登場アイドル:双葉杏
ダンッ――遠くのリビングから、アイツがテーブルを叩く音が聞こえた。数秒も経たないうちに、その音に続くようにして、ガランッ、ガランッ――という空になったビールの缶のけたたましい音を立てて倒れる音が聞こえてくる。
音が静まるらないうちに、アイツらの怒鳴り声と金切り声が混じり合った不協和音が響き渡る。
ああ、もううんざりだ――。
私はノソリッとテレビのリモコンを手に取って、ボリュームを上げる。激しい戦闘BGMが、さらに過激化を増す。
耳障りな不協和音が聞こえなくなった。
用のなくなったリモコンをソファーの上に投げ捨てる。ダラリッと脱力させるように、背もたれにもたれかかる。
意識はもう、唯一一日を通して浴びる光を放っているテレビに向けられていた。
私は暗い部屋で一人、頭から毛布を被ってテレビゲームをしている。不健康な生活であるとは重々承知しているけれども、正直なところ、今はこれ意外にすることがない。
いつの頃からか、時間を気にしなくなっていた。久しぶりに、徒労と分かっていながら、律儀に時を刻んでいる時計を一瞥する。
現在時刻、午前十時。
この時間帯ならば、健全な青少年少女たちは真面目に勉学に励んでいる頃だろう。まあ、私には関係のないことだけれど。
頑張って勉強して。頑張って上位の大学に進学して。頑張って有名な企業に就職して。頑張って良い結婚相手を見つけて。頑張って社長昇格を目指して――頑張って、頑張って、頑張って……。
頑張る、ああ……なんてくだらない言葉。
密室状態の部屋に、ゲームがエンディングを迎えたことを告げる音楽が響く。これでまた一つのゲームが終わった。最近発売された、前評判の高かったゲームだ。それなりに楽しむことはできたと思うけれど、シリーズものということもあり、若干内容がマンネリ化していることが否めない。
手にしていたゲームのコントローラーをソファーに投げ出し、ゴロリッと横になる。エンディングを迎えたことで流れる音楽とスタッフロールが眠気を誘うような子守唄となって虚しく聞こえる。
ソファーに横になった私は、ボーッとしながら天井を眺める。
テレビの光で若干薄暗くなっている。
ここにいるのは私だけ。
ここは、私にとって外の世界から身を守るための要塞のようなもの。
この部屋の外には二人の外敵がいる。
私がせっかくゲームを楽しんでいるところに、朝から喉が嗄れるのではないかと思わせるほど、声を張り上げての喧嘩を繰り広げ、水を差してくる。
それでも、うるさいと一言文句を言うことはしない。だって、面倒臭いから。
ゴロリッと寝返りをうつ。
いつの間にか、エンディングが終わっており、テレビ画面は開始前のオープニング画面へと変わっていた。
今は二週目をするだけのやる気が起きない。まだまだ未開封のゲームがあるので、後でゆっくりとやり直せば良いだろう。どんな縛りをしようか。
あれだけ激しく言い争いをするのが聞こえていた部屋の外が、水を打ったように静かになっていた。
どうせ酒が切れたので、外に買いに出たのだろう。
いつからかリビングに顔を出さなくなったけれども、そこは、アイツらが飲み散らかしたビールの空き缶や酒のつまみの空袋で、ゴミの山が築かれている。清潔感のカケラもない。
かく言う、私の要塞、もとい部屋も同じような状態だった。
完全な出不精ではないものの、めったに外には出ない。
ゴミが溜まったところで、いちいちゴミ袋を担いで、ゴミ捨て場に指定の曜日に捨てに出るだなんて、七面倒臭いことはしない。
いつの間にか部屋の隅には、最低限まとめられたゴミ袋の塊が、部屋の隅に積み上げられていた。
少しだけ崩れてしまったのか、小さな土砂崩れが起きていた。
臭いに関しては、芳香剤を総動員させているから大丈夫。中身が空になったそれが、力尽きたかのように床に転がっている野が目に入った。
手持ち無沙汰というわけではないけれども、ゲームには少し飽きたので、今はパソコンをするためだけにある勉強机に向う。
一応嫌々ながら卒業した中学校で使っていた教科書が、机の正面にある本立てにあるのが目に入った。
