マミさんの歩く道に祝福がありますように ~やがて円環へと導かれる物語~ 作:XXPLUS
どっぷりと日が暮れるまで警察署で事情を聴かれ、初日は終わった。
無理心中と思われる家族ののうち、行方不明だった最後のひとりが二〇日ぶりに姿を現したのだから色々とあるのだろうが、同じような質問や確認を繰り返すことに杏子は正直うんざりしたし、翌日も来てほしいという要求に至っては、公権力に協力的なマミでさえ「ちょっとしつこくないかしら……」と表情を曇らせた。
その後は、マミの強い要望もあって見滝原へ移動することになった。
食事やお風呂をしっかりとりたいという理由に加えて、未だにパジャマにコートという出で立ちなのだから早く着替えたいと思うのも無理はないことだろう。十四歳時点のマミは、コートさえ羽織れば下に何を着ていても見えなくて便利、と開き直るほどの胆力はなかった。もっとも、生涯そんな胆力など持たない方が人間としては正しいのだろうが……。
とりあえずお風呂そして夕飯、と仕事帰りのサラリーマンのような優先順位で片付けた後、マミは食器を洗い、杏子はリビングでテレビを見ていた。毒にも薬にもならないバラエティ番組から流れる、情感のこもっていない笑い声を背中で聞きながら、マミは部屋割りについて提案する。
「佐倉さんは私の部屋を使って。私はそこのロフトを使おうかな」
「ロフト?」
「うん」
「あたしがそっちにするよ、マミさんの部屋を取るなんて悪いし」
「んー、でも私キッチンやリビングにいることがほとんどだし、佐倉さんがロフトだとプライベートゼロになっちゃうわよ」
とのマミの弁だが、もともと杏子は姉妹で一部屋だったのでさしてプライベートには拘泥しない。そもそも論として、神出鬼没を旨とする猫に似た友人がいる時点で、プライベートはないに等しい。
「ま、キュゥべえはいても気にしないけどね。犬猫が部屋にいるからって気にする人はいないし」
『犬猫扱いは心外だな。犬猫と違ってボクはキミのプライベートを暴露できるんだよ、杏子』
噂をすれば影がさす、を体現するように姿を見せたキュゥべえは『もちろんそんな無意味なことはしないが』と断った上で、彼の思うところの本題を切り出す。
『杏子、キミはマミと同居するようだけど、風見野の縄張りはどうするつもりだい?』
「どうしよう、マミさん」
振られたマミは、上品な色合いのリネンタオルで手を拭くと、まだ湿った指先を唇にあてて考える素振りを見せる。
「風見野を引き継げそうなひとはいるのかしら?」
『いや。候補はいるにはいるが、まだ契約もしていない段階だ』
「それじゃ、選択肢はないわね……、ちょっと大変だけど、両方みないと。曜日でパトロールする場所を分けるとかかしら……」
『そうだね。そうしてもらえるとありがたい』
用件だけを済ませて姿を消そうとしたキュゥべえだったが、マミが温めてから冷ましたミルクを平皿に入れて運んでくるのを確認すると、居住まいを正して待つことにした。
「キュゥべえはミルク好きよね」
『ボクに好きという感情はないが……この飲み物は栄養が豊富だね』
以前に冷ましていない状態で与えられた時は熱くて飲めず、何が面白いのか巴マミが「やっぱり猫舌なのね」と嬉しそうにしていたことをキュゥべえは記憶していた。
『それに丁度いい温度だ。熱いと飲みにくいからね』
「キュゥべえ、やっぱ猫舌なんだ」
巴マミと同じことを顔を綻ばせて言う佐倉杏子を見て、キミたちはワケがわからないよ、とキュゥべえは独語した。
風見野の中学校に在学証明書を取りに行くことを杏子が嫌がったこと以外は、つつがなく手続きは完了した。
それから一週間。
佐倉杏子も見滝原中学に登校することになるが、見滝原の制服は当然ながら間に合わず、さりとて風見野で使用していたセーラー服は魔女の溶解液でボロボロになっていた。
