『大きくなったらお兄ちゃんと結婚する!』
なーんて、近所の男の子に言ったことがあったっけ?
昔は、良いお嫁さんになって、幸せな家庭を作りたいだなんて思っていたけれど、艦娘として活躍していくうちに、男なんてしょうもない生き物だって思い始めた。
「大井っち、おはよー」
「北上さん! おはようございます!」
「なにか考え事? ぼーっとしてたけど」
「えぇ、男って、どうしようもない生き物だなって」
「なんかあったの?」
「実は昨日、ナンパに遭いまして。あまりにもしつこかったので、軽くぶっ飛ばしてやったんです。そしたら、男の癖に泣きだしちゃって」
「あはは、そりゃ相手が悪かったねー。なんたって、元艦娘にして、ゴリラよりも強いと言われてる大井っちの力の前では泣くしかないよ」
「さらっと酷い事言いますね……」
「ごめんごめん。ほら、早くしないと学校始まっちゃうよ。行こう?」
「あ、待ってください! 北上さん!」
戦後。
私たちは人間に戻り、普通の人間と同じように暮らしている。
学校だけは、元艦娘しかいないという、特殊な環境ではあるのだけれど。
「そう言えば聞いた? 元艦娘とその提督が、本当に結婚したって話」
「へぇ」
「しかも、親の見つからない駆逐艦を引き取って、三人で暮らしてるんだってさ。提督と艦娘がそんな関係になる事なんてあるんだねぇ」
戦時中に恋でもしたのだろうか。
あの環境下では、男は提督しかいないし、そう言うこともあるのだろう。
「私たちの提督も結構モテてたよねー。今、何してるんだろう?」
「さぁ、死んだんじゃないですか?」
「相変わらず大井っちは、提督の事になると厳しいねぇ」
提督は、別に性格が悪かったとか、無能とかではなかった。
むしろ、人に好かれるような性格だったし、一隻も沈ませないどころか、大破させることだって稀なくらいだった。
けど、そう言う天才的な所が、北上さんと被って嫌だったし、何よりも――。
「大井っち、聞いてる?」
「え? えぇ、聞いてますよ」
「提督とはケッコンカッコカリした仲だし、連絡くらいしてみようかな」
「――いいんじゃないですか? 北上さんがそうしたいなら……」
…………『提督と北上さん、ケッコンカッコカリしたんだってー』
…………『えー!? そんなぁ……。でも、北上さんかぁ……。なんか納得かもー』
「…………」
「もちろん、大井っちも行くよね?」
「ふぇ? 何がですか?」
「だからー、提督と会うことになったらって話だよ」
「わ、私は……」
「あ! 阿武隈だ! おーい、阿武隈ー」
「げ、北上さん……。逃げなきゃ……」
「あ、おーい! なんでいつも逃げるんだろ。ね、大井っち」
「えぇ……」
「後で見つけたら、前髪ぐしゃぐしゃにしてやろっ」
「…………」
「はぁ……」
なんだか朝から憂鬱な気分になっちゃった。
別に北上さんが幸せそうならそれでいいのだけれど、提督と北上さんがケッコンカッコカリしてから、私は一人ぼっちになった感じがした。
思えば、北上さんばかりを見て来て、北上さんも私を見てくれていたから、私は他のものを気にしなかったし、他のものなんて要らないと思っていた。
その北上さんが、私以外を見るようになって、私は北上さんを見れなくなって――。
「…………」
机に伏して、横目で窓の外を眺めた。
窓際のこの席は、教室の後ろ端っこにあって、まるであの時の私を思わせて、さらに憂鬱になった。
「大井っちー」
「北上さん」
「どうしたのー? お腹でも痛い?」
「いいえ、大丈夫ですよ。ちょっと寝不足で……」
「そっか。そう言えば、今朝の件だけどさー。提督と連絡ついたよ。今週の日曜日、会うことになったから」
「そ、そうですか……。た、楽しんできてくださいね……」
「何言ってんのさ。大井っちも行くんだよ?」
「へ? いや、私は……」
「なになに? 用事でもあるの?」
「ありませんけど……」
