ボーイ・ミーツ・ガール   作:クレナイ

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目利き

 ふうっと小さく息を吐き出す。額をぬぐうと、しっとりと汗で濡れていた。食器洗いに、洗濯、掃除と一通りの家事をこなせばあっという間に一日が過ぎてしまう。太陽が空高くに上がった青空が広がっていたと思いきや、空はもう夕日にあてられて燃えるような茜色に染まっていた。

 壁に掛けられている時計を見ると、二つの針は確かに夕方の時刻を指し示していた。もうすぐ家族が戻ってくる頃だ。お腹を空かせて、くたくたになっているだろう。お風呂と夕食の準備を始めなければいけない。

 さて、今日はどんな献立にしようか。最近お肉続きだったので、たまにはお魚もいいかもしれない。みんなに好き嫌いがないから、色々な献立を考えるのが楽しみの一つになっていた。

 台所に移動して、冷蔵庫を開けてみる。中にあるのは調味料やタッパーに入った日持ちするものくらいで、夕食を作るのには材料が不足していた。……ついうっかりしていた。そういえば、今日はみんなお弁当の日だった。基本的に冷凍食品には頼らないで、手作りが多いからほとんど使ってしまっていたのだった。みんな食べ盛りだから、仕方ないよね。

 とはいえ、早く買い物に行かなければみんなが帰ってくる。私はエコバックと財布をもって商店街に向かうべく、家を出た。

 

                    ***

 

 住宅街から商店街までは歩いて移動する。いつも通っている道が工事で通行止めになっていたので、少しだけ遠回りになるかもしれないけれど川沿いの土手道を通ることにした。春頃には、アーチになるようにしてある桜の木が満開になってとてもきれいな場所で、地元の人たちの散歩コースとしても親しまれている。

 家を出た頃から、茜色の空がうっすらと黒みがかってきた。土手道から川原にかけて草花が続いており、小学生くらいの子どもたちが向こうの川原から走ってくるのが見えた。そろそろ彼らも帰宅するのだろう。私の地面を蹴る足に力が入った。

 

                    ***

 

 夕方の商店街は、私と同じように買い物に来ている主婦たちで溢れていた。中には自分の子どもと手をつないで、仲良く歩いている人もいた。

 そういえば、昔私も手をつないで買い物に来たことがあったな。目に映る光景が懐かしく羨ましく、そして眩しかった。それは私の素直な感想だった。

 そして、タイムマシーンが動き出し、私のことを過去の思い出へと誘う……。

「買い物のとき、私も手をつないだなぁ……」

 今からもう何年も前のことだろう。私がアイドルをしていた頃、よく彼にお弁当を作っていた。

「うっうー、おはようございます」と私が事務所にすると「おはよう。おっ、今日もやよいは元気だな」とデスクで仕事をしていた彼が手を止めて、笑顔で迎えてくれた。

 デスクの上には、稼動音を響かせているパソコン。山のように積み上げられているタバコの吸殻、空になった栄養ドリンクのビンにカップ麺の器がそのまま放置されていた。着替えていないのか、くたびれて皴だらけのワイシャツ。ソファーの上には仮眠時に使ったと思われる毛布がそのままにされていた。努めて明るく振舞っているけれど、彼の目じりには疲れと寝不足からくっきりと深い隈ができあがっていた。

「プロデューサー……ちゃんとご飯を食べて、お休みしないと元気が出ませんよ」

「心配してくれるのか、やよいは?」私に余計な心配をかけまいとしてなのか、彼はわざと元気であるように接してくる。「でも、俺は大丈夫だから。今日も仕事、頑張ろうな」

 私は「はい……」と一応返事はしたものの、彼のそれが嘘であることは見抜いていた。たった一人で、十三人もいる私たちアイドルのことをプロデュースしている。朝早くから夜遅くまで休む暇もなく走り回っている。彼の様子やデスクの上を見ただけでも、とてもまともな生活を送っているとは思えなかった。特に食事、栄養面だ。栄養ドリンクやカップ麺だけで済ませているのは、あまりにも栄養が偏りすぎている。

