マミさんの歩く道に祝福がありますように ~やがて円環へと導かれる物語~   作:XXPLUS

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マミさん、温泉旅行に行く
第三四話 マミさん、杏子と戦う


 右手に備えた弩型の射撃武装スプレッドニードルから、ニードルが続けざまに放たれる。

 放たれたニードルは扇状に拡散して飛翔する。

 夜宵かおりの左右から斬り込んできていたふたりの佐倉杏子が、薄く貧しい胸を貫通するようにニードルを受けた。被弾した佐倉杏子たちは微かな煙を残してかき消える。

 ふたりの佐倉杏子が霧消したと同時、新たな佐倉杏子が夜宵かおりの背後に現出し、大身槍の穂先を彼女の首筋に撫でるようにあてがった。

 気軽に肩でも叩くような、気負いのない動作。それはふたりの間に存在する絶対的な力量差を示していた。

 首筋に冷たい金属の感触をおぼえた夜宵かおりは、一瞬だけ顔をゆがめるが、すぐに観念したように両手を挙げる――せめて潔く負けたい、というのが、彼女のせめてもの自尊心だった。

 

「そこまでね」

 

 距離をおいて眺めていた巴マミが静かに告げる。審判役のマミの言葉に、かおりは唇を軽く噛んで地面を見つめた。

 一方の杏子は、槍を引き戻して肩に担ぐとひょうひょうとした声で言った。

 

「アリアリであたしとやんのは、ちょっと無理があんだろ」

「飛車角落ちで良い勝負をしても、意味がありませんわ」

 

 いや、ナシナシでもあたしの圧勝だろ――と杏子は思う。そして思うに足るだけの実力を彼女は持っていたが、弱者をなぶる趣味は持ってはおらず、微妙な笑みを浮かべるに留める。

 

「杏子ちゃんのロッソ・ファンタズマとファンタズマ・マンテーロは、ずっと一緒にいる私でも惑わされるくらいだもの。見極められなくても仕方がないと思うわ」

 

 歩み寄ってきたマミが、模擬戦での事故を避けるため預かっていたソウルジェムをふたりに返しながら、慰撫するような声色で言う。

 

「悔しいですわ……」

「だけどさ、かおりも充分強いだろ。あたしやマミさんに勝てなくても、そんな気にしなくていいんじゃねーの」

「そう、それ! その明らかに格下を慰める態度がさらに悔しいですわ!」

「面倒くさい奴だなぁ」

 

 槍を両肩に担いで遊ぶように揺らしながら、呆れたという感情をストレートに表情に出す。

 

「向上心があるのは立派なことだけれど……何でもありの杏子ちゃんには私も十回やって二回勝てるかどうかくらいだから……」

「でも、通算ではマミさんが勝ち越してるよ」

「一年以上前のまで計算に入れればね。ここ数ヶ月は全然よ」

「全然ってことはないよ。なんなら、今やってみる?」

「いいけれど……杏子ちゃん、夜宵さんの前だからって、私に花を持たそうとしなくていいですからね?」

「あ、あたしがそんな気が利くわけないじゃん」

「どうかしら」

 

 じゃれあうような視線をからませながら、ふたりはソウルジェムを第三者――夜宵かおりに預ける。マミは手ずから、杏子は放り投げて。

 山なりの軌道で飛ぶ真紅のソウルジェムを、彼女は――

 

「あ、キャッチ失敗しましたわ」

 

 と、口にすると同時に叩き落とした。

 

「いやいやいや、お前今落とす前にキャッチ失敗って言ったよな?」

「気のせいですわ」

「なんだか、好きな子に意地悪する小学生みたいね」

「きもいこと言わないでよ」

「こちらの台詞ですわ」

 

 そして、夜宵かおりは、好きな子はこちらですよ、とばかりに預かったオレンジイエローのソウルジェムを指の腹で撫でる。その所作を見たわけではなかったが、マミは背筋に悪寒を感じてぶるっと身を震わせた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