「じゃ、決まりね。阿武隈も誘いたいんだけどさー、中々捕まんなくて。大井っちから言ってもらえないかな?」
「わ、分かりました……」
「んじゃ、またねー」
「あ……」
北上さんが去るのと同時に、チャイムが鳴った。
これが阿武隈とかの誘いだったら、普通に断れたのに。
それから約束の日曜日まで、憂鬱に過ごした。
提督に会いたくないと言うよりは、北上さんが提督と仲良く話している姿を見るのが嫌だった。
「明日か……」
体調悪いって事にして、やめようかしら。
でも、そんなことしたら、阿武隈が来なくなるかもしれない。
北上さんと二人になるの、凄く嫌がるし。
そうしたら、提督と北上さんが二人っきりで――。
「…………」
見ないでモヤモヤするよりも、見て嫌な思いをする方がいい。
そう思った。
私の気分に反して、空は快晴だった。
「あはははは! 阿武隈、今日の服装、なんか気合入ってるねー」
「北上さんは普通すぎます!」
「大井っちだって普通だよ。阿武隈が気合入りすぎなんだって」
「そ、そうなのかな……。大井さん的にはどう思います?」
「え? そうね……私も北上さんと同じ意見かな?」
「えー? そんなぁ……。なんだか急に恥ずかしくなってきたかも……」
そんな会話をしていると、遠くから若い男がやって来た。
帽子で顔は分からないけれど、すぐに提督だと分かった。
「あ、提督だー。おーい」
北上さんが手を振ると、提督も小さく手を振った。
「おう、久しぶりだな」
提督は一年前と全く変わってなかった。
「本当、久しぶりだねー。提督」
「お前は相変わらずだな、北上。連絡ありがとうな」
「へへ~」
「て、提督……」
「おう、阿武隈。気合入った格好してるな」
「や、やっぱりそう思いますか……? うぅ……。普通の格好して来ればよかった……」
「そうか? 可愛くていいじゃないか。お前らしさがあって」
「ほ、本当ですか? えへへ……良かった……」
相変わらず、さらっと可愛いとか言っちゃって。
天然ジゴロというか……。
そう言うところが本当に――。
「お! 大井、お前も来てくれたのか。意外だな」
「別に……。北上さんに誘われただけで……」
「そうか。来てくれてありがとうな」
何が、「ありがとう」よ。
散々邪険にして来たのに、まだ懲りないのかしら……。
「ねぇねぇ、提督。ケーキ奢ってよ」
「北上、学校で遠慮って習わなかったのか?」
「私の辞書にはないなー」
「ったく。しょうがないな」
「やったー。提督大好きー」
「だ、大好きって……」
「阿武隈も大好きって言っときなよ。ケーキ以外にも奢ってもらえるかもよ?」
「そんな「大好き」言われたって、ケーキしか奢らんぞ」
「ちぇ、言って損したよ」
北上さん、楽しそう。
――ああ、駄目だ。
自分と居る時とどっちが楽しそうかなんて、一瞬考えてしまった。
こういう時に考えてしまうと、絶対に悪い方向へと考えて、ますます憂鬱になってしまう。
そうよ。
ケーキをただで食べられることだけを考えましょう。
「よし、じゃあ行くか」
それから私たちは、ケーキを食べたり、町をぶらぶらしたり、ゲームセンターへ行ったりと、散々遊びつくした。
あまり意識しないようにはしていたけれど、やっぱり北上さんと提督の仲の良い姿が目に入る。
時々、それに阿武隈が嫉妬を見せていたりしていた。
私は、ずっと三人を後ろから見ていた。
提督が話しかけて来ても、適当に流した。
段々と、自分がいたらいけない気さえしてくるほどに、私は何もしなかった。
沈む夕日を、小さな月が追いかけていた。
「今日は楽しかったよ。ありがとう、みんな」
「い、いえ! 私たちも楽しかったです! ケーキとか色々、奢ってもらってありがとうございます!」
「また奢ってねー」
「北上さん!」
「ははは。ま、たまにな」
次もあるのか……。
流石に次は嫌だな。
「大井もありがとうな」
だから、何が「ありがとう」なのよ。
何に対してのありがとうなの?