それを口実に自主休講を希望する杏子だったが、マミの「指導」を受けてしぶしぶ登校に同意する。幸い、マミには替えの制服が数着あり、それを借りての登校となった。
「サイズ、ちょうどいいね」
とは見栄を張った杏子の言葉だが、実際に背丈とウェストは少し大きい程度で「ちょうどいい」と称しても嘘でない範囲ではあった。
それに、校則では登下校時は「華美でなければ」の但し書きがつくもののダッフルコートやPコート、パーカーの着用が認められており、多少はサイズが合わなくても隠すことができる。
マミから借りたグレーのPコートは、マミが普段登下校に使用しているだけあって文句なしに「華美でない」ものだ。
その代わりにマミが羽織っているものは、明るいオレンジのダッフルコートと、少々校則をはみ出しそうなものになっている。
先生方には信頼度の貯金をしてあるから、この程度は見逃してもらえる、とはマミの弁だが、自分のせいでマミが叱られるようなことはないだろうかと杏子は登校中、気が気ではなかった。
「おはようございます」
校門に立つ、いかにも学校の風紀を一手に担っているという風格の教師に挨拶をする。
角刈りのその教師が、マミの服装を何ら咎めることなく挨拶を返すのを見て、杏子はようやく安堵した。それと同時に「さすがマミさん」とよく分からない理由で感心する。
「初日はどうだった?」
帰り道でマミに問われた杏子は「お弁当おいしかった」とズレた返答をしてマミを苦笑させた後、「特に問題なかったと思う」と告げる。
授業内容はこの数日スパルタ気味の予習を受けたおかげで既知の範疇だったし、教師や級友との受け答えも大過なく行えた。
うんうん、と満足気に頷くマミの、じゃぁ帰ったら復習を兼ねて理解度テストをしましょうか、という言葉を聞いた杏子は、
「マミさん、お姉さんじゃなくてお母さんだ……」
小声でこぼすと、話を逸らす様に続ける。
「それより、このままパトロールに行こうよ!」
その提案は快く受け入れられたが、結局のところ理解度テストはパトロールを終えて帰宅した後、マミが夕飯を作っている間に実施されることになる。
意外と高得点をマークした杏子に、マミは機嫌を良くしてお菓子作りの腕を振るった。
◇ ◇ ◇ ◇
数日が経った。
そろそろ気の早い商店がチョコレートの特設コーナーを設け始める季節。お気に入りのブリュッセル発のチョコレートメーカーも、この季節はアソート物以外に製菓用の割れチョコを販売するので、大人買いをするのがこの時期の巴家の恒例行事になっていた。
「そ、そんなに買うの……?」
杏子が驚くのも無理はなかった。
巴マミが買い物カゴに入れたのは、千グラムの袋入りのものを八袋。板チョコにすれば百五十枚近い量になる。
一年をかけてお菓子作りに使うのだから、けっして多すぎるというわけではないのだが、杏子の目にはそうは映らなかった。
「このまま食べるわけじゃないし、もちろんいっぺんに食べるわけでもないですからね?」
製菓用のはそのまま食べてもイマイチだから、と付け加えるあたり、少なくともそのまま食べた経験があることが伺えるが、佐倉杏子はそこは気付かない振りをして流す。
「そのまま食べるのはこっち」
マミは可愛らしいリボンのついたオレンジ色の箱を嬉しそうに胸の前に掲げてみせると、オレンジピールのチョコですごく美味しいから、あとで頂きましょう、と満面の笑みを浮かべる。
「せめてパトロール終わってから買えば良かったんじゃ……」
「だーめ。売り切れたらどうするの?」
どうするの、と問われても杏子は答えに窮してしまう。
売り切れたら売り切れたでいいじゃん、というのが杏子の偽らざる本音だが、ここまで嬉しそうな姿を見せられるとそうも言いにくい。結果、「それは困るね」と感情のこもっていない言葉を返すに留まる。
