「実は私、提督と同棲してるんです」
そう言った時、北上さんの顔は、不気味なほどに普通であった。
「あー、そうなんだ。あー……なるほどねぇ……」
「り、理由がありまして……」
事の経緯を説明し、今まで黙っていたことを謝った。
「そうなんだ。大井っちも大変だね」
「え、えぇ……」
「そっか……」
その顔は、どこか寂しげだった。
「あのさ、大井っち……」
「はい」
「……やっぱり何でもない」
それから、北上さんは黙り込んでしまった。
ショックだったんだと思う。
提督が、他の女と暮らしているだなんて知ったから。
「えぇ!? じゃあ……北上さんに話したんですか!?」
「えぇ……」
「どうしてまた……」
はっきりとした理由は言えなかった。
提督が好きだという気持ちだけは、阿武隈にも北上さんにも話せなかった。
「それで、北上さんは?」
「ショックを受けたのか、黙り込んじゃって……」
「やっぱり……北上さんは提督の事を……」
まさか、三人が三人、提督を好きになるなんてね……。
「北上さんがライバルかぁ……。ちょっと自信ないですけど……大井さんは私の事、応援してくれますよね?」
「え、えぇ……」
「待っててくださいね。同棲生活も、北上さんを奪われることも、どちらも終わらせますから!」
そう言って、阿武隈は席へ戻っていった。
応援……か……。
もし、私が提督の事を好きだって知ったら、あの子はどう思うのかしら……。
傷つけてしまうかしら……。
でも、言わないままというのも……。
「…………」
提督が好き。
それを二人に言ってしまえば、楽になれるだろう。
けれど、二人の気持ちを知っているからこそ、それが言えなかった。
お昼休み。
北上さんからメールが入っていた。
内容は、土曜日に遊園地へ行こうと言うものだった。
直接言えばいいものを、珍しい。
帰り道。
やはり北上さんはダンマリだった。
「北上さん、土曜日の遊園地の件ですけど……」
「うん……」
「集合場所は駅でいいですか?」
「うん……」
会話が続かない。
誘われた立場からすると、どういう事なのだろうと考えてしまう。
直接言わないで、メールでっていうのも気になるけれど。
「…………」
やっぱり、今朝の件と関係があるのだろうか。
だとしても、何故遊園地?
そんな調子で迎えた土曜日。
駅へ向かうと、既に北上さんが待っていた。
「大井っちー!」
「すみません。待ちましたか?」
「ううん。私も今来たとこだよ。それじゃあ、早速行こうか」
そう言って、北上さんは私の手を取った。
「にひひ」
いつもの北上さんの姿に、私は安堵した。
休日の電車内は、少しだけ混雑していた。
「大井っちと二人でどこかに行くの、何気に久しぶりだね」
「そうですね」
「誘われないなぁと思ってたら、大変なことになってたんだね」
大変な事。
提督との同棲の事だろう。
「え、えぇ……」
「提督との生活、どう?」
「普通ですよ」
「普通……か……。そっか……」
それを機に、会話は途絶えた。
「着いたー!」
「遊園地なんて、何年ぶりかしら」
「大井っち、何処から行く?」
「北上さんの行きたいところでいいですよ」
「そお? じゃあねー」
楽しそうな北上さん。
ダンマリな北上さん。
二人の北上さんが存在しているかのように錯覚する。
それほどに、ギャップは大きい。
「コーヒーカップだってー。行こう、大井っち」
「はい」
提督の件さえなければ、ギャップを不気味に思わず、この時間を楽しめただろうに。
「次はあれに乗ろうよー」
「そんなに急がなくても、時間はたっぷりありますよ」
「そうだけど。でも、少しでも長く一緒に居たいからさ」
その笑顔の影に提督を見た。
同じような事、言われたっけ。
「……大井っち?」
「え?」
「楽しくない?」
「そんな事ないですよ。楽しいですよ」
「……そう?」
「次、あれに乗るんですよね。行きましょう?」
「うん」
楽しくなさそうに見えたのかな。
提督の事、考えると駄目だわ。
今日は純粋に楽しみましょう。
北上さんも、提督の事は関係なく楽しんでいるし。
それから、北上さんと遊びつくした。
休憩なんて必要ないと言わんばかりに、北上さんは園内を駆け巡った。
手を引かれる私も同じように。
「あと乗ってないのどれかな?」
全部乗るつもりなんですね。
「ね、どれだと思う?」
そう言うと、北上さんは顔を近づけて、パンフレットを見せた。
そう言えば、今日に限って、北上さんがグイグイ来る気がする。
手もずっと握ったままだし……。
「あ……近いって……?」
「い、いえ。ただ、今日の北上さん、なんだかグイグイ来るなぁと思いまして。いつもは、私がグイグイ行き過ぎて、北上さんが嫌がる感じなのに。珍しいですね」
「……嫌だった?」
「別に嫌じゃないですよ」
そう微笑んだ私に対して、北上さんは真顔だった。
「北上さん?」
「……そう言えば、まだ乗ってないのあったね。観覧車……」