本当、適当なことばっかり言うわね……。
「じゃあ、気を付けて帰れよ。困った事があったら、いつでも連絡くれよな。奢ってくれとか以外で」
「じゃあ連絡することないかもねー」
「そう言うと思ったよ」
「いつでも連絡……本当にいいんですか……?」
「ああ、いいよ。待ってるからな」
「あ……は、はい!」
「じゃあ」
そう言って、提督は帰っていった。
帰りの電車内。
この時間はもうほとんど乗客はいない。
「提督、元気そうでしたねぇ」
「阿武隈ぁ、終始女の顔になってたよー? そんなに提督の事が好きなのー?」
「そ、そんな事ないですよー。久しぶりに会ったから緊張してただけで……」
「本当かなぁ? ね、大井っち」
「そ、そうですね……」
「大井さん、今日あまり元気がなかったですねぇ。気分でも悪かったんですか?」
「いえ、ちょっと……」
「あ、ケーキ食べ過ぎたとか? 食べ放題だったもんねー」
「……かもしれませんね」
私、ケーキ二つしか食べてないです。
やっぱり、北上さんは提督に夢中だったのかな?
駅で解散して、まっすぐ家に帰った。
「ただいま……」
「お帰りなさいませ。お食事の準備ができておりますが」
「いらないわ」
「承知いたしました。それとお嬢様、大奥様がお呼びですよ」
「おばあちゃんが?」
「おばあちゃん」
「お入り」
襖を閉じ、用意された座布団へと座る。
こういう呼び出しは、何か重要なことを言われる時だけだ。
「貴女が艦娘として活躍してから、もう一年以上が経ったのね。学校はどう? 楽しい?」
「うん。楽しいよ。勉強の方も、ついて行けないって事もないし」
「そう。それは良かった。けれど、元艦娘しかいない環境だと、気も緩むでしょう。しっかりね」
「うん」
そこまで言うと、おばあちゃんは眼鏡を外し、真剣な顔になった。
ここからが本題なのだろう。
「貴女もお母さんから聞いたと思うけれど、家には代々、花嫁修業と言うものがあります。立派な女性となって、この家を継いでくれる者を見つける為です」
昔、聞いたことがある。
ついにその時が来たという事だろうか。
「もちろん、貴女にもやってもらうのだけれど、一つ問題があるわ」
「問題?」
「この前、街中で男の人をコテンパンにしたそうね」
まあ、あれだけ泣かれたら、噂も飛び交うか……。
「ナンパがしつこくて、ちょっと……」
「普段からもそうだけれど、正直言って、貴女はあまり女性らしいとは言えません」
「はぁ……」
「貴女は男の人に恋をしたことがないのじゃないかしら?」
「恋?」
「恋は女性をより女性らしくさせるわ。恋こそ、貴女には必要です」
恋ねぇ……。
ただでさえ、男というものに興味がないのに。
「そこで、貴女にはそういう人を見つけてもらって、同棲して貰うことにしました」
「はぁ……!?」
「それが貴女の花嫁修業です」
「ちょ、ちょっと待ってよおばあちゃん。冗談でしょ?」
「冗談なんかじゃありません。相手を見つけられなければ、この家の敷地は跨がせない。それくらい本気よ」
嘘でしょ……?
何よその無茶苦茶な話。
「同棲する家はこちらで用意するわ。貴女は相手を見つけるのよ」
「そんな……。そもそも、恋をするだけなのに、なんで同棲なんか……」
「本気で恋をしたかどうかなんてわからないでしょう? 貴女の本気を見るには、同棲するくらいしてもらわないと」
「そんな……」
「話は以上です。いい報告を期待しているわ」
自室に戻り、そのまま布団に倒れ込んだ。
「恋って……。同棲って……」
なんだか笑いが込み上げてくる。
おばあちゃん、酔っぱらってたのかしら?
いや、お酒なんて飲まないし……。
ボケて来たとか?
