「同棲生活はどう?」
「良い感じよ。おばあちゃん」
「そう。それは良かったわ」
家を離れてから、おばあちゃんの顔を見るのはこれが初めてだった。
そんなに時間は経ってないはずなのに、数年ぶりに会ったかのような感覚。
それほどに、濃い時間を過ごしてきたのだろう。
「何だか雰囲気が変わったわね」
「そう?」
「えぇ、女性らしさが出てるわ」
特別、身なりに気を遣ってるわけでもないし、そんなに変わったかしら?
「恋は人を変えるわ。貴女もこれから、もっともっと素敵になるはずです」
「そうかな……」
「相手の方の反応も、きっと変わるわ」
提督の反応……か……。
提督に恋をして、自分の中で何が変わったかと言うと、同棲を楽しめるようになったくらいで、大きな変化は無かった。
ただ、おばあちゃんに言われて、気が付いたことがある。
「提督の気持ちですか?」
「えぇ。今まで自分の気持ちばかり考えて来たけれど、提督の気持ちはどうなんだろうって思って……」
大和さんは、小さく笑った。
「ごめんなさい。なんだか、あの人を見ているようで」
「あの人って?」
「大和の好きな人を射止めた人」
「知り合いなんですか?」
「幼馴染です」
幼馴染で、同じ艦娘で、同じ人を好きになって……。
大和さんの話、そんなに重く考えてなかったけれど、相当大変な思いをしたのだろう。
「その人も、自分の気持ちは分かってたけれど、相手の気持ちが分からなくて苦しんでいました」
「…………」
「大井さんは、提督に恋してるって気が付いただけで、まだそんなに苦しくはないでしょうけれど、きっと、そんな時が来ると思いますよ」
私もそんな気がしている。
提督の気持ちはどうなんだろうと、ぼんやり考える事はあるけれど、まだそこまで深刻に考えてはいない。
ただ、もっと考えなければいけない時が来て、その先にいるのは――。
二人の背中が、私にははっきりと見えていた。
「――会ってみます?」
「え? 誰に?」
「その人に」
冷たい風が、大和さんの髪を揺らした。
元駆逐艦の通う学校。
そこから少し歩いたところに、その家はあった。
木造の一戸建てで、表札には三人の名前が刻まれていた。
「大和もお邪魔するのは初めてなんです」
そう言って、大和さんは家を眺めた。
何か思うところがあるのかもしれない。
「行きましょうか」
「えぇ」
玄関に手をかけると、扉が勝手に勢いよく開いた。
中から、小柄な女性が出て来て、すぐに大和さんに抱き着いた。
「大和ちゃん……うぅぅ……」
「鳳翔さん……なんで泣いてるんですか?」
「だって……私……私……」
「貴女が幸せそうで、大和も嬉しいです」
そう言って、大和さんも女性に抱き着いた。
何が何だか分からないけれど、きっと、恋の事で色々あったのだろうと思った。
「すみません……」
顔を真っ赤にして、女性は謝った。
よく見ると、この人とは演習で何度か顔を合わせている。
あの頃もそうだけど、より一層美人になっていて驚いた。
「紹介します。電話でお話しした……」
「大井さんですよね。演習で何度か」
「私も覚えています」
「それなら良かった。それで、今日は鳳翔さんに相談に乗ってもらいたくて来たんです」
「私に……?」
「実は大井さんは――」
それから、鳳翔さんに事情を説明した。
似たような境遇だったらしくて、鳳翔さんも驚いたり、共感してくれた。
「そうだったんですか……」
「まだ恋をして浅いから、鳳翔さんにアドバイスを貰おうと思ってまして」
「私なんかで役に立つかしら……」
「提督と艦娘……その関係は、鳳翔さんにしか語れませんよ」
「そう……よね。お力になれるか分かりませんが、私で良ければ」
「お願いします」
「何から話したらよいか……」
「鳳翔さんと提督の馴れ初めから今に至るまでを聞きたいですねぇ」
「大和ちゃん、自分が聞きたいだけでしょう?」
「大井さんも聞きたいですよね?」
「は、はい」
「分かりました。じゃあ――」
鳳翔さんは、その提督との馴れ初めを話し始めた。
鎮守府に配属されてきた時の事。
徐々に変化していく、日常の事。
提督への気持ち。
提督への想い。
戦後の出来事。
家族が出来たこと。
語るのに時間はあまりかからなかったけれど、途方もない時間を過ごしてきたことが分かる。
特に、恋をしてからは。
「やっぱり、恋って大変なんですね」
「でも、それを乗り越えた先に、あの人が居たから……」
そう言うと、鳳翔さんは微笑んだ。
恋をしている女性は、本当に美しいものなのだなと思った。
「大井さんは、提督の事が好きなんですよね?」
「え……えーっと……」
「そう言えば、大井さんから「恋をしている」とは聞いたけれど、「提督が好き」って聞いたことありませんね」
そう言えばそうかもしれない。
「私は……えーっと……」
あれ?
