩口を射抜いた。

 着地するや、五〇メートルほど離れた位置にいるしおんへ向けて大声をあげる。

 

「おやめなさいっ!」

「おっ、ここで当たりか~。三校目で当たるとは、日頃の行いの賜物かね~」

 

 肩に刺さったボルトを気にもせず、しおんが笑う。

 しおんはマミたちとは別の論理で、不死の身体を持つ魔法少女であった。

 生来痛覚を持たないしおんは、痛み、怪我といったものを視覚以外では認識できない。

 もし、生身であるならば、視認は出来なくても受けた傷は相応しいダメージ――行動能力の低下や死亡――をもたらす。

 しかし魔法少女となった彼女は、どのような傷を受けても魔力によって身体を動かせる。

 そして、遅れて傷を認識したソウルジェムは、こう結論する。――たいした傷じゃなかったんだ~、と。

 そのため、外傷によって死亡することは、毬屋しおんという魔法少女にはなかった。

 

「三校、ですって……?」

「そうだよ~。この時間なら黄色と赤いのはいないかと思って、あんたを探してたんだよ~」

「ほかの学校でも、このようなことを行ったというのですか!」

「だって暴れないと、あんたガクブルして出てこないかもしんないじゃん~。安心しなよ、死ぬような怪我はさせてないよ~。貴重な餌だもんね~」

「なんてひどいことを……」

「そう深刻になんなくても、運が悪くても一生病院暮らし程度だよ~。病院暮らしも悪くないよ~。ソースはわたし~」

「あなたは、更生を望める人間ではありませんわね。今日ここで命を絶ってさしあげますわ」

 

 すっ……と右腕を前に突き出し、装着したクロスボウからボルトを撃ち出す。先の奇襲とは異なり、ボルトは振り回された戦斧に阻まれ地に落ちた。

 

「……場所を変えますわよ」

「やだ。ここで戦う~」

 

 意地の悪い笑みを浮かべてノーを返したしおんは、近くにいる女子生徒に眠りの魔法をかけると抱きかかえて、即興の盾とした。

 両刃の斧は大きく、前に押し立てれば小さなしおんの身体全てを覆う盾となりえるが、それを採らずに女子生徒の盾を選んだのは、かおりへの精神的な揺さぶりが大きい。

 

「……犬畜生にも劣りますわね」

「口の悪いババアだな~」

 

 女子生徒を盾としたしおんは、ゆっくりと間合いを詰める。

 先の風見野南での戦闘のように、接近戦間合いまで近寄ったうえで、女子生徒を押し付けてもろともに斬るつもりなのだろう。

 

「モード、ホーリーレイ」

 

 しおんの目論見はかおりの諒解するところでもある。

 光の矢の速力ならば、女子生徒の盾で受ける暇を与えずに射抜ける、そう判断したかおりは、接近される前に撃ち抜くべく、右腕の武器を白と青の魔銃へと変形させた。

 

「おっ、なんかゴツくなったね~」

「えぇ、今日は手加減抜きですわ」

「いやいや、前回手加減してるようには見えなかったよ~?」

 

 光の矢が撃ち出された。

 顔を狙った矢を、しおんは右手に持った斧を動かして受けた。女子生徒で受けなかったのは、人質でもある彼女を慮ってのこと――では勿論ない。可能ならば女子生徒に直撃させて、かおりの動揺を誘いたいところであった。だが、光の矢の速さに、人質を射線に捻じ込ませることもできなかったのである。

 

「はっや~。すごい速さだね~」

 

 かおりは応えず、ホーリーレイの装弾行為を見せつける。

 単発とミスリードさせるフェイクはマミには通用しなかったが、頭の悪そうな白い魔法少女になら通じると踏んでのことだ。

 しかし、この行為は、フェイクの間にしおんの接近を許すという問題も有していた。

 

「でも真っすぐしか飛ばないなら、銃口さえ見てれば問題ないね~」

 

 装弾行為を完了したかおりは再び光の矢を放つ。

 距離としては一射目の半分程度まで近づいていたため、着弾までの時間は短く、防御はより困難になるはずだが、頭部を狙った光の矢をしおんは言葉の通り易々と戦斧で防いだ。

 ホーリーレイに再び魔力が注がれる。はたして、しおんはかおりの狙い通りの誤解をした。

 