観覧車の方を見ると、時間が表示されていた。
「結構経ってるんだね。あれに乗ったら最後かな……」
北上さんは、一瞬、寂しそうな顔をした。
「行こう、大井っち」
「え、えぇ……」
観覧車は誰も並んでいなくて、すぐに乗ることが出来た。
前も後ろも、誰も乗っていない。
私たちだけなんじゃないかと思った。
「…………」
さっきの元気はどこへやら。
北上さんは外を眺めたまま、一言もしゃべらなかった。
「遊園地、来たかったんですね。なんだか意外です」
「うん……」
「……高いですね。学校、見えますかね?」
「うん……」
うぅ……また……。
一体どうしたんだろう……。
あの時と同じ……。
疲れたのかな……それとも、帰るのが惜しいとか……。
「大井っち……」
「はい」
「大井っちは……これからどうしようと考えてるの?」
「どうしよう……というのは?」
「同棲のこと。相手の人を見つけなきゃいけないんでしょ?」
「……えぇ」
この流れ……。
やっぱり、今日はこういう話をするためのものだったのかな。
遊園地で力を抜いて、最後に話を持っていくって言う……北上さんなりのやり方……。
「相手の人……見つかりそう?」
「いえ……まだ……」
「まだ……か……」
気まずい沈黙が続く。
「本当は……提督の事が好きなんでしょ?」
北上さんが真剣な目で私を見た。
私は、蛇に睨まれた蛙のように、何もできなかった。
「前にさ、提督が買い物してるところに遭遇したことがあったじゃん? あの時、大井っちと提督の間に何かあったんだって、なんとなく分かったんだよね。大井っち、なんだか動揺してたし」
心臓が、はち切れそうなくらい、大きく鼓動している。
「それが何かは分からなかったけれど、もしかしたら、大井っちは提督の事が好きなのかなって思った。それを確かめるために、提督とデートしたんだよね。そうすれば、阿武隈が見に来るって分かってたし、一緒に大井っちを誘うって分かってたから」
北上さんは、私たちがつけていたのを知っていた。
「結構大胆な事してたでしょ。大井っちがどんな反応するか、知りたかったんだよね。でも結局……私がそんなことをしていることにショックを受けたのか、それとも、提督が他の女とそう言う事していることがショックだったのか、分からなかった……」
観覧車は、徐々に頂上へと近づいていた。
「大井っち、言ったよね。北上さんは、提督の事が好きなんですか? って……」
嗚呼……。
「私はね……」
やっぱり……。
「提督の事……」
そうなのね……。
「好きじゃないよ」
ほら――。
「――え?」
「私が、提督の事、好きだって言うと思ったでしょ?」
「え……あ……その……」
「大井っちがそう言う疑いを随所に出していたのは知ってた。提督の事、好きだって思われてんだなーって」
「…………」
「それで確信したんだ。やっぱり、大井っちは提督の事が好きなんだって。でも、大井っちはそれを言わなかった。同棲している事すら……。おそらく、阿武隈には言ってたんだと思う。あいつ、急に大井っちに近づいてたから」
そこまで……。
「それって、私に気を遣ったんでしょ? そしてそれは、まだ、提督が好きだって気持ちに本気じゃなかったという意味もある……違う?」
私は何も言えなかった。
「でも、この前私に、同棲していることを告白した……。それは……提督との恋に向き合うため……。隠すの、辛かったでしょ? それから解放されたいという意味もあったんじゃない?」
何もかもを見透かされているような気がした。
でも、おかしい。
北上さんが提督を好きじゃなかったのなら、どうしてそこまで……。
「……もうすぐ頂上だね」
窓の外を見ると、遠く、私たちの町が見えた。
北上さんは、深く目を瞑って、ゆっくりと深呼吸をした。
そして、何かを決意したかのように、目を開けた。
「大井っち……」
「はい……」
「私……大井っちの事が好きなんだ……」
遠く、帰りの時刻を報せる音楽が聞こえた。
「え……と……それは……あの……」
「うん……そういう意味……」
秋風を受けて、観覧車が少しだけ揺れた。
「大井っちの気持ちを確かめたのはその為……。提督の事が好きだと思ったのは全部嘘……。当時はそんな事、微塵も思ってなかったよ。デートの本当の意味は、私の事、どれだけ好きか確かめただけ……」
そう言うと、北上さんはつまらなそうに頬杖をついた。
「私があんな事してショックだと思ってくれたのかと、最初は思ってた。だから、たくさん提督の事を話して、大井っちに嫉妬してほしかった。でも……大井っちはそうじゃなかったんだね」
「……いつから……私が提督の事を好きだと……?」
「さっきは最初からって言ったけど、本当に確信したのはさっきかな。電車の中で、聞いたじゃん。提督との生活はどうって……」
普通。
そう答えたはずだ。
「普通って答えたよね。ちょっと前の大井っちだったら、考えられない答えだよ。無理やらされてるんだから、「最悪」とかそう答えるでしょ? 悪く言えないほど、提督の事が好きなんだって思った」