あれから二年……。
一度も手をつけられることがなかったそれには、うっすらと化粧がほどこされたかのように、埃を被っていた。
教科書なんて、授業中ほとんど開いたことがない。
テスト勉強なんて、前日に一夜漬けが当たり前だった。それだけで、十分上位に食い込むことができていた。まあ、他の真面目に勉強している人からすれば、気に食わないと思うだろうけどね。
卒業証書だって、貰ったその日の内になくしちゃったような気がする。
卒業写真に写る私は、周りにいる笑顔のみんなとは対照的に、無気力が服を着た状態でいた。よく見れば、若干口角が上がっていて、無理やり笑顔を作ろうとしていたのが分かる。あの時は、初老のカメラマンに何度も笑顔、笑顔と言われたような気がする。あまりにしつこいので、とっとと終わればいいのにと憂鬱だった。
起動したパソコンを操作して、ネットサーフィンを始める。
基本的にゲームのネット通販や無料でできるネットゲーム。その他にも動画配信サイト、チャットサイトを利用している。
通販サイトに入り、掘り出し物がないかランキングやレビューを見ながら探す。残念ながら、今日のところはめぼしいものはないようだった。まあ、まだ未開封のゲームがいくつもあるから、まだ新しいものに手を伸ばす必要はないんだけどね。
次に、チャットサイトに入る。普段から主にプレイしたゲームを話題に、チャットをしている。
よく利用しているサイトは、特別会員になれば専用の部屋が用意される仕組みになっていて、私もその一人。当然のように一つ部屋が用意されていて、そこにはいつも、何人ものチャット仲間が出入りしていた。
私のように働いていない人もいるけれど、多くのみんなはちゃんと働いている。
時々、その仕事での愚痴の零し合いになる時がある。
私はテキトウに相槌を打って聞き手に徹しているけれど、仕事をするっていうのは、本当に面倒臭いんだなあって良く思う。
好きなことを、好きなだけしている方が有意義だって思うんだけど、どうかな。
嫌なこと、面倒臭いことをするっていうのは、人生や時間を損しているように思うんだけどな。
人生を損。私の家族は、本当に人生を損していると思う。
アイツら……父親と母親はもう駄目だろうね。
父親は元々それなりに有名な会社に勤めるサラリーマンだった。エリートだった。将来は社長だって夢ではないくらい、才能のある人だったらしい。らしい、というのは昔自慢げに言う母親から聞いただけのことだから。
でも、いくらエリートだからって、才能があるからって……会社が潰れちゃどうしようもないよね。順調に波に乗っていた会社の突然の倒産。借金を背負うことはなかったけれど、父親は当然のように職を失った。
ならば、新しい会社に就職し直せば良いだけの話じゃないか。そう思うよね。でも、アイツは違った。なまじエリートで、才能に溢れていたことが逆に祟ったのか、プライドがひどく傷つけられたからなのか、すっかり酒に溺れるようになった。
馬鹿な私から見ても、本当に惨めな姿を晒していた。
よくもまあ、そんなアイツと縁を切らないと、母親の考えが分からない。
真っ先に言葉の絶縁書を叩きつけてこの家を出て行った、姉の選択は賢明だと思う。
私も、姉と同じようにできれば良いのだけど……、そこまで頑張ろうという気が起きないんだよね。
家を出て行った姉は、私とは違って頑張っていた。
アイツらを反面教師にして、そうなるまいと頑張っていた。
でも、やっぱり蛙の子は蛙だよね。もしかしたら、この家族はそういう運命にあるのかもしれないって、時々思っちゃう。
姉は何とか大学に進学したけれども、すぐに自主退学した。
授業料などは、奨学金と自分で働いて稼いでいたみたい。でも、それはなかなか難しかったみたいで、体調を崩して、そのまま崖から真っ逆さまに転げ落ちるかのように自主退学。
その後は風俗店で働いているというのを、久しぶりに会った時に教えてもらった。