何だろう。
「恋をしている」とは平気で言えるのに、「好き」になると、途端に言えなくなる。
何だか恥ずかしい。
「まだ、自分の気持ちに正直になれないでいるようですね」
「まあ、今日は鳳翔さんの話を聞いて、参考になればっていう程度でしたから、これからだと思いますよ」
私はまだ恋をしたという訳じゃなくて、している最中という事だろうか。
スタートラインにすら立ってないのか……。
「なんだか、恋って面倒ですね……」
「引き返してもいいんじゃないですか?」
「そう思えてきました……」
そうだらける私に、鳳翔さんは優しい顔で言った。
「きっと、気が付く日が来ますよ。これが本当の恋なんだって。そうしたら、面倒なんて思う暇はないわ」
だとしたら、恋は厄介なものだ。
「恋の病」とはよく言うけれど、まさにその通りだ。
「そう言えば、提督と響ちゃんは?」
「提督はお仕事です。響ちゃんはそろそろ学校から……」
その時、玄関の方で、「ただいま」という声がした。
「大和、隠れていた方がいいでしょうか? 提督を奪おうとした女性ですからね」
大和さんはそう言って、悪戯に笑った。
鳳翔さんは、何とも言えない顔で微笑んでいた。
なんとなく、この二人の関係が見えてきた気がする。
「ただいま鳳翔さ――」
銀髪の女の子。
この子も演習で見たことがある。
響とかヴェールヌイ……そう呼ばれていた気がする。
「や、大和って人……」
「貴女が響ちゃんね。今日は貴女のお父さんを奪いに来たのよ」
「し、司令官を……」
そう言うと、響ちゃんは身構えた。
それを見て、大和さんは悪そうに笑った。
大和さん、こんな顔もするのね。
戦時中には、こんな顔――。
「し、司令官は渡さない……!」
「あら、貴女のお母さんにも了承を貰ったのよ。ですよね、鳳翔さん」
「え、えぇ……?」
「そ、そんな……」
そう言うと、響ちゃんは本当に困ったような顔をした。
この子もそうだ。
あまり絡んだことはないけれど、こんな表情、見たことない。
笑わない子だと思ってたけれど――。
「今日からは、この大和が貴女のお母さんよ」
「や、やだよ……」
鳳翔さんの方を見ると、顔を隠して震えていた。
きっと、笑っているのだろう。
「…………」
ああ、そうか。
この人たちは、その提督に出会って、色々変わったのだろう。
鳳翔さんの話を聞く限り、大和さんと鳳翔さんは、提督に恋をして。
そして、響ちゃんは提督と家族になって。
私も同じかもしれない。
あの人と再会して、一緒に住んで行くうちに、態度も表情も変わっていった。
今はまだ、変わって間もないけれど、きっと、鳳翔さんの言うように、本当の恋というものに気が付ける日が来るかもしれない。
「ふふ、嘘よ嘘。ごめんなさいね、響ちゃん」
「む……鳳翔さん、私、この人嫌い……」
「あらら、嫌われちゃいましたね。大和ちゃん」
「いいのかな? お土産あるんだけれど」
「お土産……?」
「響ちゃんが好きだっていう羊羹。その他お菓子」
「羊羹……お菓子……」
「でも、響ちゃんに嫌われちゃったからなぁ。これは持って帰らなきゃなぁ」
「う……」
「うふふ、素直に貰っておきましょう」
「……うん。嫌いって言ってごめんなさい」
「大和も悪かったわ。ごめんね。さ、お菓子食べましょう」
「うん」
もし、私と大和さんが反対の立場だったら、私に同じことが出来ただろうか。
そう考えると、大和さんの凄さが、ひしひしと伝わってくる気がした。
「響ちゃんは大井さんの事、知ってる?」
「うん。演習で何度か……。とても強いんだ」
この子も駆逐艦の中では結構強い方だったけれど……。
「大井さんね、自分のところの提督に恋してるんだって」
「そうなんだ」
「響ちゃんからも何か言ってあげたら?」
子供にアドバイスを受ける筋合いはない……と言いたいところだけど、この子も鳳翔さん達を見てきたのよね……。
「もし……相手の事を想ってるのなら、はっきりと言わないと駄目だと思う。そうしないと……伝わらなくて……大変だから……」
その言葉に、大和さんも鳳翔さんも表情を変えた。
「そうね……。気持ちがあるのなら、はっきりと伝えないといけないわね」
簡単で、当たり前の事だと思った。
けれど、それが難しい事もある。
きっと、それが恋の厄介な所なのだろう。
「大井さん、自分の司令官の事、好き?」
さっきは答えられなかったけれど、今ははっきりと伝えないといけない。
そんな気がした。
「うん、好きよ」
「そっか」
そう言って、響ちゃんは笑った。
それから、夕方になるまで話し込んだ。
「今日はありがとうございました」
「いえ、何か掴めたのならいいのですけど……」
