いつからだろう。
「よく来たな。これからよろしく」
いつ頃からだろう。
「MVPか。良くやったな、大井」
どうしてだろう。
「改二、おめでとう。お祝い……って、そういうの嫌いだったな」
何故。
「ケッコンカッコカリか……。お前だったら、絶対に嫌がるよな」
何故。
「――俺は……本当に彼女を愛しています」
何故――。
私は、提督に恋をしているのかもしれない。
「人参取ってくれるか」
「ん……」
「ありがとう」
そう思うと、なんだか分からないけれど、提督と面と向かい喋る事が難しくなった。
「こうして二人で料理するのも馴れたもんだな」
「…………」
「お前、料理上手だけど、おばあちゃんが教えてくれるのか?」
「うん……」
「俺は一人暮らしが長かったから、自分で覚えたよ」
「…………」
最近はこんな調子だ。
いや、昔からそうなのだろうけれど、そう感じてしまうほど、意識している自分がいる。
「はぁ……」
食事を終えると、すぐに部屋に戻る。
これもいつもの事だけれど、提督から逃げていると思ってしまう。
「恋かぁ……」
恋って、もっとこう、ドキドキしたり、体を密着させたり、べったり相手に寄り添うものだと思ってた。
今の私は、その逆。
なら、これは恋じゃないはず。
「…………」
でも、私の思う恋が間違っていて、大和さんの言うことが本当ならば――。
「恋って……辛いものじゃない……」
自分の事を考える隙間もないくらい、提督の存在が目に付く。
元々、悩みやすい性格だとは思ってたけれど、ここまで悩んだのは、初めてかもしれない。
学校。
ここでは、提督の事も忘れて、普通に過ごせると思っていた。
けれど――。
「でさー、その時提督がねー」
北上さんは、この前のデートの事を嬉しそうに話した。
「たくさん奢ってもらってラッキーだったよ」
「それは良かったですね」
「次はいつ会えるかなー。また誘ってみようかなー」
北上さんも、提督に恋してるのかな。
「北上さんは、提督の事が好きなんですか?」
冗談のつもりだった。
けれど、北上さんは一瞬、動揺したように見えた。
「な、無い無い。普通に友達って感じだよ。提督の事が好きなのは阿武隈っしょ」
「そう……ですよね」
「あ、そう言えば、昨日のテレビだけどさー」
それから、北上さんは提督の事について話さなかった。
それが、北上さんの答えなのだろうと思った。
家に帰ると、提督はまだ帰ってきてなかった。
自室に戻ろうとした時、ふと、提督の部屋の扉が目に入った。
そう言えば、一度も部屋の中を見たこと無かったな。
興味なかったし、提督の部屋の前を通る機会すらなかった。
「…………」
無意識に時計を見ていた。
近くにあるカレンダーには、「仕事」と書かれている。
という事は、帰ってくるまであと一時間ほどある。
「……って、ばか」
自分の行おうとした事を恥じ、自室へと向かおうとした。
しかし、この静かな環境で、自分の心臓の音が段々と大きくなってゆくのをはっきりと感じて、私は足を止め、もう一度提督の部屋の扉を見た。
「……っ」
気が付くと、扉の前に立っていた。
何だろう。
このイケナイ感じ。
「わ、私の下着が紛れてるかもしれないわ……。この前だって、提督の下着が私の箪笥に入ってたし……」
誰もいないのに、そう言って、扉を開いた。
「…………」
部屋には机とベッド、小さな箪笥があるだけで、他には何もなかった。
一歩足を踏み入れると、提督の匂いがした。
「やけに片付いてるわね……」
埃一つないところを見ると、こまめに掃除をしているらしい。
料理の事と言い、己は女か、と言いたくなる。
「ん……?」
机の上には、戦後直後に撮られた集合写真が飾ってあった。
その隣に、日記のようなものも。
「こんなものつけてたのね」
躊躇なくページを開く。
もはや、この部屋に入る時のドキドキは消えていた。
『○月○日 今日は仕事で江ノ島の方へ――』
細々と行動すべてが書かれている。
日記と言うのは、記録とは違うのよ?