「あら、食べたあともそんなそっけない態度でいられるのかしら」
悪戯っぽく笑うマミの言葉の通り、帰宅してチョコレートを食べた杏子は態度を改めることになるのだが――それはここでは措く。
チョコレートブランドのロゴが入った赤い手提げ袋を幾つも揺らしながら、器用にソウルジェムを掲げてパトロールをするふたりの姿が、夕陽に照らされて長い影を作る。
マミは本来のグレーのPコート、杏子は購入したてのネイビーのPコートで、マミのものより丈が短く、活動的な印象を与える。
このPコートに限らず、生活費から服飾費まで全てマミに負担してもらうことを心苦しく思った杏子は、そのことを相談したのだが、マミに「両親の遺産と保険金だから気にしないで。どうせ社会に出たら、残った分は寄付するつもりだから」と諭された。
マミ曰く、「今は子供だからありがたく使わせてもらっているけど、大人になったら自分の力で生きていかないと、ね」ということらしい。
それを聞いたときは、立派だと思う気持ちが半分、勿体ないと思う気持ちが半分だったが、改めて考えると、自分に負担を感じさせないための言葉だったのかもしれない、と杏子は思う。
「あ……」
マミのソウルジェムが反応を示した。
ジェムに浮かぶオレンジの光は弱く、瞬きの間隔も長いことから、かなりの距離があることが伺える。
このことは、突然結界が現れたわけではなく、マミたちが移動することで既存の結界を探知範囲に捉えたことを意味する。つまり、既に結界に囚われた犠牲者がいる可能性も高い。その認識から、ふたりは足を速めた。
少し遅れて、杏子のソウルジェムも反応を見せる。
移動した距離を鑑みると、マミの探知距離に比べれば杏子のそれは百メートル程度劣ることになる。僅かな距離ではあるが、実際にパトロールを行うとこの差が大きな効率の差となって跳ね返ってくる。
「使い魔、ね……」
マミはソウルジェムの挙動から、結界の主を断定した。そして横を歩く杏子に顔を向けると小さな声で告げる。
「無理はしないでいいわよ、佐倉さんのしたいように……」
杏子が使い魔と戦うことを躊躇う理由を、マミは理解していた。
以前に、言葉で聞いたことでもあるし、また直接的に記憶を見たことでもあるが、佐倉杏子は自分の願いや魔法が家族を傷つけ、巴マミも傷つけたことを悔いていた。
その経緯から、自分の力を他人のために使用することは、結局他人を傷つけることになるのではないか、と恐れている。自分の都合で、自分のために、と限定して力を振るえばそういった過ちは繰り返さないだろうというのが彼女の理屈だが――
「うん……ごめんね、マミさん」
「ううん。気にしないで」
視線を落として応える杏子に、マミは明るい声で返す。
身体の傷はどんなに酷くてもすぐに癒える――ましてや治癒の魔法を操る魔法少女ならなおのことだ――が、心の傷は長い時をかけて癒すしかない。
しかも、身体の傷と違い心の傷は塞がったかどうか見てとることはできない。無理強いは論外として、焦ったり、軽々に考えることも努めて避けねばならない。そうマミは肝に銘じている。
「それじゃ、悪いけど荷物お願いしていいかしら?」
頷く杏子にチョコレートの手提げ袋と通学鞄を手渡すと、マミはウィンクして駆け出した。
「倒したら連絡するから、合流しましょう。いってきます!」
◇ ◇ ◇ ◇
三月に入った。
まだ朝に吐く息は白くコートは手放せないが、寒緋桜や馬酔木がその花で通学路を彩り、早春の訪れを誇示していた。
杏子には、この景色がとても華やいで見えた。理由は簡単で、学年末テストが先日終わったからだ。「普段から勉強しておけば、テストだからって慌てずに済むでしょう?」とマミが以前言ったように、テストだからといってとりたてて気を張って勉強したわけではないが、それでも解放感は大きい。
並んで通学路を歩いていると、マミが杏子に語りかけた。
