僕は奴隷だ。
特に何が出来るわけでもない、どこにでもある家具の1つ。けれど偉い人達は僕みたいなモノを沢山買う。
力もなく、金もなく、勇気もなく、希望もない。そんなモノを沢山買って何の得があるのかはわからないけれど、僕はただの家具だ。命令されたことをただ実行するだけ。
だから命令がない時はいつも立っている、この奴隷用の物置で。
両手を伸ばしたら壁が剥げた木材に手があたってしまうようなこの小さな場所に、僕ともう2つの奴隷は常に同じ姿勢。小屋の上の天窓から空がかろうじて見える。
用を足す時、硬い黒パンを食べる時、寝る時、そして所有者の命令を聞く時、それら4つ以外で僕らがここを動くことはない。この指先を動かすこともない。
湿った土を踏みしめる音が聞こえてくる。1歩1歩の間隔が長い。この音は僕らの所有者が近づいてくる時のものだ。
すぐに、壊れそうな悲鳴をあげながら物置の戸が開かれた。
そこには僕の3倍くらいの横幅で、僕と同じくらいの身長の所有者が立っていた。
首元の肉が階段を形成し、黒いツヤのある服を押し出す腹は腰の部分で無理矢理締め付けられて、苦しそうにはみ出している。
この物置にたまに入ってくる茶色い大きなカエルのような顔の、目玉がギョロギョロと動き、僕たちを捉えた。
「4日ぶり、んん? 5日ぶりだったか。まぁ、相変わらず汚く臭いなお前たちは」
僕らは何も言わない。命令はまだないから。
「ふ、表情1つ変えんな、つまらない奴隷だ。おい、おまえ笑ってみろ」
僕の所有者が僕の方を指をさし、命令を下した。
笑うのは得意だ。ただ唇の端に力を込めるだけ。勝手に口元が弧を描いた。
「はっ、なんだその引きつった表情は。もういい次は泣いてみろ」
また僕の方を指差し、命令する。
困った。
僕は笑うことはかろうじてできるけれど、泣く、ということがどうにもできない。昔は確かにできた、しかし今は僕の涙は枯れ果ててしまったかのように、1滴も出なくなってしまった。
「貴様は泣くこともできんのか、仕方ないな。わしが直々に泣き方をもう一度教え込んでやろう」
そう言うと後ろに付いていた老紳士が僕の所有者に1本の杖を渡した。光を反射し、鈍く光るそれはとても硬そうだ。
僕の所有者は嬉々とした表情でそれを受け取った。
鈍色の鉄杖は思い切り、僕に叩きつけられる。
肩が強かに打ち付けられる。
痛い。歯に力が入る。
今度はお腹に。
痛い。空気が口から吐き出された。
次は足。
痛い。あまりの痛いみに痛覚が段々と麻痺していった。
僕はいつの間にか物置の地面に倒れていた。体中が悲鳴を上げている。骨が軋む。いつの間にか噛んでしまった唇から血が滴り落ちていた。
「ふん、これだけしても、まだ泣くどころか表情1つ動かさんな。つまらん、次はお前だ、こっちへ来い」
僕の所有者の目は既に興味をなくしたように他の奴隷を見ていた。
それを確認すると、そのまま目を閉じる。
朦朧とした意識の中で、痛みと仕事を終えた僅かな達成感が渦巻く。
僕を呼ぶ声はもうない。自然と意識は遠のいていった。
深い眠りに沈んでいた意識が、徐々に覚醒へと向かい準備を整えていく。心地よい、と言える物ではなかったけれど、眠りは僕の体の痛みを和らげた。
―――おーい、起きろー
微睡みは段々と軽くなり、どこからか掛けられた声が、頭に木霊する。
―――おーきーろー、めーをーあーけーろー
うるさい。意識は浅くだが覚醒してしまい、体の痛みがぶり返してきた。
それもこれも、このうるさい声のせいだ。
―――おいおい、そりゃねぇよ。おまえをこんなにしたのは俺じゃねぇだろうに
『そんなことは、わかっている。いいから、もう少し眠らせて。』
―――だが断る。暇なんだよ、お前が起きるまで騒ぎ続けてやる。あーあーあーッ、オーキーローッ!
