朝。
目が覚めると、知らない天井があった。
「…………」
ああ、そうだ……。
同棲が始まったんだった。
顔を洗いに部屋を出ると、提督と鉢合わせた。
「おう、おはよう」
「…………」
「おい、無視かよ」
あー嫌だ。
なんで朝っぱらからこいつの顔を見ないといけないのよ。
まぁ、同棲だから仕方がないけれど……。
「顔洗ったらリビングに来いよ。朝食の準備してあるから」
「は?」
リビングに行ってみると、確かに朝食が準備されていた。
「これ、全部あんたが作ったの?」
「そうだ。同棲とは言え、家をただで借りてるようなもんだし、料理とかそういう家事は全部やってやるよ」
分かるけど、それじゃどっちの花嫁修業か分からないじゃない……。
「今日も学校だろ? 早く食べよう」
「男が作った手料理とか、なんだかキモイわ……」
「キモイってお前な……」
まあでも……。
「…………」
美味しそうではあるわね……。
「食べないなら別にいいんだけどな」
そう言って提督は皿をさげようとした。
「……食べるわよ。食材が無駄になるの嫌だし……」
「そうか」
それからは二人とも無言で朝食を取った。
「…………」
「…………」
気まずっ……。
よくよく考えれば、別に一緒に食事とる必要は無かったな……。
ふと提督の方を見ると、私の方をじっと見ていた。
「……なに?」
「いや、俺の朝食、どうかなって」
「普通」
「普通か……」
まあ、本当は美味しいけれど……。
なんか素直にそう言うのは癪だわ。
「それじゃ……学校行ってくるわ……」
「おう、行ってらっしゃい」
はぁ……。
これが毎日続くのかぁ……。
何とかして、早く終わらせないと……。
「大井っち、おはよう」
「おはようございます、北上さん」
「昨日のテレビ見た? 凄かったよねー」
ああ、これだけが私の癒しだわ。
北上さんとこうしていられるのなら、あんな同棲、どうってことなく感じてくる。
「そう言えば、昨日、大井っちの家の前を通ったんだけど、なんか引っ越し業者来てなかった?」
「え……?」
「誰か引っ越ししたの?」
「あ、えーと……」
北上さんには、提督との同棲の事は言っていない。
言えるはずがなかった。
「し、親戚が引っ越してきたんですよー。なんか、しばらく住むことになったんです……」
「あーそうなんだ。大井っちの家、広いもんねー。空き部屋とかもあったし」
「あはは……」
そうだった……。
これがあるんだわ……。
「そ、それよりも、昨日のテレビの話ですけど……」
「あ、そうそう。それでさー」
北上さんには感づかれないようにしないと……。
何とか一日を乗り切り、やっと下校時間になった。
「はぁ……なんだか変に警戒して疲れたわ……」
同棲していることを何とか意識しないように努力しないと……。
そうだ。
学校にいる時は、北上さんの事だけを考えるようにしよう。
「大井っち、一緒に帰ろっ」
「はい!」
「最近、夜が寒くなったよねー。もう秋だよ」
「金木犀の香りもしてきましたし、彼岸花もチラホラ咲いてますね」
「金木犀と言えばさー、花言葉に初恋ってあるんだって。大井っちの初恋はいつ?」
「初恋ですか……。ちょっと覚えてないですね。北上さんは?」
「私? 私はねー」
北上さんを恋に落とすなんて、罪な奴がいたものだ。
どうかそいつが死んでますように。
「あれ? 提督じゃん」
「え?」
北上さんの指す方を見ると、提督が買い物袋を提げて歩いていた。
「おーい、提督ー!」
「ん? おう、お前ら。今帰りか?」
「そうだよ。こんなところで何してるの?」
「買い物だよ。今日の晩御飯の」
マズい……。
「提督が住んでる家って、3駅くらい離れてなかったっけ? わざわざこんな所まで買い物に来たの?」