『○月△日 今日は北上と街へ出かけた――』
その日の事も、細々と書かれていて、二人の光景が目に浮かぶようであった。
『――その途中、ケーキ屋を見つけた。大井はこういうの好きだろうか――』
北上さんとのデートで、他の女の事考えるんじゃないわよ。
『●月▽日 今日は阿武隈と出かけて――』
『――大井も阿武隈と同じように、少しは洒落っ気を出したら、相手が見つけると思うのにな――』
『●月◎日 今日は少し手をかけて料理を――』
『――大井の奴、喜んでくれたらいいが――』
…………。
『◎月◇日 大井と喧嘩をしてしまった――』
『――叩いた手よりも、受けた方の頬の痛みよりも、あいつの心が一番傷ついてしまったのかもしれない――』
その時、ページの端が折れているページに気が付いた。
『◆月◇日 今日から大井との生活が始まる――』
『――随分嫌われているようだが、頼られた以上、必ず大井の相手を見つけてやる――』
『――それが、俺があいつに出来る、唯一の事だから――』
そこまで読んで、日記を閉じた。
「ただいま」
「お帰りなさい」
「珍しいな。リビングにいるなんて」
「…………」
「飯、まだだろ。遅くなってスマン。今から作るのもなんだから、弁当買って来たんだ」
「そう……」
「食べようか」
弁当を食べ終わった後、提督がソファーに座るのを見て、私も隣に座った。
「どうした?」
「私も……この番組見たいと思ってたから……」
「自室のテレビはどうした? 壊れたか?」
「……電気代の無駄でしょ」
それから、二人してテレビを見ていた。
別に、こんな番組、見たかったわけじゃない。
同じ理由だ。
提督に、手料理を食べてもらおうと、早起きした時と――。
「あ……あの……」
「ん?」
「あんた……その……欲しいものとか……ないの……?」
「欲しいものか……。特にないな」
「じゃあ……何かしてほしいとか……」
「大丈夫だ」
「じゃあ……じゃあ……」
「どうしたんだよ急に? なんだか、最近のお前、おかしいぞ」
「…………」
「……何か……あったのか?」
心配そうに提督が見つめる。
その顔を見て、自分でも驚くほどに、正直な気持ちが口から零れだした。
「お礼が……したくて……」
「お礼?」
「阿武隈の件もそう……普段の事もそう……。この生活を受けてくれたこと……私の事を――」
思わず、日記の事を話そうとしてしまい、口を紡いだ。
「――とにかく、お礼がしたいの。正直言うと……この前……早起きして私がつくった朝食が……その……それに近かったんだけれど……恥ずかしくて……伝わらなくて……」
「そうだったのか……」
「だ、だから……」
「お礼なんていいんだよ。そう思ってくれることが、俺にとって凄く嬉しくあるし、当然の事をしたまでだ」
「でも……! それでも……」
そこまで言って、私はある事に気が付いた。
自分の欲求。
提督にお礼をしたいという以上に、私が欲しかったもの。
「……提督の喜ぶ姿が見たい」
「え?」
「あ……」
そうだ。
全部、そうなんだ。
お礼って、相手に全てをしてあげるだけだと思ってた。
けれど、そうじゃない。
お礼って言うのは、する側の自己満足でもあるんだ。
そして、それを実感したいと思ってするものなんだ。
「あんたにお礼をしたいと言う……私の我が儘に……付き合ってくれませんか……?」
そう言う私に、提督は優しい声で、「分かった」と言った。
休日。
電車で10駅ほど行ったところ。
流石にこの場所だったら、誰にも見つからないだろう。
「うぅ……まさかこんな事になるなんて……」
提督が望んだもの。
それは――。
「おう、待たせたな」
「遅いわよ……」
「悪い悪い。だって、一緒に電車乗りたくないって言うからさ」
「誰かに見られたらマズいでしょ! ったく……で? どこに行きたいのよ?」
「近くに水族館があるんだ。そこへ行こう」
「分かったわ……」
私とのデートだった。
提督は直接、「デート」とは言わなかった。
ただ、「一緒に出かけて欲しい」と言われただけ。
でも、男女が一緒に出掛けるって……デートよね?