「…………うるさい」
脳裏に響き剥がれない声に反応し、僕はついにまぶたを開けてしまう。
目の前にはジメジメと湿った地面があった。土の匂いが鼻腔をつつき、意識が確かになる手助けをする。
―――やっと起きたか
『誰』
―――俺はタンバヒデトシ、よろしくな
頭に直接話しかけてくるこの声の主には、どうやら思うだけで口に出さずとも意思が伝わるみたいだ。
『知らない、誰』
―――まぁ、そりゃそうだわな
どこからともなく男の声が聞こえてくる。この物置には僕以外に2つの奴隷がいるけれど、今は二人共地に臥しているから僕に話しかけられる人間はいないはずだ。
一応、首を動かし、周りを確認するが誰もいない。
―――あー、無駄だって。姿は見えねえし、この声もお前にしか聞こえねぇよ。そういう風にしゃべっているからな
どうやら、ついに僕も狂ってしまったみたいだ。他の奴隷が急に意味のわからないことを言い出し狂う姿を僕は何度も見てきた。そういう奴隷はいつも次の日になるといなくなっているけれど、ついに自分の番がやって来たということだろうか。
―――ちがうちがう。お前は狂ってなんかいねぇよ。俺は正真正銘ここに存在する。ただお前には見えないだけでな
『僕の妄想の癖に随分と難しい言葉を使うな』
―――いや、だからお前の妄想じゃねぇって。ああ、そうだ、色々おまえの知らないこと教えてやるよ。それで証明できるだろ
『できるものならやってみて』
―――やってやるぜ
それから謎の声は僕にいろいろなことを教えてくれた。空が何故青いのか、という話から始まり、この国、いや世界の説明までを手早くこなした。
正直ほとんど何を言っているのか意味がわからなかったけれど、久しぶりに自分を人間として扱う声に、僕は少しずつ昔を思い出していった。
ここに来る前の奴隷商の館でのこと、そこで受けた調教、売られる前に家族と暮らしていた記憶、楽しい夕食の風景。
それは遠い昔、僕が人間だった頃の話だ。
―――ってことでな要はこの世界には帝具ってやばいモンがあってだな………
『もういいから、何言っているのか全然わかんないし』
―――おいおいそりゃねぇぜ、こんなに懇切丁寧に説明してやっているってのに
『とりあえずさ、もう一度教えてよ』
―――ん、何をだ?
『名前だよ』
―――ああ、タンバヒデトシって言う者だ。ニホンから来た、よろしくな
『僕はミレイ、よろしく』
―――美少女は誰でも大歓迎だ
僕はそんなおどけた男の声を聞いて、地面に横たえていた体を起こすと、久方ぶりに金色の髪を汚していた泥を丁寧に落とし、数年ぶりにクスリと笑った。
タンバはよく喋る男だった。立ち上がってからというもの僕が黒パンをかじっている時でもお構いなく、しゃべり続けた。さすがに用をたしているときは遠慮して黙ったけれど。
タンバはどうやら幽霊のようなものらしい。自分で自分の姿が見えるが、何にもさわれず、誰にも見えない。だからずっと一人で彷徨っていたという。声はどうやら誰にも聞こえるようだけれど、話しかけてもまともに答えてくれる人がいないため、僕と話せて舞い上がってしまったようだ。普通の人間だったらこんな声を聞いたら錯乱するか、逃げるかどちらかだろうから仕方ない。
―――そろそろミレイの話も聞かせてくれよ。ずっと俺しか話していないからよ
『いいけど、あんまり面白くないよ?』
―――いいさ。美少女の話が聞けるだけでおれは十分楽しい
『私はミレイ、姓はない。ただのミレイ。年はたぶん16。家族は3人いた』
―――ほぉ、ミレイは16歳だったのか。現役JKじゃんか
『JKってなに?』
―――それはほらあれだ、永遠の乙女の称号的な
『タンバの言っていること、たまによくわからない』
―――まぁそれはいいさ。家族はどうしているんだ?
『………わからない。私は売られたから』
―――そ、そ、そうか、すまん。無神経なこと聞いちまって
『いいの。済んだことだから。弟のことだけ心配だけど』
―――弟がいたのか、ミレイの弟ならイケメンだろうな。
『イケメンっていうのはよくわからないけど、かわいい弟だよ』
―――そうか
その後もタンバといろいろな話をした。家族のこと、友達のこと、家の仕事のこと、初恋のことまでタンバはなんでも聞いてきた。僕はタンバと話す中で、今まで記憶の底に封じ込めていた自分という人間のことをだんだんと思い出してきた。
自分は物ではなく人だ。ミレイという1人の人間だ。そう感じられるようになるまでにさほど時間はかからなかった。