「アリアリで行くよ」

「ええ。でないと意味がないものね」

「合図しましょうか? これを投げますので、落ちたらスタートで」

 

 中間距離で相対したマミと杏子の間に入るように、かおりが歩み出る。そして、今にも投げださんばかりに構えられた腕には――

 

「なんでナチュラルにあたしのソウルジェム投げようとしてんだよ!」

「あら……小石と間違えましたわ」

 

 マミは、心の底からの溜め息をひとつ吐くと、身を屈めて小石を拾い、

 

「もう。分かりました、私が合図します。いい、杏子ちゃん? 私が小石をひとつ落とします。杏子ちゃんは小石が私の手を離れたら動いていいわよ。私は小石が下に落ちたら動きます」

「オッケー」

 

 それはマミが不利ではないか、と外野のかおりが異議を唱えようとするも、先んじてマミが小石を落下させた。

 小石がマミの指から離れる様を見て、杏子は短く「ファンタズマッ!」と叫んだ。十を超える幻影を生じさせ、まだルール上身動きのできないマミに対して全方位から攻撃を仕掛ける。

 

「パロットラ・マギカ・エドゥ・インフィニータ!」

 

 小石が地面を叩くと同時、マミは死角をなくすように背後にのけぞると、針鼠のようにマスケットを乱立させる。そして無限の魔弾を放ち、接近する杏子の幻影群を撃ち落としていく。

 

「――そこねッ!」

 

 魔法少女の全ての行動は、魔力の発生を伴っている。無論、行動内容によって発生する魔力の多寡は異なり、それに応じて知覚の難易度も変わる。

 ファンタズマ・マンテーロで身を隠し、マミの背後に接近していた杏子だが、攻撃するために大身槍に魔力を込めたことで、マミに居場所を知られてしまった。マミはのけぞった身体をそのままに、背後に向けて手とマスケットを伸ばして一射する。

 

「当たりだけどッ!」

 

 滑り込むように身を低くして魔弾の一撃を躱しつつ、杏子は大身槍を横に薙ぐ。狙いは不安定な姿勢になっているマミの両脚だが――

 マミが手にしていたマスケットがほどけ、リボンの姿を取る。そしてそのリボンが、スプリングよろしく跳ねてマミの身体を宙に持ち上げた。

 滑り込む杏子の上を、背面飛びの要領でマミが飛び越える。その瞬間、杏子の顔には焦りが、マミの顔には笑みが浮かんでいた。

 

「ごめんなさいねッ!」

 

 リボンによる加速をつけて落下したマミは、まだ態勢の整っていない杏子をローキックで蹴り飛ばす。地面を二度、三度と転がった杏子が槍を支えに起き上がるが、そちらの――幻影の杏子を見ているのは夜宵かおりだけだった。

 マミは吹き飛んだ杏子には目もくれず、目前の何もない空間を再び手にしたマスケットの銃床で薙いだ。と、銃床が虚空から伸びた大身槍に受け止められる。

 

「マミさんは騙せないね」

 

 改めて言葉にするまでもなく、杏子はそれを重々承知している。それでも幻惑魔法を使っているのは、演武としての意味合いが大きい。つまり、夜宵かおりにマミがいかに幻惑魔法を捌くか、実演して見せているのだ。

 

「家族を騙す気? 悪い子だわ」

「家族の間でも秘密はあるじゃん?」

 

 槍と押し合いを演じていたマスケットが、ふっとリボンへ解け、その先にいる杏子を拘束しようとする――が、一閃した槍に微塵に斬りおとされる。

 そして、小細工を排した戦いが始まった。

 

 

 

 円を基本とする動きで杏子の刺突を躱しつつ、射撃を撃ちこんでいくマミ。

 線を基本とする動きでマミの魔弾を叩き落としつつ、刺突と斬撃を繰り返す杏子。

 決定打どころか有効打さえない状態で、演武の如き戦いは続いた。

 しかし、この膠着の時間を、マミは無為に過ごしていたわけではなかった。

 