私の価値観が可笑しいだけ?
「水族館なんて、何年ぶりだろうな」
「そんなに来たかったなら、一人で行けばよかったじゃない……」
「お前と来たかったんだよ」
……っち。
相変わらずこいつは……。
そして、一瞬でも、それにドキッとした自分にムカつく……。
水族館は、休日だという事もあってか、家族連れやカップルが多かった。
「見て見ろ大井。マンボウだと。かなりデカいんだな」
子供みたいにはしゃいじゃって。
何がそんなに嬉しいのやら。
「こっちにはマグロか。泳ぎ続けなきゃいけないらしい。こいつらも大変だな、大井」
一々私を見なくてもいいわよ。
「大井、こっちには――」
…………。
もしかして……さっきの言った事って本当なのかしら?
私と来たかったって……。
「イルカのショーもあるみたいだな。行ってみるか」
「え、えぇ……」
それから、イルカのショーを見たりして、水族館を出た。
その間、提督はちょくちょく私の反応を見たりしていた。
「そろそろ、何か食べるか。何がいい?」
「……あんたねぇ。今日は私からのお礼なんだから、私の機嫌とかそういうの気にしないでくれる!?」
「分かってるよ」
「なら……」
「お前と同じだよ」
「はぁ?」
「俺も、お前の楽しそうな顔が見たかったんだ。お前がそういう顔を見せてくれる事が、俺にとって嬉しいお礼なんだよ」
「なによそれ……」
だから、あんなに――。
ウザっ……。
けど……。
「……洋食がいいわ」
「分かった」
それであんたが喜ぶってんなら……。
それからは、提督が行きたい場所と、私が行きたい場所、それぞれを交互に回った。
最初こそは私もムスッとしてたけれど、気が付けばそれも忘れて楽しんでいた。
提督がそういう風に持って行ってくれたのもあるのだろうけれど。
「次はどこへ行くのよ? あんたの番でしょ? 早く決めなさいよ」
「あー……そうしたいんだが……」
提督は窓の外を指した。
「あ……」
夕日が沈みかけていた。
「あっという間だな」
「そうね……」
何の躊躇もなく、そう答えた。
「今日は楽しかったよ。ありがとうな、大井」
「晩御飯は? 食べていかない?」
「いや、帰りは別々に帰らなきゃいけないだろ。暗くなる前に帰らないと危ないから、家で食べよう」
そうだった……。
「大井は先に帰ってくれ。俺は後から帰るからさ」
「うん……」
「今日は本当にありがとう。あと……悪かったな」
「え?」
「いや、楽しそうな顔がみたいなんて言ったから、無理に笑ってくれてるのかなと思って」
…………。
「それでも、嬉しかったよ。じゃあ、駅まで送――」
「……いいわよ。ここで」
「でも……」
「いいって……!」
そう言って、提督を突き飛ばした。
「大井……?」
「……ごめんなさい」
唖然とする提督を置き、私は一人駅へと向かった。
車内は相変わらず閑散としていた。
切れかけの蛍光灯が、チカチカと点滅している。
『楽しそうな顔がみたいなんて言ったから、無理に笑ってくれてるのかなと思って』
どうして……。
「どうして……伝わらないのよ……」
いきなりの事で、提督は何が何だか分からないでいるだろう。
悪いのは、提督に自分の笑った顔が本心だって、伝えられなかった自分だ。
けれど、伝わってない事がショックで、提督を――。
「…………」
どうして私は、こんなにも不器用なんだろう。
電車を降りて、家の方へとゆっくり歩いて行った。
空はすっかり暗くなっていて、人通りはまだあるけれど、あと少ししたら一人で歩くには危険な道だった。
「寒い……」