「いくら速くても、真っすぐなうえに単発じゃダメだよね~」

「わたくしのホーリーレイは光の矢、そうたやすく避けれると思わないことですわね」

 

 毬屋しおんとしては、女子生徒を人質代わりに戦えるという理由で戦場の変更を拒んだのだが、それは同時に、夜宵かおりに対して細部まで熟知した場所で戦うというアドバンテージを献上したことにもなる。

 しおんの顔に向けられていた銃口がすっ……と左に動いた。

 その挙動に、しおんは一瞬だけ怪訝な顔を見せるが、それ以上深く考えることはしなかった。せいぜいが、銃口を振って狙いを紛らわせたいといったところだろう、と結論する。

 光の矢が放たれた。

 それは銃口の向きが示す通り、しおんの身体を照準していなかった。彼女は口の端を歪めると身体をかすめて飛ぶ光の矢を見送る。

 

「どこ狙っ……」

 

 しおんが放とうとした嘲りの言葉は、左肘に突き刺さった光の矢によって途中で妨げられた。

 

「光ですのよ? いくらでも反射いたしますわ」

 

 今度はかおりが口元を歪める番だった。

 敷地を囲む塀の上にに複数設置されたアルミミラー。それを反射鏡として四回、五回と軌道を変えた光の矢は、ビリヤードさながらに校庭を舞い、しおんの左肘を射抜いた。

 盾として抱きかかえられていた女子生徒がどさりと土の上に落ちる。

 

「命中して浮かれてんの~? チャージ忘れてるよっ!」

 

 かおりとしおん、彼我の距離は既に一〇メートル程度となっていた。かおりの武器が装弾されていない、と判断したしおんは、手放した人質に拘泥せず、一気に距離を詰めようと駆ける。

 だが、装弾されていないというのはかおりのフェイクに過ぎない。

 

「……忘れているのではありませんわ」

 

 ホーリーレイから二の矢、三の矢が放たれる。装弾なしと見て接近速度を優先していたしおんは、飛来する光の矢に対して回避行動も防御行動も取れず――

 

 

 

 白い魔法少女の姿がかおりの視界から消えた。それと僅かな時差すらもなく、かおりの右腕が上腕部半ばで両断される。

 断ち切られた右腕は、血しぶきをあげて宙を舞い、薄褐色の校庭の土を鮮血で暗い赤色に染めていく。

 かおりの視界の右端に、戦斧を振り抜いた姿勢の白い魔法少女がいた。彼女は自らの腐った性根を余すところなく表したいびつな笑みを浮かべる。

 

「はい、逆転~。武器がなくなっちゃ、どうしようもないよね~」

「逆転、ね。劣勢だった自覚はおありのようですわね」

「いちいちうっさいな~、小姑かお前は~」

 

 夜宵かおりは、戦闘を継続しながら右腕を治癒することは現実的ではないと諦め、左手で腰の短刀を引き抜く。刃渡りにして二〇センチにも満たないそれは、しおんの巨大な戦斧を相手にするにはあまりに頼りなく見えた。

 

 その印象の通り、かおりは防戦一方となる。

 無軌道に襲いかかる純白の大斧を受けるたびに、左腕が大きく揺さぶられて防御ががら空きになる。それでも有効打を受けていないのはかおりの力量によるもの――ではない。

 しおんが短刀を狙って斬撃を叩き込んでいるからだ。嬲る意図が八割、残りは時間操作能力の回復を待つためといったところだろう。

 

「ほらほら~。ボディが甘いぜ~」

 

 右からの斬撃で短刀が左へ、左からの斬撃で右へ、大きく跳ねる。もはや攻撃を捌くのではなく、いいように弄ばれている状況だ。

 

 ――何分くらい稼げたのでしょうか……。巴さんが到着するまでは頑張りたかったのですが……。

 