 突きを繰り出そうとしていた杏子が、不自然な姿勢で動きを止めた。

 右手首に違和感をおぼえたからだ。

 引き戻して見ると、右の手首に線状の深い傷がはいり、鮮血が溢れている。

 

「あっぶな」

「よく止めたわね、すごい反射神経だわ」

 

 戦いの中、マミは極度に細く、そして強くしたリボンをワイヤーのように張り巡らせていた。

 それはいわば黄金の蜘蛛の巣。黄金色のワイヤーで築かれた網は、獲物が不用意に飛びこめば容赦なく切り刻む。

 

「こういう技は、底意地の悪さが見えちゃうよ」

「あら、ファンタズマの方がひどいと思うけど……」

「そうかもねッ!」

 

 左の手を突き出し、そしてマミの目の前で開く。手の中にあったのは、ファンタズマで生み出した光の幻影。

 太陽を直視したと同等のショックを受けたマミの視覚が、一時的に機能を停止する。

 

「うまい使い方ね、お見事だわ。……でも、私は杏子ちゃんの相手をする時は魔力を見てるから……あんまり意味ないかも」

 

 ホワイトアウトした視野の中で、杏子のルビーレッドの魔力波動が蠢く。かおりには茫とした存在としてさえ捉えられないが、マミにはその魔力がひとの形を取り、手足を動かす様まで知覚できる。

 だが――

 

 ――杏子ちゃんがふたり?

 

 魔力波動がふたつに分かれ、それぞれが杏子本人としか思えない実在感をもって、マミの左右を取った。ファンタズマの薄い実在感と異なる、本物のみが持つ重厚な存在感。それが同時にふたつあるという事態にわずかにマミは逡巡する。

 が、歴戦の魔法少女であるマミは、理解できない状況にも適切に行動する。

 絶対領域。高速回転するリボンで己を包み込み、不壊の盾とする絶対の防御陣を展開し、杏子の攻撃を受け止めた。

 

「絶対領域を使わされちゃったか。ファンタズマに本体と見紛うような魔力を宿らせたのかしら。どっちが本物か、分からなかったわ」

「うん。実のところ、あたしにも分からないんだ。どっちも本物……って感じ」

「新魔法?」

「なのかなぁ」

「後で名前考えましょうか」

「いいけど、叫ぶかどうかは別だからねッ」

 

 視力を取り戻したマミの視界に、苦笑いを見せる杏子が映った。

 

 

 

 右の魔力波動が僅かに強い。

 それを理由に右が本物と判断したマミは、滞空したマスケット群の銃口をそちらに向けた。

 しかし、数多の銃口に見つめられた杏子は避けようとする素振りすら見せない。幻影故か、幻影と思わせるブラフか、それとも撃たれてからでも回避できるという自信があるのか。

 

 ――杏子ちゃんの性格だとブラフはないわよね……。つまり、どっちにしたって外れ、かしら。でも、幻影を消しておくのも無意味じゃないわよね。

 

 マミがマスケット群の引き鉄を心の中で引こうとする。

 刹那、ふたりの杏子の魔力が揺らぎ、左側の杏子がより強い魔力波動を示した。そして、その変動はとどまることなく、振り子が揺れるように右、左と入れ替わりに自分こそが本体であると主張した。

 

 ――ファンタズマの魔力を変動させている……だけじゃなくて、本体の魔力も変動しているの?

 

 接敵までの短い時間で、マミが思考できるのはそこまでだった。それでも、どう戦うかの指針を決めるには充分な結論だ。本物が見抜けないなら、全てを本物と想定して戦うしかない。

 

 

 

 

 それは、実質二対一の戦いだった。

 数的に劣勢でありながら杏子に決定的な踏み込みを許さないマミを讃えるべきか。

 マミの雨のような射撃を前に、二体ともに被弾を避け続ける杏子を讃えるべきか。

 どちらの動きも自らから見て遥か高みにあり、夜宵かおりには甲乙を判断することができない。ただ、実時間で三〇秒にも満たない攻防が、かおりの体感時間としては四、五分にも及ぶ激しい殺陣に感じられた。