マズいマズいマズい……。
「ん? あれ、お前聞いてなかったのか? 俺は大井と」
「あー!」
「わっ! どったの大井っち。急に大声出して……」
「あ、あぁ……えっと……ほ、ほらあそこ! あそこに昨日テレビでやってたUFOが!」
「え!? どこどこ!?」
北上さんが探している間、私は提督を睨み付けた。
察しなさいよ……。
もし言ったりしたら……。
「殺す……」
「ん? 大井っち、何か言った?」
「い、いえ……」
「UFOいないよ? 本当に見たの?」
「み、見間違いだったかもしれませんね……」
「そっか……ちぇっ……。あ、ごめんね提督。それで、何だっけ?」
「あぁ、こっちのスーパーが特売やっててさ」
「それでわざわざこんな所まで来たんだ。提督も案外ケチだね」
「この前、ケーキとか散々奢らされたからな」
「また奢ってもらうからね」
「勘弁してくれよ。おっと、もうこんな時間か。それじゃ」
「うん、またねー」
何とか乗り切った……。
というか、おばあちゃんの時もそうだけど、何気に演技上手いわね……。
「こういう事もあるんだねー」
「え、えぇ……本当……」
「んじゃ、私こっちだから。じゃーねー。また明日」
「また明日……」
…………。
「ちょっと!」
「おう、お帰り」
「なんであんな所うろついてたのよ!」
「仕方がないだろ。夕食の買い出ししなきゃいけないんだし。ここいら、あそこしかないんだよ」
「なんだってあんなタイミングで……」
「ていうか、北上に言ってなかったのか」
「言えるわけないでしょ……。あんたと同棲してるなんて知られたら……」
きっと、北上さんは――。
「……とにかく、買い物の時間と下校の時間は少しずらしてくれない? 絶対に見つからないようにしなさいよ」
「分かったよ」
「ったく……」
それから数日間。
なんとかバレずに過ごしてきたけれど、相変わらずなれない生活が続いた。
そんなことを続けていると、やはりストレスになっていたのか、私は体調を崩した。
「ゴホッ……」
「お前、大丈夫か?」
「平気よ……」
「平気って……。朝ごはんも残してるし……」
「学校行くから……」
「待て。今日は休んどけ。学校には俺から連絡しておくから」
「うるさいわね……大丈夫だから……」
そう言って椅子から立ち上がった時だった。
目の前がモヤモヤした灰色の煙のようなものに包まれてゆく。
「大井?」
提督の呼ぶ声が聞こえたと思ったら、すぐに静かになった。
「…………」
モヤモヤの視界が晴れて、最初に見たのは自室の天井だった。
「え……?」
いつの間にかベッドに寝ていて、起き上がった拍子に、濡れたタオルが膝の上へ落ちた。
体はまだ重く、大きな咳を二つすると、頭痛も同じように二つ。
「起きたか」
声の方を見ると、提督が椅子に座って本を読んでいた。
「お前、朝ごはんの後、倒れたんだぞ。覚えてるか?」
そうか……。
気絶したという事なのね。
「風邪で、って言うよりも、貧血に近いかもな。あの倒れ方だと」
「……学校は?」
「連絡したよ。ほら、水飲むだろ?」
提督から貰った水を一気に飲み干した。
「体調はどうだ?」
「最悪よ……。色んな意味でね……」
「そう言える内はまだ元気だな。さて、俺は買い物に行ってくるよ。薬とか無いしな。なんか買ってきてほしいものとかあるか?」
「別に……」
「分かった。すぐに戻るから、寝てろ」
そう言うと、提督は出かけていった。
「はぁ……」
北上さんには会えないし、風邪はひくし、提督に看病されなきゃいけないし……。
本当……ついてないわ……。
全てはこの同棲のせいだ。
早くやめるには、おばあちゃんに本当のことを言うか、本気で好きになるような人を探すしかない。