 いざ用意してみたものの、それを差し出すとなればまた違った勇気が必要だった。

「えっと……プロデューサー」もじもじとなにかを迷っている私を見て「んっ? どうしたんだ、やよい?」と彼は首を傾げる。でも、促すことはせずに、私が話をするのを黙って待ってくれた。

「あの、えっと……こ、これ」背中に背負っていたリュックの中から、ナプキンに包まれたものを取り出し、差し出した。「これは……?」受け取った彼が、それと私を交互に視線を向けながら尋ねた。

「昨日の夜のあまりもので作った、お弁当です……」出来についてあまり自信がなかったことと、恥ずかしかったこともあり彼の視線から顔を逸らすようにしてしまう。「朝ご飯はきちんと食べないといけないって、学校でも言われてますから」

 彼が普段から栄養のあるまともな食事をしていないことは、事務所に所属している者だったら周知のことだった。知ってはいたものの、具体的になにをすればよいのかわからなかった。言葉で伝えても、彼はきっと変わらないと思うから。

「――――」

 彼は無言のままお弁当箱をデスクの上に置き、ナプキンを解く。一緒に添えていた割り箸がパキッと乾いた音を立てて二つに分かれた。

「――おおっ」

 お弁当箱とふたを開けて、中身を見た彼が驚く声をあげた。中身はいたってシンプルなもの。あまりものを組み合わせて作ったものだった。

「おいしそうだ」と彼は破顔させ、簡潔な感想をこぼす。「食べてもいいのか?」と確認を取ってくる彼は、まるでお預けをくらった犬のようだった。早く早くと尻尾を振っている姿が脳裏に浮かび、思わずくすりっと笑ってしまった。

 手を合わせて「いただきます」と言ってから、お弁当を食べ始めた。料理を口に運ぶたびに「うまい、うまい」と連呼していた。本当においしそうに食べてくれているのを見ていると、私も自然と笑顔になっていた。

 それから毎日彼にお弁当を作ってくるのが私の日課の一つになっていた。何度か「大変ではないか」といつでもやめてもいいことを言われていたけど、私にとってはぜんぜん苦ではなかった。朝早く学校に行く途中に事務所によってお弁当を彼に渡して、夕方家に帰るときに空になったお弁当箱を受け取っていた。

「今日はどうでしたか?」と感想を聞くことがいつの間にか当たり前になっていた。

「今日もおいしかったよ。特にハンバーグがね」

「プロデューサー、弟たちと同じことを言いますね。子どもみたいです」私が必死に笑いをこらえるようにすると「それは仕方ないだろ。やよいの料理がおいしいのがいけないんだ」とこれまた子どものような言い訳をするのだ。そして、また私が笑う。彼もつられて笑う。

 朝のお弁当のやり取りが続いて、しばらく経った頃。私は彼のことを家の夕食にも誘うようになっていた。きっかけは仕事の都合でお弁当箱を受け取れなかったとき、彼がわざわざ家にまで送り届けてくれたことだった。

「せっかくなので、夕食を食べていきませんか?」

 私の言葉に一度は断ろうとした彼だったけど、弟たちが一緒に食べようと家に引き入れたのだ。きっとこのまま事務所に戻っていたら、いつもどおりの食事を続けていたと思う。毎日というのはさすがに彼も抵抗があるようだったので、土日の休日やお弁当箱を届けに来たときは一緒に夕食を摂るようになった。

 そんなとある土曜日の仕事上がりに、彼と一緒に商店街に買い物に来た。夕方という時間帯だからか、私たち以外にも買い物をしている主婦たちの姿が見られた。中には仲良く手をつないでいる親子の姿もあった。

[きっとお家から手をつなぎながら、今日楽しかったことや夕食の献立について話していたんだろうな……、いいなぁ……]そんな様子を見て、少し嫉妬した。

 お父さんもお母さんも昔から忙しそうだったから、一緒に買い物に出掛けることも手をつなぐこともあまりなかったような気がする。単に私が忘れているだけなのかもしれないけれど、羨ましいというのは私の素直な気持ちだった。