 

「ファンタズマってそんな器用に避けれたんだっけ?」

「いや、ファンタズマじゃないから、これ」

「じゃぁ何かしら」

「んー、あたしにネーミングセンスを求めないでよ」

「それは私にネーミングを白紙委任するって意味よね」

「しなくても勝手に名前つけるじゃん……」

 

 だが、杏子の回避動作も一分を過ぎる頃にはかなり精度が落ち、マミの魔弾を躱しきれなくなった。

 マスケットから放たれた白銀の魔弾が、ひとつ、またひとつと杏子の幻影を捉える。

 

 

 

 

 さすがにおかしい、とマミは思い始めていた。

 虚実の秤を小刻みに揺らす杏子の技に、マミの攻撃はことごとく虚像を裂いた。

 それが五回繰り返された段階で、マミはこれが偶然ではなく必然の事象――即ち、なんらかのミスリードを杏子が誘い、自分はそれに乗っている、と判断した。

 そこからは、敢えて真贋を看破することはせず、ランダムに攻撃を行った。

 そして、一三回。ランダムアタックは全て虚像に吸い込まれた。

 

 ――確率的にありえないわよね……私の意識をこっそり操ったり欺いたりしてるのかしら?

 

 無論、打開策はある。

 二体同時に攻撃すればいい。インフィニータによる一斉射撃でもいいし、より正確な並行照準射撃も、対象がふたつならさして負担ではない。

 それをしないのは、杏子の新魔法をより深く理解し、可能ならばブラッシュアップすべきところを提案してあげたいと思っているからだ。

 負けが込んでいる側の考えることではないが、マミにとってはいまだに――そしておそらく永遠に――杏子は教え子であった。

 

 

 

 

 かなり負担がかかる魔法なのだろうか。

 杏子の動きは時が経つにつれて目に見えて悪くなった。最初の頃は虚像が消えた瞬間には次のふたつ身を操っていたが、マミが違和感をおぼえる頃にはコンマ数秒のラグが生まれていたし、幻影の動き自体も精彩を欠いていた。

 

 そして、今――勝負の決する直前には、数秒の間が空くようになっていた。

 その数秒の間のうちに、マミのマスケットの銃口が杏子の喉元に突きつけられ、マミの鋭い視線が杏子の瞳に突きつけられた。

 杏子は、オーバーヒートした機械が排熱するような熱い吐息を漏らすと、あっけらかんとした調子で「まいった」と告げ、携えていた槍を霧散させた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 杏子の消耗が激しいことから、訓練を早めに切り上げた三人はマミのマンションへ移動した。

 土曜日午後の訓練は毎週のことなので、焼き菓子は朝のうちに準備してある。マミは紅茶を淹れると、お気に入りの野イチゴ柄のティーカップに注ぎ、リビングのテーブルへ並べた。

 焼き菓子と紅茶の香りで早速元気を取り戻した杏子と、それをからかう夜宵かおり。他愛のないやりとりを微笑んで眺めていたマミは、彼女たちがヒートアップしそうなタイミングを見計らって、ぱん、と掌をあわせた。

 

「それじゃ、頂きましょうか。杏子ちゃんも元気になったみたいだし、さっきの魔法のお話もしたいわね」

「おうっ。……食べながらでいい?」

「ふふ、食べる方を優先していいわよ」

 

 許しを得た杏子は焼き菓子が並べられたバスケットに手を伸ばし、無造作に指に触れたスコーンを拾い上げた。鶏卵ほどの大きさのスコーンを、指で千切ることもせず口腔に放り込む。

 杏子の食べっぷりに目を細めて微笑んだマミは、バスケットから同じものを掴み、取り皿の上でそっと左右に千切る。生地が少し伸び、溶けるような様を見せると、香ばしい匂いがマミの鼻腔をくすぐった。

 

「チョコレートとキャラメルが入っているのですね、美味しいですわ」

 