 そして、夜宵かおりの意識は既に敗北を認めつつあった。

 そもそもにして、彼女は無意識に敗北を前提にしていた。最初から、勝つことではなくマミが到着するまでの中継ぎを目的としていることからも明らかである。

 右腕を失って以降の劣勢も多分に意識の持ちようによるところが大きい。魔力によって肉体を制御する魔法少女にとって、利き腕も逆の腕も大差はない。

 しかし彼女は、左腕でしのぎ切るのは難しい、と自ら思い込んだ。そのために、彼女の左腕は魔法を持たない人間がそうであるように、利き腕に対して劣った動きしかできなくなった。

 ふと、救急車のサイレンが届いた。

 その音は本来的には事態の収拾になんら寄与しない。だが、かおりの心は、その音は救いをもたらすものと響いた。

 つまり、彼女の精神は緩んだ。

 

 左手首から先が、斧の斬撃で断ち切られた。

 

「あら~、まだまだ遊ぼうと思ってたのに~。がっかりだよ~」

 

 地に墜ちたかおりの左手を、白塗りの浅沓が踏む。

 しおんが足に力を込めると、骨の折れる音が響き、踏まれた指があらぬ方向へとへし折られていった。

 

「ま、壊れたおもちゃはすぐ片付けるタチなんで~。さくさくっと終わらせるよ~」

 

 無意識下では負けを認めているかおりだが、表に出る態度は異なった。嘲る笑みを浮かべると、傲岸とした口調で言い放つ。

 

「両手を奪ったくらいで勝ったつもりですか? こちらの牙はまだ折れておりませんわよ」

「泣いて命乞いでもすれば可愛げがあるのにね~」

 

 かおりの挑発の効果か、しおんは前言を翻し嬲るような攻撃を続けた。これに関しては、かおりの意図通りと言える。

 もちろん、嬲るとはいっても傷を与えることを手控えているわけではない。繰り返される斬撃の中、やがて右足が膝から断ち切られ、かおりは立つことすらかなわなくなる。

 斧の柄でしたたかに叩かれ、かおりは仰向けに転がった。

 既に時間操作能力の回復しているしおんは、余裕を持ってかおりに近寄り、下腹部を踏みつける。

 

「痛い? 痛い~?」

「うるさいですわね。人間は意志の力で痛みだってねじ伏せられるのですわよ」

「へぇ。いちいち意志の力ってのが要るんだ~?」

 

 戦斧の刃を、かおりのふたつの乳房の間に押し付けると、鋸をひくようにして前後に動かす。

 エプロンドレスが縦に両断され、肉に喰い込んだ刃が骨を削る音が響いた。痛覚のほとんどを遮断していても、生理的な嫌悪感を喚起させる音が精神に痛みを与える。

 

「それにしても、こんだけやってんのによく死なないね~」

「そうですわね。もし何も知らないままのわたくしなら、きっと死んでいたのでしょうね」

「次は首をもらうよ~。それでも生きてたりしないだろうね~?」

「あら。この間、首を斬っても死ななかったの、もうお忘れですか?」

「面白いね、あんた。持って帰ってずっと飼いたいよ~」

「わたくしを飼い慣らすなど、よほど高潔な方でないと無理ですわね」

 

 脳裏に巴マミの姿が浮かび、かおりは苦笑するとともに頬を赤らめた。そして、瞳を閉じると瞼の裏側に映るマミに告げる。

 

 ――精一杯頑張りましたわ。時間も稼げました、もう……。

 

 だが、イメージの中に存在するマミは優しい言葉をかけなかった。

 

『もう? もう、何かしら? 頑張ったんだから負けてもいい、そんな風に考えているなら軽蔑するわ』

 

 それはもちろんテレパシーの類いではなく、夜宵かおりの心の中だけに存在する巴マミの反応であった。けれど、かおりにとってはマミの直の言葉に思えた。

 かおりの苦笑が不敵な笑いへと変わる。一連の変遷を見てしおんは「きもいんだけど~」と吐き捨てた。

 しかし、しおんの嘲りの言葉も、かおりには届かなかった。かおりの脳――あるいは魂は、思考に集中していたからだ。

 

 

 

 夜宵かおりは思考を巡らせる。

 魔法少女はソウルジェムが本体で、身体はソウルジェムが支配するパーツに過ぎない、と聞いた。

 であるならば、ソウルジェムのコントロールはどこまで及ぶのか。

 ソウルジェムと接触している部分――自分の場合は帽子にはまったソウルジェムから繋がっている部分、この状況だと頭、胴、左足だけなのか。

 