「…………」
「提督と同棲していると聞いて、目が覚めたんだ。今まで、私が好きだから、色々悩んでくれてるのかと思ってたけれど、そうじゃないんだって。大井っちが提督を好きだと考えれば、辻褄もあうって……」
私は混乱していた。
北上さんが私にそう言う気持ちを持っているという事実。
私の思っていた結果とは、まったく違った事実が、そこにある。
まるで夢を見ているかのようだ。
「思い込みもそうだけど、気持ち悪いよね。自分でも分かってるんだ。でも……それでも……好きになっちゃったからさ……。仕方ないよね……」
「北上さん……」
「同性が好きなんじゃないよ。大井っちだから……好きなんだよね……」
どう返したらいいのか分からなかった。
私も、北上さんの事は好きだし、北上さんと同じような立場になっていたかもしれない。
でも……今は……。
「北上さん……私は……」
「うん……分かってるよ。あーあ、これが失恋かぁ。辛いわー」
そう、お道化た。
けれど、その目には、涙が溜まっていた。
「……もうちょっとで、地上に着きますね」
「……大井っち」
「はい」
「最後にさ……ギュッてしてもらっていいかな……」
私は、北上さんをそっと抱きしめた。
細い体が、小さく震えていた。
遊園地を出て、最寄りの駅まで、顔を合わせる事も、話す事も無かった。
けれど、その手だけは、しっかりと握られていた。
この手を放してしまったら、北上さんがどこかに行ってしまう気がして、怖かった。
「私、こっちだから」
そう言って、北上さんは手を放した。
「今日はありがとう。凄く楽しかった。いい思い出になったよ」
やめてよ……。
まるでこれが最後みたいじゃない……。
「じゃあね、大井っち」
そう言って、北上さんは歩き始めた。
「北上さん!」
その背中に、思わず声が出た。
「なに?」
「あの……また……一緒に遊園地……行きましょう!」
北上さんは驚いたような顔をした後、ニッと笑った。
「そしたらまた好きになっちゃうじゃん。次はハグじゃなくて、キスするからね」
「の、望むところです……!」
「なんてね。ありがとう、大井っち。また来週、学校でね!」
「はい!」
「にひひ」
そう笑って、北上さんは駆けていった。
さっきの不安は、もうすっかり消えていた。
家に帰ると、提督がソファーで寝ていた。
「だらしないわね……全く……」
提督を起こさないように、その隣に座った。
「…………」
思えば、この人と暮らしてから、色んなことがあったな。
良いことも、悪いことも。
「ん……あれ……?」
「あら、起こしちゃったかしら?」
「おう、お帰り……。いつの間にか寝ちまったようだ……。北上と出かけてたんだろ? 楽しかったか?」
「えぇ、とても」
「そうか」
どうしてこの人を好きになったのか、未だによく分かってない。
けれど、一緒にいて、こんなにも温かい気持ちになれる人、今までいなかった。
「晩飯……どうするか」
「外で食べない? 駅前のレストランとか」
「見つかっちゃうだろ」
「もういいの。北上さんにもバラしたから」
「そりゃまたどうしたんだ? 北上にだけはバレたくないとか言ってたのに」
「秘密よ」
「なんだそりゃ……」
これからは、もっともっと素直に、この人を好きになれる。
もう、私の気持ちに、嘘も隠し事も無い。
「それよりも、行くの? 行かないの? はっきりしなさいよ」
「遊園地から帰ってきて早々出かけるのか? 元気だな」
「そう言うものなのよ、乙女ってのは」
「ふっ……」
「……なんで笑ったのかしら?」
この気持ちを、今度は提督に伝えないといけない。
「まあいいわ。ほら、行くわよ」
「分かったよ。準備してくる」
今はそんな勇気はないけれど、時間がかかってもいいから、ゆっくりゆっくり、伝えていければと思う。
そして、いずれは――。
「おはよう、大井っち」
「おはようございます」
いつもの通学。
土曜日の事が嘘だったかのように、何も変わらない。
けれど、それが一番いいことなんだって、私たちは知っていた。
「ね、提督とはどこまでいったの?」
「どこまでって……」
「キスとかしたの~?」
「もう、セクハラですよ」
ちょっとだけ変わりはしたけれど、本質は変わらない。
そう、変わらない。
これからも、ずっと、変わらないはず。
「あ! 阿武隈だ! そぉっと近づいて……おりゃ!」
「わぁ!? って、き、北上さん!?」
「今日も前髪決まってるねー。うりゃ!」
「ぎゃー! 前髪がー!」
変わらない……はず……。
「大井っち?」
「え?」
「どったの? 急にぼーっとして」
「大井さん……見てないで助けてくださいよぉ……」
「――ごめんなさい。考えごとしていて。北上さん、学校に遅れちゃいますよ」
「あ、本当だ! 阿武隈、おんぶ&ダッシュ!」
「ちょ……くっつかないでくださいよー」
「…………」
――続く。