 倣って同じものを手にしたかおりは、両手で掲げるようにして口許に運ぶと、リスを思わせる仕草でひとかけを食べて言った。

 

「お口に合って良かったわ。ガレットとビスケットも召し上がってね」

「は、はいっ、頂きますっ」

「キョドんなよ、かおり」

「はっ? 誰がキョドっているのですか!」

「夜宵かおりさんですよ、っと」

 

 明後日の方向に視線を向けたまま、杏子はビスケットを口に投げ入れた。その態度にかおりはさらにエキサイトし、指を銃のかたちにすると杏子の顔に向けた。

 

「まったく。巴さんがいなければ、表に引っ張り出しているところですわ」

「いや、表って……勝負ならついてるだろ。まだやりたいのか?」

 

 ぐぐぐ、と言葉にならない声を漏らす。体温が上昇しているのか、手にしたスコーンのチョコレートチャンクが、指先に触れて液状になっていった。

 

「杏子ちゃん、同じ魔法少女同士、仲良くしないとダメよ」

「つっかかってくんのはかおりだし」

「どこをどう見ればそうなるのですか!」

「どっちが悪いかはあまり問題ではないわ。たとえ相手が悪くても自分から一歩譲るような協調性を、ふたりには持って欲しいのだけれど」

「そういうのは苦手かなぁ」

 

 杏子の言葉にかおりは嘲るような笑みを浮かべると、溶けたチョコレートで汚れた指先をハンカチで拭ってから得意げに宣言した。

 

「分かりましたわ。ここは年上のわたくしが折れましょう」

「ちょっと待てよ、同い年じゃん」

「あら、わたくし五月生まれなのですけれど、佐倉さんは何月のお生まれですか?」

「誕生日の早い遅いで年上気取りかよ、小学生みたいだな」

「小が……っ! 失礼にもほどがありますわ」

 

 ぱんっ、と大きめの音が、勢いよく重なったマミの掌から生まれた。そして、いつも見せる温かな笑みとは異なる、雪の結晶をまとわせたような笑みを見せる。

 

「いい加減にしないと、二杯目からはローゼルティーになっちゃうわよ?」

 

 苦手とする酸味のきついハーブティーの名に杏子は、普段と違うマミの様子にかおりは、そろそろ彼女の感情が分水嶺を越えそうなことを察し、どちらからともなくトーンを落としていく。

 そして訪れたささやかな静寂、それを嫌って、杏子は先程使った新しい魔法についての説明を始めた。まじめな話、と察した夜宵かおりも横槍を入れることはせず、居住まいを正して耳を傾けた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

「んーとね、どっちが本物っていうんじゃなくて、どっちも本物候補って感じで……。相手に攻撃当てられたら、じゃぁそっちが偽物だった、とか、あたしの攻撃が当たったら、じゃぁそっちが本物だった、とか。状況に応じて本物が変わるみたいな」

 

 一通りの説明の最後を締めくくると、話の途中で注がれた二杯目の紅茶――幸い、酸っぱいハーブティーではない――で喉を潤し、杏子は視線を宙に泳がせた。自分でも、要領を得ない説明だったな、と省みていると、マミが呟いた。

 

「シュレディンガーの猫みたいなものかしら」

「名前付けるの早いね」

「いや、これは一般的な言葉よ」

「量子論を揶揄した言葉ですわよね。確かに佐倉さんの仰りようは、波動関数的にどちらの佐倉さんも本物の可能性をはらんでいて、攻撃の成功や回避の失敗といったことを観測行為として、どちらが本物かという結果に収縮していると受け取れなくはないですね」

「……?」

 

 耳慣れない言葉に、杏子は頭上に疑問符を浮かべて首を傾げる。そして、――あたしより説明ヘタだな、こいつ――と少しばかり勝ち誇った気分を味わう。

 一方のマミは単語自体に馴染みはなくとも、おおよその意味は理解できた。何故そのような理論に基づく魔法を杏子が考えたのか、という疑問を持ったマミは、この魔法の習得の背景を問う。

 