いや、そんな風には……。
「どうすりゃいいのよ……」
おばあちゃんのいう事は、この家では絶対だし、敷居を跨がせないと言ったら、本当に跨がせないだろう。
かといって、男と同棲なんて嫌だし、そもそも相手がいるわけじゃないし……。
「男……」
唯一、知り合いの男と言えば――。
『いつでも連絡くれよ』
「いや……ないわ……。絶対ない……。死んでもない……」
その日、色んなことがありすぎて、疲れていた私は、そのまま寝てしまった。
「おはよう大井っち」
「おはようございます」
「昨日は楽しかったねー。提督、またケーキ奢ってくれないかな?」
「あはは……そうですね……」
「次はいつ呼び出してやろうかなー」
私は昨日の事で頭がいっぱいだった。
同棲相手を見つける。
そうしないと、私はこうして学校にすら行くことが出来なくなってしまう。
北上さんとこうして話す事だって――。
「あの……北上さん……」
「ん? なに? 大井っち」
「その……」
「?」
「……いや、やっぱり何でもありません。ごめんなさい……」
「んー? 何々? 気になるじゃん」
言えない。
北上さんを巻き込みたくないし、私が男に恋をするところを見て欲しくない。
まぁ……恋をするなんて考えられないけれど……。
「あ! 阿武隈だ。そっと近づいて……おりゃ!」
「わ!? き、北上さん!?」
「捕まえたぞー。ほれほれ~」
「ギャー! 前髪がー!」
「…………」
それからずっと、何も出来ずにいた。
痺れを切らしたおばあちゃんは、とうとうタイムリミットを定め、あと一か月で私は相手を見つけないといけなくなった。
そんなの無理に決まってる。
仮に居たとして、同棲してくれる人なんて、普通でも考えられない。
それでも、刻一刻と時間だけが過ぎてゆき、残り一週間というところで、私は意を決し、最終手段に出た。
「おう、待ったか?」
「待ったわ」
「すまない。それより、お前から連絡してくるなんて珍しいこともあったもんだ」
「何よ……悪い?」
「そんな事言ってないだろ。立ち話もなんだし、あそこの喫茶店でも入るか」
喫茶店には静かなジャズが流れていた。
「大まかな話は分かった。それで、俺に恋人を演じろと?」
「えぇ……」
最終手段。
それは、提督に恋人を演じてもらう事。
同棲することは避けられないけれど、もうこれしかなかった。
全く知らない奴よりはマシだし、この短い期間で見つけた相手よりも、昔から知ってる人の方が、おばあちゃんも疑わずに納得するだろう。
「なるほどな……。しかし、仮にも同棲はするんだろう? そんなの、お前が嫌だろう」
「しょうがないじゃない……。これでも、意を決して頼んでるの……」
「それでも、いずれはバレると思うぞ」
「努力する姿勢だけでも見せたいの……。ちょっと一緒に住んでくれるだけでいい……。後は、何かしら理由をつけて終わらせるから……」
「ふむ……」
断られてもいい。
努力はした。
おばあちゃんだって、きっと勘弁してくれるだろう。
「よし、分かった」
「え?」
「同棲しよう」
「ほ、本当に……?」
「あぁ、お前の頼みだしな。ただし、お前が本当の相手を見つけるまで続ける事が条件だ」
「はぁ……?」
「努力した姿勢を見せたって、どうせまた同じことが起こるかもしれないぞ。問題を先延ばしにするだけだ」
「そうかもしれないけれど……」
「その条件が飲めなければ、この話は無しだ」
何よこいつ……。
まあいいわ……。
ここはとりあえず、飲んでおかないと……。
少しでも北上さんと一緒にいるには、そうするしかない。
「分かったわ……」
「決まりだな。それじゃあ」
そう言うと、提督は手を差し出した。
「……なに?」
「握手だよ。これから一緒に住むんだろ?」
「嫌よ……。絶対嫌……。そんなことする意味が分からないわ」
「これから嫌と言うほど目を合わせるんだ。少しでも慣れておけよ」
「…………」
「ほら」
そう言うと、提督は手を掴んで、無理やり握手した。
「よろしくな、大井」
「……よろしく」
こうして、私と提督は同棲することを決めた。
翌週。
おばあちゃんに報告するために、提督を家へ呼び出した。
「デカいな。お前の家」
「いい? あんたは適当に相槌打ってるだけでいいから」