街灯が、影を後ろに伸ばし、通り過ぎる頃には前に影を伸ばした。
それの繰り返し。
今の私と同じ。
悩み、また悩みの繰り返し。
変わる事の無い事。
「大井!」
振り向くと、提督が息を切らして立っていた。
「はぁ……はぁ……」
「提督……」
「大井……」
息を整え、提督は近づいて来た。
「……二人でいるところ、見られたらどうするのよ……」
そうじゃないでしょ。
「ごめんな……。いや、二人でいるところを見られたらっていうのもそうなんだが……」
「……?」
「お前の気持ちを踏みにじること……言ってしまって……」
「え?」
「俺さ……お前が本心から笑ってくれている事……知ってたんだ……。けど、自分の都合のいい方向に考えないようにする癖があって……」
なんだ……。
「もし、そのことで怒ったのなら、すまない! 違うなら……教えてくれないか……?」
そうだったんだ……。
「大井……?」
ちゃんと……。
「大井……」
伝わってたんだ……。
「……悪かった。嬉しかったよ、大井」
そう言って、提督は私の涙を拭いた。
「良いのか? 一緒に帰って」
「いいの……」
この時間なら、誰もいないだろうし。
「……伝わってないのかと思って……不安だった……」
「伝わってたよ。今度からは、ちゃんと言葉にして言うよ」
電灯が、二つの影を伸ばした。
「けど……本当にお前が喜んでくれるなんて、思ってなかったんだ」
「…………」
「俺はまだ……嫌われたままだと思ってたからさ……」
私は、提督の手を握った。
「…………」
「――難しいな。気持ちを伝えるのって」
けど、ふとした瞬間に気づくこともある。
きっと、この手を通して、提督もそう思ったのだろう。
提督も、私の手をしっかりと握った。
「はっ……はっ……はっ……」
朝のジョギング。
前回の走りで、途中でお腹が空くのに気が付いたので、バナナを一本ほど食べてから走り始めた。
けれど、そのせいで少しだけお腹が痛くなった。
食べる時間、もっと早くしないといけなかったかな。
「おはようございます。大井さん」
「大和さん」
しばらく一緒に走ってから、川の土手で休憩することになった。
「はぁ……はぁ……駄目だわ……」
「まだ走り始めてから日が浅いですし、これからですよ」
「だといいのだけれど……」
朝日は昇り始めている。
「それで、提督とはどうですか?」
「えぇ……私、気が付いたことがあるんです」
「気が付いた事?」
「前に、大和さんに言われて、ずっと考えていたことです」
「恋……のことですか?」
「えぇ……」
水面がキラキラと輝き始めた。
「私は――」
家に戻ると、提督はまだ寝ていた。
シャワーを浴びて、出てくる頃には、キッチンに立っていたけれど。
「おう、おはよう。またジョギングか」
「えぇ、大和さんと」
「大和? 大和って……」
「戦艦の大和さん」
「へぇ、この近くに住んでたのか」
「で? 何すればいい?」
「ん、おう。じゃあ、玉子焼き作ってくれないか?」
「分かったわ。だし巻き?」
「ああ」
いつもと変わらない光景。
けれど、少し変わったことがある。
「ん? どうした?」
「ううん。なんでもないわ」
私の気持ち。
「見て、綺麗に巻けたわ」
「本当だな。お店で出てくるやつみたいだ」
私の想い。
「出来たわ」
「こっちも出来たぞ」
提督への気持ち。
「それじゃあ、いただきます」
「いただきます」
提督への想い。
「どう?」
「美味いよ。店出せるんじゃないか?」
「ふふふ、大げさね」
私は――。
…………「私は、提督に恋をしてます」
――続く。