「杏子ちゃんは、どうしてこの魔法を思いついたの?」

「マミさんが本物と思ってる方、そっちが撃たれた時、【はずれ】って出たら面白いかなって思って」

「……発端はともかくとして、すごい魔法ね」

「先ほどの戦いからすると、収縮する事実は当然ながら佐倉さんに都合のいい方なので、ありていにいえば、攻撃を受けた佐倉さんは全て偽物で、攻撃を当てた佐倉さんは全て本物、ということになりますね」

「うん。そうでもなければ、あんなに外ればかりを引くことはありえないものね。それで、魔力の消耗はどう?」

「ファンタズマの延長だから、あんまり消費はしないよ。ただ、ファンタズマみたいに一杯出すのは無理だね。二体でも頭が痛くなるよ」

「それはそうよね。パラレルで照準を合わせるだけでもすごく疲れるもの。杏子ちゃんの場合は、攻撃・回避・移動、なにからなにまでふたり分をパラレルで行っているのだものね」

「マミさん、こういうの得意だよね。今度コツとか教えてよ」

 

 実際のところ、マミが並行照準を行うことはめったにない。普段は単一目標への集中射撃か、単一方向への一斉射撃を行い、照準作業的にはシングルオペレーションとなっている。マミが得意だと杏子が思っているのは、マミが高速でシングルオペレーションを繰り返す様をパラレルオペレーションと誤解しているからだろう。

 

「得意じゃないわよ……。でも、一緒に練習しましょうか。ふふ、この魔法が杏子ちゃんに加われば、もう十回に二回どころか、一回も勝てなくなりそうね」

 

 勝てなくなるという事実を嬉しげに語るマミに、かおりは奇妙なものを感じた。

 彼女の価値観に照らせば、それは控えめに言っても悔しいことであるし、率直に言えば屈辱的ですらある。そのことを問うと、マミは一瞬きょとんとしたあとに答えた。

 

「そうね。仲間が強くなるのは嬉しいことよ。もちろん勝てなくなるのは、少し寂しいけど。もう教えてあげられることもないのかなって」

 

 常に目標であり、教えを授ける存在でなければならない――などという強迫観念は、既にマミの中にはない。それでも、やはり一抹の寂しさをおぼえ、表情が憂いを帯びたものになる。

 

「でも、マミさん相手に使えるようになるのはかなり先じゃないかな。今日だって、その気になればすぐに潰せたよね」

「さぁ、どうかしら……あ、名前、考えないとね」

「神は賽を投げない、と言いますが、佐倉さんはイカサマサイコロを振ってるわけですわね。イカサマ・キョーコなんてどうでしょうか」

「悪意全開のネーミングはやめろよ」

「いえいえ、それは誤解ですわ」

「悪意はともかく、日本語は論外だわ」

 

 先程までの柔和な態度はなりを潜め、取りつく島もないという言葉を具現化したようなマミの姿。なんらかのスイッチが入ったことを察したかおりは、今はふざけて良い場面ではないと理解した。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 新魔法の名前の候補は幾つか挙がり、一旦マミが預かることとなった。といっても、ほとんどがマミの考えた名前であり、その上最終決定もマミが行うのだから、マミの独断による命名と表現して差し支えないだろう。

 

「ところで、なのですが……」

 

 小一時間にも及んだ命名サミットが一時閉廷となったタイミングで、夜宵かおりが本日何度か切り出そうとしては機会を逸していた話をするべく、小さく挙手をした。

 

「ところで、もうすぐ夏休みですわよね」

「そうね。普段よりもしっかりパトロールしないと」

「それもそうなのですが……。その、旅行でもどうかなと思いまして」

「旅行?」

 

 おうむ返すマミと杏子に、かおりは事情の説明を行う。突拍子もない話であることと、距離感を考えてない話であることを自覚している彼女は、知らずに早口になっていた。

 

「ええと、父の勤めている会社の保養施設が隣の県にあって、そこを予約していたのですが、父が帰国できなくなったもので、折角ですしおふたりをお誘いしようかと思いまして……。今月の二九日から三一日の二泊三日を予定しています」