 お母さんが忙しいときには、私が代わって家事をすることが多かった。買い物も他の主婦の人たちやお店の人のアドバイスを聞くにつれてどれが鮮度がよくて、おいしいのかがわかるようになっていった。私の目利きはこうして磨かれていった。

 彼と一緒にいつもお世話になっている八百屋さんを訪れた。

「おうっ、いらっしゃい、やよいちゃん」

 店主の男性が威勢のいい声で出迎えてくれる。隣に立つ彼を見るのが初めてだったので、私のプロデューサーであることを教えてあげた。

「おじさん、今日のおススメはなんですか?」

「そうだな……このナスなんてどうだい」

 店主さんとのやり取りを聞いていた彼が、おもむろにナスを手に取った。「これを買うんだな。やよい、何本かな?」

「えっと、待ってくださいプロデューサー」二本目に手をかけようとするのを遮る。彼はどうしたんだ、という不思議そうにしていた。「もっと新鮮なものを見分けるポイントがあるんです。ナスは皮の色が濃くて艶がある。へたが黒くて、筋がくっきりと出ている。とげが痛いほど立っている。握ってみて、しっかりとしたはりがある――ですよね、おじさん」彼が選んだのとは違う一本を手に取って見せてみる。

「いやあ、やよいちゃんには敵わないな」参ったというように、店主の男性は頭をかく。「昔は十分近く悩んでたのに、今じゃ一発で見抜かれちまう」

「そりゃ当然だよ、あんた。やよいちゃんの目利きはすごいんだから」奥のほうから出てきた店主の奥さんがほめてくれた。

「だから、きっといい奥さんになるよ。今から男に対する目利きも鍛えておきな。じゃないと、とんでもないことになるからね」

 男に対する目利きを鍛えておかなければ、とんでもないことになるというのは良くわからなかったけれど、いい奥さんになるよとほめられたのは素直にうれしかった。私のアドバイスを参考にナスを選んでいた手が唐突に止まり、彼はどこか困ったような苦笑いを浮かべていたような気がする。

 

                     ***

 

 その後も彼へのお弁当作りは続いていた。

 プロデューサーとアイドルの関係で付き合っていく中で、私は彼の良いところも、悪いところも見えてくるようになった。色んなところが見えてくると、彼の存在そのものがわたしの中で次第に大きくなっていった。同時に、胸にモヤモヤとした感覚を覚えるようになっていた。

 最初の頃は、この感覚がなんなのかわからなかった。知りたいけれど、知ってしまえば今までどおりの関係でいられなくなるのではないかと思うと不安で仕方がなかった。

 でも、それがなんなのかは時間が勝手に教えてくれる。知ってしまったときには、すでに破裂寸前の風船のようになっていた。ちょっとした衝撃で割れてしまう――その衝撃は唐突にやってきた。

 

                      ***

 

 買い物を済ませたところで「あっ、おかあさん!」と前方から幼い声が聞こえた。視線を向けると、今年三歳になった息子が肩から提げた保育園のバッグを揺らしながらパタパタと走ってきた。私がしゃがみ込むと、うれしそうに両手をバンザイさせて胸に飛び込んできた。そっと抱きしめてあげると、今日も元気いっぱい遊んだようでお日さまの香りがした。

「お帰りなさい」顔を上げると、すぐ近くにスーツ姿の彼が立っていた。仕事上がりに息子を保育園に迎えに行き、一緒に帰る途中だったのだ。やっぱりお父さんより、お母さんか――と肩をすくめて言った。少し拗ねているところが、また子どもっぽくてかわいい。

 商店街を抜け、住宅街に向かって歩く。私と彼の間に手をつないで息子がいる。ブランコのように前後に揺らしてあげるとキャッキャッと喜んでくれた。それが見られるだけで私たちは幸せを感じられる。

 やっぱり、私の目利きに間違いはなかった。

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