「今日は、学校に戻るのは予定だと四時半だから、佐倉さんは先に家に帰ってて」
渋滞で遅れる可能性もあるから、と付け加える。今日は二年生は時期外れの遠足だ。行き先は、貸切バスで片道一時間強の距離にある大型の水族館。
「私がいないからって怠けたりしないで、宿題と復習を済ませておくのよ?」
「はーい」
両手を頭の後ろに回し、形だけの返事をする杏子は、マミさんがいないなら久しぶりにジャンクフードを堪能しつつテレビ見てよう、と青写真を描いていた。
同居してからというもの、身体に悪いからとジャンクフードはほとんど食べさせてもらえない。美味しいケーキや紅茶を作ってもらえるとはいえ、ジャンクフードはジャンクフードで恋しく感じていた。
「ポテチ系は小袋一個、炭酸とかのジュースはコップ一杯までね」
「あれ、テレパシー漏れてた?」
「テレパシーは出てないけど、顔に出てました」
杏子の考えを読んだように指摘したマミは、控えめな声で笑う。対照的に杏子は肩を落とした。言われなければ、スナック菓子の大袋を丸ごと食べようと思っていたのだが、言い付けられた以上は従わざるをえない。
その様を見て仏心を出したマミは、「もう……じゃぁ、夕飯に差し支えない範囲でなら、好きに食べていいわよ」と大幅に譲歩し、杏子は顔を輝かせて「うん!」と応えた。
そして、マミの気が変わらないうちに話を逸らそうとするかのように、遠足の話題に切り替える。
「それにしてもマミさんはいいなぁ、あたしもジンベイザメに餌あげてみたい」
「一年生は毎年耐寒登山だからね……でも佐倉さんなら体力あるしぜんぜん平気だったでしょう?」
一か月ほど前に行われた一年生の遠足は、こちらもバスで片道一時間強の位置にある標高千メートル程の山地に登るという、なかなか前時代的なものだった。希望者と脱落者はロープウェイで山頂まで移動はできるが、杏子は当然徒歩で山頂を制覇した。
「あれはあれで楽しかったけどね。猪やテンも見れたし」
「うそっ。大丈夫だったの?」
「見たといっても、向こうの斜面にいるのが見えたって感じ。さすがに人の近くには来ないよ」
その言葉に胸を撫で下ろすマミを見て、杏子は不思議そうに「猪なんて魔女より弱いじゃない」と素直な感想を漏らす。
「それはそうかもしれないけど……猪怖がらないって女子としてどうかしら」
「怖くもないのに怖がるフリしてたら、ぶりっ子じゃない」
「んー、そうねぇ……」
結局、どちらの対応が女子として正しいか、という議題については学校に着くまで結論は出なかった。つまりそれは、杏子の話題逸らしは申し分なく成功したことを意味する。
◇ ◇ ◇ ◇
――やっばーい!
内心で叫びながら、巴マミは疾駆していた。
友人とお昼をとった後、水族館を見学している最中にソウルジェムが反応を見せた。当然のようにマミは集団を抜け出して魔女退治に向かっていたのだが、不案内な土地のために予想以上に移動に時間がかかってしまった。
ジンベイザメを含む午後のプログラムに参加できなかったことも残念だったが、それ以上にバスの出発時刻が間近に迫っていることが切実な問題だ。水族館のプログラムは不在でもさして問題はないが、バスの点呼でいないとさすがに不味い。
――帰るだけなら変身して移動すればなんとかなるけど……バスにいないと大騒ぎになるわよね。
腕時計を見やると、予定出発時刻まであと一分を切っている。出発まで一分なので、点呼は始まっている時間だ。
――なんだか最近先生への信頼度貯金がどんどん削れていってる気がするわ……。
「木場さーん、桜井さーん、島田さーん、涼宮さーん」
合間合間に呼ばれた生徒の返事を交えて、教師の声が響く。おとなしい返事、ハキハキした返事、不機嫌そうな返事、それぞれに性格の表れた返事を受けながら、教師の点呼はついにタ行に及んだ。