どちらにせよ、私には無理。
だからと言って、このまま続ければ、また体調を崩すし……。
「どうすればいいんだろ……」
考えれば考えるほど、気分が落ち込んでゆく。
とにかく、今は風邪を治さなきゃ。
そう思って、目を瞑り、眠りに入るのを待った。
次に目を覚ました時には、夕日が沈みかかっていて、下校する生徒の笑い声が、窓の外から聞こえてきた。
「起きたか」
先ほどと同じように、提督は椅子に座って、本を読んでいた。
そして、同じように水を差しだした。
「本当は起こして何か食わせようと思ったんだが、気持ちよさそうに寝てたんでな。起きるのを待ってたんだ」
「そう……」
「おかゆでも作るよ。何か食わないと、薬も飲めないしな」
そう言って、提督は台所へと向かった。
「…………」
おでこに乗ったタオルは、とても冷たかった。
ずっと看ててくれたのかな……。
「ほら、出来たぞ」
「食欲ないわ……」
「ちゃんと食わないと、治るもんも治らんぞ」
薬も飲まないといけないし……仕方がない……。
一口一口、ゆっくりと食べた。
「……案外、ストレスになってたんじゃないか?」
「え……?」
「この生活が、だよ。馴れない環境だし、北上達には言えないし、好きでもない奴と同棲なんてさ」
「仕方がないじゃない……」
「そうかもしれないけどさ……」
珍しく、提督はしおらしかった。
言いぶりからするに、責任を感じているのかもしれない。
「……別に、あんたは悪くないわよ」
少し前までだったら、何かしら悪態をついたかもしれない。
けれど、今は自然と、そんな言葉が出ていた。
食事を終え、デザートにゼリーを食べた。
これだけはスルスルと食べられた。
「それ食ったら、薬飲めよ」
「えぇ……」
そう言うと、提督はコップに水を注いだ。
「……ずっと看ててくれたんでしょ?」
「ん? あぁ、迷惑だったか?」
「そんなこと言ってないでしょ……」
「まぁ、形だけだとは言え、同棲してるしな。もし自分の恋人が寝込んでいたら、ずっと看てると思うんだ」
「そうかしら……」
「冷たい奴だな」
薬を飲み、再びベッドに入った。
「後は寝るだけだな。流石にこれ以上は看られるの嫌だろ。何かあったら呼んでくれればいいから。んじゃ、お休み」
食器などを持って、提督は部屋を出ていった。
「…………」
一人になった部屋は、いつもよりも静かに感じた。
そう言えば今日一日、目が覚めている間は、ほとんど提督と居た。
提督は、私が寝ている時も、ずっと一緒に居たのか……。
なんだか気持ちの悪い話ではあるけれど、それくらい看てくれていたことでもある。
『……ずっと看ててくれたんでしょ?』
あの後、本当はお礼の一言でも言うつもりだった。
けれど、結局言えなかった。
「……何やってるんだろ……私……」
たった一言、それすら言えない自分が情けない。
提督は言った。
『……案外、ストレスになってたんじゃないか?』
確かに、それもあるかもしれない。
けれど、本当はそうじゃない。
提督の優しさにちゃんと応えられない自分、何も変われない自分にストレスを感じていた。
そして、それが提督に影響している事に対しても……。
この環境に適応していかないといけない自分と、そうは出来ない自分が、今のこの状況を作りだしていた。
次の日。
幾分か体は軽くなっていた。
しかし、休日だという事もあって、もうちょっとゆっくりすることになった。
「一応、薬飲んどけよ」
朝食はリビングでとった。
あまりベッドで寝ているのも、体に良くないだろうし。
「暇だろうと思ってさ、ビデオ借りて来たぞ。どんなのが好きか分からないから、適当に見繕って来た」
「えぇ……」
「じゃ、俺は自室にいるから」
またお礼が言えなかった。