「分かってるよ」
「それじゃ……行くわよ」
大きく深呼吸をし、家の扉を開いた。
「ただいま」
「お帰りなさいませ、お嬢さ……」
「どうも」
「お、大奥様! 大変です!」
「ったく、大げさなんだから……」
「ま、分かるよ。俺が同じ立場だったら、同じように驚く。お前が男を連れてくるなんて……ってな」
「人を何だと思ってるの……?」
動揺する使用人に案内されて、私たちはおばあちゃんの部屋へと向かった。
「おばあちゃん」
「お入り」
おばあちゃんは提督を一瞥すると、妙な顔つきになった。
疑っているのだとすぐに分かった。
「その人が貴女のお相手?」
「え、えぇ……。艦娘だった頃の提督よ」
提督は簡単な挨拶をし、手土産を差し出した。
「なるほどね……。それにしても、早かったわねぇ。たった一か月で……」
「て、提督とは昔からの付き合いだし……戦時中の頃から好きで、この話が挙がってから、この際思いを伝えようと思って……」
「そう……」
マズい……。
想像以上に、おばあちゃんは疑っている。
それに、私が動揺してしまっている……。
「ところで、そちらさんはどうしてこの子を好きになったの?」
「そ、それは昔からの付き合いで……」
「貴女には聞いていません」
ますますマズイ……。
もし提督が下手をこいたら……。
「彼女の事は、戦時中から気になっていました」
「あら、この子と一緒なのねぇ」
おばあちゃんの目が細くなった。
何もかも見透かしているかのような、そんな瞳。
心配になって、提督を見た。
私の心配をよそに、提督は驚くほど平生を保っていた。
「ずっと彼女を見てました。誰よりも一生懸命で、たまに口が悪かったりするけれど、その裏側にははっきりとした優しさが見えました」
いいわいいわ。
そのまま適当な事言いなさい。
「そうでしょうね。誰が見ても」
う……。
「ただ、彼女はたまに、一人で戦おうとする事があります」
ん……?
「誰にも打ち明けられない悩みがたくさんあったのを、俺は知っています。彼女は、自分が強いのを自覚している。それ故に、自分一人で解決しようとしてしまう」
急に何を言ってるのこいつ……。
「俺は、そんな彼女を守ってやりたいと思いました。誰にも相談できなくても、俺にだけは相談できるような関係になりたい。彼女よりも強くなって、頼られる存在になりたいと」
嘘だからって調子に乗って……。
弱っちい癖に、言う事だけは一人前ね……。
「戦時中は気持ちを伝えられなかったけれど、今なら言えます」
そう言うと、提督は私の方を見た。
「俺は、彼女が好きです。ずっと一緒にいたい」
「…………」
提督が微笑む。
その顔を、私は真っすぐに見られなかった。
照れたわけじゃない。
ウザいと思ったから。
気持ち悪いと思ったから。
「貴女も、同じ気持ちなの?」
「え? え、えぇ……」
「分かりました」
おばあちゃんは眼鏡を外し、私たちに向かい合った。
「正直に言うと、私は貴女たちを疑っています」
やっぱり……。
「もし、私を騙そうとしているのなら、それは絶対に許しがたい事……。それは分かってるわね?」
「う、うん……」
「それでも、本当に気持ちがあると言うのね?」
私は一瞬、躊躇ってしまった。
それを、おばあちゃんは見逃さなかった。
「正直に言いなさい。貴女たち、本当は――」
その時だった。
「大井」
提督に呼ばれ、顔を向けた。
そして、そのまま提督の顔が近づいて来て――。
私は動けずにいた。
物凄く動揺していたのもあるけれど、何が起こっているのか分からなかった。
「――俺は……本当に彼女を愛しています」
提督の真剣な目が、おばあちゃんを見ていた。
それからは、何を話したのかよく覚えていない。
ただ、おばあちゃんが笑顔になったことと、私の唇に残る感触だけは、はっきりとしている。
空はもう夕焼けに包まれていた。
別にいらないと思ったけれど、おばあちゃんがしつこく言うから、提督を駅まで送る事となった。
「…………」
「…………」
お互いに話すことがないのはいつもの事だった。
だけれど、今日に限っては、この沈黙が辛く感じた。
「……悪かった」
そう言ったのは、提督だった。