「とても参考になりました。あの……また来てもいいですか?」
「えぇ、是非いらしてください。響ちゃんも、大井さんの事、気にいったみたいですし」
「大井さん、絶対また来てね」
「うん」
「それじゃあ、また」
「大和ちゃん……ありがとう」
「今度は提督の一緒に」
「えぇ」
そう言って、家を後にした。
「どうですか? 参考になりましたか?」
「えぇ、まだ「恋をした」とは言えないのかなって」
「そうかもしれませんね」
「でも、これだけははっきり言えます」
「?」
「私は、提督が好きです」
「――ふふ、大きな収穫ですね」
水銀灯が、徐々に光を強めてゆく。
それに反して、空は暗くなっていった
結局、提督の気持ちはどうなのかは分からなかった。
けれど、まだその段階じゃないんだって分かった。
私は、まだ恋の途中。
「おう、お帰り」
「ただいま」
夕食の後、二人してテレビを見ていた。
「まだ秋だって言うのに、もうクリスマス商法の話題か」
「とは言え、あと二か月くらいでしょ? 世間は騒がしいわよ」
「そういや、鎮守府でもやったな。クリスマスイベント」
「宴会と変わりなかったわよね」
「確かにな」
今年のクリスマスは、提督と過ごすことになるのだろうか。
「お前も、クリスマスには相手が出来るといいな」
「――そうね」
一緒に過ごすって事は、提督の中ではないのね。
でも、そっか。
この生活だって、偽りだものね。
目標は、相手を見つける事だし。
提督以外の相手を――。
「あんたはどうするのよ? クリスマス」
「俺か? どうするかな。特にやる事もないし、若手の仕事でも手伝ってやろうかな。あいつら、早く帰りたいだろうし」
「そう……」
もし、私に相手が見つからなかったら……。
期待はしてなかったけれど、予定は空けておいて欲しかったな。
なんて、我が儘かな。
「…………」
いや、違う。
提督は、私に相手が見つかるって思ってるんだ。
確信してるんだ。
今がどうであれ、私がこの生活を終わらせたいと思っていることを知ってるから、終わらせてやろうと思ってるんだ。
「ねぇ、私に相手が見つかると思う?」
「ああ、思う」
即答か。
やっぱり、そうだったんだ。
でも、今はその優しさが、ちょっとだけ痛いかな。
『もし……相手の事を想ってるのなら、はっきりと言わないと駄目だと思う』
はっきり……か……。
「それでも見つからなかったら……北上さんと阿武隈、私たちの四人で過ごさない……?」
ごめんね響ちゃん。
今の私には難しいわ。
「だから、予定は空けておきなさいよ……」
これが精一杯だけれど、頑張った方じゃないかしら?
「それは構わないけれど、あいつらの許可取ったのか? あいつらにだって、過ごしたい人の一人や二人いるだろう」
「う……そうかもしれないけど……」
提督の気持ちは分からない。
「まぁ、でも」
それで苦しむこともあるかもしれない。
「?」
それでも。
「その時は、お前と二人で過ごせばいいか」
私は。
「お前さえよければ、だけどな」
「……馬鹿じゃないの」
恋をして良かったって、思える自信がある。
「やっぱ駄目か」
「駄目とは言ってないわ……。花嫁修業には必要だし……そういうのも……」
提督を好きになって良かったって、思える自信がある。
「まぁ、そうならないように頑張ろうな」
「……予定は空けておいてよね」
「ああ、分かった」
「約束よ……」
クリスマスも、こうして二人で過ごせたらいいな……。
「大井っち、おはよー」
「おはようございます、北上さん」
「昨日さー、テレビでクリスマス特番やってたの見た? 早いよねー」
「私も見ましたよ」
「でね、クリスマスはさー、私たちと阿武隈、そして提督も誘おうと思うんだけど、どう?」
あら、好都合。
好都合だけど……。
「提督も……ですか?」
まさか、北上さんから提督が出てくるとは思わなかった。
阿武隈辺りが絶対言うと思ったのに。
「うん、提督もクリスマスは一人っしょ。寂しいかなーって思って」
「そうかもしれませんね」
「でも、もし相手がいたらどうしよう……」
そう言った時の北上さんの顔は、本当に不安そうだった。
どうしても提督を誘いたいんですね。
「大丈夫ですよ。提督に相手がいるわけないじゃないですか」
「相変わらずキツイこというねぇ……」
「とにかく、大丈夫ですよ。今の内から誘ったらどうですか?」
「そうだね。早速メールしよ」
恋をして良かったと思える自信がある。
提督を好きで良かったと思える自信が。
でも、それを掴むに越えなければいけない壁が、あまりにも高すぎる。
今、そう思った。
「にひひー、楽しみだね」
「えぇ」
北上さんは、提督に恋をしている。
――続く。