「小鳥遊さーん、巴さーん」
そこで、返事がないために教師の声が止まる。一拍おいて、語尾を上げて再度マミの名を呼ぶ。首を動かして周りを見渡し、マミの姿を探しながら、三度「ともえさーん」と大声をあげると同時。
「は、はーい!」
バスが並ぶ駐車場の入口から、マミが手を振りながら姿を現す。息を切らしているのは演技ではなく、魔法による強化を遮断しているためだ。
おぼつかない足取りで教師の前にたどり着くと、上半身を屈めて肩で息をする。
どうしたのですか、と尋ねる教師に、
「ごめんなさい、他の学校に間違ってついていっちゃいました」
マミがあらかじめ用意しておいた言い訳を告げると、級友達から笑い声が漏れた。つられて教師まで破顔する。
――私、こういうキャラじゃないんだけどな……。
マミは心の中で抗議しつつ、この街の少女ひとりを魔女から救えた満足感から頬を緩めたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
ちょうど同時刻。
授業を終えた佐倉杏子は下校をしていた。
マミと一緒に帰宅するのは楽しいのだが、それでも久しぶりにひとりで帰るのは新鮮で解放感がある。
その解放感を買い食いという形で存分に味わいながら、普段は通らない池沿いの並木道を歩いていた。
いつもと違う帰路に深い意味はない。単純にいつもの帰路を大きく逸れて老婆の開く駄菓子屋に寄っていただけだ。
シャクッ。
小気味良い音をたてて一本十円のコーンパフ棒が半ばで噛み折られる。
普段食べるマミの料理やお菓子と違って、無駄に濃い味付けで雑味に満ちているが、育ちざかりの身体はこういったジャンクな味わいも求める。
スクールバッグと並んで揺れているビニール袋には、このお菓子があと八本、それぞれ違うフレーバーのものが入っている。その他には、小粒なチョコレートが五個、自分で練って作るお菓子がひとつ、あとヨーグルトの名を冠したペースト状の何かがふたつ。
これを見ればマミは深い溜息をつくだろうが、夕飯に差し支えない範囲という抽象的な指定をしたマミの落ち度だった。
当の本人は約束をしっかり守っているという認識で、ひとかけの罪悪感さえなく四本目のコーンパフを喉に流し込む。心の中で「この味はあたり」「これは六十点」等と寸評を披露しながら歩いていると、不意にソウルジェムが反応を示した。
お菓子を求めて遠回りになったことが、結果的にパトロールになった形だな、と我田引水な理屈で満足気に頷き、ソウルジェムを掌中に取り出す。
シャクッ。
五本目を三〇点と評すると、歩く速度を速めた。
「あ……」
多少右往左往した後、自然公園の片隅に結界を発見した杏子は、落胆の声を漏らした。
魔力の波動から、使い魔の結界と判断したからだ。
――……帰ろう。
小粒のチョコレートの包み紙を剥がして口腔に放り込むと、チョコごと中のアーモンドを噛み砕きながら杏子は踵を返す。
――結界に近寄るまで、魔女か使い魔か判別できないのは不便だなぁ。
今更ながらにそう考える。
まじめに判別する練習しなきゃな、と足元の小石を蹴飛ばすと、飛んだ小石がこちらを向いて歩いてくる子供の靴に当たった。
「あっ、ごめんよ」
モモと同じ年頃の子供は、謝罪する杏子の声に反応を示さない。
足を引きずるような生気のない動きで子供は歩み、杏子と交差した。
交差する時に横目で見ると、子供の首筋には魔女の接吻があった。
振り向き、子供の動きを目で追う杏子。
数歩、おぼつかない足取りで歩むと、子供は結界の中にかき消える。
その姿を見送る佐倉杏子の胸中には、年端もいかない子供を救いたいという想いが確かにあった。だが、彼女はその想いに自ら蓋を被せる。
――あたしが助けても、あの子を傷つける結果になるんだ。
佐倉杏子は、他人のために祈ったことが不幸を招いたと理解している。