 

 軽い緊張で口腔の乾きをおぼえたかおりは、ティーカップに手を伸ばし、そして空っぽであることを重みで察してソーサーに戻した。返事を待つ身が、酷く居たたまれなく感じる。

 

「あら、ごめんなさい。おかわり淹れてくるわね」

 

 かおりの仕草でカップが空であることを知ったマミが腰を上げる。いつもはホストとして紅茶の減り具合には注意しているのだが、杏子の新魔法のかっこいい名前を考えることに集中するあまり、完全に失念してしまっていた。

 

「すみません、お願いします」

 

 かおりとしては紅茶のおかわりよりも、旅行の返事を早くしてほしいところだったが、そう応えるしかなかった。ストリングカーテンの向こうに消えるマミの背中に、縋るような視線を向けるかおり。そのかおりの意識の外から、上機嫌な杏子の声が届いた。

 

「いいねいいね、たまには息抜きしないとね」

「あ、佐倉さんもそうお思いですか。息抜きは大事ですわよね」

 

 マミを将とすれば杏子は馬、その馬が乗り気な様子を見せたことで、かおりの声も弾んだ。弾んだ勢いのまま、訪れる予定の町のアピールをセールスを思わせる口調で続ける。

 曰く、温泉があるだの、曰く、お祭りがあるだの、曰く、美味しい地元の食べ物があるだのと。

 要素をひとつ告げるごとに、杏子の頷きが大きくなった。これはいける――と夜宵かおりは思ったが、新しい紅茶を載せたトレーを持って戻ったマミの言葉は乗り気ではなかった。

 

「旅行ねぇ。楽しそうだけど、二日も街を空けるのはどうかしら……」

「あ……」

 

 完全に見落としていた……というより、問題と思っていなかったことを指摘され、かおりは言葉を失った。

 過去を振り返れば、彼女は魔法少女仲間を戦いの中で失い、しばらくの間逃避するかのように魔法少女としての務めを放棄した。

 また、相手が一般人を殺める邪悪な魔法少女であり、さらに相手が殺意を向けてきたというエクスキューズはあれど、魔法少女を自らの手で殺害し、やはりしばらくの間は魔法少女となることから逃げていた。

 つまり彼女の認識では、毎日のパトロールは必要欠くべからざる日課というものではなく、感情の浮沈によって途切れさせてしまえるようなものだった。

 その認識の違いを恥と感じ、視線を落としたかおりに代わって、杏子が説得を試みる。

 

「でもさ、マミさん。そんなこと言ってると、修学旅行とかも行けないよ」

「それは、ふたり揃ってじゃないじゃない。残った方がお留守番できるもの。去年の私の修学旅行のとき、杏子ちゃんがしっかり街を守ってくれたように」

「そう言われればそうだけど……」

「ずいぶん乗り気なのね。そういうことなら、杏子ちゃんと夜宵さんで行ってきて、私が留守番でもいいわよ」

 

 俯いたままのかおりの顔がひきつるのを、杏子は横目で見た。ふたりの関係性からすると、いい気味だと思ってもおかしくないところだが、かおりのあまりのお通夜っぷりに、杏子は同情を禁じ得なかった。

 

「いや、それはちょっとほら、あたしとかおりって喧嘩しがちだしさ」 

「あら、だったらなおのこと、旅行で親睦を深めるべきだと思うけど」

「でもさ、予約って三人分なんだろうし、ちょうど三人でいいんじゃないかなーと思うんだけど。かおりだっていつも世話になってるマミさんに来て欲しいだろうし。なぁ、かおり」

「…………はい……」

 

 かなりの間をおいて、死にそうな声、ないしはオーガスのオープニングのイントロのような声でかおりが応える。

 その声をあまりに気の毒に思ったのか、マミも態度を軟化させていき、その後の話し合いで、前日のパトロールをしっかりすることと旅行後すぐ念入りにパトロールすることを条件に話はまとまった。

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