 いや、違うはず。

 巴マミはソウルジェムから一〇〇メートル程度までは身体のコントロールが可能と言っていた。ソウルジェムと接触している、繋がっていることは必須条件ではない。

 ならば、切断された手足も遠隔で支配できるのではないのか。

 

 かおりの推論は正鵠を得ていた。

 試しに、切り落とされた右腕の小指を動かす様をイメージすると、それに従うように指が動きを見せた。

 

 ――いけますわね。

 

 

 

 かおりにとって僥倖はふたつあった。

 ひとつは、しおんが斬り落とされたかおりの四肢をいたぶるかのように蹴り飛ばしたこと。

 その際に不自然さを感じさせないように腕を操り、ホーリーレイの照準をしおんに向けた。

 もうひとつは、しおんが勝利を確信し、周囲を警戒することなくかおりを嬲り始めたことだ。

 斧頭にある鋭い錐がかおりの頬に押し付けられる。

 

「死に化粧っていうの? してあげようか~」

 

 錐は頬に浅い傷をつけながら、弧を描くようにして口元へ辿り着く。刻まれた傷から鮮血が滲み、口の端から頬まで赤い線が連なった。

 

「口裂け女って奴~?」

「なんですの、それは」

「昔の都市伝説だよ~」

「あいにくと、そういう低俗なものに興味はありませんの」

 

 かおりの揶揄を受けて、逆側の頬にあてがわれたていた錐に力が込められた。錐が頬の肉を貫いて口腔に侵入する。金属製の錐と奥歯が擦れる嫌な音が響いた。

 

「へぇ~。けっこう面白いのに~」

 

 口腔に溢れる血を舌で舐めとると、唾を吐くようにしてしおんの顔めがけて飛ばした。

 吐き出された血糊はしおんの頬に届き、病的な白さを見せる彼女の顔の左半分を朱の色に染めながら、どろりと垂れる。

 

「少しは健康的な頬の色になりましてよ」

 

 そして、不敵な笑みを浮かべる。――このやり取りの間に、ホーリーレイはフローズンシューターへの変形を遂げていた。

 

「うぜぇ。死ね」

 

 激発した感情のままに双刃の戦斧を大きく振り上げる。

 四肢を失ったかおりを警戒する必要もないと判断するのも無理はないのだが、それが致命的な隙となった。

 

「凍てつきなさいっ! フローズンシュート!」

 

 発射の反動で、凍りついた右腕が後ろに跳ぶ。幾度か地面にバウンドするうち、腕を覆う氷の表面に亀裂が走り、五度目のバウンドで腕ごと粉微塵に砕け散った。

 その犠牲を払った一撃は、狙い過たず斧を振りかざすしおんの脇腹に刺さった。

 

 

 もし、しおんに痛覚があれば、着弾と同時に時間を停め、凌ぐことができたかもしれない。

 だが、彼女には痛みを感じる心はなかった。それ故に自身を覆わんとする氷の存在に気付いたのは、下半身と片腕が完全に堅氷に埋もれた後だった。

 慌てて瞳を閉じ、時を刻む針を止める――が、無駄だった。

 既に身体の過半を氷河のごとく堅牢な氷に捕らわれた状態にあった彼女は、僅か三秒の時間停止では、状況を好転させることはできなかった。

 無為な三秒が過ぎ去り、堰き止められた時が再び動き出した時、彼女は海底に深く沈み水圧に潰される紙風船よろしく全身を肉厚の氷に押し潰される。

 

 そして、しおんは断末魔をあげることすらなく絶命した。

 

 

 

 

「勝ちましたのね……、今度こそ、もう、いいですわよね……」 

 

 温かな湧き水で満ちた泉にゆっくりと沈むこむようにして、彼女の意識は弛緩していく。

 徹夜明けのように瞼が重い――もっとも、魔法少女になってからは眠気を除去する魔法のおかげで、そういった感覚とは無縁だったが。

 

「これで軽蔑されずにすみましたわね……」

 

 ようやく、彼女は苦味も嘲りも強がりも含まない、純粋な笑みを浮かべた。

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