その理解は正しいのかもしれない。
しかし、それはあくまで幸せをお仕着せにされた他人が不幸になる、という意味合いであって、佐倉杏子自身が不幸になる要因ではない。
佐倉杏子自身の不幸は、彼女の願いの本質が「家族との幸せな生活」であったことに対して、その手段としての「父の信仰が認められること」を願ったことにあった。
手段が本質を助けていた時は良かったが、やがて手段と本質は齟齬を見せ破綻した。
願いの本質を祈らなかったことが招いた破滅なのだが、彼女は手段に問題があった、と考えてしまった。
そのために、他人のために力を振るうという、手段として祈ったものを忌避するに至った。
その思い込みは、杏子の中で澱のように蓄積され、もはや容易には拭えなくなっていた。杏子はその思い込みで自分に言い訳し、感情に蓋をすると、結界から遠ざかる方向に歩き出す。
――マミさん、このことを知ったら、怒るかな。
重い足取りで歩きながら、思考を巡らせる。
――たぶん、マミさんは怒らないし、責めもしないだろうな。ただ、とても悲しむだろう。
「悲しませたくはないな……」
思考が言葉となって漏れた。
――マミさんの悲しむ顔を見たくないから戦う、それでいいんじゃないかな。
他人のためでなく、当のマミのためでさえなく、そうした方が杏子の気分が良いから自分のために戦う。
屁理屈、詭弁の類なのだろうが、そもそも彼女の中で、答は既に――教会の地下室でマミに助けられた時に――出ていた。あとは自分を説得する理由付けがあればそれで良かった。
そう思うとマミの「私は自分の自己満足のために正義の味方をしてるだけで、偉くなんてないわよ」という言葉が理解できる気がした。知らず、杏子の口元が綻ぶ。
まるで、マミが行うように、殊更に芝居がかった動作で杏子は振り返る。
そして、マミのするように、舞うように腕を廻し、ソウルジェムを前に突き出すと、その姿を魔法少女へと変えた。
願いの本質である「家族――巴マミとの幸せな生活」をひたすら肯定することにした杏子に、もはや迷いはなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
「そこの坊や、これ以上進むと命の保証はないよ」
結界に侵入し、すぐに子供に追いついた杏子は、後ろから声をかける。
話しかけられた子供は、振り向くことすらなく奥へと歩を進めようとする。
先ほどの顛末から、そうなるだろうなと想定していた杏子は、子供に駆け寄ると手刀を子供の首に打ち込む。
「ごめんな。優しく止めれるほど器用じゃないんだ」
マミさんなら、リボンで拘束するなり、睡眠魔法を使うなりで上手に子供を止められるのだろうけど――そう思うと、罪悪感がわく。
先程の使い魔と魔女の判別にしても、睡眠魔法にしても、杏子は決してサボっているわけではないのだが、優先順位として魔女との戦いに直接役立つことをまず学ぼうとしていた。そのため、まだそういった知識、搦め手には疎かった――もちろん、杏子生来の攻めを好む性格によるものもあるが。
意識を失って倒れこんだ子供の手に、杏子は八本目のコーンパフを握らせた。最後にとっておいたお気に入りのフレーバーだ。
「これあげるから、勘弁な」
十円の慰謝料を掌に押し付けられた子供を見下ろすと、なんにせよ救えて良かった、と微笑みを浮かべた。
結界の最深部に辿り着いた杏子は、大きく成長した使い魔と対峙した。
その使い魔は掛け値なしに大きく、身の丈にして杏子の倍、横幅にして杏子の三倍はある。かなりの数を犠牲にしてここまで成長していると思われるその体躯は、魔女へと孵る寸前であることを示唆していた。
「……これなら魔女か使い魔か、わかんなくてもしょうがないよね」
誰に言うでもなく弁解を口にすると、大身槍を極端な下段に構えた。