正直外に出たくはなかった。吸血鬼じゃないけれど、太陽の光で灰になるような気がしたから。アイツらがいなかった頃合いを見て、家に上がってきた姉に、無理やり引っ張り出されたのを思い出す。あの時は太陽の光で目が潰れるかと思った。
「殺す気かーっ!」久しぶりに大声で抗議をした――その後喉を痛めた……。
「居場所がないんだよね……」そう姉が、心中を吐露したのを覚えている。
風俗で稼いだお金を、姉はホストクラブに通って、お気に入りのホストに貢いでいるみたいだった。それがどんなに危険なことなのか、分からないほど馬鹿じゃないだろうに。私は呆れ顔を浮かべていた。姉も苦笑いを浮かべていた。
なら、どうしてそれをやめないのか。私はふと疑問に思い、尋ねてみた。
「あの人だけが、わたしの居場所になってくれるの。家にも、学校にもわたしの居場所はなかったから……」そう言った姉の顔には、孤独感が漂っていた。
家族はもはや温かかった頃には戻ることはなく、絶え間なく続けられる夫婦喧嘩の影響が私や姉の周りにも出ていた。その孤独感を紛らわせようと、姉は頑張り続けていたのだ。でも、車が永遠に走り続けることができないと同じように、姉も走り続けるのに疲れてしまったのだ。
反面教師の両親のようにはならないために頑張ることが、あまりにもくだらなく思えたんだろうね。私でもそう思うよ。
まあ、貢ぎすぎて変な借金を負わせられるようなことにはならないでほしいよ。店内とはいえ、人気の多い場所だったから気が滅入っていたけど、一応は姉だからね、忠告のようなことは言っておいた。ネットサーフィンをしていれば、時々そういうので姿を消していく人もいるからね。噂だって色々飛び交っているのを見る。
姉も「うん、分かってる……」そう言っていたけれど、正直信用できなかったね。まあ、どうなろうとも姉が選んだことだから、私がとやかく言う権利はない、はずだよね……。
動画配信サイトに入ってみる。新しく配信されている動画がいくつか紹介されていた。ゲームのPVやスポーツの生放送、何か良く分からない議題について話し合っている国会の中継。そして、ふと目についたそれ――華やかな衣装を身にまとい、これまた華やかなステージで歌を歌い、ダンスを踊り、思わず視線を掴まれてしまうような笑顔を浮かべている少女たちの動画が配信されていた。
アイドル――女の子であれば、誰でも一度は夢見るだろう、それ。
“シンデレラプロダクション、アイドルたちのユニットによる初ライブ”と大々的に宣伝されている。
シンデレラか……。私は思わず呟いていた。
今の私は魔法がかけられる前の、姉たちに雑務を押し付けられ、嘆いているシンデレラ。いいや、雑務すら面倒臭がる私がシンデレラであるはずもない、か……。
でも……。私はここで一瞬考えを止める。
もしもだ……私みたいなのにも、シンデレラの人生を一瞬にして変えてしまうような魔法使いが現れたら、いったいどんな風に人生が変わるのかな。
頑張っても意味がない……そんな運命から抜け出せるのかな。
でも……所詮もしもの話。私に頑張るだなんて言葉は、ぜんぜん似合わない。
面倒臭いことなんて他人に任せて、私はやりたいことを、やりたい時に、やりたいだけやるだけさ。
シンデレラの魔法だなんて、どうせ時間が経てば解けてしまうんだ。
王子様がいれば、まだ分からないけどね。
そんな絵本の中にしかいないような存在がいたならば、私のことを救ってくれるのかな。
あははは、期待するだけ無駄ってこと。
さてっと……、新しいゲームでもやろうかな。確かジャンル的には魔法世界を舞台にした、ファンタジーRPGだったような気がする。
そうだね、普段こういったゲームではバッサバッサと剣で切っているけど、偶には趣向を変えて魔法をバンバン撃ってみようかな。
私はそう考えながら、パソコンの電源を落とし、電源を点けっぱなしにしているゲーム機からソフトを入れ替える。
脱力するようにソファーに座り、手元にはお菓子とジュースのペットボトルを用意する。コントローラーを手にして、準備オーケーだ。
さあ、魔法の世界に出発だよ。
今回のゲームは、他のよりも楽しめそうだ。そんな気がした。