そして、提督は気を遣っているのか、あまり姿を見せなくなった。
何も出来ぬまま、休日は過ぎてゆき、休日最終日には、もうすっかり体調は良くなっていた。
「明日から普通に学校に行けそうだな」
「そうね……」
「良かったな」
そう言って笑う提督。
「んじゃ、お休み」
「……ねぇ」
「ん? どうした?」
「どうして、そんなに頑張れるのよ……」
言った後、自分を責めた。
そうじゃないでしょ。
また、前と同じことを繰り返すのか。
どうして、お礼が言えないのよ。
どうして、私は変われないのよ。
そんな私に、提督は優しく微笑んで言った。
「お前と少しでも、仲良くなれたらって思ってさ」
「……!」
「お前から嫌われてるのは分かってるよ。それでも、こんな状況になって、これも何かの縁だと思うんだ。戦時中には叶わなかったけれど、俺はお前と仲良く出来たらって思ってる」
なんとなく、提督の気持ちが分かった気がした。
ずっと、なんでだろうと思ってきたこと。
何か理由があると思っていたこと。
そうじゃないんだ。
提督は、ただ純粋に、仲良くしたいと思っていただけなんだ。
そこに、損得は無くて、ただそうしたいからそうしただけなんだ。
理解できないはずだわ。
そんな純粋な気持ち、ぶつけられたことないから。
「そう……」
「じゃ、お休み」
「提督……」
そんな気持ちに、私はちゃんと応えられるのかな。
「……ありがとうね」
「おう」
そう返事をして、提督は部屋を出た。
今はこれが精一杯。
けれど、提督の気持ちが分かって、私はもっと変われるんだって思った。
そう言う意味でのお礼でもあった。
「……何だろう」
心のモヤモヤが、徐々に晴れてゆく。
それと同時に、私は眠気に襲われて、そのまま眠りについた。
翌朝。
「ちょっと! どうして起こしてくれなかったのよ!」
「起こしたさ。でも、全然起きなかったんだよ」
「もう!」
もの凄くぐっすり眠れたらしくて、目覚ましにも気が付かなかったようだ。
いくら心のモヤモヤが晴れたからとは言え、気を抜きすぎている。
「おい、朝ごはんどうするんだよ」
「いらないわよ!」
「せっかく作ったんだ。ちょっとは食っていけよ」
「……っ!」
普通なら無視するところだけど……。
「……分かったわよ。いただきます……」
「ごちそうさま! もう行くわ!」
そう言って、玄関へ向かう。
「ハンカチ忘れてるぞ。ほら」
「ありがとう。行ってくるわ!」
家を飛び出し、学校へ走ってゆく。
「…………」
足が止まる。
「今……」
自然と、「ありがとう」が言えていた。
こんなに簡単に言える事だったんだ。
たったそれだけの事を、私は――。
「……って、今はそんな場合じゃないわ!」
私の中で、何かが変わってゆく。
それがいい事かどうかは分からない。
けれど、いつも以上に、気分は晴れ晴れとしていた。
チャイムがお昼休みを知らせる。
「ふぅ……」
今朝はどうなるかと思ったけれど、何とか遅刻は免れた。
「大井さん」
「阿武隈」
「もう体調は大丈夫なんですか?」
「えぇ、何とかなったわ」
「これ、休んでいた時のノートです。代わりに取っておきましたよ」
「ありがとう」
阿武隈とかには普通に言えるのに。
「…………」
阿武隈はノートを渡すと、周りを見渡した。
「どうしたの? 」
「大井さん……ちょっといいですか……?」
屋上へと出るドアは施錠されていた。
その手前の踊り場には、使われていない机や椅子が埃をかぶって重なっている。
「どうしたのよ阿武隈。こんなところに呼び出して……」
「あの……間違っていたらごめんなさい……」
「いいわよ。言ってみなさいよ」
「大井さんって……その……」
「?」
「提督と……同棲してるんですか……?」
――続く。