穂先を下向きにしつつも前に突き出す槍術や剣術に見られる下段の構えとは異なり、槍をほぼ地に対して垂直に立てる、薙刀術の下段に近い構えだ。槍の利点の多くを殺してしまう構えだが、回避を重視しカウンターを繰り出すことに特化している。
マミというパートナーを失い、ロッソ・ファンタズマという切り札を失い、その上に治癒魔法まで失って戦った厳しい経験は、彼女に長足の進歩をもたらしていた。
過去の戦いは、言葉は悪いが大味なものであった。自分に攻撃が来れば大きく避け、幻影に攻撃が逸れればそれに乗じて攻める、言ってしまえばそれだけだった。
だが、全てを失うことで、魔女の攻撃を最小の動作で避け、的確に反撃を叩き込む技術が必要になった。
魔女の攻撃は全て自分を狙い、些細な傷ですら生死に関わる環境。その環境下で、佐倉杏子の戦いは洗練された。
魔女の突進を半歩動くことで避け、すれ違いざまに大身槍で薙ぐ。
魔女の打撃を弾き返すのでなく槍で流し、その勢いを利して石突きで叩く。
決してこれまでのマミの指導が無為だったわけではない。マミが鍛え教えた技が、厳しい冬を越すことでようやく結実したのだ。
結果。文字通り、傷一つ受けることなく杏子は勝利した。これが格闘ゲームなら今頃杏子の頭上には『Perfect』の文字が躍っているはずだ。
しかし完全勝利を飾った杏子は、主を失って崩れていく結界を見つめながらも驕ることなく、魔女の判別や睡眠魔法をしっかり修行しようと兜の緒を締めなおしていた。
◇ ◇ ◇ ◇
どうせお菓子を一杯食べたんでしょうから軽めのものにするわね、と杏子をドキリとさせる一言を放つと、マミは夕飯の準備にかかった。
「そ、それほどでも、食べてないよ」
動揺のためか、しどろもどろに日本語としておかしい言葉を杏子が返すが、その反応がなにより雄弁に杏子の所業を物語っている。それを受けたマミの「今日だけ特別だからね」との声がキッチンから届く。
あるものは櫛切りに、あるものは短冊切りに、あるものはダイス切りに。手際よく包丁を動かしながら、食材の名前を列挙する歌を即興で口ずさむマミ。
杏子はマミの書いた魔法ノートに目を通しながら、キッチンから聞こえる歌に耳を傾ける――即興なのにうまく続くものだなと感心していたが、よく聞くと繋ぎに困ると「ごはん、ごはん」で誤魔化しているようだった。
やがて、睡眠魔法や拘束魔法のページに入ると、マミの歌が耳に入らないくらいに集中して貪るように読む。
いつの間にやらキッチンからリビングに来ていたマミが、杏子の肩口から覗き込むように顔を寄せても、杏子は気も付かずにノートに意識を傾けていた。
「すごい集中力ね」
その言葉でようやくマミに気付くと、先程と同じくしどろもどろに言葉を紡ぐ。
「悪戯を見咎められたわけじゃないんだから、そんなびっくりしなくても」
口元をミトンをはめた手でおさえて微笑むと、マミは「どうして急に睡眠魔法に興味を?」と疑問をぶつける。
マミの記憶では、杏子はこういった間接的な魔法にはあまり熱心ではなかった。それだけに突然の行動にギャップを覚えた。
もちろん、理由の如何に関わらずやる気を出してくれることは歓迎ではあるので、本人が渋るようなら無理に聞き出そうとは思っていない。
「んっと、どこから話せばいいかな……」
杏子が小首を傾げ、何か字でも書くかのように指先をノートの上に滑らせる。伏せるような事でもないのだから、包み隠さず話すつもりではあるが、言葉の通りどこからどう話せばいいか思考する。
そして、長くなっても最初から――買い食いのことは省略して――話そうと決め、「えと、今日ね……」と語り始めた時に、キッチンから陶器がぶつかり合う音と、蒸気が噴き出す音が聞こえてきた。
「やだっ、お鍋ふいちゃう!」
スリッパの音をたててキッチンに走るマミの背中を、話の腰を折られた杏子は苦笑して見送った。