「納得させるためとは言え、あんな事してしまって……」
私は返事をしなかった。
提督は怒ってると思ったかもしれない。
けれど、そうじゃない。
何を言えばいいのか分からなかっただけ。
怒るとか、悲しいとか、そう言う気持ち以上に、何か複雑な、言葉にできない感情があった。
「大井」
「…………」
「やっぱり、お前のおばあちゃんに本当の事、言った方がいいかもしれないな」
「え……?」
口の中が乾いていることに、その時気が付いた。
それほどに、何もしゃべっていなかったのだろう。
「さっきの事と言い、これ以上はお前が辛くなるだけだぞ」
私が黙っていると、提督はどこか悲しそうに微笑んだ。
「ごめんな……。俺がちょっとでも、お前に好かれる男であれば良かったのだが……」
感じたことのない心の痛みが、私を襲った。
提督は悪くない。
巻き込んだのは私だし、一方的に提督を嫌ったのも私だ。
「どうするかはお前に任せるよ。もし、お前のおばあちゃんに謝るなら、俺も謝る。それで出ていけと言われたら、俺がお前の家を用意してやる」
どうして……。
「今日は本当に悪かった……。ここまででいいよ。どうするか決まったら、連絡くれよな」
どうして……。
「どうして……怒らないのよ……」
「え?」
「どうして……自分を責めるのよ……。悪いのは私でしょう……!? なのに、どうしてそんな事言えるのよ……!」
本当は、謝ろう思って口を開いた。
けれど、出てきた言葉は、似てはいたけれど、違った言葉だった。
「そう思わせる俺が悪いんだ。俺は、お前がそうやって自分を責めてしまわないように、お前を守れるようにと、色々考えてきた。けれど、そうは出来なかった」
「そんなの頼んでないわよ……!」
「だからだよ」
「え……?」
「だから、俺は俺が悪いと言ってるんだ。お前は悪くない。俺が勝手にやったことだ」
そうか……。
どうして提督が自分を責めているのか、やっと分かった気がする。
提督は私の事を、自分一人で抱え込む奴だと言った。
同じなんだ。
提督も、自分一人で抱え込んじゃう奴なんだ。
そして、それを一番わかっているからこそ、私にはそうなって欲しくないと言ってるんだ。
あの時、おばあちゃんに言った事は、本当だったんだ。
「格好つけてるんじゃないわよ……」
「え?」
「あんただって、私と同じじゃない! 自分一人で抱え込んで……!」
「…………」
「何が守りたいよ……。自分の事すらどうにも出来ない癖に……」
「……そうだな。悪い」
「そう言うところが本当にムカつく……!」
そうじゃない。
「誰にでもニコニコして……馬鹿にしてるとしか思えない……!」
そうじゃないでしょ。
「でも……」
そう。
「でも……それを優しさとして受け取れない自分に……一番腹が立つ……!」
悔しかったのか、はたまた別の感情があるのか分からない。
けれど、確かにそれは頬を伝った。
「素直に謝れない自分に腹が立つ……! 守ってやろうと思われるほど弱い自分に腹が立つ……!」
「大井……」
「……なさい」
初めてかもしれない。
「ごめん……なさい……。ごめんなさい……」
こんなに、誰かの前で泣いたのは。
こんなに謝ったのは。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
謝り続ける私を、提督は優しく抱きしめた。
不思議と、嫌な気持ちはない。
そのぬくもりに包まれていると、なんだか安心できる。
そんな風にすら思えた。
あれから数日が経った。
「本当にいいのか?」
「仕方ないでしょ……。謝って、出ていけとか言われたら嫌だし……」
「俺が家を用意してやるって」
「それも嫌!」
「我が儘だな……」
少し広めの一戸建て。
ここが、今日から私たちが住む家となる。
「まさか、お前とこうして住むことになるとはな」
「……悪かったわね」
「嫌とは言ってないだろ?」
まだ一緒にいる事に抵抗はある。
けれど、少しは、本当に少しだけど、悪くないと思えるようになった。
「改めて、よろしくな。大井」
「ん……」
今度はちゃんと、私からも手を出した。
他意はない。
けれど、嫌なことは嫌、悪くない事は悪くないと、はっきり言った方が、お互いの為になると思った。
――続く。