湯気のわきたつミルクスープパスタをテーブルに並べながら、「さっきの話、食べながら聞かせてちょうだいね」と話しかけるマミに杏子は頷いて応える。
あれだけ駄菓子を食べたというのに、ミルクと野菜の渾然一体とした香りが鼻腔をくすぐると食欲が鎌首をもたげてくるのが不思議だ。嗅覚のみならず、色とりどりの野菜――大根、キャベツ、玉ねぎ、マッシュルーム、スライスガーリック、白菜、白ねぎ、ブロッコリー、エリンギ、アスパラ――が視覚からも食欲を刺激する。
ただ、色彩という点では大きなウェイトを占めそうな人参は入っていない。
それというのも、杏子が自ら明言したことこそないが、人参が苦手であろうことを態度からマミは察していたからだ。
食卓に人参を出せば食べてはくれるのだが、目を閉じて、ほとんど噛まずに飲み込むように食べる――そんな姿を見るのは忍びなく、マミは料理に人参を使うことを控えている。
嫌いだ、食べれないと我儘を言うより、そういう健気な姿勢を見せる方がマミには「効く」のだろう。
いただきますの挨拶を唱和すると、片方は音を立てず、片方は僅かにフォークと食器の触れる音をさせて食事を進める。
ある程度空腹を満たし、フォークの動きが緩慢になった頃を見計らって、杏子は先ほどの話を切り出した。
「……と、いうわけで、結界に入っちゃった子供を止めるのに気絶させるしかなかったから、ちょっと可哀そうだったなって」
適度に相槌を入れながら聞き役に徹していたマミは、一段落したのを確認すると口を開いた。
「そうなんだ……ひとりで大丈夫だった? 佐倉さんは強いから平気とは思うし、結界に入ってった子がいるなら私を待つわけにもいかないのは分かるけど、ちょっと心配だわ」
「あ、うん……使い魔だったから、楽勝だったよ」
杏子がひとりで戦ったということから、当然魔女が相手と思い込んでいたマミは、その言葉に目をぱちくりとさせる。
「えっと、佐倉さん、使い魔?」
日本語に不慣れな外国人のようなマミの言葉だが、問うている意味は杏子には通じた。
「あたしもこれからは一緒に戦うね、使い魔も」
言葉は静かだったが、マミをみつめる瞳には強い意志が宿っていた。それを見てマミは、本当にいいの? という確認は余計だと理解した。その代わりに、笑みを見せて力強く伝えた。
「嬉しいわ。おかえりなさい、佐倉さん」
「うん、ただいま」
よーし、と言って伸びをするように両腕を上げると、マミは席を立った。
「じゃぁ、お祝いにとっておきのチーズでケーキでも焼こうかなー」
そして、杏子を悪戯っぽく見つめて続ける。
「佐倉さん、まだ食べれる?」
それを受けた杏子は、駄菓子と夕飯で膨れたお腹を撫でさすり、唸り声と視線でギブアップを表現した。
「食べれないなら、私ひとりで食べようかなー」
「お祝いは明日にしない? 今日はパトロールもまだだし」
「でも、お祝いはその日にしないと……」
困った困ったとこぼしつつ会心の笑顔を見せるマミに、「マミさん案外意地悪だよね……」と杏子は肩を落としてみせた。
結局ケーキは翌日に持ち越しになった。
マミは食器を洗いながら――ちなみに、杏子はゴミ出しやお風呂掃除を担当しているので、何もしていないわけではない――、ふと考える。
自分の力を他人のために使うと他人を傷つけてしまうという虞り、その気持ちの整理が出来たのなら幻惑魔法ももしかすると使えるのかも、と。だが、非常にナイーブな問題であることもあって心の裡に留めおく。
マミの推量は正しかった。
祈りについての強い悔恨は未だ杏子の中に強く残るものの、祈った事実そのものを否定する気持ちは薄れている。切っ掛けさえあれば、この時点で幻惑魔法を再び使うことも充分に可能だったろう。
しかし、彼女が再びロッソ・ファンタズマを使うのは、半年以上後のこととなる。
第一部 マミさん、もう何も恐くなくなる 完